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本日(2014/05/31)、第67回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼今日で5月も終わりである。
それにしてこいつはいつまで咲くのだろう。ナガミヒナゲシだ!!
もうこれで終わりかと思ったら、翌日の朝には別のやつが花開いていた。一株でも次から次へと花を咲かせる。
それは我が家の門先だけの話ではない。
 そう意識して見るせいだろうか、今年はいたるところでこの花を見るのである。
「かわいいオレンジのパラボラアンテナのような花」のイメージは少しかわりつつある。
早く咲いたやつの実が枯れかけていた。
実の先端にはケシツボのフタがしてあった。
その下に隙間の窓があった。いつのまにかそんなものができていた。そこから種子らしきものが顔を出している。
この窓はなんだろう!?換気扇だろうか、種子散布の窓だろうか???
白い紙の上でフタをとって実を割ってみた。小さなケシ粒(種子)が散らばった。
ナガミヒナゲシの「戦略」が少しわかったような…。それにしてもあの窓は????
▼本日(2014/05/31)は第67回オンライン「寅の日」である。
5月最後の回である。
5月はずっと
・「科学」とは
・「科学研究」とは
を寅彦に聞くことをテーマとしてやってきた。
今回は少し番外編でテーマと関係しながら
・「科学教育」とは
・「科学魂」とは
を読み解いてみる。

◆第67回オンライン「寅の日」

「雑感」(『理科教育』より)(青空文庫より)

▼個人的には、この文章が最もお気に入りである。
この文章に出てくる「科学魂」にいたく共感し感動するからである。
その「科学魂」を次のように言っていた。

子供の時代から現在までに自分等の受けた科学教育というものの全体を引くるめて追想してみた時に、そのうちの如何なるものが現在の自分等の中に最も多く生き残って最も強く活きて働いているかと考えてみると、それは教科書や講義のノートの内容そのものよりも、むしろそれを教わった先生方から鼓吹された「科学魂」といったようなものであるかと思われる。

さらには
 科学教育の根本は知識を授けるよりもむしろそういう科学魂の鼓吹にあると思われる。しかしこれを鼓吹するには何よりも教育者自身が科学者である事が必要である。先生自身が自然探究に対する熱愛をもっていれば、それは自然に生徒に伝染しないはずはない。実例の力はあらゆる言詞より強いからである。

と言う。
▼呼びかけだけではなく、具体的な提言もし、さらにはフォローまでしてくれていた。
 間違いを教えたとしてもそれはそれほど恥ずべき事ではない。また生徒の害にもならない。科学の歴史は一面から見れば間違いの歴史である。間違える事なしには研究は進められない。誤魔化さないことだけが必要である。

先生も生徒も一緒になって、何でも手近な題目を取扱い、そうして、自然が如何に分らない事だらけであるかという事、その分らない事が、熱と根気で向って行けば少しずつ少しずつ分って行く事、その少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるかという事などを実習したらいいだろうと思う。先生の分らない事は大抵誰にも本当はよく分らない事である。分らない事は恥でも何でもない。分らない事を分ったような顔をするほど恥ずべき事はない。

これは、教師自身の「自由研究」のすすめにもなっていた。

この一文は、86年の時空を超えて、科学者・寅彦から現在の理科教師に向けた熱きエールである。
すべての理科教育関係者に、とりわけ若き理科教師にぜひぜひ読んでもらいたい!!

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「5.30」あれから30年が…[山崎断層地震]!!

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▼昭和59年(1984年)5月30日午前9時39分
ちょうど30年前の今日だ!!私たちが暮らす大地は動いた。
「山崎断層」名前は知っていた。それが「左横ずれ断層」であり、断層地形のことについても少しは知っているつもりでいた。
 しかし、それをほんとうに知ったのはこの日だったかも知れない。
この日からぜひとも『大地の動きをさぐる』「地震」の授業ではこれを扱いたいと思った。
▼「3.11」と前後する2010年度、2012年度2回、冬休みの課題(中学一年生の宿題)として、この「山崎断層地震」の「記憶」の聞き取り調査を実施した。
 いずれの年のレポートにも驚いた。
「記憶」はきわめて鮮明であった。
発生した時間帯が学校の授業時間帯であったということもあるのだろう。父母が小中高の学生であったこともあるのだろう。それが何の授業であったかを含め、そのとき「花瓶がたおれた」ことまでくわしく記憶されていた。
お正月ということで祖父母等(当時の大人)からの聞き取りもできたようだった。
「記憶」の記録化の必要性・有効性を強く感じた。
▼関東大震災(1923年)を経験した寺田寅彦は晩年(1935年没)まで数々の科学エッセイで「天災は忘れた頃にやってくる」の警鐘をならしつづけた。
 例えば『津浪と人間』では次のよう言っている。

しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。

「山崎断層地震」はまた起こるのである。必ず起こるのである。
それはアタリマエのこととして起こるのである。
だって、私たちが今その上で暮らす大地はそれを繰り返しながらかたちづくられてきたのだから。
 寅彦は次のようにも言っていた。

残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

▼ここに防災・減災への大きなヒントがあった。
もちろん
「1.17」
「3.11」
けっして忘れてはならい。それを忘れた「未来の設計」は砂上の楼閣である。
同様に山崎断層のうえで暮らす私たちにとっては
「5.30」はけっして忘れてはならないのである。
「5.30」を語り継いでこそ未来は拓ける!!
あれから30年目の朝、強くそう思うのである。
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「夏の創造」2014!!(3)

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▼夏がフライングしたような天気だった。
雲のない「雲見」だった。でもどこかがちがうと感じた。このボンヤリ感!!
目にはしかとは見えないが、何かが飛んでいる。そんな気がしたので黄砂情報(実況図・予測図)(気象庁)をみてみた。
 やっぱりそうだった!!動画でも繰り返し見てみた。「光は東から 天気は西から」がほんとうだと思った。
▼これからの楽しみを計画していてつい忘れるところだった。
それはこの4月から新タイムテーブルに導入した2つの時間のことだ。
「学習の時間」と「作業の時間」だ。
「夏の創造」2014のなかでも、この時間は継続していくつもりだ。
「学習の時間」でこの夏集中して学習しようと思うことが2つある。
▼そのひとつが、
「雲見」からはじめる「大気の物理学」
だ。
 これまでも興味をもって学んできたつもりではあるが、ちょっと複雑な話になると少し遠ざけてきたところがある。
この際、最も基本的なことから時間をかけて学習をしてみようと思う。
なにかのためというより、学ぶこと自体を楽しみながらすすめたい。
▼もうひとつは
「情報発信」スキルの学習
だ。パソコンをさわりはじめてけっこう時間は経過したが、基本的なことの理解ということでは実はさっぱりである。楽しめるところだけを楽しんできただけだ。
 もちろんその方針は変えるつもりはない。
ただもう少し欲張りになってみようと思う。
 最も基本的なことがらを学びなおしてみることによってより楽しさが増してくると期待してのことだ。

 この2つの学習いずれにも言えることだが、私は今、これら学習するのに最高の学習環境にある。
オンライン上にそれぞれの道の「師」がいる!!
「今さら…」と思うようなことでも、ていねいに教えてくれる人がいっぱいいる。
アリガタイかぎりだ。深謝!!

 
 

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「夏の創造」2014!!(2)

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「夏には5年ぶりにエルニーニョ現象が発生し、秋にかけて続く可能性が高い。」(気象庁)という情報がある。
 どんな夏(6月~8月)になるのだろう。
庭の定点観測地Aのヒガンバナはほんとうにすっかり緑を失い枯れきっている。包囲網の植物たちに逆に守られるようにして枯れた葉が流されずにそのままになっている。
 再び地上に花茎が顔を出すのはいつか?その時期はこのエルニーニョ現象と関係があるだろうか?
5年前と言えば2009年だ。ヒガンバナ情報2009のページを見てみた。その年の私の「初見」は9/6だったようだ。そう言えば、ヒガンバナ情報2014のページがまだだ。今週末にはたちあげておこう。
▼「エルニーニョとヒガンバナ開花期の関係は?」
またしても新たな私の「自由研究」のテーマが増えた。
夏と言えば、やはりこの「自由研究」の季節だ。
今年も新・「自由研究」のすすめ試論の展開を続けたい。
▼昨年は、「コガネグモの狩り」に偶然出会ったことからクモの世界の面白さに取り憑かれた。
 また牧野富太郎の「赭鞭一撻」から自由研究の真髄の多くを学んだものだ。
これまでの展開から、私はひとつの結論を得ていた。
◆新・「自由研究」のすすめは新・「学問のすすめ」である!!
 

▼その結論を吟味するのも今年の試論の展開でやりたいことだ。
他にも保留にしてしまっている「ふしぎ!?」はいっぱいある。
・大賀ハス開花の「ふしぎ!?」
・コウガイビルの「ふしぎ!?」
・「マッチ一本 化学の元!!」
・クモの世界の「ふしぎ!?」
等々
 数えあげればきりがない。
あらたな「ふしぎ!?」も生まれてくるだろう。
どんな展開がまちうけているのか、今のところ自分でもわからない。
それがまた面白さを増してくれる。
ゆっくり 急ごう!!

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「夏の創造」2014!!(1)

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▼今朝起きてから、電灯のあかりであのタンポポの写真を撮った。
5/2にお弁当箱のなかに蒔いた綿毛の種子は発芽して、今けっこう大きくまで育ってきた。
5/15にはその一部を土ポットに植え替えた。今朝見ていたら第3の葉がでてきたようだ。
さらに一ヶ月後二ヶ月後はどうなっているだろう。
半年後はどうだろう。
▼そんなこと考えていると、タンポポのみならず自分自身の数ヶ月後が気になりだした。
毎年夏休みが近づくと、生徒たちの夏休み計画にあわせて、自分自身の計画も「夏の創造」と銘打ってたてていた。今さら「夏の創造」なんて言うとちょっと気恥ずかしさもあるが…。
どこまでもクリエイティブな夏休みでありたいという気持ちの現れとして今年も使い続けてみる。
それにしても少し気の早い話だ。
まだ5月末だ。こんなこと生まれはじめてだ!!
まあ楽しいことは早め早めということで…。
▼まとまって自由に使える時間があるというのはなんともうれしい!!
動いてみようと思う。
・「ふしぎ!?」を追う旅
・無手勝流の旅
思いつく諸々をあげてみる。
・再び「ベニバナ」を追う旅
・雷の化石!?「磁石石」を訪ねて
・インターネット版【理科の部屋】のメッカは今
・コヒガンバナを訪ねて
・三度熊楠を訪ねて
・ハスのメッカ府中のつづき
などなど
▼もの、自然に出会うのも楽しいが、やっぱり人と出会う旅がいいな。
100人リンク集の旅もまだまだ途中だし、リンク集でつながった人だけでなくぜひとも会って話を聞き、学びたいという人があらたに出てきている。
「情報は発信するところに集まる」
「情報は交叉するところに生まれる」
である。
 楽しみながら計画をすすめよう。

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【Web更新5/25】14-21 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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歩みとめ 藪振り向けば スイカズラ 14/05/23 (金)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-21
週末定例更新のお知らせ
 時間のサイズも「等身大」で行きたいものだ。
とは言っても「等身大の時間」サイズって、どんな大きさ?
これはなかなかの難問だ。とりあえずは、私は「一週間」という時間を、Web更新で区切ってみることにする。

◆表紙画像集2014 更新 人里の自然シリーズ スイカズラ
 水の入った田の畦を歩いてみた。それが定例の散策コースだからだ。
これが、クモ観察園、足元の宇宙探索コースであり、定番吟行コースでもあった。
 少し歩かないでいると、たくさんの「ふしぎ!?」を見逃しているような気がする。
足元ばかりに注目していて通り過ぎてしまいそうになった。
一瞬甘い香りがしたような気がした。ふり返って竹藪の方を見てみるとあの白い花がふたつセットのようにして咲いていた。スイカズラだ!!
 もうすでに黄色っぽくなっている花もあった。それにして蕊たちはどこか滑稽なかたちだ。
なにか意味があるのだろうか。
 いつも花が二つセットになっているのにはどんな意味があるのだろう?

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「等身大の科学」を三つの課題(過去・現在・未来)で頭を整理してみた。
少しここを離れてみようと思う。
 それは、自分で「面白さ」を感じなくなっているからだ。あくまで「面白さ」優先で行きたいから。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 5月のテーマは
・「科学」とは
・「科学研究」とは
を寅彦に聞いてみることだった。今週末5/31(土)は、第67回だ。
最後は「理科教育」に関連しての「科学魂」が登場する「雑感」だ。ぜひ、ぜひ多くの理科教育関係者に読んで欲しいものである。

5月最後の一週間がはじまろうとしている。
カエルの声が小鳥たちのさえずりにかわってきた。

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サイエンスコミュニケーター宣言(339)

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▼大賀ハス蓮根植え替えから8週目の定例観察日だった。
観察池の浮葉はついに20枚を越え、池の水面1/3~1/2を覆うようになった。
後から出てくる浮葉ほど大きく展開する傾向があるようだ。朝のうちは葉の表面をころがる水滴もめだつようになってきた。もうそろそろ立ち葉が出現するだろうか。
▼「等身大の科学」についての頭の整理をつづける。
私にとっての「等身大の科学」の課題を3つにまとめた。

(1) 「等身大の科学」は、どこからやってきたのか?
(2) 「等身大の科学」の面白さはどこにあるのか?
(3) 「等身大の科学」のこれからの可能性は?

▼こうならべてみて気づくのであるが、この3つはちょうど「等身大の科学」の<過去・現在・未来>とつながるのである。
 まずは(1)-過去 である。
 これはサイエンスコミュニケーター5つの座標軸、第5の座標軸
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
と関連して、「理科教育史」の切り口で歴史的にみていきたい。
これまでに「等身大の科学」に関連するような取り組みとしてどんな実践があるのだろう?
それを明らかにしたい。
▼つづけて(2)-現在 の課題だ。
これが実はもっとも緊急性を要する課題であり、もっと重要なことである。
・「等身大の科学」は面白いのか?
・面白いのなら、どこが面白いのか?
私は、科学論など語るつもりなどさらさらない。
「等身大の科学」は学びに価する面白さを持っているか。
ここが生命線だ!!
この(2)をクリアーしてこそ、(3)が見えてくるのである。

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(338)

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▼久しぶりに朝歩いてみた。
朝忙しなく出かける日や、イベントごとが続いたため歩くのを中断していたのだ。
そんなに日はたっていないはずなのに目に入るものすべてがえらく新鮮に見えた。
野イバラは、前にもして花盛りだった。クモたちが大きくなってきたような気がする。
なかでも目だったのが「カモガヤ」の花だ。
花粉症の人にとってはスギ花粉後の大敵らしいが、今、もっとも旬の花だった。
▼「カモガヤ」について私はよく知らなかった。図鑑をみたり、ネットで調べて見たりした。
「等身大の科学」とは、から少し寄り道がしたくなった。
池内了氏が「等身大の科学」とセットで提言している「新しい博物学」についてである。
昨日引用させてもらった本に次のように語っておられた。

 もう一つは、「新しい博物学」である。モノを収集して共通性と異質性によって分類するという博物学は、十八、十九世紀に盛んとなり、そこから物理学・化学・生物学・地質学などの専門分野が分化してきた。それによって科学は進歩したのだが、一方では科学はますます専門分化が進み、「極」とか「超」が接頭詞として付く状態になってしまった。(極低温、極微物質、超高温、超高エネルギーなど)。科学が細分化され縁遠くなってしまったのだ。そこで再度学問を総合化して身近に引き寄せることを考え、科学だけでなく、歴史や文学や民族学や神話など広く文化全体の眼でモノを見直すことを構想するのが「新しい博物学」である。(『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房) p111より)

納得である。
どんな分野についてもものをよく知らない人間がえらそうに言っても説得力を持たないが、この「構想」に大いに共感し賛成である。
▼もうずいぶん以前から言われている「文化としての「科学」」!!
それはアタリマエのこととして定着したかに見えても、現実にはそうではない。
「音楽」を「音楽家」、その関係者だけのものと言えば多くの人は異議を唱えるだろう。
「科学」ではどうだろう。
「科学」を「科学者」、その関係者だけのものと言えばどうだろう。
どこかで「暗黙の了解」としてしまっていることがあるのではないだろうか。
これは私自身の反省を込めて言うのだが
「それは専門ではないので…」
「専門家が言うのだから…」
ですませていることが多々あるのではないだろうか。
▼きわめて曲者の言葉がある。
「科学的」だ。
「科学的に考えて…」「科学的根拠が…」「科学的な思考を…」
この言葉を出すことで思考停止にしてしまっているところがありはしないだろうか。
「科学的」の中味を吟味することなく、まるで「この印籠が目に入らぬか」とばかり…
この態度こそ「非科学的」なのでは
これではいつまでも「科学」を身近に引き寄せることができない。
「科学」を使いモノにすることができない。
誰しもが、ほんとうに使いモノになる「私の科学」を持つ必要があるのでは。

今こそ、「等身大の科学」「新しい博物学」構想を具現化していきたいものだ。
ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(337)

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▼私は、昨日の朝、このきわめてアタリマエ!!にいたく感動していた。
昨日の朝撮った2枚の月の写真がある。一枚はいつものように空にある下弦を少し過ぎた月だ。(20140522-0318)
もう一枚は水のたまった前の田んぼに映った月だ。(20140522-0322)写真はほぼ同時刻に撮った。
水鏡に映った像だから逆さまになっているのはアタリマエ!!感動したのはそこではない。
いつものように300㎜の望遠レンズを使ってピントあせわせをしたのだが、空にある月も田んぼの水面に映る月も「同じピントあわせ」だったというところだ!!
なんというアタリマエ!!
▼このアタリマエの「ふしぎ!?」を教えてくれる人がいた。
これも「富士見」の達人田代博さんだった。田代さんにはいつも「富士見」の「おすそ分け」をいただいている。
あるとき、いつもの自宅からの富士山の写真の「おすそ分け」を見せていただいた。それにプラスして家の中の鏡に映った「逆さ富士」も「おすそ分け」していただいた。そのときのピント合わせのお話も「おすそ分け」していだいた。ナルホド!!と思った。これは使えると思った。
その第一弾が、昨日の朝だったんだ。
▼このアタリマエに感動する「科学」を私は「等身大の科学」と呼びたい。
「等身大」だから、人によってそのサイズは若干ちがうかも知れない。

かつて池内了氏は「等身大の科学」についてこう言った。

 ここに、科学の有りようについてのヒントが隠れているような気がする。日常身辺の現象を新しい眼で捉え直すことである。私はそれを「等身大の科学」と呼んでいる。サイズが等身大で、研究費も等身大で、誰でもが参加できるという意味でも等身大である科学として、気象や気候、生態系、地球環境問題などを対象とするのである。これらはすべて「複雑系」であり、多数のデータを何年にも渡って集積する必要がある。また、これらに共通するのは「循環するシステム」という点であり、循環の意味をじかに経験するには好適である。(『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房) p110より)

▼「等身大の科学」に対峙する科学とはなんだろう?
「巨大科学」(ビッグサイエンス)だろうか。もっと大きい「超巨大科学」だろうか。
「私の科学」は「等身大の科学」に近い。
さらには「高いレベルの科学」も、どちらかと言えば「等身大の科学」に近いと思う。

いや、そもそもこのように対峙的に見るのは正しいだろうか?
「巨大科学」も「等身大の科学」を内包して置かなければとんでもないことになってしまうのでは…。

「等身大の科学」とは?
もう少し考え続けてみようと思う。

今朝の田んぼの月は撮影する前に雲の中に隠れてしまった。

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2014年6月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼こんな安上がりな道楽はなかった。
「雲見」である。いつでもどこでも誰でもできる簡単!!
それでいて、けっこう奥は深かい。そこには「大気の物理学」の面白さを含んでいた。
対流圏のなかでしか雲はできない。
高いところにできている白く輝く雲は氷の粒だ!!
「あれはまだ水滴かな?いやもう氷の粒になっているのかな?」と想像しながら見ていると、「雲見」はますます楽しくなるのである。
 あの『「雲見」のうた(雲家族10のうた)♪』でも歌いながらやると道楽も極みである。
ケンケン三兄弟に(巻雲 巻層雲 巻積雲)
コウコウ姉妹 (高層雲 高積雲)
ソウセキ(層積雲) はなれても りっぱに ソウ! セキ! (層雲 積雲)
雨 雨 ふれ ふれ ラン!ラン! (乱層雲 積乱雲) 
▼道楽的「科学」ということではこの人の右に出る者はいないだろう。
そう この人とは寺田寅彦である。
寅彦の書いたものをオンラインで読むオンライン「寅の日」の6月の予定を立てる時期である。
6月はその寅彦の道楽的「科学」のおすそ分けしてもらおうと思う。

6月は2回あった。
■2014年6月オンライン「寅の日」
◆第68回オンライン「寅の日」…6/12(木)
◆第69回オンライン「寅の日」…6/24(火)
である。
▼「道楽科学者」とよばれることもある寅彦の「道楽」は多岐にわたっていた。
あらゆる分野の道を極め楽しんでいた。
どの分野の「道楽」のおすそ分けをしてもらうか迷うところである。
ひとつは、「富士見」道楽を極めておられる田代博さんが面白いとおっしゃっていた「地図をながめて」にする。
6月の終わりということであれば、夏休みが近づいている。
今年の夏休みにも、「ふしぎ!?」を追う旅に出たいと思っている。そこで、もうひとつは旅にでるときの「案内者」
に関連した文章にしたいと思う。
■2014年6月オンライン「寅の日」

◆第68回オンライン「寅の日」…6/12(木)「地図をながめて」(青空文庫より)

◆第69回オンライン「寅の日」…6/24(火)「案内者」(青空文庫より)

▼いろんな人たちが、寺田寅彦をよく読んでおられるようだ。
私のように俄ファンではなく、ずっと以前から深く読んでおられる方も世間には多いようだ。
できればそんな方からも多く学びたい。
もちろんはじめて読む方の感想・意見も知りたい、学びたい。
 そのための「オンライン」であると思っている。
ぜひ計画にあげたものについてだけでなく、「これを読んだら、こんなに面白かった。オンライン「寅の日」でも読んでみらた…」という提案も大歓迎である。
 もちろそれは、これまでにオンライン「寅の日」で読んだものであってもいいです。

では、6月もよろしくお願いします。

 


 ゜

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Twitterはじめて1702日目に思うこと!!

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▼雨粒が大きくなり始めた大賀ハスの葉の上に落ちていた。
一粒落ちるごとに転がる水滴の様子は変化していた。小さな水滴に散らばる、散らばった水滴が集合・合体して大きな水滴になる。さらに大きくなった水滴はアメーバー状に不可思議な動きをして観察池の水面へこぼれ落ちる。
 それを繰り返していた。
次の瞬間にどの水滴と水滴が合体するのかそれはわからなかった。こぼれ落ちる臨界点はどこにあるのか。それもやはりわからなかった。
 まったくデタラメでアトランダムのようにも見えるが、きっちり「ルール」があるようにも見える。
たったこれだけのこと!!でも面白い!!
いくら見ていても飽きない。
つい出るのはあの言葉『ねぇ君、不思議だと思いませんか?』
▼そうTwitterで「つぶやき」たくなってくるのである。
そのTwitterをはじめて今日で1702日目だ。
はじめたのは2009/09/23だ。100日経過するごとに「Twitterはじめて○00日目に思うこと!!」を書き綴って
きた。今回はオンライン「寅の日」、Web更新のお知らせで2日ずれ込むになったが。
1700日と言えば、約4年半だ。その間にTwitterそのものの認知度も変わってきた。けっこうパブリックな場でも使われ市民権を得てきた。もはや過去のツールと思っている人もいるかも知れない。
しかし、私は違っていた。
▼最近使う頻度が少し減ってきたお気に入りフレーズに「Twitter的」というのがある。
このTwitter的がある限り、私にとってTwitterは現在進行形だった。
Twitterはじめて100日目ですでに「Twitter的」という言葉を出していた。
こう書いていた。

・これは単なるツールではない、メディアであり、メッソッドあり、コンテンツそのものである。
・ネットの最も原始形それがTwitterである。
・原始形だからこそ、如何様にも進化する可能性を持っている。
・Twitterは「カオス」であり、その分だけ「クリエイティブ」である。
・Twitterは幹細胞のようなもの、いかなる器官にもなりうる。全能性をもつ。
・Twitterは、今、もっともTwitter的である。

その後、Twitterを使い続けるなかで、Twitter的を6つの概念・手法を一言で表すものとした。
Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
「アクティブ」

▼今、もっともTwitter的はTwitterでないかも知れない。ひょっとしたらFacebookなのかも知れない。
いやもっと先の何かかも知れない。
 しかし、私にとってのTwitter的はすべての「原点」である。
それは私の「情報論」である。さらには私の「哲学」ですらあるのだ!!

1800日目に私は何を書くだろう。自分でもわからない、それが楽しみである。
ハス葉のうえの水滴ほどに…。


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【Web更新5/19】14-20 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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薫風や 葛風車 回したり 14/05/18 (日)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-20
週末定例更新のお知らせ
 私のなかでの一大イベントが終わった。少し先を見て動ける状況になったので、夏をにらんでのいくつかの計画をたてることにした。まずは少し動いてみることにする。

◆表紙画像2014 更新 人里の自然シリーズ テイカカズラ
 家の東の石垣に白い風車がいくつも回り出した。実際に動いてはいないが、そのかたちは回転するスクリューそっくりである。荒れ放題にしているときは、そんなに意識しなかったが少し石垣周辺もゴソゴソしてみるとその存在が気になりだした。あの曰く因縁の名前をもつテイカカズラと思っているが…。
薫風がそれらを勢いよく回転させているように見えた。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 最近少し使う頻度が減ってきた「科学」に、「等身大の科学」というのがある。
とてもお気に入りだった。これまでの自分の思いにピッタリと来ると感じていた。「私の科学」の多くの割合を占めていると思っている。今一度問いかえしてみたい。
「等身大の科学」とは?

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 昨日、第66回…と書いて自分でも驚いてしまった。
思えば遠くへ来たものだ。回数を重ねたから何かが必ず見えてくるというようなものではない。
それは百も承知である。しかし、どこまで深く読み解けたかは別にして、寅彦の文を読むとなにか独特の「におい」のようなものを感じるようになってきた。その「におい」の正体を言葉にするにはもう少し時間が必要なようだが。

新しい一週間はもうはじまっている。
外の空気はあきらかに初夏のにおいがした。

 

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本日(2014/05/19)、第66回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼空では繰り返し大気の物理実験が続いていた!!
ずっとずっと昔から続けられていたが、似通った実験結果はあってもまったく同じという結果はけっしてなかった。
そう思うと見逃すまいという気がしてくるのだった。
 また、その「実験結果」をより豊かに読み解く「科学の眼」を持ちたいと切に願うのである。
▼そもそもその「科学の眼」とはいかなるものか。
「科学」とは?
「科学的」とは?
「研究」とは?
等を寅彦に聞いてみるのが、5月オンライン「寅の日」のテーマ。
第66回目の本日は、「学位について」である。

◆第66回オンライン「寅の日」

●「学位について」(青空文庫より)

▼結論から言う。それは寅彦を読むたびに思うことだった。
「寺田寅彦は最も今日的である!!」
今回の文章が書かれたのは昭和9年(1934)だ。つまりちょうど今から80年。
けっして一ヶ月や一年前に書かれたものではないのだ。それなのに数週間前に書かれたとものと言われても納得してしまいそうだ。それはなぜなんだろう?
冒頭の「学位売買事件」は、書かれた前年昭和8年の末に起きていた。
「学術論文」についても次のように述べていた。

学術的論文というものは審査委員だけが内証でこっそり眼を通して、そっと金庫にしまうか焼き棄てるものではない。ちゃんとどこかの公私の発表機関で発表して学界の批評を受け得る形式のものとしなければならないように規定されているのである。それで、もしも審査に合格したある学位論文が、多くの学者の眼で見てなんらの価値がないものであったり、あるいは明白な誤謬(ごびゅう)に充ちたものであったとしたらどうであろう。

また、危惧することとして次のように述べていた。

 科学の進歩に伴う研究領域の専門的分化は次第に甚だしくなる一方である。それは止むを得ないことであり、またそういう分化の効能が顕著なものであるということについては今更にいうまでもないのであるが、この傾向に伴う一つの重大な弊は、学者が自分の専門に属する一つの学全体としての概景を見失ってしまい、従って自分の専門と他の専門との間の関係についての鳥瞰的認識を欠くようになるということである。それだけならば、まだしもであるが、困ったことには、各自が専門とする部門が斯学(しがく)全体の中の一小部分であることをいつか忘れてしまって、自分の立場から見ただけのパースペクティヴによって、自分の専門が学全体を掩蔽(えんぺい)するその見掛け上の主観的視像を客観的実在そのものと誤認するような傾向を生ずる恐れが多分にあるのである。平たく云えば、自分の専門以外の部門の事柄がつまらなく、自分の専門だけが異常に特別に重大に見えて来るのである。

▼そして学位についての寅彦の考えを述べていた。

学位というものは決してやり惜しみをするような勿体ないものでも何んでもないのであってただ関係学科に多少でも貢献するような仕事をなにか一つだけはした人間だという証明書をやるだけのことであって、その人がえらい学者であり何んでも知っているという保証をつける訳でもなんでもないのである。場合によってはむしろ反対にその専門中のある専門以外のことは何も知らないという免状になることすら可能なのである。
 学位に関するあらゆる不祥事を無くする唯一の方法は、惜しまず遠慮なく学位を授与することである。一日何人以上はいけないなどという理窟はどこにもない。百人でも千人でも相当なものであれば残らず博士にすればよい。それほど目出度いことはないのである。そうすれば学位に対する世間の迷信も自然に消滅すると同時に学位というものの本当の価値が却って正常に認識されるであろうと思われる。

80年の時間が経って、その世界の事情に詳しくない私などからすると、本質的な問題は今もまったく変わっていないところがあるのではと思ってしまうのである。
 そして、寅彦の言葉はきわめて示唆的に響くのである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(336)

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▼大賀ハス蓮根の植え替えから7週目。
観察池の浮葉は12枚に増えていた。いちばん最近に広げた葉がいちばん大きかった。
長径は20cm近くまでひろげていた。観察池の水面1/4~1/3を浮葉が占めるようになった。
水面すべてを覆い尽くすのはいつだろうか?
立ち葉はいつ現れるだろうか?
それが当面の観察どころである。
▼このように大賀ハスを私が育てるにいたったか。
63年前、千葉県千葉市検見川の泥炭層からみつかった一粒の古代ハスの実。
それが「大賀ハス」として、今年も全国の蓮池で花開く。
それがどうして私の観察池にやってきたか。
大賀ハス観察日記を見返しながらふり返ってみた。
 そこには培ってきた【理科の部屋】ヒューマンネットワークがあった。
▼それは面白く示唆的であった。
「未来の理科授業づくり」コミュニティにもこれは有効であると確信している。
人と人のツナガリのなかでの取り込みこそが、あらたな展開をもたらす。
まさに
「情報は発信するところに集まる」
「情報は交叉するところに生まれる」
である。
▼多種多様な取り組みがはじまっている。
一見バラバラに見える取り組みもツナガルとまったくちがった展開になる。
個々の取り組みの新展開であり、全体としてはきわめてクリエイティブな展開になるだろう。
この多種多様な取り組みをツナグことこそ、サイエンスコミュニケーターとしての私の仕事なのかも知れない。
「ツナギ屋」!!

ゆっくり ゆっくり急ごう!!


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サイエンスコミュニケーター宣言(335)

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▼やっぱり青空はいいな!!
雲のない「雲見」、その魅力は青空にある。
「この青空はどこまで続くのだろう?」
それは【天気の変化】はじめの定番発問としていた。そこから、私たちがうすっぺらい大気の海の底にくらしていることを認識してから天気の変化を見ていこうというストリーだ。
 そう言えばあのWebテキスト「天気の変化」の可能性の話はどうなったんだろう。
▼いつでも「現在地」を確認するために設けたあの5つの座標軸をひっぱり出してくる。

(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

これらは、「現在地」確認のためだけでなく、迷ったときの私の行動指針でもあった。
Webテキスト「天気の変化」に直接的に関係しそうなのは
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
だ。
▼しかし、実はそれだけではないように思う。
5つの座標軸はそれぞれ独立しているようで複合的にツナガッテイタ!!
今、私が最も注目し興味あるのは
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
であった。
 いっきょにすべてのテキストづくりではない。
ひとつひとつである。まずは、Webテキスト「天気の変化」である。
それに興味関心をいだく現場教師とその道のプロフェショナルとが一緒になって「授業づくり」をやるのである。
もちろん興味関心のある一般の人々も加えてである。
プロジェクトごとに新たな理科教育コミュニティを構築するのである。
▼それは、これまでも「授業づくり」を語ってきた多くの人の「理想」であった。
この理想実現のためには多くの壁があった。それも歴然たる事実である。
しかし、壁があることは、「理想」を語ることをやめる理由にはならない。

これからの理科の授業は大きく変わるだろう。
もちろん変えてはならないところもある。しかし、それだけに固執しているだけでは未来は見えてこない。
「未来の理科授業づくり」に向けて大いに「理想」を語り合いたいものだ。

(つづく)


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【祝】本日(2014/05/16)、理科ハウスは満6歳に!!

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▼お弁当箱のなかのタンポポはさらに大きく成長していた。
「やっぱりあれは間違いなく種子だったんだ!!」
綿毛をつけた種子をお弁当箱のなかに蒔いて、昨日で13日たっていた。
子葉は緑色をして自分で栄養をつくり出せるまでに成長していた。もう少しこの成長を観察しつづけたいと思った、そこでいくつかを「土ポット」に移植してみた。
さて葉っぱはいつギザギザになるだろう!?
▼こんな小さな小さな私の「ふしぎ!?」を「科学」することの楽しさ・面白さを教えてくれるところがあった。
それが世界で一番小さな「科学館」=理科ハウス「LiCa HOUSe」である。
 理科ハウスは6年前の今日誕生した。
だから、今日は満6歳の誕生日なんだ!!
\(^o^)/おめでとうございます。\(^o^)/
▼理科ハウス6年の歩みは、私たちにたくさんのことを教えてくれていた。
うれしいことに、その6年の歩みのすばらしはきっちりと評価されていた。

◆第10回「小柴昌俊科学教育賞」優秀賞(金賞)授賞!!
「世界一小さな科学館 理科ハウスの活動」

授賞はもちろん喜ばしいことだが、さらにすばらしいと思ったのは「審査講評」を読ませてもらったときだ。
「6年の歩み」はきっちりと伝わっていた!!
あらためて「おめでとうこざいます」と言いたい。
▼開設当初から「理科ハウス詣」からはじまる世界があると言い続けてきた。実際に行かせていただき、理科ハウスの「空気」を吸わせてもらって、そのことより確信が持てた。
と言いながらも、まだ2回しかお邪魔していない。
3回目は残念ながら諸事情で延期となってしまったが、実現する日を楽しみに待ちたい。

7年目の歩みからも大いに学び続けたいものである。
自分のフィールドの「理科ハウス」化をめざして…。


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サイエンスコミュニケーター宣言(334)

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▼長年にわたってヒガンバナの「ふしぎ!?」を一緒に追いかける四国のHさんからメールが届いた。
リコリスの仲間の「発芽」を知らせるものだった。いつものように興味深い画像が添付されていた。
それで昨日、我が家の定点観測地Aのヒガンバナを意識的にながめてみた。
 この一角はいっさい手を加えない「雑草観察園」に指定していた。
冬の間は光を独り占めしていたヒガンバナも、春になると様子がかわってきた。
 まず最初はカラスノエンドウ、「ホシノヒトミ」の包囲網だった。それから包囲網、侵略者達の顔ぶれも変わっていった。コメツブツメクサ、スギナ、ドクダミ、ササ等々がみられるようになった。その一方でヒガンバナの枯れは進行していった。今、わずかに緑を残す葉が少しだけあるのみだ。
 やがて地上から姿を消してしまうだろう。
▼「高いレベルの科学」の話から、今一度その大元である理科の「授業」のことについて、頭の整理をしておきたい。
 とりわけサイエンスコミュニケーターと「理科の授業」の関係についてもはっきりさせておきたい。
それが、私なりの「サイエンスコミュニケーター」とは?の答えでもあるだろうから。
▼何度も繰り返していることであるが、繰り返す度に何か少しずつ自分の意識も深まってくるようだ。
こう言ってきた。
・「理科の授業」こそサイエンスコミュニケーション最前線の現場である!!
言い換えれば
・理科の教師は最前線のサイエンスコミュニケーターである!!
これが現時点での認識であり、意思表明でもある。
 日本のサイエンスコミュニケーターの歴史を私はよく知らない。現状もよく知らない。
「サイエンスコミュニケーター」「科学コミュニケーター」を名のる人たちがどんなことをしているかもよく知らない。
職能なのか?職業なのか?も…
▼でも、私はこれからも「サイエンスコミュニケーター宣言」を書き続け、「サイエンスコミュニケーター」を名のり続けたいと思っている。
・勝手に「サイエンスコミュニケーター」?
・フリー「サイエンスコミュニケーター」?
それとも
・真性「サイエンスコミュニケーター」?

幸いなことに、今年度も少し「理科の授業」にかかわる「仕事」をさせてもらえそうだ。
「高いレベルの科学」「授業」「科学」のことを考え続けてみよう!!


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サイエンスコミュニケーター宣言(333)

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▼今朝の「一日でいちばんきれいな空」は少しタイミングをはずしたのかも知れない。
少し濁っているようにも見えた。
それよりも今さら驚いたのは日の出の位置である。ほぼ毎日みているはずが、驚きである。
こんなにも北まで移動していたとは!!
また今日も暑くなりそうだ。
▼「高いレベルの科学」の話をもう少し続ける。
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」のようなもの だけでは少し乱暴すぎるかも知れないないので、もう少し整理してみる。箇条書きにしてみよう。
(1) 理科の授業実践から生まれるもの。
(2) 理科の授業で使えるもの。(使うのは子どもであり教師でもある)
(3) 「不易」をめざすが不変ではない。(たえまなく進化・深化する)
(4) その有効性が多くの実践によって確かめられたもの。
▼少し理科の授業を離れてみよう。
(5) 理科の授業を離れて、くらしのなかでも使えるもの。
(6) いつでも、どこでも、誰でも使えるためには、コトワザ的に短いフレーズにまとめられたものであることが必要。
(7) 一般「科学」と同じである必要はないが、矛盾するものであってはならない。
(8) 生涯の謎解きに役に立つもの。一生モノ!!
▼整理のつもりが、より
「それって、何!?」
となりそうだからこれぐらいしておこう。

今さら、なぜこんな「科学」をひっぱり出してきてこだわるのか。
それは、私が今、強く書きたいと願っている『アマチュア科学者宣言』と深く関係しているからだろうと思う。

(つづく)

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サイエンスコミュニケーター宣言(332)

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▼いつもの場所で「雲見」をしていた。
刻々と雲の顔色はかわっていた。「雲見」から明日の天気を予想する。
観天望気だ。人類がうんと昔から繰り返してきた「科学」だ。
こんなときいつも私がまるで呪文のように唱えてきたフレーズがある。

上がるとザアザア 下がるとカラカラ

こう唱えると見えなかった大気の動きが見えてくるような気がするのだった。
これこそが「私の科学」だった。
▼「私の科学」遍歴なかで、これからも進化・深化させ続けたいものに「高いレベルの科学」というのがある。
 それは、なんの変哲もないアタリマエのような言葉だ。
それでいて「それって何?」と問われるとなかなか一言で説明しきれないのだ。
自分でも決まり文句のように使いながらそうなんである。
私がこの言葉にはじめて出会ってからもずいぶんの時間がたった。
▼それは40年も前に書かれ本の中にあった。

 しいていえば、「高いレベルの科学」とは、広大で未知の大自然の中での、判断の土台となり、行動の基準となりうるもののことなのである。(『極地方式入門~現代の科学教育』(高橋金三郎・細谷純編 国土社 1974.3.20)p50より)
 

子どもたちは、すぐれた知的探検家である。そしてその探検は、強力な武器によって、初めて可能になる。「高いレベルの科学」は、子どもの探検によって確かめられる。(同書 p51より)

今読み返してみてもナルホド!!
と思わせる見事な説明である。
▼「高いレベルの科学」とは?
答えに窮したら「ここに」もどりながらも、何度も自分なりの答えをみつけようとしてきた。
ひょっとしたら私の理科教師40年の歴史とは、この答えをもとめての歴史だったのかもしれない。

現時点で「高いレベルの科学」ってどんなもの聞かれたら、ひとつの答えとして

「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」みたいなもの!!

と答えるだろう。
あの「雲見」の後、予想通り雨はふりだし、今朝はもうその雨もあがっていた。

(つづく)


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【Web更新5/11】14-19 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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野茨の 香も運び行く 列車かな 14/05/10 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-19
 

週末定例更新のお知らせ
 「過去と他人は変えることができないが、未来と自分は変えることができる。」
とてもいい言葉だ!!
 したり顔で道を説くようながらではない。どこまでも迷いながら道を歩きつづける人間である。
そんな私にも道標となると言葉だ。

◆表紙画像集2014 更新 人里の自然シリーズ 野イバラ
 家のすぐそばを播但線が走る。その線路ぎわの土手は毎年クズが覆い尽くす。その土手の一角に野イバラの群生しているところがある。毎日、すぐ側を歩いていながらその存在を忘れている。
 しかし、この季節になると列車が通り過ぎる度にたくさんの白い花がゆれ、あの芳香がただよってくる。
 それはまるで列車が野イバラの香も運んでくるようにも思えた。
こうしてあらためてその存在を思い出すのだった。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 数々の「科学」遍歴ののちに辿り着いた「私の科学」!!
その「私の科学」を使ってみる。
楽しんでみる。
そして再吟味をしてみる。そんな一週間にしてみよう。

◆オンライン「寅の日」 更新
 こちらの5月のテーマも、寅彦の「科学」だった。
80年、90年の時空を超えて、寅彦は何を語りかけてくれているのだろう?


新しい一週間がはじまる!!
久々に忙しい一週間になりそうだ。 ゆっくり 急ごう!!


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ファラデーラボ「学力のかがく」は勉強になった!!

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▼大賀ハス蓮根の植え替えをしてから6週目だった。観察池に浮葉を広げているのは8枚、水面から顔を出している葉芽は2つ。浮葉の面積も加速度的に広がっていた。生産工場が広がれば製品もたくさんできる、それを基にしてさらなる「成長」が期待できる。きわめて単純な理屈だ。
▼昨日(2014/05/10)はファラデーラボ第50回かがくカフェ「学力のかがく」の日であった。
 たった3年2ヶ月で50回もかがくカフェを実施されたなんてすごいことである。
このかがくカフェで多くことを学ばせていただいたひとりとしてあらためて感謝である。深謝。
さて、その記念すべき第50回かがくカフェは次のような内容だった。

講師 下末伸正さん (科学教育研究協議会 広島支部)
内容 学力のかがく
      -理科教育と読み書き計算-

▼私は、この4月から自らの一日のタイムテーブルに「学習の時間」と「作業の時間」を設定している。
「学習の時間」には、いつかちゃんと勉強しとてみたいと思いづけてきたことを学生になった気分で学習しはじめている。内容はどちらかというと今まで苦手意識があり遠ざけてきたことが多い。
 だから、今回の下末さんのお話は実は「理科教師」としてというより、ひとりの学徒として切実な課題として聞いた。
 帰宅してから、そのとき配布していただいた冊子『中学生と高校生が頭をかかえる 算数の計算力の弱さ』を読み返していてよりそれを実感した。これは生徒の話でなく私自身の話であった。
 その冊子にうれしいことが書いてあった。

 むしろ限界を分かることの方が創造的である。なぜなら、次につながる課題は、限界において存在するからだ。分からない、と嘆く子どもたちには次のように言い続けた。
「よかったじゃないか。どこを勉強したらよいか分かったからね。すべて分かったりしたら、何の喜びも楽しみも、成長もないよ。すべてを知っている神様は成長できないんだ。寂しいよ」

自分が声をかけてもらい励まされている気分になった。
▼さらに言葉をつづけて書かれていた。

ソクラテスは、「知の無知」と同時に「無知の知」という弁証法的な認識のしかたを提起した。知っていると思うほどに無知である、知らないと思うほどによく知っている、ということなのだ。知れば知るほど、知らないことが広がる。私にとっては、勉強とは、「知」と「無知」の対話である。
 

なんとも勇気を与えられる言葉だ。
「汗をかき、恥をかき、字を書く」の呼びかけは、私の「学習の時間」をどのようにすすめるかにヒントをもらったような気がしてきた。深謝!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(331)

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▼やった!!やっぱり発芽した!!\(^o^)/
私は、このアタリマエにいささか感動していた。
先日昼食にいただいたお弁当箱がとてもきれいだった。捨ててしまうのはちょっと「もったいない」と思った。
そこで今年は、これを使ってみることにした。
なかにティシュペーパーを敷き、そこへあのてんこ盛りタンポポの綿毛の種子をいれたのは5/2だった。
水だけは絶やさないようにして一週間!!
入れた綿毛の種子のほとんどが発芽していた。
▼種子だから発芽してアタリマエ!!
でも何度見ても感動なのである。
あのてんこ盛りタンポポは少なく見ても100個以上の花を咲かせていた。
またひとつの花は100個以上舌状花のあつまりだった。
舌状花ひとつひとつから綿毛をつけた種子ができた。
単純計算して100×100=10000だ!!
あのてんこ盛りタンポポからはパラシュートをつけた一万以上「生命」が旅だったことになる。
またまたその数に感動である。
▼サイエンスコミュニケーターとしての私の第一の「仕事」は、このアタリマエの「ふしぎ!?」の感動を伝えること。
誰でも、いつでも、どこでもその気になれば体験できるアタリマエのなかに宿る「ふしぎ!?」を共有すること。
そして、その謎解きを多くの人と一緒に楽しむこと。
▼さらに、あの寅彦の言葉を借りて言えば

「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」

と語りかけ続けること、それが私の「仕事」!!

今年は、発芽したタンポポをもう少し育ててみようと思っている。
ちょっと変わったかたちでも…。
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サイエンスコミュニケーター宣言(330)

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▼「歩く」というほどでもない、半径数十メートルの範囲のなかにも自然の「ふしぎ!?」はいっぱいあった。
東の石垣の上に咲いた例のナガミヒナゲシを観察しているときに気がついた。石垣の下の葉っぱに黄色く輝く物体を発見した。近づいてみてわかった、それは成体になったばかりの「テントウムシ」だった。(7時28分)
 夕方、少し暗くなりかけてからもう一度見に行った。そしたらいつのまにやら一人前の「テントウムシ」になっていた。(18時30分)
アタリマエだけど「ふしぎ!?」だった。
▼このようにアタリマエに思い、見逃して来てしまったことのなかに、「ふしぎ!?」を発見し始めるときりがなかった。次から次と「ふしぎ!?」に思えてくる。
 今度は、「発見」をそのまましておくのでなく記録化したいと思うようになった。
 そんなとき思い出すのが、梅棹忠夫著『知的生産の技術』の冒頭にあったレオナルド・ダ・ビィンチの「手帳」からはじまる「発見の手帳」の話だ。
もボロボロになってしまったこの本をあけて読んでみる。
何度読んでもすごい!!
もうすべてがここに書かれていた。
▼「手帳」の話だけでなく、ここに書かれたことをなんとか真似てみようとして今なお毎日実践していることがある。
それは、「こざね法」である。
毎日の小さな「発見」を紙切れにメモる。単語であったり、短文であったりする。
それを翌日の朝、机の上にならべてみる。
関連しそうなものを一緒にする。またあらたに新しい紙切れをつくることもある。
そうして並べ直して、ひとつの文章にしあげているのである。
▼そうして書き上げた駄文こそが、一日一エントリーのこのblogなのである。
私にとっては、これ自体が「発見の手帳」なのである。
ここに綴った小さな小さな「発見」も、ツナイデ、ツナイデしていったら、究極の「ふしぎ!?」
=「生命とはなにか?」の「発見」に至るかも知れない。
それが拙い私の戦略である。

さて、今日はどんな「発見」と出会えるだろう。

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(329)

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▼昨日の夜明け前(5時19分)、薄明かりのなか私は不思議なものを見た!!
この物体はなんだろう?
生命体であろうか? 
新種の毛虫?それともアブラムシの一種?
そいつは花開こうとするナガミヒナゲシの花びらにくっついていた。
やがて陽は昇り花開くと同時にハラリとおちた。
6時24分だった。
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▼この不思議な物体の謎解きは数時間であっけなく終わった。
昼間になって、朝の「現場」に立ってみたらすぐわかった。
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そこに朝に見た不思議な物体とそっくりなものがあったのである。
ナガミヒナゲシの花の蕾である。
花開く前までは、蕾は頭を垂れていた。やがて明日咲くであろう蕾は頭を垂直にもたげかけていた。
その蕾を覆う「がく」こそ、不思議な物体の正体だったのである。
▼私は、この数時間の不思議物語を文章にして人に伝えたかった。
これをきっかけにナガミヒナゲシのことを少し調べてみた。
面白いと思った。
ヨーロッパ生まれ。1961年に東京で確認されているらしい。それから半世紀たって日本全国の道端、空き地のいたるところで見かけるようになった。ひと目をひくかわいい花だ!!
ものすごい繁殖力をもっているらしい。
我が家の門先でみかけるようになって何年だろう?
「ヒガンバナ物語」や「大賀ハス物語」と同じように「ナガミヒナゲシ物語」を書いてみたくなった。
それにしても、なぜあの「がく」は花びらにへばりつくようにして最後の最後までくっついていたのだろう。
なにをしていたのだろう?
あの毛はなんの意味があるのだろう?
▼「サイエンスライター志望」を実現させるためには、今しばらくの文章修行が必要なようだ。
いつかは『アマチュア科学者宣言』を書くためにも…

今朝は、あの不思議な物体そのものを手に入れてきた。
今しげしげとそれを見ている。

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本日(2014/05/07)、第65回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日で「ホシノヒトミ」が花を落として(2/25)からちょうど10週目だった。
私の主張はこうだった。
図鑑・教科書には「オオイヌノフグリ」とある植物を
花の咲いているときは「ホシノヒトミ」!!
実をつけたときはじめて「オオイヌノフグリ」!!
と呼ぼう。
 あれから10週間観察をつづけてみた。これは実感をともなった主張になった。しかし、私はここで観察を終えたくなかった。観察第2ラウンドに挑戦してみたくなったのだ。
次なるテーマはこうだった。
「これは本当に種子か?」「種子ならば蒔けば発芽するのではないか?」
知る人にとってはとても馬鹿げたことなのかも知れない。未知なる私にとっては、これが「科学」だった。
▼そんな「科学」を寅彦が応援してくれているように思った。
今日(2014/05/07)は、そんな寅彦を読む日、オンライン「寅の日」だ。
5月のテーマは、今さらであるが
・「科学者」とは
・「科学」とは
・「科学的研究」とは
を寅彦に聞いてみたいと思う。

◆第65回オンライン「寅の日」

●「科学者とあたま」(青空文庫より)

▼ここまで、2年一ヶ月 64回、数々の寅彦の作品を読んできたが、そのなかでも今回の「科学者とあたま」は私の一番のお気に入りである。
 「科学」を語るときには、よく引用もさせてもらってきた。何度読み返しても教えられること多い。
常に今日的である。
 「科学者」「科学」「科学研究」等が茶の間の話題になることの多い昨今、これを読んでみるのも面白いかも知れない。
 「科学者はあたまが悪くなくてはならない」と、なんともうれしいことを言ってくれていた。

 しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりきったと思われることで、そうして、普通の意味でいわゆるあたまの悪い人にでも容易にわかったと思われるような尋常茶飯事(さはんじ)の中に、何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明(せんめい)に苦吟するということが、単なる科学教育者にはとにかく、科学的研究に従事する者にはさらにいっそう重要必須(ひっす)なことである。この点で科学者は、普通の頭の悪い人よりも、もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者(いなかもの)であり朴念仁(ぼくねんじん)でなければならない。

もうこれだけでも、寅彦の大ファンになってしまう。
そして

 科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者(うぐしゃ)の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。

科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸(しがい)の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。

とまで言われると、いつの間にやら自分も「頭のわるい科学者」のひとりになったような気分になるから不思議だ。
▼寅彦の魅力はここでとどまらないことだった。
常に「これから」に示唆を与えてくれていた。この文にかぎらず、常にそうだった。

人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。
最後にもう一つ、頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。科学は孔子(こうし)のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子(ろうし)やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉(ばしょう)や広重(ひろしげ)の世界にも手を出す手がかりをもっていない。そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう。これもわかりきったことのようであってしばしば忘られがちなことであり、そうして忘れてならないことの一つであろうと思われる。

「頭がいい」ことを自認する若い科学者、科学者の卵のかたにもぜひぜひ読んで欲しい一文であるである。

オンライン「寅の日」のあらたな展開を期待している。
年齢や立場がちがえば、また別の読み解きもあるだろう。それを聞いてみたい!!

今朝から、奇妙なものを観察している。
思わず、「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」と言いたくなってきている。
それはまた明日…。


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今年の坂本遼『たんぽぽ忌』は!!

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▼定年退職してからのこどもの日の坂本遼『たんぽぽ忌』は、私のなかでは定番化しつつあった。
・2011.05.05
・2012.05.05
・2013.05.06(昨年は都合で5/6)
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▼今年もたったひとりの『たんぽぽ忌』を以前から決めていた。しかし、天気はあいにくの雨、タンポポ日和ではなかった。詩碑の近くでのんびりとおにぎりでもいただいて…、と言う計画は無理だ。
 では、生家の軒下であの復刻版『たんぽぽ』(坂本遼詩集たんぽぽ復刻版昭和五十五年五月五日)でも読ませていただこうかとカバンに入れた。
 生家(加東市東条町横谷)についた頃には雨はやんでいた。
しかし、生家の周辺の様子がいつもと違っていた。車が幾台もとまっていた。生家もあけられ、なかに何人もの方がおられるように見えた。
一瞬、『たんほぽ忌』復活!!と思った。(これはあながち間違いではなかった。)
▼恐る恐る玄関に近づいていって、「私は突然来たものなんですが、入れてもらってもいいですか」と尋ねると、「名前を書いてください」とていねいに案内された。
 なかに入ると坂本遼作詞の校歌合唱のテープが流れていた。
プログラムをいただいて、何が行われているのか少しわかってきた。
プログラムにはこう書いてあった。
「坂本遼先生を偲ぶ こども詩の会~生誕110年を記念して 5月5日「たんぽぽ忌」復活の思いをこめて~」
私は、とても偶然とは信じがたいほどうれしい会に参加させてもらうことになったのだ。
お弁当、いちごまでいだいてしまった。深謝。
▼この会のほんとうの意味は後々に知ることとなった。
「こどもの詩の会」の乾公人先生からいただいた『こどもの詩の会 詩集第38集』をみせてもらって、この会と坂本遼先生のつながりを知った。坂本遼先生は昭和25年10月からはじまって、今もつづくこの会の指導者だったのだ。 もっと驚くことがあった。私を最初にていねい案内してくださったのは、坂本遼先生のご子息坂本章氏だったのだ。ご親戚のみなさんにもお目にかかることができた。
その坂本章氏の案内で、書斎、昔の農具のある納屋を見せてもらった。
墓所にお参りまでさせてもらった。
今年の坂本遼『たんぽぽ忌』は、きわまりなくうれしいものとなった。
こんな偶然ってほんとうにあるもんなんですね。
お世話になったすべての人に深謝である。
来年もこどもの日 5月5日には…。

 

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【Web更新5/4】14-18 新・クラウド「整理学」試論 等 更新!!

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一変の 宮殿つくる 牡丹かな 14/05/03 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】14-18
週末定例更新のお知らせ
 曜日のない日々が続いた。長い間の生活習慣からあまりそれには慣れていなかった。
週末定例更新というこの作業で、「曜日のある」生活のリズムをとりもどそうとしているのかも知れない。

◆表紙画像2014 更新 人里の自然シリーズ 牡丹
 庭の牡丹が咲いた。
それはまるでマジックでも見ているようだ。「ふしぎ!?」だ!!
ほんの数週間前まではあんな小さな蕾のなかにこの豪華な花のすべてが仕舞い込まれていたなんて俄には信じられないことであった。マジシャンとちがって、一度展開した花はもういちど仕舞い込まれるということはなかった。
それでも夜になると花はダイナミックに閉じようとするのだ。今回の観察ではじめて知った。
 マジックは花の展開だけではなかった。ふだん雑草観察園としている庭の空気をも一変させた。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新!!
 「整理」に終わりはない、かくなるうえは「整理」のプロセスを楽しむしかない。
「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」をのぼったり、おりたりをくりかえしながら。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 サイエンスライター修業を重ねてみよう。きめられた時間のなかでどこまで人にツタワル文章がかけるようになるか。これまた道は遠い!! 

ゆっくり ゆっくり急ごう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(328)

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▼大賀ハスの蓮根を植え替えてから5週目であった。観察池には5つの浮き葉が葉を広げていた。水面から顔を出した葉芽はあと三つあった。浮き葉になったものも日に日にその成長がわかるぐらいに加速度的に大きくなっていっていた。もっと仰天していることがある。
 それは「水栽培」の方だ。残りものの蓮根をひとつの容器にほりこんで水だけで栽培している方だ。一昨年からこれでも充分に「あこがれの4日間」を迎えられることを知った。
こちらの方が数たくさんの蓮根が入っているので当然といえば当然なのだが、数え切れないぐらいの葉か゛伸びてきた。こちらでも今年も楽しみである。
▼こんなポンコツに誰も今さらそんなことを聞いたりしないが、私には成りたいものがあった。
それは、「サイエンスライター」である。
 「サイエンスコミュニケーター」だけでも、「それ何っ!?」と言われているのに、あまり人前では言えないのでここに書いておく。
私は、このblogのなかに三つの試論(『新・私の教材試論』『新・「自由研究」のすすめ試論』『新・クラウド「整理学」試論』)とこの「サイエンスコミュニケーター宣言」を書き綴っていた。
私には、これら以外にサイエンスライターになって、どうしても書きとどめたい文章がある。
▼あの「知の巨人」梅棹忠夫は、若き日(34歳)に『アマチュア思想家宣言』を書いて次のように言った。

 最後にもう一ど、思想はつかうべきものである。思想は論ずるためだけにあるものではない。思想は西洋かぶれのプロの思想家の独占物ではないのであって、アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである。プロにはまかせておけない。アマチュア思想道を確立するべきである。(「アマチュア思想家宣言」『思想の科学』1954年より)

 「科学」も然りである。
もうプロの「科学者」だけにはまかせておけないのである。
アマチュア科学道を確立すべき時代である。
▼そこで、私がサイエンスライターになって書いてみたい文章とは
『アマチュア科学者宣言』
である。
 だいそれた話である。でもほんとうにそれを書いてみたいのである。
年はとってしまったが、いつまでも「科学」のアマチュア=シロウトである私にしかかけない文章を書いてみたい。
シロウトにしか見えてこない「科学」の世界があるはずだ。
ひょっとしたらほんとうの「科学」とは、そんな学問のことかも知れない。
時間はかかるかも知れない。
ポンコツの夢物語に終わるかも知れない。
でもはじめよう!!

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(327)

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▼山の新緑がきれいだ!!
更新された緑を見ていると気持ちまで新鮮になってくる。
すべてを癒される気分にもなる。森から出発した私たちには、なにか最初からそのようにインプットされるものがあるのだろうか。
 秋には真っ先に紅葉を楽しませてくれる前の山のハゼの木の新緑が青空をバックにいっそう映えていた。
▼5月もはや3日だ。
 今年の私の「仕事」もより具体化してきた。そこで今一度、サイエンスコミュニケーター4年目を展望してみる。
この度は、5つの座標軸、レベル、時系列、緊急性等々は置いておき、まさに思いつくままである。
▼ひとつだけルールをつくっておく。
「面白そうなことを優先させる」ということだ。
気儘なDo it !!羅列だ。

(1) 現代理科教材発展史「究極のクリップモーター」
(2) オンライン「寅の日」の新展開
(3) 中学校理科の授業づくりを構想する。
(4) Webテキスト「ヒガンバナ」の更新
(5) Webテキスト「天気の変化」を構想する。
(6) ○○を「科学」するをシリーズ化する。
(7) ファラデーラボ「かがくカフェ」に学ぶ。
(8) わかる授業「日曜会」に学ぶ。
(9) 気象台見学会+オフ会を計画する。
(10) 「雲見」「宇宙見物」「足元の宇宙探検」を日々継続する。

▼もう少し長期的なこととして

(11) のぼりおり「整理学」をすすめる。まずは「空間の整理」を
(12) できるだけ多くの人に会い学ぶ(【100人リンク集】の旅をつづける。)
(13) 私の観察園、私のサイエンス工房の充実

まだまだありそうだ。
思いつけば追加していくことにする。

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新・クラウド「整理学」試論(47)

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<2014‎年‎4‎月‎18日>
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<2014‎年‎5月‎01日>
▼月がかわってあの「てんこ盛り」タンポポもずいぶんと様子がかわってきた。
もう綿毛の時期も盛りをすぎようとしている。
いったいこのかたまりのなかからいくつの種子が旅だっただろう。そしてそのうちのいくつぐらいがちゃんとタンポポとして育つだろう。いちばん遠くはどこまで行っただろう。
種子にマーカーでもつけて調べてみたい気分だ。
▼続けよう。のぼりおり「整理学」!!
今度は、各段階にコンテンツに付加してみよう。

(三) 第三段階…本格的段階 …「思考の整理」…Webページ…授業実践DB・各種試論・サイエンスコミュニケーター宣言
↑↓
(二) 第二段階…過渡的段階 …「情報の整理」…Twitter、Facebook、blog、他SNS…【理科の部屋5】等
 
↑↓  
(一) 第一段階…素朴的段階 …「空間の整理」…袋ファイル、システム手帳、ライフログ…授業テキスト・実践記録・授業感想文・写真・研究誌・書籍・教材教具

こうしてみるとやっぱり大きいのは「空間の整理」だ。
▼こうしてここまで書いて、まったく筆(タイプ)が進まなくなってしまった。
ひとりよがりなこんなこと綴ってみて何の意味があるのだろうと思いだしてしまったのだ。
それには、あらかじめ言い訳をつくっていたから大丈夫だった。
最優先の読者は「未来の私」であるから、思いつき、試行錯誤のプロセスを記録化することに意味がある!!
これでなんとか納得できる。
▼今朝、立ち止まってしまったのはここだ。
これを新・クラウド「整理学」試論としているが、なぜこんなタイトルをつけたのだろう。
なぜわざわざ「クラウド」などという言葉をつけたのだろう。
はじめた当時の流行り言葉だったからだろうか。このタイトルをつけてはじめて書いたのは2009/09/22 である。
もうそれから5年近くが経過しようとしている。
「クラウド化」という言葉もあまり耳にしなくなった。それはもはやアタリマエのこととなったからだろう。
それは時代の方向性を示す言葉であったのだ。これからも…
「クラウド」が意味する時代を超えて「不易」なこととはなんだろう?
しばらく、それを考えてみたい。
「空間の整理」を少しずつ少しずつすすめながら…。


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新・クラウド「整理学」試論(46)

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▼4月晦日の空もまだはっきりしなかった。
定点観測地のヒガンバナは加速度的に枯れていく、そこから数十㎝離れたところのボタンの巨大な花がさきはじめた。毎年繰り返しているパターンだ。同じ時期には同じことを繰り返している。
 アタリマエと言えばアタリマエのことであるが、やっぱり「ふしぎ!?」だ。
自然とはなんと律儀であるのか!!
▼さあ5月である。
思いつきののぼりおり「整理学」をすすめる月にしたい。
新しいタイムテーブルに少しだけ慣れてきた。不都合は軌道修正もしていこう。
 種々の「整理学」遍歴のはてにたどり着いたことがいくつかある。
そのひとつが「ナルヨウニナル!!」ということだ。
すばらしい「整理術」に感動し、自分で試してみるのもいいことだ。しかし、それがほんとうに自分に合っていなければいつしか、元の木阿弥である。
学問に王道がないように、整理にも王道はないのである。
「ナルヨウニナル!!」のである。これは諦観ではない。もっともっと積極的な意味だ。
「ナルヨウニナル!!」から自分にびったりのものを見つけ出すことが大切なんだ。
それを
成るように成るの法則
とよんでおこう。
▼のぼりおり「整理学」にこの法則をあたはめてみよう。
世の流れと少し離れてしまうことになるかも知れないが、とりあえず色々試みたが、けっきょく私に残ったツールをそれぞの段階にあてはめてみよう。

(三) 第三段階…本格的段階 …「思考の整理」…Webページ
↑↓
(二) 第二段階…過渡的段階 …「情報の整理」…Twitter、Facebook、blog、他SNS  
↑↓  
(一) 第一段階…素朴的段階 …「空間の整理」…袋ファイル、システム手帳、ライフログ

▼必ずしも順々に「のぼる」だけが方法ではない。「とびあがりの思考法」もあってもいい。
また「のぼる」だけでなく「おりる」ことも大切。
いちばん大切なのは「のぼりおり」を飽きないで繰り返すことだ。
常に更新を繰り返すことだ。
「整理学」に終わりはないのだ。
そうだとするなら、そのプロセスを楽しむしかない。
「ねばならない」より「面白そう」を優先させよう!!

さあ、5月どこまで…。


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