サイエンスコミュニケーター宣言(332)
▼いつもの場所で「雲見」をしていた。
刻々と雲の顔色はかわっていた。「雲見」から明日の天気を予想する。
観天望気だ。人類がうんと昔から繰り返してきた「科学」だ。
こんなときいつも私がまるで呪文のように唱えてきたフレーズがある。
上がるとザアザア 下がるとカラカラ
こう唱えると見えなかった大気の動きが見えてくるような気がするのだった。
これこそが「私の科学」だった。
▼「私の科学」遍歴なかで、これからも進化・深化させ続けたいものに「高いレベルの科学」というのがある。
それは、なんの変哲もないアタリマエのような言葉だ。
それでいて「それって何?」と問われるとなかなか一言で説明しきれないのだ。
自分でも決まり文句のように使いながらそうなんである。
私がこの言葉にはじめて出会ってからもずいぶんの時間がたった。
▼それは40年も前に書かれ本の中にあった。
しいていえば、「高いレベルの科学」とは、広大で未知の大自然の中での、判断の土台となり、行動の基準となりうるもののことなのである。(『極地方式入門~現代の科学教育』(高橋金三郎・細谷純編 国土社 1974.3.20)p50より)
子どもたちは、すぐれた知的探検家である。そしてその探検は、強力な武器によって、初めて可能になる。「高いレベルの科学」は、子どもの探検によって確かめられる。(同書 p51より)
今読み返してみてもナルホド!!
と思わせる見事な説明である。
▼「高いレベルの科学」とは?
答えに窮したら「ここに」もどりながらも、何度も自分なりの答えをみつけようとしてきた。
ひょっとしたら私の理科教師40年の歴史とは、この答えをもとめての歴史だったのかもしれない。
現時点で「高いレベルの科学」ってどんなもの聞かれたら、ひとつの答えとして
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」みたいなもの!!
と答えるだろう。
あの「雲見」の後、予想通り雨はふりだし、今朝はもうその雨もあがっていた。
(つづく)
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