サイエンスコミュニケーター宣言(311)
▼いつもの「雲見」の空に水平方向に巨大な雲があった。
雲の底はみごとに水平だった。「高さ」はどのくらいだろう?
そうこの「大気の物理実験室」において「高さ」は重要な意味を持っていた。
この実験室の空間は垂直方向にはたった10㎞(10000m)しかないのである。垂直方向の微妙な変化が、「上がるとザアザア」で雲をつくり、「下がるとカラカラ」で雲を消していく。
「雲見」は見えない大気の運動を可視化してくれている。
見えないものが見えてきたとき「科学」がはじまる!!
そう思うと「雲見」がより一層面白く思えてくるのである。
▼「現在地」の確認をゆっくり急ごう。
第三の座標軸は
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
であった。
今一度、「サイエンスコミュニケーター」と「理科授業」との関係を確認してみる。
●「理科授業」こそがサイエンスコミュニケーション最前線である。
●現場の理科教師は、最前線のサイエンスコミュニケーターである。
この3年の歩みのなかで、私はこの持論に確信をもつようになってきた。
▼なぜ「中学校」なのか。
これは単純な我田引水である。自分が中学校ばかりで授業してきたからである。
しかし、そればかりでなく義務教育最後の「中学校」に分岐点があるように思っている。
これまでも、私に可能なかぎり「中学校授業」の全単元を記録化してみた。
▼自分の拙い歩みをなぜ記録化する気になったか。
それは、森山和道さんの『ネットワークと教育』という提言に出会ったからである。
そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。
例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。(森山和道『ネットワークと教育』より)
もう20年近く前に書かれたものだが、提言はきわめて今日的である。
(つづく)
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