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本日(2014/03/08)、第60回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日の「雲見」の空は、30分ほどの間に劇的に変化した。
その間に、空から冷たいものが降ってきた。
これはなにか?白く舞っているようにも見えたので「雪」と思ったら、顔にあたった感触は「雨粒」だ。
いや少し固まりもあるようだから「みぞれ」だろうか。いや、それとも…。
と考えていたら、あの寅彦の「凍雨と雨氷」の文章を思いだしたのだ。
▼本日(2014/03/08)は、その寺田寅彦の書いたものをオンラインで読むオンライン「寅の日」だ。
数えて第60回目になる。
 もうすぐはじめて2年になる。60回も繰り返していると、まだまだ完全とは言えないが、いろんな現象に出会う度に「確か、寅彦はあそこにそんなこと書いていたな」と寅彦の文章を思い出すことが多くなっている。
うれしいことだ!!
 今月のテーマも2月に引き続き、「俳句」である。

■第60回オンライン「寅の日」

●「俳諧瑣談」(青空文庫より)

▼寅彦にとって「俳句」とはなにか?
 それが今回の主テーマである。いつものことだが私は、私の「文脈」を重ねあわせながら読み進めていった。
私にとって「俳句」とは何か?そんなこと問いかえすレベルにないことは百も承知のうえである。
それしか私には、寅彦の「文脈」を読み取る手段を持ち合わせていないのである。
一見別々のように見える9つの文章から成っていた。
そのなかから、「これは!!」という言葉を摘出してみた。

一 にやっぱりあった。

この話は「俳句とは何か」という根本的な問題を考える場合に一つの参考資料として役立つものであろうと思われる。

寅彦が意図している「文脈」はここにあるようだ。
ここから寅彦の俳句論が展開していく。

二に

 俳句を充分に理解しうるためには、その人は立派な俳句の作り得られる人でなければならないと思われる。

三に

自分の想像のスケッチブック

四に

俳諧一串抄(いっかんしょう)に「俳諧はその物その事を全くいわずただ傍をつまみあげてその響きをもってきく人の心をさそう」という文句がある。
さびしおり

五に

しかし、ともかくも連句というものの世界の広大無辺なことを思わせる一例であろう。

俳句論はこうして寅彦の最も興味を抱く連句論へと展開していくのだった。

▼次にもっとも強く膝をたたく部分があった。
六に

俳諧が宗教のように「おがむ」ことならば宗派があるのは当然かもしれない。しかし俳諧はまた一方では科学的な「認識」でありうる。そのためにはただ一面だけを固執する流派は少し困るかもしれない。

七、八での「俳句」「連句」「連句的映画論」「映画的連句論」の展開はきわめて興味深い。
しかし、今の私の「文脈」では読み切れない。もう少し時間が必要なようだ。

九の最後の指摘も「俳句とは何か?」に示唆を与えてくれている。

 短歌には作者自身が自分の感情に陶酔して夢中になって詠んだように見えるのがかなり多い。しかし俳句ではたとえ形式の上からは自分の感情を直写しているようでも、そこではやはり、その自分の感情が花鳥風月と同様な一つの対象となっていて、それを別の観察者としての別の自分が観察し記録し描写しているように感ぜられるものが多い。こういう意味で、歌は宗教のようであり、俳句は哲学のようであると言ったような気もする。

道は遠いようだ。しかし
俳句結社「寅の日」の夢はつづくのである。


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