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新・私の教材試論(80)

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▼近くの図書館に寄った。
前の公園(駐車場)のハナミズキがたくさんの冬芽をつけていた。
北風に抗して凛と青空に佇立する姿は美しい。そして、その花のシーズンを想像するとうれしくなってくる。
図書館で借りていた本を返した。
 いつもだったら、また次の本を借りるのだが、今回は借りなかった。こんなに近くにあるのだからここを利用させてもらってここで読むのもありかなと思いだした。
 あのハナミズキに誘われたからだろうか。
「新・私の教材試論」を久しぶりに再開する気分になったのだ。
せっかくのチャンスでもある。
「そもそも」話からはじめてみよう。
そもそも「教材」とはなんだろう。
そもそも私にとって、いや私の授業にとって「教材」とは何?
▼とても気に入っている寅彦の言葉ある。
「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」
ナルホドと唸らせる言葉である。
ちょっとだけ拝借して真似をさせてもらおう。

「教材は私の授業のインデックス(索引)である」

▼自分で言いながら気に入ってしまった。
そうだ、「教材」にはすべてが凝縮されていた。
私の拙い科学観も、物質観もさらには生徒観、指導観も、そのなかに含まれていた。
もっとオオバーに言うならそこには人生観や世界観までも凝縮されているように思う。
同じ季語を使ったから、同じ句が詠めるわけではない。
同様に同じ「教材」を使ったから、同じ授業が成立するわけではない。
すぐれた「教材」は、すぐれた授業の必要条件ではあるが十分条件ではない。

こんなアタリマエ!!から試論を再開してみよう。

(つづく)

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