【授業】『人間は考える「ちくわ」である』!!
▼庭のヒガンバナが萎れていく側でイヌサフランがもう満開であった。
ヒガンバナがお彼岸に照準をあわせて花茎をするするとのばし赤く燃え立つのもみごとだが、このイヌサフランもそれに負けず劣らずみごとだった。それまでまったく気配を感じなかったのに、あれよあれよと言う間に庭一面に花が地下から顔を出してきたのである。それは同時に金木犀のにおいを感じる季節でもあった。
自然はなんとも律儀なのである。
▼そんな季節の今、私は何か物足らなぬものを感じていた。
それがなになのか自分でもわからなかった。このblogを書いていて気づいた。
それは、【授業】だった。
ここのところ私のエネルギーの源である【授業】のことを語っていなかった。
けっして人様に語るようなりっぱな授業ではない。むしろ失敗ばかりのまずい授業の連続である。
しかし、私にとってはそれがすべてなのである。
私は、「私の「ふしぎ!?」」からはじめて「卒業論文」にいたるまでの中学校理科全時間の授業を【実践DB】のなかですでに語っていた。しかし、それは完了していなかった。
更新を繰り返さないDBなどに何の意味もない。
微更新でもいい、それを続けよう。
それがきっと「何か物足りない」感じをうめることになるだろう。
▼【授業】は【動物の世界】をやっていた。
教科書と自分の実践を読み返し、もういちどシナリオを再構成する。
・もっとも教えたいこと、学ばせたいことは何か?
・現時点でもっとも有効と考えられる教材は?
・生徒たちの「私の「ふしぎ!?」」との関連は?
・あらかじめ準備する物は?
等々
▼実際に授業は進んでいた。
動物の「ふしぎ!?」の謎解き、第一方程式は「食べる」であると思っている。
これは全シナリオを貫く「科学」だった。
消化器官をやっていた。あの自分でつくったあのセリフを思い出した。
人間は考える「ちくわ」である。!!
「ちくわ」を求めてスーパーへ車を走らせた。
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