新・「自由研究」のすすめ試論(76) #higanbana
▼相変わらず「クモの世界」の「ふしぎ!?」を追いかけていた。
一度炎天下のもとではどうしているのだろうと昼前に「クモ観察園」に出かけてみた。
川沿いのナガコガネグモはきつい日射しも気にかけぬようにセンターにじっとしたままである。その巣のなかにあらたにもうひとつシロカネイソウロウグモの「卵のう」をみつけた。
その親であるシロカネイソウロウグモ自身はどこにいるかと捜すがいっぴきしか見あたらない。
それもせわしなく動いている。何をしているのだろう?
「ふしぎ!?」はやっぱり続くのだった。
▼「ふしぎ!?」をずっと保持しておき、それらつなぎ合わせ謎解きをやっていくのが「研究」だ。
私の場合、いちばん老舗の「研究」が「ビガンバナの研究」である。
ずいぶん昔から、ヒガンバナの「ふしぎ!?」を追いかけている。だからと言ってどこまでヒガンバナのこと知っているかと言うと、はなはだ疑問であるか。
農耕文化との関わりでヒガンバナの「ふしぎ!?」を追う有園正一郎氏は『ヒガンバナの履歴書』(有園 正一郎著 愛知大学総合郷土研究所ブックレット2 2001.3.31)のはじめに、ヒガンバナの不思議を9つあげている。
(一) 秋の彼岸前に突然花茎が伸びて、六輪前後の花が咲く。
(二) 花が咲いている特に葉がない。
(三) 花は咲くが、実がつかない、
(四) みごとな花を咲かせるのに、嫌われる草である。
(五) 開花期以外のヒガンバナの姿が思い浮かばない。
(六) ヒガンバナが生えている水田の畔には他の雑草がそれほど生えない。
(七) 人里だけに自生して、深山では見ない。
(八) 大昔から日本の風上の中で自生してきたと思われるが、ヒガンバナの名が史料に現れるのは近世からである。
(九) 田んぼの畔や屋敷地まわりで見かけるが、田んぼの畔や屋敷地まわりならどこでも生えているというわ
けではない。(同書P7より)
▼自分の抱いてきた「ふしぎ!?」と重ねあわせて、自問自答してみる。
著者によれば、この5つ以上「ふしぎ!?」が重なる人はよほどの「観察者」であるという。
この5つ以上に答えを持ちあわせる人はよほどの「奇人」であるという。
私は…?
▼長年ヒガンバナの「ふしぎ!?」を追いかけてきたので「ふしぎ!?」を並べるだけならもう少しあげることもできるかも知れない。でも、それをあげるだけでは「研究」にならない。
人にツタワルかたちにしてこそ、はじめて「研究」の名に値するのだろう。
今年は、花芽がのびてくるまでに私の「ヒガンバナ研究」どこまで来ているのか明らかにしてみたい。
人にツタワルかたちにしてみたい!!
ゆっくり 急ごう!!
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コメント
楠田先生、こんにちは。
鈴木勝浩です。
気がついてみたら、15日。
終戦記念日。
月日の過ぎるのははやいですね。
「ゆっくりいそごう」
いいですね。
きょうも、新たな発見があるかもしれませんね。
投稿: 鈴木勝浩 | 2013/08/15 06:11
鈴木勝浩さん
コメントありがとうこざいます。
ほんと今日も暑い一日でしたね。
お盆過ぎると夏休みもはやいですよね。
なんか寂しい気分になってきますね。
今日の発見は、ナガコガネグモの「狩り」ですかね。
投稿: 楠田 純一 | 2013/08/15 17:46