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本日(2013/08/04)、第41回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日は大賀ハスの蓮根植え替えから18週目の定例観察日であった。今年の収穫、3個だけの種子(観察池1水栽培2)を回収しようと思った。しかし、花托を支える花茎をみるとまだ緑が残っていた。これは種子へのライフラインが途絶えずまだ健在だということかも知れない。念のために今しばらく回収を見送った。
 花托に種子ができなかったライフラインはすぐさま途絶え枯れてしまった。ひとつでも種子ができた花茎は執拗に緑を残していた。「ふしぎ!?」でみごとなものだ!!どんなシグナルの交換が行われているのだろう!?
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 「ふしぎ!?」でみごとなものは貴奴(コガネグモ)にもあった。
ネットのセンターにある白い帯のことが気になりだした。確かに2日目に観察したときにはみごとな「X」字形であったものが、昨日は左上の白い帯が消えていた。右上も消えかけている。
ネットの張り替えをしたのだろうか?なぜ白い帯の一部を消してしまったのか?
そもそもこの白い帯はなんなのだろう?なにかのシグナルなのだろうか?
この「ふしぎ!?」はどこまでわかっているのだろう?
さらに山ぎわで見たコガタコガネグモの「X」がみごとであった。
▼本日(2013/08/04)は第41回オンライン「寅の日」である。
8月3回あるうちの初回である。8月のテーマを「文化として科学」とした。
なんと仰々しいテーマであることかと自分でも驚いてしまう。どうも私には「ばっかり病」だけでなく突然として大風呂敷を広げるという持病もあるようだ。
そして初回に選んだのは「科学と文学」である。ポンコツ理科教師とはまったく無縁のような文にみえる。
◆第41回オンライン「寅の日」
●「科学と文学」(青空文庫より)
▼浅学無能な私であるが、「臭覚」だけは少しだけ自信があった。
読みはじめて自分でも驚いてしまった。実は自分がしっかり読んでここのテキストとしたのではなかった。
それなのに今月のテーマ「文化としての科学」にぴったりの内容だったのだ。
自らの臭覚を自画自賛するのだった。
読みはじめるとどんどん寅彦の文脈に惹きつけられていった。かなりの長文なのに飽きることはなかった。
それがなぜなのかわからない。
「科学者」でなければ、「文学者」でもない、もっぱら人の書いたものを読む側の人間である。
それもあまり本を読まない人間であり、また最近集中して本を読むことができなくなってしまっている。
それは自分でも自覚している。
 それが、寅彦の書いたものだけは別だった。特に今回はそうだった。
 「科学」と「文学」。ややもすると対峙関係にあるようにとらえている2つの領域。
実はそうではなくて究極のねらい、役割は同じものだというのが今回の主張のようだ。
まずは<言葉としての文学と科学>から入っていく。

学の内容は「言葉」である。言葉でつづられた人間の思惟(しい)の記録でありまた予言である。言葉をなくすれば思惟がなくなると同時にあらゆる文学は消滅する。逆に、言葉で現わされたすべてのものがそれ自身に文学であるとは限らないまでも、そういうもので文学の中に資料として取り入れられ得ないものは一つもない。

象形文字であろうが、速記記号であろうが、ともかくも読める記号文字で、粘土板でもパピラスでも「記録」されたものでなければおそらくそれを文学とは名づけることができないであろう。つまり文学というものも一つの「実証的な存在」である。甲某が死ぬ前に考えていた小説は非常な傑作であった、と言ってもそれは全く無意味である
こういう現象の可能なのは、畢竟(ひっきょう)は人間の心の動き、あるいは言葉の運びに、一定普遍の方則、あるいは論理が存在するからである。作者は必ずしもその方則や論理を意識しているわけではないであろうが、少なくもその未知無意識の方則に従って行なわれる一つの手ぎわのいい実験的デモンストラシオンをやって見せるのである。方則に従っていればこそ、それと同じような現象が過去にも起こりまた未来にも起こりうるのであり、かくしてその作品は記録であると同時にまた予言として役立つものとなるであろう。

一方「科学」の方から見ると

 科学というものの内容も、よく考えてみるとやはり結局は「言葉」である。
人間霊知の作品としての「学」の一部を成すところの科学はやはり「言葉」でつづられた記録でありまた予言であり、そうしてわれわれのこの世界に普遍的なものでなければならないのである。

「文学」と「科学」の究極の共通項、キーワードは「言葉」で綴られた「記録」「予言」であると読み取った。
▼以下は寅彦得意のたたみかけるようなリフレインがつづく。
<実験としての文学と科学>
<記録としての文学と科学>
<芸術としての文学と科学>
<文学と科学の国境>
<随筆と科学>
<広義の「学」としての文学と科学>
<通俗科学と文学>
<ジャーナリズムと科学>
<文章と科学>
<結語>
小見出しをあげるだけでもこうだ!!もう圧倒される思いで次々と読んでしまうのである。
この文章が書かれたのも昭和8年(1933)である。寅彦は昭和10年(1935)の大晦日に亡くなっているからその前々年に書かれたことになる。この年の3月3日には三陸大津波が発生している。
この昭和8年~昭和10年に書かれたものにはなぜか迫力を感じる。
一度読んだぐらいではなかなか読み取れない遠大なテーマが語られているように思う。
書かれてから80年の時間が過ぎている。
しかし、なんと今日的提言であることか!!
 せめて、8月中、少しずつ繰り返し読んでみようと思う。
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コメント

楠田先生、こんにちは。

 鈴木勝浩です。
 
 寺田寅彦氏の「科学と文学」
 ご紹介ありがとうございます。

 読んでみます。

 これからも、よろしくお願いいたします。

投稿: 鈴木勝浩 | 2013/08/04 16:05

鈴木勝浩さん
コメントありがとうございます。
とても大切なことを教えてくれている文章だと思います。
ぜひ読んでみてください。

いつも思うことなんですが、こんなこと80年前にすでに言っていたとは…。

投稿: 楠田 純一 | 2013/08/04 21:01

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