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【授業】「君は「原子」を見たか!?」

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▼昨日は大賀ハス蓮根の植え替えから13週目の定例観察日であった。
今年第2大賀ハスは開花6日目であった。雄しべの方はまだ「時間」がとまったままのようである。
第4の方は四日目、最後の日である。朝日を受けて輝いていた。
実はこの第4の方も5日目があるようのなのだが…。
やっぱり「ふしぎ!?」だ。
▼今日で2013年前半も終わりだ。
いろんなことがあったが、今の私にとっては最大のできごとはやっぱり授業の中にあった。
その【授業】「化学変化」も先日終わった。
Atom

の授業である。
・はじめに「原子」ありき
からはじめた授業。
それは「原子論的物質観」はほんとうに有効なのか?
を自らに問いかける授業でもあった。
▼ふりかえってみると、やっぱりここでも教えられているのは自分だった。
繰り返し自分でも唱えてきた
「自然は最高の教科書!!」
「子どもは最高の指導書!!」
はやっぱりほんとうだと思った。
自分のシナリオでは「原子」が見えてきたら、「質量保存の法則」も「定比例の法則」もアタリマエ!!
となるはずだった。
ところがことはそう簡単ではなかった。

「原子の数はかわらなくても、やっぱり気体の二酸化炭素になって消えたからかるくなるやろ!!」
「熱を吸収するんやったら、温度はあがるんとちがうん?」
やっぱり授業は面白い!!
▼最後に生徒に「授業感想文」というかたちで問うてみた。
『君は「原子」を見たか!?』と。
それを今読み返している。
これまた面白い!!ここから大いに学びたい!!

授業はすでに次なる単元『動物の世界』に入った。
最初の自分への問いかけ、「原子論的物質観」はほんとうに有効なのか?
の結論はしばらく保留にしておきたい。

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本日(2013/06/29)、第38回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日朝から再びとまっていた大賀ハスの「時間」がうごきはじめた。いや正しくは「時間」が超スローにうごいていたのかも知れない。
 先に動き出したのは第3の方だった。第2の方は5日目になっても姿を変えていなかった。(7:24)
ところが午後になると最後の1枚を残し花びら散っていた。(14:09)
不思議と雄しべはほとんどそのままであった。
残った1枚もやがて散った。そこで散った花びらあつめてならべてみた。
「あこがれの4日間」の寿命が今回は「5日間」になったわけである。
大賀ハスになにが起こったのだろう?
▼そんな「生命と時間」の不思議は6月オンライン「寅の日」のテーマでもあった。
6月最後の第38回では、「身長と寿命」をとりあげる。
◆第38回オンライン「寅の日」
「三 身長と寿命」(「空想日録」より 青空文庫より)
今回で2度目になるが、前回とはまたちがった視点で読んでみたい。
▼例によって示唆的な文章がならぶ。書かれたのは今からちょうど80年前、1933年である。

こう考えて来るとわれわれの「寿命」すなわち「生きる期間」の長短を測る単位はわれわれの身体の固有振動週期だということになる。

朝生まれて晩に死ぬる小さな羽虫があって、それの最も自然な羽ばたきが一秒に千回であるとする。するとこの虫にとってはわれわれの一日は彼らの千日に当たるのかもしれない。
 象が何百年生きても彼らの「秒」が長いのであったら、必ずしも長寿とは言われないかもしれない。 「秒」の長さは必ずしも身長だけでは計られないであろう。うさぎと亀(かめ)とでは身長は亀のほうが小さくても「秒」の長さは亀のほうが長いであろう。すると、どちらが長寿だか、これもわからない。

あの名著『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著 中央公論社 1992)を思い出させる文章だ。
▼私は、ついつい今観察中の大賀ハスの花の「寿命」に結びつけて読んでしまうのである。
「寿命」=「生きる期間」
「時間」を測る単位=我々の場合「秒」
生きものすべてがそれぞれがもつ固有の「秒」
「秒」を決定しているのは何?
「ふしぎ!?」はまだまだ深まる一方だ!!
6月がすぎても考え続けたいと思う。
寅彦の最後の一文とともに

しかし人間の寿命がモーターの回転数で計られるようになることが幸か不幸かはそれはまた別問題であろう。

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大賀ハスの「時間」はとまってしまったのか!?

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▼昨日は第4大賀ハスの開花2日目であった。雨はあがり朝日がうれしかった。
つかさずハチたちが花をめざしてやってきた。それもいっぴきではなかった二ひきが同時にやってきた。
その二ひきはホバリングを繰り返しながら、衝突もしていた。それはまるで「会話」しながらコミュニケーションを図っているにも見えた。
 それにしてもこんなタイミングよく飛んでくるとは「ふしぎ!?」だ。
やはりあの独特の香りかシグナルを発しているのだろうか。
香りの正体はなんという物質なのだろう?どのぐらいの距離まで拡散しているのだろう?
ハチたちを観察していると次々と「ふしぎ!?」が生まれてきた。
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▼第2・第3大賀ハスにとっては「あこがれの4日間」の最終日だった。
花びらに水滴を残しながらも倒れかけていた花茎はまっすぐのび花開こうとしていた。全部の花びら、雄しべの最期の姿と思い写真を撮りまくった。(7:12)
 帰宅してすぐ観察池に行ってみた。
あれ??朝のままだ花びらも雄しべもひとつも落ちていない。(13:34)
昨日の雨で少し「時間」がスローになっているのだろうかと思った。
▼ところがいくら待っても変化ないのだ。
もうそろそろと花びら、雄しべを回収するためのケースをもって行ってみるがいっこうに変化はなかった。
まるで、大賀ハスの「時間」がとまってしまったようだった。(16:09)
「4日間」を日延べするつもりだろうか。
これまでにそんなことあっただろうかと、【大賀ハス観察日記】を見てみるが、そんな「記録」はなかった。
遅れることはあった。雄しべの残骸が5日目まで残っていることは確かにあった。
しかし、花びらがそのまま4日目をすぎることはなかった。
▼どうなってしまったのだろ?
いくらなんでも5日目の朝には落ちているだろうと、今朝起きるなり観察池に行ってみた。
驚きだ。まったくそのまま姿で5日目を向かえていたのだ。(03:53)
これはほんとうに大賀ハスの「時間」がとまっているようだった。
「時間」か完全にとまらないまでも超スローになっていることは確かだ。
それもひとつだけでなく第2も第3も同様である。
「ふしぎ!?」だ。
あのクマムシの「乾眠」以来の衝撃だ!!
なにが原因だろう。
・天候、昨日の終日の雨…。
・アブラムシ
・早すぎた開花
いろいろ考えてみるが…。

しかし、考えてみるとこのフレキシブルな「時間」のコントロールこそ大賀ハスが「生きもの」たる所以かも知れない。なにしろ2000年も眠りつづけたこともあるのだから。


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大賀ハス観察池は雨だった!!

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▼第2・第3大賀ハス「あこがれの4日間」の三日目であった昨日は朝から雨だった。
開花はそれだけではなかった。第4大賀ハスも開花し始めたのだ。
第4は観察池のものではなかった。観察池に蓮根の植え替えをして、その残った蓮根をポリ容器に入れただけのもので言わば「水栽培」をしたものである。第4も雨のなかではあるがいつもの時間にぽっかりと口をあけだした。
(写真は6:07)
▼第2の方は雨の中ということで、いつもの第三日目ではなかった。
花びらで雄しべ、雌しべ、果托を雨から保護しているようだった。(写真は7:09)
午後3時半ごろ帰宅しても雨は降り続いていた。
一度は雨の中でも開いたのだろう。花びらにたまった水の重みのせいだろうか、ずいぶん花茎は傾いていた。
夕方にはハスの葉で雨宿りをするように傾き、そして第3の方に寄っていた。
それはまるで雨宿りをしながら、ふたつの花が「対話」でもしているようだった。(写真は17:09)
▼こんな自然観察の方法は邪道だろうか。
「科学的」ではないのだろうか。
花が「雨宿り」したり「対話」したりするわけがない。
ほんとうにそうだろうか。
 ずっとずっと観察していると生きものだけがツナガッテイルのでないように見えてくる。
「風」も「雨」もツナガッテイルように見えるのだ。
風の振動は、花茎にどう伝わっているのだろう。葉と触れあうことによって刺激を受けてあらたな変化を誘発する
ことはないのだろうか。
▼考えてみると、私は「気温」「水温」「湿度」と開花とどのように関係するのかまったく知らない。
「あこがれの4日間」に何が起こっているのかについてもまったく無知である。
見えないものを見る!!知らないことを知る!!
 そんなときは自分の持てるレセプターを最大限に駆使して、「想像力」たくましく観察するのもひとつの方法かも知れない。それが私の「科学的」!!
 雨の日でなければ見れないものをみてやろうと、じっと観察池を観察したみた。

今日は、第2・第3の四日目。第4の二日目だ。
雨はあがっている。
どんな展開があるだろう。

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大賀ハス観察池には虫たちが集っていた!!

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▼私は、またしても持病を発症しているようだ。
「ばっかり病」である。今は「大賀ハスばっかり病」である。
この病、発症しだすとやっかいである。自覚症状があってもブレーキがきかなくなってしまうのである。
もちろん利点もある。集中して謎解きをするときにはこの病を利用することもある。
「イモズル方式」
「身になって方式」
が浅学無知な私の「ふしぎ!?」謎解きの秘策である。
これで、紅花の「ふしぎ!?」もヒガンバナの「ふしぎ!?」でやってきた。
▼今は大賀ハスの「ふしぎ!?」への応用である。
第2・第3大賀ハスの開花二日目だった。
曇ってはいたが雨は降っていなかった。でかける前にはあきらかに第一日目より大きく開いていた。
大賀ハスにとっては虫たちをあつめて受粉する日である。
大きく開く必要があるのだ。あの香りも強く発していた。
残念ながらじっと観察しておくわけにはいかなかった。帰宅してすぐ観察池に行ってみるとほぼ閉じていた。
第三の方にはまだ蜂がいた。
雌しべの先が黒ずんで見えた!これは受粉のシグナルだろうか。
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▼花だけでなく観察池を全体を観察しているといろんな変化に気づく。
大賀ハスからの「イモズル」である!!
特に今年はアブラムシからはじまったいろんな虫たちの訪問である。
名も知らぬ蜘蛛は一昨日とはちがうデザインで巣を張っていた。
いくつかの種類の蜘蛛たちが集まってきている。
蜘蛛たちの「身になって」考えると、ここは格好の狩り場なのであろう。
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▼池のなかにはボウフラだけでなく、いろんな虫たちの幼生がうようよしている気がする。
数日前から気になっている「白い幼虫」!!
第4の蕾にいたかと思ったら、夕方には何匹も浮き葉の表面にいた。
なにものだろう。テントウムシの幼虫だろうか。
それとも…。
 味方か敵か…?それは人間の勝手な見方なのかも…

今日は開花三日目、雨だ!!
観察池は私の「ビオトープ」だ。
 ここでどんな生きものの世界が展開されるのか…?
「イモズル方式」と「身になって方式」
使って楽しんでみよう。


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第2・第3大賀ハスは同時に開花が始まった!!

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▼今年一番目大賀ハスの「あこがれの4日間」が終わったと思ったら、次の第2・第3の大賀ハスの4日間が昨日始まった。今年の大賀ハスの花蕾は現在のところ観察池に6つ(すでにアブラムシの襲撃で2つは蕾のまま枯れてしまった。)水だけの栽培の方に3つである。
 開花が期待できそうなのは7つだ。第1は終わった。
▼第2、第3の開花がはじまった昨日は幸い雨ではなかった。
第一日目の様子を観察しながら、今年の大賀ハス観察でやりたいことを考えてみた。
今のところ3つばかりあった。
(1) 「あこがれの4日間」の「ふしぎ!?」を追う。
・同じ開花する4日間と言えども、一日ごとに意味が違うような気がする。その一日ごとの意味を考えてみる。
・なぜ「4日間」なのか?「幼・静・壮・老」ステージの意味は?
(2) 開花のからくり・機構を追求する。
・仮説「ゼンマイ仕掛けの目覚まし時計」説は正しいか。
・その具体的な物理的、化学的変化を追求する。
・観察だけでどこまで追求できるか。
・研究者の知見を聞く。
(3)観察池に出現する虫たち(生きもの)のツナガリを追求する。
・今年はアブラムシ・テントウムシの出現で大いにこのことに興味がわいてきた。
・いのちのツナガリ!これが最大のねらいになるかも知れない。
▼とは言っても浅学でものを知らない私のことだ、いつもの「無手勝流」しか手はない。
具体的にやることも考えてみた。どこまでやれるかは別にして…。
(1) ともかく変化する様子を写真で記録化する。
・デジカメで写真をとると時間も一緒に記録できるのはありがたい。
・いったん記録化しておけば、あとで「発見」もありうる。
・この観察では「時間」は鍵になる。
(2) 四日目に散った花びら、雄しべを回収する。
・雄しべは黒画用紙にはりつけ標本にする。
・花びらはパックに入れ冷凍保存をする。
これまではそうしてきた。今年これはするかどうか検討中!!
冷凍庫はこれまでのものでいっぱいだ。(^^ゞポリポリ
(3) 種子回収まで観察をつづける。
・ここで回収した種子の発芽率はいまのところ100%だ。
(4) 開花期だけでなく年間通して定例観察をつづける。
そんなところだ。
▼ではさっそく第2、第3の初日の報告を。
・大賀ハスは早起きだ。小さな口をあけはじめた。音はしない!!(5:13)
・口は見る間に大きくなっていく(5:31)
・一斉に花びらは開くように見えるが微妙に時間のズレが(6:15)
・初日の花はここまで開く(8:27)
・幸いなことに晴れていた!!虫はみかけなかった。(10:11)
・お昼にはほぼ閉じていた。「閉じるときも順番が…」それが観察からの私の仮説(12:24)
・開花にはいろんな蜘蛛も現れる。虫たちが寄ってくることをよく知っているんですかね。

二日目がすでに始まっている。
曇ってはいるが、雨はふっていない!!
きっと蜂たちが集まってくるこの日、なんとかこのまま…。


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【Web更新6/23】13-25【大賀ハス観察日記】等 更新!!

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花蓮や ツナギツナガル いのちかな 13/06/22 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】13-25
週末定例更新のお知らせ
繰り返す!!
無能な人間の唯一の策だ。
誰にもできることを 誰にもできないぐらい
繰り返す!!
人が数分でできることも、何時間何日かけてもできない
しかし、繰り返しておればいつかはできだろうことを信じて
繰り返す!!
シーシュポスの岩のごとく。

◆表紙画像2013 更新 人里の自然 大賀ハス・花蓮
 今年最初の「あこがれの4日間」は、昨日終わった。
4日目は完全には花びら雄しべを落としてしまわなかった。
今年の「大賀ハス観察池」は、招かざる客・アブラムシも含めて「いのち」でにぎやかだ。
「いのち」はツナギツナガッテイルとあらためて実感させられるのである。
観察池はいのちの交差点だ。

◆【大賀ハス観察日記】更新!!
 今年の開花を機に久しぶりに【大賀ハス観察日記】を更新してみた。
更新のついでに、これまでの私の「大賀ハス物語」をふり返ってみた。
2008/05/17の朝を思い出していた。思えば遠くへ…!!

◆【授業】「化学変化」 更新!!
 はじめに「原子」ありき!!の授業ももうすぐ終わりである。
終わりもやっぱり「原子」ありきだった。
きっと「これから」もそうだろう。
 これからは「くらし」とどうツナグかが課題だ。

◆オンライン「寅の日」更新!!
 いつしか私のなかでは人に会って、その人の「私の科学」を学ぶことをオフライン「寅の日」として意識するようになっていた。
 これも「繰り返し」の効果かも知れない。

さあ、新しい一週間のはじまりである。
今週は何を繰り返そうかな?

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ファラデーラボ「骨のかがく」は楽しかった!!

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▼昨日は大賀ハス蓮根の植え替えから12週目、定例観察日であった。最初の花「あこがれの4日間」の三日目でもあった。三日目でやっと晴れていた。
 花びらは半開きのまま状態で大きく変化していないように見えた。
変化に気づいたのはお昼前11時30ごろだった。果托のいろがどんどん緑色になっているのに気づいた。
じっと花を観察しているとついにやつが現れたのだ。蜂だ!!
やっぱりあの香りに誘われたのだろうか。
雄しべでゴソゴソして蜜をあさる。そして果托に乗って花粉を雌しべにくっつけてくれている。
やった!!ひょっとしたら間に合ったのかも知れない。
それは数日後にわかるだろう。
きっりとおきまりのように昼前には花びらがちりはじめた。
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▼昨日はもうひとつ楽しみがあった。
ファラデーラボで「かがくカフェ」があったのだ。
■ テーマ 「骨のかがく」
  講師 三上周治さん(京都橘大学人間発達学部教授)

 こちらの方も実に面白かった。
行くなりラボの床にはツキノワグマの毛皮が横たわっていた。
ぎよっとした。
そのツキノワグマの「全身骨格ならべ」から話ははじまった。
ツキノワグマ全身骨格6セットが用意されていた。(6体分もどのように用意されたのか、その話もとても今日深い!!が)
3体分を使わせてもらって、グループに分かれ実際にならべてみた。
これは「パズル」ゲームのようであった。
ヒトの全身骨格が用意されていた。それと見比べながらパズルあわせをするのだった。
いつしか自分のからだをさわり、「その骨」を確認していた。
小学2年生対象にも実践されたことのあるというこの「遊び」=「授業」は、大人も十分楽しめるモノだった。
夢中になるあいだに気づくことがあった。
・ヒトとクマは基本的なつくり同じだ!!
・なんとうまいことできているもんだ!!
・左右対称のアタリマエ!!
授業ではヒトの「二足歩行」もでてくることがあるという。
▼後半とってもなっとくできるすごいコトバが三上さんから飛びだした。
「進化には新築はないので、全部増改築である。すべてに歴史がある!!」
そのコトバに続いて
各部分の骨の歴史の話がはじまる。
どの部分の話も面白い。男と女の骨の違いもおもしろい!!
ヒトが「二足歩行」をはじめたが故の課題もわかる。
「かがく」と日々の「くらし」とがツナガッテいく!!
いつまでも話を聞いていたい気分になった。
▼ファラデーラボから帰って、大賀ハス観察池を見に行くとまた数枚の花びらが散っていた。
しかし、残った花びらは前日よりは閉じているように見えた。
大賀ハス、ハチ、ツキノワグマ、ヒト…みんな生きものだ!!
共通しているのはなんだろう?
「種族維持」と「個体維持」うーん、なんか固いな。これではピンとこない。
それはあのツキノワグマの肋骨をならべているときに出てきた、あれだ!!
「どんな順番にならべたら…?」
「それは美しく!!…」
(子どもコトバでは「きれいにならべたらええんや!!」)

生きとし生けるものは美しい!!

「あこがれの4日間」も今日は4日目、どんな「美しさ」をみせてくれるだろう。
楽しみである。


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【授業】やっぱりここでも「周期表」だ!!

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▼大賀ハス「あこがれの4日間」二日目もやっぱりずっと雨だった。
それでも花は律儀に早朝から咲き始めた。
でかける前に(7:12)に帰ったら閉じてしまっているだろうと撮った。
ところがそうではなかった。帰ってさっそくそこに行ってみるとそうではなかった。(13:19)
あれ!? どうなってしまったんだろう。
私の仮説である「ゼンマイ仕掛けの時計」のゼンマイが雨できれてしまったのだろうか。
いやそれともアブラムシの襲撃と関係があるのだろうか?
果托をみてみるが、受粉した気配もない。雄しべは雨で垂れさがっている。流れ出た花粉が花びらにたまっている。香りはかすかにしていた。
驚くことに全開のまま夜を向かえてしまった。(18:41)
▼【授業】「化学変化」をつづける。
銅の酸化、マグネシウムの酸化実験のデータをグラフ化し
「Cu:O=4:1」
「Mg:O=3:2」を導こうとする。
自分たちやった結果だけでは不十分なので教科書に載っているデータも利用する。
そしてやや強引にでも「4:1」「3:2」へ誘導する。
▼そこで、もう「原子」が見えてきていたらどうだろう。
「原子」はおそろしく小さい、質量があるといってもこれまたおそろしく小さい。
それは「はじめに「原子」ありき!!」でやった。
ここでもやっぱり「周期表」だ!!
周期表にはうれしいことに「原子量」が書いてある。
おそろしく小さい質量も科学者たちがすでに「重さくらべ」をしている、それが「原子量」だ!!
これを利用しない手はないだろう。
周期表でCu、Oをさがす。おなじみの場所にある。
Cuは「64」Oは「16」となっている。
Cu:O=64:16=4:1
なんだ!!このアタリマエに感動するのである。
つまり銅の原子1個に酸素の原子1が化合していたのである。
マグネシウムも同様である。
だから化学式もCuO、MgOと書いていたんだ。
▼「原子」は実在するのである!!
眼には見えないほど小さい。小さいけど確かに質量をもって存在するのである。
この事実、このアタリマエ!!何度も何度も確認したい。
そして物質探険の「地図」=周期表!!
こんな便利なもの!!
何度も何度も使っていこう!!

開いたまま夜を向かえたと思っていた大賀ハス、今朝はやく見に行ったらなんと不完全ながら閉じていた!!
さあ、今日第三日目はどんな姿をみせてくれるのだろう。
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【授業】実験には「失敗」はないのだ!!

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▼大賀ハス「あこがれの4日間」の第一日目は雨だった。
アブラムシ被害も克服して、ついにその日はやってきた。大賀ハスの花は早起きだ。
出かけ前(7:18)には、蕊たちも見えてきていた。一年ぶりに見るその姿はやっぱりきれいだった。
思わず鼻を近づけてみた。香りもやっぱり…
帰宅して観察池に行ったとき(13:17)にはもうすっかり花は閉じてしまっていた。
今朝も雨は降り続いていた。
▼銅をステンレスの皿の上で加熱して酸化銅を得る実験をした。
同様にマグネシウムでも実験をした。
各班質量変えてやって表にまとめグラフにすることを試みた。
銅の場合はなんとか「酸化銅」になって質量増加が読みとれた。
マグネシウム場合は「酸化マグネシウム」になったはずなのにひどい場合は質量減少も…
「あれ!?」
「この実験「失敗」や!!」
「えっ…」
▼「定比例の法則」をプルーストが唱えたのは1799年だ。
たった214年前だ。
 まだ「原子」はしっかりと見えていなかった。ドルトンが「原子」を言い出す前だった。
実験につぐ実験を繰り返しながらプルーストはこの説を唱えたのだろう。
▼「原子」が見えてきた21世紀の今ならどうだろう。
すでに
「物質の出入りがなければ、質量は変化しない」=「質量保存の法則」は学習していた。
それも「原子」の眼で見れば納得だった。
ではここでこそ使って欲しかった。
「あれ!?」
「どうして、こんなことなってしまったんやろ?」
「そら、網かぶせていたけどパチパチとなんか飛んどったもん」
「モヤモヤとしたものが出て行ったもん」
「…」

そうだ、この実験は「失敗」ではない。
この実験で「質量保存の法則」がより確かなものになったんだ。
そもそも実験に「失敗」なんかないのだ。
予想していた通りにならなければ、その理由を考えればいい。
そこにこそ実験の意味がある。
実験は謎解きのワンステップにすぎない。
そこからあらたな「ふしぎ!?」が生まれこそ「実験」だ!!

さて、「あこがれの4日間」第二日目、もうはじまっただろうか?

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2013年7月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼やっとまとまった雨がふった。アブラムシに襲われた大賀ハスもテントウムシの援軍を得てなんとか「あこがれの4日間」がやってきそうな感じに蕾がふくらんできた。
 これまでの経験から、開花の第一日目はだいたい前日からわかるのであるが、ひょっとしたらアブラムシの件で異変をおこしているかも知れないので、今朝明るくなるを待って見に行った。
やっぱりそうだった!!
葉にかくれた大賀ハス開花しはじめていた。
「あこがれの4日間」のはじまりだ!!
▼気づけばもう6月も20日だ。ここのところだいたい20日をめどに翌月のオンライン「寅の日」の計画を゛発表していたのでそうすることにする。
6月は「生命と時間」をテーマにして、関連の随筆を読んできた。まだ一回(6/29)を残している。
7月は、夏休みの「自由研究」が話題になるようなシーズンである。
そこで、「科学と研究テーマ」ということに関連するものを読んでみたいと思っている。
2013年7月は2回ある
◆第39回オンライン「寅の日」…7/11(木)
◆第40回オンライン「寅の日」…7/23(火)
である。
▼寅彦が研究テーマに選んだ「ふしぎ!?」はきわめてユニークなものであった。
「金平糖の角」「藤の実」「椿の花の落下」「尺八」「蚊帳」等々、身近な不思議が多かった。
その発想はどこから出てくるのだろうか。
寅彦の「科学」とどのように関連するのだろうか。
それら読み解いてみたい。
まず発想の元をさぐるということで「科学上の骨董趣味と温故知新」
を、その具体例として「線香花火」(昨年読んではいるが、リクエストもあったので)を読みたいと思う。

2013年7月オンライン「寅の日」
◆第39回オンライン「寅の日」…7/11(木) 「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)

◆第40回オンライン「寅の日」…7/23(火) 「線香花火」(青空文庫「備忘録」より)

▼科学研究テーマにも「不易と流行」がある。
そう思う。
では「不易」とは?
「流行」とは?
多様な考え方があるだろう。それを知りたい・学びたい!!
そして、今ほんとうに「クリエイティブな研究とは?」追求してみたい。

今年も私自身の「自由研究」にとりくみたいと思っている。
ひとつは昨年に引き続き「大賀ハス」である。
「あこがれの4日間」の「ふしぎ!?」を科学したいと思っている。

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【お薦め本】『進化生物学入門』(栗田子郎著 講談社学術文庫 2013.4.10)

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▼久しぶりに学校周辺を朝の散策してみた。紫陽花も本格的に色づきはじめていた。
こちらがしばらく見ないあいだにも風景は刻々と変化していた。土手や草むらに気になるものが見られた。
白い「小さな釣り鐘」がぶら下がっていた。
ホタルブクロである。近づいて見てるとなおいっそう愛おしくなってくる姿である。
例年みかけているその場所に行った。びっくりである。
見かけるどころでないそこはもはや「群生地」となっていた。
しばらく見とれてしまった。
そう言えば私は、実際にこのなかにホタルを入れてみるということをやったことない。
その光景を想像してみた。きれいだろうな!!
名前の所以である。異説もあるらしいが…
▼今回のお薦め本は

◆『進化生物学入門~宇宙発生からヒト誕生への137億年~』(栗田子郎著 講談社学術文庫 2013.4.10)

実はこの本には原本がある。『多様性生物学入門』(栗田子郎著 東海大学出版会 1997)である。
それから16年たっているから新たな知見も加えての学術文庫版がだされたのである。
私は、この『多様性生物学入門』がずっと気になっていた。
 全部は読んでしまっていなかったが、「まえがき」がすごく気に入っていた。
それに示唆を受けていた。
 よくいろんな場面でも引用させてもらってきた。
あまりにも気に入っているので長くなるが再度引用させてもらう。

 ホモ・サピエンス(Homo sapiens 賢い者)と自らを名付けた我々「ヒト」も「チンパンジーとの遺伝的差はほとんどない」 としながらも、二つの大きな特徴があると書かれている。

 しかしヒトという種にはほかのどんな生物にもない(と思われている)きわだった特徴が一つあります。自分自身の由来、ひいては万物のルーツを知りたがるとともに、まだ存在しない未来に思いを馳せるという性質です。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を著し進化論を説いたのもこの衝動に駆られたからでしょう。(中略)  いま一つのヒトの特徴は、細胞外で複製・増殖することのできる遺伝因子、つまり言語(言葉、文字)と映像を操る能力です。生きとし生けるものはすべて、自らを存在させているプリン塩基とピリミジン塩基で記された基礎情報(遺伝子)を次の世代へ残そうとします。ヒトも例外ではありません。しかし、この情報は時間軸に沿って垂直にしか伝わりません。ところが言語や映像という形の情報は水平方向にも伝わります。しかも、細胞核内に収められた情報は親から子へと伝わるのみで、その逆は不可能です。言語情報はこれが可能です。この第二のヒトの特徴が、私をしてこのようなテキストを綴らせたようです。(『進化生物学入門』「まえがき」p11より 

やっぱり何度読んでも示唆的です。
▼今回、文庫版が出されたことを機に通読してみました。
通読するのがやっとの浅学な私が【お薦め本】としてあげるのも恐縮なんですが、どうしても書いてみたかったのであげます。
 例によってお薦めポイントは3つです。

1) 誰もが一度はいだく究極の「ふしぎ!?」
  ・「私はどこからやってきたのだろう?」
  ・「生命とは?」
  それに応えるヒントがいっぱい詰まっている本である。

(2) この一冊で「宇宙発生からヒトの誕生への137億年」の進化史を読み解くことができる。
  私のように一気に読み解くことができなくても、読み解こうというその「きっかけ」を与えてくれる。

(3) 研究最前線の知見・情報が誠実な姿勢で紹介されている。
  シロウトにはこれがなによりありがたい!!

▼三章からなっている。本の内容は各章のサブタイトルとともにあげるとよくわかる。
第一章 絶え間なき創造 多様化の歴史
第二章 種の問題 多様化の機構
第三章 霊長類の系統と進化 多様化の一例
キーワードは「多様化」である。
第一章は圧巻である!!「へー」「そんなことが…!?」の連続である。一大スペクタルを見るような気分になる。
ひとつの知見でまとめあげるのでなく、まだわかっていないことについては異説もあることを紹介されているのがとてもうれしい。そしてその研究も進行形で語られているのは著者の「誠実さ」の表れでもあるだろう。

第二章は、正直言って私には難解な用語も頻繁に出てくる。しかし、繰り返しその用語に接するあいだにぼんやりとであるがその用語が意味する概念が見えてくる。
「種」の発生というもっとも本質的な「からくり」がわずかながらも見えてくるのは、これまたうれしい。
我らが「ヒガンバナ」のことについてもふれられている(p146.p165)のはありがたい。

第三章は、具体的に「私はどこからやってきたのだろう?」の「ふしぎ!?」に応える章だ。
章の最後に「継ぐのは誰か」(p331)が書かれている。
「これから」が書かれているのである。
しめくくる一文が心に残った!!

 厳密にいえば未来は予測不能ですが、あなたも「継ぐのは誰か」考えてみてください。(p333)

最後の最後に「蛇足」的になって恐縮だが、この本の最大のお薦め点をあげておく。
それはこの本は、いつもお世話になっているあのリコリスさんこと栗田子郎先生の著書であることだ。

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【Web更新6/16】13-24 【授業】「化学変化」 等 更新!!

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紫陽花や やっとたどり着く 日曜日 13/06/15 (土)撮影@福崎


■楠田 純一【理科の部屋】13-24
週末定例更新のお知らせ
 オンライン「寅の日」で更新のお知らせが一日ずれてしまった。
でもやっぱりこれを書くのである。これを書かなければ一週間がはじまった気がしないのである。
さて、この一週間はどんな一週間になるだろう?書きながら一週間を展望してみる。
生き残った大賀ハスは「あこがれの4日間」をむかえるだろうか?
私の「科学」はどこまでいくだろうか?
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ 紫陽花
 なんと雨の降らない梅雨だろう。もうそれは異常とも思えた。
梅雨どこかに置き忘れて猛暑日が続いた。でもやっぱり庭の紫陽花は忘れていなかった。
きっちりと準備し花開いてきた。
 自然とはなんと律儀なもんだ!!
その紫陽花も雨の日曜日を待っていた。

◆【授業】「化学変化」 更新!! 
 私の「ふしぎ!?」から私の「科学」へ
それが私の授業のメインテーマだった。この単元での謎解き訓練の鍵は「原子」だった。
「原子」の眼で物質を見ていくその訓練が必要だった。
人間が2000年もかけてたどり着いた「原子」の眼、それを私の「科学」にはそうたやすいことではない。
一筋縄でいかない。しかし、手にいいれば一生モノだ!!
今週も「のぼりおり」を繰り返してみよう。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 【理科の部屋】20年史年表の微更新を繰り返してみよう。
プロットした点の先に「これから」が見えてくること期待しながら…。

さあ、はじめよう一週間!!
「みちはこたえない
みちはかぎりなくさそうばかりだ」(真壁仁「峠」)

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本日(2013/06/17)、第37回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼今、私の大賀ハス観察池は大ピンチである。
アブラムシの大量発生である。アブラムシは師管に口針を射し、「甘い汁」を吸い取ってしまうという。
なんと いうことをするのだ。今年いちばんに伸びて来た花芽は「あこがれの4日間」をむかえることなく無残な姿となってしまった。そこへ突然やってきた正義の味方、テントウムシ君だ。
第三の大賀ハスの蕾にとまり忙しく動いてくれた。3~4日同じところにいた、食べても食べても増え続けるアブラムシに飽きたのか昨日の朝消えた。夕方になると今度は別の蕾、葉にテントウムシの幼虫が現れた。
どうしてわかったのだろう。ここにご馳走があることを…。
そもそもアブラムシはどこからなにを察知してここにやってきたのだろう。
もうどの蕾にも「あこがれの4日間」は訪れないのだろうか。
あらためて思う。
私はあまりにも虫や花のこと知らなすぎると。
ピンチはチャンスかも知れない。
目が離せない大賀ハス池の観察をつづけよう。
▼本日(2013/06/17)は第37回オンライン「寅の日」だ。
予定していた「からすうりの花と蛾」の話も、ちょうど花や虫、鳥たちの話だ。
寅彦の観察眼と表現力だとこうなるという典型の文章である。
6月のテーマである「生命と時間」にも注目しながら読んでみたい。
◆第37回オンライン「寅の日」
●「からすうりの花と蛾」(青空文庫より)
▼大賀ハスの開花には「ふしぎ!?」がいっぱいあった。
なんで「あこがれの4日間」は「4日間」だけなんだろう?
みごとに定刻になると花ひらきはじめるのだろう?(どんな目覚まし時計を持っているのだろう?)
昼を過ぎると閉じ始める。そしてその翌朝に開きはじめる。その機械的からくりは…?
寅彦も「からすうりの花」でそれに注目していた。

 毎日おびただしい花が咲いては落ちる。この花は昼間はみんなつぼんでいる。それが小さな、かわいらしい、夏夜の妖精(フェアリー)の握りこぶしとでもいった格好をしている。夕方太陽が没してもまだ空のあかりが強い間はこのこぶしは堅くしっかりと握りしめられているが、ちょっと目を放していてやや薄暗くなりかけたころに見ると、もうすべての花は一ぺんに開ききっているのである。スウィッチを入れると数十の電燈が一度にともると同じように、この植物のどこかに不思議なスウィッチがあって、それが光のかげんで自働的に作用して一度に花を開かせるのではないかと思われるようである。

それが、空の光の照明度がある限界値に達すると、たぶん細胞組織内の水圧の高くなるためであろう。螺旋状(らせんじょう)の縮みが伸びて、するすると一度にほごれ広がるものと見える。それでからすうりの花は、言わば一種の光度計(フォトメーター)のようなものである。人間が光度計を発明するよりもおそらく何万年前からこんなものが天然にあったのである。
それは「花」だけでない「虫」たちもそうだという。  
からすうりの花がおおかた開ききってしまうころになると、どこからともなく、ほとんどいっせいにたくさんの蛾(が)が飛んで来てこの花をせせって歩く。無線電話で召集でもされたかと思うように一時にあちらからもこちらからも飛んで来るのである。これもおそらく蛾が一種の光度計を所有しているためであろうが、それにしても何町何番地のどの家のどの部分にからすうりの花が咲いているということを、前からちゃんと承知しており、またそこまでの通路をあらかじめすっかり研究しておいたかのように真一文字に飛んで来るのである。
寅彦に例のセリフ「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」で問いかられている気分になってくる。 ▼例の如く次々と話は発展する。 そして、
花というものは植物の枝に偶然に気まぐれにくっついている紙片や糸くずのようなものでは決してない。われわれ人間の浅はかな知恵などでは到底いつまでたってもきわめ尽くせないほど不思議な真言(しんごん)秘密の小宇宙なのである。
と語り、「天然」と「科学」ついて次のように述べる。
 われわれが存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間がいちばん思い上がってわれわれの主人であり父母であるところの天然というものをばかにしているつもりで、ほんとうは最も多く天然にばかにされている時代かもしれないと思われる。科学がほんの少しばかり成長してちょうど生意気盛りの年ごろになっているものと思われる。天然の玄関をちらとのぞいただけで、もうことごとく天然を征服した気持ちになっているようである。科学者は落ち着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないでいたずらにきたならしい絵の具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないでひとりぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時にはわれわれはもう少し謙遜(けんそん)な心持ちで自然と人間を熟視し、そうして本気でまじめに落ち着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科学的なユートピアの真如(しんにょ)の月をながめる宵(よい)が来るかもしれない。  ソロモンの栄華も一輪の百合(ゆり)の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。

と言われれば
二十一世紀の今、私の「科学」の「現在地」を確かめたくなってくるのである。

さあ、あのテントウムシの幼虫は朝から精を出しているだろうか。
今日一日の大賀ハス観察池の展開は…???。

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サイエンスコミュニケーター宣言(270)

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▼やっと雨が降った!!
大賀ハス定例観察日だった。蓮根の植え替えから11週目。
今年はこれまでになかった展開だ。
観察池にはすでに5つの花芽。
観察池にアブラムシの大量発生、その天敵のテントウムシの出現。
さらには観察池に入れなかった蓮根をポリ容器のなかに放置しただけの水栽培、そこに2つの花芽!!
またより深く大賀ハスとつきあう年になりそうである。
▼少し足踏み状態にある【理科の部屋】20年史年表をしばらくながめていた。
 何度ながめてもこの事実には驚くのである。
それは【理科の部屋】20年の歴史とインターネットの歴史とがみごとに「リンク」しているという事実である。
▼この事実は単なる偶然ではない。
これは歴史の必然であると思っている。
【理科の部屋】への一貫したよびかけはこうだった。
----------------------
 日本の理科教育情報発信基地
             
       【理科の部屋】へようこそ        
                                
  (^o^)/ あなたもここで情報発信者に\(^o^)   

 情報は発信されるところに集まる。

 あなたがノックされるところがドアです。

 時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界を

----------------------
ここ数年、私はTwitter的という言葉を好んで使っている。
Twitter的とは
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
「アクティブ」
という6つの概念、方法、哲学をミックスしたものである。
必ずしもTwitterそのものを意味しない。
使っているあいだに気づいてきた。
Twitter的=【理科の部屋】的
という事実に。
▼それは【理科の部屋】20年史とインターネットの歴史とがリンクしている事実と深く関係していると思っている。
仮にこれから先10年を含めて【理科の部屋】30年史が書かれることがあったとしてもこの事実はかわらないだろう。
 今【理科の部屋】20年史年表にプロットしている点の延長線上に次なる展開があるのだろう。
だからこそ、この年表に意味があるのである。

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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【授業】21世紀の学問は「読み!書き!「原子論」!」から

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▼昨日もともかく暑かった!!日射しもきつかった。
「雲見」の一方で地上に目をやった。定点観測地Aのヒガンバナは地上最期の姿だった。
これで雨がふれば、朽ち果てた葉の残骸は流されていくだろう。
地下の球根で今なにが起こっているだろう?
どんな物質の変化がおこり、どんな生命の営みが繰り返されているのだろう?
それが妙に気になってしかたなかった。
▼大先達である田中実先生は最晩年、「中学生・高校生向き」にということで
◆『原子の発見』(田中実著 ちくま少年図書館43 1979.8.25)
を書かれた。
その著の最後を次の文章でしめくくっておられる。

二〇〇〇年以上ものながい間、科学者たちが探求をつづけた原子が、ついに仮説ではなくなって、原子の秘密がつぎつぎにわかってきた話を、わたしは原爆の悲劇でおしまいにしたくない。なぜなら二〇世紀がはじまって約八〇年のあいだに、科学者は原子についてたくさんのこと発見し、太陽や地球から銀河系までの宇宙、その宇宙のなかに生まれた生命、つまりは自然の全体の姿を科学の目によってとらえることに成功しつつあるからだ。 また原子について発見した知識は、工業、農業、医学など、すべての技術に応用されて、人間の生活を根本から変えて、一九世紀の人びとには予想もつかなかったあたらしい文明がひらかれようとしているからだ。 しかしこれらの科学や技術のあたらしい進歩については、読者のみなさんが学校で学んだり、本でしらべたりできるので、『原子の発見』の物語は、このへんでおしまいにすることにしよう。(同書 P214より)

それから34年が経った。
21世紀の今、「原子」の眼で物質を見るということはどんな意味があるのだろう?
原子論的物質観はどこまで有効なのだろうか?
▼「物質の出入りがなければ質量は保存される」という「質量保存の法則」の実験3題の授業をやった後だった。
ひとりの生徒が教卓に近くへきて言った。
「なんでか、いまやっていることものすごくよくわかるねん!」
「そやけど、私、他のところやりだしたらあかんねん…」
最初何を言っているのかよくわからなかった。
ただ「今、やっていることがわかる」と言ってくれていることがうれしかった。
きっと「原子」が見えてきているんだろうと思った。
あとで考えてみると、他の分野の勉強に入ったとき、こんなにわかるだろうかという不安を言いたかったのだろう。
▼「それは大丈夫や!」と生半可な応答だけになってしまった。
申し訳ないことをした。今なら言える。
「原子が見えてきたのなら大丈夫や!!」と。

「生命」「エネルギー」「地球」「宇宙」の学習もすべてはこの延長線上にあるものなんや。
学習だけでない、「くらし」もそうなんだ。
少し大風呂敷ひろげて言おう。
21世紀の学問は「読み!書き!「原子論」!」から始まるんだ!!

ヒガンバナの地下の生命の営みも「原子論」で見たら見えてくるだろうか?

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【授業】「質量保存の法則」はアタリマエ!?

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▼なんという暑さだ!!
「梅雨晴間」などというものではなかった。真夏そのものだった。
気温は34.2℃まであがっていた。
「雲見」もすっかり夏バージョンだった。きっと大きな積乱雲・入道雲ができるだろうと思っていた。
ところがその予想はちがっていた。
夕方には雲はすっかり消えていた!!
▼「消えていたら、無くなっている」と考えるのがアタリマエ!!
丸底フラスコのなかに酸素をいっぱいつめた。そして炭のかけらを入れた。
丸底フラスコを加熱して炭に火をつけた。
丸底フラスコをグルグル回す。火のついた炭がきれいだ!!
火が消えて回すのをやめると、炭は消えていた。
原子の絵も描いて考えたみた。二酸化炭素になったのだ。(石灰水で確かめた。)
質量を測ってみた、変わりはなかった。
アタリマエだ、炭素原子は不滅だ!!丸底フラスコのなかにちゃんとあるのだから…。
これがひとつの「原子論」へのシナリオであった。
いったんは納得したかに思えた。
しかし、…。
▼ラボアジェがそれまでの自分の考えをまとめ、「教科書」をつくったのは1789年。
そこで質量不変の法則を次のように述べていた。

「……すべての操作において、その前後等量の物質が存在すること、および、元素の質と量とは同一のままで、ただ変化と変態のみがおこること、これらのことは公理とみなすことができる……」(ラボアジェ『化学教科書』1789年、原定雄訳より)『化学のすすめ』p88より

「元素」が「原子」になるのはもう少し後のことだった。
▼それから224年経った今、現行学習指導要領ではこうだ。
(ア) 化学変化と質量の保存
 化学変化の前後における物質の質量を測定する実験を行い,反応物の質量の総和と生成物の質量の総和が等しいことを見いだすこと。

こうしてみるくると
「質量保存の法則」は化学変化の鉄則中の鉄則といえる。
▼「原子」が見えるようになれば、これはアタリマエ中のアタリマエ!!
それが今回の授業の文脈であった。
でも翻って考えてみると、それはそんな簡単なことだろうか。
仮に「原子」が見えはじめたとしても、モノが消えて見えなくなったしまったら、それはやっぱり「無くなってしまった」と考えてしまうのである。
 何千もかけてやっとたどり着いた「原子」。
そうやすやすとわかった!!ことにはならないのだ。
「質量保存の法則」がほんとうにアタリマエ!!
と言えるまでには「ナルホド!やっぱり」体験を繰り返す必要があるんだ。
道のりが遠いほど、感動も大きいのだ。
何度も使ってみてこそ、ツカイモノになるのだ。

今日も朝から日射しがきつい。今日はどんな雲が見えてくるだろう。
また消えてしまうだろうか。それとも…。

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【授業】化学変化が起これば熱の出入りがあるんダ!?

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▼賢治の「雲見」!!
寅彦の「宇宙見物」!!
このふたつの「空見」を見逃したら人生の半分の楽しみを逃すことになる。
だって空は半分の180度の世界を占めているのだから…。

昨日の「雲見」はすっかり真夏だった!!
定点観測地からの「雲見」、方角を変えて見た。
雲は、刻々と姿かたちを変えていった。その変化を見ているいつまでも飽きなかった。
雲は見えない大気の動きを可視化してくれていた。
▼見えない「化学変化」を体感できる有力な方法があった。
それが熱の出入りだ!!
化学変化が起これば必ず熱の出入りがあるのだ!!
逆も言える
熱の出入りがあればそれは化学変化が起こっている証拠だ!!
これはもっとも大切されるべき化学変化のルールだ。
それも使えるルールだ。
可視化できない化学変化も、このルールを使えば見えてくるのだ。
▼熱の出入りのうち発熱の方は比較的納得しやすい。
くらしのなかにもあった。
「化学カイロ」はその典型でもあった。
この「化学カイロ」がブームになり出した頃の新聞記事(30年前のもの)があった。
今はなんの珍しさもないものだ。今ではどれほどの量が出回っているのだろう。
しかし、あらためて理科室で実験してみれば驚くのである。
「なんで熱くなるや!?」
「ほんまや熱がでてきた!!」
「どんどん温度あがってきたぜ」
と。
▼問題は「吸熱」だ!!
「熱が入ってくる、だから温度がさがる???」
「…」
「まわりから熱を奪って入ってくる。だからまわりが…」

「熱が吸収されるんやったら温度あがるんとちがうん???」

一見ナルホドの「ふしぎ!?」だ。
誤解しやすい「ふしぎ!?」だ。
しかし奥が深い「ふしぎ!?」だ!!
化学変化の本質に迫るものがある。
「熱エルギー」
「温度」
「化学エネルギー」「エネルギー」 …???????

 

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【授業】見えないものが見えはじめるとき…!!

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▼降りそうで降らない雨だった。
夕方になって大賀ハスの観察池に行って愕然としてしまった。
アブラムシがさらに大量に発生していた。せっかくのびてきた花芽は集中的にねらわれているようにも見える。
そのときさらに愕然としたことがある。
ついにテントウムシまで出現したのである。
あとで調べてみると大きな間違いをしていたことに気づいた。
テントウムシは味方だった。アブラムシにとっては天敵だったのである。
テントウムシにとってアブラムシは大好物だったのだ。
アブラムシとテントウムシと大賀ハスのツナガリが見えてきた。
そのツナガリが見えてくると面白い!!と思った。
そしたら次なる「ふしぎ!?」が生まれてきた。
なぜ今年は、こんなにアブラムシが大量に発生しているんだ!?
▼物質の「ふしぎ!?」を追いかける「化学変化」の授業を再開した。
この「ふしぎ!?」を解く鍵は「原子」にあると思っていた。
繰り返す。
Atom
これがこの授業の核となるシナリオであると思っていた。
再開してもそれには変わりはなかった。
見えない「原子」が見えはじめるとき、そこに「科学」がはじまると確信していた。
▼でも一筋縄ではいかない!!
何しろ「お化け」変化が相手だ。
しかし「お化け」と「原子」と決定的にちがうところがある。
21世紀の今、「原子」の実存は紛れもない事実なんである。
暗礁に乗り上げればここから再出発すればいい。
▼実験が予想通りの結果にならなければ、もういちど「原子」から考えればいい。
見えない「原子」が見えるつもりで考察すればいい。
それこそが「科学」のはじまりなんだから…

原子論的物質観は「科学」のはじまりだ。
誰にもわかるものでなければ「科学」とは言えない。
まだまだ「のぼり おり」の繰り返しが必要なようだ。

今朝、テントウムシはまだいた!!まわりのアブラムシは消えていた!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(269)

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▼昨日の朝の散策でオハグロトンボの初見をした。
オハグロトンボと言えば、私自身の夏休みの「自由研究」のテーマに選んだひとつだった。
あの羽のひらきかた方の意味を問いたかったのだ。ちょっとだけ開いて閉じ再び大きく開く、「なにをしているんだろう?」。そこに私の「ふしぎ!?」があった。
 オハグロトンボの「初見」で気がついた。もうそんな季節になっているのだ。
▼3.11から2年と3ヶ月である。
 【理科の部屋】20年史年表で「歴史」を追っているせいだろうか。
「今、どこにいるのだろう?」それがずっと気になるのだ。
▼3.11から3ヶ月後の6.11。ちょうど2年前の今日、2011.6.11。
「理科ハウスの「空気」を吸う会」であった。
 そこで、3.11からずっと頭のなかなかにあったモヤモヤの正体が見えはじめた気がしていた。
あれから地球は太陽のまわりを2回転した!!
▼「今、どこにいるのだろう?」
「今、何をしているのだろう?」
再び自分に問いかけてみる。

私は、サイエンスコミュケーターとして5つの課題を設けていた。

(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

ひとつひとつの課題について2つの問いかけてみる一日にしてみようと思う。
オハグロトンボの数はもっと増えたかな。

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【Web更新6/9】13-23「サイエンスコミュニケーター宣言」 等 更新!!

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花石榴 二階の窓も 染めにけり 13/06/08 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-23
週末定例更新のお知らせ
 今日は「時の記念日」!
「ゆっくり歩む者は遠くへ行く」という西洋のコトワザがある。そんなりっぱなものではない、ともかく私は「ゆっくり」なんである。昔から「鈍」である、今さら変えようもない。
 「それが私のライフスタイル!!」と居直るしか手はない。
ならば、同じ「ゆっくり」でも 
 ゆっくり 急ぐ!! 
で行こう。

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ 花石榴
 二階の部屋の窓ガラス赤く染まった。閉まったままでは俄には気づかなかった。
窓を驚いた。石榴の花だ!!
それにしても背が高くなったものだ。この石榴の木、古木になって数年前に幹の部分で切り倒したはずだった。
それなのにいつのまにやら生き残った部分が再生してきたのだ。
横へ広がるのは通行の邪魔になるので剪定したそしたらぐいぐいと天をめざしてのびだしたのだ。
ちょうど二階からながめるのに格好の高さだ。
それにしていい色だ。朱色!!花びらの皺は和紙の風情もある。
一週間は楽しめるかな。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 【理科の部屋】20年史年表づくりを進めている。最近の「歴史」をプロットしているといつしか、それは「私の」【理科の部屋】20年史になってしまっている気がする。
ある程度はセミパブリックなものをめざすが、どうしても「私の場合は…」になってしまう。
それでいいとも思っている。
 また他の人がこの20年を語ってくれたら…。
 その多様さこそが【理科の部屋】の特徴であったはずなのだから。

◆オンライン「寅の日」 更新
 第36回の「藤の実」に関連して、平田森三著『キリンのまだら』(早川書房)に面白い文章があると教えられて、さっそく読んでみた。さすがだ!!
 実に面白かった。このようにオンライン「寅の日」を契機にいろんな発展があると面白いなと思う。

さあ一週間がはじまる。
今週はどこまで遠くへ行けるかな。
ゆっくり 急ごう!! 

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サイエンスコミュニケーター宣言(268)

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▼大賀ハス蓮根の植え替えから10週目の定例観察日。今年の展開は早かった、すでに第三の花芽がのびてきた。第三の花芽は大きな葉の笠に守られるようにのびてきている。
 気になることがある。今年は葉にも花芽にもアブラムシが目立つことである。これで無事、「あこがれの4日間」はやってくるのだろうか。
 それにしても、この時期になると決まって「よくぞここまで…」という気持ちになる。
それは、大賀一郎先生が68歳の春だった。1951年(昭和26)三月三十日、千葉県千葉市検見川の泥炭層から約二千年前の古蓮の実を得たのは。
 それから62年の時空を超えてここにある!!ここに花開こうとしているのである。
それを考えるとワクワクしてくるのである。
▼日本の「理科」127年の歴史になかに【理科の部屋】20年史を位置づける作業を続ける。
戦後の理科教育史をみていくとき私にはものすごく参考にしてきた一冊の本がある。
それが
◆『教育実践検討サークル~創造する東北の教師たち~』 (中村 敏弘著 国土社 1975.11.5)
それはちょうど私が理科教師なった年に出されていた。
私は、理科教師人生の節目節目にこの本を読んだ。
そしていつも教えられきた。
「これから」を。
▼この本の最後のところに

●『あるサークルとゼミの歴史』年表

がある。その年表には1951年(昭和26)~1960年(昭和35)のすべてが書かれていた。
「歴史」を書き記すことについて「あとがき」でこうも語っておられた。
 この仕事は、そのあとをついでいる私たち若いものがしなければならないことであるが、莫大なエネルギーを必要とする困難な作業である。そのためか、いまだに手がつけられないでいる。貴重な月日は刻々と過ぎ去っており、やがて歴史は埋もれてしまうかもしれない。いま、誰かが、どこからか手をつければ、それを足がかりとして、他の人が前にのばし、横にひろげることができる。この「歴史」はその役に立つであろう。(同書P590より)

▼私は、この年表のつづきを知りたいと強く思った。
幸いなことに中村敏弘さんは当初よりずっと【理科の部屋】に参加してくださっていた。
さらにありがたいことにその機会が2012年8月1日訪れた。
●ファラデーラボ 「夏の学び舎」~科学教育研究の歴史を学ぶ~
である。
くわしくは
・今なぜ「日本理科教育史」なのか?(7)
・今なぜ「日本理科教育史」なのか?(8)
・今なぜ「日本理科教育史」なのか?(9)
に記録していた。

これも【理科の部屋】20年史年表にプロットしてみた。
この年表づくりもあの『あるサークルとゼミの歴史』年表のつづきを書きたいと思ったからかもしれない。

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サイエンスコミュニケーター宣言(267)

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▼今朝も目覚めの音楽はカエル君たちの大合唱だ。ときおりウシガエルのバスも混じっている。
そう言えば、昨日も「雲見」とき、カエル君たちのことを思い出していた。
元祖「雲見」は賢治のカエル君たちだった。

眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。 「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」 「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」 「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」 (宮沢賢治『蛙のゴム靴』より)

▼そうだ!宮沢賢治と言えば、「デクノボーの科学」だ。
「デクノボーの科学」もここ数年「私の科学」を追いかけるなかで出会った私には特別の意味をもつものだった。
「ファラデーの科学」
「熊楠の科学」
等とともに…。
 2012年11月10日(土)、11日(日)のサイエンスアゴラ2012の見学もやはり「私の科学」を追いかけるためのものであった。
▼前年の参加と少しちがうところがあった。
それは
●「科学は交叉するところに生まれる!!」
という作業仮説の検証が主なねらいであった。
くわしくは
・サイエンスコミュニケーター(177)
・サイエンスコミュニケーター(181)
・サイエンスコミュニケーター(182)
あたりに記録していた。
▼自分の知らなかった「私の科学」に出会い、学ぶことは楽しく面白い!!
しかし、多くの「私の科学」が交叉(交流)し、あらたな科学が生まれる瞬間を体験するのはもっと面白く楽しい。
これぞサイエンスコミュニケーションの醍醐味だ。
「科学は交叉するところに生まれる!!」
に確信が生まれてきた。

かつて「情報は発信するところに集まる」は【理科の部屋】の合い言葉だった。
「科学」のみならず「情報」もだと思った。
「情報は交叉するところに生まれる」は次なる合い言葉にしたいと思った。

【理科の部屋】20年史年表サイエンスアゴラ2012参加もプロットしておこう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(266)

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▼「雲見」の空はもう泣き出しそうだった。
ゴロゴロ ゴロゴロ
と音も響いてきた。
見えない大気の運動を見るたったひとつのルール
「上がると ザアザア 下がると カラカラ」
これを呪文のように繰り返していた。
これが「私の科学」!!
▼日本に「理科」がはじまったのは
●1886年(明治19)  「小学校令」 「小学校ノ学科及其程度」
である。(くわしくはサイエンスコミュニケーター宣言(89))
 従って日本の「理科」教育は127年の歴史をもつ。
その127年の歴史のなかに、【理科の部屋】20年史も位置づけたかった。
▼127年の歴史は紆余曲折し、不易と流行を繰り返していた。
アタリマエ!!
「不易」なものがあった。
それは「授業」である。
●私の小さな「ふしぎ!?」から「私の科学」へ
の「現場」である。
「私の科学」が生まれ育ったところである。
誰もが体験していた。
これまたアタリマエ!!
▼違和感の正体のひとつが見えかけていた。
なぜ現在進行形の「授業」を語られないのだろう?
その疑問があった。
 「これからの科学」を語りはじめるにはそれは必須ではないのか。
「理科離れ」の枕言葉で語りはじめられる「理科」 ???

ひとつの作業仮説が生まれた。
●サイエンスコミュニケーション最前線に理科の「授業」がある。
●理科教師こそは元来の「サイエンスコミュニケーター」である。

これはホントだろうか?

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サイエンスコミュニケーター宣言(265)

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▼続く梅雨晴間!栗の花が咲いていた。それは梅雨の雨を待っているかのようにも見えた。
それにしても「ふしぎ!?」花だ。
これが秋にはあのイガグリの栗の実になるなんて…。
俄には信じられなくて何日も観察を続けたことがある。
そして自分の目で確かめもした。
でもやっぱり「ふしぎ!?」
▼そうそれがここ数年の私のメインテーマでもあった。
●私の小さな「ふしぎ!?」から「私の科学」へ
私自身の「私の科学」と同時に他の人の「私の科学」にも興味があった。
それを知ることより豊かな「私の科学」にツナガル道だと思った。
とりわけ3.11以降の他の人の「私の科学」に興味があった。
 そこで、私は2011年11月18~20日のサイエンスアゴラ2011に参加した。
そのときの様子は 以下に記録していた。
●サイエンスコミュニケーター宣言(73)
●サイエンスコミュニケーター宣言(74)
●サイエンスコミュニケーター宣言(75)
●サイエンスコミュニケーター宣言(76)
▼それを【理科の部屋】20年史年表にプロットしてみた。
 参加の目的としていたことが達成できた。
でも、なんとも言えない違和感を覚えたことも確かである。
▼その違和感の正体を知りたくなった。
それは同時に
「サイエンスコミュニケーターとは?」
「私は、ほんとうにサイエンスコミュニケーターか?」
という自分自身へ問いかけのはじまりでもあった。

違和感の正体をさぐるために私には不遜なひとつの作業をはじめた。
それが『日本理科教育史』をふりかえることだった。

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本日(2013/06/05)、第36回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼梅雨晴間、私は武田康男さんの『雲のかお』と『自分で天気を予報できる本』を片手に「雲見」を楽しんでいた。
『雲のかお』にある「梅雨の中休みの空は、まるで雲の展覧会です。」は正しかった!
ほんとうに次から次といろんな雲を観察することができた。
飛行機雲も見えた。後著の「飛行機雲がすぐ消えると晴れ」もどうやら正しいようだ。
芒種の今日もいい天気が続きそうだ。
定点観測地の大賀ハス観察池には第三の花芽も顔を出した。
▼そんな今日(2013/06/05)は、第36回オンライン「寅の日」である。
6月の大きなテーマは「生命と時間」。
そのテーマと関連したものを連続して読んでみる。すべてがこれまでに読んだものだが、もう一度視点をかえて読んでみる。きっとまたちがった「発見」があるにちがいない。
◆第36回オンライン「寅の日」
●『藤の実』(青空文庫より)
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▼「藤の実」とはちょっと季節はずれかもしれない。
そんな気持ちが少しあった。だから昨日の朝、校庭周辺散策のとき、あのきれいだった藤の花の今を見に行った。ちゃんとマメになってぶら下がっていた。このマメが半年かけて熟し寅彦の言うようにある日、一斉にものすごい勢いで飛ぶのだろうか。今年は憶えていてぜひともその瞬間を見てみたいものだ!!
今回は、その「藤の実」そのものというより

それはとにかく、このように植物界の現象にもやはり一種の「潮時」とでもいったようなもののあることはこれまでにもたびたび気づいたことであった。
なんだか少し物すごいような気持ちがした。何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウィッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった。

ここらあたりに注目したい。
さらに続けて言う。

 この現象の生物学的機巧についてはわれわれ物理学の学徒には想像もつかない。しかし葉という物質が枝という物質から脱落する際にはともかくも一種の物理学的の現象が発現している事も確実である。このことはわれわれにいろいろな問題を暗示し、またいろいろの実験的研究を示唆する。もしも植物学者と物理学者と共同して研究することができたら案外おもしろいことにならないとも限らないと思うのである。

▼こう寅彦が書いたのが、1933年(昭和8年)である。今からちょうど80年前だ。
20年後に
●1953年 ワトソン・クリックによるDNAモデル(二重らせん構造)
70年後に
●2003年 ヒトゲノムの全配列解明

そして今である。
 ここで寅彦の言ったことは科学の言葉「アポトーシス」で説明されるらしい。

そう!!それが私は無性に知りたい。

四五月ごろ全国の各所でほとんど同時に山火事が突発する事がある。一日のうちに九州から奥羽(おうう)へかけて十数か所に山火事の起こる事は決して珍しくない。こういう場合は、たいてい顕著な不連続線が日本海から太平洋へ向かって進行の途中に本州島弧を通過する場合であることは、統計的研究の結果から明らかになったことである。「日が悪い」という漠然(ばくぜん)とした「説明」が、この場合には立派に科学的の言葉で置き換えられるのである。
現在の科学から見れば、単なる迷信であっても、未来のいつかの科学ではそれが立派に「説明」されることにならないとも限らない。少なくもそうはならないという証明も今のところなかなかむつかしいようである。

自分の不勉強を棚にあげて言うのもおこがましい話だが、
「ふしぎ!?」の科学的「説明」の言葉が知りたい!!

今日も「雲見」つづけてみようと思う。

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サイエンスコミュニケーター宣言(264)

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▼昨日はほんとうに梅雨入りしているのか疑うほどの梅雨晴間の天気だった。
一日中何度も何度も「雲見」を楽しんだ。
大賀ハスもふたつ目の花芽がのびてきた。
観察場所の草むしりをしたり、そこにいたイモムシの観察をしたりして過ごした。
もう夏だった!!
▼先日からすき間時間を利用して、【理科の部屋】20年史年表に思いついたことプロットする作業を続けている。
作業をしながらつくづくと思うことは、これは20年間の私自身の「学びの歴史」そのものであるということだ。
▼夏で「学ぶ」と言えばはずすことのできないものがあった。
【理科の部屋】開設以前からもずっとそこから学び続けてきていた。
科学教育研究協議会全国研究大会である。
1978年第25回松山大会から参加しはじめて1989年第36回宮崎大会まで12年間ずっと連続して参加していた。
 私にとっては最大の情報源であり、最高の人との交流の場であった。
年表の「日本理科教育史、その他」の欄にこの20年間の科教協全国研究大会をサブテーマとともにプロットしてみた。
「自然科学をすべての国民に」のメインテーマとともに大会ごとに掲げられるサブテーマは、そのときどきの課題をよく表したものになっていた。
 サブテーマ20回のうち「授業」というフレーズが具体的に出てくるのは11回あった。
アタリマエと言えばアタリマエ!!
でも妙にナットクするのだった。

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【Web更新6/2】13-22 【授業】「化学変化」 等 更新!!

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手の泥を 落とすまもなく ゴンビかな 13/06/01 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-22
週末定例更新のお知らせ
 ここで全てを一度リセットしてみる。それが私にとってのWeb週末定例更新の意味である。
「うまくいった」「いかなかった」それはどうでもいいことだ!!
ともかくここで「これまで」と「これから」は分岐するのである。
He is what he was !!

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ ゴンビ
 やっぱりこれはわたしにとっては「ゴンビ」なんだ。他の地域の人はこれをそう呼ばないのか気になっていた。
『日本植物方言集成』(八坂書房)をひっぱり出してきて調べてみた。
「ナツグミ」の項をみた。「ゴンビ」はない、いちばん近そうなもので「ぐいび」(岡山)だ。
次に「グミ」の項をみた。やっぱりない。でもかなり近いものがあった。
「ぐんび」(兵庫(佐用))おー!!場所も近いではないか。きっと「ぐんび」→「ゴンビ」なんだ!!
今朝の小さな「発見」だ。
 
 ゴンビが赤く熟してきた。これを見ると田植えを思い出す。泥田からあがって手も足も洗わずまずはこれを口いっぱいに含んだ。甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。梅雨晴間の太陽はまぶしかった!!

◆【授業】「化学変化」更新!
 原子論的物質観が身についてくれば、「質量保存の法則」「定比例の法則」なんてアタリマエ!!
それが私のシナリオだった。
 ほんとうにそうだろうか。ことはそんな簡単であろうか。
ゆっくり 急ごう!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 【理科の部屋】20年史年表に「これまで」のプロット続けている。
今週はどこまでいけるだろう?楽しみである。
なお情報が入り次第随時年表の方は更新していきたい。

では一週間はじめよう!!

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【お薦め本】『自分で天気を予報できる本』(武田 康男著 中経出版)

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▼昨日は大賀ハスの定例観察日。
蓮根の植え替えから9週目であった。ちょうど2ヶ月であった。
実は気づいていた、梅雨に入ると同時だっただろう。
花芽がのびてきていた。最初は「ほんとうに花芽なのか」半信半疑だった。
しかしここまで大きくなると間違いはなさそうだ。
その花芽が梅雨のあいまの朝日にあたってほんとうにきれいだった。
これは絶対に写真を撮っておかねばと思った。
すぐ撮らなかった。「後で…」にしてしまったのだ。
数十分後だったが、もうみごとな朝日はなくなっていた。
悔しくて空を見上げた。
なんで得意の「雲見」をしなかったのかと…。
▼テレビの天気予報の精度もあがり、局所的な情報もかわるようになってきている。またネットも駆使すればよりリアルタイムの天気情報を入手できるようになってきている。
 しかしほんとう知りたい情報はそれだけでは十分ではない。
たった今、自分の頭の上の天気の変化を知りたいこともある。
いやそれどころでない。それを知ることが人の命にかかわるようなときだってあるのだ。
そんなときの天気予報の情報源は自分の頭の上の「空」である。
「観天望気」の天気予報はずっと昔から人々がやってきたこと。
【天気の変化】の学習の究極のねらいとしてきたこと、そのものズバリをあの武田康男さんが本にしてくれた。

■『自分で天気を予報できる本』(武田康男著 中経の文庫 2013.5.29)

▼武田康男さんの本には、これまでもずいぶん楽しませてもらってきた。
「雲見」「空見」の楽しみ方も教えられてきた。
武田さんの本でいつも感心することが2つある。
・写真がきれいである。それだけでない1枚1枚の写真に思い入れがある。
・文章がとてもわかりやすく説得力がある。
このことは武田さんは高校の地学先生を長く続けられていたことと関係するのではと思ったりするのである。
私なんか、つい「生徒」に仲間入りさせてもらう気分になるのである。
話が拡散しないうちにお薦めポイント3つあげておく。

(1) 天気の学習の究極のねらいに沿った「使える本」である。
   「読む本」+「見る本」→「使える本」
(2) 使い勝手よくつくられている。
   6つの天気マーク、見開き2ページ一項目など
   「晴れの章」「雨の章」「変わり目の章」3章仕立て
(3) 自分なりにカスタマイズして使える発展性がある。

   
▼言いたいことは書いたのであとは気づいたことあげていく。
「使える本」だと思ったのは、文庫版でいつも携帯できること、(2)と関連して見開き2ページで一項目になっているので、実際の自分の頭上の「空」と見比べながら自分で天気予報をたてるのに役立つ。
たとえば「飛行機雲」を見たなら
・「飛行機雲がすぐ消えると晴れ」(P20)
・「飛行機雲が成長するとだんだん雨」(P46)
「どっちだ?」と写真と見比べればいい。

たとえば「朝焼け」を見たなら
・「澄んだ朝焼けは晴れ」(P10)
・「悪天を告げる朝焼け」(P78)
と。

「富士山」「スカイツリー」が定番のように登場する。なげく必要はない。
むしろそれはカスタマイズのチャンスだ。自分の住むところの「あの山」「あの高い建物」に変えて考えればいい。
写真も撮って、自分の住むところだけの「ルール」もつくってみたいものだ。
それこそがこの本が呼びかけてくれていることなんだろう。

余談をひとつ。「鳥は風上を向く」(P72)このアタリマエ!!いたく感動した。

これで私には毎日の「雲見」のともがひとつ増えた!!


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【授業】人類はどのように金属をとりだしてきたか?

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▼今日から6月だ。梅雨がひと休みしていた。
それぞれの季節にはそれぞれをイメージする色がある。
私のイメージするこの季節の色は白だ。ドクダミの白十字、ヤマボウシの白…。
そんななかでこの石榴の花の朱色はなんとも新鮮で感動ものだ。
まだ蕾か。今からしばらくこれも楽しませてもらおう。
▼授業を綴ることをつづける。
酸素の奪い合いである酸化と還元が同時おこることを化学反応式で確かめた。
原子が見えだしたら、きわめてアタリマエ!!として理解できる。
だからと言って「わかった!!」という感動体験に即ツナガルわけではない。
▼教科書に『金属をとり出す歴史は還元の歴史』という科学読み物がある。
そこにずっと私が伝えたいと願ってきたことが書いてあった。
人間と金属のつきあいの歴史こそ、人間と物質のつきあいの歴史の中心をなすものであり、科学技術史の主文脈であると思ってきた。
▼とりわけ「鉄づくり」に興味をいだき続けてきた。
「粉鉄(こがね)七里に炭三里」の「たたら製鉄」は特にだ。
急遽、天児屋たたら公園(たたらの里学習館)を訪ねたのもそれと関連する。
だからと言って、うまく伝えることができたわけではない。
そんな簡単なものではなかった。

これについては私自身の夏休みの自由研究のテーマのひとつとしておきたい。
もう少し動いてみようと思う。


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