若狭に「丹生」を追う。(1)
▼今朝(2013/03/02)から若狭に「丹生」を旅にでることにした。朝が早いので、大賀ハス定例観察日を一日前倒しにした。植え替えから48週目であった。
雨が降る前だったが、観察池の水はたしかに温んでいた。少し緑っぽくもなっていた。
観察の後に雨は降りだした。雨も温んでいた。
▼「丹生」を追うそもそものはじまりは古い。
27年前に遡る。
●1986年 生徒の夏休みの自由研究(それも社会科)に、「郷土研究」として近くの「仁豊野」のはじまりは「丹生野」から来ているのではという報告があった。
その元情報『古代の朱』(松田壽男著)『丹生の研究』(松田壽男著)との出会い。
奈良で同じ興味をもつ人との出会い・情報
●1987年1月 神戸の「丹生山」へ行く。「丹生の朱土」発見地をみつける。
●1987年8月 中央構造線に「丹生」を追う。朱の製造遺跡をみる。
▼「水銀という金属と人間のかかわり」
「古代史と金属」
「金属と文化」
「断層と水銀」
「古代の科学技術」等々
興味は尽きなかった。しかし、自由に追う時間は確保できなかった。
情報をストックしておくWebページだけはつくっておいた。
◆2001年2月 Webページ『丹生を追う』
▼そして昨年ついに東大寺修二会(「お水取り」)に行った。
●2012年3月 ・ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!
・ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!(2)
そこで確かに見たのは「遠敷神社」と「若狭井」だった。
ならば、ここへ「お水」を送ってくる若狭の「お水送り」の行事をどうしてもこの目で見たくなった。
「お水」とはなんなのだ?
「お水」と「丹生」の関係は?
不老不死伝説と「丹生」の関係は?
若狭に「断層」は?
もうすぐ出発しよう!!
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