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2013大賀ハスの植え替えをした!!(2)

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▼日をあらためて2013年度の大賀ハス観察池づくりのつづきをやった。方法は、ここ何年間かやっている<大賀式栽培法>(『蓮~ハスを楽しむ~』監修 北村文雄 ネット武蔵野より)である。まずポリ容器(径60㎝)の底に土を8~10㎝程度入れる。そして身欠きニシンを2枚(ニシン一匹分)をまん中におく。
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▼さらに土8~10㎝程度入れて、その上に蒸し大豆を数十粒をばらまいた。
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▼身欠きニシンと蒸し大豆はここ数年の定番肥料。
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▼また土を5㎝程度かぶせ、いよいよ種レンコンを置く。今年の蓮根の成長度合いを見ているとひとつで十分であると思うのだが、そこはまだまだシロウトの浅はかさで、ついつい用心のためと2つそれも大きなものを置いてしまうのだった。
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▼また、その上に芽がかくれる程度に土をかぶせた。
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▼そして、ゆっくりと水をはって完成である。

残った蓮根をどのようにするか。それから水栽培分の植え替え、種から育て分の植え替え等まだまだ時間をかける必要があると思っている。
 とりあえずは「観察池」だけは2013年度がこれでスタートする。
さあ、今年はいくつの「あこがれの4日間」を観察することができるだろう。
楽しみである。

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2013大賀ハスの植え替えをした!!(1)

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▼一年間観察を続けてきた大賀ハスの蓮根の植え替えをした。今年はいっきょに時間がとれないので何回かに分けてすることにする。まずは、観察池(私はこの容器を勝手にそうよんでいる)最後の姿を観察した。
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▼観察池をひっくりかえしてみた。予想以上にたいへんなことになっていた。
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▼1時間ばかりホースで水をかけてみた。泥が洗い流されその全体の姿が見えてきた。
あらためて驚く!!
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▼とぐろを巻く蓮根をのばしはじめる。今年はなかなか手強い!!
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▼なかなか広げきれるものではなかった。
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▼大きな蓮根で長さ25㎝までになっていた。
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▼思わぬ時間がかかった。もう出かける時間になっていた。
もう一度、観察池にもどし、昨日はここまでとした。

今日はそのつづきをやってまた出かけよう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(247)

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さまざまの事思い出す桜かな 芭蕉

▼校庭の桜がほころびはじめた。桜が咲いている期間というのはきわめて短い。それでもそのときどきの魅力がある。しばしの期間楽しませてもらおう。
 それにしても芭蕉はうまいな。シロウトの私が言うのが恥ずかしいが、これぞ理想の一句である。
その芭蕉は世界の「不易と流行」を説いた。
▼【理科の部屋】20年史においても、「不易と流行」があった。
それをつづけて追いかけてみよう。
まずネット環境の「不易と流行」を「これからのためのインターネット年表」(『Tweet&Shout 』津田 大介著より)
から関連しそうなものをピックアップしていた。1995年まできていた。

●1996年 1月、Yahoo!Japan設立
・7月、日本のNECのパソコン通信サービス「PC-VAN」とインターネット接続サービス「mesh」、コンテンツサービス「Cyber Plaza」を統合し、インターネットサービスプロバイダ「BIGLOBE」を開始
・8月、NTTと文部省の共同による学校にISDN回線などを利用したインターネット接続環境を整備する構想「こねっと・プラン」開始
・12月、NIFTY-Serveがインターネット接続サービスを開始
・12月、NTT/NTTコミュニケーションズがインターネット接続プロバイダーサービス「OCN」開始

●1997年 2月、国内インターネット人口は、5,718,000人【インターネット白書'97】
・3月、ロボット型検索「goo」開始
・7月、「青空文庫」開始

●1998年 2月、国内インターネット人口は、1000万人を突破【インターネット白書'98】
・8月、Microsoft Corporationが「Widows98」を発売
・9月、Google,Inc.創設

●1999年 2月、日本国内のインターネット人口が、1,508万人に。家庭の利用者が初めて法人利用者を抜く【インターネット白書 1999】

●2000年 全世界のインターネット利用者数が3億9,930万人になる。
・日本のインターネット利用人口が4,708万人となる【総務省通信利用動向調査・世帯編】
・Webの総ページ数が1億を突破
・7月、日本国内オンライン書店「bk1」オープン
・11月、「Amazon.co.jp」サービス開始
・12月、NHKがニュースのインターネット配信を開始

▼ここまで20世紀は終わりである。
NHKが出てきたところで思い出したが、NHKの人気番組「クローズアップ現代」も【理科の部屋】と同じく今年で20周年になるらしい。
 そこで20周年を記念して特設サイトがつくられている。
◆クローズアップ現代20th
20年間の「現在地」がわかってとても面白い!!
それに、これから【理科の部屋】20年史を編んでいくうえでとても参考になりそうだ。
▼ネット環境の変遷を見ているだけでも、そのときどきの自分自身の環境を思い出したりして作業は遅々たるものになってしまう。
 しかし、この作業がとても面白くなってきている。
ネット環境の20年史をみた後に、【理科の部屋】そのものの「不易と流行」の20年史を重ねていくつもりである。
それは遠大なる作業になりそうだ。
でも
ゆっくり ゆっくり急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(246)

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▼雨の中、わずかに咲き始めた桜の写真を撮りたくて校庭周辺を歩いていた。そしたら、桜の木の下ちかくで、もう春を満喫しているものを見つけた!!フキノトウである。それもひとつふたつでなく群落となっていた。
雨に濡れながらも元気よくのびていた。

▼【理科の部屋】20年史をつづけよう。
【理科の部屋】開設までのネット環境の歴史をみていた。つづける前にNIFTY-Serveそのものの歴史についても少し触れておく。
●1987年 4月NIFTY-Serveサービス開始
●1990年 3月会員 10万人突破
●1991年 3月会員 20万人突破 12月30万人突破
●1992年 8月会員 40万人突破  
●1993年 5月会員 50万人突破
(『ニフティーサーブ成功の軌跡』小林憲夫著より)
このようにして「NIFTY-Serveという時代」が幕を開けていたのである。

▼再び「これからのためのインターネット年表」よりピックアップしてみる。

●1994年 JUNET終了。
・6月、文部省、通産省による初等中等教育におけるインターネット利用 を促進する「100校プロジェクト」開始
・10月、「窓の杜」(開設当初の名称は「秋保窓」)、東北大学のサイトで開設。
・12月、日本でベッコアメ・インターネット設立

●1995年 2月、米国パソコン通信サービス(Compuserve、AOL、Prodigy)がインターネット接続サービス開始
・4月、日本国内NIFTY-Serve会員が100万人突破(1996年には200万人突破)
・8月、Microsoft Corporationが「Widows95」発売(※英語版)
・8月、Microsoft Corporationが「Internet Explorer1.0」発表
・12月、「インターネット」が1995年の年間流行語に選定

▼「1.17」の年、1995年は「日本のインターネット元年」とも言われる年である。
その年の8月インターネット版【理科の部屋】は開設されたのである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(245)

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▼久しぶりに長くいつもの定点観測地で「雲見」をした。
寒かった!!いっときは春を飛び越えて初夏を思わせるような暖かさであったのに。
この寒さはどうなっているんだ。こんなのを「寒の戻り」と言うのだろうか。
そうだ!!季節は直線的に変化しない、行きつ戻りつ螺旋的に変化するものなのだ。
▼時代の変化もそんなものなのかも知れない。
「私の理科教育史」を追う作業もしばらく頓挫していた。
【理科の部屋】のはじまったあたりで(93.11.23)。
【理科の部屋】の拡がりが大きすぎて、どこから手をつけていいものやら躊躇していたのだ。
私一人の手に負えるような「作業」ではないと尻込みしていたのだ。
 しかし、挫折を恐れていてはなにもはじまらない!!
私は決意した!!
(1) 私の【理科の部屋】20年史を書きはじめる。
(2) あくまで等身大に、現在進行形で語っていく。
(3) 「これから」を射程に入れて語っていく。

▼そのことには前々から気づいた。
【理科の部屋】の歴史とネットの歴史の重なりである。
【理科の部屋】はネットの世界に誕生したのだから、アタリマエと言えばアタリマエすぎることではあるが。
そこで、最初に「ネットの歴史」を概観することからはじめて見ようと思う。
参考に引用させてもらうのは【お薦め本】にあげさせてもらった
『Tweet&Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる 』(津田 大介著 SPACE SHOWER BOOKS 2013.02.25)
の「これからのためのインターネット年表」である。
▼季節の移り変わりと同様、行きつ戻りつになるだろう。
ひとつ、ひとつ自分の判断でプロットしてみる。
●1957年 アメリカ合衆国が国防総省内にコンピュータのソフトウェアとハードウェアをネットワークを使って共同利用するARPA(Advanced Research Projects Agency/高等研究計画局)設立

●1984年 日本の学術組織を結んだ研究用のコンピュータネットワーク「JUNNET」(Japan University NETwork)が東京大学と慶応義塾大学と東京工業大学を繋いで運用開始
・USENETが初めてニュースグループを導入

●1986年 日本のJUNETがCSNETに接続(日本初の海外接続)

●1987年 日本でインターネットに関する研究プロジェクト「WIDE プロジェクト」開始。翌年TCP/IPの使用を開始

●1988年 日本でのISDNサービス開始

●1990年 ARPANETが終了

●1991年 CERN(Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire/欧州合同素粒子原子核研究機構)のティム・バーナーズ・リーが「ワールドワイドウェブ(WWW)」を開発
・世界初のHTML(The First Vesion of HTML)発表

●1992年 日本で最初のホームページが発信される。

そして、【理科の部屋】は1993/11/23にはじまった。

<つづく>

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【Web更新3/24】13-12「新・クラウド「整理学」試論」更新!!

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連翹や 緑待たずに 花明かり 13/03/23 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-12
週末定例更新のお知らせ
 2012年度もラスト一週間となってしまった。古いものと新しいものが交叉する季節である。
そんな季節にはきまって生活のリズムも乱れてくる。そうなったら私は自分できめたアタリマエのことを繰り返すことをしながらこの生活のリズムを取り返そうとする。
 その「きめたアタリマエのこと」とは更新である。
 Web更新/週、blog更新/日、Twitter・Facebook更新/随時である。
枷にはならない程度にやっていると、いつしかそれは「習慣」となってしまっていたのだ。

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ 連翹
 西の庭にこの木があることすら忘れてしまっていた。この花が咲いて庭はいっきょにパッと明るくなるのである。
遠くからもそれに気づいた。近くによって見てみると「ふしぎ!?」なことに気づいた。
葉がないのである。さらにくわしく見てみると葉がてっぺんの方に出かけていた。
何でだろう!?なにか理由があるのだろうか。
私は知らない。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新!
 「整理」の季節であるのに、ほんの少しだけ手をつけたにすぎない。
こんなたいそうなタイトルをつけて語るのも恥ずかしいようなことだ。
だからと言って、別の方法を今さらとることはできない。
遅々として進まぬ「整理」だが、少しずつでも歩をすすめるしかないのである。
ただこれだけは言える。
 クラウド「整理学」はいつ、どこからはじめてもツナゲルことができるのである。
これはほんと便利だ!!

◆オンライン「寅の日」 更新!
 2012年度のオンライン「寅の日」は終わった。
なんとか一年間は継続した。私のなかでは、「成果」は大きい!!
 オンラインで「学び合う」ことの可能性を教えてくれた。
 オフライン「寅の日」も射程に入れながら、2013年度も継続していきたい。

◆サイエンコミュニケーター宣言 更新!
 「私の理科教育史」を追う作業も、1990年代に入ってとぎれてしまっている。
【理科の部屋】がはじまるときまで来ていた。このあとは【理科の部屋】20年史と重なってしまうのである。
だから、ここからは私にとっての【理科の部屋】20年史を追いかけてみたいと思う。
少しずつ、少しずつ ゆっくり 急ぎながら!!

 
 

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本日(2013/03/25)、第30回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼前の田んぼの土手にツクシが顔を出していた。そうなんだと思って道端を見てみると次々と顔を出し、すでに胞子を飛ばしているものもあった。
 春になりツクシが顔を出し胞子を飛ばし、前葉体になりそこから新しい仲間が殖えていく。アタリマエのことだ!
このアタリマエの営みをずっとずっと昔から繰り返してきた。我々人類が誕生する以前からだ。あの恐竜時代からだ。その営みを飽きもせずに繰り返してきた。だから、今年の春にもツクシは顔を出したのだ。
 私は、まだファラデーラボで聞いた道ノ前允直先生の「ホタルイカの身投げ」の研究の話を反芻していた。
話を聞きながら私はなぜか「寅彦」のことを思い出していた。
 「寅彦」がこの研究を聞いたらきっと「いいね!」を連発するだろうと思った。
▼その「寅彦」をオンラインで読みはじめて、本日(2013/03/25)でちょうど一年になる。
一年間で30回読んできた。一度も欠かすことなく30回繰り返すことができた。
ちょっとだけうれしい気分になる。
今日読むのは、「津浪と人間」だ。オンライン「寅の日」は2度目になる。
◆第30回オンライン「寅の日」
●「津浪と人間」(青空文庫より)
▼今年の3.11からちょうど2週間がたった。
一週間たった日には南海トラフ地震の被害想定が公表された。
そんな状況のなかで、この「津浪と人間」を読む意義は大きいと思う。
そもそもこの文章が書かれたのはいつかとてみると、1933年(昭和8)5月である。
ちょうど80年前である。
 毎回のことながらまずはそれに驚いてしまうのである。
なんと今日的なことか!!と。
 ずっと気に入っている示唆的なこと言っている文がある。

しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである

「自然」は過去の習慣に忠実である。」
「科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。」
なんと含蓄のある言葉であろう。
うんと納得してしまうのである。ならばその「自然」とうまくつき合って行くにどうすればいいのか。
その方法についても言及していた。
残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

▼「天災は忘れたころにやって来る」の警鐘を晩年まで鳴らし続けた寅彦ならでは言葉がつづく。
さらに具体的にのべてくれている。
自然の方則は人間の力では枉(ま)げられない。この点では人間も昆虫も全く同じ境界(きょうがい)にある。それで吾々も昆虫と同様明日の事など心配せずに、その日その日を享楽して行って、一朝天災に襲われれば綺麗にあきらめる。そうして滅亡するか復興するかはただその時の偶然の運命に任せるということにする外はないという棄(す)て鉢(ばち)の哲学も可能である。
 しかし、昆虫はおそらく明日に関する知識はもっていないであろうと思われるのに、人間の科学は人間に未来の知識を授ける。この点はたしかに人間と昆虫とでちがうようである。それで日本国民のこれら災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろうと思われる。この水準を高めるには何よりも先ず、普通教育で、もっと立入った地震津浪の知識を授ける必要がある。

そして
それで日本のような、世界的に有名な地震国の小学校では少なくも毎年一回ずつ一時間や二時間くらい地震津浪に関する特別講演があっても決して不思議はないであろうと思われる。地震津浪の災害を予防するのはやはり学校で教える「愛国」の精神の具体的な発現方法の中でも最も手近で最も有効なものの一つであろうと思われるのである。

とまで言っているのである。
ここに「科学教育の可能性」「防災・減災教育の必要性」を説いてくれているのである。
たった今!すぐできる「防災・減災」の取り組みがある。
それは80年の時空を超えての寅彦の警鐘に耳を傾けることである。
オンライン「寅の日」をつづける限り、何度でも繰り返して読んでみたい。

これで今年度のオンライン「寅の日」は終了です。
来年度もオンライン「寅の日」は可能な限り継続します。
すでに4月の予定もあげていますので、また来年度もよろしくお願いします。

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ファラデーラボ創立2周年記念企画は楽しかった!!

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▼昨日は大賀ハス定例観察の最終日であった。蓮根の植え替えから51週目である。
来週末には再び植え替える予定である。「あこがれの4日間」が10回も訪れた観察池をひっくり返したらどんな蓮根が現れるか楽しみである。
▼そしてもうひとつの楽しみがあった。
ファラデーラボ創立2周年記念企画である。
 昼を過ぎてファラデーラボに向かった。
 着いたときにはもうすでに展示などが始まっていた。
第1部「かがく」お楽しみ広場がはじまった。教材・教具の交流である。
つきつぎと展開される「私のかがく」に感動である。
はじめて知る実験も多かった。
そのひとつひとつが面白く刺激的だった。楽しませてもらうのが精一杯で吸収させてもらうにはいっぱいありすぎぐらいだった。贅沢な悲鳴である!!
 いつしか自分のなかで
●「3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則」
●3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則
をあてはめていた。どれもがあてはまっていると思った。
やっぱりこの法則は有効であると実感した。
▼第2部は本日のメイン企画だった。
【記念講演】「ホタルイカのかがく」 -光受容蛋白質について-
講師  道之前允直先生  (甲南大学理工学部生物学科)
 これがきわめて興味深いものだった。
 まるで推理小説でも読んでいるような気分になった。
「研究」とはこのようなものか!と感動した。
とくに「ホタルイカの身投げ」の「ふしぎ!?」解明研究には「ヘー!!」「ナルホド!!」連発であった。
春の富山湾に無性に行ってみたくなった。
▼第3部・第4部でもそれぞれの人の「私のかがく」から学ばせてもらうのが続いた。
実に楽しく面白かった。
人に直接会って、具体物を眼にし、触りながらの「学び合い」はきわめて刺激的である。
「情報は発信するところに集まる」
からシフトして
「情報は交叉するところに生まれる」
は確信に近づいていくのだった。


 

 
 

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新・クラウド「整理学」試論(39)

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▼桜がはやく咲き出したというのであの「シロモクレン」が気になってきた。
あじさい公園のシロモクレンの林を見に行った。
まだだった。ちょっと安心すると同時に残念だった。
それにしても「ふしぎ!?」なものだ、こんなたくさんの蕾がひらきだすときは一斉なんだから!?
アタリマエと言えばそれまでなんだが。どんな合図(情報)があって一斉になるんだろう!?
「温かくなったから…」そんな単純かな?。いやそんな複雑かな?
▼今朝からTwitterの調子がおかしい。
なんでだろう。私がなにかしたのかな。根っこがわかっていない人間はいつもこういうときにこまるんだ。
こんなの何回も繰り返すあいだに、自分なりの「パソコントラブル対処法」のようなものができてしまった。
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
こんな状態で、「整理学」試論なんて語るのも恥ずかしいが、それも「等身大」でということでつづける。
私の情報整理学の三種の神器として「パソコン」「システム手帳」「袋ファイル」があったというところまで語った。
そして「袋ファイル」のメンテナンス作業の必要性を言った。
▼メンテナンスは、袋ファイルだけではなかった。
システム手帳も同様だった。
私のシステム手帳使用暦も長い。
梅棹忠夫の「カード」が、システム手帳のリフィルになったのである。
こんなの今だったらすべてパソコンでもっとスマートにできるんだろうと思うが、やっぱりアナログの方が私には使い勝手がいいんだ。なんでもかんでもそこにほりこんできた。
これもメンテナンスというより「廃棄」するときがきているようだ。
▼その手帳の最後に私と家族の「年表」をつくっている。
簡単にその年のできごとをメモっているだけだ。
ときどきそれをながめて、「現在地」を確認するのである。

今日は、ファラデーラボ2周年記念企画の日だ!!
どんな「私の科学」が出会えるだろう。
楽しみである。

 
 


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新・クラウド「整理学」試論(38)

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▼世間では桜が記録的な「早咲き」だと騒がれていた。
我が村の「花見」を広場の桜が気になってきた。いつも歩くコースを延長して様子を見に行った。
ちょっとほっとした気分になった。
まだ咲いていなかった。でも予定されている3週間後の「花見」までもつかな!?
▼なんでも私はスピードの速いのは苦手だ。
どうもいつもタイミングをはずすのである。ゆっくりゆっくりと自分のスピードで歩むのが好きだ。
実はそれしかできないのだが。(^^ゞポリポリ
  年度末で「整理」の季節だ。
この「整理」についても私はゆっくりゆっくりなんである。もう10数年前、21世紀になる前に妙なWebページを作っていた。
◆「21世紀の 教師のための情報学入門」
である。
 21世紀を前にして、情報「整理」学について私なりの構想があってつくったのであろう。
例によって道半ばですてやっていることが多い。
途切れ途切れには「更新」はしているようだが。
このなかに「学年末の「整理学」をあげていた。
▼そこに書いた私の情報整理のための三種の神器!!
・P(パソコン)
・S(システム手帳)
・F(袋ファイル)
実は私はクラウド時代の今もなおこれを使いつづけているのである。
「そんなガラパゴスな!」と思うようなことであるが、そうなんである。私にはいちばんピッタリとくるのである。
20数年以上この私の「情報整理」の基本システムは変わっていないのである。
ここまで来ると生涯は変えることはないだろうと思う。
▼基本システムは変えないにしても、「更新」と「メンテナンス」は絶体に必要であると思っている。
なかでも「袋ファイル」のメンテナンスは必須である。
わかってはいるがなかなかそれができていないのである。
袋ファイル作成のため定規の日付を見てみると、「1990.12.06」となっている。
従って手製の「袋ファイル」を使い始めて23年近く経っていることになる。
膨大な量の「袋ファィル」をつくったことになる。その数は何千になるだろう。
もちろんその都度ある程度、廃棄、更新はしているが、まだまだ部屋の書棚、ケースにあふれている。
これをなんとかすることから、私の「整理」ははじまるのだろう。
でもいっきょには無理である。
私のスピードでしか無理である。
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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真壁仁「峠」の季節だ!!

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▼春分の日。朝から曇っていた、定点観察地のヒガンバナを観察した。少しの遅い早いはあるがきっちりと秋のお彼岸には紅白のヒガンバナが咲く、その地点では春のお彼岸には葉が枯れる季節に入っている。シロバナヒガンバナの方が枯れが進んでいるように見える。毎年毎年同じように繰り返していることだ。忘れたりはしないのだ。
 自然とはなんとも律儀なものであることか!!
▼お昼過ぎに雨が降り出し、寺田寅彦記念館友の会誌「槲(かしわ)」と総会の案内が届いた。
「寺田寅彦記念館友の会公式ホームページ」立ち上げの経緯が出ていた。読ませてもらううちに作成者の「思い」のようなものが伝わってきてうれしくなってきた。
 昨年の夏、高知に「寅彦」を訪ねたときにも大いに利用させてもらったページある。
ますます充実していくことを願いたい。高知にまた行きたくなってしまった。
記念館の庭のシロバナヒガンバナも枯れていっているのだろうか。
▼19日には今年度最後の授業を終えた。
昨日は、途中になっていた過去の袋ファイルや道具類の整理を再開した。
過去何十年と繰り返している作業だ。
何度、繰り返してもやっぱり私は「整理ベタ」である。
でもこんなときの考え方にちょっとした変化が起こっているのに気づいた。
「そんなもの置いておいて、いつ使うんだ?」ともうひとり私が問いかけてくるようになったのだ。
私も「そりゃそうだ!!」と同意をせざるのを得ないのだ。
▼こんな季節はやっぱり真壁仁の「峠」だ!!
今年は少しながく引用させてもらおう。

風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。

今日も作業の手をとめたときはもう一度読んでみよう。

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2013年4月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼ 

落ちざまに虻(あぶ)を伏せたる椿かな

師・夏目漱石のこの一句に何十年とこだわり、椿の花は落ちるときうつ伏せに落ちるのか、仰向きに落ちるのかを物理実験を繰り返し確かめようとした寺田寅彦!!
 そしてその寅彦はこう言った。
 こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末(さまつ)な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。

なんと面白いことを言う人物だろう。
 その魅力に取り憑かれ、浅学をかえりみずはじめたオンライン「寅の日」がまもなく一年になる。
▼今日は春分である。
 にわかに春を通り越して初夏を思わせるあたたかさに、前の藪の椿がいっきょに咲き始めた。
すでに一昨日の強風で落下しているものもある。一本の木にまだ蕾のものも含めると50個近くある。
つい寅彦の真似をしたくなる衝動にかられる。
 三日坊主が常で飽き性の私が、寅彦の魅力に牽引されてなんとか一年間つづけることができた。
この4月からは2年目である。2年目もつづけようと思う。
4月は3回ある。年度がかわっても通算回数でいきたいと思う。
◆第31回オンライン「寅の日」…4/06(土)
◆第32回オンライン「寅の日」…4/18(木)
◆第33回オンライン「寅の日」…4/30(火)
▼さて、2年目、何を読むかである。
一年間30回読んで主だったものを読んでしまったなどと思うと、とんでもない話だ。
青空文庫の一覧表
◆作家別作品リスト:No.42 寺田寅彦 (青空文庫)
をみせてもらっているとわかるが、読んだのはほんの一部の一部であることがわかる。
 それに読んだものでもまだまだ浅い読みである。
来年度以降も、「これは」というものについては繰り返し、繰り返し読んでみたい。
ようするには読むネタに窮するということはまったくないのである。
▼4月、また新たな気持ちで読みはじめたい!!
まずは旬ものということで「春六題」を読んでみたい。
つづけて、少し系統立てて魅力いっぱいの「寺田物理学」関連のものを連続して読んでみたい。
2013年4月オンライン「寅の日」!!
◆第31回オンライン「寅の日」…4/06(土) 『春六題』(青空文庫より)
◆第32回オンライン「寅の日」…4/18(木) 『量的と質的と統計的と』(青空文庫より)
◆第33回オンライン「寅の日」…4/30(火) 『物理学圏外の物理現象』(青空文庫より)
来年度もできるだけ多くの人と一緒に読むことができたらうれしいな。
よろしく!!

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【お薦め本】『Tweet&Shout』(津田 大介著 SPACE SHOWER BOOKS)

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▼少しまだ余韻のなかにいた。日曜日の大阪・長居植物園での「観察会」である。多くの種類の樹木の花に感動した。はじめて知る花もあった。知っている花にもいろんな種類があるのことを教えてもらった。
 なかでも「サンシュユ」という花の美しさが眼に焼き付いた。
▼その長居植物園に向かう電車のなかで夢中になって読んだのが今回の【お薦め本】だ。

【お薦め本】『Tweet&Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる 』(津田 大介著 SPACE SHOWER BOOKS 2013.02.25)

 「なんでおまえがそんな本に夢中になるのか」と問われれば即答できない。
話せば長い話になるのである。
 私は2009.9.23にTwitterをはじめた。その十日ほど前に私は愛用してきたノートパソコンを壊してしまった。
やむにやまれず新しいノートパソコンを購入した。せっかく新しいパソコンを購入したのだから、この機会にこれまでやっていなかった新しいことをはじめようと思った。そして久しぶりにパソコン情報雑誌を購入した。
その雑誌にTwitterのことが出ていた。そしてこの人・津田大介のインタビュー記事が出ていた。
「tsudaる」という流行語の張本人というということでTwitterを熱く語っていた。
それが津田大介の名前をしったはじめだった。
 Twitterをはじめたころ、次々と出てくる「Twitter本」といわれるようなマニュアル本を読んでみた。
そのなかで『Twitter社会論』(津田大介著 洋泉社 2009.11.21)は異質な感じを受けた。それは単なるマニュアル本でないような気がした。
 語っていることが私には妙に説得力をもっていた。これはやがてTwitterの「原典」になるだろうと思った。
ちょっとしたファンになってしまった。2011年の秋には「追っかけ」までやってしまった。
 その後、昨年出された『情報の呼吸法』も【お薦め本】にした。
◆【お薦め本】 『情報の呼吸法』(津田大介著 朝日出版社)
その後も多方面で活躍し、TVや新聞にもよく登場するようになり、ますます「時の人」となっていった。
▼ああダメだ!前置きの長いダラダラ話になっている。
結論から行こう。この本を【お薦め本】にした理由は3つある。

(1) 社会とメディアの「現在地」をわかりやすく語っている。

(2) 3.11以降の「現場」の「今」が等身大に語られている。

(3) それぞれの「現場」での「これから」の生き方を示唆している。
  「これからのためのインターネット年表」が収録されている。

▼それにしても長ったらしい副題がついているものだ。
「なんなんだ!?」
この「ニュー・インディペンデント」というのは?
その答えを著書は「あとがき」に書いていた。

 「自由な創作環境を手に入れる」ということは、多くのしがらみや、他者や資本への依存から解放されるということでもある。ここ5年ほどの期間にソーシャルメディア、スマートフォン、クラウドコンピューティングという現在の情報環境を支える3つの重要な技術が一気に登場・普及したことで、かつての「インディーズ」とは異なる、真にクリエイターが独立して活動できる環境が整った。その状況の変化を意識し、独立して活動しているクリエイターのことを筆者は「ニュー・インディペンデント」と呼びたい。(同書P263)

なるほどと少し納得する。
 「時代」のクリエイターなどとはかけ離れたとこにいるポンコツ理科教師がなぜこんな本に興味を示すだろうか。
ましては私のいちばん不得意とする「音楽」の世界の話が中心である。
 自分でも説明ができない。
本を読み進めるうちに気づいてきた。
 「音楽」の「現場」のことを語りながらそれだけを語っているのではないということに。社会で生きるすべての人間の「現場」について語っているのである。
メディア・アクティビスト津田大介は「時代」の「現在地」を自らの業界にひきつけ次のように語っている。
商売を時代に合わせて変えているわけです。カメラ業界だってそうやって業態転換してきたのに、なぜ音楽業界だけが業態転換できないんだ?っていう話ですよ。(同書 P81~)

これは、すべての「業界」「現場」に言えることではないだろうか。
▼もう少し自らの「現場」にひきつけ私の文脈で読んでみた。
そのとき、最後に特別収録されている「これからのためのインターネット年表」はとても参考になる。
これだけでもこの本を手に入れる価値がある。
 私は【理科の部屋】20年史をこの年表に重ねあわせる作業をはじめてみた!!
ゆっくり ゆっくり 急ぎながら。

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【Web更新3/17】13-11「新・私の教材試論」更新!!

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菜の花や 土のいのちも 蘇り 13/03/16 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-11
週末定例更新のお知らせ
 昨日(17日)、大阪の長居植物園に行った。広大な空間の花と緑に感動した。とりわけたくさんの樹木の花に出会えたことは楽しかった。ツバキ園にはいろんな種類の椿が咲いていた。それ以外にもふだん歩いていて「この木の名前は?」というのもいっぱいありうれしかった。

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ 菜の花
 週末にやっと東の畑を耕しジャガイモの種イモを植えた。久しぶりの畑仕事でちよっと汗をかいた。いっきょにはなかなか耕せない、休み休みだ。手をやすめたとき顔あげると畑の南の端に菜の花がひとつ咲いていた。
この花をみるとほんとうに春だなという気分になるから不思議である。
 となりにはツクシも顔を出していた。

◆新・私の教材試論 !!更新
 実に久しぶりの更新である。
 定番化した実験・観察のルーツをたどる「現代理科教材発展史」の第2弾をやりたいと思っている。
第2弾は「究極のクリップモーター」でいきたいと思っている。
 ゆっくり ゆっくり 急ごう。

◆オンライン「寅の日」 更新
 本年度はあと一回、3/25(月)第30回オンライン「寅の日」を残すのみとなった。
また、そろそろ来年度4月の「寅の日」になにを読むかを決める時期になってきている。

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3/23(土)ファラデーラボ創立2周年記念企画!!

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▼昨日は大賀ハス植え替えから50週目の定例観察の日だった。観察池の蓮根の植え替えは50週前にやったのだが、観察しているのはそれだけではなかった。もうひとつあった。
 もうひとつは2012/05/16に発芽処理(この日付にも実は意味がある)をした種子から育てたぶんの観察である。今回は幸い三粒ともうまく育てることができ葉をのばし今は枯れている。
こちらの植え替えも楽しみである。どこまで蓮根が成長しているだろう。
▼ファラデーラボが創立2周年を記念しての企画の案内が「ファラデーラボ便り」にあった。

3月23日(土) 14:00~22:00

受付 13:30

第1部 14:00~16:00

     かがくお楽しみ広場

      教材・教具を交流します。持参歓迎、手ぶら歓迎です。

第2部 16:00~18:00

     記念講演
      「ホタルイカのかがく」 -光受容蛋白質について-
      講師  道之前允直先生  (甲南大学理工学部生物学科)

第3部 19:00~20:00
     夕食・懇親会

第4部 20:00~22:00

いかにもファラデーラボらしい楽しい企画だ。
私も参加させてもらうことにした。
▼ファラデーラボが創設されたのは2011.03.12だ。
つまり3.11の翌日だ。
 たいへんな状況のなかで開設されたわけである。
それから2年経った今、考えてみるにこの日付に偶然以上のすごく意味を感じてしまうのである。
ファラデーラボでは2年の歩みのなかで「かがくカフェ」を、なんと38回も実施してきている。
毎回、「かがくカフェ」「○○のかがく」というタイトルがつけられている。
ひらがなの「かがく」が意味するところは…。
私には、3.11以降の「科学」のありよう、方向性をも示唆しているように思えるのだが。
▼これまで何度もこのかがくカフェに参加させてもらい、たくさん「かがく」を学ばせてもらってきた。
自分とはちがった「私の科学」と出会い、学ぶことは実に楽しいものである。
今さらの「発見」もいっぱいあった。
 実際に顔を会わし、具体物に触れながらの「学び」は、きわてクリエイティブな「学び合い」となった。

情報は交叉するところに生まれる

を教えてくれた。
これからも…。


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新・私の教材試論(76)

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▼久しぶりにゆっくりと歩いてみた。そいつをみつけたのは墓地の入口だった。
セミの抜け殻である。別段めずらしいものでもないのかも知れない。
 しかし、昨日の私にはとても「ふしぎ!?」なものに見えた。
ほんとうに昨年の夏のものだろうか。?
こんな場所でどうして風雪に耐えたのだろう?
このずっと緑の葉を選んだのは単なる偶然だろうか?
まわりを見ているとこれひとつではなかった。
この場所がなにかの条件を満たしているのだろうか?
知ってしまえばアタリマエのことかも知れないが、「ふしぎ!?」がどんどん生まれてくるのだった。
▼そうその「ふしぎ!?」の感覚こそが「私の科学」のはじまりだった。
ついついアタリマエにしてしまって「科学」から遠ざかってしまいがちになる。
そんなとき、この「究極のクリップモーター」はそれを蘇らせてくれる。
磁石(磁界)と電流。これまで全然関係のないと思っていたものがつながる。
磁界のなかで電流は不思議な力を受ける。
なんと「ふしぎ!?」なことだろう。
モーターのはじまりである。
▼これを頭だけで理解するのでなく、自分の手を動かして体験して欲しい。
いつでも誰がやっても回る!!
だから「科学」だ!!「科学」の力で回すのだ!!
08/07/20 (日)にそれを普及させるために次のような会をつくった。
◆「究極のクリップモーター」を普及させる会
▼教科書にも定番化して登場するようになっている。
だから多くの小中学生が体験するようになっただろう。
ほんとうにそうなっているのだろうか。
もっと進化した「究極」が出てきているのでは…。
それを知りたい。情報を集めたい思ってきた。
ここ5年のあいだでもネット環境は大きく進化した。
今のネット環境を最大限に利用して、この情報を集めたい。
どんな小さな情報でも知りたい!!よろしくお願いします。

情報は発信するところに集まる!!


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新・私の教材試論(75)

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▼昨日は忙しい一日であった。定点観測地にたちやっと「雲見」ができたのは夕方であった。今朝はもう東大寺修二会(「お水取り」)の破壇は終わっただろう。いよいよ春が来る!!
▼久しぶりに新・私の教材試論を書いて、さらに定番「液体窒素実験」をやっていたら急にあの試みを継続してやってみたくなってきた。
あの試みとは、「現代理科教材発展史」である。
まだかたちあるものにしたのはひとつしかなかった。そのひとつとは
◆現代理科教材発展史「スライム」
である。
▼第2弾の候補をいくつかあげてみる。
・液体窒素
・ピンホールカメラ
・水から水素を取り出す
・カルメラ焼き
等々
なかでも自分も深く関わっていると思えるものとして「究極のクリップモーター」がある。
現代理科教材発展史の第2弾は「究極のクリモーター」でいこうと思う。
▼「究極のクリップモーター」のそもそものはじまりはいつだったのか。
私の記憶に少し修正が必要になった。
「記録」があったのだ。
◆『地下茎 26号』P11 闇市開業「もっと簡単になったクリップモーター」
1984年2月のことである。授業のなかから生まれたのである。
そのときはまだ「究極の」とはネーミングしていなかった。
▼その後の授業の記録も残していた。
・「8 究極のクリップモーター」
・【授業】究極のクリップモーター
・【授業】究極のクリップモーター2
等である。
 定番化した教材のルーツを探ることは、その教材が生まれたコンテクスト(文脈)を知ることでもある。
それこそが、かなずや「これから」の教材研究につながるだろう。
そう信じて…

<つづく>

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新・私の教材試論(74)

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▼雨風が強かった。そう言えば近畿地方には「春一番」はまだだったような気がする。「春一番」と発表するにはあたりまえだが基準があるようだ。ここ2年、近畿地方には「春一番」はなかったようだ。
でもひょっとしたら地域によっては基準を越えていることもあるのでは等と考えながら運転をしていた。
向かった先は「液体窒素」入手先の工場である。
 私はここに行くのが好きだった。自分の眼で充填されていく過程を見ているとすごく面白くいろんな「発見」があるからだ。
▼今や教科書にも状態変化の「定番」として写真が記載されたりする液体窒素!!
はじめて眼にしたときやそれを使って授業をしたときの感動はいまなお忘れられない。
すぐれた教材の法則=「3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則」から言っても筆頭にあげられる教材だろう。
そう言えば、新・私の教材試論がずいぶんとご無沙汰になってしまっている。
いちばん近く書いたのでも日付は2012/11/04になっている。
 終えるつもりもうとうない。ただ意識が少しそこに向かっていなかっただけだ。
▼どこまで来ていたのか。これも「現在地」を確認してみることにした。
2012/11/03には次のようにまとめていた。

どこまで来ていたのかこれまでに自分の書いてきたこと見直してみた。
・Twitter的教材開発論
・教材の「テキスタイル」化
・「教材は授業のなかで生まれ、授業を変えていく」ことの再確認!!
・授業のコンテクスト(文脈)が、すぐれたコンテンツ(教材)を生む
・定番の再吟味を
・定番の教材発展史を
だいたいそのあたりまで来ていたのだろうか。
▼現時点で、「教材とは」と問われれば私はこう答えるだろ。
小さな私の「ふしぎ!?」と「私の科学」をツナグもの!!
このとき「私の」は私自身であり、授業のなかでは生徒たちを意味する。

読みなおしてみて気づく。「ああ、ここから進んでいなかったのだなあ!」と。
▼「私の理科教育史」を追いかけるのに夢中になっていた。
こちらも同時並行して進めるの怠っていたような気がする。
気づいたときが「初日」だ。
 もう一度リセットしてやってみよう。
 ずっと以前から「宿題」としていることも多いのだから…。
とりわけ現代理科教材発展史は、今からこそやるべき宿題だ。
ゆっくり 急ごう!!

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本日(2013/03/13)、第29回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼里の野がいっきょに色づきはじめた。色づくと言えば、やはりその代表はタンポポであろう。
誰もがよく知っているつもりのタンポポ。しかし、少しくわしく調べてみると知らないことがいっぱいだ。
長年5月連休課題の定番にしてきた『タンポポの研究』は、私に知らなかった「科学的常識」をいっぱい教えてくれた。
▼その「科学的常識」とは?、を問いかえすのが今日だ!
本日(2013/03/13)は第29回オンライン「寅の日」である。読むのは「流言蜚語」である。
◆第29回オンライン「寅の日」
●「流言蜚語」(青空文庫より)
 まずこれが書かれた時代をみておく。(書かれたのは1924年9月)
『寺田寅彦 いまを照らす科学者のことば』(池内了編集 河出書房新社)の略年譜より引用させてもらう。(寅彦の年齢は数え年)

●1923年(大正12) 46歳  一月『冬彦』集、二月『藪柑子集』出版。九月、東京・上野で関東大震災に遭遇、火災旋風など震災被害調査を始める。
●1924年(大正13) 47歳 五月、理化学研究所の研究員になる。翌年、寺田研究室に中谷宇吉郎を助手として迎える。十一月、海軍省からSS飛行船爆発事故の原因究明を命じられ研究に着手。長女貞子が結婚。

▼文章はいきなり「水素爆発」の話からはじまる。
そして、この水素燃焼伝播の状況と「流言蜚語」を結びつけて

流言蜚語(ひご)の伝播の状況には、前記の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある

こう言い、その訳を次のように説明する。
何とならば、ある特別な機会には、流言の源となり得べき小さな火花が、故意にも偶然にも到る処に発生するという事は、ほとんど必然な、不可抗的な自然現象であるとも考えられるから。そしてそういう場合にもし市民自身が伝播の媒質とならなければ流言は決して有効に成立し得ないのだから。

▼先の時代背景を理解しながら読むよりよくわかるような具体例が続く。
そして最後、いつものようにもっとも言いたかったことを持ってきている。
「科学的常識」とは何かを次のように語っている。
科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。

 さらには、「科学的常識」の限界についてもちゃんとふれていた。

 勿論、常識の判断はあてにはならない事が多い。科学的常識は猶更(なおさら)である。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察(せいさつ)の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。たとえ省察の結果が誤っていて、そのために流言が実現されるような事があっても、少なくも文化的市民としての甚だしい恥辱を曝(さら)す事なくて済みはしないかと思われるのである。

「科学的常識」 それは今風に言えば、「科学リテラシー」と私は読んだ。
3年目の歩みのはじめに読む価値はありそうだ!!
 

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【Web更新3/10】13-10 「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!!

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紅梅や 空は2年を つなげたり 13/03/09 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-10
週末定例更新のお知らせ。
 3/12だ。若狭の「お水送り」から10日目である。お水は奈良東大寺二月堂若狭井に届いただろうか。
今日が「お水取り」の日!!
 それが3.11の次の日であるとは…。

■表紙画像集2013 人里の自然シリーズ 紅梅
 東の畑の紅梅が満開となった。自然は律儀だ。昨年もやっぱりこのころに満開になっているのである。
紅梅をながめながら、そのバックの空をみていて気づいた。アタリマエすぎる事実に。
この空はツナガッテイル!!
大地もツナガッテイル!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 3.11に何度も問いかえしてみた。
「科学」とはなんだろうか。
「私の科学」の現在地は?
「私の理科教育史」の現在地は?
歩みはつづけよう。 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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3.11 あれから2年!!

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▼雨あがりのヒガンバナはスズメ(カラスかな?)ノエンドウの包囲網のなかにあった。光を「独り占め」の季節は終わりやがて葉は先の方から枯れようとしていた。
ところであの地のヒガンバナはどうなったんだろう。
それが気になる。
▼3.11 あれから2年がたった。
昨年の「3.11 あれから1年!!」に私は次のように書いていた。

私は、この日を勝手に特別の日にしよう。
●「私の科学」の現在地確認の日にしよう。
 私にとって「科学」とは
 人間にとって「科学」とは
●「日本理科教育」の現在地確認の日にしよう。
 3.11を踏まえた取り組みになっているか。

この一年間に見聞きしてきたことを思い出しながら、「現在地」確認し、次なる一年を展望する日にしよう。


と。
▼そして1年がたった。
3.11以降それに呼応する取り組みとしてふたつの歩みをはじめた。
ひとつが「サイエンスコミュニケーター宣言」である。
 昨日まででそれは244回まできた。
 そのなかで問いかえしていた「日本理科教育史」はやがて「私の理科教育史」を問いかえす作業となっていた。そして今、【理科の部屋】20年史に注目するところまできている。
▼もうひとつの歩みは2012年度からはじめたオンライン「寅の日」である。科学者・寺田寅彦は最期まで『天災は忘れた頃にやってくる』と警鐘を鳴らし続けた。
それだけではない、人間にとって「科学」とは何かを問い続けた先駆者である。
そんな寅彦から学ぶことは、これからの「科学」を考えるうえでも意義あることになるだろう。
そのオンライン「寅の日」は、現在第28回まできた。

しかし
これらの歩みは、ほんとうに3.11に呼応する歩みなっているのだろうか。
「私の科学」「私の理科教育史」の現在地は?
今日一日 ゆっくり確認してみよう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(244)

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▼昨日は、大賀ハス植え替えから49週目の定例観察日だった。観察池からはみだした枯れ葉のすぐ側に小さなサクラソウが咲いていた。もうそんな時期なのである。今年度の植え替えまで数週間となった。行事等の関係で予定をはやめようかとも考えている。そろそろその準備にかからなければ…。
 この大賀ハスにしてもそうだ。【理科の部屋】がなければけっして出会わなかっただろうし、ましては自分で育てようなどとは思わなかっただろう。
▼この20年間、私にとっての【理科の部屋】とは「授業」「教材」「科学」「人との出会い」「学び」等々すべてがそこにある時空間であったのだ。ちょっとオオバーに言えば人生そのものなのかも知れない。
 「時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界を」と言っていた。それはさらにお気に入りのコトバで言うならコンヴィヴィアリティな世界ということになる。
▼さらには最近特に思うのであるが、
【理科の部屋】の歴史とはネットの歴史そのものである。
と。
 もともとパソコンの苦手な私はそのすべてをそれこそネットを介して教えてもらってきたのである。
パソコン通信をはじめたときも、ホームページ(Webページ)をはじめてつくったときも、blogをはじめたときも、mixi、Twitter、Facebook等々もすべてである。
 【理科の部屋】には私の師匠がいっぱいいた。
ありがたいかぎりだった。
「これから」もよろしくお願いします。
▼これも最近よく使う言葉でTwitter的というのがある。
Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
「アクティブ」
この6つの概念をミックスしたもの。それはTwitterそのものだけを意味しない。
ときに生き方の問題であり、コミュニケーションのあり方を意味する。
さらにいうなら世界観の表明かも知れない。

私には
Twitter的=【理科の部屋】的
に思えてならない。

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サイエンスコミュニケーター宣言(243)

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▼前の山の椿の蕾がより赤みを増し、ふっくらとしてきた。じっとみているあいだに一週間前の「お水送り」を思い出した。一週間では若狭から「お水」は東大寺二月堂の若狭井にまだ届いていないだろう。あと3日、それで「お水取り」だ!!
 もうひとつ思い出したあの八百比丘尼だ。八百比丘尼の像はこよなく愛した椿を手にしていた。
入定洞窟の前の白い椿は咲き始めていた。八百比丘尼と椿については、あの柳田國男も『雪国の春』で書いていた。こうして連想は福崎にもどるのだった。
▼90年代の「私の理科教育史」では、はずすことのできない【理科の部屋】についてふれ、その20周年記念オフのことを昨日提案した。
 さっそく、多くの反響があった。うれしいかぎりである。
シェーマさんこと(本間善夫さん)は「予定・計画表」のようなものまで作ってくださった。
ありがたい!!
▼面白い!!
これだから【理科の部屋】はやめられない。
ネットの醍醐味を存分に味わうことができるのだった。まったくシロウトの私でもである。
【理科の部屋】がスタートして半年たったころ、『科教協ニュース』にネット利用の可能性について次のように書いていた。
◆NIFTY-Serve教育実践フォーラム【理科の部屋】へ(「科教協ニュースNo.441」より )
それから20年たった今も気持ちはまったく同じですね。驚くほど…!!
▼【理科の部屋】20年史を書きたいという気持ちがあります。
なぜなら、そこから「これから」を考えたいからです。
でも、そんなたいそうな作業は今の私の技術、能力ではとてもできることではありません。
また、仮にできるとしてもそれをひとりでやってもあまり意味を持たないように思う。
 私にできるのは、「私の理科教育史」として【理科の部屋】で何を学んできたかをプロットしていくだけだ。
それを楽しみながら
少しずつ少しずつ ゆっくり 急ごう!!

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11/23(土)・24(日)【理科の部屋】20周年記念オフ!!

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▼少し雲の多い空だった。いつものように「冬芽の今」を見ながら歩いていた。冬芽にも徐々に変化がおこってきている。それを観察するのもなかなか楽しいものだ。
 いつものコースなのに昨日気づいた。白い花をいっぱいつけた木があるのに、近づいてみると「アセビ」(馬酔木)のようだ。木々の冬芽にも個性があるように、木々の花期もそれぞれ違うだ!!
こんなアタリマエに今さらのごとく気づいたのだった。
▼「私の理科教育史」を追っていて、やっと1990年代に入っていた。
90年代を語るとき、私にとっては【理科の部屋】ははずすことができない存在だ。
【理科の部屋】ではいつもこう言っていた。

 (^o^)/ あなたもここで情報発信者に\(^o^)   

 情報は、発信されるところに集まる。

 あなたがノックされるところがドアです。

 時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界を   


◆情報は発信するところに集まる~【理科の部屋】とは~
▼その【理科の部屋】がスタートしたのは1993年11月23日ですから、ちょうど今年で20周年になるのです。
そこで次のように20周年記念オフを実施したいと思います。

【期日】2013年11月23日(土)午後~24日(日)午前

【会場】株式会社 ナリカ(旧:中村理科工業株式会社)
〒101-0021 千代田区外神田5-3-10
TEL:03-3833-0741/FAX:03-3833-0795
URL:http://www.rika.com

▼オフのなかみについては、【理科の部屋】流に参加されるみなさんの意見でこれから考えていきたいと思います。それも楽しいもの!!
 まずは、スケジュールをあけておいてぜひ多くの人に参加してほしいと思っています。
なつかしい話や「これから」の話がいっぱい出てくるといいなと思っています。
参加資格なんてなんにもありませんので、【理科の部屋】に興味がある方は誰でも大歓迎です。


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サイエンスコミュニケーター宣言(242)

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▼久しぶりにじっくりと定点観測地から、雲のない空の「雲見」をした。雲は見えないがなにかが大気中にあることを思わせるような空だった。ところで、私はこの「雲見」などいう言葉をいつ頃から積極的に使い始めたのだろう。
自分を検索してみた。
 4年ほど前に「雲見」のすすめを書いていたからそのころがはじまりだろうか。
少しオオバーに言えば、「雲見」や「宇宙見物」は人生を何倍も楽しくしてくれそうだ。
今ではそう思っている。
▼さて、「私の理科教育史」をつづける。
1990年代の科学・技術史に引き続き、「日本の理科教育史」をみて、そして「私の理科教育史」だと思っていたがそれはもう難しかった。
 前にあげたことがあるが、もう一度ならべてみよう。
●1991年(平成3) この年、第一回「青少年のための科学の祭典」開催

●1993年(平成5) 11.23 NIFTY教育実践フォーラム【理科の部屋】開設

●1995年(平成7) 8.31インターネット版【理科の部屋】開設

●1996年(平成8) 7.△ 中央教育審議会第一次答申「総合的な学習の時間」の新設と「環境教育の改善・充実」を提言<ゆとりの中で自ら学び自ら考える力などの生きる力の育成>を基本とする。 

●1997年(平成9) 7.25『科学であそぼう なるほどの森』(森裕美子著 草土文化)
・8.10 『私の【理科の部屋】活用法』(NIFTY SERVE 教育実践フォーラム【理科の部屋】編 )

●1998年(平成10) 12.14『小学校学習指導要領』改訂。『中学校学習指導要領』改訂。
              
●1999年(平成11) 3.29文部省『高等学校学習指導要領』改訂。

●2000年(平成12) △.△ 青少年のための科学の祭典開催、全国70大会に46万人参加。

▼私にとっては、「日本の理科教育史」と「私の理科教育史」を別々に考えることはできなくなっていた。
それは、
●1993年(平成5) 11.23 NIFTY教育実践フォーラム【理科の部屋】開設
があるからだ。
【理科の部屋】がはじまったのである。
2013年!今年はそれから20年だ!!
20年前、地下茎舎時代に次のような多くのこと学びながらも具体的な動きはできない状態だった。
●ヒューマンネットワークのすばらしさ・面白さ!!
●無手勝流人間の学びは動くことからはじまる。
●「授業」こそ教育実践の最前線である。
●「わからないこと」、「「ふしぎ!?」なこと」は人に聞け!!
●「記憶」より「記録」だ!!
●すべては小さな「ふしぎ!?」からはじまる。
●情報は発信するところに集まる!!
●情報は交叉するところに生まれる!!

そんなとき思いついたのが、ネットの利用であった。
▼ここからは【理科の部屋】20年史と「私の理科教育史」とほぼ重なってしまうのである。
それは面白いことに、みごとにインターネットの歴史とも重なっていくのだった。
私は今、【理科の部屋】20年史を語りはじめたい衝動にかられている。
 これは私ひとりの手におえるような作業ではないことも自覚しつつ…。

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サイエンスコミュニケーター宣言(241)

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▼啓蟄の昨日。やわらかな風が白いぺんぺん草の花をゆらしていた。
春は確実にやってきている!!
時間は繰り返すことはあってもけっして遡行はしない。
ゆっくり 急ごう!!
▼「私の理科教育史」を再び続ける。
もう時代は1990年代だった。
 それを語り出す前にもう一度、あの「科学・技術史」をふり返っておこう。
▼「近代科学・技術に関する出来事年表」(『人間とって科学とは何か』村上陽一郎著より)
【19991~2000年】

●1991年(平成3) 雲仙・普賢岳噴火(戦後最悪の火山被害)、ピナツボ山火山(フィリピン)。

●1992年(平成4) ブラジル、リオデジャネイロで環境サミット。フロレス島地震(インドネシア)。

●1993年(平成5) 米国科学財団(NSF)インターネットを高速実用化(米)。北海道南西沖地震。【EU発足】。

●1994年(平成6) ユーロ・トンネル開通。

●1995年(平成7) 阪神淡路大震災。もんじゅナトリウム漏洩事故。エボラ出血熱の流行(ザイール)。

●1996年(平成8) BSEのヒト感染と疑われる患者が発生(英)。クローン羊ドリー誕生(英)。

●1997年(平成9) 温暖化防止・京都会議。日本で脳死・臓器移植法成立。国際インターネット電話自由化。

●1998年(平成10) トムソン(米)がES細胞(胚性幹細胞)培養に成功。

●2000年(平成12) フェルミ研究所でタウニュートリノ発見(米)。

▼もうこれは「過去」などではなかった。
「火山噴火」
「地震」
「インターネット」
「もんじゅ」
「BSE」
「ES細胞」
「クローン」
「温暖化防止」
等々
 どれをとっても「現代」そのものなのである。
地続きに「今」なのだ!!
ではそのなかで「日本の理科教育」はどうなったのだろう。
それは次回に…。

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【Web更新3/4】13-09 「丹生」を追う 更新!!

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達陀の 響きここにも 届くかな 13/03/04 (月)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】13-09
週末定例更新
 一日遅れの週末定例更新である。
啓蟄だ!!まだ頭は旅の余韻のなかにあるが、また新たなものが蠢きはじめるかも知れない。

◆表紙画像集2013 人里の自然シリーズ 椿
 若狭に「丹生」を追う旅から帰って一夜明けた昨日、いつものコースを歩いていると、いつも側を通お寺の境内ツバキが一輪咲いていた。それはあの「達陀」の響きを受けて花開いてようでもあった。
 木へんに春と書いて「ツバキ」とは…。修二会で紅白のツバキを見てからなお一層その意味がわかったような気がする。日陰になっている前の山のツバキが咲きはじめるのはまだ先のようだ。

◆「丹生」を追う  更新!!
 若狭に「丹生」を追う旅をしたので、久々にこのページを更新した。
 「ふしぎ!?」に思ってきたことが解決したこともあるが、新たな「ふしぎ!?」も生まれた。
また、自分が何も知らないんだということの「発見」の旅でもあった。
 
◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 1980年代の「私の理科教育史」が終わった。次は1990年代だ。
どこまでも等身大で「これから」につながるかたちでふりかえってみたいものだ。

◆オンライン「寅の日」
 2012年度オンライン「寅の日」、最後の月だ。もう一回は終わった。
後2回だ。終わり次なるはじまりを意味する。どんなかたちで終わるかが、次年度の展開を予見するものになるだろう。 

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若狭に「丹生」を追う。(3)

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▼昨日(2013/03/03)は少しわがままを言ってツアー途中まで参加させてもらった。
それは、このツアーのレジメににとても興味深いことが書かれていたからだった。
「若狭の不老不死伝説」「丹生」「空海」「八百比丘尼」などなど気になることばかりだ。
限られた時間のなかでそのポイントの場所へ連れて行ってもらえる。
ありがたい!!
▼案内してもらった各場所でもGPSなど使っての説明に驚くばかりだった。
私には知らないことが多すぎた。
これまで「丹生」を追うなかで、いつも気になってきた人物がいる。
特に中央構造線と丹生の関係を追いかけているときも思った。
それが「空海」だった。
 ここ若狭でもきっちりと登場するのである。
彼も間違いなく「丹生」を追っていた。
「丹生」あるところに「空海」ありだった。
そんな場所のひとつ「三方石観世音」へ連れて行ってもらった。
鉱山師(やまし)空海のほんとうの姿にせまれるのはまだまだ先のことになりそうだ。
▼若狭で「不老不死伝説」と言えば、この話はあまりにもよく知られている。
「八百比丘尼」の入定洞にも連れて行ってもらった。これは小浜駅のすぐちかくだった。
八百比丘尼のふるさとは遠敷(おにゅう)であると言うのは単なる偶然であろうか。
▼最後に行ったのは、若狭姫神社・若狭彦神社である。
行きの列車の中で読んだ「遠敷について」(松田壽男著)の文章を思い出したが、まだ頭が整理し切れていない。遠敷明神とふたつの神社の起源、「丹生」との関連、もう少し時間をかけて考えてみたい。

今回の若狭に「丹生」を旅はここまでとなった。
「お水送り」→「お水取り」の行事が、若狭から大和へ「丹生」を送ることと深く関係していることだけは少し見えてきた感がある。まだまだ「ふしぎ!?」が増えたところもあるがこれからの楽しみにしておこう。
今回もずいぶんいろんな人にお世話になり、多くの新しいことも教えてもらった。
ありがとうございました。
 まだまだ「丹生」を追い続けてみようと思う旅だった。


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若狭に「丹生」を追う。(2)

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▼いつか使ってみたかった「青春18きっぷ」の旅である。
乗り換えること4回で若狭小浜に着いた。
 列車のなかではふたつの文を読み返して予習をしてみた。
ひとつは作家・寮美千子さんの論文である
◆寮 美千子『東大寺修二会「お水取り」の起源に関する仮説』
実に面白い!! 私の興味と重なるところも多い。
 もうひとつはあの大著『丹生の研究』(松田壽男著 早稲田大学出版部)の「若狭の丹生」「遠敷について」の部分である。
 常識の範囲である知識にもきわめて乏しい私にはなかなかの難文であるが、「丹生」への興味だけで読み進めてみた。
▼そうこうしている間に小浜に着いていた。思っていたよりもずいぶん早かった。
今回の旅におおきな問題があった。
 いつもものを追う旅は無手勝流、出たとこ勝負でなんとかなるだろうと思っていた。
 またその方が面白いとも思っていた。
 そんな調子だったから近々まで宿をきめていなかった。ちょうど「お水送り」が土曜日ということもあり、宿はどこもいっぱいだった。
でもそれが幸いして、たいへん面白いツアーに参加させてもらうことができた。
このツアーがみごとに私の興味と重なっていたのである。
◆若狭「お水送り」参加と不老不死伝説巡り!
▼ツアーに参加させてもらうかたちで、まず最初に「お水送り」の舞台の下見に「鵜の瀬」にいった。
そして、本日の第一の舞台「神宮寺」へ行った。
自分の松明も購入して待った。「達陀」がはじまった。あの一年前の東大寺修仁会を思い出した。
こちらの迫力もすごいものだ。
やがて大松明に火がつく、こちらは間近でダイナミックである。
この各自が松明を持っての行列も圧巻であり、なんとも美しかった。
列の誰かが言っていた。「こちらの火祭りは自分も参加できるからいいよな!!」
なるほどと頷きたくなった。こちらの「お水送り」は参加型だった。
▼いよいよメインイベントだった。
「鵜の瀬」から水を送る瞬間だ。
地下の水路を通って10日後にあの「若狭井」に届く!!
これは単なる後の人のこじつけの「物語」か?なににこじつけたというのだろう?
この「物語」に隠された科学とは?

<つづく>

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若狭に「丹生」を追う。(1)

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▼今朝(2013/03/02)から若狭に「丹生」を旅にでることにした。朝が早いので、大賀ハス定例観察日を一日前倒しにした。植え替えから48週目であった。
 雨が降る前だったが、観察池の水はたしかに温んでいた。少し緑っぽくもなっていた。
観察の後に雨は降りだした。雨も温んでいた。
▼「丹生」を追うそもそものはじまりは古い。
27年前に遡る。
●1986年 生徒の夏休みの自由研究(それも社会科)に、「郷土研究」として近くの「仁豊野」のはじまりは「丹生野」から来ているのではという報告があった。
 その元情報『古代の朱』(松田壽男著)『丹生の研究』(松田壽男著)との出会い。
 奈良で同じ興味をもつ人との出会い・情報
●1987年1月  神戸の「丹生山」へ行く。「丹生の朱土」発見地をみつける。
●1987年8月  中央構造線に「丹生」を追う。朱の製造遺跡をみる。
▼「水銀という金属と人間のかかわり」
「古代史と金属」
「金属と文化」
「断層と水銀」
「古代の科学技術」等々
興味は尽きなかった。しかし、自由に追う時間は確保できなかった。
情報をストックしておくWebページだけはつくっておいた。
◆2001年2月 Webページ『丹生を追う』
▼そして昨年ついに東大寺修二会(「お水取り」)に行った。
●2012年3月 ・ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!
           ・ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!(2)
 そこで確かに見たのは「遠敷神社」と「若狭井」だった。
ならば、ここへ「お水」を送ってくる若狭の「お水送り」の行事をどうしてもこの目で見たくなった。
「お水」とはなんなのだ?
「お水」と「丹生」の関係は?
不老不死伝説と「丹生」の関係は?
若狭に「断層」は?

もうすぐ出発しよう!!

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本日(2013/03/01)、第28回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼お見事!!と拍手を送りたい気分になってくる。
2月の最後の日、空気はうんとあたたかくなっていた。少し急ぎ足で歩くと汗ばむほどであった。
我が家の紅梅のレセプターもきっちりとそれを受けとめていた。
膨らんできていた蕾が一斉に開きはじめた。
自然とはなんと律儀であることか。
 そして、その動植物のもつレセプターの不思議なことか。
▼寅彦は、この自然の律儀さ、不思議さを見逃さない並外れた「観察眼」をもっていた。
観察対象は自然現象だけにとどまらなかった。ときに人間の行動、心理にまで及んだ。
今回読む作品はそんななかのひとつである。
今日から3月である。2012年度オンライン「寅の日」最後の月である。
今日(2013/03/01)は第28回オンライン「寅の日」である。
読むのは「エレベーター」である。
◆第28回オンライン「寅の日」
●「エレベーター」(『蒸発皿』より 青空文庫より)
▼「そう言われれば、そうだな。」で我々が見過ごしてしまうような現象は身のまわりのにもいっぱいある。
そんなことひとつひとつつき合っていたら忙しい毎日やっていけない。それが正直なところだ。
しかし、寅彦はちがっていた。
そこに「科学」を発見していた。

ただ問題になるのはこの昇降機というもののメンタルテストの前に人間が二色に区別されることである。

寅彦にかかるとただの「エレベーター」が「メンタルテスト」機に変身するのである。
驚きだ!!
▼それに終わらない、本領発揮は次だ。
 それとはまた別のことであるが昇降機の二つ三つ並んでいる前に立って、扉(とびら)の上にあるダイアルに示された各機の時々刻々の位置の分布を注意して見ていると一つの顕著な事実に気がつく。それは、多くの場合に二つか三つの昇降機がほとんど並んで相(あい)角逐(かくちく)しながら動いている場合が多いということである。理想的には、たとえば三つの内の一つが一階にいるときに他の二つはそれぞれ八階と四階のへんにいるほうがよさそうに思われる。換言すれば週期的運動の位相がほぼ等分にちがっているほうが乗客の待ち合わせる時間を均等にし従って乗客の数を均等に分布する点で便利であろうと思われる。しかし実際には三つがほぼ同時に同じ階を同じ方向に通過する場合が多いように思われる。

「観察」事実から予想をたてる。
さらには観測データをとる。そして予想を検証する。
もっともそういう場合だけに注意を引かれ、そうでない場合は特に注意しないために、匆卒(そうそつ)な結論をしてはいけないと思って、ある日試みに某百貨店で半時間ぐらい実地の観測を行なってみた。観測の方法は、鉛筆と手帳をもって、数秒ごとに四つの昇降機のダイアルの示す数字を書き取るだけである。この観測の結果を調べた結果はやはり実際に予想どおりの傾向を示している。

次は結果の考察である。
さらにはそれを一般則にまで高めていく。
こういう現象の起こる原因は割合に簡単であって、ちょうど電車が幾台もつながってあるくようになるのとほぼ同様な原因によるらしい。すなわち、偶然二つが接近して同方向に動くようになるとそれからは、いつでも先へ立つほうが乗客の多いために時間をとってあとのを待ち合わせるような結果になるからである。これも結局は、多くの人間がただ眼前のことだけを見てその一つ先に来るものを見ようとしないことを示す一例に過ぎないであろう。

そして
これと似たことが人生行路にもありはしないかと思う。

なんて言われると「ほんと、そうだな!!」と思ってしまうのである。
そし最後の一文はこの文章が1933年に書かれたことを考えればきわめて示唆的だ。
 しかしまた、同じような考え方からすれば、結局ナポレオンも、レーニンも、ムソリニも、ヒトラーも、やはり一種のエレベーターのようなものかもしれないのである。

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