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サイエンスコミュニケーター宣言(240)

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▼雑木林の入口に一本のタラノキが真っ直ぐ立っていた。そこはよく歩く場所なのに昨日までそれに気づかなかった。
それはきっと「冬芽」の今!  を知りたくなって意識的に木々を観察しながら歩いているからこそ、そこに眼がいったのだろう。それにしても「冬芽の今!」は面白い!面白すぎる!!
またしても「ばっかり病」の虫がさわぎはじめそうだ。
▼昨年の12月のはじめからはじめた記録された『地下茎』をたよりに「私の理科教育史」を追う作業はいったん昨日で終わりであった。
 ちょっとだけのつもりではじめたが、年を越し2月いっぱいかかってしまうことになった。
今日で2月が終わるのだから。
 この作業は思っていた以上に面白かった。
各号ごとに読みかえしていると30年近くの時空を超えてその時代にもどっていくような錯覚をおぼえた。
1980年代の「私の理科教育史」は『地下茎』そのものだった。
▼地下茎舎時代に学んだものは多い。
そのなかでも最大のものは「ヒューマンネットワークのすばらしさ!!面白さ!!」であろう。
多くの人の「応答」に支えられながらの歩みであった。
その「応答」から新しい展開なったことも数かぎりなくある。
多くの魅力的な「教材」とも出会ってきた。
ヒューマンネットワークが創り出す「教材」は一生の「宝物」となった。
▼「私の理科教育史」はここで終わらない。
「私の理科教育史」を現代進行形でまとめたいと思っていた。
これから四半世紀近くの歴史があって「今日」になる。
それを語り出す前に今一度、地下茎舎時代に学んだこと思いつくままにならべておく。
●ヒューマンネットワークのすばらしさ・面白さ!!
●無手勝流人間の学びは動くことからはじまる。
●「授業」こそ教育実践の最前線である。
●「わからないこと」、「「ふしぎ!?」なこと」は人に聞け!!
●「記憶」より「記録」だ!!
●すべては小さな「ふしぎ!?」からはじまる。
●情報は発信するところに集まる!!
●情報は交叉するところに生まれる!!


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サイエンスコミュニケーター宣言(239)

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▼またしても「満月」の写真を撮るのをのがしてしまった。なんとか月が出るまで待ってくれるかと思ったらそうはいかなかった。全月齢の写真を撮るということを今年の抱負としてあげている私としてはくやしいかぎりである。
夕方いつもの場所に立って「雲見」をした。このあとすぐに雨が降り出してしまった。
 でも不思議な話だ。38万㎞も彼方の月がどんなかたちでいつ見えるのかはっきりとわかっているのに、たかが10㎞ばかりの範囲の大気の動きがわからないとは?
それがまた「天気の科学」の面白いところかも知れない。
▼「地下茎」をたよりに「私の理科教育史」を追う作業もいよいよ終わりである。

【「地下茎」第46号 1989.8.26】

なんと45号から46号までに2年近くが経っていた。
「開店休業」がつづいていたのである。
その巻頭は「『授業』にこだわり続けて」ではじまっていた。
そして、こう結んでいた。

『地下茎』から、
ためこんだ栄養を使って
今再び、スルスルと蔓をのばし、
感性の葉を力一杯ひろげ
『もっと光を…』と絶叫し、吸収し
つくり出した栄養で
すばらしい花(授業)を咲かせよう。 

▼この号はみんなで参加した
●1989年(平成元) 科学教育研究協議会第36回全国研究大会(宮崎)
 ~自然をゆたかにとらえ、子どもがイキイキする授業を~
の参加報告からはじまっていた。
 実は、その前年の
●1988年(昭和63) 科学教育研究協議会第35回全国研究大会(北海道・札幌)
  ~自然科学の本質をとらえ、楽しく、楽しく、子どもがワクワクする授業を~
にも参加はしていた。しかし、『地下茎』としての記録は残していなかった。
▼この号でもシリーズ「地下茎舎 野を行く」を特集していた。
「A・T(姶良火山灰)を追え」
大会がせっかく宮崎であったのだから、ATの「ふるさと」姶良カルデラを訪ねようということになった。
以前から計画していたことでもあった。
「こだわりつづけて」
「それはお楽しみ広場からはじまった」
 では、日本全国からAT情報を集める『ATを追う会』の発足も呼びかけていた。
「シラスを追って」
「見たぞ『姶良カルデラ』」
とつづけ、最後には
※次号『これが桜島だ』『姶良カルデラの姶良へ』『みたぞ!!アカホヤ火山灰も』につづく。
乞うご期待。
と付け加えていたが次号がついには出されることはなかった。
●地下茎第46号P5-8 「A・T(姶良火山灰)を追え~ATのふるさと姶良カルデラへ(1)~」

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サイエンスコミュニケーター宣言(238)

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▼さがしものはきっと身近にある。!!
「冬芽」の面白さを先日の日曜会で教えてもらった。少しはその面白さに気づいていたはずだったが、そんなに「さがし」はしていたなかった。教えてもらって、「へークズまで、そうなのか!」と思った。
さっそく、家の前の土手のクズを引き寄せて見た。
ほんとうだ!!「冬芽」があり、「葉痕」もあった!!
では他の「冬芽」は今はどうなっているんだろう。
また歩く楽しみひとつふえた。
▼「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第45号 1987.10.10】

この号も少しブランクあっての発行になっていた。
巻頭には『科学の方法~ 科学的に行動する子どもをそだてるために~』(高橋金三郎編著 新生出版 1987.6.5)
から次の文章を引用させてもらっていた。

 科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。  科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。  科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。(前著P14より)

そして、「学びの場はいたる所にあり、「野を行こう」」と呼びかけていた。
▼少し遅くなったが
●1987年(昭和61) 科学教育研究協議会全国研究大会(高知大会)
             ~自然を学ぶ楽しさから生きる力を~ 
の参加記を報告していた。
お楽しみ広場には、「紅花染め」「生藍染め」「ビビアナイト(藍鉄鉱)」などを出展していた。
ナイターも大いに学び楽しんだようだ。
▼この号でも続けていた。「丹生」を追うことを。
特に四国に行ったわけだから~中央構造線に丹生を追う~が大きなテーマだった。
例のビデオ『中央構造線900キロの旅』で予習・復習もしていった。
いつもの無手勝流の旅は「出会い」と「発見」の連続だった。
・冊子『水銀利用の歴史にちなんで』との出会い
・欲張りにA・Tも同時に追っていた
・湯ノ谷温泉、別子銅山へ
「別子銅山記念館」に行ったところまで終わっている。
そして最後に「つづく」として

※このあと、『ついに発見!池田でA・Tを』『本場(?)の藍畑へ』『ついに見たぞ!「朱の製造遺跡」』続きます。乞うご期待!!

と書いていますが、ついにはこの続きは書かれることがなかったのです。
●地下茎第45号P13-16 丹生(朱)を追え

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【Web更新2/24】13-08 オンライン「寅の日」 更新!!

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腰おろし 宇宙見物や ホシノヒトミ 13/02/22 (金)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-08
週末定例更新のお知らせ
 最近なぜか妙なものを空想しはじめた。それは21世紀の今の『新・学問のすすめ』である。
もうすでに存在するかもしれない。浅学な私が知らないだけかもしれない。
 なければつくればいい!
 それはどんなものになるだろう?どれだけのバージョンが必要だろう?
 タイトルは『新・シロウト学問のすすめ』の方がいいのかな?
というような奇妙なな空想である。

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ ホシノヒトミ(オオイヌノフグリ)
 この頃、長距離コースの散歩が増えて来ている。健康管理の意味もある。
歩いていると身体だけでなく、頭の健康にもよいようだ、ときとしてセレンディピティが訪れてきそうな気分になるから不思議である。名も知らない虫や鳥たちに出会い、草花を観察し、ちがった位置からの「雲見」を楽しむ。それを繰り返していると自然と足も進むものだ。ちょっとひと休みと腰をおろしたらホシノヒトミが無数に野にちらばっていた。
それはまるで「宇宙見物」をしているようだった。

◆オンライン「寅の日」 更新
 オンライン「寅の日」の面白さを人に伝える機会があった。なかなか難しいことだと感じた。
それは、まだほんとうの面白さを体験していないからかも知れない。
 まだまだ「まずは自分自身が楽しむこと」をつづけようと思う。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 今週中には『地下茎』によって「私の理科教育史」を追う作業は終わるだろう。
つまりそれは80年代の終わりを意味していた。
 単なるポンコツの繰り言だけに終わらせないために次になにが必要なのか、それも考えてみたい。


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サイエンスコミュニケーター宣言(237)

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▼昨日の大賀ハス定例観察は、植え替えから47週目であった。いつもの「観察池」の方ではなく久しぶりに「水栽培」の方を写真に撮った。水栽培ではじめて開花した大賀ハスの果托がまだ立っていた。
この調子だと次の植え替えまでもちそうである。その1本が佇立しているだけでなにか周辺に凛とした空気がながれているのだ。
不思議なものだ。
▼「私の科学」のルーツをさぐる作業を続ける。

【「地下茎」第44号 1987.7.27】

 これも不思議なものだ。「記録」というものは、「記録」されていないことまで伝えてくれている。
この頃、活発に動きはしているがその「記録」はほとんどないのである。
この号も多くの人の寄稿によりかろうじて成立していた。
もちろんそれはそれでうれしいことでもあるわけだが。
▼その頃に出会った「科学」に、「医食同源」というのがある。
そのころ神戸の山菜料理店「六段」を営んでおられた山田さんに教えてもらった言葉だった。
「常民の科学」に通ずる「科学」がそこにあると思った。
▼「記録」に残ったものだけを頼りに作業を続けていると、痛切に感ずるのである。
「記録」の大切さを。
 そのときはたいしたことでないと思ったことでも、「記録」に残しておくとそれが重要な意味をもってくることがある。
授業実践記録なども同じようなことが言えるのかも知れない。
「三行レポ」「授業ミニレポ」などの重要さを今さらのごとく感じるのである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(236)

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▼椿のつぼみはまだ堅かった。開花は陽当たりと関係ありそうだ。太陽のよくあたるところでは開花しかけたものがあるが、十分に陽のあらない定点観察地の椿が開花するのはもう少し先のことのようだ。
 これまで何気なく見てきた椿がすごく気になり出したのは昨年からだ。
 きっかけはふたつある。
ひとつは東大寺修二会(「お水取り」)にはじめて行ったからである。あそこで見た造花の紅白椿は強く印象に残ったのだ。もう「花ごしらえ」はすんだのだろうか。
 もうひとつは寅彦の「椿の花の落下実験」を知ったからである。このこだわりに惚れ込んでしまったのが、オンライン「寅の日」をはじめる動機のひとつとなったのだ。
 してみるとやっぱり私にとっては椿は特別気になる花なのである。 
▼「私の理科教育史」をつづける。

 【「地下茎」第43号 1987.4.26】

 またしても少しブランクあっての発刊になっていた。
年度初めということもあり、巻頭には「射程の長い「計画」を」と自らに呼びかけていた。

 …でもやっぱり思うのである。「年間計画」は必要であると。それもオシキセや、カリモノのプランでなく、自分の手づくりで、自分の考え得るベストのものである必要がある。

そして、次のようにしめくくっていた。
 「思い」を行動にうつすのが、むつかしいときである。それだけに、自分にとっての枷の意味を込めて、射程距離の長い「計画」も必要なのである。」

▼ 「例会報告」「学習会」報告につづいて、この号には、はじめて「頭骨標本を作る会」に参加したKさんが、その報告をしてくれていた。
 この会も第5回目をむかえていた。別名「イノシシ学会」という名も定着してきていた。
報告によれば用意された頭骨は「イノシシ50個ぐらい、キツネ10個、ミンク50個、熊4個、タヌキこれは全身4体、牛2個、ネコのミイラ」等だったようだ。今、想像するだけでも壮観である。
 それらを巨大な鍋でグツグツと一晩煮るのである。みんな一緒だと、せっかくの骨・歯の標本がグチャグチャになる。そこでパンストを使うという「兵庫方式」まであみ出していた。グツグツと煮ているあいだに、夜の研修会である。それぞれが持ち寄った教材の情報交換、授業実践報告会をやるのである。
 思い出すだけでも熱くなるような会だった。
●地下茎第43号P4-6 「頭骨標本をつくる会に出席して」
▼「事務局だより」には、この頃の状況について次のように書いていた。
 地下茎舎は、今、「拡散」状況にあります。この「拡散」をうんと利用するかたちに考えたいと思います。
しんどい状況にあるからこそ「地下茎」を強く太くのばしたい。

と。

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サイエンスコミュニケーター宣言(235)

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▼またしても風は冷たく雪が舞っていた。定例コース+長距離コースを歩いてみた。足元のホトケノザが冷たい風を少しやわらげてくれているようだった。
▼もう少しだけになった『地下茎』による「私の理科教育史」を作業を続ける。

【「地下茎」第42号 1987.1.25】

年がかわっていた。1987年の発行になっている。
今から26年前のことだ。巻頭では「例会の「出前」制を」を唱えていた。
またちがった環境のなかで学び合うことで、学ぶ内容もより豊かになるのではと考えたからであろう。
▼「丹生」への「ばっかり病」はかなり重症であったようだ。
それもこれまでになく長期にわたっていたようだ。
・NHK番組「中央構造線900キロの旅」
・興味は古代史へ
・卑弥呼は朱を顔に塗っていた?
・「朱」の製造集落遺跡(徳島・板野町)の新聞記事
・丹生山へ
・見つけたぞ「丹生の朱土」
等々とつづけていた。今回からは「朱(丹)を追え」のタイトルは「朱(丹生)を追え」に変えていた。
●地下茎第42号P9-11 朱(丹生)を追え(3)
▼なぜそこまでこだわっていたのだろう?
と思うと同時に読みかえしていると当時のワクワク感が蘇ってくる。
「これは作り話を書いているのだろうか」と自分でも疑ってみたくなるぐらいに、偶然が重なっているのである。
動けば必ず新しい「発見」しているのである。
その情報を発信すれば必ず情報がふくらんで帰ってきているのである。

ならば、26年の時空を超えて今日も少しだけでも「動いて」みるかな。


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【お薦め本】『英語で楽しむ寺田寅彦』(トム・ガリー/松下貢著 岩波書店)

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▼「お見事!!きれいだ!!」
と思った。納屋の入口であまり陽のささないところで、あわや踏んづけてしまいそうなところに、タンポポが葉を広げていた。
「なんでこんなきれいなかたちをしているだろう?」
「その意味はなんだろう?」
と考えていたら寅彦の口癖の真似をしたくなってきた。
「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」と。
▼その寅彦の名エッセイをオンライン「寅の日」で読みはじめて、まもなく一年になろうとしている。
ほんの少しだけ寺田寅彦の文脈が見えかけてきたところだ。
 昨年秋に【理科の部屋】で岩波『科学』に「寅彦i n English」を連載していることを教えてもらった。
それは読んでおきたいと思い、バックナンバーを取り寄せ読みはじめていた。
そしたら先日たまたま新聞で、この連載が単行本として出ていることを知った。
◆『英語で楽しむ寺田寅彦』(トム・ガリー/松下貢 岩波科学ライブラリー 2013.02.06)
 「目次」を見ればわかるが、連載9回目までの6編のエッセイをとりあげていた。
 「藤の実」「エレベーター」「津波と人間」「地震雑感」「天災と国防」「流言蜚語」の6編である。
このうち「エレベーター」「流言蜚語」以外はすでにオンライン「寅の日」でとりあげ一応読んでいた。
▼日本語でも満足に理解していない状態の私に「英語」で読むなんていうことにどんな意味があるのだろう。
まして不勉強な私は「英語力」などまったくないに等しい。
 そう思いながら読みはじめると、著者のひとり松下貢氏がはじめの「寅彦を今、英語で読むこと」のなかで次のように言っていた。

 寅彦の随筆内容は一般的・普遍的であり、世界中の誰もが理解できるはずである。彼の随筆を日本語で読みながら、興味深く思った部分を英語にするとどんな表現になるのか考えてみる。これは随筆の一層の深読みにつながり、それまでに気づかなかったことが見えてくるかも知れない。(同書 Pⅶ より)

そう言われると納得である。この誘いに乗ってみたくなってきていた。
本書の中でもこのことは英訳にあたったトム・ガリー氏が立証していた。
よみとき1 「偶然と必然のはざま」
よみとき2 「ばらばらな状態の不安定さ」
よみとき3 「的中してしまった警告」
よみとき4 「地震予知の難しさ」
よみとき5 「忘れた頃に来る天災」
よみとき6 「噂の無責任さと怖さと」
この6つの「よみとき」を読んでみて松下氏のことばはほんとうだ!!と思った。
するどい「深読み」だ。自分で読んだときに気づかなかったことがいっぱい出ていた。
四つの「追記」もとってもいい。
特に「科学と「私」」、「寅彦のリズム」がいい。
▼英語にするとどうなるなるのだろう。気になる寅彦の言葉がふたつあった。
ひとつはあの有名な警鐘「天災は忘れた頃にやってくる」である。これもよく知られたことであるが、寅彦自身の書いたもののなかにはこの言葉そのものはでてきていない。中谷宇吉郎が普段から言っていたことをこの言葉にしたのだろう。寅彦の書いたもののなかでこれに近い言葉は『天災と国防』のなかの「畢竟そういう天災が極めて稀にしか起こらないので、丁度人間が前車の顚覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。」だろうと言われている。これを英語で言ったらどうなるのだろう。
 もうひとつは『津波と人間』のなかにある「科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。」
これはここだけでなく寅彦が一貫して言いつづけたことでもある。英語にすると…。
ぜひ本書を手にとって確かめてみることをお薦めします。
▼寅彦の科学エッセイを読んでいていつも強く実感することがある。
それは、70年80年の時空を超えてきわめて今日的であることだ。
たった今書かれたものと言われてもなんの違和感もない。それはなぜなんだろう?
「時間」を超えては実感をしているところであるが、今度は「英語」にしてみることで「空間」も超えてを立証してもらいたいところだ。
 連載はまだ続いているようだ。ぜひぜひこの本の第2弾も期待したいところである。
 

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2013年3月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼またしても雪が舞っていた。
風も冷たかった。だからその冷たい風をさけるようにして林の中を歩いてみた。
そしたら、足元に春をみつけたんだ。
苔のマットの上にころがったドングリから赤い芽がでていたんだ。
苔が保水の役割もしてくれたのだろうか。いいところに転がったものだ。
やっぱり春は近いんだ。
▼もうすぐ3月なんだ!!
2012年の4月からはじめたオンライン「寅の日」も、本年度最後の月をむかえる。
「寅の日」は3月は3回ある。
◆第28回オンライン「寅の日」…3/01(金)
◆第29回オンライン「寅の日」…3/13(水)
◆第30回オンライン「寅の日」…3/25(月)
 ちょうど30回になる。一年365日、12日ごとに「寅の日」が巡ってくるので365/12であたりまえの計算だ。
とりあえずは一回も欠かすことなくここまできた。
最後の月も大いに楽しみたいものだ。
▼では最後の月になにを読もうか。しばらく前から考えていた。
ちょうど『英語で楽しむ寺田寅彦』(岩波科学ライブラリー203 トム・ガリー、松下 貢 著)がこの2月6日に発刊された。手に入れて読んでみると寅彦の作品6編が英訳とともにとりあげられていた。
なかなか面白い本だ。
6編のうち4編はすでにオンライン「寅の日」でとりあげていた。
そこで、まだの2編「エレベーター」「流言蜚語」を読むことにした。
3月と言えば、3.11ももうすぐだ。
最後の第30回では、再度「津波と人間」を読むことにした。
2013年3月 オンライン「寅の日」!!
◆第28回オンライン「寅の日」…3/01(金) 「エレベーター」(『蒸発皿』より 青空文庫より)
◆第29回オンライン「寅の日」…3/13(水) 『流言蜚語』(青空文庫より)
◆第30回オンライン「寅の日」…3/25(月) 『津波と人間』(青空文庫より)
▼2013年度のあらたな展開を展望するという意味でも、3月のオンライン「寅の日」を充実したものにしたいものである。オンラインとともにオフライン「寅の日」の方も機会あるごとにやっていきたと思っている。
「寅の日」の趣旨はむしろそちらの方にあるのかも知れないので。
 誰でも、いつでも、どこからでも参加できる「寅の日」!!
できるだけ多くの人の「私の科学」から学びたいものだ。
 

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(234)

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▼自然というやつはなんでこんなにも律儀なんだろう。昨日は「雨水」だった、きっちりと朝から晩まで雨だった。
その雨を受けて定点観察地のヒガンバナはひときわ元気だった。でもよく見ると、シロバナヒガンバナの方の葉は葉先の方から黄色く変化していっていた。光を独り占めしていた季節がもうすぐ終わろうとしていた。葉の足元から春がやってこようとしていた。
▼私はあいかわらずの「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第41号 1986.12.20】

 巻頭では「学校を本来の「学びの場」に」と自戒をこめて書いていた。

あたりまえのことというのは、あまりにもあたりまえすぎると、ふだんの「日常」のなかでは忘れてしまうことが多い。たとえば「学校は学びの場である」などということがそうである。…

▼[学習会報告][授業ミニレポ~『授業ノート』はじめました]等々をつづけていた。
興味あること、面白いと思えることがバラバラの状態から段々とつながりはじめていた。
たとえば[本の紹介]にしても、これまでの鉄づくりへの興味からか、次のような本を紹介していた。
●地下茎第41号P6 [本の紹介]『おばけと物語』(毎日小学生新聞編 文 柴田弘武 え たかはしのりこ 現代書館)
「朱(丹)を追え」も続いていた。
「すでに先行者が」
「奈良では」
「中央構造線と水銀」
とつづけ、シロウト人間の「仮説」=「断層破砕帯に水銀鉱床がある」を確かめたかったようだ。
●地下茎第41号P7-11 「朱(丹)を追え(2)」
▼この号も「応答アリ」に多くのページをさいていた。
そこには貴重な情報がいっぱい詰まっていた。
ヒューマンネットワークのなかでの「学び」のすばらしさに気づきはじめていた。
ほんとうの「学び」は「学び合い」としてしか成立しないことを示唆していた。
一方通行の「学び」などありえない。
それは時代を超えた真実なのかも知れない。

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【Web更新2/17】13-07「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!!

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ふくらみて 思い出すかな 梅の花 13/02/17 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-07
週末定例更新のお知らせ
 このごろ古い友人に出会うとよく言われる。
「ホームページまだやっとるんやな」「がんばっとるんやな」と。
そう言われるとかえす言葉に窮する。
照れ隠しもあって「他に楽しみないもんで…」と応えるようにしている。
これは謙虚に言っているのではない。これが本音であり事実なんだ。
続けている訳はいたって簡単!! 
「面白い!!楽しい!!」からだ。
「面白くない」と思いだしたらすぐやめようときめている。

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ 紅梅
少しながめに歩いた。どこかに梅の花が咲いていないやろかと捜してみたが、そんなところはなかった。
家に帰って、我が家の私の誕生を記念して植えられたという梅を見た。
 まだ咲いてはいないが、たしかに蕾はふくらんでいた。それをしばしながめていると植えてくれた人のことを思い出した。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 「地下茎」ずっと読んでいると、ついつい自画自賛したくなってくる。
「磁石石」「カルメラ焼き」「生藍染め」「姶良火山灰(AT)」「紅花」「丹生」等々とかくも次々と追いかけるものをみつけてきたものと感心していまう。
 でも考えてみると、それはこれもWebページと同じや。
そのことが面白いことであり、追いかけるのが楽しいことやったからだけのこと。
面白いこと、楽しいことは夢中になれ、継続もできるのである。
「ねばならぬ」から発想することは、本来怠惰な私には長続きしないのだ。
これがわかっただけでも「みっつけ!!」だ。

◆オンライン「寅の日」 更新
 いまいちばい「面白い!!」と思っているのはこれだ。
12日ごとに巡ってくるこの日が楽しみだ。
 いつのまにやらもう一ヶ月で一年になろうとしていた。
 

  

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本日(2013/02/17)、第27回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日は蓮根植え替えから46週目の大賀ハス定例観察日。観察池にはまた雪が降っていた。春はなかなか直線的にはやって来ない。季節の移り変わりはいつも螺旋的だ。
雪の降ってきた空を見上げる。いつもの定点観測地から「雲見」をする。
生野峠の方向の空を見る。少しずつここに雪を降らす空の特徴が見えてきた。
中谷宇吉郎は言った「雪は天からの手紙」と。
観察池に降った雪には上空の大気のようすについてのどんなことがしたためてあるのだろう?
▼本日(2013/02/17)は、その中谷の師匠、「寺田寅彦」を読む日。
2月2回目、第27回オンライン「寅の日」だ。
2月は「大気の物理学」=気象現象に集中して読むことにしている。前回の「凍雨と雨氷」では、さっそくオンラインの画像で「凍雨」を見せてもらえるといううれしい発展もあった。
気をよくしての2月2回目である。
◆第27回オンライン「寅の日」
●「颱風雑俎」(青空文庫より)
 2月に「台風」の話題とは季節外れの感があるかも知れない。
しかし、実は寅彦がこれを発表したのも最晩年(1935年)の2月なのである。(昭和十年二月『思想』)
書き出しは、その前年のあの室戸台風の記述からはじまる。
▼一年近く寅彦の文章を読み続けていると、少しだけ寅彦の言いたかったこと見えてきたように思う。
手を変え品を変え繰り返し繰り返し言っていることがある。
それがこの「颱風雑俎」にも現れていた。
それが次なる文章だ。

 甲州路へかけても到る処の古い村落はほとんど無難であるのに、停車場の出来たために発達した新集落には相当な被害が見られた。古い村落は永い間の自然淘汰によって、颱風の害の最小なような地の利のある地域に定着しているのに、新集落は、そうした非常時に対する考慮を抜きにして発達したものだとすれば、これはむしろ当然すぎるほど当然なことであると云わなければならない。
 昔は「地を相(そう)する」という術があったが明治大正の間にこの術が見失われてしまったようである。颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。

その「相地術」について、さらにくわしく確信にふれ次のように言っている。
 地を相するというのは畢竟(ひっきょう)自然の威力を畏(おそ)れ、その命令に逆らわないようにするための用意である。安倍能成(あべよししげ)君が西洋人と日本人とで自然に対する態度に根本的の差違があるという事を論じていた中に、西洋人は自然を人間の自由にしようとするが日本人は自然に帰し自然に従おうとするという意味のことを話していたと記憶するが、このような区別を生じた原因の中には颱風や地震のようなものの存否がかなり重大な因子をなしているかもしれないのである。

私の勝手な文脈のなかでは、「相地術」とは今風に言うなら究極の「減災術」と読みとれるのだが。
さらに我田引水で言うならば、これぞ「常民の科学」と言いたいのだが。
▼矛先は「理科教育」にも向けられていた。
これは人々の心がけによることであるが、しかし大体において学校の普通教育ないし中等教育の方法に重大な欠陥があるためであろうと想像される。これに限ったことではないが、いわゆる理科教育が妙な型にはいって分りやすいことをわざわざ分りにくく、面白いことをわざわざ鹿爪(しかつめ)らしく教えているのではないかという気がする。子供に固有な鋭い直観の力を利用しないで頭の悪い大人に適合するような教案ばかりを練り過ぎるのではないかと思われる節もある。これについては教育者の深い反省を促したいと思っている次第である。

痛烈な指摘だ。
それは昔のことと反駁できるのだろうか。
さらには、こんなエピソードまで書いていた。
 事実を確かめないで学者が机上の議論を戦わして大笑いになる例はディッケンスの『ピクウィック・ペーパー』にもあったと思うが、現実の科学者の世界にもしばしばある。例えばこんな笑い話があった。ある学会で懸賞問題を出して答案を募ったが、その問題は「コップに水を一杯入れておいて更に徐々に砂糖を入れても水が溢れないのは何故か」というのであった。応募答案の中には実に深遠を極めた学説のさまざまが展開されていた。しかし当選した正解者の答案は極めて簡単明瞭で「水はこぼれますよ」というのであった。

やっぱりそうだ。
何度読んでも「寅彦」は極めて今日的だ!!
今さら「寅彦」ではない。
今こそ「寅彦」なんだ!!


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サイエンスコミュニケーター宣言(233)

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▼雨あがりに少しながめ定例コース以外の道を歩いてみた。
へーこんなところにこんな木があったのか、こんな花が咲いていたか、いっぱい発見があって面白い。
おっと思えばデジカメを向ける。翌日の朝、撮った写真をながめて二度楽しむ。
それがほぼ習慣になってしまった。今朝は雨あがりのロウバイの花がいちばん気に入った。
▼こちらの方は定例コースで「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第40号 1986.11.26】

この号では、たくさん「応答アリ」を紹介させてもらっていた。
今読みかえしてみるとよくわかる。この「応答」を期待して「次の号、次の号!」と発行していたんだと思う。
「応答」ある世界は、学び合い・高めあう世界だ。
それが最高に面白いんだ!! これは不易だ。
▼私にとっては、あらたな「学び」がはじまっていた。
以前から興味のあった「柳田國男」と「科学教育」。一見無縁に思えるこのふたつの世界を結びつけた先達がいた。それが庄司和晃さんだ。
私は、この人の仕事から大いに学びたいと思った。
この号にはこの人の書いた本『科学ばっかり主義の克服』を紹介していた。
●地下茎第40号P5 [本]『科学ばっかり主義の克服』(庄司和晃著 明治図書)
庄司和晃さんは全面教育学を提唱していた。
今はそのホームページもある。
◆全面教育学研究会
実に興味深い内容だ。これからも大いにこの人の仕事から学び続けたいと思っている。
▼夢中になった「紅花」ばっかり病の熱もさめぬあいだに、また次のばっかり病が発症していた。
今度は朱(丹生)だった。
そのそもそもの「はじまり」を報告していた。
●地下茎第40号P6-9 「朱(丹)を追え1」

これが今も続く
◆丹生を追う
のはじまりである。


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サイエンスコミュニケーター宣言(232)

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▼昨日もいっぱい歩いた。そして、いっぱい写真も撮った。
ここにあげる写真はどれにしようかと少し迷った。でも、やっぱりいつものアタリマエの写真にすることにした。
雲のない「雲見」の写真だ。
 なにか特別のものでなく日常のアタリマエ!!のなかにこそホンモノがある。
それは昔からの私の「哲学」だ。
▼アタリマエにつづけよう。「私の理科教育史」を。

【「地下茎」第39号 1986.9. 】

 この号の巻頭文で、私ははじめて「常民の科学」というコトバを使っている。
このときから使い始め、今日もまだ使い続けているのだからけっこうお気に入りの「科学」なのである。
そういう意味では、この拙文は私にとっては記念すべき一文である。
●地下茎第39号P1 「常民の科学」を授業に…
▼「例会報告」のなかにもいくつかの秋田のみやげ話が出てくる。
そのなかのひとつに「スライム」がある。
私がはじめて「手作りスライム」に出会ったときでもあった。〔闇市開業〕にとりあげていた。
●地下茎第39号 〔闇市開業〕「スライムに挑戦」
なお後日、このスライムの歴史についてはWebページでまとめている。
◆現代理科教材発展史「スライム」
▼そして、この号でもかなりのページをさいて記載しているのは、「紅花を追って(京都編)」である。
最上の紅花畑で見た紅花を、今度は京都で追いかけているのである。
自分でもあきれてしまうような行動力である。
突き動かしていたものはなんだったんだろう?
●地下茎舎第39号P9-17 「紅花を追って(京都編)」
これもやはりWebページにしていた。
◆紅花を追って (2)「京都」編 ~「最上の紅花」は京の都で口紅に~
 ページ化することにより、あらたな情報もいただくようになった。
また、今も本家本元の山形県の「紅花について」のページにリンクまでしていただいている。ありがたい!!
 まさに「情報は発信するところに集まる」だ!!
 無性に最上を訪ねたくなってきた。
 

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サイエンスコミュニケーター宣言(231)

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▼昨日は仕事から帰ってから少し長めに歩いてみた。「雲見」だけでなく地上の春も気になってきたからである。それと私自身の健康管理をかねてである。たしかに、みかけるホシノヒトミの数は増えてきている。ホトケノザのピンクもきれいだ。椿のつぼみもこころもちふくらんできたような気がする。赤かったはずのサルトリイバラの実は味わい深い茶色になっていた。いろいろ変化してきていた。そんななかでいちばん気になったのはコケだ。
コケの胞子のう(蒴)だ。いやコケそのものだ。ずいぶん久しく意識してコケを見ていないことに気づいた。
自前のコケ採取セットまで準備して「コケばっかり病」にかかるところだったのに…。
「ばっかり病」は持病であるが、もうひとつの「あれもこれも病」も持っているのかも知れない。
▼この「ばっかり病」が最も顕著に発症したときがある。
それがこの時期だ。「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第38号 1986.8.30】 

 この号は
●1986年(昭和61) 第33回科学教育研究協議会全国研究大会(秋田)
       ~目と手と心で自然をつかむ科学教育の創造を~ 
への参加を特集する予定にしていた。
 メンバー4名が一緒に参加した。飛行機で秋田に向かった。はじめて飛行機にのるメンバーもいたりして、搭乗するなりワイワイとにぎやかだった。機内ではさっそく窓から見える景色をネタに「地形」「気象」の学習はじまるのだった。それはまるでふだんの例会・学習会そのものだった。
▼「お楽しみ広場(ノミの市)」は2回目の出展であった。
「生藍染め」「赤土染め」の実演と「藍の種子」「赤土」の配布だった。
我が家の畑の藍の種子は全国に散った。
 このときに学んだこともいっぱいあるのだが、この号には突然この大会とは直接関係のないことを特集していた。
▼このとき「ばっかり病」が発症したのである。
「生藍染め」が誘発したのかもしれない。「紅花ばっかり病」を発症したのである。
これはかなり重度の発症であった。
たった2日間の「紅花を追って」の旅だった。でもそのころの「私」のすべてがつまった旅だった。
●地下茎第38号P6-15 「紅花を追って」(山形編)
これは後に『理科教室』の記載された。
さらには後日Webページ化もしてみた。
◆紅花を追って (1)「山形・最上」編 ~ついに見たぞ!紅花畑を~
今読みかえしても、そのときのワクワク感が鮮明に蘇ってきた。
「ばっかり病」万歳!!である。
間違いなく「私の科学」の「原点」はここにある。

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サイエンスコミュニケーター宣言(230)

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▼またしても雲ばっかりの「雲見」だ。
ほんと一日のうちでもどんどん変化していくのだ。「この雲は…?」と思ったとき数年前に自分で作った
「雲家族10のうた」を思い出した!!せっかくつくったのにこのごろあんまり使っていないな。

●雲家族10のうた

ケンケン三兄弟に(巻雲 巻層雲 巻積雲)
コウコウ姉妹 (高層雲 高積雲)
ソウセキ(層積雲) はなれても りっぱに ソウ! セキ! (層雲 積雲)
雨 雨 ふれ ふれ ラン!ラン! (乱層雲 積乱雲)
 

 これが第一次作でこのあと変えたのか忘れてしまった。
今、見直してみるとけっこういけてるように思ったりする。(自画自賛!!)
昨日の「雲見」は 「雨 雨 ふれ ふれ ラン!ラン! (乱層雲 積乱雲)」だった。
きっちりと夕方が雨がふりだしたのだ。
▼その当時は「雲見」ってあまりやらなかったのかな。
「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第37号 1986.7.28】

 またしても5ヶ月ばかりのブランクがあったようだ。
巻頭には「ライフワーク」「再刊のつもりで」などいう文字が見られる。
▼「地下茎舎 野を行く」シリーズもいつの間にやら第7弾となっていた。
あの「たたら製鉄」以来の鉄への興味はつづいていた。
姫路名産の火ばし風鈴の製作現場見学の報告がされていた。
●地下茎第37号P2-4 地下茎舎 野を行くシリーズ第7弾「明珍火ばし見学記」
 また、科教協全国大会「お楽しみ広場」出展のために書いた文章も転載していた。
●地下茎第37号P5-6 『あなたも「生藍染め」をやってみよう。』
▼この5ヶ月ばかりのブランクのあいだに、「科学」を語るうえで忘れることのできないできごとが起こっていた。
過去形で語ってしまうことはできないことだ。
●1986年(昭和61) 4月26日未明 チェルノブイリ原発事故
この号には研究大会にHさんがレポートした「はじめての核の授業」(一部)も転載していた。

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サイエンスコミュニケーター宣言(229)

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▼昨日は早朝より「雲見」定点観測地に立ってみた。春は空からやってきていた。
あきらかに冬の凍てついた空ではない、やわらかくとけた空だった。
「天気は西から」が顕著になってくる季節でもある。
▼あいからず「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第36号 1986..2.20】

 この号はなんと6ヶ月・半年ぶりの発行であった。
 私がもたもたしていたので、Hさんが編集をして発行してくれていた。
「何しろ、私にとってサークルはO2のようなもので、サークルで集まると、何日か分のO2不足を解消するために思いっきり深呼吸をしている感じです。」と言われているのが印象的だ。
▼だからといって動きを止めているわけではなかった。
85年8月の動きも記録化されていた。
●地下茎第36号P2-5「AT その後」
も実に面白い記録である。
蒜山原で出会った「キナコ」。絶体に兵庫の地にだってあるはずと、わずかな情報をたよりに神鍋山に探索にでかけているのである。そのときは家族づれのメンバーもいた。
 とんでもない人との偶然の出会いもあり、みごとATを探し出しいた。それだけでなく大山の火山灰(DKP)の層とも出会っていた。
▼もうひとつどんどん膨らんでいっているものがあった。
それが、「草木染め」である。
「あこがれのベニバナ染めをやりました。」
「生藍染をやりました。」
の報告がつづけて記録されていました。
この「こだわり」はまだまだつづくのだった。


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【Web更新2/10】13-06「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!!

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やわらかに 光とかすや 雪中花 13/02/9(土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】13-06
週末定例更新のお知らせ
 このごろ朝のうちに「DO IT」リストを自分でつくるようにしている。ポンコツ度が加速してきているせいだろうか。一日うちにも「何をするんだったかな?」と迷子になってしまうことがあるからだ。
 リストアップするときにできるだけ「~せねばならない」よりも「~したい」を優先させたいと思っている。
 今は、このふたつがシームレスに重なってこそホンモノと思っているからだ。
このWeb更新はその典型なのかもしれない。

◆表紙画像集2013 更新  人里の自然シリーズ 水仙(雪中花)
 昨年の秋に東の畑を耕したときに水仙の球根がいっぱいあったんだ。邪魔になったので、掘り起こして別の場所に植え替えようと思って畑の端にかためておいた。邪魔くさがりの私は、それをそのまま放置して冬を越してしまった。
 立春がすぎたのに雪が降ってきた。放置したままの水仙がその雪をとかすように最初の花を咲かせた。
水仙の別名に「雪中花」というのがあるらしいが、ナルホド!!と思った。
球根がおそろしくヒガンバナにているのに驚いていたら、ヒガンバナ科だという。これもまたナルホド!!だ。
どうやっていつごろ大陸からやってきたのかな?

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 人間の「記憶」というやつは、ほんといいかげんなものだと思う。「私の理科教育史」を「記録」されたもの(「地下茎」)で追っているとつくづく思うのである。
 「記憶」は勝手にいいところ取りで脚色されて物語化されてしまっているのである。それを必ずしも悪いことだとは思ってはいないが、それだけだと面白さも半減してしまう。
 「記録」されたものを読みかえしていると再発見がいっぱい出てくるからなお面白い。
再脚色化してみたくなるのも楽しい。
ゆっくり 急ごう!!

◆オンライン「寅の日」 更新!
 そろそろ3月オンライン「寅の日」(3/1、3/13、3/25)に何を読むのかを決める時期がきている。
なにを読もうかな?


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サイエンスコミュニケーター宣言(228)

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▼昨日は大賀ハスの定例観察日であった。蓮根の植え替えから45週目であった。
観察池には再び少しだけ雪が降っていた。水面も凍り付いていた。大賀ハスの観察池の観察から季節の移り変わりを読み取ろうとしていた。ひとつの小さな観察から世界を見ようとしていたのである。
あのウイリアム・ブレイクの詩を思い出す。

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.
一粒の砂に世界を
一輪の野の花に天界を見る
あなたの手のひらに無限を
ひとときに久遠をとらえる

それは、いつも無手勝流の「私の科学」の方法でもあった。
▼「私の理科教育史」のなかでもそれは随所に見られた。

【「地下茎」第35号 1985. 8.20】

この号はたまっていた「例会報告」「学習会」からはじまっていた。
そして、
●1985年(昭和60) 第32回科学教育研究協議会全国研究大会(岡山大会)
 ~本質的なわかる授業をとおして自然にはたらきかける力を~

を特集していた。
 地下茎舎にとっては、けっこう意味のある大会だった。
これまでは「おすそ分け」をいただくばかりだった「お楽しみ広場」にもはじめて出展させてもらっていた。
 出し物は「草木染め実演」(フジの葉、タマネギの皮、なま藍染め等)「ふきあげ」等であった。
レポート報告、自主講座・ナイター実施など忙しく動き楽しい実りある研究大会であったようだ。
▼この大会のときである。
私があるひとつのものと出会ったのは。姶良火山灰(A.T)である。
ここからはじめてながいながいつきあいになるのである。
はじまりの様子を
●地下茎第35号P13-17 地下茎舎 野を行く 5 「姶良火山灰(A.T)を求めて
にまとめている。
 そのころ私は学習会のこともあって「大地の動きをさぐる」学習に興味があった。どちらかという苦手としてきた分野でもあった。だからこそなおさら興味も抱いていた。
そこに書いていた。
「ボクたちシロウトにとって、地学の勉強でつまづくのは、時間である。何万年前と何百万年前とが、簡単に頭の中でこんがらってしまうのである。そんなとき、この火山灰の「テフラ時計」が、ひとつの突破口になりそうである。この火山灰が降りそそいだのは、数日長くても数ヶ月ぐらいの短期間でのできごとということになる。
これでかなりきっちりと時代の比較ができるということになるのでは…」
と。
 思いついたら吉日。
大会終了後、即蒜山原へ向かっていた。
そして、その「キナコ」とよばれる姶良火山灰を手に入れていたのである。
▼それ以後、長く長く「姶良火山灰」を追う旅がつづくことになるである。
後に読み物を書いたこともあった。
◆科学読み物「姶良火山灰を追え」
また地元にみつけたこと契機にWebページをつくったこともあった。
◆Webページ「姶良火山灰を追え」

 こうしてみるとやっぱり、「小さなひとつ」から世界を見るのは、とっておきの「私の科学」の方法なんだろうと思う。


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サイエンスコミュニケーター宣言(227)

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▼昨日の「雲見」は変化がはげしかった。雪がチラチラと降ってきたかと思うと、青空がひろがりあたたかくなったかと思うと、冷たい風とともに雪が降ってきた。
やっぱりそうだ。春はそんなに直線的にやって来ない。
▼でも「私の理科教育史」は続けよう。

【「地下茎」第34号 1985. 7.20】

 地下茎舎の「歩み」もそうだったようだ。「野を行く」シリーズで大いに盛り上がったかと思えば、集まりすら持てないときもできていた。山あり谷ありでそうそう直線的ではなかったのだ。
発行日を見ているとそれはよくわかる。前号が3月で、本号が7月であるのだから。
▼でも「仲間」がいるということはほんとにいいことだ。
ひとりの「歩み」がとまりそうになっても、別の「仲間」の力強い「歩み」が支えてくれる。
この号にもそれが「記録」されていた。
「須磨たのしい授業ゼミナール参加記」
〔授業実践記録〕
「ありふれた反応もこんなふうにやれば…」
「ぬりえで覚えよう自分の体」
等々
▼「事務局だより」にはこう書いていました。
「これまでの文を読んでもらうとわかる通り、この号は今年度の新学期に出す予定のものだった。
ところが、もう夏休み近くになってしまった。たいへんなおくれになってしまった。
しかし、その間にも、県内はもとより、全国から「どうした、病気でもしたんですか」「…気にかけても、苦にはしないように」等々多くの連絡、はげましをいただきました。うれしいかぎりです。
「地下茎舎」が出発して5度目の夏が来ようとしています。
 この4年間の自分たちの「歩み」を見ていると、かなり周期的な波があるようです。自分たちなりにそれを科学的(?)に分析して、サークルの恒常的な高揚をはかりたいと思っています。」
と。
 

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サイエンスコミュニケーター宣言(226)

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▼「小さい春」をみつけようとしていた。
そして みつけた!!
 ボタンの花の冬芽だ。風は冷たかったが、西に傾く陽に照らされて輝く冬芽に「春」をみつけた。
 これが、どうしてあんな大きなボタンの花になるんだろう。不思議なもんだ。
そう、そう言えばあのころは私は何をみつけようとしていたんだろう。
▼「私の理科教育史」をつづける。


【「地下茎」第33号 1985. 2.25 3.25】

 巻頭はこんなコトバではじまっていた。

「播磨を知ることは日本の七割を知ることである」

寺川俊人(寺林峻)著『はりまの風土と文化』からの引用させてもらったコトバである。
それからはじまって「文化言うてなんやろ」と問いかけ、そして「地域」を教えることの意味を深くとらえようとしていた。
▼「地下茎舎 野を行く」シリーズが本格的に始動していた。
・日本玩具館の館長さんの「郷土玩具収集」への熱い思いを聞く。
・本藍染め「まさき」さんに藍建てを見せてもらいなら、「藍は生きている」と教えられた。
・頭骨標本を作る会(イノシシ学会)で、お気に入り教材の交流をする。
・日本一低い分水界「石生」(94.5m)へ行き「動く大地の物語」に想いを巡らす。
等々
そう言えば、学習会もⅢ期に入ろうとしていた。
テキストは『大地の動きをさぐる』(岩波科学の本8 杉村 新著)を選んでいた。
▼忙しくなにかをみつけようと動いていたようだ。
それは、後から名付けた「常民の科学」だろうか。
それとも最近使いはじめた「等身大の科学」だろうか。
いずれでもありそうで少し違う気がする。そんなかっこつけたようなものでない気がする。
あえてコトバにすれば
それは「私の科学」!!
それをみつけようとしていたではないかと思う。
そして、その「私の科学」をみつけようとする営みは今も続いているのである。
きっと「これから」も…。


     

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サイエンスコミュニケーター宣言(225)

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▼昨日の「雲見」もころころ変化していた。少しだけ青空モードになったかと思ったら、すぐさま雨雲モードにもどってしまう。それを繰り返していた。そんなときやった、「雲見」「空見」に関して滅茶苦茶うれしいことが起こったのだった。先日のオンライン「寅の日」寅彦の「凍雨と雨氷」を読んだ。ぜひともリアルタイムでその「凍雨」を見たいものだと思っていた。そしたら偶然オンライン(Facebook)で「凍雨」の写真を見せてもらうことができたのだ。
 見せてくれたったのは千葉・柏のあの武田康男さんやった。さっそく「おすそ分け」させてもらった。その上コメントまでいただいた。武田さんはなんと柏で毎年観察しておられるという。ありがたかった。こんなにワクワクしたのは久しぶりだった。
▼「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第32号 1985. 1.25】

 この号の巻頭にこう書いていた。
 

「地下茎舎 野を行く」、こんなシリーズをはじめようと思う。

そして 具体的には

 これをこれから地下茎舎として、よびかけ、<野>に出て、共同吸収の作風をつくりあげていきたいと思うんです。さしあたり「藍染めを学ぶ」「頭骨づくりの集い」「本州を二分する分水界・石生を行く」「野をたべる」「ヤマイモ、クズを掘る」等を考えています。

と書いていた。
▼それだけではなかった。「日本玩具博物館」に出かけて行き館長さんのお話を聞いたり、「全国凧あげ祭り」に参加したりと、動くことによって新たな「学び」の作風を創り出そうとしていたのだった。
いつも無手勝流の私たちがいちばんに頼りにしたのは「ヒューマンネットワーク」であった。
▼ここからは、全くの「自画自賛」である。
 こんな「学び」のネットワークが、今もしあったらぜひぜひ即参加してみたいと思う。
 と書きながら、昨日の「凍雨」の件を思い出した。
 ひょっとしたら私は、28年の時空を超えて今もその渦中にいるのかも知れない。
このワクワク感に似たようなものがある気がしてならない。

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サイエンスコミュニケーター宣言(224)

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▼昨日も雲ばかりの「雲見」だった。「雲見」をしながら天気予報をしてみた。
使うルールは極めて簡単だ。
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」
「光は東から 天気は西から」
の2つだ。TVの天気予報ではここ播磨まで「雪」かも知れないと言っていた。
確かに、生野峠の方向の雲は「上がるとシンシン」の雲に見える。その雪がこちらまでやってくる可能性はありそうだ。黒いシミのような雲が西から東に流れていく。
冷たい空気とあたたかい空気は水平・垂直方向にどう動いているのだろう。
色でもついておればもう少し私にもわかるかも知れないが、そうするとその複雑な動きに目を回してしまうかもしれないな。とわけのわからぬ空想してみたりする。
今朝は雨だった。
▼「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第31号 1984. 12.25】

 このころからなにか新たな「科学」めざめたようだ。
それが「ものづくり」だ。
▼この号に報告されているだけでもいろんなものが出てくる。
「とうふづくり」
「ガラス細工」「セイタカアワダチソウの茎を使った発火器」
「ソーラーバルーン」「凧づくり」等々
そんななかに「草木染め」があった。
●地下茎第31号P9 〔闇市開業〕 「タマネギの皮で色を染める」
▼これが草木染めにはまっていくはじまりだった。
次は藍染めに、そして「紅花を追って」につながるのだった。
それは「草木染め」だけのはじまりではなく、「常民の科学」への目覚めでもあった。


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本日(2013/02/05)、第26回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼立春の昨日、けっきょく朝から夕方まで雨だった。雨が少し小降りの時に何度か定点観測地に立ち、「雲見」をしてみる。最初はこれでは「雲見」にならぬと思っていたが、何度かそれを繰り返しているあいだに、これも面白い!!と思うようになった。微妙に雨雲が変化していっているのである。考えてみると「雨が降る」というこれほどありふれた気象現象で興味深いものはないのではないだろうか。
こんなアタリマエ「ふしぎ!?」を我らが寅彦も見逃すはずはなかった。
▼九州地方では早くも「春一番」が吹いたという。
もっとも身近にあってくらしと直結している「雨が降る」「風が吹く」という現象を寅彦はどうとらえ書き残してくれいるだろうか。
 それを読むのが2月のオンライン「寅の日」である。
今回はまず「雨」である。
◆第26回オンライン「寅の日」
●「凍雨と雨氷」(青空文庫より)
▼ひとつのことを学習するのに一般則から少しはみ出した特異なものを知ると、より学習が深まるということはこれまでよく体験したきたことである。
 今回もちょっと似たようなところがあった。
 「凍雨」「雨氷」というものがどのようにしてできるのかを今一度、寅彦の文章を読みながら学習した。そうすると「雨・雪がどのようにして降るのか…」というアタリマエの「ふしぎ!?」を深めることができた。寅彦の解説は端的で的を射ていた。

 凍雨と雨氷はほぼ同様な気層の状態に帰因する。すなわち地面に近く著しく寒冷な気層があって、その上に氷点以上の比較的温暖な気層のある場合に起る現象である。凍雨の方は上層で出来た雨滴が下層の寒冷な空気を通過するうちにだんだん冷却して外部から氷結し始めるということは、内部に水や不透明の部分のある事から推定される。また中層の温暖な層の上に雪雲がある場合には、そこから落ちる雪片の一部は中層を通る時に半融解して後に再び寒冷な下層に入って氷結し、前に挙げた特殊の形になるものと考えられる。雨氷の成因については岡田博士もかつてその研究の結果を発表された通り、やはり上層の雨滴が下層の寒気に逢うて氷点下に冷却され、しかも凝結の機縁を得ないために液状で落下し、物体に触れると同時に先ず一部が氷結し、あとは徐々に氷結するのである。
▼ところで私は、この「凍雨」や「雨氷」を自分の目で見た記憶がない。いやそれは正確でない、見たかもしれないけれど、それと意識して「観察」したことがない。  今年もどこかの地方で「観察」されることはあったのだろうか。 もしもあれば、「観察」写真でもオンラインで見せてもらえることはできないものだろうか。 寅彦も同じようなことを言っていた。
我邦におけるこれらの現象の記録は極めて少数であるらしい。しかし現象の性質上から通例狭い区域に短時間だけしか降らないものだとすれば、降るには降っても気象学者の耳目に触れない場合もかなりあるかもしれない。それで読者のうちで過去あるいは将来に類似の現象を実見された場合には、その時日、継続時間、降水の形態等についての記述を、最寄(もよ)りの測候所なり気象台なり、あるいは専門家なりへ送ってやるだけの労を惜しまないようにお願いしたい。

私は気象学者でもないし、専門家でもないがそんな情報交換できたら、日々の「雲見」もさらに面白くなるだろうなと思ったりするのである。

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【Web更新2/3】13-05「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!!

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装飾花 そっとゆれるかな 春の風 13/02/02 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】13-05
週末定例更新のお知らせ
 立春である。立春と言えばすぐ思い出すのが、あの中谷宇吉郎の『立春の卵』の話である。
中谷がその話を書いてから、もう66年もたつのである。我々の「科学」はほんとうに進化したのだろうか。
久しぶりに卵を立てたくなってきた。

◆表紙画像集2013 人里の自然シリーズ アジサイの装飾花
 立春にアジサイの話も変だが、私は冬のあいだもずっとあのアジサイの装飾花が気になってしかたなかった。
アジサイというのは「ふしぎ!?」なことというか凄いことをやる植物だ。そんな認識があった。
たとえば裸ん坊の冬芽には「不凍液」が入っていてオーバーやコートが要らないんだとか。
 だからきっと落ちない「装飾花」にもなんかの意味があるんだと思っていた。
 今さらであるが、このアタリマエに気づいた。私はとんだ勘違いをしていた。
「花」が枯れても落ちないのが不思議だったんだ。それはちがう!!
「装飾花」はほんとうの「花」ではないんだ。ほんとうの「花」が残っているはずはないんだ。
言わば人のいない「遺跡」みたいなものだ。あれは「人」ではないんだ。
そうはわかっても「装飾花」なかなか味わい深いものだ。
寒風に耐えた今、春の風がそっとゆらした。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 ずっと「地下茎」で「私の理科教育史」を追いかけている。
ずっと同じことをやっていると何をしているのだっかわからなくなることがある。
なんでこんなことしているのか自問してみた。
サイエンスコミュニケーターとして5つの課題を設定していた。

(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

である。
 そのうちの(5)である。「日本理科教育史」を概観したあと、より等身大にということで「私の理科教育史」追いかけているのだった。
今はまだ1984年である。
ゆっくり急ごう!!


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サイエンスコミュニケーター宣言(223)

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▼昨日は、大賀ハス定例観察日であった。蓮根植え替えから44週目であった。43週目から44週目へたった一週間でこうもちがうものであろうか。観察池の水はいっきょにやわらかくゆるんでいた。
 今日ははやくも節分!!
さあ ゆっくり 急ごう!!
▼「私の理科教育史」を続ける。

【「地下茎」第30号 1984.10.25 11.25】

 このころから私たちは、「真似る」からはじめて「学ぶ」にツナガル回路を手に入れつつあったようだ。
それはやがて私たち作風ともなっていった。
▼考えてみると、それは別段特異な話ではない。科学技術史などをみていると極めてアタリマエのことである。
どんな「発見」、「発明」でもそれまでの研究と地続きのなかで展開されてきたのである。
0からの出発なんてありえない。まずはそれまでを「真似る」ところからはじめられているのである。
「これは面白い!!」「これは使える!!」と思ったことは真似て自分でもやってみるところからはじめるのである。
 この号には、その小さな具体例があった。
今や教科書にも定番化して登場する「カルメラ焼き」である。
●地下茎第30号P4-7 「カルメラ焼き騒動記(ひめじ版)」
◆授業「カルメラ焼き」 (続)
▼あらゆる教材には、その教材の発展史がある。
定番化した教材ならなおさらである。
教材はひとつの文脈(コンテクスト)から生まれている。
その教材史を知ることは、もっとも有効な教材研究である。
それは「新・私の教材試論」で繰り返し言ってきたことだ。
そう言えば、この試論しばらく書いていないな。
また続けよう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(222)

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▼2月に入って2日目だ。明日が節分で明後日が立春!!なんてはやく日が過ぎていくんだ。地球はいつも同じスピードで回転していることを疑いたくなってくる。このごろ少しスピードアップしているのではないんだろうな!?
 前の竹藪の椿、蕾が少し色づいて見えるのは同じ錯覚によるものだろうか。
▼「私の理科教育史」も少しスピードアップの必要があるのかも知れない。
でも やっぱり ゆっくり 急ぐ!! それが私流!!

【「地下茎」第29号 1984.9.25】

この年の夏休みは少しスピードアップをしていたようだ。
 科教協から帰っても「合宿研修」「教育実践交流会」等々動き回っていたようだ。
▼[事務局だより]にはこう書いていた。

「最近つくづくと思うのですが、ボクたち「凡人」の学習方法は動くことですね。うごけば「おっこれは…」というネタにもぶつかりますよね。今は忙しいのでなんて自分に言い訳していては、なんにも見えてきませんよね。うんと…」

▼事実、面白いネタにぶつかったようだ。
この号の[闇市開業]はサイフォンの原理を利用した玩具だった。
今、見てもなかなか面白いものだ。もう手に入れることできなくなってしまったのが残念だ。
●地下茎第29号P10 [闇市開業] サイフォンの玩具「ふきあげ」 

出会ったのは、今や全国的いや世界的にも有名になった
◆日本玩具博物館
だ。
 玩具博物館としては日本を代表するような存在になっている。
 それだけでない、私たちにとっては「教材の宝庫」であり続けている。
こう書いていて久しぶり行ってみたくなってきた。

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【お薦め本】『地質学の自然観』(木村 学著 東京大学出版会)

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▼2013年1月最後の日の昨日、仕事から帰った私はいつものように定点観測地から「雲見」をしていた。
雲ひとつない空の「雲見」だった。どこから春の陽気がただよっていた。
「雲見」が終わってたあと、楽しみしていたその本をいっきょに読み終えた。
その本とは
◆『地質学の自然観』(木村 学著 東京大学出版会 2013.1.18)
である。実に面白かった。
あまりにも面白いと思ったので、今年になってはじめて【お薦め本】を書く気になった。
▼読み終えた今、「私は、なんでこの本を面白い!!」と思ったのだろうと考えてみた。
目次をあげるとこうだ。

はじめに
第一章 古典地質学はの方法
第二章 歴史科学としての地質学
第三章 プレートテクトニクス革命
第四章 地質学と哲学
第五章 現代地質学の方法と自然観
付録 これから論文を書こうとする若い読者のために
おわりに

どこが面白かったのだろう?このごろ日増しにポンコツ度を増してきているせいだろうか。
一冊の本をいっきょに読んでしまうことは少なくなってきている。途中まで読んでやめてしまうことや、一部だけ「つまみ読み」をすることが多くなっているのだった。
 ところがこの本はちがっていたひとつの章を読めばつい次の章を読みたくなってしかたなかった。
なんでだろう?頭の中を整理してみた。
 だいたい3つぐらいまとめた。(こういうときは最大限は3つだと著者も言っていた。P224)
(1) 「私の文脈」と「著者の文脈」が重なっていた。(なんと不遜な表現)
(2) 一貫して等身大の口調で語られていた。
(3) 「等身大の科学」の必然性・有効性が語られていた。
▼「はじめに」の最初の1行目は次の一文ではじまる。
「還暦を過ぎると、人生のまとめをしておきたいとの思いが強くなります」

「あれ!この人私と同い年くらいかな?」と思った。
調べてみた。どうやら一ヶ月ぐらい先輩で「同い年」のようだ。急に親近感わいてきた。
同じ時代の空気を吸ってきた人間だということで、妙に「共感」するところがあった。
「そうだよな!あの時代はそうだったよな!」と、同窓会で旧友と話している気分になった。
それは各章の随所にあった。
 それは、この本のすべての章が「等身大」の口調で語られていたこととも大いに関係すると思う。
ややもすると堅苦しいテーマのところも「会話」調にする等の工夫があって私のようなシロウトにも納得できるようになっていた。
 タイミングもよかった。
私は、今週の初めから再度、授業「大地の動きをさぐる」をはじめている。
私はこの授業のサブタイトル(「ねらい」でもある)を「大地の動きを「現在進行形」でとらえよう」としている。
もちろん「プレートテクトニクス」から入った。今は教科書もそうなっているのだ。以前はそうではなかった。
「プレートテクトニクス」について以前からずっともやもやしたものがあった。
私が理科教師をはじめたころから比べるとずいぶん教科書もかわってきた。簡単な付け足しの「読み物」的扱いが正面きって扱われるようになったわけだから、それはとてもありがたいことでありうれしいことだ。
しかし、「どうしてこのように変わってきたのか?」「研究最前線ではどうなっているんだろう?」
この疑問がずっとあった。それを知りたいと思っていた。
この本にはその疑問の答えが書いてあった。それもとってもわかりやすいかたちで…。
▼「現代は過去の鍵である」この本で何度となく登場するコトバだ。
「現在起こっている現象は過去にも起こったに違いない」とする斉一主義を象徴するコトバである。
地質学を貫く考え方のようだ。
その徹底とあわせて、新たな「科学」が必要だと著者は説く。
それが「等身大の科学」だ。それを著者は自ら研究にひきつけ、「等身大の地質学」と呼んでいる。(P203)
「巨大地質学」においても最前線で活躍する著者のコトバは説得力をもつ。

最後に印象に残った2文を引用されてもらう。
ひとつは第5章しめの文章だ。

 これまでの未来設計は、「天下国家百年の計」であったわけですが、今回の地震の最大の教訓は、それを「天下国家千年・万年の計」に変更しなければならないことを教えてくれたのです。(p208)

もうひとつは「おわりに」のなかにあった。

 今の地球科学・地質学の現状では不可能ですが、将来「日本列島変動診断士」のような人が各地に生まれ、日々の観測から土地利用、災害リスクにいたるまで、社会の相談役として大きな役割を果たす。そのような人たちがたくさん生まれる、そんな近い将来を夢見る日々でした。(p230)

最後の最後に「蛇足」になることおそれずに言いますが「おまけ」がとってもいいです。
「おまけ」とは「付録 これから論文を書こうとする若い読者のために」です。
「若い読者のために」となっていますが、私のようなポンコツでも十分に参考になりました。
「おまけ」のためだけに本体を購入しても損はしません!!

 
 

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