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サイエンスコミュニケーター宣言(239)

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▼またしても「満月」の写真を撮るのをのがしてしまった。なんとか月が出るまで待ってくれるかと思ったらそうはいかなかった。全月齢の写真を撮るということを今年の抱負としてあげている私としてはくやしいかぎりである。
夕方いつもの場所に立って「雲見」をした。このあとすぐに雨が降り出してしまった。
 でも不思議な話だ。38万㎞も彼方の月がどんなかたちでいつ見えるのかはっきりとわかっているのに、たかが10㎞ばかりの範囲の大気の動きがわからないとは?
それがまた「天気の科学」の面白いところかも知れない。
▼「地下茎」をたよりに「私の理科教育史」を追う作業もいよいよ終わりである。

【「地下茎」第46号 1989.8.26】

なんと45号から46号までに2年近くが経っていた。
「開店休業」がつづいていたのである。
その巻頭は「『授業』にこだわり続けて」ではじまっていた。
そして、こう結んでいた。

『地下茎』から、
ためこんだ栄養を使って
今再び、スルスルと蔓をのばし、
感性の葉を力一杯ひろげ
『もっと光を…』と絶叫し、吸収し
つくり出した栄養で
すばらしい花(授業)を咲かせよう。 

▼この号はみんなで参加した
●1989年(平成元) 科学教育研究協議会第36回全国研究大会(宮崎)
 ~自然をゆたかにとらえ、子どもがイキイキする授業を~
の参加報告からはじまっていた。
 実は、その前年の
●1988年(昭和63) 科学教育研究協議会第35回全国研究大会(北海道・札幌)
  ~自然科学の本質をとらえ、楽しく、楽しく、子どもがワクワクする授業を~
にも参加はしていた。しかし、『地下茎』としての記録は残していなかった。
▼この号でもシリーズ「地下茎舎 野を行く」を特集していた。
「A・T(姶良火山灰)を追え」
大会がせっかく宮崎であったのだから、ATの「ふるさと」姶良カルデラを訪ねようということになった。
以前から計画していたことでもあった。
「こだわりつづけて」
「それはお楽しみ広場からはじまった」
 では、日本全国からAT情報を集める『ATを追う会』の発足も呼びかけていた。
「シラスを追って」
「見たぞ『姶良カルデラ』」
とつづけ、最後には
※次号『これが桜島だ』『姶良カルデラの姶良へ』『みたぞ!!アカホヤ火山灰も』につづく。
乞うご期待。
と付け加えていたが次号がついには出されることはなかった。
●地下茎第46号P5-8 「A・T(姶良火山灰)を追え~ATのふるさと姶良カルデラへ(1)~」

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