サイエンスコミュニケーター宣言(235)
▼またしても風は冷たく雪が舞っていた。定例コース+長距離コースを歩いてみた。足元のホトケノザが冷たい風を少しやわらげてくれているようだった。
▼もう少しだけになった『地下茎』による「私の理科教育史」を作業を続ける。
【「地下茎」第42号 1987.1.25】
年がかわっていた。1987年の発行になっている。
今から26年前のことだ。巻頭では「例会の「出前」制を」を唱えていた。
またちがった環境のなかで学び合うことで、学ぶ内容もより豊かになるのではと考えたからであろう。
▼「丹生」への「ばっかり病」はかなり重症であったようだ。
それもこれまでになく長期にわたっていたようだ。
・NHK番組「中央構造線900キロの旅」
・興味は古代史へ
・卑弥呼は朱を顔に塗っていた?
・「朱」の製造集落遺跡(徳島・板野町)の新聞記事
・丹生山へ
・見つけたぞ「丹生の朱土」
等々とつづけていた。今回からは「朱(丹)を追え」のタイトルは「朱(丹生)を追え」に変えていた。
●地下茎第42号P9-11 朱(丹生)を追え(3)
▼なぜそこまでこだわっていたのだろう?
と思うと同時に読みかえしていると当時のワクワク感が蘇ってくる。
「これは作り話を書いているのだろうか」と自分でも疑ってみたくなるぐらいに、偶然が重なっているのである。
動けば必ず新しい「発見」しているのである。
その情報を発信すれば必ず情報がふくらんで帰ってきているのである。
ならば、26年の時空を超えて今日も少しだけでも「動いて」みるかな。
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