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サイエンスコミュニケーター宣言(221)

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▼「雲見」は複雑系科学の典型かも知れない。刻々と姿かたちを変える雲の次なる姿かたちは予測できない。手持ちの「科学」を総動員しても確かなところは見えてこない。大気の物理学の一般則を適応しても限界がある。
地表の地形が大いに関係しているのかも知れない。また、地表における人間の営みのも無視はできない。
 ならば、科学の原点「観察」「観測」からはじめてみるのも手かも知れない。
それが、「雲見」「宇宙見物」だ!!
 そう思っているあいだに、はや1月も終わりである。
さらに ゆっくり ゆっくり 急ごう!!
▼「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第28号 1984.8.25】

 この号は
●1984(昭和59) 科学教育研究協議会第31回全国研究大会(東京)
  ~自然にはたらきかける力をすべての子どものものにする自然科学の創造を~   

に参加したその報告の特集をくんでいる。
地下茎舎からは4人の者が参加した。
「お楽しみ広場」
「ナイター(入門講座)」
「分科会」
「懇親会」
等々の報告。
大会が終わってからもせっかく東京まで来たのだからと動いていた。
・「仮説社」訪問
・国立科学博物館(ちょうどブラキオザウルス展をやっていた。「ブラキオ・タッチ証明書」ももらっていた。)
・古本屋めぐり
▼特集の20ページをワクワクしながらいっきょに読んでしまった。
自分たち発行したものを読んで感動するなんて言えば、「自画自賛」「我田引水」もいいところで少し恥ずかしいが、事実はそうだった。29年の時空を越えて「面白い!!」と共感してしまうのである。
なにに感動し共感するのか。
大きく3つある。
(1) 共同吸収の有効性!!
(2) ヒューマンネットワークのすばらしさ!!
 4人は4様の拙いながらも「私の科学」を持っていた。だから同じ実験・レポートを見ても微妙にちがう受け取り方をしていた。それをその場で話しながら「共同吸収」していくから、ひとりで吸収するときの何十倍の情報として吸収できたのである。それをみんなが実感していた!!
「“共同吸収”は、単なる加法ではないようです。」と記していた。
 眠る時間も惜しんで欲しい情報を手に入れようとしていた。ふだん『理科教室』などを通して興味ある実践をやっておられる人の話を積極的に聞きにいこうとしていた。あつかましく今後、サークル誌交換などの情報交換をお願いしたところも多数あった。ヒューマンネットワークの輪をどんどん拡げようとしていた。
 30年近く経った今もそのころのヒューマンネットワークは健在である。うれしいかぎりだ!!
▼3つ目は、「我田引水」の極みだが、そのころの私たちの動きが
(3) きわめてTwitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」)だ!!
 Twitter的なんて極々最近に言い出したこと。しかし
その6つのキーワード、ひとつひとつあてはめてみるとピッタリとくるのである。
ひょっとするとTwitter的は不易な法則かも知れない。


 

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サイエンスコミュニケーター宣言(220)

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▼風にはどこか春のにおいがする。
と思って「空見」の定点観測地に向かおうとした。そのとき足元のコンクリートのそばのすき間にオオイヌノフグリいやホシノヒトミがひとつ咲いていた。植物のレセプターが、私でも感じられる春を見逃すはずはなかった。
それにしてもホシノヒトミのネーミングはいいな!人間もなかなか…。
▼「私の理科教育史」をつづけよう。

【「地下茎」第27号 1984.7.25】

[学習会報告]「授業中におこなわれた大発見~電磁石~」、このときは「電流と磁石」の関係を実験的に明らかにしたエルステッドの研究のことが中心の話だったのだが、電池の発明から次々とつながっていく電磁気研究の実験をさして、「このあたりの実験 復元していったらおもしろいだろうな」と書き復元実験を提案していた。なかでも1829年にアメリカのヘンリーのやった270㎏以上のものをもちあげたという「電磁石」を自分たちでもつくってみたいと言っていた。それは今なお宿題になったままだ。
▼この号にはとても面白い研究報告があった。
『なぜ、播但線は遅いのか?!夏の列車内での測定』
Hiさんの報告だった。夏の暑い列車内にストップウオッチチもちこんでの実験観察の報告だ。
実験観測結果をS-tグラフに書き「ふしぎ!?」を追求していく報告に、思わず私は寅彦の
◆「電車の混雑について」(寺田寅彦 青空文庫)
を連想してしまった。
ひょっとしたら「オンライン・オフライン「寅の日」はもうはじまっていたのかも知れない。
▼そのころは見るもの聞くものすべてが「科学ネタ」に思えた。教材への可能性を持っていると考えていた。
日常のくらしのなかにこそ「科学」はあると思いつつあった。
ちなみにこの号の[闇市開業]は、このころから畑でよく見かけるようになったモグラ撃退風車だった。
●地下茎第27号P11 [闇市開業]「モグラ撃退(!?)風車」

「等身大の科学」の方もやっぱりはじまっていたのかも知れない。

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サイエンスコミュニケーター宣言(219)

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▼昨日(2013/01/28)の朝は今年いちばんの雪がふっていた。とは言ってもその雪は午前中にすぐに融けてしまうほどの量だった。
 いつもの定点観測地のヒガンバナにも雪がうっすら覆っていた。ビガンバナは雪をかぶって、昼間の元気を失い萎えていた。これがヒガンバナの防寒対策なんだろうか。その「ふしぎ!?」を知りたくなってきた。
▼「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第26号 1984.6.20】

25号から26号までのあいだにぜひとも「記録」しておくべきことが起きていた。
●1984年(昭和59)05.30 09:39 山崎断層地震 M5.6発生
 これはいつかきっちりと授業をしておきたいと思った。
それから27年経った一昨年やっとその震源地で授業をした。
◆【授業】山崎断層地震『27年前の記憶』から: 私の【理科教師日記】
そして、今年再度この授業に挑戦する。
▼「記録」が有効だと思うことが、この号にもうひとつあった。
それはあの「究極のクリップモーター」である。記憶ではもう数年あとだと思っていたがこのころにはじまっていたのである。
●地下茎第26号P11 [闇市開業]「もっと簡単になった クリップモーター」
▼地質学などでよく使われる言葉に「現在は過去の鍵である」というのがある。
斉一主義・現在主義と言うらしい。
この一見アタリマエの考え方にえらく感動してしまうのである。
でも私の究極の目的は過去の読み解くことではない。
そこから見えてくる「これから」を展望することだ。
あまり大袈裟に言うのはやめよう。
ちびりちびり続けよう もっと ゆっくり 急ごう!!

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【Web更新1/27】13-04「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!!

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耐えてこそ なお輝くや 寒の風 13/01/26 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-04
週末定例更新
 2013年になって4度目の更新である。はやくも1月も最後である。
なんというスピードで地球は回転しているのだろうと感心してしまう。そんなはずはないのに…。
今年の「道楽2.0」はそのスピードはついているのだろうか?
ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ ヘクソカズラの実
 寒の風は冷たかった。だからこそ歩いてみたくなる。あの冬芽はどうしているのだろう。あの実はどうなっただろう。あの虫たちは…。寒の風にゆれながらヘクソカズラの実がひときわ輝いていた。
「歳時記は日本人の感覚のインデックス(牽引)である」と寅彦は言った。
私の歳時記には、「ヘクソカズラ」は夏の「ヤイトバナ」としてだけでは登録していない。
冬(寒中)の歳時記でもあるのだ。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 ずっと『地下茎』で「私の理科教育史」を追うことを続けている。
「記憶」というものがいかにいい加減なものかがわかる。
 「記憶」では勝手に自分に都合のいいところだけをつなぎ合わせて事実のように認識しているのだ。そんな作業も必要なときもあるが、それでは「科学」にならない。
単なる想い出話になってしまう。
 作業そのものをより有効性を持たせるためにも、「記録」されたものを追うことにしようと思う。
その方が感動も大きいように思える。
 如何にがんばっても
「過去と他人は変えることはできない  変えることができるのは未来と自分だけ!!」
を肝に銘じながら…。

◆オンライン「寅の日」 更新
 昨日も「私の科学」とはちがう「科学」に出会い学ぶ場に出かけて行った。ちがうから面白いのだ。
ちがう「科学」がときどき交叉する。そしてまったくちがう新たな「科学」が生まれる。
それが面白いのだ!!
 「寅の日」の本来の趣旨から言うとこちら方が求めているものなのかも知れない。
私はこれをオフライン「寅の日」と呼ぶようにしている。
オンライン「寅の日」はそれを補完するものとしてあるのかも知れない。

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サイエンスコミュニケーター宣言(218)

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▼大賀ハス観察池の氷がとけたのは午後になってやっとであった。蓮根植え替えから43週目であった。それにしても観察池に吹き付ける寒の風は冷たかった。
 もう二ヶ月すれば植え替えの予定である。
 寒風のなか枯れてなおそのかたちをとどめる葉、ねじれた葉茎たちが、その「歴史」を物語っているようだった。
▼ポンコツの私も「歴史」を続けよう。

【「地下茎」第25号 1984.2月3月】

この号も2月、3月の合併号になっていた。
しかし、みんなの動きは止まっていたわけではなかった。それは記載の記事をみればよくわかる。
「例会報告」
「学習会報告」
「玉虫箔のはなし」
「植物の見方・見せ方」等々。
実に多様な取り組みが報告されている。
▼そんな記事の中に
「ボタン鍋をつついて頭骨標本をつくるつどい」の報告がある。
後に「イノシシ学会」と呼んでいた集いだ。
これはほんとうに面白かった。
頭骨標本づくりは当時のマイブームだった。数々の「作品」をコレクションをした。
◆「頭骨」コレクションの思い出-1
◆「頭骨」コレクションの思い出-2
◆「頭骨」コレクションの思い出-3
▼あの当時の多くの「作品」は、今、どこかの理科室で元気に活躍しているのだろうか。
準備室で誇りをかぶって眠ったままかな。それとも…
できれば現役で活躍していることを願うばかりである。
ちなみに私のコレクションの作品は多くは散逸してしまったが、
いくつかの作品は「出番」待機中である。

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サイエンスコミュニケーター宣言(217)

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▼柿の木にぶら下がったミノムシが冷たい北風にはげしくゆれていた。なんでまたこんな北風がまともに吹くところにぶらさがったのだろう。この場所が蓑をつくるのに便利だったのだろうか。幼虫のエサの葉がいっぱいあったのだろうか。いやそうではなくこの北風にゆれることにこそ意味あるがのだろうか。それも計算のうえでの営みなんだろうか。…それこそ意味のない手前勝手な想像をしてしまった。
 そう言えばこのミノムシめっきり見かけること少なくなってしまったような気がするのだが。
それは気のせいだろうか。
▼30年前の「私の理科教育史」にもそんな計画性や意図・意味があったのだろうか。
つづける。

【「地下茎」第24号 1984.1. 】

発行日の日付が1984年になっていた。
新しい年を迎えていたのだ。そんなこともあって「’84「地下茎舎」は…」では、「目標なり、自分たちの「枷」をつくって仕事をすることも、ひとつの発展につながると思うので」と5つの項目をあげていた。

1.授業実践を、もっと前面に活動していく。
2.これまでの実践を「テキスト」に集約していく。
3.他のサークルとの実践的交流
4.フィールドワークの活発化
5.サークル誌『地下茎』の充実

2.の「テキスト」と言うのは明らかにテキスタイル化を意識していたのだろう。
▼ずっと交流のあった、というか教えてもらってきていた延原肇さんが、「置き土産に」と「タンパク質」学習の意味を手紙で語っておられた。
「植物→タンパク質→酵素→生命とは」と、ひとつの生物学習の柱を提案しておられた。
今読みかえしてもきわめて興味深い。
▼「教材」とは必ずしも完成された一式のモノ(実験など)をさすとはかぎらない。ときにはちょっとしたアイデア・小道具・材料等をさすこともあると思っている。
この号の[闇市開業]はそんなひとつの小道具、実験器具の紹介であった。
●地下茎第24号 [闇市開業]「ポケットバーナーを使って」

[本の紹介]の方は二冊を紹介していた。今も手に入るのかと調べてみたら、前著『カラースケッチ解剖学』の方は版を重ねているので今も手に入るようだ、もちろん値段は変わっているが。後著『ソーラーバルーン』は古書ならば手に入るようだ。
両著とも十分今もこれからも使える本だと思う。
●地下茎第24号P11 [本] 『カラースケッチ解剖学』 『ソーラーバルーン』

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サイエンスコミュニケーター宣言(216)

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▼昨日午前中の「雲見」は雲のない「雲見」だった。寒晴れのなか、縁側で私は「岩石洗い」をしていた。寒の水もやっているあいだに温むぐらいの日射しだった。「岩石洗い」をしながら動く大地の物語を構想していた。
「雲見」「宇宙見物」からはじめる空(宇宙)の物語も面白いが、動く大地の物語もなかなか興味ぶかいものだ。
それらの物語の歴史からすると「一瞬」である30年前に話をもどす。
▼30年前の「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第23号 1983.11.25】

 巻頭には、公開授業に参加したときの感想を書いていた。そのなかにあのコトバがあった!!
宿で眠るときにF先生から聞かされたコトバとして記していた。
「授業こそ、教育実践の最前線である」
私は教師生活のなかでこのコトバを何度使ってきただろう。
言わば私自身の教師としての座右の銘のようにしてきた。
そのはじまりが30年前のここにあった知っただけでも読み返す価値があった!!
▼学習会の方はいよいよ「電気」に入っていた。
その中で平賀源内の「エレキテル」のことを話題としていた。
テキストにはこう書いてあった。

 源内のつくったエレキテルは、いま東京の逓信博物館と香川県志度町の平賀家に残っている。
逓信博物館のものは、…

 構造は簡単はかんたんであるから、すこしこんきのよい小学生ならば、つくれそうである。
                        (『磁石と電気の発明発見物語』(板倉聖宣編 国土社)P68より)


 今ふり返ってみると自分でも驚いてしまうのだが、「それでは」とすぐさま逓信博物館(現逓信総合博物館)に連絡をとっているのである。
 もっと驚いてしまうのは逓信博物館がていねいに資料を送ってくださっているのである。
その一部を、この号に転載させてもらっていた。
●地下茎第23号P7 「エレキテル」資料
今、ネット検索をしてみると次のようなページをみつけた。
◆逓信総合博物館 郵政資料館「所蔵品 資料紹介解説「エレキテル」」
必見である。
 またしても東京に行ったら立ち寄ってみたいところが増えた!!30年前のお礼も言わなければ…。
▼「磁石石」の話題まだ続いていた。
「再び「磁石石」その後」と題してた記事には第4地点「美ヶ原 王ヶ鼻」の情報が書かれていた。
ここにも研究者がおられた。そこにも連絡してくわしい情報をもらっていた。
第5地点「東尋坊 雄島」についても情報があいついでいた。
ここまで来ると「カミナリの化石」ということがはっきりしてきたようだ。
翌年の春には私は学年研修で方位磁針をもって東尋坊 雄島を訪ねたのである。


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本日(2013/01/24)、第25回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日もやっぱりいつもの「雲見」をしていた。「雲のかお」の表情を読み取るだけでなく、雲の流れの意味も考えようとしていた。天気図と見比べながらその「大実験」を観察しようとしていた。
そして、「これから」の空を予想も立てみた。
夕方になったら、今度は「宇宙見物」だ。
いつもの月も撮ってみた。
 私はなにをしようとしてしているのか?
何がしたいのか?
 そう!!私は「科学」を自分の射程にまで引き寄せてきて、「私の科学」、「等身大の科学」を楽しみたいのだ。
レベルがまったくちがうかも知れないが、そんなことをやろうとした先駆者がいた科学者・寺田寅彦だ。
▼その寺田寅彦が遺してくれた文章をオンラインで一緒に読んでいこうというのがオンライン「寅の日」!!
今日(2013/01/24)は、その第25回目である。
◆第25回オンライン「寅の日」
●「十一 毛ぎらい」(「自由画稿」より)(青空文庫より)
 前回に引き続き「自由画稿」からである。
 正直に言おう。
 今日のテキストの「毛ぎらい」読みかえしてみた。
十八編あるエッセイのなかからこれを選んだのか自分でもわからなくなってしまった。
無責任な話だ。
そのときあの「はしがき」の文章を思い出した。

 ついでながら、断片的な通俗科学的読み物は排斥すべきものだというような事を新聞紙上で論じた人が近ごろあったようであるが、あれは少し偏頗(へんぱ)な僻論(へきろん)であると私には思われた。どんな瑣末(さまつ)な科学的知識でも、その背後には必ずいろいろな既知の方則が普遍的な背景として控えており、またその上に数限りもない未知の問題の胚芽(はいが)が必ず含まれているのである。それで一見いわゆるはなはだしく末梢的(まっしょうてき)な知識の煩瑣(はんさ)な解説でも、その書き方とまたそれを読む人の読み方によっては、その末梢的問題を包含する科学の大部門の概観が読者の眼界の地平線上におぼろげにでもわき上がることは可能でありまたしばしば実現する事実である。読者の頭脳次第では、かなりつまらぬ科学記事からでもいろいろな重大問題の暗示を感知し発見し摂取し発展させることもしばしばあるのである。

こう言われれば、この寅彦の挑発を受けないわけにはいかない。
▼気をとりなおしてもう一度読んでみた。
さすが科学者・寅彦だ!と思ったところがある。

 蛙(かえる)をきらいこわがる人はかなりたくさんある。それから蜘蛛(くも)や蟹(かに)をきらう人も知人のうちにある。昔からの言い伝えでは胞衣(えな)を埋めたその上の地面をいちばん最初に通った動物がきらいになるということになっている。なるほど上にあげた小動物はいずれも地面の上を爬行(はこう)する機会をもっているから、こういう俗説も起こりやすいわけであろうが、この説明は科学的には今のところ全然問題にならない。所を異にした胞衣(えな)とそのもとの主との間につながる感応の糸といったようなものは現在の科学の領域内に求め得られるはずはないからである。

 俗説とはきっぱりと訣別している。
しかし、それだけでは終わらないところが寅彦なんだ。
こんなふうに虫やそれに類したものに対する毛ぎらいはどうやら一応の説明がこじつけられそうな気がするが、人と人との間に感じる毛ぎらいやまたいわゆるなんとなく虫が好く好かないの現象はなかなかこんな生やさしいこじつけは許さないであろう。ただもし非常な空想をたくましくすることを許されるとすれば、自分はここにも何か遺伝学的、優生学的、生理学的な説明が試み得られそうな気がする。ただ気がするだけでまだ具体的な材料を収集することができない。

寅彦は正直である。
納得いかないことについては簡単に納得しない!
そして言うのだ。あの口癖! 
「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」
と。
▼それでも、やっぱり今回はちがうところがある。
いつもだと
「そうか、こういうことが言いたかったのか!」
「さすが寅彦!!」
「お見事!!」と膝をたたき終わるのだ。
ところが今回はちがうのである。最後の一文が今の私にはわからない。
 それはとにかく、年を取るに従っていろいろな毛ぎらいがだんだんにその強度を減じてくることは事実である。そうして同時に好きなものへの欲望も減少し、結局自分の中の「詩の世界」の色彩があせてくることもたしかである。
「毛ぎらい」と「詩」と「ホルモン」とは「三位一体」のようなものかもしれないのである。

謎かけをされたような気分だ。
寅彦はこう書いた年の大晦日に亡くなるのである。そのこととなにか関係があるのだろうか。
私には ???????…。
誰かこれを読み解いてくれないかな。

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サイエンスコミュニケーター宣言(215)

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▼昨日もいつもの定点観測地に立ち「雲見」を楽しんだ。それしても「雲のかお」の表情は刻々と変わっていた。さっきまで曇り顔を見せていたかとおもったら、今度は笑顔に変わった。突然泣き出したりもするのだから、なんとも気分屋であることか。
 それが面白いと言えば面白いのかも知れないが…
▼私の方はできるだけ気分を排して「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第22号 1983.10.25】

 学習会が第Ⅱ期に入っていた。
テキストは『発明発見物語「電気」~らしん盤からテレビジョンまで~』(板倉聖宣編著 国土社)だった。
報告を書いているが、それを読みかえしてみた。
今さらのごとく自分は頭が悪いな!と自覚する。ひとつのことでも紆余曲折しながらでないと頭に入らないのである。ある程度の時間をかけなければ納得できないのである。これはどうやら死ぬまで治りそうにない。
今回は「地球磁石」のことについてであった。
●地下茎第22号P5-7 学習会報告
▼イモズル式だった。「磁石石」にまだこだわっていた。
たったひとつの小さな「ふしぎ!?」から「つる」を手繰り寄せていた。冷静になって考えてみるとずいぶん失礼なこともしてきたのだろう。この人に聞いてみようと思ったらすぐ手紙を書いていた。
うれしいことにていねいな応答の手紙をいただいていた。
●地下茎第22号P10-11 「磁石石」その後
▼私は、この種の手紙を書いて応答をいただかなかった経験がない。逆に自分が応答しなかったことは多々あるかもしれないが…。30年前も今もそして「これから」も変わらぬものがあるような気がしてならない。

自然界の謎解きには必要不可欠な重要な「法則」が存在する。
学びの世界にも重要な「法則」が存在するのではないだろか。
この二大法則が

第1法則 「情報は発信するところに集まる!!」

第2法則 「情報は交叉するところに生まれる!!

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(214)

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▼前の竹藪の椿がたくさんの蕾をつけていた。ほんとうに堅いんだろうかとちょっとだけ触ってみた。たしかに堅かった。蕾たちは地球が何回転したら花開くともうきめているのだろうか。
そしてその花が落ちるときは「うつ伏せ」か「仰向き」もきめているのだろうか。
たくさんの花が咲きそうだから、今年は寅彦の真似をして調べてみようかな。
▼30年前にもそんな小さな「ふしぎ!?」をみつけたいたようだ。
「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第21号 1983.9.25】

のせている記事にそれはあった。
小さな小さな「ふしぎ!?」からはじめまって、多くの人から教えてもらいながら「大発見」につながっていく不思議発見物語がはじまっていた。
それは「「磁石石」ってなんだ」という記事だ。
夏休みにぼんやり中学生使う地図帳をながめていたときにみつけた「∴磁石石」にはじまる。
それは「磁石」と「電気」の不思議な関係にまで及ぶことになる。
●地下茎第21号P6 「「磁石石」ってなんだ」
●地下茎第21号P10 「「磁石石」ってなんだ」
▼10数年後には科学読み物「カミナリの化石!?-磁石石」としてまとめて授業でも使っていた。

◆科学読み物「カミナリの化石!?-磁石石」

このあともどんどん面白い方向に展開していくのだった。
ところが、実は私自身は30年経った今も「高山」を一度も訪れていないのだ。
「いつか…」は今年だ!ときめた年だからぜひとも今年中には行きたいと思っている。
▼この号の[闇市開業]もなつかしいものを扱っていた。
いっときはやった「電気パン」である。
●地下茎第21号P11 [闇市開業]「牛乳パックでパン焼き器を」

教材研究というより、自らが「科学」を楽しむことが先行していたのかも知れない。
でもまちがいなく、すぐれた教材の「3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則」はそのころにも成立していた。

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【Web更新1/20】13-03「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!!

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寒晴の 赤き実のなお 眩しけり 13/01/19 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】13-03
週末定例更新のお知らせ。
 今年3回目の更新である。誕生日を迎えて年齢が変わって最初の更新でもある。更新作業をしながらふっと「なんでこんなことやっているのだろう?」と思ったときに思い出したのが「ファラデーの日記」だった。
ファラデーは科学史でも例のないぐらいの膨大な研究記録を残した。42年間にもわたる日記である。
興味深いのは研究記録の各パラグラフに通し番号をつけて、後ほど「検索」しやすいようにしておき、自分で利用したらしい。これだと思った!!
 そんな大科学者の足元にもよれないが、この発想はいただける。
今はたいしたことでなくても「記録」を残し、更新しておけば、各パラグラフに通し番号をつけることなくいつでもひっぱり出せるのである。この「記録」の最初の利用者は未来の私なんだ。
 道楽としてはなかなか面白い作業に思えてきた。

◆表紙画像集2013 更新 人里の自然シリーズ ナンテン
 寒晴の日、私は縁側でその陽にあたりながら、冷たい水で「岩石洗い」をしていた。あまり冷たい水が苦にならないのが不思議だ。寒晴の陽は意外とあたたかい、しかしその時間は短い。門先ま出てみるとナンテンの赤い実が妙に眩しかった。
やっぱり太陽とはありがたいものだ。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「地下茎」を読み返しながら「私の理科教育史」を追いかけている。
驚くのは自分の頭が30年前と同じ思考回路であるということだ。
同じように考え、同じように「失敗」を繰り返していることだ。
少しへこむ。
 でもやっぱり続けよう。とりあえず最後まで… ゆっくり 急ごう!!

◆オンライン「寅の日」 更新
 もうすぐこれをはじめて一年になる。
寅彦の文章をこんなにちゃんと読んだことなかった。
読めば読むほど面白い!! そう思えるあいだずっと続けたい。

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2013年2月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼昨日19日は、大賀ハスの定例観察日。蓮根の植え替えから42週目である。寒中らしく観察池は凍っていた。その下に眠る太ってきただろう蓮根のことが気がかりだ。大賀一郎先生(当時68歳)は1951年(昭和26)3月30日、千葉県千葉市検見川の泥炭層の中から、やく2000年前の古代蓮の実をみつけた。それが大賀ハスの始まりである。
 もうすぐそれから62年が経つのである。62年間に全国に「大賀ハス」は広がった、そしてここにもあるのだった。
その大賀ハスと私は「同い年」だった。
 大寒の本日(2013/01/20)は私の62歳の誕生日である。少しだけ大賀ハスよりは先輩だ。
▼もちろん2月もオンライン「寅の日」はつづける。
2月のテーマは「気象」でいきたいと思う。寅彦はあらゆるテーマにふれて書いているが、なかでも気象現象について書いたものはとても多いように思う。
 我々は考えてみると「大気の物理実験室」にくらしているようなものだ。その「実験室」での科学者・寺田寅彦の観察眼は冴えわたっている。みごとな文章力をともなって…。
2月は2回ある。
◆第26回オンライン「寅の日」…2/5(火)
◆第27回オンライン「寅の日」…2/17(日)
である。
▼その「気象関係」と言っても数あるうちのどれを読もうか迷った。
迷った末にやっときめた。ひとつは今の季節を考えて「凍雨と雨氷」にした。
もうひとつは、ネットでも少し話題になっていたこともあって「颱風雑俎」にしたい。「減災」科学も含まれていてなかなか興味深い。
2013年2月オンライン「寅の日」!!
◆第26回オンライン「寅の日」…2/5(火)「凍雨と雨氷」
◆第27回オンライン「寅の日」…2/17(日)「颱風雑俎」
▼オンライン「寅の日」とあわせて、オフライン「寅の日」もつづけていきたいと思っている。
オフライン「寅の日」とは、直接お会いして「私の科学」を語り合い学び合うのである。
本来「寅の日」とはそんなものだったのだから、その方も大いに楽しんでいきたい。
 ありがたいことに、寅彦の書き残してくれたものは科学の全領域に渡っている。
「私の科学」で、寅彦の守備範囲外のことはないと言っていいぐらいなのだから…。

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サイエンスコミュニケーター宣言(213)

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▼「竜の玉」と俳句の世界ではこの玉のことを言うらしい。リュウノヒゲの実だ。
リュウノ髭のネーミングにもなるほどと思ったが、「竜の玉」とはまたまたみごとなネーミングである。
 しかし、私にはずっと昔からこれは「ゴシタマ」なんである。我が家の庭の2ヶ所にこれがある。
この季節、実というと赤い実ばかり目立つのだが、この紺碧の輝きはなんとも魅力的である。
昨日はこれにしばらく見とれてしまったのである。
▼「私の理科教育史」をつづけよう。

【「地下茎」第20号 1983.8.25】

「地下茎舎」は2年間の活動を終え、3年目に入っていた。
そこでこの号では最初に「3年目の今…」と題して、これまでの成果とこれからの課題をまとめていた。
そのなかに確認できたこととして次の三つのことをあげていた。

(1) おもちゃ屋(主に力学関係)、肉屋(内蔵、血液、骨)、魚屋、薬屋、仏ダン屋、金物屋、工場、研究所、ゴミ捨て場等々あらゆるところがすぐれた教材屋である。
大いに、モノをあさろう。あつかましく手に入れよう。

(2) 先行する仲間、専門家から大いに学ぼう。子どもと一緒に学ぼう。先に実践した人、知らぬことを知っている人は、みんな「我らが師」である。手紙を書こう、TELしよう。
(3) ひとりでなやむな。サークルで考えよ。ひとりの知恵より、3人知恵の方がすぐれている。「研究」などというものは「共同研究」が前提である。やったことはさらせ、さらすことによって太る。

今読みかえしても、自分でも納得してしまうのである。
▼この号には
●科学教育研究協議会第30回全国研究大会(三重大会1983)
~地域にねざし、人間と自然を大切にする理科教育を~

の参加報告を記載していた。各自の「共同吸収」のさまが報告されていて面白い!!
ちなみにそのときの私の大会レポートは「化学変化の第三歩」であった。
◆化学変化の第三歩『物質とイオン』
▼あわせて、「数教教第31回全国研究大会に参加して」の報告もされていた。
学習会の方は第Ⅱ期に入っていた。
テキストは
●『発明発見物語「電気」~らしん盤からテレビジョンまで~』(板倉聖宣編著 国土社)
であった。
 第Ⅰ期が『化学入門』で化学分野だったので、今度は物理分野であった。
これがまた面白い展開のきっかけになっていくのだった。

  

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サイエンスコミュニケーター宣言(212)

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▼「1.17」の昨日、夕方いつもの場所とちがうところから「雲見」がしたくなって定期コースから外れて歩いていた。そのときあの朱く熟したその実をみつけたのだ。カラスウリである。
30年前にもこの植物にえらくこだわっていた。気にもなっていた。
昼間をさけて咲く白く繊細な花、朱く熟した実、そして「もっと光を!」と絶叫しながらのびるつる、そしてなにより地下の栄養タンクであるイモ(塊根)それが気に入っていた。この植物にこだわることによって植物のくらしのすべてが見えてくるような気がしていた。
「地下茎舎」のシンボルマークにしようか、という話がでていたくらいだ。
 ひとつのモノにこだわりそれからはじめてすべてを見ていこうというのが、シロウト無手勝流人間の流儀だった。
▼「私の理科教育史」のなかでもそれは現れていた。

【「地下茎」第19号 1983.7月に出す5.6月号】

この号の発行日のところに妙なことを書いていた。
「7月に出す5.6月号」と。当初に予定していた毎月15日発行というのは難しい状況になってきていたようだ。
しかし「地下茎 発行」にはこだわっていた。
「地下茎」発行は「存在証明」である。とまで言っていたのだから、そのこだわりにも納得できる。
発行できない期間も、各自の取り組みは停滞していたわけではなかった。
それはこの号の各記事をみているとよくわかる。だからこそなおいっそう発行にこだわっていたのだろう。
▼「鉄」へのこだわりもずっと続いていた。
「たたら跡」をみんなで訪ねたときもそうだ。なんの予備知識があったわけでない。「鉄づくり」への興味・手持ちの拙い「科学」それだけが頼りだった。なんとアルニコ磁石ひとつ手にして探索していた。
新聞を見ていてもそうだったんだろう。
関連しそうな記事をこの号に貼りつけていた。
●地下茎第19号P3「播磨風土記を〝掘る〟 千種川筋〝たたら場〟点々」(神戸新聞83.5.7) 
▼[闇市開業]でもそうだった。
「圧電素子」「圧電ポン」にこだわって
●地下茎第19号P7 [闇市開業] 「「圧電ポン」連発に挑戦」
 今や定番中の定番中の教材「ゼネコン」にこだわって
●地下茎第19号P9[闇市開業]「ゼネコンで銅をとりだそう」
を書いていた。
 
ひとつのモノにこだわりつづけ、そこからはじめてすべてに展開していく、言わば「一点主義」「イモズル方式」!!
それが私たちの作風であった。
 私の持病である「ばっかり病」、実はそのころから発症しはじめていたのかも知れない。

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あれから18年の歳月が!!そして…

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▼昨日(16日)もやっぱりまたあの「雲見」定点観測地に立っていた。今度は南の空に目を向けてみた。
そこにも気になる風景があった。この「ふしぎ!?」に気づいたのはずっとずっと以前だ。
見える山の平坦さだ!!定規でも使ったかと思うぐらいの水平さだ!!
あらゆる地形が動く大地の物語の結果だと言うなら、ここにどんな物語があったと言うのだろう。
 昨年萩谷宏さんが来られたとき、失笑覚悟で聞いてみた。さすがプロだと思った。
失笑するどころかていねいにこの物語を読み解く手順を教えてもらった。
それではと思ってからでもはや三ヶ月もたってしまった。
▼あれ(1995.1.17)からだと18年だ!!
この18年、私は理科教師としてなにをしてきただろう。
この動く大地の物語をなんとしても「私の科学」にしたかった。そして、それを伝えたかった。
授業【大地の動きをさぐる】
は拙い歩みの一部である。
 そして、3.11があった。歩みを加速する必要性を感じた。
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▼この一年で別の角度からのひとつの歩みも開始した。それがオンライン「寅の日」である。 
関東大震災の調査に奔走した寺田寅彦は、人々に「天災は忘れた頃にやって来る」と警鐘を鳴らし続けた。
この名言を彼の書いた文章に捜してみたがそのものはなかった。
中谷宇吉郎たちが、寅彦がふだんから言っていたこと言葉にしたものと言われている。
それにしても意味深い警鐘である。
「動く大地の物語」の一節である地震はアタリマエのこととして起こる。地震をはじめとする天災は極めて稀にしか起こらない。しかし確実に起こるのである。それもやっかいなことに我々が忘れかけたころに…。
ならば、我々にできることはなにか。
減災・防災!!
▼まもなく18年前のあの時間だ!!
今日一日は、18年前の哀しみを思い起こし、寅彦の警鐘に耳を傾けよう。
哀しみをわすれないことはりっぱに「減災」「防災」にツナガル!!
そして、「これから」なすべことを考えてみよう。
                                    18年目の朝に 合掌

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サイエンスコミュニケーター宣言(211)

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▼小正月の昨日も私はいつもの「雲見」定点観測地に立っていた。昨日は空もだがその下の山が気になった。山に白いものが見られた。冷たい大気は日本海をわたり、中国山脈の端(生野峠)に衝突し「上がると ザアザア(シンシン)」で雪を降らしていたのだ。いつものこのアタリマエに少し感動した。
▼アタリマエ!に感動するような「私の科学」はどこからやってきたのだろう。
「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第18号 1983.4.25】

この号の巻頭言「自然に学ぶとは」でも同じようなことを言っていた。

人間がその「自然」にどう関わり、それをどう「変革」させてきたかを見ることは、大いに「自然に学ぶ」ことになるのでは…。

と述べ、そのころ気になっていたいくつかの具体例をあげていた。
そこには「常民の科学」への萌芽がみらられたのである。
●地下茎18号P1「自然に学ぶとは」
▼その延長線上に「たたら製鉄」への興味もあったのであろ。例会で今度はスライドで「和鋼記念館」(現「和博物館」)を紹介してもらっている。
 興味はそこにとどまらなかった。5月連休のはじめには千種鉄の「天児屋たたら跡」を訪ねていた。
今は「天児屋たたら公園 たたらの里学習館」となっているようだが、その当時は「跡らしき」ものがあるだけで、鉧のクズのようなものをみつけただけだった。それでも世紀の大発見でもしたように感動したのをおぼえいる。
 ここにもいつかは再度訪れなければと思っているあいだに30年の年月が経ってしまった。
こんな私とはちがってずっと鉄にこだわり続ける人が近くにいた。「むらの鍛冶屋さん」だ。
昨年も一度だけ「鉄のふしぎ博物館」を訪ねいろいろ教えてもらった。
また再訪させてもらいたいと思っている。
◆『むらの鍛冶屋』さんのページ
「鉄のふしぎ博物館」「夢通信」は必見!!
▼この号には、その他に「例会報告」学習会テキスト『化学入門』の著者・高橋金三郎氏からの資料『「原子論」「酸・塩基・塩」の基礎』転載、「地下茎舎に若い仲間が」などがつづいていた。
読み返しながら気づいた。私たちの「学び」のスタイルができつつあったと。
 それが驚くほどにTwitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」)である事実。
我田引水だ!!
「これから」もTwitter的こそ「学び合い」のスタイルとして最も有効でありつづける!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(210)

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▼「とんど」の炎が高く夜空を焦がしていた。「爆弾低気圧」とまで呼ばれる大気の激しい動きは、ここ播磨の空にも影響していた。生野峠のこちらでは朝からずっと雨だった。午後に少し小降りになることはあってもなかなかやんではくれなかった。
10日も前から準備された「とんど」が実施されるのか不安であった。ところがありがたいことに予定の時間ちかくなると雨は止んだ。「とんど」の炎は「正月飾り」をまたたく間に燃やした。
さあ、今日は小正月だ!2013年を再度リセットしよう!
▼「道楽2.0」を続けよう。

【「地下茎」第17号 1983.3.25】

巻頭言「なにを「武器」として…」では、授業のことを語りはじめると、「授業以前のことが問われているのだ」と言われる状況のなかで、「ほんとうにそうたなんだろうか?」と自戒の意味も込めて問いかえしていた。
「手に入れた「科学」を武器に自然に挑む子どもを…」と語るときの「科学」とは…。
その問いは今なおつづく宿題なのである。きっと「これから」も…。
●地下茎第17号P1「何を「武器」として…」
▼「例会報告」「本の紹介」「研究会報告」「自然観察会報告」「闇市開業」と今なお興味深い記事が続く。
なかでも教材の話題は興味をひく。
今や教科書などでも定番となった実験等々がでてくる。
ちなみにこの号の[闇市開業]は「液体窒素を使って」「浮沈子をつくろう!」だ。
▼もうひとつこの号には興味深い記事がある。
後に地下茎舎名物になる
「地下茎舎 野を行く」シリーズのはじまりである。
私たちの「学び」のフィールドを学校だけにおさまるのでなく、「野」に拡げていこうという試みだ。
この号では、「たたら製鉄をたずねて」と題して、Nさんが訪ねた「和鋼記念館」(現和鋼博物館)を手に入れたパンフレットで紹介してくれていた。
 これが後に「千種鉄を訪ねて」にツナガッテいくのだった。
◆鉄の歴史ミュージアム「和鋼博物館」

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【Web更新1/13】13-02「サイエンスコミュニケーター宣言」 等更新!!

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灯りつけ 春を待つかな 藪のなか 13/01/12 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-02
週末定例更新のお知らせ。
 2013年2回目のWebページ更新のお知らせである。30年前のサークル誌『地下茎』を追いかけていたら、『地下茎』発行の情報発信は、我々の「存在証明」だと言っていた。
それが今は、このWebページ更新でありblogの更新になるのだろう。
今、如何に微々たる更新であろうとも、Web更新は私の「存在証明」である。

◆表紙画像集2013 人里の自然 ヤブコウジ
 定例の散歩で時間のあるときは、コースからはずれて寄り道をすることしている。
ときどき前の藪のなかにも入ってみることにしている。枯れ葉と倒れたタケでうっそうとしている。少し北風から逃れてあたたかい気分にもなる。その薄暗い地面に小さな灯りをともすように、ヤブコウジ(?)の赤い実があった。
寒中ではあるが、確実に春は近づいているように思った。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 「私の理科教育史」では「地下茎」を一号ずつ読み返しながら、「これから」を抽出しようとしている。
現在第16号まできた。第46号まであと30号ある、そればかりやっていても一ヶ月は優にかかるだろう。
この作業がけっこう面白い!!
「ねばならない」の世界ではなく、「道楽2.0」の世界なんだ。
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆【ヒガンバナ情報2012】更新
 2012年のblog発信で、ヒガンバナの画像・話題があるものをページに貼りつけておいた。
それだけ更新である。ひょっとしたらあとで有効にはたらくDBになるかもしれないので。

◆【ヒガンバナ情報2013】 新設
 年がら年中ヒガンバナが、私のコンセプトだ。
 そのためいつでも貼りつけることができるようにフォームだけはつくっておいた。
 

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サイエンスコミュニケーター宣言(209)

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▼昨日は大賀ハスの定例観察日だった。植え替えから41週目であった。あの「あこがれの4日間」の残骸とも言える果托、もうとっくに種子も回収し終わっているのだが、雨風に耐えて佇立する姿にほだされてあと二個の果托はまだ回収せずいる。だいぶん前から気づいていたのだが、その裏を向いた果托に白いカビのようなものがついている。早く回収した果托にはそれはなかった。これは何だろう?またまた小さな「ふしぎ!?」が生まれてくるのである。
今日は顕微鏡でみてみようかな。
▼「私の理科教育史」をつづけよう。
【「地下茎」第16号 1983.1.25 1983.2.15】

ここまで来てはじめて合併号にしている。
巻頭に「県内の実践的交流を」と第3回兵庫科教協合宿研へのよびかけ文を書いている。
これまでの自分のささやかな体験から、日常的な実践交流の必要性を語っていた。
今から思えば、それは
「情報は交叉するところに生まれる」
のはじまりであったのかも知れない。
▼この号においても、内容は多彩であった。
「地下茎」に対する応答の「お便り」「コメント」もたくさん記載していた。
なかには、学習会のテキストとして使っていた『化学入門』の著者である高橋金三郎氏からのものもあった。
それは大いに私たちのはげみにもなった。
「中学生はほんとうに自然に関心がないのか」と題して
◆「中学校における“自然とのふれあい”
 中学校での「自然たんけん」のこころみ-中学生の眼を自然に向ける楽しいとりくみ-
 (「理科教育」’83 2月号) 古市 景一
の記事も転載させてもらっていた。
今、読みかえしてみてもきわめて刺激的である。実に面白い!!
昨年、うれしいことに私は古市先生と直接お会いして学ばせてもらう機会ができたのだ。
これからも少しでも多く学ばせてもらいたいと思っている。
▼実験ネタもいくつか載せていた。
今やなにもめずらしくもないアタリマエの「化学カイロ」であるが、この頃ブームになっていたようだ。
[闇市開業]では「化学カイロ」をとりあげ、新聞記事を貼りつけていた。
◆「地下茎」第16号P10[闇市開業]『化学カイロ』

ちょうどこの号を出したのが30年前の今ごろである。
なつかしさ半分、恥ずかしさ半分だ。
この作業で、ほんとうに「これから」は抽出できるだろか?
自問しながら でも続けよう 
ゆっくり 急ごう!!

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本日(2013/01/12)、第24回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼冬のヒガンバナを見ていると、私は「これぞ、ほんとうの植物ヒガンバナだ!!」と言いたくなってくるのである。周辺に緑が失せた野で光を独り占めして稼ぎまくる。一年間をかけたこの見事な戦略に大きな拍手を送りたくなってくるのである。それが少しオオバーに言えば私の植物観・生物観であり自然観・科学観・世界観なんだ。
▼本日(2013/01/12)は、寅彦の自然観・科学観・世界観を学ぶ日である。
◆第24回オンライン「寅の日」
●「十 うじの効用」(「自由画稿」より)(青空文庫より)
 
 読む「自由画稿」は寅彦の最晩年1935年(昭和10)に「中央公論」に発表されたものである。
十八編のエッセイから成る。
 その十八編に入る前に「はしがき」になぜ「自由画稿」なのか。またここで語る意義のようなことが書かれている。私は、まずそれに惹きつけられた。
こうだ!!

 これが私の平生こうした断片的随筆を書く場合のおもなる動機であり申し訳である。人にものを教えたり強(し)いたりする気ははじめからないつもりである。
 集中には科学知識を取り扱ったものも自然にしばしば出て来るかもしれない。しかしそれも決して科学知識の普及などということを目的として書くのではない。ただ自分でほんとうにおもしろいと感じたことの覚え書きか、さもなければ譬喩(ひゆ)か説明のために便利な道具として使うための借りものに過ぎない。しかし、そうかと言ってその結果がいくぶんか科学知識普及に役立つことになってもそれはさしつかえはないであろうと思っている。

遠慮がちにかつ逆説的な表現をとりながら、「自然観・科学観」表明の文章群であることを予告しているのだ。
さらにはこうも言っている。

 ついでながら、断片的な通俗科学的読み物は排斥すべきものだというような事を新聞紙上で論じた人が近ごろあったようであるが、あれは少し偏頗(へんぱ)な僻論(へきろん)であると私には思われた。どんな瑣末(さまつ)な科学的知識でも、その背後には必ずいろいろな既知の方則が普遍的な背景として控えており、またその上に数限りもない未知の問題の胚芽(はいが)が必ず含まれているのである。それで一見いわゆるはなはだしく末梢的(まっしょうてき)な知識の煩瑣(はんさ)な解説でも、その書き方とまたそれを読む人の読み方によっては、その末梢的問題を包含する科学の大部門の概観が読者の眼界の地平線上におぼろげにでもわき上がることは可能でありまたしばしば実現する事実である。読者の頭脳次第では、かなりつまらぬ科学記事からでもいろいろな重大問題の暗示を感知し発見し摂取し発展させることもしばしばあるのである。

なんと挑発的な文章だろう。
この挑発にのらない手はないだろう。
それがこの「自由画稿」を読む気にさせた私の主な動機である。
▼十八編いっきょに全部というのでは少し無理があるので、そのうちの二編を今回と次回(第25回)に分けて読んでみたいと思う。
今回取りあげるのは「十 うじの効用」である。
「うじ」そのものに対する見方はこうである。

このような「市井の清潔係」としてのうじの功労は古くから知られていた。

 うじがきたないのではなくて人間や自然の作ったきたないものを浄化するためにうじがその全力を尽くすのである。尊重はしても軽侮すべきなんらの理由もない道理である。

そして寅彦の「自然観・科学観」へと発展する。

 自然界の平衡状態(イクイリブリアム)は試験管内の化学的平衡のような簡単なものではない。ただ一種の小動物だけでもその影響の及ぶところは測り知られぬ無辺の幅員をもっているであろう。その害の一端のみを見て直ちにその物の無用を論ずるのはあまりに浅はかな量見であるかもしれない。

さらには「世界観」にまで言及しているのである。

 あえてはえに限らず動植鉱物に限らず、人間の社会に存するあらゆる思想風俗習慣についてもやはり同じようなことが言われはしないか。

▼そして寅彦の最も言いたかったことは最後の一文にあるような気がするのだ。

天然の設計による平衡を乱す前にはよほどよく考えてかからないと危険なものである。

「天災は忘れた頃にやってくる」と警鐘を鳴らし続けた寅彦と重なってくるのである。

私には妙に「ヒガンバナ」と「うじ」が重なって見えてきたりするのである。
今回は2013年にはじめてのオンライン「寅の日」である。
「寅の日」は年間に30回ある。まずは続けることを目標にするが、新たな展開を期待する気持ちもある。
できるだ多くの人と一緒に読みたいのだ。
それはできるだけ多くの「自然観・科学観」と接してみたいという願望でもある。
よろしくお願いします。

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サイエンスコミュニケーター宣言(208)

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▼昨日もまたあの「雲見」定点観測地に立っていた。
あの気象写真の第一人者武田康男さんが言っていた。

昼間の空や雲の表情にも魅力を感じた。
特に好きなのは日の出の頃で、美しい色彩の薄明の空と、太陽が当たって輝き出す雲である。
また、毎日生活している身近な空も、よく見てみると、
いろいろな雲が現れては消え、楽しい展覧会場であることもわかった。
(『雲のかお』(武田康男著 小学館文庫 1998.10.1)より)

その「楽しい展覧会場」はどこにもあった。もちろん私のところにも。
「雲のかお」は一昨日とはまたちがった表情していた。
▼今日も「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第15号 1982.12.25】

この号では、科教協ニュースからの依頼に応えて書いた一年あまりの活動の現状報告を転載していた。
そのなかで、サークル誌「地下茎」は、我々の「存在証明」のようなものと言っている。
●地下茎第15号P10-11 「「地下茎」12号を発刊して」
 それは、今に引きつけて言えばWebページの更新であり、このblog更新と同じような意味をもっていたのだろう。
▼前記の記事の最後にサークル誌の交換を呼びかけていた。
事実このころ全国各地で発行されいたいくつものサークル誌と交換をしていた。それはとても面白かった。
たくさんの興味深い情報を手に取るようにわかり、多くを学ぶことができた。
なによりもうれしいのは、このころ交流からはじまったヒューマンネットワークは30年経った今も続いているということだ。
この号にもいろんな立場の先達からの「お便り」「メッセージ」を転載させてもらっていた。
「情報は発信するところに集まる」
もうはじまっていたのだ。
▼この号の本の紹介もなかなか面白かった。今、パラパラと見返しても面白い本だ!
また、じっくりと読みかえしてみたいと思った。
●地下茎第15号P6 [本]『原始人の技術にいどむ』(岩城 正夫著 大月書店)

さあ、あれから1年10ヶ月目の朝
細い細い月は見えるのだろうか。
武田さんお気に入りの空は見られるだろうか。
カメラをもって外に出てみることにする。

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サイエンスコミュニケーター宣言(207)

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▼昨日の夕方もいつもの定点観測地から「雲見」をしていた。生野峠の方にも雲があつくということではない、ごくごくふつうのいつもの空である。私にとってはこの定点観測地は30年前もまったく同じなんである。ただ「定点観測地」という意識はなかったが。
 あったのは「地域」という意識だけだった。
▼その「地域」について
【「地下茎」第14号 1982.11.25】
の巻頭言で書いていた。
「地域を教えることの意味」と題して書いていた。その短い文章を次のように結んでいた。

教科書を「地域」で解説するのでなく、「地域」そのものを教えたい。それは、「地域」とそこに営まれてきたヒトの生活を教えることでもあろう。当面は、機会をみつけては「歩く」ことから学びはじめたい。

●「地下茎」第14号P1「地域を教えることの意味」
 そして同じようなことを数年後にも書いていた。
●「地域の自然」にこだわるのは
▼第14号 の[闇市開業]はあのなつかしい「ソーラーバルーン」だった。
●地下茎14号P9[闇市開業]「ソーラーバルーン」
この号には「ソーラーバルーン」以外にも「べっこうあめづくり」「テルミット反応」「サルの頭骨入手」等のことが出てくる。このころの私たちはものづくりの「科学」を楽しんでいたのだ。
▼その他にも「例会報告」「学習会報告」「自然観察指導員講習会報告」などが記載されていた。
「事務局」だよりには多くの人との交流のことが、そして私事の次男誕生のことまで書いてあった。
「地域」でまるごと「科学」を楽しむ様子が記録化されていたのだ。

30年の時空を超えて、「これから」にもその空気が欲しいと思った。

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サイエンスコミュニケーター宣言(206)

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▼ほんとうにやっとなんだ。「では、明日はやろう!」ばっかりを繰り返し、ついには年を越してしまった。
ヒガンバナの「種子もどき」の処理だ。玄関先のバケツにつけたままだったのだ。バケツの水は凍り付き子房部も朝方には凍てついていた。陽があたりはじめると融けるそれを繰り返していたのだ。
 処理を愚図っていたのは怠惰な性格だけでなく、この先どうすればいちばんいいのかが見えてこなかったこともある。やっと決断してやったのは一昨日7日、冬休み最後の日だった。
バケツから子房部だけを取り、皮をはぎ「種子もどき」を取り出し十分湿らせたティシュペーパーとともにチャックつきナイロン袋に入れた。こんなことでは発芽したりはしないのでは、とかなり絶望的予測をもっていた。
その作業をしているときだ、その黒いかたまりのなかに動くものを見た!!
いっぴきの虫がはいだしてきたのである。体が緑色をしていて活発に動きはじめた。
こんなところに「生命体」がいたのだ。
この虫を見ていたら急になんの根拠もない希望をいだいてしまったのだ。
ひょっとしたらこのヒガンバナの「種子もどき」も…と。
▼「私の理科教育史」をつづける。

【「地下茎」第13号 1982.10. 】

の巻頭も「生命」に関することを書いていた。
「どうしてヒトをやらないのか」という主張だった。
細胞分裂の観察にしても「タマネギ、ソラマメの根端」の観察ばかりでなく、ヒトの場合ももっとやるべきではないかというようなことを書いていた。「自分自身の体もたったひとつの細胞から出発しているのだ」という事実はもっともっと教えられていいのではないかと考えていたからであろう。
地下茎第13号P1-3「どうしてヒトをやらないのか」 
▼そんなことを考えていたと思われるのは、同じ本の紹介本にあらわれていた。
二冊セットで紹介している。
『生物の世界と子どもたち』
『生きものとヒトの学習』
いずれも九州生物学教育研究グループ著 (たたら書房)である。
この本の紹介は先行実践から学ぼうという気持ちの表れでもあったのだろう。
地下茎第13号P9「本」
▼それから30年の年月がたった。
「日本理科教育史」をみたときにもふり返ったのだが、今度はこの30年間の「ヒト」、「生命」に関連する科学技術史だけをピックアップしてみる。(村上陽一郎著『人間にとって科学とは何か』の「近代科学・技術に関する出来事年表」参照)

●1982年(昭和57) 人工心臓の移植に成功(米)。

●1983年(昭和58) 日本初の体外受精児誕生。

●1984年(昭和59) エイズ・ウィルス発見(米仏先陣争い)。

●1985年(昭和60) 国内初のエイズ患者報告。

●1986年(昭和61) 最初のBSEに感染した牛が発見される(英)。

●1987年(昭和62) 超新星1987Aから世界初のニュートリノ検出(日・米・ソ)

●1990年(平成2)  ADA欠損症に対する初の遺伝子治療(米)。

●1995年(平成7) エボラ出血熱の流行(ザイール)。

●1996年(平成8) BSEのヒト感染と疑われる患者が発生(英)。クローン羊ドリー誕生(英)。

●1997年(平成9) 日本で脳死・臓器移植法成立。

●1998年(平成10) トムソン(米)がES細胞(胚性幹細胞)培養に成功。

●2001年(平成13) ヒトゲノム解読結果の第一稿が公開(米)。

●2003年(平成15) ヒトゲノムプロジェクトが解読完了を宣言(米)。SARS(重症急性呼吸器症候群)が世界的に流行。

●2006年(平成18) 山中伸弥ほか(京大)、トムソン(米ウィスコンシン大)がそれぞれiPS細胞(人工多能性幹細胞)生成技術を発見。

●2008年(平成20) 下村脩(緑色蛍光タンパク質GFPの発見)が化学部門でノーベル賞を受賞。

●2010年(平成22) 渡航移植の自粛と金銭を介した臓器提供の禁止を勧告(WHO)。

●2011年(平成23) 3.11東日本大震災と東京電力福島第一原発事故。

●2012年(平成24) 山中伸弥(京大)がiPS細胞で医学・生理学賞部門のノーベル賞受賞

主だったところをピックアップするだけでこうだ。
明らかに30年前と状況は大きくかわってきている。
では、「これから」の「ヒトの学習」は何をどのように教えられるべきなんだろう。
教材としてなにがふさわしいのだろう。
不易と流行がある。
ならば「不易」とは、「流行」とは…?

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(205)

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▼昨日は七草粥をいただいてから散策に出た。収穫は鳥たちの「発見」である。
私はずっとこの年になるまで家の周辺に幾種類もの鳥たちがいることに気づかないできた。名前をよく知らないことも手伝ってだろう、そのくらしに強く興味をもっていなかった。最近いつも見かけるアオサギくんの刺激もあって「ああ、鳥たちも一緒にくらしているだ!!」と意識的にながめるようになってきた。昨日はそのアオサギくんがシラサギ(正確な名前は?)のお客さんを迎えて一緒に川縁に立っていた。
帰ったら門先にはまた別の鳥が訪ねてきていた。
なんだいっぱい鳥たちがいるではないか!!
妙にこのアタリマエに感動した。
▼「私の理科教育史」を続けよう。

【「地下茎」第12号 1982.9.20】

巻頭は「すぐれた教材とは…」ではじまっていた。
そこに「すぐれた教材の原則」を3つあげていた。

(1) 教師自身が、ワクワクとし、ほれこんだもの
(2) 子どもたちに変革をせまるもの(学ぶとは変革することなり)
(3) 質の高いもの(芸術性・文学性・理科では高いレベルの科学ということになる)、より本質的なものはわかりやすいものである。

と。
地下茎12号P1
▼それからほぼ10年後、【理科の部屋】開設されたころ
「すぐれた教材の原則」を7つあげ
●「私の教材論」
としてまとめていた。
そしてまたその10年後には、今度はWebページ版として
●新「私の教材論」(03年版)「私の教材論・授業論~これからの授業づくりのために~」
を残していた。
ここでも繰り返し同じことをあげていた。
▼なにごともゆっくりな私は何年たっても同じようなことを語り続けてきたことになる。
実は今現在もそれは進行形なんだ。
 またまたそれから10年後の今展開中
●「新・私の教材試論」
のルーツも30年以上前の「すぐれた教材の原則」にあったのだ。
勝手につくっている「すぐれた教材の法則」もここにツナガル!!
●3K1Aの法則
・感動!!のK
・簡単!!のK
・きれい!!のK
そして
・安全!!のA

●3Hの法則
・ホット(話題性)のH
・本質的のH
・ホンモノのH

なんと、うり二つではないか。
私の思考回路に進歩はないのか。それとも…。
教材にも「不易」と「流行」がある。
と、少しだけ自己弁護をしておく。

<つづく>

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【Web更新1/6】13-01「サイエンスコミュニケーター宣言」 等更新!!

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霜の華 今朝の一歩に ほうびかな 13/01/05 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】13-01
週末定例更新のお知らせ
 2013年第一回目の週末定例更新である。
 年の初めから少し自分の無能さを思い知ることがいくつかあった。「反省」はするが、過去を変えることなどいくらあがいてもできない。変えることができるのは、私自身と「これから」だけだ。
 今できることを徹底して繰り返してみようと思う。Web更新はありがたいことに今の私にできることなんだ。

◆表紙画像集2013 新設! 人里の自然シリーズ 霜の華
 年が変わったので「表紙画像集2013」も新設ということになる。これまでとパターンは同じだ。
一週間でいちばん気に入った「人里の自然」の写真を貼りつけ、一句を添える。
年が変わって、ひとつだけ新しくしたのはこれまで「人里の植物」シリーズできたものを、「人里の自然」シリーズとしたい。「植物」にかぎらず少し幅をひろげてみたい。
 寒の入りの朝、いつものように少し歩いてみた。さすが「寒」と言うだけあってすべてのものが凍てついていた。
枯れ草に霜がついていた。それがあまりにも美しかった。「霜の華」と勝手に名付けてしまった。
枯れ草だけでなく緑色をしたアザミの葉などにも別の「霜の華」が咲いていた。
「霜の華」が咲く瞬間の水の分子のふるまいをこの目で見てみたいものだと思いながらしばらく立ち止まっていた。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 「私の理科教育史」を追いかけること続けている。
 「私の」だからそれは予断と偏見に充ちている。「これから」にツナガルものだけを私の文脈にあわせてピックアップしているのである。遅々たる歩みであるが、ゆっくり 急ごう!!

◆オンライン「寅の日」 更新
 2013年の年間のカレンダーに「寅の日」をチェックしてみた。アタリマエだか「寅の日」は、12日に一回巡ってくるので365/12で30回あることになる。現在は第23回まで来ているので今年の終わりには第53回まで行くことになる。しかし、それはあくまで予定でありオフライン「寅の日」も含めて、「これから」の展開は私にもわからない。まずは、一回一回の「寅の日」を楽しみながらすすめるのみである。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 年末年始にいろいろ「整理」のこと考えてみた。どうしたらクリエイティブな営みにつながる「整理」ができるか。
できていないことばかりが目に着く。どうやら「整理学」は私の生涯のテーマになりそうだ。

◆大賀ハス観察日記 更新
 2012年度の定例観察は今年の3月末まで続ける。3月末に観察池をひっくりかえして蓮根を取り出すつもりである。どこまで大きくなっているだろう。
楽しみである。
 
 

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(204)

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▼寒の入りの昨日は、大賀ハス定例観察日だった。植え替えから41週目である。観察池も凍てついていた。枯れ葉、葉茎についた霜がきれいだった。
▼サイエンスコミュニケーター宣言を本格的に再開しよう。
「私の理科教育史」をつづける。
【「地下茎」第11号 1982.8.】
この号では2つの研究会に参加したことを報告していた。その2つとは

◆極地方式研究会第13回定期研究会(箱根)1982.7.28~7.31
「すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教える」

◆科学教育研究議会第29回全国研究大会(熊本)1982.8.2~8.5
~子どもたちが幸せな未来をきり拓ける理科教育を~

である。
▼たくさんのことを学んだようだが、なかでも新しく出会う「教材」(実験・観察)について多くを学んでいた。
「地下茎」ではそれを[闇市開業]として紹介していた。
極地研からは「たたき染めによるデンプンの検出」をあげていた。
地下茎11号p6-7
科教協の「お楽しみ広場」からは
・「蒸気機汽缶(機関)をつくろう」
・「ジャンボ熱気球をとばそう」
・「水の体積変化をふうせんでみよう」
・「教室全体を変圧器に」
等をあげていた。
地下茎11号p9-11
▼「最もよく学ぶものが、最もよく教える」と信じていた。
ひとつでも多くを学ぶことに必死だったのだ。研究会から持ち帰ったネタは、自分でもやってみたり、地下茎舎の仲間と一緒にやってみたりしてみた。
 そうすることで、あらためて新しいことが「発見」できたり、ほんとうに授業で使いやすいようにカスタマイズできていったのだ。
 「学び合い高めあう」のスタイルはできつつあった。

<つづく>

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サイエンスコミュニケーター宣言(203)

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▼今日(5日)は寒の入り(小寒)だ。長い年月を経てできあがった自然とのつきあい方の暦はみごとである。
朝起きて、外に出てみたら凍てつく空に下弦の月が輝いていた。カメラを向けてみた。
 まちがいなく地球も月も動いているようだ。
▼そろそろ年末年始の特別の日から脱していこうと思う。
「サイエンスコミュニケーター宣言」をつづける。
再開するにあたって「現在地」を確認しておこう。
あくまで暫定的であるが、私はサイエンスコミュニケーターとしての5つの「課題」を設定していた。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

同時進行ですすめている部分もあるが、当面は
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
に焦点をあてることにした。
▼そして一度は「日本理科教育史」を概観してみた。しかし、それだけではほんとうの「これから」は見えてこなかった。そこでより等身大に「私の理科教育史」をたどってみることにした。
 「私の理科教育史」においてはずことのできない歩みがあった。それが地下茎舎の歩みである。
そこで地下茎舎が発行していた『地下茎』誌を1号ごと見返してみることにした。
それは10号まできていた。
それが「現在地」である。
▼さあ、次をすすめよう。
こんなときは、やっぱりあの真壁仁の「峠」だ。

大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。

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Twitterはじめて1200日目に思うこと!!

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▼今朝は「宇宙見物」からはじめた。「しぶんぎ座流星群」の観察だ。今年はじめての天文ショーだ、しばらくのあいだ空を見上げていた3個の流星を見た!!それよりも私にとって気になったのは「いつもの」月だった。下弦にちかづきつつも明るく輝く月にカメラを向けた。流星の「記録」は、TwitterとFacebookにまかとそうと思った。
それが今の私の【星空の連帯】である。
▼そのTwitterをはじめて今日(2013/01/04)で1200日になることをtwilogが教えてくれた。
 地球が1200回転するあいだ私は「地球の鼓動」を聞き続けたことになる。
この間にTwitterはずいぶん「市民権」を得てきた。新聞の一面に登場したり、テレビニュースの帯にTLの「つぶやき」が流れるのもさほどめずらしいことではなくなった。
 「今は、TwitterではなくFacebookだ!!」という人もいる。
▼私にとっては、問題はそこにはない。
問題はTwitter的かどうかだ。
Twitter的とは、「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」この6つの概念、考え方、生き方をミックスした世界観であり哲学である。
それがどう進化していくかが問題なんだ。
私自身としては、最近つぶやく回数はすくなくなりFacebookで発言することが増えてきていることはたしかだ。
と言っても、自動的にblog-Twitter-Facebookはツナガルように設定しているので、情報発信にそんな境があるわけではないが。
▼いずれにしても究極的に求めている「道具」は「コンヴィヴィアリティのための道具」である。
コンヴィヴィアリな世界を楽しむ「道具」はTwitter、Facebookよりももっと進化するかも知れない。
しかし、Twitter的は今のところかわらないと思っている。
次の地球100回転後はどう思っているだろう。それは私にもわからない。
それが面白い!!

 

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今年も「雲見」「宇宙見物」を楽しもう!

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▼「それで?」なんて聞かれると答えられないが、ともかく楽しいのである。
「雲見」だ。なんの準備も道具も要らない、空をみあげるだけだ。
そこに二度と同じものを見ることない雲がある。それをしばらく見ているだけなんだ。
「大気の大物理実験室で」とリクツをつけてみることができるかも知れないが、それは後にしよう。
昨日コタツに入ってテレビを観るのに飽きたから、いつもの場所で「雲見」をした。
▼いつのころからこれを意識してやりだしたのだろう。
「雲見」をはじめて言ったのは宮沢賢治だ。
『蛙のゴム靴』(青空文庫より)
のなかにある。

眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」

蛙くんたちの気持ちがわかってくるのだ。
▼夜になると、今度は「宇宙見物」だ。
天気があやしくなると予報されていたが、オリオン座、冬の大三角形がきれいだ。
今朝起きて見た月もきれいだった。
そう言えば、今晩から明日にかけて「しぶんぎ座流星群」が極大になるのではなかったかな。
「宇宙見物」もまた楽し!!
▼なんと安上がりな道楽だろう。
「雲見」も「宇宙見物」も、必要なのはそれを楽しむ気持ちだけだ。
この道楽を少し人の道楽とつないでみると、さらに面白さが増すような気がする。
昨年はまずは「道楽=道楽的」だった。
今年は道楽Ver2.0でいこう。

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2013年は【理科の部屋】20周年の年!!

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▼正月2日に日付がかわってから外に出てみた。まだ天頂にまできていない月が輝いていた。
「夢」のひとつ「全月齢の写真を撮る」に向けてカメラを向けてみた。
初夢にはあいにく「一富士二鷹三茄子」は登場しなかった。
されど私の「夢」を現出させるための歩みは一歩一歩すすめていこうと思う。
▼2013年という年は私には少し特別の意味ある年なんである。
1993年11月23日、【理科の部屋】がスタートした。
情報は発信するところに集まる~【理科の部屋】とは~のなかに次のように書いた。

10年後、20年後に日本の理科教育研究史を語るとき、かならずや【理科の部屋】にふれられることは確実であろうと思います。
「ああ、あれがこの時代の萌芽期であったのだなあ」と。

その20年後がやってきたんです。
▼この20年の歴史は、Webの歴史そのものでした。
「パソコン通信時代」にはじまって「ソーシャルメデイア時代」「クラウド時代」の今日にいたるまで、ネットワーク環境は大きく変化しました。しかし、ヒューマンネットワークのすばらしさは不易です。
20周年を記念するいくつかの企画を考えています。そのひとつが記念オフです。

◆【理科の部屋】20周年記念オフ!!
期日:2013年11月23日(土)午後~11月24日(日)午前
場所:未定
内容:近況報告と「これから」を語り合う。(詳細については後日)

くわしくはなにも決めていないのだが、みなさんにも予定があるだろうから期日だけは決めておきます。
場所については4月ごろまでに決めたいと思います。
参加資格なんてなにもありません。
【理科の部屋】に興味関心があるすべての人が対象です。
なかみの詳細も参加されるみんなで決めていきたいと思います。
それが【理科の部屋】流です。
▼当時からずっと言い続けてきたコトバに
「情報は発信するところに集まる」があります。それは今も続いています。
最近はそれに加えて
「情報は交叉するところに生まれる」
と強く思っています。
 2013年が大いに「情報が交叉する」年になればと思っています。
ひょっとしたらこれが今年最大の「夢」なのかも知れない。

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新年の抱負 2013 !!

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初春や 両手でたらず 夢のかず @福崎 2013.1.1

 これが新年のあいさつの一句である。
「夢」を正面きって語るには、少し恥ずかしい年になってしまったのかも知れない。
でも、生きている限り「夢」はあるのである。それもだんだん増えてきているような…。
▼年を越して正月で里帰りをしている娘と話をしていたら「初夢」のことが話題になった。
「一富士二鷹三茄子ってなんなん?」
「一富士二鷹まではなんとなくわかるけど、何で三茄子なんでなん?」
聞かれたけど即答できなかった。聞いたような記憶があるが…。
ネットで検索してみた。
「徳川家縁の地である駿河国での高いものの順。富士山、愛鷹山、初物のなすの値段」
「富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」」等々の諸説あるようだ。
ならば、いつもの我田引水で、勝手に自分の文脈にしてしまおう。
「富士のように高いレベルの夢を鷹のような強い意志と努力で茄子(成す)」
そんな一年にしようと思う。
▼「いつか」「いつの日にか」と思いつづけてきたことがある。
それを「夢」とよんでいいのかわからないが。
「いつか」「いつの日か」は 今年だ!! と決めようと思う。
列挙してみる。

(1) 人に会いに行く。
 「いつかその人に会って直接学びたい!!」と思い続けてきた人が何人かおられる。今年こそは万難を排して会いに行きたい。

(2) 学びの旅に出る。
 ・若狭の「お水送り」
 ・高山の「磁石石」
 ・紅花再訪
 ・中国山脈に鉄を追う
 ・中谷宇吉郎を追う旅 等々

(3) P(パソコン)・S(システム手帳)・F(袋ファイル)の徹底「整理」とクラウド化

(4) 「私の理科教育史」の完成

(5) 『地下茎』の再発刊
  24年ぶりに再発刊をして「50号」まで発刊する。

(6) 三つの試論(新・私の教材試論、新・「自由研究」のすすめ試論、新・クラウド「整理学」試論)をよりパブリックな場で発表する。

(7) プロジェクト『マッチ一本化学の元!!』にとりかかる。

(8) いつか登ってみたかった山に登る。

(9) 俳句結社「寅の日」をつくる。句会、吟行にも行ってみる。

(10) 全月齢の写真を撮る。

(11) サイエンスカフェ「ひめじ」(仮称)をたちあげる。

…。

なるほど両手ではたりそうもない。
▼書き上げながら、またまた「これはちょっと無理かも」「またいつの日か…」とさっそく弱気なったりする。
でもいいんだ、これはあくまで「夢」だから。
まずはその一歩を歩み始めよう!!
今年も ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

さあ! 今晩の「初夢」には「一富士二鷹三茄子」は登場してくれるかな。

 

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