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本日(2012/12/31)、第23回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼2012年12月30日、昨日はずっと一日冷たい雨がふっていた。その雨に濡れながらも定点観察地のヒガンバナは元気だった。この姿こそ、ヒガンバナのみごとな生きざまを象徴するものだった。
ヒガンバナを忌み嫌う「自然観」はどこから出てきたのだろう。
ヒガンバナの味方についた南方熊楠は『石蒜の話』をあえて正月に発表したという。この一事をとっても熊楠に拍手をおくりたくなってくるのである。
▼今日、2012年12月31日、大晦日は第23回オンライン「寅の日」である。
奇しくも今から77年前の今日、寺田寅彦が転移性骨腫瘍により亡くなった。つまり今日は寅彦の命日なんだ。
なんという偶然であろう。今年からはじめたオンライン「寅の日」を寅彦の命日にしめくくるとは。
読むのは亡くなった年、1935年(昭和10)の7月に執筆され10月に発表された「日本人の自然観」。
だから、寅彦が私たちに残してくれた最期のメッセージ、「遺言」のようなものなんだ。
◆第23回オンライン「寅の日」
●「日本人の自然観」(青空文庫より)
▼実は、この「日本人の自然観」はすでに、第2回オンライン「寅の日」(2012/04/23)で読んでいた。
 たまたま留守にしたこともあって十分に読み切れていなかった。
もう一度ゆっくりと読みなおしてみた。
「へーそこまで言ってくれていたのか!」と感服した。
「これから」もきっちりと示唆してくれていた。自分でも「ほんとうに前に読んだのかな?」と疑わしくなるぐらいだ。
提言の数々は77年の時空を超えてきわめて今日的である。
「日本の自然の特異性を認識せよ」と警鐘を鳴らし続けた寅彦がいた。
私にとっては、「俳句」という科学の方法についても示唆してくれていた。
この度読みかえしてもまた同じところに反応してしまう。
そのひとつが「日本人の日常生活」の段落にあった。

 農業者はまたあらゆる職業者の中でも最も多く自然の季節的推移に関心をもち、自然の異常現象を恐れるものである。この事が彼らの不断の注意を自然の観察にふり向け、自然の命令に従順に服従することによってその厳罰を免れその恩恵を享有するように努力させる。
 津々浦々に海の幸さちをすなどる漁民や港から港を追う水夫船頭らもまた季節ことに日々の天候に対して敏感な観察者であり予報者でもある。彼らの中の古老は気象学者のまだ知らない空の色、風の息、雲のたたずまい、波のうねりの機微なる兆候に対して尖鋭(せんえい)な直観的洞察力(どうさつりょく)をもっている。長い間の命がけの勉強で得た超科学的の科学知識によるのである。それによって彼らは海の恩恵を受けつつ海の禍わざわいを避けることを学んでいるであろう。

これだけに終わらないところが寅彦のすごいところだ。
「これから」の科学者の役割ももきっちり書いてくれていた。

現在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。その合理性を「発見」し「証明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。

▼まだまだある。何回読んでも凄すぎる!!
不思議なものだ。4月に読んだときとまたちがった「発見」もあった。
そこで思いついたんだ。
この文章を毎年大晦日、寅彦の命日に読んでみたらどうだろう!!
特番「オンライン「寅の日」!!にするのだ。
読むのは同じこの『日本人の自然観』でどうだろう。
大晦日は「紅白」だけでない!!
大晦日は特番オンライン「寅の日」『日本人の自然観』!!で
今日はその第一回目ということで…

来年もよろしくお願いします。

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【Web更新12/30】12-53 新・クラウド「整理学」試論 更新!

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薄紅の 初春待ちたる いのちかな 12/12/29 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-53
週末定例更新のお知らせ
 明日12月31日にオンライン「寅の日」をひかえているため、いつもより一日はやいWeb更新のお知らせである。
これが2012年最後の更新になる。
 これで予定どおり、この一年間に53回更新したことになる。なかみは微々たる更新にすぎない。しかし、私は毎週「更新」することに「意味」も見いだしたいのだ。
 誰でもできることを誰もできないぐらい続ける!!
更新は「存在」そのものなんだ!!

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物 紅梅の蕾
 53枚の画像と53句の「俳句もどき」をふり返ってみる。そしたら、その画像を撮ったときの自分が思い出される。
そこにまちがいなく、2012年の私が「記録」されていた。
 最後の画像に迷っていた。いつもの散策で前の山の方にも行ってみた。2013年にまたがって表紙となるものを捜していたのだ。いつもそうなんだ!灯台もと暗しなんだ。散策からかえって、東の畑にそれはあった。
 北の端にある紅梅の木が少し色づいて見える。近づいてみると、そこには冷たい北風に耐えて初春を待つ蕾がいくつもつけていた。ピンク色した蕾に「いのち」を感じた。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 かつて佐藤可士和を真似て「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」を意識した時期がある。やめてしまったわけではないが、そんなに意識しなくなってきた。なぜなら、けっきょく意識しなくてもやってしまっているのに気づいたのである。
 三つに「時間の整理」を加えたものがパターン化してきているのだ。けっしてうまくいっているというのではない。
失敗の連続なのであるが…。飽きないで続けようと思う。
 今回は、【私の重大ニュース 2012】と2012【私の読んだ本 ベスト10】をこのページに貼りつけてみた。

▼ 昨日は大賀ハスの定例観察日でもあった。蓮根の植え替えから39週目だ。
観察池の方には、もうひとつだけ採取していない果托がある。水栽培のとあわせると2つだ。
果托が池からはみ出し裏返しになりぶら下がっている。葉も同様である。
そこで気づいたんだ!!「そっくり」ではないか。そうだ葉が進化して花になったんだ!!
それはいつごろのことなんだろう。まだ恐竜がいたころなんだろうか?
どこからでも「ふしぎ!?」はつづくものだ。
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2012【私の読んだ本 ベスト10】

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▼2012年も今日、29日を含めてもあと3日だけとなってしまった。家の中をゴソゴソとかたづけはじめるときりのないほど時間がかかる。ふだん「整理学」云々などと言っている自分が恥ずかしい。
 本棚も少し「整理」しておこうかと思った。
 そこで、最近は年末の恒例にしている【私の読んだ本 ベスト10】をやってみることにした。
今年は、ここで【お薦め本】としてあげたものを中心としてリストアップしてみる。
まずは、机の上にならべてみた。
▼ベスト10をランキングするわけだが、分野なども全然ちがうので「とりあえず」というところもある。

【ベスト 1】 『科学の限界』(池内了著 ちくま新書)
 今なぜ「等身大の科学」なのか?「等身大」の科学とは?に答えてくれる本。
 やっぱりこれをいちばんにあげておく。

【ベスト 2】 『科学と人間の不協和音』(池内 了著 角川書店)
 「文化」としての科学を主旋律とする本。『科学の限界』とセットで読むと著者の文脈が見えてくる。

【ベスト 3】 『寺田 寅彦』(小山 慶太著 中公新書)
 今年の私にとっては意味ある一冊だ。オンライン「寅の日」を示唆してくれた。

【ベスト 4】 『理科の授業づくり』(広木正紀 ・内山裕之 編著 東京書籍)
 久しぶりに少しだけ私も書かせてもらった。編集がすばらしい!!

【ベスト 5】 『小学館の図鑑NEO「岩石・鉱物・化石」』(萩谷宏 他編著)
 著者自らに紹介してもらった本。これはこの種の本の定番になること間違いない。使える本だ!!

▼ここまで見てくるとわかってくる、これは単なる{本のベスト10}という「本」だけの話でないということが。
私は、私の文脈で本を読んでいるのである。だから、これは結局は2012年の「私の文脈」をリストアップしているということになるのだろう。
 つづける。

【ベスト 6】 『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』(西尾成子著 岩波書店)
 これからの「科学」を考えるうえで寅彦とともに気になる人がいる。それが石原純だ。
石原純のことが豊富な資料でわかりはじめる本だ。

【ベスト 7】 『パパは金属博士!』(吉村 泰治著 技報堂出版)
 この本を読んでいると、いかに毎日「金属」とつきあっているかがわかる。わかりやすく面白く読んだ!!

【ベスト 8】 『情報の呼吸法』(津田大介著 朝日出版社)
 私のTwitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」)に「アクティブ」を追加することを示唆してくれた本。

【ベスト 9】 】 『ウェブでの<伝わる>文章の書き方』(岡本 真著 講談社現代新書)
 Web発信のイロハを教えてくれる本。書かれたことのいくつかをさっそく自分でも実践してみている。はたして効果は…。

【ベスト 10】 作家別作品リスト:No.42 寺田寅彦 (青空文庫)
 これは番外編である。しかし、読んだ回数で言えばこれがいちばんよく読んだわけだからここにあげておく。
2013年もやっぱりいちばんよく読むことになるだろう。

▼【私の重大ニュース】につづいてのこの作業もけっこう時間を要することになってしまった。
でも、これもやっぱり面白い作業になった。
2013年はどんな本に出会うだろう。今年はふくめなかったが、「再会」というのもあるかも知れない。
楽しみである。

 昨夜は雨で「満月」に出会えなかった。ところが今朝起きたら、雲も晴れて西の空に「まんまるお月さん」がいたのだ。
カメラを向けてみた。
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【私の重大ニュース 2012】(4)

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▼昨日は今年最後の散策に出かけた。凍てついた空が池の水面に映り2倍きれいだった。少し早めの「初詣」にも行ってみた。参道にはすでに露店もスタンバイしていた。境内の干支「巳」も感動の姿で待っていた。
 2013年の準備は整っていたのである。
▼さあ、私も ゆっくり 急ごう!!

【その8】 デジカメ自然観察を楽しんだ!! 

これは、今年はじまったことではない。しかし、自分の中ではすごく進展した取り組みである。
元々はヒガンバナを撮りたくて購入したデジイチであったが、ヒガンバナ、大賀ハスだけにとどまらずあらたな「自然観察」の方途を提供してくれた。どこに行くときもデジカメは手放せなくなった。
 遊び心で今年撮った写真のベスト3をきめてみた。
【ベスト1】 サイエンスアゴラ2012に向かう新幹線の中から撮った富士山
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【ベスト2】 大賀ハスの枯れた果托のシェルターにカエルくんが避難していた。
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【ベスト3】 やっと月のクレーターが撮れはじめた。!!
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▼次は、ここ何年間継続している取り組みについてだ。

【その9】 三つの試論を進めた!!

三つの試論とは
●新・私の教材試論
●新・「自由研究」のすすめ試論
●新・クラウド「整理学」試論
である。まだ試行錯誤の連続である。
サイエンスコミュニケーター宣言と重なるところも多々あるが、独自の部分もある。
もともとはこれが一番やりたいことでもあったのだから、これからも続けたい。

▼最後になってしまったが、これが最初であるべきかも知れない。

【その10】 多くの「私の科学」に出会い学んだ!!

 ほんとうに多くの人に出会い、その人の「私の科学」に学ばせてもらった。
思い出すものをアトランダムにならべてみる。
ファラデーラボで学ばせてもらった。
・科教協米子大会に参加し学んだ。
・極地研定研(気仙沼大島)に参加し学んだ。
・サイエンスアゴラ2012で学んだ。
・原生動物園で学んだ。
・わかる授業「日曜会」で学んだ。
 もっともっとありそうな気がする。学んだことの反芻作業がつづけていることもいっぱいある。
多くの「私の科学」に出会い学ばせてもらうなかから確信を深めたことが2つある。
・これからの「学び」は「学び合い」としてしか成立しない!!
・情報は交叉するところに生まれる!!
2013年も学び続けよう!!

<おわり>

昨夜の明るかった月も今朝はぼんやりだ!!
昨夜の月をあげておこう。
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【私の重大ニュース 2012】(3)

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▼今朝起きて外に出たらまだ明るく輝く月が西の空に残っていた。昨日の夕方からのその軌跡を目で追い指さしもしてみた。簡単なことだが、面白い!!
 2012年は、アタリマエで簡単なこと、いままでに当然やっていそうでやっていなかったこと、それをはじめてやってみた年でもあった。
▼やや冗長気味になってきた【私の重大ニュース】であるが、続ける。

【その5】 「宇宙見物」を楽しんだ!! 

2012年はこれまでの「雲見」に加えて「宇宙見物」を楽しんだ年でもある。
寅彦の詠んだ歌に「好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物」というのがある。
「宇宙見物」はそこからいただいた。ここでもやっぱり寅彦なんだ。
イベント的「宇宙見物」としては
・2012.05.21 金環(部分)日食
「金環日食を10倍楽しもう!!」をこのblogに(1)~(11)を書き込み、多くの人と一緒に楽しむことができた。
 またその時の観察記録も残すことができた。
・ 2012.06.06  金星太陽面通過
これも学校で多くの先生や生徒たちと一緒に観察することができた。
これらの記録はすべて
新・【地球と宇宙】実践DBに残した。
イベント的「宇宙見物」を楽しんだだけでない、それにも増して毎日の「宇宙見物」が面白かった。
特に現在進行形の「月見」は画像を撮りながら実に楽しいものである。
月のかたちや大きさ、見える位置・時間の観察からやっと頭のなかに「三球儀」「暦」ができつつある。
 私の「宇宙見物」がこの後、どう発展していくのか自分でも楽しみである。

【その6】 ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!
 
これはぜひとも記録しておきたい旅だった。ずっとずっと行ってみたいと思いながらも実現しなかった。やっとはじめて参加したのだ!!
 ずっと行きたかったのは、長い間取り組んでいる【「丹生」を追う】につながるからである。
旅といえば、夏の終わりの「寅彦を訪ねて」(高知)の旅も収穫が多かった。
「無手勝流」人間にはやっぱり動いて学ぶというのが最高だ!!

▼新しくはじめたことが続いたが、これまでのこと継続してすすめたこともある。

【その7】 定番「ヒガンバナの研究」「大賀ハスの観察」をすすめた!!

 一年間で、このふたつに費やした時間は圧倒的にながい。それだけやっぱり楽しく面白いのだ。
ヒガンバナの方は、【ヒガンバナ情報2012】にまとめているが、今は「ほんとうに種子をつくらないのか!?」「種子もどきを発芽させることはできるか?」という「ふしぎ!?」に焦点をあてている。
 大賀ハスの観察で今年は大きく進展した年だ。第6~第15までの花芽を観察し、9つの花の「あこがれの4日間」を観察した。はじめて水栽培に成功した、そして次世代大賀蓮を育てるにも成功した。まさに大賀ハス三昧の夏だった!!
 【大賀ハス観察日記】に記録した。2012年度の観察は来年の春までつづく。
年内には「ヒガンバナ情報2012」「大賀ハス観察日記」の両ページとも更新しておきたいものだ。

▼冗長気味と自覚しながらも、書き始めるとそのときどきのことが思い出されて、時間を費やしてしまう。
でも、この作業もまんざら時間の浪費ではなさそうだ。
 作業をすすめているあいだに、自ずから少しずつ2013年が見えてきたである。
だから もう一日だけ続けてみようと思う。

<つづく>


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【私の重大ニュース 2012】(2)

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▼それは12月24日の朝方のことだった。いつものようにおきまりのコースを散歩していた。いつものアオサギがいた。だいたい貴奴もコースを決めているようだ同じようなところで休み同じようなコースで飛翔する。
これまでも何度かその姿にカメラを向けてきた。しかし、それはいずれも飛ばずにとまっているときだ。
このときはダメもとでカメラを向けてみた。それがけっこう上出来だった。アオサギの飛翔する「瞬間」をとらえたのだ。
力強く生きている!!
▼そんな「瞬間」が積分されて一年になる。
2012年どんな「瞬間」があったのだろう。【私の重大ニュース】を続ける。

【その3】 「俳句」という科学の方法に着手した!!
 
 これも多分に「寅の日」の影響がある。
 これまでにも一週間に一度のWeb更新のたびに表紙画像に「俳句もどき」を貼りつけていた。
しかし、「俳句」という科学という方法を意識し、勉強をはじめたのは今年からである。
 俳句はきわめてこの「瞬間」をとらえるのにすぐれてた方法だ。
 その瞬間の「におい」や「光」や「風」をも増幅して記録してくれる。まだまだ着手したばかりで「もどき」の域を脱していないが生涯つきあっていく「科学の方法」となるだろう。

▼「瞬間」ということでは、今年いちばん感動した「瞬間」かも知れない。それが次だ。

【その4】 クマムシが「乾眠」からさめる瞬間を見た!! 

 もうクマムシはかなり安定して、ギンゴケからみつけることができるようになっていた。
今年の課題は動画として記録することであった。
それにも夏の初めに成功していた。
 それに終わらなかった。どうしても「誰でもいつでも、どこでも」観察できる方法をみつけたかった。
それをみつけたのだ!!
 それはクマムシの特性であり最強の武器である「乾眠」を利用する方法である。意図的に「乾眠」させておいて、水を加えることによって目覚めさせ観察するのである。これぞ究極のクマムシ観察法だ!!
「乾眠」からさめる瞬間を画像で記録するだけでなく動画で記録するのにも成功した。 
 クマムシは「誰でも、いつでも、どこでも」みつけることができる!!」を確信した一年だった。
 これからは、この方法の普及と「乾眠」のことさらにくわしく知っていきたい。

▼どうもこのペースでやったら、【その10】にいくまでに年を越してしまいそうだ。
明日から少しスピードアップをしよう。
こんなときこそ ゆっくり急ごう!!

そうだ!!昨夜の月と木星大接近の「瞬間」も記録しておこう。
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<つづく>

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【私の重大ニュース 2012】(1)

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▼聖夜の月もきれいだった。どんどん満ちてきている。28日が満月のようだ、そうすると新しい年の月は今と同じぐらい反対が欠けていることになるな。なんかアタリマエのこと考えながらぼんやりとながめていた。
もう2012年も残り少なくなってきた。
 ここのところ数年恒例としている【私の重大ニュース】を「記録」しておく。
▼ところで今年の「新年の抱負」ってどんなものだったのか見直してみた。
一言で言えば「道楽」と言い切っている。
蛇足として5つをあげている。
1 「道楽」求めて動く!!
2 「道楽」空間づくり
3 これまでの「道楽」の完成
4 「道楽」最優先思考(ストイックにならない)
5 「道楽」的文章作成術
自分が書いたことだからなんとなくわかる。
それにしてもこのblogというものは便利なものである。
未来の私を最優先読者として想定して「記録」するには最適なツールである。
▼ではほぼ2012年全日が「記録」してあるこのblogを参照しながら、重大(十大)ニュースをはじめよう。

【その1】 オンライン「寅の日」をはじめる!!

抱負の「道楽」に焦点をあてるなら、なによりいちばんにこれが来るだろう。
ここから派生的にいろんなことがあった。
オンライン「寅の日」もさることながら、オフライン「寅の日」もいっぱいあった。もともと「寅の日」とはオフラインの本義であるから当然のことでもある。
 2012年12月31日大晦日。寅彦の命日に第23回オンライン「寅の日」でしめくくるとはなんとも象徴的であることか。
▼次に行こう。

【その2】「サイエンスコミュニケーター宣言」を継続した!!。

 2011年の4月からはじめた「サイエンスコミュニケーター宣言」も先日200回を越えた。3.11と私自身の環境的な変化を受けての取り組みである。
「私の科学」はどこから来て、どこに向かうのか。それを追求する取り組みである。
 昨年の今ごろは「日本理科教育史」を追いかけていた。そして今は「私の理科教育史」を追いかけている。
遅々たる歩みである。しかし、常に「これから」を想起しながらすすめたい。

<つづく>

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【Web更新12/23】12-52「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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野のリース 飾るまもなく 聖夜かな 12/12/17 (月)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-52
週末定例更新
 身のまわり自然を観察していると「お見事!!」と思わず拍手をおくりたくなるときがある。
自然に学ぶとは、この自然がもっている絶妙のリズム・バランスそしてシステムに気づくことであり、そして自分自身もこの自然の小さな小さな一部であることを再発見することだろう。それは限りなく楽しく面白い営みなのである。2012年もあと一週間となってしまった。
 さてこの一週間にはどんな「発見」があるだろう。

◆表紙画像2012 人里の植物シリーズ ヘクソカズラの実
 今週ばかりは、表紙に難儀した。画像はヘクソカズラの実ときめていた。でもなかなかいい画像が撮れない。
その上、一句がなかなか浮かばない。きっと私の思考回路のそれこそリズムが狂ってきていたのだろう。
こんなときは、できるだけシンプルにと心がけるがなかなか…。
 東の土手の植え込みにからまっていたヘクソカズラの実が輝いていた。その輝きはいい味を出していてリースに使われたりする。私もいちどそれに挑戦したいと思っていた。そう思っているまに聖夜がやってきてしまっていたのである。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 このサイエンスコミュニケーター宣言もいつのまにやら2000を越えてしまっていた。どの連載よりも長くなってしまった。今は、「私の理科教育史」を『地下茎』を1号ずつ読みながら追っている。1号ごとにその当時のいろんなことが思いだれてついつい立ち止まってしまうのだ。10号まできた、いちど年末年始の休みをとることにする。
再開は年明けてからということにしようと思う。

◆オンライン「寅の日」 更新!
 2012年いちばんの収穫といえばこのオンライン「寅の日」をはじめたことだろう。
大晦日、寅彦の77回目の命日に予定しているオンライン「寅の日」で第23回になる。
どこまで続けられるだろう。
オフライン「寅の日」も含めて
 それは「私の科学」のひとつのバロメーターとなるだろう。

昨夜も月を撮り続けてみた。

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2013年1月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼昨日は大賀ハスの定例観察日であった。蓮根の植え替えから38週目である。観察池の氷は融けていた。枯れ葉は朽ち果てようとしていた。ボロボロになりやがて泥に帰って行くのだった。きっと他の蓮田でも同じようなことを繰り返しているのだろう。何年も何年も…。
自然は循環しているのだ。
▼2012年12月も20日を過ぎたので来月のオンライン「寅の日」の計画を考える時期である。
2013年1月のオンライン「寅の日」は2回である。
・第24回オンライン「寅の日」…2013年1月12日(土)
・第25回オンライン「寅の日」…2013年1月24日(木)
これはあくまで「めじるし」の日である。定例的に継続していくための期日設定である。
この日に限定してということではけっしてない。
過去に読んだものでも、日付関係なしに話題なることは大歓迎である。
どんなメディアを使って展開していくかも来年以降の課題でもある。
▼さて2013年1月であるが、
▼「自由画稿」(青空文庫より)
を読みたいと思っている。
 そう思ったのは、今年最後のオンライン「寅の日」は奇しくも寅彦の命日である12月31日だ。
そこで読むのは亡くなった年に発表された「日本人の自然観」である。
そのつづきということで、同年(1935年)に発表されたものを捜しているときに、「自由画稿」をみつけたのである。
 これは1935年(昭和10)に『中央公論』(1月号~5月号)で発表されたもののようだ。
これなら考えていたことに合致する。
 それに、この文章の「はしがき」とっても気に入ったことが書かれていた。

どんな瑣末(さまつ)な科学的知識でも、その背後には必ずいろいろな既知の方則が普遍的な背景として控えており、またその上に数限りもない未知の問題の胚芽(はいが)が必ず含まれているのである。それで一見いわゆるはなはだしく末梢的(まっしょうてき)な知識の煩瑣(はんさ)な解説でも、その書き方とまたそれを読む人の読み方によっては、その末梢的問題を包含する科学の大部門の概観が読者の眼界の地平線上におぼろげにでもわき上がることは可能でありまたしばしば実現する事実である。読者の頭脳次第では、かなりつまらぬ科学記事からでもいろいろな重大問題の暗示を感知し発見し摂取し発展させることもしばしばあるのである。 

 なんともすごい寅彦流の勧誘・挑発的な文章だろう。
▼ならば、78年の時空を超えた読者としてこの「勧誘・挑発」を受けてみようではないかと思ったのだ。
 しかし、この「自由画稿」は十八編もの随筆からなる。これを一度に読んでしまうのには無理がある。
そこで、ある程度焦点をしぼり1月にはそのうちの2編だけを読むことにする。
・第24回オンライン「寅の日」…2013年1月12日(土)「十 うじの効用」(「自由画稿」より)
・第25回オンライン「寅の日」…2013年1月24日(木)「十一 毛ぎらい」(「自由画稿」より)
 もちろん読む人によっては他の編の方が興味深いということもあるだろう。その場合はあわせて話題にできればと思う。
 重ねて繰り返すがまだオンライン「寅の日」で「○○でなければならない」はまだつくられていないのだ。
これからもつくられることはないだろうと思っている。

昨日(2012/12/22)の夜も再び、月を撮った。
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【お薦め本】『ウェブでの<伝わる>文章の書き方』(岡本 真著 講談社現代新書)

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▼「雲見」をしていると、「ああっ!この空を残して置きたい!!」と思う空や雲に出会うことがあります。冬至の日の昨日、日の出の位置を確認したくて待っているときの空がそれであった。
考えてみると「雲のかお」というのは、そのように特別に思わなくてもいつも一回性であり、ふたつと同じ「かお」はないのだ。大気の物理実験室でおこなわれる一回性のアートだ。
▼今年最後になるであろう【お薦め本】の紹介をする。
■『ウェブでの<伝わる>文章の書き方』(岡本 真著 講談社現代新書 2012.12.20)
 まず私ごとから、著者の岡本 真さんは、私がTwitterをはじめたとき(2009.9.23)に二番目にフォローし、フォローしてもらった人なんだ。つまりは岡本さんたちの案内でTwitterを使い始めたんだ。それまでにも『これからホームページをつくる研究者のために』(岡本真著 築地書館 2006.08.10)からも多くを学ばせてもらっていた。
▼だから新刊が出るときいて予約し待っていた。
本が着くなりいっきょに読んでしまった。期待どおりだった!!
本自体が<伝わる>ことを意識して、ひじょうに読みやすくなっている。
 読みやすくする工夫がいろいろある。行間がしっかりとってある、段落ごとにスペースがいっぱいある。
特に言いたいことは枠をつけてまとめてある。
 それこそまるでWebページを見ているような感覚で読める。本でも読まれなければ、<伝わる>ことはないのだから、そのメッセージをこの本自体で証明しようとしているかのごとくである。
 「Yahoo!知恵袋」の生みの親だけのことはある。Webの現場を知り尽くしたプロなんだ。
プロはやっぱりわかりやすく、具体的である。

 この本のタイトル<伝わる>について、
 「伝える」(「伝えた」)ではなく、「伝わる」(「伝わった」)です。
 「え」と「わ」のほんの1文字の違いですが、この1文字の違いを意識するかしないで、得られる結果はまったく変わってきます。(同書 P40より)

納得である!!
▼読んでいて、さっそく自分もあらためようと思ったことがいっぱいある。
たとえば
「本日」の表記の仕方である。
ごく最近使ったので言えば、
「本日、第22回オンライン「寅の日」 #traday」というblogのタイトルだ。これでは、後から見れば自分でも「本日」がいつのことかわからない。本当は後からでも「一緒に読みましょうよ!」と呼びかけているのに、<伝わって>いない。
次回から変えようと思った。
 これはたとえばの話で、この本にはこんなことがいっぱい書いてあるのだ。
Webならでは表現術が。

 私はずっと「情報は発信するところに集まる」と言い続けてきた。
 そして最近は加えて
 「情報は交叉するところに生まれる」と思っている。
 「交叉」するためには<伝わる>コミュニケーションがなければならない。
 これから<伝わる>情報を
 Web発信をしようと思う人にとっては必携・必読の書である。

(今、発信する前に、一度自分で「音読」してみた。これもこの本から教わったこと!!)

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サイエンスコミュニケーター宣言(202)

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▼昨夜は上弦の月を撮った!!自分でもわかった、これはもう例の「ばっかり病」を発症していることが。「月ばっかり病」である。その日の月のことが気になってしかたなかった。Facebookであの空の写真のプロ・武田康男さんが撮ったみごとな上弦の月をみせてもらった。【理科の部屋】では、これまでにも中村敏弘さんに昼間の月をいっぱい見せてもらってきた。これはまるで【月空の連帯】だ!!
 どこで見る月も同じ月を見ているのである。このアタリマエの事実!!考えてみるとスゴイこと!!
これを暦に使い、くらしと結びつけるとはなんという知恵だ!!
これぞ超一級の「科学の方法」と言えば我田引水が過ぎるのだろうか。
▼「ばっかり病」「ゆっくり病」「グズグス病」の繰り返し、それが「私の理科教育史」。
つづける。
【「地下茎」第10号 1982.6.20】
発行日がこだわりの15日でなくなっている。
やや失速ぎみだったのだろうか。それは少し巻頭言にもあらわれていた。
◆「子どもがみえる」ということ
授業でも悪戦苦闘を繰り返していたようだ。
実はそれは、そのころだけではない。それから30年経た今も恥ずかしながらまったく同じことを繰り返しているのである。その度に再確認にしてきた。きっと「これから」も…。
「子どもは最高の指導書!!」
▼[本の紹介]で
◆「自然の観察」(熊沢文雄著 新生出版 1982.4.20)
をとりあげている。そこにA君とクワガタ採りにいったときのことを書いている。今も昨日のことように思いだす。
完全に私は生徒をやっていた。
 この本、本棚からひっぱり出してきたパラパラと読んでみた。あまりに面白いのでついつい引き込まれていった。
「自然は最高の教科書!!」
「子どもは最高の指導書!!」
がみごとに具現化していた。「ではどうするのか」もていねいに語られている。
これぜひ復刻して欲しいな。そう言えば、この夏、著者と出会ったんだ。ミーハーの私としてはサインもらっておくんだったと悔やむな。(^_^;)
▼このころの「ばっかり病」に「植物の世界」があるようだ。
◆「植物の世界~光と水をもとめての生活を~」
を書き始めている。これは後に「理科教室」の原稿になり、翌年の「たのしくわかる授業テキスト集」(『理科教室』)の『植物の世界』になるのだった。
「テキスタイル」化にもはまっていた時期でもあった。
それはまるで吸収したものを完全消化するまでの蠕動運動を繰り返しているようなものであった。

今日は冬至だ。どこから陽が昇ってくるのかしっかり「記録」しておきたいものだ!!
夕方でかけるから、月は撮れるかな?

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サイエンスコミュニケーター宣言(201)

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▼今、外に出たら西に傾いたオリオンがとてもきれいだった。もちろんもう月はなかった。
その月を昨日は二回撮った。やっと雲がうすくなり出した夕方(18:27)と眠る前(21:13)です。アタリマエであるが同じ月でありながら少し違うように見えた。傾きだけでなく微妙に変化しているように見えた。
刻々と時間は過ぎて行っているのである。学生時代に英語の時間に教えてもらった
「He is not what he was 」
あれが好きだった。今でもときどきつぶやくのである。
▼「30年前の今」はどうだったんだろう。「私の理科教育史」をつづける。
【「地下茎」第9号 1982.4.15】
この号も発行は日付より少しずれ込んだようだ。
巻頭言は「「自然」を教室に」だった。そこで「かわりだね・はしりもの」(「はしりもの ・かわりだね」の方がよく使ってきたかも知れない)の実践にふれていた。
 これはずっとずっとこだわり続けてきた実践だ。
Webの時代になってもこだわっていた。
◆Web版『はしりもの・かわりだね』
のささやかな取り組みもこれへのこだわりのあらわれだろう。
そして、「これから」もまたちがったかたちでこだわり続けるだろう。
▼そのころの授業のようすの一部をまとめていた。
◆「化学変化の第一歩~分解・化合・燃焼~」『理科教室』1982年5月号より)
今もやり続けている実験がいっぱいあるのに自分でも驚いてしまう。
[闇市開業 その5]は、『ストローとクリップで浮沈子を』(p7)だ。
 そうだこのころ「浮沈子」に凝っていた。「浮いてこい!」のおもちゃとして親しまれいた浮沈子は、きわめてすぐれた教材だと思っていたのだ。
▼地下茎舎へのお便りというかたちでの岸田孝蔵先生の「すべての地学現象と生物を結びつけて総合的な科学の勉学こそ最も大切かと思います。」の提言は30年の時空を超えて、きわめて今日的である。
一号ごとに「そのときの 今」を追う作業はけっこう時間がかかるものである。
でも楽しく面白い作業である。
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

さあ、あのオリオンは沈んでしまっただろうか。
金星はのぼってきたかな。今日も「宇宙見物」しながら作業すすめよう。

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本日、第22回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日の「五右衛門」は妙におとなしかった。いつもだったら、足音でわかるのか縁側の水槽にちかづくとゴソゴソ水槽の壁をよじ登るようにしてエサをねだるのに、昨日はそうではなかった。まさか死んでしまったのではと心配になって水槽をのぞいてみた。「五右衛門」は預かりものの亀だ。長男が飼っていたものをしばらくということで居候をしているのである。眠っているだけのようだ。「鶴千年 亀万年」で、千年、万年は極端にしても野生の動物としては寿命は長いようだ。「五右衛門」の寿命のことを考えているとまたしても、ここ最近の私の究極の「ふしぎ!?」に行き着いてしまった。それは「生命と時間」の不思議である。
エサなしで261日間ナイロン袋の中で生き延びたコウガイビルの「生命と時間」
ピンチになると「乾眠」をして時間を止めてしまうクマムシの「生命と時間」
「あこがれ4日間」だけ咲く大賀ハスの「生命と時間」
まるで「目覚まし時計」がセットされているようなヒガンバナの「生命と時間」
あげればきりのないぐらい「生命と時間」は「ふしぎ!?」なんである。
▼寅彦ならきっとこの不思議について書いているだろうと思っていた。
あった!!それを読むのが今日のオンライン「寅の日」だ。
●第22回オンライン「寅の日」
・「三 身長と寿命」(「空想日録」より) (青空文庫より)
 「空想日録」は4つのエッセイからなる、。それぞれ関連しそうなところもあるが、今回は「身長と寿命」に焦点をあてて読むことにする。
 書かれたのは1933年(昭和8)、寅彦が亡くなる前々年である。
▼いつものようにみごとな展開で、「生命と時間」の不思議にせまっていた。

 時間の長さの相対的なものであることは古典的力学でも明白なことである。それを測る単位としていろいろのものがあるうちで、物理学で選ばれた単位が「秒」である。これは結局われわれの身近に起こるいろいろな現象の観測をする場合に最も「手ごろな」単位として選ばれたものであることは疑いもない事実である。いかなるものを「手ごろ」と感ずるかは畢竟(ひっきょう)人間本位の判断であって、人間が判断しやすい程度の時間間隔だというだけのことである。この判断はやはり比較によるほかはないので、何かしら自分に最も手近な時間の見本あるいは尺度が自然に採用されるようになるであろう。脈搏(みゃくはく)や呼吸なども実際「秒」で測るに格好なものである。

そして、ひとつの結論にいきつく

 こう考えて来るとわれわれの「寿命」すなわち「生きる期間」の長短を測る単位はわれわれの身体の固有振動週期だということになる。

さらには、生き物の「寿命」について次のように言っている。

 象が何百年生きても彼らの「秒」が長いのであったら、必ずしも長寿とは言われないかもしれない。 「秒」の長さは必ずしも身長だけでは計られないであろう。うさぎと亀(かめ)とでは身長は亀のほうが小さくても「秒」の長さは亀のほうが長いであろう。すると、どちらが長寿だか、これもわからない。
▼寅彦がこう書いて約60年たってあの名著『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達男著 中公新書 1992.8.25)が生まれた。その著のはじめに本川氏は言っていた。
私たちは、ふつう、時計を使って時間を測る。あの、歯車と振子の組み合わさった機械が、コチコチと時間を刻みだし、時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。  ところがそうでもないらしい。ゾウにはゾウの時間、イヌにはイヌの時間、ネコにはネコの時間、そしてネズミにはネズミの時間と、それぞそれの体のサイズに応じて、違う時間の単位があることを、生物学は教えてくれる。生物におけるこのような時間を、物理的な時間と区別して、生理的時間と呼ぶ。(『ゾウの時間ネズミの時間』P5より)

なんと地続きのことを言っているではないか。
 あらためて寅彦の謎解きの先駆性に驚いてしまうのである。

だからと言って「生命と時間」の不思議は解けたわけではない。
まだまだ続きそうだ。
 「五右衛門」はほんとうに眠っていただけだろうな?今から見に行ってみよう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(200)

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▼「そうだったのか!」
「そりゃそうだ!!」と昨日の夕方にもこの「アタリマエの科学」に感動していた。
 昨日は一日雲が厚かった。これではあの月は見えないだろうと半分あきらめていた。ところが夕方になってその雲はどこに行ってしまったのだろうと不思議になるぐらい空は晴れてきた。あきらかに一昨日よりも大きくなった月が見えてきた。その月を例によって撮った。比較的クレーターもよく撮れるようになったなと満足していた。
しばらくしてから再び外に出た。そのときだ、この「アタリマエの科学」に気づいたのは。
 前回同じ頃に月を撮っていてあの林のあのあたりに没していったと頭のその軌道を描いていた。それが昨夕は違っていたのだ。その林より北の池に没するように沈んでいたのだ。北へずれていたのだ!!
なんというアタリマエ!!今さらならの感動である。
▼30年前だって、月は同じように動いていたんだろうな。そしてその当時の「私の科学」はどこにいたんだろう。
「私の理科教育史」を続ける。
【「地下茎」第8号 1982.3.15】
[例会報告]に面白いことが報告されていた。
「イオン飲料・アルカリ性 ポカリ・スエットのpHは3.6?!」
たまたま持って行っていたポカリ・スエットのpHを測り驚いているのである。さらには蒸発皿にうつし加熱して灰にして再び水を加えpH測定をしているのである。「アルカリ性」飲料の謎解きを今さらの「感動」をともないながらやっているのである。これが地下茎舎の作風になりつつあった。
[闇市開業その4]
では、「ポリ袋エアマットで圧力と力を」を紹介している。
 透明で丈夫なナイロン袋をさがしていて、「つけもの袋」に行き着いたときの感動を私は今も忘れない。
▼年度末であったから、一年間の授業をふりかえって生徒たちにアンケートをとっていた。
「中学1年生の授業を終えて~生徒アンケートより~」
 そのなかで「お気に入り実験ベスト10」をあげている。
1.水素の燃焼
2.FeとSの化合(Fe+Sのダンゴを含む)
3.野外観察(ヨモギとオオバコ、光とり競争、つる植物、その他)
4.ゴミ袋熱気球
5.ミミズの解剖
6.エーテルの引火
7.液体窒素を使って
8.アンモニアの噴水
9.ポリ袋・エアマットを使って
10.ドライアイスを使って(三態変化)
 こう書きながら驚いてしまう。今となにかが変わったのだろうか。
けっきょく同じようなことを繰り返してきたのだろうか。
▼そのころよく手紙を書いていた。もちろんメールはなかったから手書きの手紙だ。
ヘタクソな文字できっと失礼な乱文であったのだろう。
宛先はお世話になった方や、本の紹介をさせてもらった著者だった。
この号では、『新版 新しい生物学教育』の著者延原肇先生の「応答」を紹介させてもらう。
それは手紙の「応答」というより、生物教育の提言だった。
「自然を基本体験・学習の場として」
「植物のからだはタンパク質から」
今読みかえしてみてもきわめて示唆に富むものだ。
それから30年!出された「宿題」の何分の一をやっただろうと考えると…

さあ、今晩も月を見ることできるだろうか。どこに沈むかしっかりみておこう。

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【Web更新12/16】12-51「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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幾列車 通り過ぎるかな 枇杷の花 12/12/16 (日)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】12-51
週末定例更新のお知らせ
 「もういくつねると…♪」の季節になってきた。今回を含めないと2012年のWeb更新はあと2回である。
それで53回の更新になる。Web更新/週、blog更新/日、Twitter、Facebookは随時 これが私の歩みのペースだ。ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ 枇杷の花
 家から少しだけ離れたところに1本の枇杷の木がある。線路沿いにある、幼いときからずっと見続けてきた木だ。
人里の木々落葉し骸骨状態になっているのに、この木には花が咲いている。
なんでこの時期に花なんだ。昔からこれが「ふしぎ!?」だった。そんなこと考えてながめているあいだにも列車が何本も通り過ぎていった。樹齢はいくつぐらいになるのだろう。何本の列車を見送ったのだろう?

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 「私の理科教育史」を『地下茎』をつてに追っている。一日に1号のペースだとしばらくはかかりそうである。
まちがいなく年は越してしまうだろう。これもやはり ゆっくり ゆっくり 急ごう!!
この遅々たる歩みのなかから、「これから」を抽出していきたい。


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サイエンスコミュニケーター宣言(199)

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▼昨日は大賀ハスの定例観察日。大賀ハスの蓮根植え替えから37週目であった。実は、今年「あこがれの4日間」をむかえた10個の花の果托の整理にそろそろかかろうと思っていた。もっと早めの回収も考えたが、寒風に耐え佇立するその姿を見ていると、私の手でちぎってしまうことに躊躇していたのだ。観察池の方で最後まで頑張っていたやつが、先週の寒風でちぎれ落ちた。「それでは…」と思ったが、「待った!」をかけるヤツがあった。
それは、奇跡の「水栽培」に成功した第12大賀ハスの果托だった。ちょうど壁ぞいに立っていたこともあってまだ健在なのである。完全回収作業をストップすることにした、この果托が落ちるまで…。
▼「私の理科教育史」を「地下茎」でつづける。

【「地下茎7号」1982.2.15】
の巻頭には Fさんが
「徒然なるままに、週三時間の授業について 最近思うこと」を書いていた。
そうだ!
 この1981年度というのは、中学校で新しい学習指導要領が施行された年度であるのだ。
70年代から80年代の学習指導要領については、すでに書いていたが、もう一度見直してみることにした。
▼1980年~1982年にかけて、小・中・高と順次改訂施行されていった。
年表から再びピックアップする。

●1977年(昭和52) 7.23 文部省『小学校指導要領』告示。<ゆとり>の時代、総授業時数の縮小。理科は一二年週2時限、三四五六年3時限。<繰り返し教材>を減らす。
・7.23 文部省『中学校学習指導要領』告示。理科の時数を一二年3時限、三年4時限に縮小。公害問題に対処。<身近な事物現象>で興味関心を高めたという。

●1978年(昭和53) 8.30 文部省『高等学校学習指導要領』告示。1982年入学者から順次実施。一年「理科Ⅰ」「二三年「理科Ⅱ/物/化/生/地」とする。

いわゆる「ゆとり教育」のはじまりの時代であったのだ。
▼時代とともに、自然観、科学観、教育観が変遷していく言わばそれはある面でアタリマエのことである。
理科教育史にも当然「不易と流行」がある。
では、「私の理科教育史」において「不易」とはなんだったんだろう。
しばし、考えてみよう。

ゆっくり 急ごう!! 

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サイエンスコミュニケーター宣言(198)

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▼私にはいくつもの持病がある。そのなかでも顕著なものは「ばっかり病」と「クズグズ病」だ。
そう言えば昔、私の持ち物にイタズラをして「クスダ」に濁点を打って「グズダ」にしてしまっていたやつがいたな。
やっぱりこの持病もかなり病歴がながいのだ。グズグズしていてタイミングをはずしてしまったことは数限りなくある。わかってはいるのだが…。
 例の玄関先のバケツに浸けたヒガンバナの花茎がほぼ完全に枯れて腐ってしまった。子房部への水分補給は不可能であるとみられる。でも「種子もどき」はまだ黒く完熟はしていない。次の作戦にでなければならないとは思うのだが、ここで「グズグズ病」だ。ひょっとしたら水に浸けておくことで思いもよらない展開があるのではと思うと決断できないのだ。せめて明日までとグズグズと…。
▼こちらの方は「ばっかり病」を発症しているのかもしれないが、「私の理科教育史」つづける。
【「地下茎6号」1982.1.15】
地下茎舎も2年目に入っていた。
1985.1.15の発行となっているが実際はもっと遅れての発行となったようだ。毎月15日発行にこだわっていてようで
意地でそうしたようだ。
内容は巻頭に書いていた。
「特集 力学をどう教えるか~ひめじ理科サークル冬期合宿研より~」
意気込みばかりが先行する文章だ。
嫌なコトバがでてきた。
「理科嫌い」だ。私はこの「理科嫌い」「理科離れ」というコトバが嫌いだ。
何をもってしてそういうのか。理科教育というと枕詞のようにこのようなコトバを使う人がいるが、どうもなじめない。
理科教育関係者以外が使うならまだしも、現場の理科教師が使うのは…。と思っていたらなんのことない、自分も使っていたのだ。恥じ入るばかりだ。
▼合宿自体の内容は豊富だった。
4本のレポートがあった。
・「作用・反作用」と「力のつりあいの」に混乱が
・ものの重さと力
・変形と力~7年前の「力学」の授業より~
・力学は「恋愛学」だ~ものとものの相互作用として~
ナイター 映画と再討議
(1)「空気の重さ」(岩波映画)
(2)「ものが燃えるとき なにがおこるか」(岩波映画)
(3)「力のおよぼしあい」(岩波映画)
特別報告
・力および力のつりあいの概念について
▼事務局だよりに、この合宿の「まとめ」じみたことを書いていた。

いつも教えてもらっている中村先生に『「力学」で今なにが問題となっているのか』とたずねたら、「なにが問題かを考えるのが研究だ」と返事が返ってきた。「合宿研」を終えた今、そのことがよくわかります。
私たちは、これで「力学をどう教えるか」がわかったなんて考えたくないし、事実よけいに課題が山積みにされたという気がします。ひとつ、ひとつ、授業実践でこれを解き明かしたい思います。この会に参加してもらったひとともに…。
 

やっぱり軸足は「私の授業」に置くべきと気づいた瞬間かも知れない。

 「ばっかり病」も「グズグズ病」も持病であるかぎり、完治することないだろう。ならばこの病とつきあい方を考えていくのが得策だろう。そう言えば、今日は病院に行く日だ。

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サイエンスコミュニケーター宣言(197)

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▼昨日の昼間はいつもの定点観測地に立って「雲見」をしていた。青空がきれいだった!!同じ青空でも、季節によってちがう「顔」をしているようだ。朝は、月のない「一日でいちばんきれいな空」を見た。そして夜は「ふたご座流星群」だ。夜も少し観察したが、今朝少し早めに起きて流星を見た!!個数もそうだったが、長く尾を引くのをたくさん見たのは収穫だ。「ふたご座流星群」ですぐ思い出すが第1回【星空の連帯】(1996.12.14)である。
 時空を超えての「宇宙見物」は今も私のなかで続いている。
▼「私の理科教育史」をつづける。
【『地下茎 第5号』1981.12.15】
巻頭言は橋本陽江さんが「ちょっと耳のいたい話」と題して、高校教師にとっての授業について書いている。
地下茎舎には高校、中学校、小学校のメンバーがいた。
「理科の授業」という共通項をもった人間のあつまりであった。最初からそれを意識していたわけではなかったが、校種が異なる教師が集まるというのが、とても意義あった。
どんな平凡な日常を語っても、それが刺激的であった。ことさらに「校種間連携」を声高にいわなくともそれは実践されていたのだ。アタリマエのこととして…。
▼この号ではメンバーで小学校での公開授業に参加したときのことが報告されている。
授業のことは授業から学ぼうというわけである。
[極地方式研究会関西集会](1981.11.28 門真市立二島小学校)
私はこれまでにも、小学校、中学校、高校、定時制高校の授業をみせてもらいに行っていた。
なにしろ「無手勝流」の私は見せてももらって学ぶのがいちばんだったのだ。
小学校の授業を見せてもらうたびに、自分の授業の雑さが恥ずかしかった。
授業のなかみについてもそうだった。授業のなかで「私の科学」が生まれていた。
その現場を自分の眼でたしかめる。これほど刺激的なことはなかった。
▼私は、今少し意識して「サイエンスコミュニケーター」と名のろうとしている。
それは、
サイエンスコミュニケーションの最前線は、学校の「理科の授業」である。
ならば
「理科の授業」をする教師こそ、最前線のサイエンコミュニケーターである。

という思いからである。この「理科の授業」はなにか特別のすぐれた授業とかというのでなく、ごくふつうの日々毎日全国の学校でされている授業のことである。
少しクドクドしくなったのでやめる。
ともかく
「私の科学」の源流は「私の授業」にあることは確かである。

さあ、もう一度外に出てみる。まだ流星みえるかな。

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サイエンスコミュニケーター宣言(196)

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▼ずっと観察を続けてきた月も今日は新月だ。新しい月になるんだ!!リセットされるんだ。もう朝にはいくら目を凝らしても見えることはないんだ。このアタリマエ!!やっとほんとうに「やっと」なのである頭のなかに「三球儀」が納まってきつつあるんだ。
 昨日はリセットされる前の最期の月であった。ほんとうに水星と一緒に細く細くなってあがってきたのだった。
 今朝は、ポンコツ頭が少し気分がリフレッシュしているのは月のせいだろうか。
▼新鮮な気分につられて、「私の理科教育史」をつづける。
【『地下茎 第4号』1981.11.15】
の巻頭言は
「生活原基「授業」を綴ろう」である。今読みかえしてみると少し恥ずかしいような文章だ。いつものことながら我田引水の思い入れのみが先行するたどたどしい文章だ。そもそも「原基」なんていうコトバあるのかな。
そんな拙文にも、思いの幾分かは「記録」されていた。
要するに「実践記録を書こうよ!」「そんなたいそうなものでなきていいから事実を記録していこうよ!」と自らへも呼びかけているのである。
よく言っていたのは「三行レポを書こう!」だった。
それから30年たった今、「三行レポ」を書く格好のツールを手に入れている。たとえばTwitterは140文字も書けるのである。工夫次第では画像・動画も比較的に添付できる、それもリアルタイムで情報交換できるのである。
Twitterだけではない。Facebookだってある、MLや他のSNSも。
 授業の一コマ、子どものつぶやきされを「記録」して集積していけば、次なる授業が見えてくるかもしれないんだ。それが30年前に言いたかったことなんだろう。
▼この号の[闇市開業]は「鉄と硫黄」の化合の鉄粉の話だ。
[闇市開業その3]「鉄粉300メッシュを使って」
ひとつのものの入手が、教材を変え授業を変えていく。その典型のようなものだ。
今なお「化合」の定番である「鉄と硫黄の化合実験」。その定番化に尽力された大竹三郎さんの次のコトバ
今なお示唆的である。

わたしは、現在、学校で実施されている多くの実験が、なお教材として仕上げられていないと考えます。これらの実験が授業の課題にピタリ答えられるように、その内容、形式ともに仕上げられなくてはなりません。ところが、わたしたちは、もうこれ以上、変えようとしても変えられないものと受けとめています。とくに長い歴史をもった伝統的な実験に対してそうです。(『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5) P119より)

 今こそ、「定番」実験が授業のどんなコンテキストから生まれたのか学ぶときではないだろうか。
「定番」はそのままで定番なのではない。自分の自分の授業用にカスタマイズできてこそ「定番」でありつづけるのだ。
▼[事務局だより]では、『理科教室』で本誌が紹介されたこと、全国で先駆的な活躍をするサークルとの交流がはじまったことを伝えている。
 そして、授業を集中的語り合おうと
緊急提案冬期合宿研『力学をどう教えるか』
を提案している。

この作業をつづけながら、「今さらなんでこんな作業しているのだろう?}と自問してしまうことがある。
でもひとつの号を読み終えると、やっぱり次が読みたくなってくるのである。
「記録」されたもののなかから、これからの「私の科学」をみつける作業はやっぱり面白いのだ!!
ゆっくり 急ごう!!


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サイエンスコミュニケーター宣言(195)

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▼あれから1年9月目の昨日の朝。東の空はほんとうにきれいだった。細く細くなった月と金星が近づいていた。土星やあとから登ってきた水星も加わってすばらしい「宇宙見物」だった。やがて空は「一日でいちばんきれいな空」になっていった。空は非情にも時を刻みつづけていた。
 今朝はさらに細くなった月が水星をともなって昇ってくるという。もうすぐだ…。
▼空が刻みつづける「時」に抗するように、私は歴史を遡行してみる。
【『地下茎 第3号』1981.10.15】
 そのころも、今まで見えなかったものが見えてくるアタリマエに感動していたようだ。
「地下茎」舎らしく、そのころの興味は地面の下にあったようだ。
この号の巻頭言は
「カラスウリ…地下の栄養倉庫をもとめて」
だった。
▼この号から、今も興味深いコーナーをつくっている。
[闇市開業]である。
なんとも妙なネーミングである。あたし自身が「闇市」を体験したわけではない。映画やTVなどの記録画像で知るのみである。あまりいいイメージを描く言葉ではないかも知れないが、その場の熱気、混沌としたなかから「お宝」発見の感動ぐらいのイメージだったのだろう。ようするに「すぐれた教材」発見紹介のコーナーである。
[闇市開業1.2]として「ゴミ袋で熱気球をとばそう」「コンブおじさんと話そう」をあげている。
 これは、今も展開中の「新・私の教材試論」のはじまりである。
▼最後の[事務局だより]では、学習会に使っていた『化学入門』の著者高橋金三郎さんから「便り」があったことを紹介している。うれしかった。
 このころから私は手間勝手な理屈をつくっていた。
「ホンモノは必ず応えてくれる。応えてくれないのはホンモノでないからだ!」
なんとも傲慢なヘリクツであることか。
でも幸いなことに、私はこれまでにこの例外に出会ったことがない!!
ひょっとしたら、これは私の勝手なヘリクツでなくて真実なのかも知れない。

あっ、もう細い細い月と水星が登ってきているかも知れない。
外に出て見よう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(194)

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▼昨日は早朝からハラハラと雪が降っていた。陽が昇ってくるとすぐ消えてしまった、積もるということはなかった。
それでもこれは「初雪」だった。今が稼ぎどきと、光をいっぱいひとりじめして葉を伸ばすヒガンバナにも少しだけかかっていた。
▼そのヒガンバナのこと、30年以上前にも書いていた。
「地下茎」を追うことを続ける。
【『地下茎 第2号』1981.09.15】
その巻頭言は
「ヒガンバナとデンプンとり」
であった。
 「テクサレのこと」「生活のなかに生きてきた花」「植物の生活をみる」「球根からデンプンを」とつづく文脈は30年後に書いた
◆『人の暮らしに密着するヒガンバナ』
 自分で驚いてしまうほど酷似しているのである。
ヒガンバナ情報2012につながる歩みははじまっていた。
これからもその歩みはつづいていくのだろうと思う。
▼第1回の「学習会報告」があった。
読んでいた本は『化学入門』(高橋金三郎著 新生出版)であった。
難解であることが率直に報告されていた。それでもなんとか等身大に引きつけようと努力していた。
これも考えてみると繰り返している営みなのかも知れない。
今展開中「オンライン「寅の日」」もその延長線上にあるのかも知れない。
▼「第二回例会」では面白いことをやっていた。
「製本づくり」である。このときにつくった手作り本を私は地下茎舎の「記録」用にながく使っていた。
今開いてみる。汚い文字だ、自分でも読めないよう文字がならぶ。
でも「記録」を意識していたことはたしかなようだ。
「事務局便り」には2つの便りが紹介してあった。
2つの便りは、その後の地下茎舎の取り組みに大きく影響するものだった。
そして、そのお二人との交流は今なお続いているのである。

「情報は発信するところに集まる」に気づきはじめていた。

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【Web更新12/09】12-50「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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枯蓮や 継ぎたるいのち 泥のなか 12/12/08 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-50
週末定例更新のお知らせ
 師走に入ってやはりなにもかもがスピードアップされたという気がする。こんなときこそ、それに惑わされることなく自分のペースでやっていきたいものである。ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ 枯れ蓮
 2012年のカウントダウンがはじまろうとする今、今年の大きな収穫に、「俳句」という科学の方法の本格化がある。なかでも「季語」を意識しつつまわりを見ているとなるほどと思うのである。
 なんと「自然を豊かにとらえている」のかと感心してしまうのである。するどい観察眼の集積の結果として「季語」がある。引き継ぐべき大きな「財産」である。
 毎日毎日見ている「枯れ蓮」が冬の季語だと知ってなにかうれしくなってきた。
「そうですよね、やっぱりこれ見たら感じ入るものありますよね!」と誰ということなく語りかけたくなってきた。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 「私の理科教育史」を語るうえではずことのできないサークル誌『地下茎』のことを語りはじめた。
当分はつづきそうだ。
 最初に確認した「原則」を忘れることなくすすめたい。
もう一度あげておく。
私のなかでの「原則」(ルール)! 枷ではない!!

・「記録」されたものを最重要視する。(「事実」を大切にすることでもある。)
・「失敗」の事実を大切にする。
・現在進行形で語る。
・現在進行中の三つの試論(新・私の教材試論、新・「自由研究」のすすめ試論、新・クラウド「整理学」試論)とリンクさせながら語る。
・時間は遡行しないことを肝に銘ずる。(「変えれるのは未来と自分だけ」)
・必ずしも時系列にとらわれない。
・「ねばならない」を優先させない。
・この作業が自分で「面白い」「楽しい」と思えなくなったら即やめる。

◆オンライン「寅の日」 更新
 これこそが、2012年最大の収穫かも知れない。急がず、慌てず、あせらず ゆっくりと楽しみながらすすめていきたい。今年もあと2回(2日)ある。
 あわせてオフライン「寅の日」も楽しみながらすすめようと思う。

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サイエンスコミュニケーター宣言(193)

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▼昨日はほんと冷たい風がきつかった。台風でもこわれなかったようなところが壊れた。
大賀ハス定例観察日でもあった。蓮根の植え替えから36週目であった。その風にも耐えて枯れ葉と果托はまだぶら下がっていた。「観察池」から少し離れたところに、今年の5/16に発芽処理をした次世代の大賀ハスの鉢をおいていた、今年は3つとも葉が枯れるところまできた。来年の春の蓮根の植え替えが楽しみである。
「あこがれの4日間」まで持って行けば次々世代までつなげることになる。
▼「私の理科教育史」はしばらくはサークル誌『地下茎』を追うことにする。それがいちばん当時の「私の理科教育」を語るうえでふさわしいと思うのである。
準備号で予告したように第1号は次の月の15日に出ていた。
【『地下茎 第1号』1981.08.15】
内容は、その年の科教協富士山大会の報告がしめていた。
●1981年(昭和56)第28回大会 山梨・河口湖
~自然から学び、楽しくわかる授業を~

[例会報告]その大会の参加報告会になっていた。
「お楽しみ広場」「分科会」「ナイター(講座)」等の報告記事が占めていた。
▼そのなかで、私は二晩続けての参加したナイター(講座)の報告をしている。
◆『化学教育入門~化学教育の弁証法~』(講師:高橋金三郎)
自分で書いたはずなのに、今読みかえしてみても新鮮だ。
これはどういうこと!?
私はまったく30年間進歩がないのか。
いずれにしても化学教育ではここで聞いたことずっと引きずってきたことはまちがいない。
二晩続けて高橋金三郎の話を聞いた。
◆『「科学的な考え方のできる子供」について』(講師:高橋金三郎)
この方の話も、この後の私の理科教育に影響を及ぼしたものだった。
このときの講座の内容はまとめて後に
『科学の方法~科学的に行動する子どもをそだてるために』(高橋金三郎 編著 新生出版 1987.6.5)
出版された。
 その本のなかにある「科学の方法」についての次の文章は「常民の科学」を示唆してくれるものだった。

 科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。
 科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。
 科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。(前著P14より)

▼「ほん」のコーナーでは
◆「理科教室」8月臨時増刊号『楽しくわかる実験・観察』(新生出版)
を紹介している
最後の「事務局より」では、準備号にはやくも「応答アリ」を伝えて、元気をもらっている。
ヒューマンネットワークのなかでの「学び」ははじまっていた。

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サイエンスコミュニケーター宣言(192)

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▼玄関先のバケツに浸けたヒガンバナの花茎がそろそろ腐りはじめた。それにともなって水分補給を受けていた子房部も緑を失い黒ずんできた。「種子もどき」も色づいてきた。花茎の1本だけがまだ妙に元気だ、だからその先の子房部も膨らみ続けているようだ。
 これで明らかになってきた、水分補給さえすれば子房部に「種子もどき」はできることが。
でも私はまだ納得できていなかった。
ヒガンバナの種子の「ふしぎ!?」に
▼どこまでも等身大に語る『私の理科教育史』をつづける。
70代から80年代へすすめる。
「学習指導要領」「科学・技術史」「日本理科教育史」などについてはすでに
・サイエンスコミュニケーター宣言(124)
・サイエンスコミュニケーター宣言(125)
・サイエンスコミュニケーター宣言(126)
あたりで概観していたので、ここではより等身大に綴る。
▼1981年は「私の理科教育史」にとって特別意味のある年であった。
それは「姫路理科サークル(地下茎舎)」発足の年であるからだ。「記録」に残ったものを見てみる。
【『地下茎 準備号』1981.07.29】
で5つの提案をしている。
【提案その1】 サークルの発足について(なぜ、今サークルなのか)
【提案その2】 例会について
【提案その3】 学習会について(『化学入門』高橋金三郎著、『理科教室』)
【提案その4】 『地下茎』の発行
   ・何をのせるか(「例会・学習会報告」「授業実践」「三行レポを書こう」「闇市開業:実験紹介」「Book」「その他どんなことでも」)
   ・発行日 毎月15日
   ・「地下茎」とは
    

「地下茎のごとく、一時的に、枯れたり、刈りとられようと何m何㎞とのびていき、たくわえた栄養(教材研究)ですばらしい花(授業)をさかせよう。とにかく、ほそぼそとでも、たのしくながくやっていきたいですね」

【提案その5】 会員をふやそう

ひとつひとつの提案を見ていても、思いだけは今も引き続いていると思ってしまうのである。
▼【提案その1】の発足趣旨について次のように書いていた。

 …私たちは、よく子どもたちに言うではないか。「ひとりで考えてわからなければ友だちに聞いてみろ、きっといい考えをもっているぞ」と。
 「なんとかならぬか」と思い悩んでいることも案外すぐとなりの人がいい案をもっているかも知りません。実は、子どもたちの学習形態も教師の学習形態も同じなのではないでしょうか。
 多くの仲間で考えてみると、すばらしい創造実践も生まれてくるかも知れません。
 そこで、こんなサークルをつくってみようと思うわけです。
 すでに、多くの全国の仲間たちが、すばらしい実践を多くつくりだしています。これを共同吸収していこういうわけです。ひとりでも多くの参加を期待しています。(「地下茎 準備号」より)
 

 自分でも少し恥ずかしくなってくるぐらい私は同じことを繰り返しているのです。
「無手勝流」の思考は驚くほど「単細胞」思考なんです。
 そんな言い方をすると先日観たアメーバなどの原生動物たちや最近急激に興味がわいてきた「粘菌」たちに申し訳ないですね。
 最近、これまでやや自嘲的に使ってきた「単細胞」思考は、実は誇れる思考方法なのではないかと思ったりしています。アメーバーくんたちよ! ありがとう!! 
   

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本日、第21回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼「この辺で、藤の名所はどこだろう?」と何人かに尋ねてみると、異口同音に「山崎の千年藤だろう」と答えてくれた。近くに住んでいながらそこを訪ねたことがなかった。
 そこに決めた。昨日の午後そこに行ってみた。ほんとうに近くまで行って道を間違えた。
道を歩く人に「千年藤で有名な…」と聞いてみた。その人はていねいに道を教えて下った。
そして言われた。
「なんで今ごろ行かれるのですか。花なら…」
「実はあの豆の実がみたくて」
「それはもうなくなってしまっているかも?」
「また花のときにぜひ…」
と。
▼本日は12月初回のオンライン「寅の日」である。
◆第21回オンライン「寅の日」
●『藤の実』(青空文庫より)

そう、ここでこれを読むから、昨日も「千年藤」の藤棚を訪ねて行ったのである。
行ってみると、ほんとうにりっぱな藤棚であった。
さぞやいっぱいあのさやがぶら下がっているのだろうと思ったがそうではなかった。
もう「その時」は終わってしまったのだろうか。
藤棚の下を少し時間をかけて見て回るが、それは落ちていなかった。
どうして?
▼文章は

昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚(ふじだな)の藤豆(ふじまめ)がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。

と始まるのだった。
 それはちょうど80年前の今ごろのことである。
この偶然の不思議との出会いは次にツナガル!!
 それにしても、これほど猛烈な勢いで豆を飛ばせるというのは驚くべきことである。書斎の軒の藤棚から居室の障子までは最短距離にしても五間(けん)はある。それで、地上三メートルの高さから水平に発射されたとして十メートルの距離において地上一メートルの点で障子に衝突したとすれば、空気の抵抗を除外しても、少なくも毎秒十メートル以上の初速をもって発射されたとしなければ勘定が合わない。あの一見枯死しているような豆のさやの中に、それほどの大きな原動力が潜んでいようとはちょっと予想しないことであった。この一夕の偶然の観察が動機となってだんだんこの藤豆(ふじまめ)eはじける機巧を研究してみると、実に驚くべき事実が続々と発見されるのである。しかしこれらの事実については他日適当な機会に適当な場所で報告したいと思う。

と書いているように、後日、寅彦は論文「藤の種子の自然放散機構について」(“On the Mechanism of Spontaneous Expulsion of Wistaria Seeds” 1933)を発表しているという。(小川慶太著『寺田寅彦』より)
なんという観察眼だ!!
これぞ「等身大の科学」なのかも知れない。
私が昨日「千年藤」に行ったのはこの偶然を追体験できないだろうか、という甘い期待があったからだ。
そんなうまい話はなかった。藤のさやや種子はたしかに見たことがあるが、これがこんなすごいスピードで飛ぶというのを目撃したことはなかった。今回は残念だったが、いつかは…。
▼話は、藤の実で終わらなかった。
それはとにかく、このように植物界の現象にもやはり一種の「潮時」とでもいったようなもののあることはこれまでにもたびたび気づいたことであった。たとえば、春季に庭前の椿(つばき)の花の落ちるのでも、ある夜のうちに風もないのにたくさん一時に落ちることもあれば、また、風があってもちっとも落ちない晩もある。この現象が統計的型式から見て、いわゆる地震群の生起とよく似たものであることは、すでに他の場所で報告したことがあった。

とつづき、さらに「銀杏の葉の落ち方」へとつづく。
そして興味深い提案までしている。
このことはわれわれにいろいろな問題を暗示し、またいろいろの実験的研究を示唆する。もしも植物学者と物理学者と共同して研究することができたら案外おもしろいことにならないとも限らないと思うのである。

はては
現在の科学から見れば、単なる迷信であっても、未来のいつかの科学ではそれが立派に「説明」されることにならないとも限らない。少なくもそうはならないという証明も今のところなかなかむつかしいようである

とまで言っている。

今回は寅彦の口癖『ねぇ君、不思議だと思いませんか?』の典型のような文章である。
寅彦に応えて、「そう言えば…」を捜す一日にしようと思う。

 月は二度撮りなおしたが、別に報告することにする。

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サイエンスコミュニケーター宣言(191)

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▼朝の散策で枯れた草木に張られた「蜘蛛の糸」に気づいて以来、少し意識的の張本人をさがしていた。昨日、「雲見」をしていてそのいっぴきを見つけた。今年はずいぶん高いところにいた。二階の廂だ。冷たい北風を受けながら獲物を待っていた。この冬はどう過ごすのだろうか。しばらく観察をつづけてみようと思った。
▼「私の理科教育史」を続けよう。
 極地方式研究会の綱領に
 (2) 教師の学習する内容、学習形態が同時に子どもの学習内容、学習形態である。
という文言がある。当時もあったし、今もある。
 まったくその通りだと思った。
 「最もよく学ぶものこそが 最もよく教える」と強く思った。
▼ならば、およそ何も知らなかった私には、まず私自身が学ぶ必要があった。これは面白そうだと思う研修会には可能なかぎりどん欲に出かけていった。
 なかでも夏の科学教育研究協議会全国大会には毎年出かけるようになっていた。
はじめて参加したのは、1978年(昭和53) 第25回 愛媛・松山大会だった。
 大会にはテーマがあって、設立趣旨から来るメインテーマ「自然科学をすべての国民のものに」と毎年変わるサブテーマか掲げられていた。サブテーマはその時代の「理科教育」の現状を分析して設定されていたのだろう。
70年代で参加した大会のサブテーマをならべてみる。
●1978年(昭和53)第25回大会 愛媛・松山市
 ~たのしい授業で理科ぎらいをなくそう~
●1979年(昭和54)第26回大会 千葉・千葉文化会館・県立千葉高校
 ~人間が自由に、かしこく、ゆたかになるために~
●1980年(昭和55)第27回大会 京都・京都市
~職場地域にねざした実践で、すべての子どもにわかる授業を~
これをみるだけでも、その時代の「理科教育」の「現在地」が少しみえてくるのである。
▼研修会に参加したからと言って、それが即、日々の授業につながるというわけにはいかなかった。
アタリマエのことだ。
 しかし、そのような研修会・研究会に参加するようになって確実に変わっていったことがある。
学ぶことはとても楽しいことなんだと実感するようになった。
とりわけ「理科」の学びは面白く楽しいものだと思いはじめていた。理科の教師になってはじめてほんとうの「理科」の面白さに気づきはじめていたのかも知れない。
これを生業とすることに喜びを感じていた。
 研修会などの非日常的な「学び」だけでなく、日常的な「学び」の機会(場)が欲しいと思い出していた。

今朝起きたときは雨が降っていた、ところがその雨がさきほどやんだ。ひょっとしたらこの後月が撮影できるかも知れない。もうしばらく見てみる。

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サイエンスコミュニケーター宣言(190)

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▼私は昨日、妙にこのアタリマエに「感動」した。一昨日椿の木を鉢植えにしようと使っていた雑草いっぱいになった植木鉢をひっくりかえした。それをそのまま放置していたそのときはなにも思わなかったが、一日たってそれを見て「感動」してしまったのである。その根・根毛にだ。もう可能なかぎりのネットワークがつくられていた。
地上部だけを見ていたら雑草だけになっていると見えたのだが、地下の見えないところでこんなすごい植物の営みがあったとは…。
 見えなかったものが見えてくる。見えていても見なかったものが見えてくる、見ようとする。
そこに「感動」があり、それが「理科」のはじまりなのか知れない。
▼「私の理科教育史」を続ける。
70年代の「日本理科教育史」を概観するときにプロットしたもののなかから、特に「私の理科教育史」に直接関係しそうなものを再プロットしてみる。

●1972年(昭和47) 7.10 科教協東北地区協議会編『やさしくて本質的な理科実験(1)』評論社刊
●1974年(昭和49) 3.20 高橋金三郎/細谷純編『極地方式入門』国土社刊
●1976年(昭和51) 4.1 高橋金三郎/細谷純編集代表『わかる授業』明治図書創刊。~78.11 まで14集発行。
・4.1 高橋金三郎/細谷純/熊沢文雄編『理科教育をどうすすめるか』全五冊明治図書刊。~10月。
●1977年(昭和52) 7.23 文部省『小学校学習指導要領』告示。文部省『中学校学習指導要領』告示。
▼私が中学校の理科教師をはじめたのは1975年(昭和50)4.1である。
「無手勝流」のはじまりである。
そのころの「記録」を残しているものからあげるならやっぱりこれになる。
◆はじめての実践記録
 今読みなおしてみてもわかる。ここに「はじまり」があることが。
これはたまたまの偶然が幸いして「記録」化できたものである。実際の一時間一時間は悪戦苦闘の連続であった。
 しかし、そのなかで「理科」の面白さ実感することもはじまっていた。
▼教師が実践記録を書くことに関して、中村敏弘氏は『教育実践検討サークル 創造する東北の教師たち』(1975年、国土社)なかで次のように言われている。

 『もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。  実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。』 (前記著 P423)

今なお有効であり、示唆に富む言葉だ。
「これからの理科教育」を考えるときなおいっそう肝に銘じておきたい道標だ。

<つづく>

 今朝の月は明るかった、どうしたら月の表面のクレーターがうまく撮れるのだろう。試行錯誤はまだまだ続いているのだった。
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サイエンスコミュニケーター宣言(189)

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▼久しぶり定例にしていた朝の散策に出かけた。風は冷たかったが見るものすべてが新鮮であった。霜がおり初氷がはっていた。ひょっとしたら初ではなく見逃していたのかもしれないが。
 たくさんのことに気づき「発見」したが、特には2つある。
・枯れ草についた霜の美しさ
・草木にはった蜘蛛の糸
である。枯れ草についた霜は、その草の形態によって違っていた。それぞれの違った美しさをもっていた。
そして「蜘蛛の糸」だ。ありあらゆる草木に蜘蛛の糸がはられているのである。もちろんその糸をはった当人の姿は見られなかったが…。えっ、毎年こうしているのかな。きっと私が気づかなかっただけだろうな。
その糸に朝日があたってこれまた美しかった。
▼「私の理科教育」をすすめようとして、まず1970年代を「日本理科教育史」ではどう書いて来たんだろうと、
今年2月はじめの
・サイエンスコミュニケーター宣言(121)
・サイエンスコミュニケーター宣言(122)
・サイエンスコミュニケーター宣言(123)
を読みかえしてみた。
 正直に言ってショックだった。そこには、今から書こうと思っていたことがすでに書いてあったのだ。
私の思考は堂々巡りを繰り返しているだけなのではないか。
 しばらく経って思い直すことにした。これは、「日本理科教育史」の流れから「私の理科教育史」を読み取ろうとする作業をしているのである。今度書こうというのは、逆だ、はじめに「私の理科教育史」があってそこから「日本理科教育史」を読み取ろうという作業なんだと。
▼その当時から、まるでお題目を唱えるように繰り返している言葉がある。
・自然は最高の教科書!!
・子どもは最高の指導書!!
誰かに教えてもらったのだろうか、どこかの文献にあったものだろうか、それは定かではない。
ともかく気に入って使ってきたのだ。
 しかし「自然に学ぶ」などと言っても、駆け出しの私には、その「学び方」も知らなかったし、あったのはかっこよく言えば「無知の知」と「無手勝流」だけだった。
▼だから、今度の「私の理科教育」とは私自身の「学び」の歴史とも言えるのである。
「山は山脈(やまなみ) 人は人脈(ひとなみ)」
これもよく使わせてもらってきた言葉だ。
何も知らなかった私は、まず「自然」そのものと言うより「人」「人脈(ひとなみ)」から学ぶことからはじめることにした。

今朝の月はちらっつと見え隠れしているが、あいにくの雨も少しふっているので撮影はやめておく。

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【Web更新12/02】12-49「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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金柑や 口にふくみて 日うらなう 12/12/01 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-49
週末定例更新のお知らせ
 久しぶり動かない週末であった。師走の風は冷たくどこか慌ただしい、そんなときこそ「忙しさ」で心を亡ぼすことないようにしたいものだ。ゆっくり ゆっくり 急ごう!!それが私のスタイル。

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ 金柑
 ここのところちよっと朝の散歩をサボり気味だ。これはいかん!と思うがどこかで言い訳をつくって…
出かけたときは必ずやることがある。それは庭の金柑をひとつぶ口に入れるのである。
冷たく甘酸っぱい。その味は日ごとに微妙にちがう気がする。それはその一粒の熟し具合によってだろうが、あながちそればかりでなく、その日の私のレセプターの違いによるものかも知れない。
 この金柑を詠みたいと「歳時記」をみていたら、なんと金柑は秋の季語であるという。寅彦は「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」と言ったそうだ。でも、私のなかの「歳時記」では、今なんだけどな。
寅彦よ!「それでもいいよ!!」と言ってくれ。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 先週は【お薦め本】『科学の限界』(池内了著 ちくま新書 2012.11.10)をばかりをblogに書いていた。
それをこのWebページに貼りつけた。いっけんちがうかも知れないが、私の文脈の中では「等身大の科学」「私の科学」も「私の理科教育史」もツナガッテイル!!
 これも寅彦だったらわかってくれるかな。

 今朝起きてから月を撮った。昨夜が雨だったこともあるが、そろそろ早朝撮影に切り替えようと思ってのことだ。
全月齢撮影への道はまだまだ遠いようだ。どうすれば明るすぎず、暗すぎずに撮れるのか?

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サイエンスコミュニケーター宣言(188)

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▼かろうじてぶら下がっている枯れ葉が、師走の風にゆれていた。観察池の大賀ハスは昨日で蓮根の植え替えから35週目であった。定例観察を続け、「記録」を残しておく。
 ゆれる葉をじっくりと見ていると、こいつの「歴史」をふりかえってみたくなった。1951年(昭和26)3月30日、千葉県千葉市検見川の泥炭層から大賀一郎(当時68歳)によって発見された。2000年の眠りから覚めた一粒の実は、多くの人の手によって全国に広がっていた。そして私の「観察池」にもやってきた。
1951年は私が生まれた年でもある。
 大賀ハスと私は「同級生」なんだ。
▼そう すべてものには「歴史」があるのだ。
『科学の限界』(池内了著 ちくま新書 2012.11.10)に触発されるようにして、私も「私の理科教育史」を本格化したくなってきた。
「歴史」を語りはじめるには、まず「現在地」の確認からはじめるべきだろう。それは『科学の限界』の教えるところでもあった。図らずもこの本が「理科教育」の現在地をも示唆していた。
▼私が理科教師として教壇に立つようになったのは1975年である。従って、それから38年近くの時間が経過した。私はほんとうなにも知らなかった。
 今、思い起こせば赤面するようなことばかりだ。
今となっては居直り気味で言うが、それが幸いした。ものを知らなかったこそ、はじめて知ったときの「感動」を知ることができた。それを生徒とも共有できた。
 私にはもうひとつまずいことがあった。せっかく知ってもすぐ忘れてしまうのである。
ようするに「頭がよくなかった」のだ。だから寅彦に「科学者は頭が悪くなければならない」(寺田寅彦『科学者とあたま』
なんて言ってもらうとうれしくなってくるのである。
しかし、それは今だから言えることで、当時は悪戦苦闘の日々だった。
 そのなかから身につけた得意技がある。
それは「無手勝流」である。いろんな流儀を知らないから、それにこだわることはなかった。
しかし、結果は出す必要があった。生業とする以上は「知らない」だけではすまされない。
そこで編みだしたのがこの「無手勝流」!!
これは今も使い続けている。
▼「私の理科教育史」を語りはじめるにあたって、私への戒めとしていくつの「原則」を設けておく。
・「記録」されたものを最重要視する。(「事実」を大切にすることでもある。)
・「失敗」の事実を大切にする。
・現在進行形で語る。
・現在進行中の三つの試論(新・私の教材試論新・「自由研究」のすすめ試論新・クラウド「整理学」試論)とリンクさせながら語る。
・時間は遡行しないことを肝に銘ずる。(「変えれるのは未来と自分だけ」)
・必ずしも時系列にとらわれない。
・「ねばならない」を優先させない。
・この作業が自分で「面白い」「楽しい」と思えなくなったら即やめる。

まあ、こんなところであろうか。これはあくまで「原則」であり、枷ではない。

今朝、月の写真を撮ろうと思ったら曇っていた。やっぱり昨夜撮っておいてよかった!!
機はいつでもやってくるわけではないのだ。

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【お薦め本】『科学の限界』(池内了著 ちくま新書)(5)

▼12月(師走)がはじまった。今年最後のカレンダーをめくってみた。
そうするためにも昨日は11月の「整理」を少しだけやってみた。イベントごとの多い月だった。
なかでも「乾眠」から覚めたクマムシとの出会いは、これ以降の「私の科学」に大いに関係しそうな大イベントなようだ。261日間コウガイビルとの出会いと同様に。
 これは「記録」しておく必要があると思った。そこで一昨日の顕微鏡下のようすをなれないYouTubeで「記録」してみた。

 
ついでに11月7日の様子も「記録」してみた。

▼ひょっとしたらこんなのが、私の「等身大の科学」の方法なのかもしれない。
月をまたぐようになってしまった。こんなのはじめてかも知れない。
◆『科学の限界』(池内了著 ちくま新書 2012.11.10)
をつづける。
 次が「社会が生み出す科学の限界」
についてであった。
 「十九世紀半ばに科学が制度化した。」として社会が科学を生み出すようになったという。

 「科学のための科学」であったのが、「社会のための科学」に変質していくのだ。それは端的に言えば「社会に役立つ科学」であり、「役立たない科学」は時代遅れとして見捨てられていく。それが科学への限界となることは自明でろう。(同書p56より)

 私は、そこでなぜかあのファラデーのことを思い出していた。ファラデーは生涯「私事としての科学研究」にこだわっていたという。「そのファラデーは奇妙にも科学を職業とすることに徹底して反対したのである」(『ファラデー』島尾永康より)

 「科学の制度化」「科学の軍事化」「科学の商業化」「アカデミック・キャピタリズム」…と話を移して行く。限界を説きながらもそのなかでも「等身大の科学」を忘れてはいなかった。

では、科学は国家予算の限界に直面して、もはや新しい発展はなくなるのだろうか。私はそうは思っていない。これまでの要素還元主義によるビッグサイエンスに頼る方向は確かに限界に直面するだろうが、これまであまり取り上げてこなかった複雑系である等身大の科学に重心を移せば、まだまだ可能性があるからだ。これについては第5章でのべるが、科学の限界は科学自身が打ち破らなければならないのである。(同書P76より)

 3.11以降の「科学者」にふれたあと次のようにこの章をしめくくっている。

 むろん、科学者は社会に対して助言や参考意見を述べられるだけであって、社会が自ら行う選択を科学者が決定するわけではない。その相互作用の下で、社会に生きる科学が実現するのである。だから、社会から課せられる制限や限界に対して、科学者は人々と対話する姿勢を崩してはならない。(同書 P93より)  

 どうも著者の文脈に頼りすぎている感がある。私がしたいことはそこにはない。
私は私自身の文脈で「等身大の科学」を読み取りたいのだ。少しピッチをあげる。
 第4章「科学に内在する科学の限界」では、「科学」そのものがもつ限界に言及し、これから「科学」を展望しようとしている。その主軸が「複雑系の科学」であると言っているのであろうか。
 この章でも最後にこう書いている。

「通時性の回復」「予防措置の原則」「少数者・弱者・被害者の視点」と、空想じみたことを考えていると思われるかもしれないが、それは倫理的思考の再構築であり、真の民主主義を形成するステップなのではないだろうか。科学至上主義を抜け出すための重要な論理ではないかと思っている。(同書 P153より)

これもまた、私には「等身大の科学」への伏線に読めてくる。

第5章「社会とせめぎ合う科学の限界」では、さらに「等身大の科学」への道を加速する。
当面する諸課題「地下資源文明」「地球環境問題」「エネルギー資源問題」「核(原子力)エネルギー問題」「バイオテクノロジー問題」「デジタル社会の問題」「マンモス化問題」などをあげながら、「だからこそ「等身大の科学」を」と迫ってくるのである。
▼いよいよ第6章「限界のなかで-等身大の科学へ」である。
繰り返して言うが、この本は、第6章を書くためのに書かれた本である。
「等身大の科学」提言の書である。
ここに著者のいちばん言いたいことのすべてが詰まっている。あえて引用して紹介することはやめる。
だから、もしはじめてこの書を読んでみようという方がおられたら、私はまずこの章から読んでみることお薦めする。
なぜ今、「等身大の科学」なんだ?と思われたらこれまでの章を読めばいいのだ。
できるだけ私なりの文脈のなかで、著者の「等身大の科学」を読み取ろうと思った。
結論から言うと、同じ「等身大の科学」と言っても、著者の「等身大の科学」と私の使っている「等身大の科学」は重なるところも多いが、少し違うと思った。
 これは実にアタリマエのことだ。同じ「等身大」と言っても、そのサイズもレベルももともとちがうのだから。
いやちがう。なんか否定的な表現になってしまった。
この「ちがい」こそ大切と言っているのが「等身大の科学」なんだ。
どこがどのようにちがうのか、それは私自身の実践を通して明らかにしたいものだ。
▼こうして再度読んでみて、著者が関東大震災(1923年)後の寺田寅彦の姿と重なって見えてきた。
それはきっと今、オンライン「寅の日」で寅彦の書いたもの読んでいるからだろうと思う。

著者は、「あとがき」の最後にこう書いた。

 それに加えて、本書の内容についての批判やコメントをがいただければなおありがたい。誘導するようだが、「脳血栓になっても、変わらず示唆に富む本だ」と言ってもらえるといっそう勇気が湧いてくる。(同書 P204)

 著者に届くかどうかわからないが、これに応答しておく。
 
 きっとあなたが期待している以上に、これからの科学を考える人間には示唆に富む本に仕上がっていますよ。
私は、これからその「等身大の科学」って何?と問われたならば、「この本をよんでください。」と言うつもりです。
ありがとうございました。今度はあなたから生で「等身大の科学とは」を聞くことを期待しています。
 一日もはやい回復を待っています。

と。
Dsc_0581

 


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