サイエンスコミュニケーター宣言(188)
▼かろうじてぶら下がっている枯れ葉が、師走の風にゆれていた。観察池の大賀ハスは昨日で蓮根の植え替えから35週目であった。定例観察を続け、「記録」を残しておく。
ゆれる葉をじっくりと見ていると、こいつの「歴史」をふりかえってみたくなった。1951年(昭和26)3月30日、千葉県千葉市検見川の泥炭層から大賀一郎(当時68歳)によって発見された。2000年の眠りから覚めた一粒の実は、多くの人の手によって全国に広がっていた。そして私の「観察池」にもやってきた。
1951年は私が生まれた年でもある。
大賀ハスと私は「同級生」なんだ。
▼そう すべてものには「歴史」があるのだ。
『科学の限界』(池内了著 ちくま新書 2012.11.10)に触発されるようにして、私も「私の理科教育史」を本格化したくなってきた。
「歴史」を語りはじめるには、まず「現在地」の確認からはじめるべきだろう。それは『科学の限界』の教えるところでもあった。図らずもこの本が「理科教育」の現在地をも示唆していた。
▼私が理科教師として教壇に立つようになったのは1975年である。従って、それから38年近くの時間が経過した。私はほんとうなにも知らなかった。
今、思い起こせば赤面するようなことばかりだ。
今となっては居直り気味で言うが、それが幸いした。ものを知らなかったこそ、はじめて知ったときの「感動」を知ることができた。それを生徒とも共有できた。
私にはもうひとつまずいことがあった。せっかく知ってもすぐ忘れてしまうのである。
ようするに「頭がよくなかった」のだ。だから寅彦に「科学者は頭が悪くなければならない」(寺田寅彦『科学者とあたま』)
なんて言ってもらうとうれしくなってくるのである。
しかし、それは今だから言えることで、当時は悪戦苦闘の日々だった。
そのなかから身につけた得意技がある。
それは「無手勝流」である。いろんな流儀を知らないから、それにこだわることはなかった。
しかし、結果は出す必要があった。生業とする以上は「知らない」だけではすまされない。
そこで編みだしたのがこの「無手勝流」!!
これは今も使い続けている。
▼「私の理科教育史」を語りはじめるにあたって、私への戒めとしていくつの「原則」を設けておく。
・「記録」されたものを最重要視する。(「事実」を大切にすることでもある。)
・「失敗」の事実を大切にする。
・現在進行形で語る。
・現在進行中の三つの試論(新・私の教材試論、新・「自由研究」のすすめ試論、新・クラウド「整理学」試論)とリンクさせながら語る。
・時間は遡行しないことを肝に銘ずる。(「変えれるのは未来と自分だけ」)
・必ずしも時系列にとらわれない。
・「ねばならない」を優先させない。
・この作業が自分で「面白い」「楽しい」と思えなくなったら即やめる。
まあ、こんなところであろうか。これはあくまで「原則」であり、枷ではない。
今朝、月の写真を撮ろうと思ったら曇っていた。やっぱり昨夜撮っておいてよかった!!
機はいつでもやってくるわけではないのだ。
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