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サイエンスコミュニケーター宣言(182) #sciagora12

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▼大気の様子を可視化した天気図はもう冬になっていた。風も冷たい寒空に柿がふるえながらぶら下がっていた。しばらくじっと見ていると柿の周りの大気があたたまっているように見えた。
確実に時間は過ぎていっていた。
サイエンアゴラ2012から4日目。すでに次年度に向けてのカウントダウンがはじまっていた。
私の方はまだまだ反芻作業を繰り返していた。
この作業を通して「これから」をあぶり出すために
▼ほんとうに多様なる「私の科学」に出会った。ひとつひとつを思いだしているときりがないほどだ。
そのなかでもやっぱり印象に残っているのは、それぞれの「私の科学」が交叉しているところだ。
その場で、コミュニケーションが成立しているところだ。
一方的な発信にも興味深いものがあったが、それ以上に面白い!!これだ!!
と思ったのは双方向、多方向から「私の科学」が発信され交わるところだ。
熊楠流に言えば「萃点」だ。
「科学は交叉するところに生まれる!!」
を確認できたのは最大の収穫である。
▼参加しているあいだにも繰り返していた自問。
「サイエンスコミュニケーターとは」
そして、
「私はなぜ「サイエンスコミュニケーター宣言」を書いているのだろう?」
昨年の4月以来書き続けているこの「宣言」も、今日で182回目だ。
一日一回しか更新しないと決めているのでこれを書いて182日目と言うことになる。
なぜなんだろう これを続けるのは?
参加している途中に思い出した文脈がある。
あのウメサオタダオ若き日(34歳)の『アマチュア思想家宣言』だ。

最後ににもう一ど、思想はつかうべきものである。思想は論ずるためだけにあるものではない。思想は西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではないのであって、アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである。プロにはまかせてはおけない。アマチュア思想家道を確立するべきである。(「アマチュア思想家宣言」より)

私はひょっとしたら「アマチュア科学者宣言」にあこがれているのかも知れない。

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