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サイエンスコミュニケーター宣言(175) #sciagora12

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▼定点観測地のヒガンバナを観察をしていたら、その向こう側に割れきれなかった石榴が落ちていた。その重みに耐えきれなかったのだろうか。割れ目からあの新鮮ななかみが見えていた。
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 その後雨が降ってきた。これでは今日の月見は無理かと思っていたら、幸いなことに雨があがり月が見えてきた。雲が少しかかりながらではあるがその姿をとらえることができた。石榴ほどではないが、少し赤っぽく見えるのはどうしてだろう。そして、光のあたり具合が先日までと反対なような気がするのは気のせいだろうか。
▼状態変化の学習で、いつも定番としてきた鉛の融解と流れる食塩をやった。
鉛のかたまりを水を張ったビーカーの上で融かす。融点328℃を越えると滴となって水面に落下する。ジュワー、ジュワーと音をたてながら、ビーカーの底にたまった涙のかたちをした固体鉛に異様に興味をしめし欲しいと言いはじめる。では融点801℃の食塩はとやってみる。
「これを見るのは生涯で一度きりかも知れないので…」と言ったら、誰かが言った
「YouTubeで見ることできるとちゃうん」
「…」
「でも生はちゃうで…」
少し透明になりとろけはじめた。
「やーほんまや!!液体になっとる」「教科書の表はほんまなんや」
理科室出て行くときひとりの生徒がつぶやいた。
「理科いうてやっぱ面白いな!!」
▼そうだ、やっぱり「私の科学」のはじまりは、この授業のなかにあったんだとあらためて思った。
サイエンスコミュニケーションの最前線は、学校の理科の授業である。
これは良くも悪くも厳然たる事実である。
だから、理科の授業に携わる教師は、必然的に元来「サイエンスコミュニケーター」なのである。
それが私の文脈だ。
「サイエンスアゴラとは」にもどり趣旨を読んでみる。アゴラとは古代ギリシャの「ひろば」を意味すると言う。
多様な人々が「私の科学」を持ち寄り、交流し学び合い高めあう「ひろば」なんだ。
「ひろば」に集うことによって「私の科学」はより豊かなものになっていくだろう。
そう考えて今年のメインテーマ
「見つけよう あなたと「科学」のおつきあい」
をみなおしてみると意味が少しわかりだしたような気がした。

サイエンスアゴラ2012まであと10日となってきた。
どんな「私の科学」と出会えるのだろう。
ますます楽しみになってきた。


 

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サイエンスコミュニケーター宣言(174) #sciagora12

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▼昨日は木枯らし一号が吹いた。どおりで寒かった。玄関先のバケツにつけたヒガンバナの花茎もふるえているようだった。バケツの水は先日の雨でずいぶん増えていた。その水をたっぷり吸い込んだせいだろうか。花茎の先の子房部が膨らんでいるように見えた。これは単なる水膨れだろうか。
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 木枯らし一号の夜は月が真ん丸だった。どうしてこんなに真ん丸なんだろうと「ふしぎ!?」が生まれるほどだった。
サイエンスアゴラ2012のプログラムチェックを続ける。
次にぜひとも行ってみたいところは
◆あざやかカガクの世界(日本コンピュータ化学会)
 本間善夫さんたちがブースだ。昨年もお邪魔してお世話になった。
私は本間善夫さんたちかやっおられる「サイエンスカフェにいがた」との出会いがなければ、サイエンスコミュニケーターをなのっていないだろうし、この「サイエンスコミュニケター宣言」など書いていないだろう。また、サイエンアゴラにも参加することもなかったかも知れないのだ。
 そんな意味でここにはぜひとも顔を出したい。そしてそこの「空気」を吸い込んできたい。
▼やっぱり知り合いところは行きやすいし、近況も知りたい。
そんな意味では
◆季刊理科の探検:RikaTan面白実験工作(左巻健男と『季刊 理科の探検:RikaTan』誌委員)
にも行って見たい。ブースだけではなく時間枠のトークや実験もあるようだそれも楽しみである。
科教協に「お楽しみ広場」というのがある。私はあの雰囲気がとても好きだ。あの「空気」がとても面白いのだ。
お気に入り教材の実演をやりながら、それぞれの人が「私の科学」を語る。もちろんその教材の素材入手も可能である。あのワイワイガヤガヤのなかにいると理科の教師でいることがとてもうれしくなってくるのである。
 サイエンアゴラにはもちろんちがう趣旨があるのだろう。でも、同じ「空気」が流れいてほしいと思うのは手前勝手なことなんだろうか。

 多くの「私の科学」が広場に集い交流をする。そこに生まれるものこそがこれから「科学」である。
「科学は交叉(交差)するところに生まれる!!」
をこの眼で検証してみたいものだ。


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【Web更新10/28】12-44「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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数珠玉や 過ぎる列車を 見送らん 12/10/27 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-44
週末定例更新のお知らせ
 10月最後の週末定例更新なる。ということは2012年もあと2ヶ月のみということになる。なんというスピードで時空間は過ぎていくのだろう!今いちばん力点を置いてやっている作業は、「現在地」を知るということである。
それはけっしてゴールではないが、とりあえずなにをはじめるしても必須の作業と思っているからである。
 さあ、それを今週も ゆっくり 急ぎながら続けよう!!

◆表紙画像集2012更新  人里の植物 ジュズダマ
 我が家は播但線の線路沿いにある。列車が通り過ぎるたびに振動を感じるぐらいの位置にある。
家の前の土手はクズで覆われ、そのあいまににはセイタカアワダチソウがたちならび「黄色の世界」を演出している。その土手のふもとにジュズダマが生えている。秋が深まるにしたがいそのジュズダマが色づいてきた。
黒一色とばかり思い込んでいたがじっくりと見るとそうでもない微妙にちがう色具合だ。それらつないで首飾りをつくったのは遠い日の想い出だ。その色とりどりのジュズダマが列車が通り過ぎる度に手を振るようにゆれるのを見た。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 「サイエンスアゴラ2012」への準備をすすめている。と言ってもなにかを出展するわけではないので、私自身の参加のねらいを整理するだけのことだ。
 それでも、一連の書き込みでひとりでもサイエンスアゴラの存在を知り興味をいだき、足を運んでみようということになれば、私はサイエンスコミュニケーターとしての大きな仕事をしたことになる。
 今週もつづけてみようと思う。ゆっくり ゆっくりと。

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月の姿を撮るのを続けていた。一日とぎれたが、再び昨夜の月を撮った。
ずいぶん大きくなってきた。

 

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ファラデーラボで「熱のかがく」を学んだ!!

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▼昨日は土曜日なので大賀ハスの定例観察日だった。蓮根の植え替えから30週目であった。実は今年の大賀ハスの観察は3種類あった。本来の観察池、残りものからの水栽培、そして昨年度採取した種子からのもの、三番目の観察は今年の5/16(水)に発芽処理をし、その後三つとも順調に育ち今枯れようとしている。地下にどれほどの大きさの蓮根をつくっただろう。来年の春が楽しみである。
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 いっぽう今から「葉の季節」が本格化するヒガンバナの葉もも元気よく伸びて来ている。結局花茎を伸ばすことなかった鱗茎からもぐんぐん葉が伸びてきている。それはまるで大賀ハスの葉と入れ替わるようにである。
 連続してきた月の姿が曇り空のために撮れなかったのが少し残念。
▼久しぶりにファラデーラボに学びに行った。
第33回かがくカフェ 「熱のかがく」 講師 石原武司さん(かがく教育研究所)
があったのだ。
 いっぱい実験が準備されいていてとても面白かった。
「熱のかがく」の主な流れはこうだった。
1 物質の三態と熱運動
・ポリ袋に入れたメタノールに熱湯をかけると→実験→イメージ図
・物質の三態と分子の熱運動
・ブラウン運動
2 温度と熱
・温度とは
・熱とは
・熱の正体
3 仕事と熱
・熱→仕事 仕事→熱 実験3題 圧縮発火器
・最もシンプルな熱機関
・形状記憶合金エンジン
・ラブメーター(熱機関)
等々。
はじめて出会う実験もありとても勉強になった
2部として「液体窒素実験」アラカルトを森本雄一さんがやってくださった。こちらもやったことのない楽しみ方を教えてもらった。やっぱりものをさわりながら、実験しながら「ああでもないこうでもない」とやる勉強は面白いのだ!
▼私は今回学んだことが大きく2つある。
ひとつは私のポンコツ頭は硬直化しつつあるということだ。
石原さんが今回展開してくださった「熱のかがく」のシナリオは、私がこれまで授業してきたシナリオではなかった。
ちがうからこそ、学び甲斐のあることなのに、私にはどこか自分がやってきたシナリオにこだわるところがあった。
自分で意見を言いながら、そのことを自覚できた。
 フレキシブルな思考ができなくなってきているのである。
これこそが「私の科学」からいちばん遠ざかる道なのに…。
▼もうひとつは「科学技術史」だ。これが面白い!!
切り口を変えて見ると「科学技術史」がうんと面白く見えてくる。
きっとそこから「これからの科学」も見えてくるだろうという気がしてきた。

石原さん、森本さんをはじめ参加されたみなさんありがとうございました。
ファラデーラボはやっぱり面白い!!
また よろしくお願いします。

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(173) #sciagora12

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▼玄関先の屋外に置いたバケツのなかに、私は10/8にヒガンバナスポット巡りをしたとき採集した花茎と定点観測地近くの花が咲いた後の花茎を突っ込んでいる。「まさか」の淡い期待をかけてのことである。次々としぼんで枯れていく子房部をみながらほぼあきらめていた。なかには最後までふくらみを保持し「ひょっとしたら」と期待をつないでくれるやつもある。そう、私はけっしてヒガンバナの「ふしぎ!?」を追うことを断念したわけではない。
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 月の方もまだ続けていた。つづけることだけが無手勝流の私の唯一の作戦だ。
▼サイエンアゴラ2012の準備をすすめる。
昨年度のテーマ=「新たな科学のタネをまこう—震災からの再生をめざして」のタネ!!。
私は一年間でどんなタネをまいただろう。ふりかえってみると2つだと思っている。
ひとつは
(1) 「日本理科教育史」への注目!
もうひとつは
(2) オンライン「寅の日」
である。いずれも現在進行形である。
このまいたタネが成長し花を咲かせ実をつけるか、途中で枯れてしまうか。
つづけてみなければわからない。今は、続けるのみ。
▼今年の開幕シンポジウムテーマ=「「伝える」から「つくる」科学コミュニケーションへ」を我田引水の手前勝手に読み解くとこうだ。
できあがった「科学」の伝達に始終する一方通行の科学コミュニケーションでなく、小さな「ふしぎ!?」が出発した「私の科学」を双方向で発信しあう科学コミュニケーションだ。それをシンポジウムテーマは提言しているのではないだろうか。
 さらに言うなら、その科学コミュニーションのなかから生まれる「科学」こそが、「これからの科学」の名に値するものでないだろうか。
 それは「科学は交叉(交差)するところに生まれる!!」にツナガルのだと思う。
▼そんな視点でプログラムをチェックしていたら、ピッタリだと思うものをみつけた。
◆「みんなのぎもん」(主催理科ハウス・世界一小さい科学館)
だ。いつも多くを学ばせてもらっているあの理科ハウスの出展である。
参加者から出てきた「ふしぎ!?」に研究者はどう答えるのだろう。どんな「私の科学」を発信されるのだろう。
 そして、その科学コミュニケーションのなかでどんな「科学」が生まれるのだろう。興味津々である。

同様の視点でもう少しプログラムのチェックをすすめてみよう。
サイエンスアゴラ2012まであと2週間だ。
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(172) #sciagora12

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▼まだ「月ばっかり病」が続いている。こんなに続けて月の画像ばっかり撮るのは生涯ではじめてのことだろう。なにもすごい画像が撮れているわけではない。昨日は少し「露出補正」をいろいろ変えて撮ってみた。こうすればこうなるというところもまだまだわかっていない。「月ばっかり病」で「ヒガンバナばっかり病」「石ころばっかり病」等々を忘れてしまったわけではない。その病も保持したままである。
サイエンスアゴラ2012に参加するにあたって
「私はほんとうにサイエンスコミュニケーターなのか?」
「私はなぜサイエンスコミュニケーターなのか?」
の自問をつづけている。これも継続しようと思う。
「科学は交叉(交差)するところに生まれる!!」の仮説を立ててみた。
この度の参加でぜひともこれを立証し、実感してみたいものだ。
サイエンスアゴラ2012プログラムはすでに発表されている。
それをチェックしながら計画をたてている。まずもって昨年に引き続き
◆サイエンスアゴラ2012開幕シンポジウム「伝える」から「つくる」科学コミュニケーションへ
には参加してみたい。とりあえずは事前申し込みをすませた。
昨年度(第6回)までのテーマを見ることができる。明らかに3.11以降の昨年度で大きくこれまでと変わっている。
▼では昨年度の「新たな科学のタネをまこう—震災からの再生をめざして」から本年度では何がどう変わったのだろうか。変わらなかったなかったものは何だろう。
 どんなタネがまかれたのだろう。それは育っていっているのだろうか。枯れてしまったのだろうか。
他人事の話ではない。「私の科学」の場合はどうなんだろう。

「伝える」から「つくる」科学コミュニケーションへ
のテーマを自分なりに読み解くことから準備をすすめよう。
ゆっくり 急ごう!!1

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サイエンスコミュニケーター宣言(171)

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▼昨夜、またしても私は月を撮っていた。同じようなことを飽きもせずに可能な限り繰り返す、それがいつも無手勝流の私の「科学の方法」だ。繰り返すうちに見えてくるものがある。
気になることも出てくる。「あの海は?」「あのクレーターの名前は?」
アタリマエのアタリマエにも感動する。まちがなく地球も、月も太陽も動いている!!
▼「飽きもせず繰り返す」は正確な言い方ではない。飽きればすぐにも別の「ばっかり病」が発症するのである。
飽きないのは、そのことになにか本質的なことが含まれているからだ。当面は「月ばっかり病」にかかっておこう。
 サイエンアゴラ2012を意識しはじめていたのだ。
それも繰り返してみよう。サイエンスコミュニケーターとしての私の5つの課題。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
▼サイエンスアゴラ2012への参加は5つの課題のうちどれと関連するのだろうか。
ふつうに考えれば
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
に近いように思う。
 しかし、どうもそれだけではないような気がしてくる。
5つのことすべてのことと関連する本質的なこと。
もっと根っこのところにあるなにか。あえてコトバにすれば次のような自問になる。
「私はほんとうにサイエンスコミュニケーターなのか?」
「私はなぜサイエンスコミュニケーターなのか?」
▼私の文脈のなかでのサイエンスコミュニケーターにピッタリと来るコトバを以前にみつけていた。
孫引きになるが、

・「科学の本質はコミュニケーションである。」(ウィリアム・D・ガーベイ)

・「コミュニケーションの本質は、「変化」だと思う。異なるものが出会って、「変わる」こと。(フランシス・クリック)

である。
 孫引きなうえに不勉強な私は、このコトバがどんな場面で発せられたコトバなのかを知らない。
 しかし、確かに響いてくるものを感ずるのである。

私は今、「情報は交叉(交差)するところに生まれる」の「情報」は「科学」と言い換えてよいのではと思いだしている。

「科学は交叉(交差)するところに生まれる!!」

と。

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サイエンスコミュニケーター宣言(170)

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▼今朝起きて外に出たらオリオンがきれいだった。東の空の金星も、そしてひとつ流星が流れた。私の早朝【星連】はつづいていた。昨夕はまだ雲が残っていた、ときおりパラパラと雨も降っていた。でも引き続いて月をとらえたかった。少しのあいだだけだったが顔を出した。カメラを向けてみた、あきからに一昨日とちがう顔をしていた。
しばらく月のデジカメ観察はつづきそうだ。
▼その月があの金星と一緒に明け方に見える頃、私は二度目の参加になるサイエンスアゴラ2012にでかける。
◆サイエンスアゴラ2012
あと17日後だ。
 今年のテーマは「見つけよう あなたと「科学」のおつきあい」だそうだ。
 ところで、私は高い旅費をはらって何をしに行くんだろう。
▼昨年度参加したときのことをこのblogの書き込みを参考しながふり返ってみた。
はじめての参加だったのでワクワクするものがあった。
ひさしぶりの友人たちに出会い楽しいものだった。
あらたなモノ、人との出会いもあった。たくさんの討議も聞いた、見た!!
「空気」もたっぷり吸った。
だから大満足!!のはずだった。
でもちがっていた。なんとも表現しがたい「違和感」を感じたのだ。
▼その「違和感」の正体をみつけたくて、サイエンスアゴラから帰ったあと「日本理科教育史」をもう一度見直してみることにした。なぜそうしたのか?もう少し時間をかけてその文脈を反芻してみる。
 その後、「日本理科教育史」を概観するだけでも数ヶ月要した。くわしくは今なお進行中である。
あれから一年がたった。
 ふたたび今年あの「空気」を吸ったら何を感じるのだろう?
 「違和感」はなにか違うものに変化しているだろうか。
それを確かめるのが、まずもっての目標だ。

ゆっくり 急ごう!!


 
 

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サイエンスコミュニケーター宣言(169)

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▼昨夕、私のカメラがはじめて月のクレーターをとらえた。今さらであるがこのアタリマエに感動である。
事実これまでにも月の写真は何度も撮ってきていた。しかし、はっきりとはクレーターをとらえていなかった。
月のクレーターなんてアタリマエすぎるほどアタリマエ!!
「露出の問題」とアドバイスを受け、その通りやってみると雲の合間から見える上弦の月のクレーターをとらえたのだ。アタリマエが感動!!となった瞬間である。
 38万㎞かなたの天体はいっきょにほんとうに身近な天体となったのである。
▼先日、こんな感動!!や小さな「ふしぎ!?」を起点に授業づくりを話し合う会に参加させてもらった。
わかる授業研究会「日曜会」である。
「飽和食塩水にさとうはとけるか?」
「ガラスもボインボインか?」
等々、限られた時間からはみ出してしまうぐらい盛りだくさんの内容が話し合われていた。
話だけではなかった。その場で実験をやりながら「では、授業では…」
とすすめられていた。たくさんのことを学ばしてもらった。
「教師の学習する内容、学習形態が同時に子どもの学習、学習形態である」というのが極地方式研究会の綱領のなかにある。まったくその通りのことがやられたいたのである。
私はそのこと自体にいたく感動するのだった。
▼私は、サイエンスコミュニケーターとしての「これから」に5つの課題を設定していた。
その3つ目に
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
をあげていた。
つまりサイエンスコミュニケーション最前線の「理科授業」づくりを設定していたのだ。
その「授業」づくりもはじめに教師自身の「感動!!」や「ふしぎ!?」を楽しむ心がなければならないと強く思う、今日このごろである。
▼思うだけでは、「これから」は見えてこない。
どんな小さな一歩でも前へ進み出さなければ…。
情報は待っていても集まってこない。
「情報は発信するところに集まる!!」
である。
さらには、クリエイティブな情報はサイエンスコミュニケーションそのものなかから生まれるのである。

「情報は交叉するところに生まれる!!」

さあ、今日も等身大の一歩を…

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【Web更新10/21】12-43「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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セイタカや はや風染めて 心まで 12/10/20 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】12-43
週末定例更新のお知らせ
 先週はほんとうに楽しい日々だった。多くの自分とは違う「私の科学」と出会い、学ぶことがこれほど面白いこととはないと実感する一週間であった。

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ セイタカアワダチソウ
 ヒガンバナが「花の季節」から「葉の季節」に入っている。それに入れ代わるようにセイタカアワダチが道端、溝端、土手、あらゆるところに目立ってきた。人里は燃え立つ赤の世界から風まで染める黄色の世界に変わってきている。ヒガンバナの葉の緑の世界にも目をやっておきたいものだ。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」確認作業を5つの視座で継続していきたい。この作業をやるなかできっと「これから」が見えてくるだろうから。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 オフライン「寅の日」の可能性、もう少しセミパブリックな場での展開などを模索しながらすすめていきたい。
これからは展開の方向も含めて話し合いたいものだ。

◆ヒガンバナ情報2012 更新 
 ほんとうのヒガンバナの「ふしぎ!?」はこれからである。
「ふしぎ!?」力を保持したまますすめたいものだ。

 徐々に私のなかでオンライン-オフラインの壁は消えつつある。
今週はどんな「私の科学」と出会えるだろう。それを考えると楽しくなってくるのである。

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11月オンライン「寅の日」は #traday

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▼朝起きて、空をしばらく見上げていた。今朝もオリオンがきれいだった。先日からときどき流星を見ると思っていたがこれだったんだ。2個だけ見てこれを書きはじめている。
 昨日は大賀ハスの定例観察日だった。大賀ハスの蓮根の植え替えから29週目であった。
観察池の葉はほとんど緑をうしなった。ちぎれて風に舞うものもでてきた。なににするあてもないが、その葉を回収している。あの真夏の活躍を思いだすと飛ばされるがままにしておくのがもったいない気分になって。
▼20日を過ぎたので来月のオンライン「寅の日」の予定を立ててみた。
2012年度の後期2ヶ月目である。
これまでに読んできたものは科学観、自然観、科学研究、防災、地震、俳句等の一般的なものが多かった。
もちろんそれから学ぶことも多かったわけだか、ここでもっと私自身の文脈にひきつけて読んでみたくなった。
幸いなことに寅彦は、直接「理科教育」に関しても多く書いていてくれる。
大正、昭和初期に書かれたものであるが、まったく色褪せることなく今日的である。
その寅彦の「理科教育」へのエールを集中的に読んでみたい。
▼11月のオンライン「寅の日」は3回ある。3回を次のように計画してみた。
・ 第18回11/01(木)…「研究的態度の養成」
・ 第19回11/13(火)…「雑感」
・ 第20回11/25(日)…「物理学実験の教授について」
 いずれも「青空文庫」のお世話になる。
▼これまでは、オンライン「寅の日」だけの展開が中心だったが、これからはもう少し幅をもたせてその前後の日もオンラインで話題にできればと思っている。また、月ごとにテーマを決めて月単位の取り組みや実際に顔をあわせてのオフライン「寅の日」もできればと思っている。
11月は「理科教育」のテーマで寅彦を読む!!

今日はさっそく現在進行形の「理科教育」を語る場にでかけていってオンライン「寅の日」のPRをしてみたい。
どんな反応があるか楽しみである。

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本日、第17回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼ほんとうに寒くなってきた。寒さは御免こうむりたいが、いいこともある空が水蒸気を含まなくなり透明度を増すのだ。昨日の夕方も三日月が透き通った空にきれいだった。思わず三脚立ててカメラを向けたのである。
ほん先日まで明け方東の空に金星とともにあった月は夕方の西に空にあったのだ。まちがいなく時間は過ぎていっているのである。
▼本日は2012年度後期オンライン「寅の日」の二回目の日である。
◆第17回オンライン「寅の日」
●「試験管(「音の世界」「においの追憶」等を含む)」 (青空文庫より)

 今回読むのは、1933年(昭和8)に「改造(雑誌)」に発表されたものである。
 時代背景に考慮して読むと見えてくるものもあるかも知れない。寅彦が亡くなる前々年である。
▼これらのエッセイは一度に発表されたものなのか、それとも連載だったのか知らない。
「一 靴のかかと」から「八 鏡の中の俳優I氏」まで、どんな文脈でかかれたものだろうか。
一見バラバラで統一性がないように見えるが、私なりの読みでは、これらは「人間のもつレセプター」に関してということで共通しているのではないだろうか。寅彦なりのするどい観察眼で我々のもつ「レセプター」の可能性を言いたかったのではないだろうか。
 「感じ」が「科学」になっていく道程を語ってくれているのではないだろうか。
たとえば「六 音の世界」ではこうだ。

 近代の物質的科学は人間の感官を追放することを第一義と心得て進行して来た。それはそれで結構である。しかしあらゆる現代科学の極致を尽くした器械でも、人間はおろか動物や昆虫(こんちゅう)の感官に備えられた機構に比べては、まるで話にもならない粗末千万なものであるからおかしいのである。これほど精巧な生来持ち合わせの感官を捨ててしまうのは、惜しいような気がする。
 たとえば耳の利用として次のようなことも考えられる。

 そして有形・無形のものを「音」にすることを提案する。その提案が現実のものとなっている今、寅彦の先駆性がホンモノであることを実感するのである。
 いつものことながら文章表現も冴えている。
たとえば「七 においの追憶」の出だしはこうだ。

 鼻は口の上に建てられた門衛小屋のようなものである。命の親のだいじな消化器の中へ侵入しようとするものを一々戸口で点検し、そうして少しでもうさん臭いものは、即座にかぎつけて拒絶するのである。
 人間の文化が進むに従ってこの門衛の肝心な役目はどうかすると忘れられがちで、ただ小屋の建築の見てくれの美観だけが問題になるようであるが、それでもまだこの門衛の失職する心配は当分なさそうである。感官を無視する科学者も時にはにおいで物質を識別する。

 サイエンスライターの元祖がここにいる。
▼ところでこのエッセイ集のタイトルをなぜ「試験管」としたのだろう?
そうすることで何が言いたかったのだろう。
「試験管ベビー」というときの「試験管」は無機質なものを連想させるが、寅彦の「試験管」は妙に有機質のにおいがする。それはなぜだろう。

さあもう一度、寅彦の「試験管」読みかえして、今日も我が「試験管」を観察つづけてみよう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(168)

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▼朝起きて外に出たら冷たい風が強く吹いていた。空にはオリオンがとってもきれいだった。確実に地球は回転していっているようだ。昨日も風は冷たかった。そのなか定点観測地の超遅れん坊ヒガンバナが咲いていた。「今のうちに」とあせっているのだろうか、花茎を伸ばすのをショートカットして地面すれすれに満開をむかえていた。
▼私はまだまだ萩谷さんの「私の科学」の反芻作業を続けていた。それにしても面白かった。「私の科学」のためにもなった。長年の「ふしぎ!?」を解くヒントもいっぱいいただいた。
 やっぱり続けようと思った。「私の【100人リンク集】」の旅を。
 萩谷さんで16人目だった。
▼次はサイエンスアゴラ2012(11/10(土)、11/11(日))だ。
昨年に続いての参加である。昨年ははじめての参加ということで全内容を可能なかぎり吸収したいと動き回った。今年はもう少し焦点をしぼって参加してみたい。そのためには少し予習が必要な時期になってきた。
 今年はそこでどんな「私の科学」との出会いがあるだろう。
楽しみである。
▼サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を確認こそが、多くの「私の科学」との出会いを求めて動き回る動機である。
 それは同時に「情報は交叉するところに生まれる」という仮説の検証にもなるだろう。

明日は、第17回オフライン「寅の日」である。少し今日から読んでみよう!!


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【お薦め本】『小学館の図鑑NEO「岩石・鉱物・化石」』(萩谷宏 他編著)

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▼昨日も早朝より萩谷宏さんは、岩石の同定をしてくださっていた。それは私自身の2年越しの宿題であった。この機会にと思い助っ人をお願いしたのだ。
 その作業ぶりはみごとだった。私はただただ「へー!!そうなんですか!!」を連発するのみだった。
ルーペで見て、さわってみて名前を同定する。それだけではなかった、ちょっとずつその岩石に関するコメントがつく、それがまた面白かった。
▼この作業を自分ひとりでやるときのガイド本を萩谷さんはすでに出されていた。
それが
◆小学館の図鑑NEO「岩石・鉱物・化石」(萩谷宏 他編著 2012.6.15)
である。
 著者自ら制作意図や見どころのお話を聞けてすごくラッキーだった。
ますますこの本が気に入ってしまった。
▼この本の魅力はいくつもある。再度ページめくりながら順不同に列挙してみる。
・ホンモノ志向である。変に「わかりやすさ」だけを追求していない。岩石の写真・風景の写真、イラストにしてもできるだけホンモノ(自然そのもの)に近いもので伝えようとしている。
・最後に周期表をあげているのはすばらしい!!岩石の世界がそれだけで閉じないことの表明だ。
・同じ理由で鉱物名に化学式をつけているのは大賛成だ!!
・きょっとする写真を多数使っている。特に「岩石の世界」「鉱物の世界」「化石の世界」の扉の写真は圧巻であり感動ものだ。
・「ホンモノの科学はわかりやすく面白い!!」の哲学が貫かれている。
・随所にそれはあるが、特に「地球をつくっている岩石や鉄の重さをくらべたよ」(p35)は実にいい。一枚の写真で地殻・マントル・核の話がストンと腹に落ちるのである。
・「もの知りコラム」で岩石がくらしのなかでどのように使われているかを語っているのはとてもよい。人間は自然にどのように働きかけてきたかの歴史を顧みることにもなる。
・「ひとこと情報」で岩石名の語源にふれているのは、「岩石の名前」を単なる名称憶えで終わらせず、「科学」へととつなげるきっかけにしようとしている意図を感じる。
・最後の「岩石を見分けてみよう」のチャート図は、具体的でわかりやすい。

他にもまだまだある。
まとめて一言で言うなら、
大地の「ふしぎ!?」を追いかけるすべての人にピッタリの図鑑である。
子どもだけでなく大人も必携だ。一生使える「一生もの」だ。
▼ひとつの石ころに秘められた「動く大地の物語」を読み解く作業は、きわめて魅力的で面白い作業であることを今回あらためて再認識した。
 いつも入口のところで思案していた自分がちょっと損をしたような気分になった。

今度はこの本に案内人になってもらって門をたたき入ってみようと思う。

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サイエンスコミュニケーター宣言(167)

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▼自分以外の人の「私の科学」と出会うことは発見に充ちている。それがその道のプロと言われてる人の「私の科学」ならなおさら面白い。一日「へえーそうなんですか!」を連発していたように思う。
それはオフライン「寅の日」そのものだった。
▼萩谷さんむかえてのどこを巡るかいくつかのコースを考えてみた。でも最終的には、もっともありふれた私の日常の「生活空間」にした。つまり私の通勤路、勤務校の校区等にした。
それは正解だった!!
▼柳田國男記念館・生家からスタートした。
そして山崎断層を西へ向かい安富校区へと向かった。へえーすごいと思ったことがいくつかある。
(1) 常に観察準備態勢である。いつもスタンバイOKだ。プロはちがうと思った。
 石を見る、即座に手にはルーペだ。近づいてみる触ってみる。即座に鑑定してみる。
 石ころひとつからでもう物語がはじまっていた。
(2) 視点がちがう。視点が本質的でわかりやすい。
 私は通勤路に山崎断層の典型地形が見られると思っていた。トンネルのない中国縦貫道、山崎-加西をつなぐ東西の昔からの街道。地形的にもそこで山裾がずれて谷ができているその風景こそが物語っていると思っていた。そこにばかり視点があった。
 萩谷さんはちがっていた。もっとアタリマエの本質的なところをついていた。「左ずれ」断層は、もっと南北の稜線のズレにあらわれていると見ていた。それはそうだ東西のズレは東西の座標軸で見るより南北の座標でみればよくわかるはずだ。稜線・谷はずれ、道や川もずれているはず。
 なぜこのアタリマエに気づかなかったのだろう!面白い!!
▼(3) 発想・思考がクリエイティブである。
 巡るあいまあいまにいろんなお話をうかがった。本作りの話、テレビの番組づくりの話、授業づくりの話などなど興味深いはなしばかりである。一見バラバラの話のように見える。聞こえる。
しかし、それらはやがて「創る」という一点に収斂していく。それがたまらく面白い!!
 そのつづきを今日半日楽しませてもらうつもりである。
それにしてもやっぱり
「情報は交叉するところに生まれる」
は実感する真実だ。


 

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サイエンスコミュニケーター宣言(166)

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▼定点観測地の紅白ヒガンバナの向こう側に、枯れ行くヒガンバナとバトンタッチをするように目立ってきたイヌサフランの花が気になる。例年咲くには咲いていたがこんなに気にはしていなかった。今年はめずらしく草むしりをしたからかも知れない。その花の顔の出し方がどこかヒガンバナと似ているのだ。実に唐突に地面からニョッキリと花だけが顔を出す。葉なの姿が見あたらない、これはきっと地下に「球根」-7=栄養タンクがあるのだろうと想像するのである。イヌサフランよおまえもか!!と。
▼いよいよ久しぶりに萩谷 宏さんと再会できる日が来た。
私はこの再会を機会に自分の「現在地」を確認しようと思っている。
それは思い出に浸るためではなく、「これから」のためである。
かといって「ねばならぬ」優先はもういい!それよりも「再会」を存分に楽しみたいものだ。
▼存分に楽しむために、「私の科学」の「現在地」をみてみた。
「私の科学」の遍歴をできるだけ時系列にならべてみた。
・常民の科学
・ファラデーの科学
・熊楠の科学
・等身大の科学
・デクノボーの科学
・私の科学

それぞれを「一分で語れ」「100字で述べよ」と言われたらどうするだろう。
どう語りどう述べるだろう。自分でちょっとしたゲームを課してみた。
無理だ!!それらはまったく独立してあるわけではなく相互に浸透しからみあっている。
萩谷さんの「私の科学」を聞かせてもらうあいだに見えてくるものがあるかも知れない。
それが楽しみだ。
▼もう少し具体的なことでの「現在地」を確認しておこう。
自分の授業を通しての私の「動く大地の物語」の今はここにある。
◆【大地の動きをさぐる】~大地の動きを「現在進行形」でとらえよう~
今さら取り繕っても、また泥縄知識を詰め込んでもしかたない。
これがすべてである。
でもひょっとしたら今日あらたなものものが見えてくるかもしれない。
それが楽しみである。

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【Web更新10/14】12-42 【ヒガンバナ情報2012】更新! #higanbana

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ミゾソバや 朝の足元 照らしたり 12/10/13 (土)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】12-42
週末定例更新のお知らせ
 100回目にセレンディピティが訪れるとしても、99回の試行が必要である。試行は「失敗」と呼ぶときもあるがそれ自身が「道楽」でなければ持続できるものではない。
 道楽的であるこそ私に今一番必要なこと。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ ミゾソバ
 表紙画像は4週連続してヒガンバナであった。それが示すように「ヒガンバナばっかり病」だった。実はまだそれが続いている感もある。朝の散策もちょっと別のものに目をやってみた。
土手沿いはあの黄の世界が征服する勢いだ、セイタカアワダチソウだ。足元にはあのやさしい色をしたミゾソバだ。それがまるで足元を照らす灯籠のように見えた。
 確実に秋は深まっていた。

◆【ヒガンバナ情報2012】 更新
 「花の季節」から「葉の季節」へ移行しつつある。
道楽的には、今からの観察にこそ興味がある。子房はふくらむことはあるのだろうか。
種子はほんとうにつくらないのか?
遅れん坊はいつまで?周りの植物がどんどん枯れていくなか緑の葉をのばし畦道を独り占めしていく姿は圧巻でもある。今からこそが「植物」ヒガンバナの見ごろだ!!

◆オンライン「寅の日」 更新
 今週末の20日は第17回オンライン「寅の日」である。
オンライン「寅の日」を楽しむだけでなく、オフライン「寅の日」も楽しむことを後期は考えたい。
元々はオフラインこそ本意に近いのだから。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 どこまで来ているのだろう。どこにいるのだろう。
 いつも「現在地」を確認しながらすすみたい。

さあ、新しい一週間はどんな「道楽」が待っているんだろう。
楽しみである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(165)

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▼昨日は大賀ハスの蓮根を植え替えてから28週目であった。観察池の葉は緑を残すものの割合は半分以下になっている。枯れて風に吹き飛ばされるものも多く出てきている。そんななか別の容器で育てた第12大賀ハスの花托が風にも佇立していた。第12大賀ハスには特別の意味があった。蓮根の植え替えをしたとき「残りもの」を別の容器に突っ込んだのだ。それ以降水だけで育てはじめて開花した大賀ハスなんだ。だから私にとって「水栽培」第1号ということになるのだ。役割を終えてもなおかつ佇立する花托をみていると「可能性!」ということ勇気をもらえるのだ。
▼このごろふっと自問することがある。
「私は今どこにいるのだろう?」
「私は今何をしているのだろう?」と。
私は昨年の春定年退職して「サイエンスコミュニケーター」をなのるようになった。
そして「サイエンスコミュニケーター宣言」を書き始めた。
▼そしてその仮の結論として、5つの課題を設定した。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
これは「ねばならない」という枷ではない。
あくまで自分の「現在地」を確認するための目安である。漠然と「どこにいるのだろう?」と自問するよりもなんらかの目安になるもがあればという意味で設定した。
ではこの目安に照らし合わせて再度…。
▼私はこの16日に【理科の部屋】の友人(と言ってしまうのは少しおこがましいが)萩谷宏さんと出会う。
【理科の部屋】ができた当初からであるからずいぶんと長いあいだのおつきあいである。ずいぶんと多くのこと学ばせてもらってきた。しかしオフラインでお出会いするのは十数年ぶりである。世界をまたにかけて岩石・地質・地球の「ふしぎ!?」を追いかけ活躍する人だけになかなかお出会いする機会がなかったのだ。
 お会いして彼の「現在地」を聞かせていただくのすごく楽しみにしている。
少しだけ私の「現在地」をお話できるようにしておきたいな。
いやお話しているあいだにそれが見えてくるかも知れないな。その方がいいのかも知れない。
あくまで等身大に。

やっぱり
「情報は交差するところに生まれる」
でいこう!!

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『生命と地球の歴史』を読みながら…

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▼定点観測地のヒガンバナが「葉の季節」に入っていくのをじっくり観察していると、面白いやつがいた。
今、やっと花茎をのばし開花に向かおうとする「遅れん坊」だ。
いつもゆっくりでのろまな私はついつい「遅れん坊」をみつけると愛着を抱いてしまうのである。
それにしても葉がずいぶんと伸びて来たものだ。
▼葉をのばして、他の植物が枯れているあいだに光を独り占めして光合成をいっぱいやって地下に栄養を貯め込むなんていくら考えてもみごとな戦略である。
 ヒガンバナもすごいが、もっと溯ってこの光のエネルギーを使って栄養生産をする「光合成」というのは凄いことではないのか。
 この偉大なる営みを生命体が開始したのはいつなんだろう。
 今、訳あって『生命と地球の歴史』(丸山茂徳・磯崎行雄著 岩波新書 1998.1.20 )を読みかえしている。
とは言っても前に読んだのはずいぶん以前でほとんど記憶に残っていない。ほとんどはじめて読むのと同じようなものだ。はじめの「地球史」の話は私には壮大すぎてポンコツ頭に難解すぎる。
ところが「生命の歴史」に入ったとたんそれは面白くなってきた。
 そこに書いてあった。
 その偉大なる営み(システム)「光合成」のことが。
●27億年前 酸素発生型光合成の開始(P88~)
あの例の「ストロマトライト」の話だ。ここからはじまったのだ!生命体の偉大なる営みは…
▼さらに翻って考えてみる。
「生命」「生命体」って何なのだろう?この本に定義付けがあった。
1.ある種の境あるいはしきりをもって、周囲の外世界から独立した空間を保持する
2.外界から物質やエネルギーを取りこんだり放出したりする代謝をおこなう
3.自己複製おこなう(繁殖する)
(同書 P60より)
なるほどである。
▼ヒガンバナもそれを観察する私も「生命体」である。
このアタリマエにあらためて感動するのである。

星屑から生まれた地球上の「生命体」の歴史と地球そのものの歴史が連動してドラマが展開していく。
もう少し続けて読む気になってきた。そしてヒガンバナの観察も
今日もその続きを…。

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「花の季節」から「葉の季節」へ!! #higanbana

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▼今朝起きて外に出た。冷たい風が吹き東の空には細くなった月と金星が「こぶしひとつ」まで近づいていた。
そうだ、間違いなく「時間」が過ぎて「季節」はシフトとしていっているのだ。
ヒガンバナのもつ「時計」の「ふしぎ!?」も保留のままだが、そんなこと関係なくヒガンバナの季節も移行しようとしていた。「花の季節」から「葉の季節」へと。
▼定点観測地の「引っ越し組」の花茎の足元をじっくりと見てみた。これまではザックリと「ハミズ ハナミズ」(葉見ず 花見ず)と思っていた。しかしよく見ると事実はそうでもなさそうだ。
 たしかにひとつは萎れかけた花の花茎の足元から葉が伸びてきている。これは同じ球根から葉がのびてきているのだろう。それは納得できる。
 ところが少し離れたところから葉が伸びてきているのである。この葉はまちがいなく別の球根のものだろう。
▼これはどういうことだろう。
 花茎を伸ばさなかったつまり花を咲かすことのなかった球根は、もう早々と来年に向けて栄養生産・貯蔵活動に入っているのではないだろうか。
 では、なぜ今年は花茎を伸ばさなかったのだろう?
それはあのようにスルスルと一日に数㎝以上の花茎を伸ばし花開くそれだけのエネルギーの貯蓄はまだと判断したためだろうか。
 どれだけのエネルギーが必要ということが、ヒガンバナは知っているのだろうか。
量的変化が質的変化をもたらす。花茎か葉かの「臨界点」はどこにあるのだろうか。
▼考えてみたら「ふしぎ!?」は重なりつづくばかりである。
本当の観察はこれからだ。
ヒガンバナの「科学」の本格化もこれからである。

ゆっくり  ゆっくり 急ごう!!

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ヒガンバナスポット巡りin北播磨(2) #higanbana

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▼朝起きたら久しぶりの雨だ。この雨はビカンバナにどんな影響があるだろう?
こう考えてしまうのはやっぱり持病の「ばっかり病」を発症しているからだろうか。8日(月)のヒガンバナスポット巡りの続きを書いておく。
 今回巡ったスポットは大きく分けると5つだ。
(1) 神河町猪篠<棚田とヒガンバナ>
(2) 神河町吉富  
(3) 多可郡加美区
(4) 多可郡多可町中区安楽田
(5) 多可郡多可町中区間子<三色ヒガンバナ>
▼(2)~(4)のヒガンバナはいくら遅れていると言えども、最盛期はすぎ花は隆盛期を過ぎた襤褸の旗のようであった。それはそれなりに燃え立つ日々の記憶をその姿にとどめているようで趣きのあるものであると思った。
こうなると子房のふくらみが気になるところである。
 刈りとられない限り花茎はまだまっすぐ伸びている。その足元ではすでに葉が芽をだしていた。それだけではない、花茎のたっているところから少し離れたところでは、今年を断念した鱗茎が来年に向け早々と葉を大きくのばしていた。
▼最後に行ったのは三色(赤・白・黄)ヒガンバナで有名な中区間子である。ここもやはり最盛期は過ぎていた。
しかし、まだいくらかは三色揃い組はあっぱれであった。
 めったに動いていることのないという水車が回っていたラッキーだった。
▼車中ではずっと、ヒガンバナのデジカメ撮影のことやヒガンバナの「ふしぎ!?」がどこまで来ているか等のヒガンバナ談義をしていた。考えてみると@grassbigskyさんといっしょにヒガンバナを追いはじめて15年目である。
ほんとうに思えば遠くへきたものだ!
 でもまだまだその「ふしぎ!?」は続いているのである。これからもよろしくお願いします!!

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ヒガンバナスポット巡りin北播磨(1) #higanbana

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▼昨日はどうしてもこれを語っておきたかった。今しかないと思ったんだ。新聞を片手に教室に入った。授業の前に「コウガイビルからiPS細胞まで」を語って置きたかったのだ。261日間何も食べずに生き続けたコウガイビルが教えてくれた「再生」のことを語るのがいちばん私の「ふしぎ!?」とピッタリとくるのだった。
 これから生徒たちが生涯つきあっていくだろう「iPS細胞」!!いっきょに理解することなどできない。でも
ノーベル賞だって小さな私の「ふしぎ!?」とつながっているんだ。それはどうしても…
▼また今どうしても「記録」して置きたいことがあった。
8日(月)に北播磨のヒガンバナスポット巡りを@grassbigskyさんとやったんだ。昨年はほぼ同じコースで3回やったんだ。そのなかで、ほぼスペシャルスポットが決まってきたんだ。
8日の日は、そのスポットに直行する前に「平清盛」や「ノールウェイの森」のロケ現場で有名な砥峰高原にいったんだ。向かう途中で秋祭りの子ども神輿とであったんだ。少し枯れ始めたヒガンバナだったが絶好のシャッターチャンスだった。
 砥峰高原のススキはこれから楽しめる季節に入っていた。
▼次に訪れたのは神河町猪篠だ。
「棚田とヒガンバナ!」ここは何度訪れてもすばらしい!!
広い法面に長い赤い松明の帯、それは青空に閉じていた。
棚田の畦にみごとな行列。
▼ここを訪れる度に感心するのは、「草刈り」が徹底して行き届いていることだ。
きっちりとサイクルを決めて草刈りが行われているようだ。
そこに稲作とヒガンバナの深い関係の歴史を見るようだ。
たまたまそこにおられた農家の方が語ってくださった。
「少しおそかったな。もう少しはやかったら…」
「草刈りが終わった後に花だけこうしてでてくるやから、不思議な…」
別の畑仕事中の農家の方が言われた。
「火事花はこまったものや、刈ったらかったでくさいくさいしな」
「刈ったら集めて燃やすんや」
棚田のてっぺんまでヒガンバナは咲いていた。
これはなんらかの目的を持って、そこへ運ばなければ絶体にそこに咲くことはない。
今も棚田にみごとに咲くヒガンバナはいろんなことを教えてくれそうだ。

<つづく>


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【Web更新10/7】12-41 【ヒガンバナ情報2012】更新! #higanbana

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赤白に 競いて咲くや 曼珠沙華 12/10/07 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-41
週末定例更新のお知らせ。
 昨日は「ヒガンバナスポット巡りin北播磨」に行った。実に面白かった!!
夜とてもうれしいニュースが流れてきた。あの「iPS細胞」の山中伸弥さんが、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まったというニュースだ。このニュースを聞いていちばんに思い出しのはあのナイロン袋で261日生きぬいたコウガイビルのことだった。私は、どこまでも私の小さな「ふしぎ!?」と「私の科学」にこだわるのである。
今週もまた…。

◆表紙画像集2012 更新 山里の植物シリーズ ヒガンバナ
 これで、4週連続してヒガンバナが表紙をかざることになる。今週は満開期になったシロバナヒガンバナと赤ヒガンバナのコラボである。それぞれのヒガンバナも違った魅力があってきれいだ。コラボはなおいっそう美しい。
この美しさ知ったひとがシロバナヒガンバナを九州発で全国各地へ運んだのだろうか。
それとも…。シロバナヒガンバナの「ふしぎ!?」もまだまだ続くのである。

◆ヒガンバナ情報2012 更新
 ちよっと早めに満開期が終わったヒガンバナの花茎の足元であるい今年を断念した鱗茎から「葉の季節」へのシフトが始まっている。実は理科的には「見ごろ」は今からはじまるのである。
葉の成長の観察。そして花の終わったあと子房のふくらみ、まさかの「種子」の探索等々の「ヒガンバナの科学」が今からはじまる。どこまでも小さなヒガンバナの「ふしぎ!?」にこだわりつつ。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 更新といっても「試論(37)」の追加だけである。でもそれは私にとっては大きな更新である。
「情報は発信するところに集まる」から「情報は交差するところに生まれる」への更新である。

オンライン「寅の日」のことがあったので更新のお知らせは一日遅れになってしまった。
仕切り直そう!あたらしい一週間のはじまりである。
さあ、ゆっくり 急ごう!!

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本日、第16回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日は秋祭り本宮であった。その日、庭先の定点観測地の「紅白組」も「引っ越し組」もヒガンバナは満開であった。とりわけ「引っ越し組」2年目の満開はうれしい。その燃え立つ姿はいくら見ていてもあきない。
 いろんな角度からシャッターをきる。そのうちたいへんなものをみつけた。花茎の足元から葉の芽が顔を出していたのだ。「ハミズ ハナミズ」(葉見ず 花見ず)の里名が意味するようにヒガンバナは花の季節と葉の季節を分けているのだ。ここにヒガンバナの「ふしぎ!?」のはじまりがあった。
 そして「ビガンバナ」のこれまでの概念をくずして、「ヒガンバナの科学」への道があるのである。
▼そのよう既成概念をくずして「科学の眼」をもつことをみごとな文章で推奨した科学者がいた。
それが寺田寅彦だった。
 その寅彦の書いた文章をオンラインで読むのが「オンライン「寅の日」だ。オンライン「寅の日」は、12日周期で巡ってくる。本日は2012年度下半期最初の日である。
◆第16回オンライン「寅の日」
●「地震雑感」(青空文庫より)
 さっそく読み始めると、この「概念」の話からはじまっている。
「地震の概念」についてである。
まずは現況を指摘する。

もし現在の物質科学が発達の極に達して、あらゆる分派の間の完全な融合が成立する日があるとすれば、その時には地震というものの科学的な概念は一つ、而(しか)してただ一つの定まったものでなければならないはずだと思われる。しかし現在のように科学というものの中に、互いに連絡のよくとれていない各分科が併立して、各自の窮屈な狭い見地から覗(うかが)い得る範囲だけについていわゆる専門を称(とな)えている間は、一つの現象の概念が科学的にも雑多であり、時としては互いに矛盾する事さえあるのは当然である。 
 
またこうも言っている。
 同じく科学者と称する人々の中でも各自の専門に応じて地震というものの対象がかくのごとく区々(まちまち)である。これは要するにまだ本当の意味での地震学というものが成立していない事を意味するのではあるまいか。各種の方面の学者はただ地震現象の個々の断面を見ているに過ぎないのではあるまいか。
 これらのあらゆる断面を綜合して地震現象の全体を把握する事が地震学の使命でなくてはならない。勿論、現在少数の地震学者はとうにこの種の綜合に努力し、既に幾分の成果を齎(もたら)してはいるが、各断面の完全な融合はこれを将来に待たなければならない。

総合「地震学」の成立を提唱しているのである。
そうでなければ本当の「地震現象」は見えてこないと言っているのである。
▼この文章が書かれたのは、1924年(大正13年)5月である。
●1923年(大正12)9月 関東大震災
の翌年である。そして、寅彦が亡くなる(1935.12.31病没)11年前である。
●1912年(明治45・大正元)ウェゲナー(独)が最初の「大陸移動説(漂流説)」を発表
から12年後であった。ちなみに今年はちょうど100年後である。
いちはやく最初に日本に大陸移動説を紹介したのは寅彦であった。
この文章のなかにも触れている。
かくのごとく直接観測し得らるべき与件の僅少な問題にたいしては種々の学説や仮説が可能であり、また必要でもある。ウェーゲナーの大陸漂移説や、最近ジョリーの提出した、放射能性物質の熱によって地質学的輪廻(りんね)変化を説明する仮説のごときも、あながち単なる科学的ロマンスとして捨つべきものでないと思われる。今回地震の起因のごときも、これを前記の定説や仮説に照らして考究するは無用の業ではない。これによって少なくも有益な暗示を得、また将来研究すべき事項に想い到るべき手懸りを得るのではあるまいか。
 地震だけを調べるのでは、地震の本体は分りそうもない。

▼このあと「地震の予報」の課題に触れ、最後に次の文章で綴じている。
そうだとすれば、この最大限の地震に対して安全なるべき施設をさえしておけば地震というものはあっても恐ろしいものではなくなるはずである。
 そういう設備の可能性は、少なくも予報の可能性よりは大きいように私には思われる。
 ただもし、百年に一回あるかなしの非常の場合に備えるために、特別の大きな施設を平時に用意するという事が、寿命の短い個人や為政者にとって無意味だと云う人があらば、それはまた全く別の問題になる。そしてこれは実に容易ならぬ問題である。この問題に対する国民や為政者の態度はまたその国家の将来を決定するすべての重大なる問題に対するその態度を覗(うかが)わしむる目標である。
 

寅彦はこう書いて後、亡くなるまでの11年間に上半期にも読んだ「津波と人間」「天災と国防」等々を書き「天災は忘れた頃にやってくる」の警鐘を鳴らし続けたのである。

「1.17」「3.11」を体験した私たちは今、寅彦の鳴らし続けた警鐘を今どのように聞くのだろうか。
3.11から一年と7ヶ月経とうとする今、私たちの「地震の概念」はどこまで変わっただろうか。
もういちど88年前の寅彦のこの文章を読み返してみるところからはじめてみようと思う。

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新・クラウド「整理学」試論(37)

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▼昨日は大賀ハスの定例観察の日だった。今期蓮根の植え替えから27週目だった。
2012年度下半期のスタートである。偉大なる生産工場である葉はどんどん枯れていっている。蓮根への貯蔵作業も、種子をつくり次世代への伝達作業も終えている。この下半期の意味はと問うのはあまりにも勝手な「人間中心主義」なのかもしれない。それでは「大賀ハスの身になって」の観察することにならない。
もっと大賀ハスの一年に「同期」しながら観察を続けてみよう。そしたら面白いものが見えてくるかもしれないので…。
▼ヒガンバナの写真を整理しながら、久しぶりにこれからの「情報の整理」について考えてみた。
先日、テレビであの伊藤 穰一 さん (MITメディアラボ所長)を見た。久しぶりに「これから」に感動した。
伊東 穣一さんと言えば、私はインターネットをはじめたころにこの人のビデオを繰り返し視てみてインターネットの世界に感動した記憶がある。久しぶりに見た伊東穣一さん私には極めて納得のいく「これから」を語ってくれた。
◆NHKクローズアップ現代「“混とん”に飛びこめ! MITメディアラボ所長 伊藤穰一」
てんでバラバラの情報をつなぐことこそがクリエイティブにつながるという主張に大いに共感するのである。
混沌とした状況を創造の前夜ととらえる発想もさすがである!!
▼一見脈絡のないもうひとつのことも思いだした。
それは熊楠の「萃点」だ。
「萃点」についてもういちど思いだしてみる。それはこうだった。

 ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。(人は理由とか原理とかいう。しかし実際は原理にあらず。不思議を解剖して現象団とせしまでなり。このこと、前書にいえり。故に省く。)心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか感覚器官とかをはなれず。したがって、心ばかりの不思議の学というものは今はなし、またはいまだなし。
……
これらの諸不思議は、不思議と称するものの、大いに大日如来の大不思議と異にして、法則だに立たんには、必ず人智にて知りうるものと思考す。さて妙なことは、この世間宇宙は、天は理なりといえるごとく(理はすじみち)、図のごとく(図は平面にしか画きえず。実は長、幅の外に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数無尽なり。故にどこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることをもなしうるようになっておる。
 その捗りに難易あるは、図中の(イ)のごときは、諸事理の萃点ゆえ、それをとると、いろいろの理を見出だすに易くしてはやい。……
 すなわち図中の、あるいは遠く近き一切の理が、心、物、事、理の不思議のにして、その理を(動かすことはならぬが)道筋を追従しえたるたけが、理由(実は現像の総概括)となりおるなり。
 さて、すべて画にあらわし外に何があるか、それこそ、大日、本体の大不思議なり。
(『南方熊楠コレクションⅠ「南方マンダラ」』河出文庫、P295~)

これを情報の整理に引きつけて言うならば、もっとも有用な情報は情報の交差するところ<萃点>にあるということであり、そこからはじめることが易しくはやいと主張していると読み解いた。
▼脈絡のないことが私のなかで交差した。
私は繰り返し「情報は発信するところに集まる」と唱えてきた。それはこれからもどのように状況がかわっていっても同じだと思っている。
 しかし、もうひとつ加えたくなった。
「情報は交差(交叉)するところに生まれる」
一見バラバラ見える情報発信がつながり交叉する。そこにこそもっとも有用なクリエイティブな情報が生まれるのである。その生まれた情報をクラウドな環境にストックしていくことこそこれからの情報「整理学」ではないか。

 なんの具体策があるわけではない。ポンコツの妄想、戯言かもしれない。
今日も大賀ハスやヒガンバナに「同期」しながら ゆっくり 急ごう!!

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定点観察の「記録」を整理しながら…  #higanbana

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▼紅白のヒガンバナが満開の時期を迎えている。そのとなりで「引っ越し組」のヒガンバナも花茎を伸ばし少し遅れてでれあるが満開に向かっている。「引っ越し組」がここに来てから2度目の秋だ。
かつてもっとも長く「定点観察」を続けてきた株だ。それがここに引っ越ししてきてもきっちり開花してくれようとするのがとてもうれしい。
▼先日から、ほんと少しずつであるが定点観察の「記録」を整理しようとしている。はじめにやっているのは昨年『人の暮らしに密着するヒガンバナ』(会報「自然保護」2011年3・4月号/発行:日本自然保護協会)を書く際に資料とした写真の整理からやっている。そのとき、この記事には記載されなかったが、いくつのか写真をピックアップしていた。
 今から考えると整理ベタでいつでも「いつの日か」ばっかりで整理を先送りしている私にはとてもいい機会だった。
▼それだけでない、その時の画像は私にとっては貴重な「記録」である。
デジカメとはほんとうに「記録」するのに便利な道具である。自動的に日時の「記録」が埋め込まれているのである。無精な私にはもってこいだ。
定点観測地Bとして、これも長く観察を続けてきた場所がある。真っ赤に燃え立つ松明の行列がみられる場所だ。昨年の工事でこの畦道の鱗茎はどこかに言ってしまったようだ。今年は一本も花茎はのびてきていない。
だから
◆『赤い松明の行列』
は二度と見ることができない貴重な「記録」である。
もう見ることができないものとして、「分球」のようすや、「種子もどき」の発見の「記録」がある。
◆「分球-こうして殖える」
◆『ヒガンバナの種子!?』

▼「記憶せずに記録する」という梅棹忠夫(『知的生産の技術』)のコトバを実感をともなって思いだすのである。
「記録」は必ずや未来の「ふしぎ!?」を解く鍵となるだろう。

とは言ってもグウタラな私だ。いっきょに変身はできない。
だからとりあえず今日もデジカメのシャッターを押し続けよう。
もっとうまい「整理」方法がみつかるまで…

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シロバナヒガンバナの「ふしぎ!?」はどこまで(3) #higanbana

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▼我が家の庭先のシロバナヒガンバナがいよいよ満開の時期をむかえたようである。もう何年も前に岩国の友人から株を分けてもらったものである。あまりにシロバヒガンバナにこだわるものだから、ならばと分けてくださったものである。真っ白ではない、少しクリーム色をしている。赤みがかったところも見られる。
 私にとってはとても大切なシロバナヒガンバナである。その満開の姿をながめていたら、保留にしておいたシロバナヒガンバナの「ふしぎ!?」がまたしても頭をもたげてきた。
▼この「ふしぎ!?」どこまで私にはわかっているのか。なにがまだわかっていないのか。そして何を知りたがっているのか。少し「整理」してみようと思った。
もう一度リコリス(栗田子郎)さんの「秋風に揺れて咲く~シロバナマンジュシャゲ~」を繰り返し読んで参考にしながらまとめてみた。
【わかっていること】
・コヒガンバナ(二倍体)とショウキランの雑種であること。
・九州地方では群生しているところもある。九州地方に多く分布していること。
(今年、シロバナヒガンバナの画像をたくさん見せてくれた宮崎の友人は「あらためてそれを見に出かけると言うようなものではない」と言った。なるほど見せていだいた画像にはアタリマエに生えているシロバナヒガンバナがあった。)
・種子はつくらない。
・ふつうのヒガンバナと同じく分球によって殖える。
・中国大陸には自生していない。似たものはあるが。

このあたりまでが、私もわかっていることだ。
▼ならばまだわかっていないことはどうだろう。
【わからないこと】
・いつごろ、どこでこの植物は誕生したのか。
・九州誕生説は正しいのか。
・九州以外の地方で多く群生している地方はあるのか。
・同じ九州でも集中して群生しているところはどこか。
・なかでも四国の分布は?(旧寺田寅彦邸庭のシロバナヒガンバナのことと関係して)
・誰が何の目的で鱗茎を運んだのか。
・似て非なるものにどんなものがあるのか。
・私が育てているのはホンモノのシロバナヒガンバナか?
・全国各地にどんな「シロバナ彼岸花物語」があるのか。
・現在進行形の研究者はいるのか。
・どこまで研究はすすんでいるのか。

「わからないこと」というより「知りたいこと」も一緒になってしまったがこんなところである。
▼ではいつも「無手勝流」の私が、これからどうするかだ。
いつ実現するかはわかないが、やってみたいこととして
・九州に群生するシロバナヒガンバナを見に行く。
・栗田子郎先生に直接お会いしてお話をうかがう。リコリスガーデンもぜひ見学したい!
・ネットを駆使して「シロバナヒガンバナ情報」をつなぐ。
・等身大の「ふしぎ!?」を追い続ける。

夢物語になってしまっているところもあるが、「ふしぎ!?」を追い続ければ必ず道は拓けてくるという妙な自信のようなものもある。ゆっくり 急ぎながら! つづけてみよう。


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SNSでヒガンバナ三昧を楽しむ!! #higanbana

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▼私はこの頃毎日夥しい数のヒガンバナの写真を撮っている。いつまでも下手くそな写真技術だからなおいっそう闇雲にシャッターを押すのである。整理もおぼつかない毎日である。
 そんななかで昨日出会ったもっとも印象に残ったヒガンバナ2枚をあげておく。
一枚は、校庭の部室裏土手のヒガンバナである。土手のふちのヒガンバナが先日の風もあってだろう、倒れかけている。下から見上げると青空をバックに鮮やかな真っ赤が心に残った。
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もう一枚は定点観測地の土塊を頭にのせた蕾がさらに花茎を伸ばしている姿だった。ヒガンバナのたくましいエネルギーを感じたのである。
 他にもありすぎて取捨選択できないありさまである。
▼それだけでではなかった。私は今、TwitterやFacebookなどのSNSで全国各地のヒガンバナを楽しませてもらっていた。
 北は「遠野」「白石」から、南は「宮崎」「沖縄」までほんとうにたくさんのヒガンバナ画像をみせてもらいその「おすそ分け」をもらっている。
▼単に画像を見せてもらうだけでない、一枚一枚の画像にはそのヒガンバナがもつ「彼岸花物語」があった。
・公園の紅白のみごとなヒガンバナ
・植木鉢に丹精込めて育てたヒガンバナの開花
・庭先でやっと咲き始めたヒガンバナ
・単なる記録画像というよりみごとな「アート」のヒガンバナ
・ヒガンバナスポットの今を伝える画像
・都会のグリーンベルトのヒガンバナ
・何年も何年定点観測を続けるヒガンバナ
・もう早々と花茎を伸ばすこと断念し葉芽をのばしはじめたヒガンバナ
・アタリマエのように群生するシロバナヒガンバナ
・移植したヒガンバナの今
・地方紙で新聞記事になったヒガンバナ
等々
数えあげればきりがない。毎日多様なるヒガンバナと出会っていた。
▼この多様なる「彼岸花物語」との出会いをもっとも面白くしているのは、人との出会いだった。
一枚の写真のヒガンバナだけが面白いのでない。その写真を撮った人との出会いがあるから面白いのである。
その人の「感動」や「ふしぎ!?」の「おすそ分け」をもらえるのがなによりうれしいのである。
ヒガンバナを介してのヒューマンネットワークの展開が面白く、楽しいのである。

さあ、今日はどんな「おすそ分け」があるかな。
o(^o^)o ワクワク

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観察からうまれるヒガンバナの「科学」!! #higanbana

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▼定点観測地で常時ヒガンバナの今が観察できるようになって、今さらのことが気になっていた。「一輪のヒガンバナをつくる5~7の小花がどんな順番で咲くのか」という疑問である。
そんなものに順番なんかない、アトランダムなものなんだろうか。それともなんらかのわけがあって約束事があるのだろうか。観察対象の一輪を定めた。
 大賀ハスの花弁がひらくのにならって仮説を立ててみた「左巻き」「右巻き」というような。帰宅して見てみるとさっそくその仮説はくずれた!!お向かい同士が咲いているのである。ではこの後…
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▼さらに夕方、日がかげり出した頃、定点観測地の「引っ越し組」を観察していてものすごいヒガンバナを見た!!
花芽が地面からニョッキリと顔を出そうとしていたのだが、その頭には土塊をのせたままだ。
なんというたくましい姿だ。!!それはまさに地面を突き破ってというのがふさわしい。
このエネルギーはどこからと魅入ってしまうのである。
▼身近なところに「定点観測地」をつくることは、継続観察を可能にし、たくさんの「発見」に出会わせてもらえる。
今は「引っ越し」したこのヒガンバナについても過去に継続観察し、その記録を残していた。
毎年観察を続けてきたが特にまとまったものとしてはふたつある。
ひとつは、今から13年前の
◆「楠田 純一のヒガンバナ観察日誌」(1999/9/11~1999/10/31の記録)
もうひとつはそれから11年経った
◆『人の暮らしに密着するヒガンバナ』のための画像集Ⅰ『花から葉へ』(2010/9/22~2011/1/16の記録)
このふたつの記録は同一の株の記録である。
 偶然であるが、比較的はやく開花期をむかえた年と遅れた年のものであるから、ひとつは「今年はどうだろう?」と考えるのに目安になる。
▼これは点と点を「時間軸」でつないだ記録である。
今度は時間を今に固定して「空間軸」でつなぐことができたら、何が見えてくるだろう。
点と点をつなげば線になる。線と線と結べば交差するところができてくる、そこに「科学」が見えてくるような気がする。
 観察からはじめるヒガンバナの「科学」は今始まったばかりである!!

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まだまだ「ヒガンバナ週間」は続く!! #higanbana

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▼昨日は、台風一過で秋晴れの一日になるのかと思っていたらそうではなかった。雲が一日中あり、すっきりとしなかった。ときには雨が降り出しそうにもなった。でもうれしいことがあった。台風にともなうあの雨で定点観測地Aのヒガンバナがいっきょに元気になってきた。まるで水を得た魚のように、グングンと花茎をのばしてきた。
いちばんのりで開花したのはシロバナの方であった。
▼この定点観測地を基準に考えるなら、例年より10日ばかりの遅れが生じているようだ。この定点観測地の利点はいつでも24時間観察できることである。真夜中であろうと、玄関出たらすぐ見えるので「その瞬間」も観察しやすいのだ。
 一方、ネットを利用して全国各地のヒガンバナを見せてもらっている。各地のいろんなヒガンバナの姿を見せてもらうのは実に楽しいものである。思わぬ「発見」があったりして面白い!!。
定点観測地のヒガンバナ観察も全国各地のヒガンバナ情報もまだまだ続くのである。
勝手に設定した「ヒガンバナ週間」であるが、延長だ!!
▼開花情報にあわせて、ヒガンバナの「ふしぎ!?」を追っていた。
今年度に入ってからのものだけでも
・シロバナヒガンバナの「ふしぎ!?」
・ヒガンバナのもつ「時計」の「ふしぎ!?」
どちらも、まだ謎がとけたわけではない保留したままだ。それでいいと思っている。
観察や多くのヒガンバナ情報に振れふれつづけているあいだに思わぬ展開で真実にせまることができるかも知れないと思っているからである。
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▼昨日、定点観測地のヒガンバナを見ているあいだにまた小さな「ふしぎ!?」が生まれた。
ひとつの花にも5~7の小花をもつ、その小花はいっきょに咲くと言っても「同時」ではないようだ。これは今までの観察から言えるように思う。
 ならばその小花が咲くのに決まった順番があるのだろうか。ここにもルールはあるのか。
あるとすればそれはどんな理由があるのだろう。
 まずはどんな事実があるのか。常時観察できるから確かめることができそうだ。

 今朝、「遠野」のヒガンバナを見せてもらった。今まで見せてもらったなかではいちばん北だ。
うれしかった!!
南では「宮崎」だ。宮崎ではシロバナヒガンバナ、黄色ヒガンバナもみせてもらった。
全国各地のヒガンバナを楽しませてもらいながら、私の小さな「ふしぎ!?」を今日も追い続けよう。

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【Web更新9/30】12-40 【ヒガンバナ情報2012】更新! #higanbana

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遅れても 定めて咲くや 彼岸花 12/09/26 (水)撮影@夢前


■楠田 純一の【理科の部屋】12-40
週末定例更新のお知らせ
 朝起きてカレンダーをめくった。外に出たら東の空にきれいな明けの明星が、西の空には雲の合間に中秋の名月が残っていた。さあ、新しい月のはじまりだ。そしてそれは2012年度下半期のはじまりであった。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ 彼岸花
 3週連続ヒガンバナである。一週間でいちばん気に入った一枚というとこうなってしまう。3週目はちょっと例外で町外で撮ったものである。通勤路のちょうどまんなかあたりの夢前で撮ったものだ。
先週一週間は通勤路でいろんなヒガンバナを存分に楽しんだのだが、とりわけこの一枚は勝手にいちばんの「彼岸花スポット」と思っているところのものである。それにしても、遅れたとは言えこうもきっちりと定めて咲くのだろう。その「ふしぎ!?」はまだまだ続くのである。

◆ヒガンバナ情報2012 更新
 勝手に「ヒガンバナ週間」と名付けた一週間が過ぎた。でもその週間は延長の必要があるようだ。どこまで延長すればいいのかまだ見えてこない。私の定点観測地Aのビカンバナはいまやっと花茎を伸ばし開花のスタンバイをしたところである。ここなら24時間いつでもその瞬間を観察できるのである。
あれやこれや考えながら観察してみようと思う。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 私の新三大試論(そんなたいそうに言うほどのものではないが)のひとつの更新である。更新と言ってもこのblogの中でカテゴリー「情報整理学」に属するものを拾い上げWebページに貼りつけただけである。
 でもこれだけの作業をやるだけでもけっこう見えてくるものがあることを再認識した。
自分の「現在地」を確認することができたのだ。

◆オンライン「寅の日」 更新
 オンライン「寅の日」も半年たった。次の半年をめざして再スタートする。
ともかく今は続けることを第一義的に考え、あらたな展開を期待しながらやっていきたい。

「みちはこたえない みちはかぎりなくさそうばかりだ。」(真壁仁『峠』)を思いだした。


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