本日、第14回オンライン「寅の日」!! #traday
▼またしても夏がもどってきたかのような日射しの厳しい昨日だった。
庭先の柿の木をよじのぼった朝顔は、まちがいなく青い色をして元気に咲いていた。ところが帰宅して夕方ながめた朝顔は赤い色になってしぼんでいた。半日のあいだにどんな変化があったのだろう。
PH値の変化があったと分析してみる。それで…
▼観察・分析・編集・発信という科学の方法としての「俳句」について、集中的に読んでいくのが9月の「オンライン「寅の日」」だ。本日は9月2回目の「オンライン「寅の日」」だ。
◆第14回オンライン「寅の日」
● 「俳句の型式とその進化」(青空文庫より)
▼今回は「不易流行」の世界の型式の進化を科学者寅彦がどう読み解くかである。
1930年代当時とてもユニークな俳句が流行っていたようだ。
それに対してこうだ。
そういう議論のいかんにかかわらず新型式俳句というものが現に存在しており、それを主張する人と支持する人があるという事は否定することのできない事実である。科学者流の目で見れば、これも一つの文化的自然現象であって可否の議論を超越したものであるとも考えられる。むしろわれわれはこの現象がどうして発生したかを研究し、またその将来がどうなるであろうかということを考察した上で、これに対する各自の態度を決めるのが合理的ではないかと思われるのである。
それにはいろいろの研究が可能であるが、たとえば進化論的な立場からこの問題を考えてみるのも有益ではないかと思われる。
そして、新型俳句を「突然変異」とみなし、こうつづける。
生物の突然変異を生ずる原因が何であるかについてはそのほうの専門家でない自分のよく知るところでないが、しかし少なくもその一つの因子としては外界の物理的化学的条件が参与していることは疑いもないことである。地質時代でもある時代におけるこうした環境条件が特に突然変異の誘発に好適であったために、特にその時代に新しい型式の生物が多数に発生したであろうということも想像できるのであるが、それと同じように文化的要素の進化の道程における突然変異もまたその時代におけるいろいろな外的条件に支配されるものであって紫外線X線の放射、電流の刺激、特殊化学成分の過剰あるいは欠乏といったようなものに相当する環境の変化のために特にある時代において急激に促進されるであろうということはむしろ当然のことと思われる。
▼ここでは「俳句」の型式のことを論じながらも科学者寅彦の「進化論」表明にもなっているのではないかと思う。
●1859年 ダーウィン『種の起源』刊行
●1901年 ユーゴー・ド・フリース「突然変異説」を提唱
そして、この文章が書かれたのは1934年(昭和9年)である。その年には「天災と国防」を発表し、翌年1935年に「日本人の自然観」書き、その年の大晦日になくなっているのである。
本日のテキストにもどる。
その時点でのこれからの「俳句」についてこう結論づけた。
そういう、現在のわれわれには夢のような不思議な詩形ができる日が到着したとして、そのときに現在の十七字定型の運命はどうなるであろうか。自分の見るところでは、たぶんその日になっても十七字俳句はやはり存続するであろうと思われる。生物の進化で考えてみると、猿(さる)や人間が栄える時代になっても魚は水に鳥は空におびただしく繁殖してなかなか種は尽きそうもない。それにはやはりそれだけの理由があるからである。芸術のほうで考えてみてもなおさらのこと一時は新しいものが古いものを掩蔽(えんぺい)するように見えても、その影からまたいちばん古いものが復活してくる。古くからあったという事実の裏には時の試練に堪えて長く存続すべき理由条件が具備しているという実証が印銘されているからである。
それから80年近く経った今も「十七字俳句」は厳然として存在し、多くの人を惹きつけているのである。
私の俳句の勉強も少しだけすすんだ。
でもまだまだ「俳句もどき」の域を脱しきれないのである。
はじめの
「朝顔や …… …」
はどうつづけて詠めばいいのだろう。少し考えてみよう。
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