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本日、第13回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼昨日、以前から見たいと思っていた「オオボウシバナ」を見た。ずっと以前に「紅花を追って」旅をしているとき、京都の友禅染めの工房を訪ねたことがあった。下絵を描くのに筆につけておられるうすい墨のようなものを使っておられた。訊いてみたらそれがツユクサの一種の「オオボウシバナ」の汁を乾燥させたものとお聞きした。下絵を描くみごとな技術とともに感動した。それが「オオボウシバナ」を見たいと思ったはじまりだった。
 思わぬところでそれに出会った。
寺田寅彦と訪ねるオフライン「寅の日」の余韻をもちながらまだ高知にいた。せっかくここにいるのだからと
◆「牧野富太郎 生誕150年記念展「植物学者・牧野富太郎の足跡と今」
に行った。その会場でこのオオボウシバナに出会ったのである。花の最盛期をすぎていたためだろうか花はちいさかった。いつか草津で出会いたいものである。
▼さあ、今度はオンラインである。
今日は、第13回オンライン「寅の日」である。
9月は計画通り、「俳句」という科学の方法に焦点をあてる。まず、その第一弾は
◆「天文と俳句」(青空文庫より)
である。
▼俳句と言えば、まずは「季語」である。
そのスタンダードなところからはじめる。その「季語」を寅彦に語らせるとこうなる。

 季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。

「時」=「時間」が科学の不思議を解く鍵なのと同様、「時」はここでもキーワードなのである。
そこから、俳句の本質論に迫る。

併し、此のやうに、兎も角も表面上では場所の空間の表象を省略することが許されるに拘らず、時の要素の明瞭な表面が絶對必要とされるのは何故か。此れには深い理由があり、此事が又あらゆる文學中で俳句といふものに獨自な地位を決定する根本義とも連關して居ると思はれる。此に就て此處で詳しく述べて居る餘裕はないが、無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。

なんとみごとな論理!!シロウトの私も納得である。
▼具体例をいろいろあげながら説明がつづく。この文章は「俳句講座」で語られたものであるようだ。
こんな講座なら生で一度は聴いてみたかったな。
 最後の方に私には少し耳が痛いことが書いてあった。

時雨といふ現象の特徴をよく現はしたもので、氣象學教科書に引用し得るものであらう。古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

耳が痛い話ではあるが、同時に「俳句」という科学の方法の可能性を示唆してくれているとも言える。
オフライン「寅の日」の反芻作業をしながら、今日はもういちどこの文章を読みなおしてみようと思う。

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