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寺田寅彦を訪ねて(2) #traday


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▼昨日の朝、私は一路ひたすら「寺田寅彦記念館」をめざした。4時間あまり高速道路のドライブであった。
その間、例の「雲見」をしていた。家を出てまもなくであったすごい土砂降りの雨に出会った。恨めしく前方の空を見た。前方の視界がさえきられるほどの雨だ。停車したくなる気分だ。ところがしばらく進むと今度は、空は一変して明るくなりまるで真夏の太陽の日差しだ。「なんなのだ!これは!?」と思う天気の変化であった。それを何度も何度も繰り返したのだ。
いつもは時間の経過で体験する「夕立」を高速度で水平移動することによって体験したのだ。
大気は動いていた!!
▼やっとたどり着いた「寺田寅彦記念館」は予想どおり寅彦の世界があった。
邸宅のなかの展示物もよかったが、それにも増して庭がよかった。
というより説明をしてくださった学芸員のお話がよかったのかも知れない。庭の草花、樹木についても熟知しておられとてもわかりやすく面白いお話がいっぱい聞けた。
寅彦はこの庭のことについて
◆「庭の追憶」(青空文庫より)
に書いていた。その中にこんな文章があった。

 次に目についたのは画面の右のはずれにある石燈籠(いしどうろう)である。夏の夕方には、きまって打ち水のあまりがこの石燈籠の笠かさに注ぎかけられた。石にさびをつけるためだという話であった。それからまた低気圧が来て風が激しくなりそうだと夜中でもかまわず父は合羽(かっぱ)を着て下男と二人で、この石燈籠のわきにあった数本の大きな梧桐あおぎりを細引きで縛り合わせた。それは木が揺れてこの石燈籠を倒すのを恐れたからである。この梧桐あおぎりは画面の外にあるか、それとももうとうの昔になくなっているかもしれない。

 その梧桐が復元されて、門を入ったところで迎えてくれるのだ。
各種の椿もあったやっばり…。そしてその文章は次のように結ばれていた。
今さらのように生きていることの喜びをしみじみと人の胸に吹き込むように思われた。去年の若葉がことしの若葉によみがえるように一人の人間の過去はその人の追憶の中にはいつまでも昔のままによみがえって来るのである。しかし自分が死ねば自分の過去も死ぬと同時に全世界の若葉も紅葉も、もう自分には帰って来ない。それでもまだしばらくの間は生き残った肉親の人々の追憶の中にかすかな残像(ナハビルト)のようになって明滅するかもしれない。死んだ自分を人の心の追憶の中によみがえらせたいという欲望がなくなれば世界じゅうの芸術は半分以上なくなるかもしれない。自分にしても恥さらしの随筆などは書かないかもしれない。

こう書いた翌年、彼は他界した。
▼私は唐突ではあったが、あの「シロバナヒガンバナ」のことを聞いてみた。
確かに、この庭にはシロヒガンバナがもう少しすると咲き誇るという。赤いヒガンバナとともに。
それは見事なものであるとおっしゃった。シロバナヒガンバナがこのあたりにしばしば見られるか、と言うことについて聞いてみた。すると赤色のものほどにないにしても見られることは見られるとのことだ。
 たまたま一緒に見学していたおばあちゃんもそう言われた。
 だとすると、以前の私の勝手な「仮説」は間違っていたということになる。
いずれにしても、その季節にもう一度この庭を訪れたいものだ。
▼もう一度入り口の門のところに立ってみた。そしたらあの有名な言葉のレリーフがあった。(ちなみにこの書は牧野富太郎氏の書かれたものらしい)
「天災は忘れられたる頃来る」
日本の地理的・地形的自然についてよく知り天災に警鐘を鳴らし続けた科学者寺田寅彦を象徴する言葉だ。
彼自身の言葉でなく
◆「天災と国防」(青空文庫より)
に出てくる
 それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。

このあたりを寅彦の意志を引き継ぐ人によってまとめられた言葉のようだ。
だからやっぱり寅彦の言葉と言ってもいいのかも知れない。

 ちょうど昨日朝、出かける前に見た新聞は「南海トラフ地震の被害想定」「減災への道」がトップに来ていた。
寅彦のあの言葉を即座に思い出した。
 寅彦は今も生きている。けっして過去の人ではない。
「人々の追憶の中にかすかな残像(ナハビルト)のようになって明滅」するどころか、今も、あの言葉とともに警鐘を鳴らし続けてくれているのである。

記念館を出たあと近くの墓所に向かった。
墓の前にたち、オンライン「寅の日」を報告した。
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寺田寅彦を訪ねて(1) #traday

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▼8月のはじめが「あこがれの4日間」だった第11大賀ハスの種子が花托のなかで黒く熟してきている。まだ「ソヘノオ」でつながっているせいか落下はしない。しばらく目にしないあいだに大丈夫だろうかとちょっと不安になる。ちょっと旅にでることにした。
▼寺田寅彦を追う旅である。思いつきのようでもあり、オンライン「寅の日」をはじめたころからの願いでもあった。
「いつかは…」と思っていた旅だった。
寅彦は1878年(M11)に生まれ、1935年(S10)に亡くなっている。57年間の生涯であった。
なんと短い生涯であったのだろう。私はとっくにその年を越してしまった。
そんな私が、いまさらなぜ寅彦を追うのか。
 答えは簡単だ。オンライン「寅の日」をより楽しむためだ。
毎回「寅の日」の度に、彼の発想・思考にうなってしまう。いったいこのような思考回路はどこから生まれてくるのか。自分なりに追ってみたいと思ったのだ。
▼寅彦は4歳から19歳まで土佐で過ごした。その邸宅を復元して「寺田寅彦記念館」になっているそうだ。
ここから道案内は
◆「土佐の寅彦 寺田寅彦記念館友の会」HP
にまかせる。とても充実したHPである。
私もごく最近「友の会」に入れてもらったところだ。
 1989年の秋、私はここに強く興味をもったことがある。
シロバナヒガンバナを追いかけているときのことだった。そのときのことが「記録」として残っていた。
◆寺田寅彦氏と「シロバナヒガンバナ」
である。時期がずれているからシロバナヒガンバナには出会うことはできないかも知れないが、なんらかの情報と出会うことはできるかも知れない。
▼何を追いかけているときも私はいつも同じ「無手勝流」だった。
浅学で無知であることを逆に武器にして追いかける戦略だ。それしかないのである。
いつもセレンディピティは突然に訪れるものである。
今回は、どんなセレンディピティがあるだろう。
それがいちばんの楽しみである。

再び第11大賀ハスの種子に出会うときどうなっているだろう。
それも楽しみである。
 

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「俳句」という科学の方法について(2) #traday

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▼昨日の朝の東の空は赤く焼けていた。それはそんな長くではなかった、明けの明星やオリオンが高くまで登った後だった。夜明け前に独特のにおいがする。そのにおいと瞬く間の赤く染まった空から私はその「空気」を見たいと思った。
▼この頃あまり聞かなくなったが、ひところ「KY」という言葉が流行った。私のように融通のきかない「K(空気)をY(読めない)人間」を評して言われていたようだ。
 そんなとき、ルクレチウスの末裔であり、「原子論的物質観」を唱えたかった私は自分につぶやいていた。
「KYでなくて、まずはKMだ!!」と。
空気は読むのでなく、まずはK(空気)をM(見る)のだ!!と言いたかったのだ。
見えない空気を見ることこそが「科学」のはじまりだと。
そして今
私はKMから、再びKYをはじめたい気分になっている。
今度のKYは「K(空気)をY(詠む)人間」だ。
▼9月のオンライン「寅の日」では、「俳句」という科学の方法に焦点をあてて読み解く。
寅彦のことを人は「文理融合の人」というが、私はあまりそうは見ていない。
まだまだ浅い読みだが、寅彦はあくまで「科学」に軸足を置く、「科学者」であると思っている。
科学は観察・分析・発見・編集・発信(表現・伝達)の連続である。
 その編集・発信(表現・伝達)に「文」をより積極的に活用したのだ。
「俳句」「連句」はその代表なのではないか。
▼とシロウトがえらそうにほざいてもなにもはじまらない。
「俳句もどき」を一週間に一回、Webページの表紙に貼りつけたるために詠んできたが特段腕が上がってきた兆しはない。
 一念発起、俳句の基本の基本からはじめてみようとNHK学園通信講座「はじめての俳句」をはじめたが、その講座もあと一回となった。「60の手習い」もはじめてみれば面白い。
「俳句」への興味はますます深まっていく。

KYが具現化できるのはいつの日だろう。
「「俳句」という科学の方法こそが…」と言える日を夢見て ゆっくり急ごう。


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今年もヒガンバナの「ふしぎ!?」を追う!! #higanbana

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▼今年もヒガンバナ開花の季節が巡ってきた。それに先立ちナツズイセン、キツネノカミソリなどのリコリスの仲間たちが開花する。いつもの場所でナツズイセンは開花確認していた。キツネノカミソリの開花を確認しようといつもの場所に昨日でかけてみた。二ヶ所にでかけた。
 どうしたことだろう一ヶ所はまったく見られれない。少し離れた地のもう一ヶ所も数本咲いているのみだった。時期がまだ早いのだろうか。それとも遅いのだろうか。それとも…!?
▼今年もヒガンバナの「ふしぎ!?」を追い続けたいと思う。
 昨年度までにどこまで「ふしぎ!?」を追う旅はきているのかは
◆ヒガンバナ情報2011
にまとめている。
 Web発信をはじめてからでも15年目になる。私の「ふしぎ!?」のなかでも比較的長いあいだつきあってきた「ふしぎ!?」だ。
 昨年の春には拙文
◆『人の暮らしに密着するヒガンバナ』(会報「自然保護」2011年3・4月号/発行:日本自然保護協会)にまとめていた。
ふりかえってみると遠くまできたものだと思う。反面、まだまだ道は遠いとも思う。
▼今年の正月、ヒガンバナ情報に関する「お年玉」情報が飛び込んできた。
長年にわたり「彼岸花の方言」を調査しておられる大学の先生からのものだった。メールをいただき続いて膨大な資料を送ってくださった。きわめて興味深いものだった。
 特に自分の住む地域の方言のことがよくわかった。実に面白いとおもった。
そして思った。
 この地域の里名もやがて消えていく、今こそ可能な限りの調査が必要なのではと。
▼ヒガンバナのことについてならなんでも情報交換するコミュニティ、未来派学会「日本ヒガンバナ学会」ができてから今年で5年目である。
TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアの普及も飛躍的にすすんだ。
今こそこれらを有効に活用して、ヒガンバナの「ふしぎ!?」を追いたいと思う。
Twitterのハッシュタグは一時は別のものも考えたが、元にもどし「#higanbana」でいきたい。

今年は、どんなヒガンバナ情報に出会うだろか。どこまでヒガンバナの「ふしぎ!?」を追う旅は進むだろうか。
楽しみである。

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【Web更新8/26】12-35 新・「自由研究」 のすすめ試論 更新!

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葛花や 覆い尽くして 咲き誇り 12/08/25 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-35
週末定例更新のお知らせ
 夏の「整理」と秋への「準備」。それが今週の私のテーマである。

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ クズ
 家の前の線路端の東向きの土手。この夏のクズの勢いというヤツの勢いというのはすざましいものがあった。
背の高い草に次から次へと巻き付き太陽に近づき葉を広げ、光を独り占めしてしまう。果ては道路にまで地を這うようにして進軍していく。そのドラスティクでダイナミックな動きはとても静的なイメージの「植物」とはかけ離れていた。そのクズが次々と花をつけていた。それはまるで覇者の勲章のようにみえた。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新!
 これまでにも何度か確認してきたこと。
「自由研究」のすすめの究極は、21世紀版『学問のすすめ』に至る。
 それに至る道のりは遠い。しかし、歩みとめてしまえばさらに遠くなる。遅々たる歩みであるが歩みを継続していこうと思う。なにしろ、その歩みは楽しく面白いものなのだから!!

◆オンライン「寅の日」 更新!
 9月のオンライン「寅の日」は、「俳句」という科学の方法に焦点をあてる。
寅彦はなぜこの方法を採用したのか。この方法の歴史、可能性を寅彦の文章から読み解きたいのだ。

 やがてヒガンバナの花芽が顔を出す季節である。その方の準備もすすめなければと思う。
拙速にならずに ゆっくり 急ごう!!
  

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新・「自由研究」のすすめ試論(53)

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▼昨日は引き続いて「雲見」と昼間の「月見」にはまっていた。面白い!!
たった一日でも月はかたちを変えているのだ。かたちだけではない位置も変わっているのである。自分でも説明してきたあの教科書の図は正しかったのだ。
 大賀ハスの方も定例観測日ということで観察した。蓮根の植え替えから21週目であった。花托のなかで種子は確実に熟しつつあった。今年はいくつの種子を手に入れることができるだろう。
▼こうしていろんな自然を観察していると気づくのである。
「研究」も持続する観察がベースになっていることを。
センス・オブ・ワンダーこそがはじめにあるんだ。研究するとは自分自身のセンス・オブ・ワンダーを鍛え磨きよりしなやかに、より豊かにしていくことなんだと。
「自由研究」のすすめ試論をつづけよう。
▼「自由研究」を発表するまでにぜひやりたいことがある。
それは
●その「研究」を生業とする人から学ぶ 
ことだ。間違ってはいけないのは、「研究」を生業とする人とはけっして大学の研究室にいるとは限らないということだ。畑で野菜を育てる名人のおばあちゃんだって、スーパーの魚屋さんだってりっぱな「研究者」なんだ。
そうして見ると、身のまわりに「研究者」はいっぱいいるんだ。
 ただし、聞く前に自分の「研究」がどこまで来ているのかまとめておくことは必須である。
▼私の「大賀ハス開花の研究」にもどる。
・四日間だけ開花の「ふしぎ!?」
・開花、閉花の順番の「ふしぎ!?」
・第一日目定刻開花の「ふしぎ!?」
それらをつなぐ生物と時間の「ふしぎ!?」
どう考えても大賀ハスには「時計」が埋め込まれているとしか思えない。
その不思議に応える論文に出会った。
ごく最近手に入れた本にあった。それは
◆『生き物たちのつづれ織り 上』(阿形 清和/森 哲監修 京都大学学術出版会 2012.8.25)
にあった。
「生き物たちの時間の読み方、刻み方」(小山時隆 同書P142)である。
タイトルからして非常に興味深い論文である。
浅学で不勉強な私にはすべてが理解できたわけではない。
しかし、「時計」が埋め込まれていることは確かなようだ。そして、その「時計」はタンパク質という物質で構成されているようだ。
 ならば大賀ハスに埋め込まれた「時計」のことをより専門に「研究」している人はいないだろうか。
と「ふしぎ!?」を追う旅はつづくのである。
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【祝】「サイエンスカフェにいがた」5周年記念!!

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▼昨日もやっぱりあいかわらず「雲見」をしていた。夏の雲から秋の雲へとシフトしていくのが面白かった。
午後3時頃、雲の合間にぽっかり浮かぶ月をみつけた。
 そうだ!!昼間だって月は見えるんだ。今さらのごとくこのアタリマエに驚いてみる。
 この月の写真を撮っておこう。夕方まで何枚も何枚も撮り続けた。ネットで教えてもらった方法でいろいろ試みてみる。そうだ、私は写真の撮り方でもネットで教えてもらうことが多いのだ。
 あらゆることについてネット上に師匠をもっている。
▼ネット上にそのようなコミュニケーションの場があることを教えてくれた最たるものが
◆サイエンスカフェにいがた
だった。
 本日25日(土)、5周年記念拡大カフェが行われるそうだ。
おめでとうございます。
 「これまでのカフェの記録」を見せていただくと、5年60回の歩みがよくわかる。
実にいろんな分野の方をゲストにむかえてカフェが開催されている。
それが「サイエンスコュニケーションとは」を示唆している。
▼私がこのカフェから学んだことは計り知れないほど大きい。
 興味あるときは、予告のポスターをプリントアウトして部屋に貼りつけておいてUSTでリアルタイムで参加させてもらったこともある。ゲストの著書に興味をもち手に入れ、カフェを契機に知らなかった分野の勉強をしたこともある。今まで見たことなかったサイエンスがらみのテレビ番組もいっぱい見るようになった。
 サイエンスアゴラの取り組みを知ったのもここだ。
 そもそも私のようなものが、Twitterやその他のソーシャルメディを使うことをはじめたのもすべてここから学んだからである。
▼地方のポンコツ理科教師が「サイエンスコミュニケーター」を名のっているのも源流はここにある。
感謝あるのみだ。

第60回5周年記念拡大カフェの成功を遠隔の地より祈念しております。
そして、これからもいっぱい学ばせていただくことをお願いしておきます。
よろしくお願いします。

我がネット上の「大恩師」=サイエンスカフェにいがた!の益々の発展を祈っています

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新・「自由研究」のすすめ試論(52)

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▼昨日は処暑。しかし、朝からまだまだ暑かった。
久しぶに朝の校庭散策をした。
散策の最後に見た夾竹桃の白はまぶしかった。
理科室に昨日の「クマムシ」研究の課題に取り組んだ。
▼私とクマムシとの出会いの物語をふりかえってみた。
●2008年の夏の終わり 
『クマムシを飼うには』(鈴木忠・森山和道著 地人書館)
『クマムシ?!』(鈴木忠著 岩波科学ライブラリー) 夢中になって読んだ。面白い!!自分でもぜひこの目で見たいと思った。
●2010年の夏  理科ハウスの方に実際に見せてもらった。「どこにもいる!」と教えられた。サンプルもいただいた。
●2011年の夏  校庭でそして我が家の庭で「クマムシ」を発見した。どこにもいる!誰でもみつけることができることを確信した。それを吹聴した。(その場で見せることができなかったからまだ説得力がなかった。)
●2012年の夏  またしても別の学校の校庭で多数発見!!
            デジタル顕微鏡で動画の撮影に成功(「クマムシはあなたの近くにもきっといる!!」) 

これが物語のあらすじである。
▼昨日の課題は、いつでも誰でも簡単にみつけることのできる方法の開発である。
誰でも、いつでもみつけるようになってこそ「科学」になるんだ。
それはクマムシ観察についても同じだと思っていた。
 2010年の観察経験から、従来の方法と少し違うひとつの方法を思いついていた。
その方法とはクマムシの驚異の特性「乾眠」を利用するのだ。
・まず従来どおりの方法で観察する。存在を確認する。
・しばらくそのまま放置する。「しばらく」というのは水が蒸発し完全に乾燥してしまうまでということだ。
・乾燥した土に水を加える。
・しばらくするとクマムシは「乾眠」から覚め活動をはじめる。そこを観察するのである。

この方法がいいなと思ったのは、静止状態から「動き」がはじまるとき観察するので、みつけやすい。
短時間で「発見」できる。最初の観察のときに邪魔になったコケのかけら等は乾燥してしまい動きがないので「動く」ものだけをみつけやすい。
 それにこの方法だと驚異の特性「乾眠」(いわば生命の時間をとめること!?)についても理解が深まる。
さらには、クマムシだけが「乾眠」するのでないということが発見できる。
水を加えることで復活してくる生きものがけっこういるのである。そいつらは同時にクマムシのエサでもあるのだ。
この方法・仮説を確立するというのが昨日の私の課題だった。
▼失敗だった!!
私は、8/7に前と同じように校庭の駐車場のコケを採集し、水を加え放置していた。
そのとき、シャーレにふたをしてしまっていたのだ。
なんということだ!!
乾燥していないばかりか、コケは腐りいやなにおいを発していた。
それでもと従来どおりの観察をしたがクマムシをみつけることができなかった。
腐るのは化学変化がおきているということだろうか。辛うじて「死骸」らしきものにひとつ出会っただけだった。
再度挑戦する。コケを採取してスタンバイをした。今度の観察は夏休みあけだろうか。

「研究」は失敗の連続!!
「研究」は行きつ戻りつ少しずつ進化していくもの。
と自分をなぐさめてみた。

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新・「自由研究」のすすめ試論(51)

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▼昨日はけっこう長く「雲見」に時間を費やした。雲がこのあいだまでの雲と明らかに表情を変えてきている!
やっぱり「雲見」はいいな!面白いな!!
私の持病は「ばっかり病」だけでない。ある面相反するようだが、「あれもこれも病」という病も持っているだ。
こちらの方はより急に発症するからやっかいである。
「雲見」からはじめる「大気の物理学研究」なんていいな。
いつも無手勝流ではじめる私にピッタリの自由研究テーマだ。
▼いやいや継続中にもどろう。
大賀ハス「あこがれの4日間」の感動をどのように伝えよう。
時間もないことだから、現物をもって行って見てもらう。それがいちばん説得力をもつだろう。
・冷凍保存した花びら
・セロテープで貼りつけた雄しべ
・採取した種子
・枯れた花托 等々
「クマムシ」の方は、初期の目的の半分以上は到達していた。
現物とあわせてデジタル顕微鏡撮影の「動画」がある。
「ほんとうにどこにもいるんだ!」は伝わるだろう。
▼研究発表のころになると、ここのところ毎年話題になることがある。
それはインターネットを利用した「コピペ」問題だ。
ネット上にある自由研究報告を勝手にコピーして、それをそのままさも自分がやったことのようにして報告するのである。これは「自由研究」とって重要な問題を含んでいる。
「研究」するのは、あくまで私の「ふしぎ!?」であり、他人の「ふしぎ!?」ではないのだ。
私の「ふしぎ!?」を追求することにこそ意味があり価値があるのである。
私の「ふしぎ!?」の謎解きは、そう簡単に完結するわけではない。
だから途中でいいんだ!「失敗」オンパレードでいいんだ!
それにこそ価値があるんだ。
▼でも私は、インターネットを活用することに反対ではない。
いや寧ろ賛成である。問題はどのように利用するかだ。
14年前に「これから」の自由研究について書いた拙文がある。
 そこに、「これから」に向けての要点を4つあげている。
(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。
(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。

電子教科書時代を目前にして、再度「これから」の自由研究について考える時期がきているのかも知れない。

 今日は学校に行って、必ずクマムシを発見できる観察法の開発に挑戦だ!!

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9月オンライン「寅の日」は #traday

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▼大賀ハスの枯れきった花托、種子を宿しふくらみつつある花托が入り混じって佇立する。その上を白い雲が流れていく。その空に偶然にもトンボが飛来した。
 それはあきらかに時が流れる風景でもあった。
 夏休みが終わり9月が加速度的に近づきつつあった。
何度繰り返しても同じだ。このメランコリックな気分はなんなんだ!?
▼残暑がつづくのに、吹く風はどこか9月を知らせていた。前の田の上を舞うアキアカネの数は増えてきたように思う。そんな自然の風景の移り変わりを目の前にして、この自然とどのように向き合っていけばよいのか。どのようにつきあっていけばよいのか。
 続けて寅彦に学んでいきたい。
 9月のオンライン「寅の日」を考えておきたい時期である。
▼7月8月のオンライン「寅の日」は夏休みの「自由研究」がらみで科学研究に焦点をあて読んできた。
9月は、以前にふれた「俳句」という科学の方法に焦点をあてて読んでみたい。
具体的にはこうだ。
・9/2(日)  第13回オンライン「寅の日」  「天文と俳句」
・9/14(金) 第14回オンライン「寅の日」  「俳句の型式とその進化」
・9/26(水) 第15回オンライン「寅の日」  「俳諧の本質的概論」
▼持病の「ばっかり病」が自覚症状のないまま進行しているのかも知れない。
しかし、居直って言えば「ばっかり病」を通過・克服することなく新たな地平は見えてこないとも言える。
「俳句」という科学の方法を鍛え直し、より豊かに自然と向き合いつきあっていきたい。
9月はその意思表明の月にしたいのだ。

今朝の金星もオリオンもきれいだった!
冬の星座だって見る時間をかえれば見えるんだ。まちがいなく地球号は動いているんだ!!
その地球号に私たちは乗ってくらしているんだ!!

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本日、第12回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼線路端に我が家はある。線路から土手で一段下がったところ家は建っている。
毎年この土手一面をクズが覆うのを見てくらしてきた。クズの蔓はすさまじい勢いでのびてくる。
「もっと光を!」絶叫しながら太陽に向かう。植物の世界では少しでも多くの光を手に入れたものが覇者となるのだ。多くの光でつくり出した栄養は、背を高くするための茎に最小限の消費でおさえ、他の背の高いものを利用するのである。子どもたちは言った。「つる植物」は「ずる植物」だと。
▼同じつる植物に「カラスウリ」がある。家の西のゴンビの木に巻き付き葉を広げていたこともある。秋になれば朱色の実をつける。地下の栄養のタンクとともに教室に持ち込み教材にしたこともある。
そのカラスウリの花も興味深いものだった。
寅彦に語らせればこうだ。

 毎日おびただしい花が咲いては落ちる。この花は昼間はみんなつぼんでいる。それが小さな、かわいらしい、夏夜の妖精(フェアリー)の握りこぶしとでもいった格好をしている。夕方太陽が没してもまだ空のあかりが強い間はこのこぶしは堅くしっかりと握りしめられているが、ちょっと目を放していてやや薄暗くなりかけたころに見ると、もうすべての花は一ぺんに開ききっているのである。スウィッチを入れると数十の電燈が一度にともると同じように、この植物のどこかに不思議なスウィッチがあって、それが光のかげんで自働的に作用して一度に花を開かせるのではないかと思われるようである。ある日の暮れ方、時計を手にして花の咲くのを待っていた。縁側で新聞が読めるか読めないかというくらいの明るさの時刻が開花時で、開き始めから開き終わりまでの時間の長さは五分と十分の間にある。つまり、十分前には一つも開いていなかったのが十分後にはことごとく満開しているのである。実に驚くべき現象である。

なんというすごい観察眼であることか。
それだけではない観察したもの表現する力はみごとである。
こんな文章を読むのが本日!!
◆第12回オンライン「寅の日」
・「からすうりの花と蛾」(青空文庫より)
▼これまでに読んできた「線香花火」「金平糖」などでもそうだが、読んでいくと「へえー」と驚き、「なるほど」と膝をたたき、「面白い!!」となるのである。
 鎌田浩毅は『寺田寅彦』(池内了編集 河出書房新社 2011.11.30)のなかで、この文章について次のように語っている。
 具体的には、日常生活に身近な例を挙げること、使う言葉が平易なこと、文章だけで読ませてしまう面白さがあること、読み終わると何らかの余韻が残る仕掛けがあること、などの手法を私は寺田の文章から学んだ。(前記著 P108)

さすがである。
▼寅彦の文章にもどる。からうりのの花の話から、蛾の話、鳥の話そして人間の話へと次々と面白く流暢につづく。そして、きっちりと「余韻の残る仕掛け」はあった。

しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時にはわれわれはもう少し謙遜(けんそん)な心持ちで自然と人間を熟視し、そうして本気でまじめに落ち着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科学的なユートピアの真如(しんにょ)の月をながめる宵(よい)が来るかもしれない。
 ソロモンの栄華も一輪の百合(ゆり)の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。

と寅彦が言って80年の年月が流れた。
 「もう一歩科学」は進んだのだろうか。私たちの「科学」は今どこにいるのだろう。

今朝もわずかに残った西庭のカラスウリの花はまだ開いているだろうか。
見に行ってみよう。

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【Web更新8/19】12-34「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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酷なまで 肌灼かれたる 石榴かな 12/08/19 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-34
週末定例更新のお知らせ
 長年愛用してきたメガネが壊れた。以前に購入しておいた別のものに代える。
瑣末なことである。でも「記録」しておこう。
 失笑を覚悟で書いておく。先日のファラデーラボでの講演でも話題になった『ファラデーの日記』のことだ。
42年間にも渡って書き綴られた「記録」。実験・観察の記録、思考や試みの覚え書きそれをほぼ毎日記録しているのである。その記録の各パラグラフィに通し番号をつけておき、検索可能にしておきその記録を基点にして論文発表をしているのである。なんとすごい知の戦術だ!!
 そんなものとくらべること自体がお笑いだが、ちょっとだけ真似をしたくなってくる。
ほぼ毎日のblog発信、とは言ってもここ4~5年のことであるが、少しでもこの『ファラデーの日記』にあやかりたいという思いもあってのことだ。
 だから、どんな瑣末な出来事も記録しておこうと思う。ひょっとした後にそれが重要な意味をもってくるかも知れないのだから。

◆表紙画像2012  人里の植物 石榴の実
 その一週間でもっと気になる植物を、「俳句」という科学の方法を使って記録する。まだまだ「俳句もどき」の域を脱することができないのが現実だ。でも飽くことなく続けてみよう、そのうち…。
 残暑厳しい日々がつづく。朝から太陽が石榴の実の肌を焦がしていた。
秋になれば肌は焼き物の肌ような味わい深い艶を持ってくる。そしてぱっかり割れ、赤い身が…。
それはいつだろう。そのころはどうしているだろう。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 例の「今なぜ「日本理科教育史」なのか?」のシリーズを加えた。このシリーズも少し休憩する、この夏に学んだことも「寝かせて」みる。整理・反芻作業は続けるつもりである。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新
 試論の方も50回に達した。今年のメインである大人(私自身)の自由研究。
何をこそどのようにどこまで発表するか。
 これからの課題である。9月が近づいてきた。
 ゆっくり 楽しみながら 急ごう!!

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新・「自由研究」のすすめ試論(50)

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▼昨日で大賀ハスの蓮根を植え替えてから20週目つまり140日目であった。第8、第9、第10からすでに種子を採取していた。抜け殻の花托はまるで蜂の巣のようになって佇立している。
 考えてみると不思議なものだ。そして見事なものだ!!
こうして種は保存されたのである。検見川の泥炭地から発見されてからでも何度これを繰り返してきたのだろう。
いのちはツナガル!!
▼大賀ハスの開花観察の「自由研究」はひと区切りついていた。
さてここからだ。
・開花は螺旋的に 閉花は逆巻に
・鍵をにぎる一枚の花びらがある。
・第一日目定刻開花は目覚まし時計が埋め込まれている。
等々の仮説は正しかったのだろうか。
いくつかの観察したこと、記録したことをつないでみる。
そうここからは、
つなげる!ふかめる!ひろげる!
が大事なんだ。
▼「クマムシ」「ハグロトンボ」だって同じだ。つなげる!ふかめる!ひろげる!を繰り返しているいると永遠のテーマが浮かび上がってくるんだ。
一生かけても終わらないような究極の「ふしぎ!?」
・「生命と時間」
・「物質と生命」
▼たかが「自由研究」されど「自由研究」。
そこで聞いてみたくなるのだ。
科学研究を生業とする人たちの「ふしぎ!?」探検物語。
ぜひぜひ語りはじめてほしいな。
それこそがきっと最高の「自由研究」すすめになるだろう。
いやもういっぱい語られているのかも知れない。
私が知らないだけかも知れないな。だとしたら…

この試論を書きはじめて4年以上の年月が過ぎた。
番号をつけた分だけでも、50回になった。
どこまで続けることになるだろう。それは私にもわからない。
私のなかに「ふしぎ!?」があるかぎり続けたい。

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新・「自由研究」のすすめ試論(49)

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▼昨日、第14大賀ハスは開花5日目(?)をむかえていた。確かに午前3時30分ごろにはフリーズしたままであった。埋め込まれた時計は止まっていた。
 しかし日の出同時ぐらいに再び時計は動きはじめたようだった。
花びらと雄しべは解凍されドサリと落ちた。
ヤッパリ 開花5日目はなかったのである。
▼そのあとは、いつものように花びら雄しべの処理をした。
花びら15 がく4 雄しべ256
処理をしながら思った。あの自由研究「アカソナキヤ方式」を。

◆アカソナキヤ方式
 タリマエ を当たり前として流さずに
 ンガエテミルト けっこう「ふしぎ!?」なことはいっぱいある。 
 ウイエバ そのこと教科書に、本に、Webにあったような。
ントクナク でいい。その「ふしぎ!?」に予想をたててみよう。
ットコウナルハズ の私の仮説をたててみよう。
ッパリ そうだったか!!となれば、これは大発見だ。

ヤッパリ 大賀ハス開花4日間=「あこがれの4日間」のルールはほんとうだ。
でもフリーズしたのはどうしてだったんだろう。
次なる「ふしぎ!?」がよりルールを確かなものにしてくれる。
遊び心からつくってみた自由研究「アカソナキヤ方式」も、けっこう有効なのかも知れない。
▼第15大賀ハスの花芽があがってきてはいたが枯れてしまったようなので、この第14大賀ハスの花が今年見た最後の花となりそうである。
 そうだ!!ここらあたりで9月の報告を意識しながら、私自身の「自由研究」のまとめに入ろう。
・大賀ハス
 けっきょく私は、この夏10の花芽を見、9つの花の開花を観察したことになる。
 花びらと雄しべは保存している。画像たくさんも。
・クマムシ
 初期のねらいであるひとつはクリアしていた。校庭からクマムシをみつけ動画におさめる(Youtube)。
 しかし、「必勝クマムシ発見法の開発」はまだである。
・ハグロトンボ
 画像だけはけっこう撮った。はねをひろげる意味についてはひとりの専門家に聞いたのみである。

その他については若干の情報を集めただけである。
「発表」を射程内におさめ具体的にうごこう。 
▼生徒たちは「私の「ふしぎ!?」」と「自由研究」をうまくつなげることできているだろうか。
思わぬ「大発見!!」しているだろうか。
いや大発見でなくていいんだ。小発見でいいんだ。
小さな発見つなぎ合わせたら、私の「ふしぎ!?」の謎解きにつながるんだ!!
9月が楽しみである。

ゆっくり 急ごう!!>自分

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(15)

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▼「大賀ハスの開花は4日間である」これは、私のなかでやっと定着したルールである。これまで自分で育てて観察してきた13個の花はこのルールに従っていた。
 だから当然のこととして第14大賀ハスも開花4日目をむかえて、これが最終日と思っていた。
しっかりと観察し「記録」しておこうときめていた。
ところがお昼になってもその気配がなかった。「あれ!?開花日をまちがったのか」とも自分を疑った。
でも夕方が近づくに従い、つぎつぎと花びら、雄しべが散り始めた。
やっぱり開花4日間のルールは正しかったのだ。
▼ところが異変が起こったの次だった。花びら3枚と雄しべ多数を残したところでフリーズしてしまったのだ。
それでも夜になればと思い就寝するまで何度も見に行った。
でもフリーズしたままだ。
今朝も早朝より見に行った、しかしその状況はつづいていた。
自然を観察するとき、漫然と見るのでなく予想・仮説を持って観察しているとより面白い!!
ルールを作ってそれを適用するかたちで観察するとより豊かに自然が見えてくる。
例外はよりルールを確かなものにしてくれる。等々
みんな先達から教えてもらってきたことだ。
それが今だと思った。フリーズした大賀ハスが教えてくれた。
・開花4日間の「ふしぎ!?」
・どこに時計は埋め込まれているか?
・とんな「からくり」があるのか、生命と時間の「ふしぎ!?」
▼ところでこの「予想・仮説」を持って観察する、実験をすることに関連して注目しておきたい論文が1960年代に発表されていた。
「理科教育における「予想・仮説」着目史」(庄司和晃著『仮説実験授業』国土社刊1965.8.5 P82より) 
今から47年前、戦後20年を経た時点でである。
目次から拾ってみる。

「理科教育における「予想・仮説」着目史」
はじめに
§1. 仮説実験授業を発想したひと
§2. 着目史その1 - 新学習過程
§3. 着目史その2 - 理科実践論
§4. 着目史その3 - 予想実験をさせる授業
§5. 着目史その4 - 理科ノート方式
§6. 今後のことなどを含めて

「着目史その1」では、神戸伊三郎著『理科学習原論』をとりあげ、「着目史その2」では、高橋金三郎・菅野聡共著『理科実践論』に注目し、「着目史その3」では、井上弐喜「ふりこの等時性の授業」実践記録、「着目史その4」では、細谷純・永野重史・新田倫義「理科ノート方式による授業の創造と研究」に注目している。
 こうして見ると、その後の日本理科教育史の展開を考えるうえで重要な「現状分析」をしている。
今さらのごとく驚いてしまうのである。
▼それにしても実感するのは、「歴史」は地続きであるということだ。
ある時点の「事実」は突然として現出しているのではない。
それなりのバックグランドあり、「これまで」があり「事実」が点としてあらわれているのだ。
 問題は、この歴史上の「点」と「点」とつなぎあわせて、未来をどのように紡ぎ出すかである。
道は遠いのかもしれない。
 しかし、楽しみながら続けてみよう。

予想外の第14大賀ハス「開花5日目」。どうなっただろう見に行ってみよう。o(^o^)o ワクワク

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(14)

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▼今朝目覚めたら、久しぶりに東の空に明るく輝く金星、高くのぼってきたオリオン座、細く細くなってしまった月を見た。二日ずれていなかったことをうらめしく思った。昨日は67回目の8.15だった。
朝からせわしなく第13大賀ハス(8/9~8/12)の「整理」作業をした。花びらを黒い画用紙の上にならべ写真を撮る、拾い集めた雄しべを10のかたまりごとにセロテープでこれまた黒い画用紙に貼りつけながら数を数えていくのである。
 花びら16枚、がく4枚。雄しべの数は245本。やや大ぶりの花であったことがわかる。
「なんのため」と問われると即答に窮する作業である。
第14大賀ハスの開花第三日めであった。
▼極地方式研究会の「綱領」に1960年代日本理科教育の歩みの成果をみる作業をつづける。
綱領では「1.極地方式研究会のめざすもの」につづいて「2.授業実践には、テキストこう使う」
が書かれている。
 そのなかにこんな項目がある。

 教師が自分で納得できない限り、よい授業は成立しない。授業の成否はすべて教師のせいであり、テキストのせいではない。

なんともいさぎよい決意の表明である。
 氷上綱領((『極地方式入門』p39)では最後にあがっていたが、気仙沼大島綱領ではトップにあがっている。
▼そうだ、この「テキスト」の位置づけこそが極地方式研究会を特徴づけるのである。
そして教材をテキスト化していく営みを「テキスタイル」と呼んだ。
 ”テキスタイル”ということばは、いつとはなしに造り出され、使用されるようになった。”わたしたち”の造語である(textile=織物ではなくて、text+style=textyleである。)”わたしたち”が教えたい、わかってほしいと願う事柄がきまったからといって、それはまだテキストではない。テキストは、発問と、資料と、実験と、読み物などで構成されるが、とりわけ、どんな発問を、どんな順序で用意するかが重要である。いや、内容がきまってから「さて発問は?」というのでなくて、事例に関する発問、事例を法則の支配下に位置づけさせる発問、等を考える過程の中で、”わたしたち”の中に次なる内容が求められ、獲得されていくのである。
(『極地方式入門』(高橋金三郎・細谷純編、国土社1974.3.20) p174より)

なんともうまく言ったものだ!!
「これから」もぜひ使わせてもらいたい言葉だ。
▼思念を具現化していくためにはそれなりの方策と戦略が必要である。
それはいつの時代にも同じことである。
40余年の時空を超えて
「テキスタイル」は「これから」の理科教育に大きなヒントを与えてくれている。

今日は第14大賀ハス開花4日目である。
まもなく花びら、雄しべも散っていくだろう。時計仕掛けの生命は待ってくれない。
ゆっくり ゆっくり急ごう!!

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(13)

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▼第14大賀ハスの開花二日目であった。期待していた金星食がみられる日でもあった。しかし、残念ながら雷雨とそれをもたらす厚い雲の向こうであった。のちほどネットでその画像をみせてもらうことができたのはありがたかった。
 お盆の二日目でもあった、遊びに来た孫を相手にこの度手に入れた実験・教具で楽しんだ。
▼「日本理科教育史」1960年代の歩みから学ぶことを続ける。
行きつ戻りつの反芻作業である。
60年代の取り組みの成果として「極地方式研究会」は誕生した。
なにをめざした研究集団であったのか、それは「綱領」に書かれていた。
「綱領」などというといかめしいが、それは思念を具現化する「プログラム」(中村敏弘さん)のようなものだと言う。
▼発足当時の「綱領」を見てみる。

一 極地方式のめざすもの
  長い教育運動の結果として、わたしたちはつぎのことを確認した。
(1) 「すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教える」という目的を達成するのには、個人の授業努力だけでは限界がある。
(2) わたしたちの開発した授業方式をすべての教師のものにするには、どうしてもテキストが必要である。
(3) 教師の学習する内容・学習形態が同時に子どもの学習内容・学習形態である。
(『極地方式入門~現代の科学教育』高橋金三郎・細谷純編 国土社 1974.3.20 p38 より)

 「気仙沼大島綱領」(2012.8.11)では、この順番が入れ代わったり、文言に若干の付け足しがあるが、基本的にこの3つの思念は継続している。
 出だしの「長い教育運動の結果として…」の「長い教育運動」とは60年代もしくはそれまでの日本の理科教師たちの歩みを意味するのだろう。
▼40余年の時空を超えてこの思念は生き続けている。
だからこそ、ここから「これから」の理科教育の展望を引きだそうというのが私の遅々たる作業のねらいである。 

ゆっくり 急ごう!!

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【Web更新8/13】12-33「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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時経たり 我に教える 花ハスや 12/08/13 (月)撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】12-33
週末定例更新
  またしても、イレギュラーな一週間であった。週末定例更新まで一日ずれるかたちになってしまった。
それでいいと思っている。イレギュラーがあってこそ「定例」の意味も深まり、取り組みも「進化」していくものであると思っているから。
 さあ「定例」=Web更新/週、blog更新/日を繰り返そう。
 誰にもできること 誰にもできないほど 繰り返そう。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ 大賀ハス
 第14の大賀ハスが昨日(13日)開花をはじめた。6/19(月)に第6の大賀ハスが開花をはじめて以来9つ目になる。従ってまもなく2ヶ月になろうとする夏の日々は大賀ハスによって時間の経過を教えられてきたようなものである。それにしても律儀に開花4日間のルールは守られていた。
 留守にした4日間のあいだに「あこがれの4日間」むかえた第13の花びらが一枚が大きなハスの葉に乗っていた。開花の4日間をふりかえるように…。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 何のためらいもなく「今なぜ「日本理科教育史」なのか?」のシリーズをここに貼りつけている。
サイエンスコミュニケーターを宣言した私にとって、今もっとも緊急の与えられた「仕事」と思っているからである。
「日本理科教育史」の歩みから教えられること、それは必ずやこれからのサイエンスコミュニケーション最前線=「理科の授業」づくりに役立つと思うからである。

◆オンライン「寅の日」 更新
 やればやるほどこの企画は面白い!!
と思うようになった。だからもっともっと続けてみようと思う。
 そろそろ9月(9/2(日)、9/14(金)、9/26(水))の計画をたてたい。
何を読もうかな。どれも面白そうだから目移りするな。
 

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(12)

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▼8/9より4日間、家を留守にした。それはちょうど第13大賀ハスの「あこがれの4日間」と重なったのである。12日の夕方には、みごとに花びら雄しべが散っていた。どんな4日間であったのだろう。
受粉はうまくいったのだろうか。この後の花托の観察を続けてみる。
▼「教師の学習する内容、学習形態が同時に子どもの学習内容、学習形態である。」ハッとする言葉だ。研究会なかで若い人が口にするのを聞いた。極地方式研究会綱領にある言葉だ。
納得した。参加した甲斐があったと思った。
 教師自身が納得もしない、感動もしない「科学」を教室に持ち込んでも、授業は成立しない。アタリマエのことである。でも、それこそが鉄則中の鉄則である。
▼地続きで進行形の「歴史」のみが学びに値する。そんな「日本理科教育史」を追いかけたかった。
それこそが、「これから」につながると信じているからだ。
1960年代の歩みを知りたかった。
それには、その歩みから創り出された「極地方式研究会」のことをくわしく知るのがきわめて有効な方法であると思っていた。
▼「極地方式研究会とは」の問いには「綱領」を理解するのがいちばんいいと中村敏弘さんが言った。
「気仙沼大島綱領」の検討が最後にあった。
きわめて興味深い内容であったであった。
どんな歴史も不易と流行がある。このふたつは常に相互作用を及ぼしあいながら新しい歴史を創っていく。
 まだまだ繰り返しての反芻作業が必要なようだ。

やっぱりそうだった。今朝、今度は第14大賀ハスが「定刻」どおり開花しはじめた。
開花第一目である。


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気仙沼大島の椿は実っていた!

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▼三日ぶりのblog更新である。
気仙沼大島での極地方式研究会第43回定期研究集会に参加していた。
10日には、島内のフィールドワークにつれていってもらった。
あのテレビの画像を通して見た光景の 今 を見た。

昨日でちょうどあれから1年5ヶ月である。

フィールドワークの途中に見た椿の実が光っていた。
▼ずいぶんたくさんのことを学ぶことのできた研究会であった。
被災された方の生の体験談
気仙沼大島大地の進行形物語
フィールドワーク
子どもたちの姿が見えてくる授業報告
新・やさしく本質的実験の数々
等々
▼語るにはもう少し寝かせた方がよさそうだ。
ひとつだけ
学ぶのは、人から学ぶのがもっとも面白い!!
そして もっとも有効 !!


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本日、第11回オンライン「寅の日」!! #traday

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▼「残暑」とは言え、日射しはきつかった。そこでの作業はなかなかのものであった、しかしやっぱり知りたかったあのはじめての「水栽培」で育った大賀ハスの花が土がある場合とちがいがあるのか。留守にしていた8/4(土)に開花がはじまり、最終日8/7(火)も勤めで最期を見とることができなかった。雄しべも花びらもそこら一帯に散乱していた。草むらに隠れてしまったものもある。なんとか回収した花びらをならべてみた。雄しべは10づつセロテープで黒画用紙に貼りつけた。花びらは15枚、雄しべはぬ177本であった。もちろん未回収の分もあるだろうからこの一例だけから判断することは無理があるが、「やや小ぶり」という感じである。ちなみに同時に開花した観察池の方は花びら15枚がく3つ、雄しべ201本であった。汗だくの作業も、終了したときにはなんともいえぬ満足感があった。
▼今日、8月9日(木)は、例のオンライン「寅の日」である。
第11回目である。今回読むのは
◆「備忘録より「線香花火」「金平糖」など」(「青空文庫」より)
 はじめてから5ヶ月目に入る。まだ半年にもならない。
先日お話を聞いた中村敏弘さんたちのファラデーの「日記」を読むファラデー・ゼミは19年間年間続いたという。それも週一回のペースで翻訳しながらである。簡単に比較することはできないが、「19年間」という年月には感動するばかりである。
 こちらはどこまでつづくかわからないが、ゆっくりゆっくりと楽しみながらすすめてみよう。
▼毎回、毎回同じようなことばかり言うが、寺田寅彦という人はなんとも面白い展開の文章を書く人なのだろう。
身近なもののたわいもない話かと思いきやそれはいつしか「科学」の神髄にふれる話になっている。
なんとうまい展開だ。例にあげられるものは、私たちの「日常」にあるものだ。
今回の備忘録には、そんな面白い話がてんこ盛りだ。
なかでも「線香花火」「金平糖」は特に面白い。

それは今にもほとばしり出ようとする勢力(エネルギー)が内部に渦巻(うずまい)ている事を感じさせる。突然火花の放出が始まる。目に止まらぬ速度で発射される微細な火弾が、目に見えぬ空中の何物かに衝突して砕けでもするように、無数の光の矢束となって放散する、その中の一片はまたさらに砕けて第二の松葉第三第四の松葉を展開する。この火花の時間的ならびに空間的の分布が、あれよりもっと疎であってもあるいは密であってもいけないであろう。実に適当な歩調と配置で、しかも充分な変化をもって火花の音楽が進行する。
 
 
あとに残されるものは淡くはかない夏の宵闇(よいやみ)である。私はなんとなくチャイコフスキーのパセティクシンフォニーを思い出す。
 実際この線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある。

たかが「線香花火」一本ではないのである。それは「詩」であり「音楽」であるのだ。
そして、そして「科学」そのものでもあるのだ。と思ってしまうから不思議だ。
そう言えば今年はまだ「線香花火」を見ていなかった。
お盆にはやってみよう。そのときもう一回読んでみよう。
▼「金平糖」もそうである。
たかが金平糖ひとつ

しかしなぜあのように角(つの)を出して生長するかが問題である。

おもしろい事には金米糖の角の数がほぼ一定している、その数を決定する因子が何であるか、これは一つのきわめて興味ある問題である。  従来の物理学ではこの金米糖の場合に問題となって来るような個体のフラクチュエーションの問題が多くは閑却されて来た。

こんな調子だ!!

時間だ。私は、今日これから気仙沼に向かう。
どんな「ふしぎ!?」と出会えるだろう。

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(11)

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▼立秋の昨日は、やはり第11、第12(水栽培)の開花四日目であったようだ。朝に出かけるときは間違いなく咲いていた花は、帰宅したらすべての花びらを落としていた。かろじて何本かの雄しべが花托にまつわりついているのみであった。雨もすこしたたいたのかも知れない。いずれにして開花4日間のルールは守られていた。
やっぱり「ふしぎ!?」だ。どこに「時計」は埋め込め込まれているのだろう。
▼例の反芻作業続ける。
今回の限られた時間のなかでは少ししかふれられなかったが、資料がたっぷりとついていた。
1960~1970年の理科教育研究運動に関する資料である。
そのはじまりにいつも引用させてもらっている高橋金三郎の「呼びかけ」文があった。
 通信サークルのノート回覧は1960.06にはじまっている。
それに呼応するようにして東北の各地にサークルが誕生し活動をはじめた。
「失敗」集積作業がはじまったのである。
 それは、日本理科教育史においても初の等身大の科学教育研究のはじまりでもあったのであろう。
▼教室の「事実」を持ち寄る。それも失敗の「事実」を大切にしながら語り合い、学び合い、高めあう。
それが「日常」となるまで続けて行く。
 ものごとをはじめるのにはたいへんなエネルギーが必要である。
しかし、それにも増してものごとを続けるにはその何倍ものエネルギーと知恵が必要である。
▼「極地方式研究会は、1970年3月29日に発足し、第一回定期研究集会を、同年8月11,12日、宮城県鳴子町鬼首の国民宿舎「鬼首ロッジ」で持った。」(『極地方式の授業71』「これまでの歩み」中村敏弘より)
つまりこの1960~1970年の歴史とは、極地方式前史なのである。
その歴史には、「これから」を考える多くのヒントが詰まっている。

とりあえずひとつだけ中間報告を加えておこう。
(4) 教室の「事実」を持ち寄ることによってのみ、等身大の科学教育研究ははじまる。

まだまだ反芻作業はつづく!
ポンコツ頭を整理するのには時間が必要なのである。
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(10)

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▼何度みても大賀ハスの「あこがれの4日間」は美しいものである。第11も第12もこれまでの観察から考えると昨日は開花3日目のようだ。これは確定ではない、なにしろ留守にしているあいだに開花初日をむかえてしまったものだからこの眼で確認していない。今日8/7(火)には結論がでる。
▼科教協鳥取大会参加のため中断をしていた
◆「1960-1970年の理科教育---特に高橋金三郎と理科教育研究運動について」の反芻作業を続ける。
 ICレコーダーで記録させてもらったものを何度も聞き直してみる。何十年も連綿とつづいてきた営みをいっきょに理解しようなどというのはどだい私には無理な話である。
 しかし、その何百分の一でも理解しようと試みたくるなるのである。それほど興味深く、示唆的なものであった。
途中報告のふたつを再びあげる。
(1)変わり続けることこそが唯一の創造の方法である。
(2)ヒューマンネットワークこそが人々を創造に向かわせる。
▼反芻作業をつづけているあいだに、お話をしてくださった中村敏弘さんが『実験の目・工夫の目』(高橋金三郎著 評論社 1974)の「高橋金三郎と科学教育研究」のなかに日本理科教育史に関することを書かれた文があるのを思いだした。それはこうだ。

 ところで、日本の理科教育の歴史を研究して、高橋の考えたものはなんであったろうか。わたくしには、次のとらえかたが基本になっていると思われる。それは“理科教育は戦後急に変わったと思われているが実はそうではない。私の考えでは外見がどうであろうと、明治24年以来「理科ハ通常ノ天然物及現象ノ観察ヲ精密ニシ其相互及人生ニ対スル関係ノ大要ヲ理会セシメ兼ネテ天然物ヲ愛スルノ心ヲ養フヲ以テ要旨トス」が基本にあって今に続いている。”(『理科授業の改革』のまえがき 1962 明治図書)であり、“明治以来の理科教育史を調べてみると、結局、いつも同じ主張のくりかえしで、しかも、それが今日にいたるまで実現されない泥沼にあった。”(『理科実践論』)ことの認識である。
 この泥沼のような状態が続いたのは、“山ほどの失敗の記録を、教師個人のものとしてでなく、お互いに真剣に検討しあう”ことが欠けていたからであると高橋は指摘する。高橋はその最初の著『理科実践論』について、そのはしがきに“できるだけ失敗の経験を集め、そこから出発しようとしました”と書き、実際に泥沼を埋める作業を開始したことを宣言した。埋め立て第1号である。“成功の記録ではなく、失敗の記録をこそ大切にしたい”とまで言っている。(前記『実験の目・工夫の目』P303より)

なんと納得のいく文だろう。
そしてなんと今日的で示唆的であることか。けっして昔の話などではないのである。
▼反芻作業の途中報告がひとつふえた。
(3) 成功の記録だけでなく、失敗の記録を大切にするところからはじめよう!

日本の理科教育史にとって1960年代とは、高橋の言うところの「泥沼を埋める作業」がはじまった時代だったのである。
 それから半世紀がたった。そして今…

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【Web更新8/05】12-32「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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花びらの やわらかきかな 酔芙蓉 12/08/05 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-32
週末定例更新のお知らせ
 なんともイレギュラーな一週間であったことか。「日常」という言葉がなつかしく思えるほどの日々であった。
こんなときに人間の「人生」とよばれるような流れを大きく変わるものなのかも知れない。大洪水で川の流れが変わるように。

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ 酔芙蓉
 留守にしているあいだに大賀ハスに大きな変化があった。第11(「観察池」)、第12(「水栽培」)はすでに「あこがれの4日間」を迎えていた。それぞれが昨日が何日目になるのか、それは今日の観察でわかるだろう。それだけではない、第13の花茎は大きく伸びてきている。さらにはなんと第14の花芽がたってきているのである。
 大賀ハス観察池は家の東にある。家の西に似たよう色の花が盛りである。芙蓉である。
水芙蓉とはハスのことらしい。これは「木芙蓉」だ、いつも感心してしまうのはいにしえの人の観察眼だ。
朝は白っぽいのに、昼になるとお酒をのんでほろ酔い気分で赤くなるのから「酔芙蓉」とも言うらしい。
なんとよく観察していることだろう。
 花びらはしなやかでやわかくて熱風に翻っていた。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新 
 先週一週間のblog発信の話題はすべてこじつけも含めて、ここへ入れてしまった。
自分の文脈の中では違和感なくつながっているもので。

さあ、またまた非日常的な一週間がはじまる。
いちばん面白く思えるのは、この「日常」と「非日常」が交叉するところだ。
どんな出会いがあるだろう。楽しみである。

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「授業」を語り合うのは楽しい!!

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▼昨日は朝から晩まで、「授業を語り合っていた。「分科会」「授業作り講座」「ナイター」とずっとずっと続けてであった。まる一日である。でも不思議と疲れはなかった。寧ろ元気が蘇ってくるようだった。楽しかった!!
休憩の合間に見上げる米子の空は熱く青かった。
▼同じ単元で同じ教材を使って授業しても、どれひとつとしてまったく同じ授業などあり得ない。
生徒がちがい授業者が違えば違う授業が展開されるのである。今さらのごとくこのアタリマエにいたく感動するのである。違うからこそ面白い!そして「私の授業」を語り合うのは楽しいのである。
▼大会のレジメに鳥取大会事務局長 藤本俊秀さんの
「子どもも教師もワクワクする授業を~サブテーマに込めた思い~」
という文章がのっていた。そのなかでこう語っておられた。

 そして、私にとっては何度もやったことでも、「初めての生徒にいい加減な気持ちで授業を展開してはだめだなぁ」とも思いました。
 自分自身が「ワクワク」しながら授業に臨んでいない証拠でした。
 若い頃と同じような実践はしているのですが、気持ちの上で、「ワクワク感」「ドキドキ感」のあまりないまま授業に臨んでいました。
 鳥取大会をこのテーマにしたのは、自分への戒めも込めてのことです。今は、もっとワクワク感、ドキドキ感をもって授業に臨もうと思っています。

なんと真摯な言葉だろう。共感である!!
▼すぐれた教材は、最初からあるのではない。
子どもたちと一緒に授業のなかで作り出されるのである。このアタリマエに気づかされる一日だった。
その瞬間を記録したものを「実践報告」というかたちで「おすそ分け」していただけるのはとってもうれしい。
明日の「私の授業」を考える糧となる。

もういちどゆっくり読ましてもらおう。

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多くの「私の科学」と出会うのは楽しい!!

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▼家を出たのは早朝6時30分であった。2時間あまりで大山が待ってくれていた。久しぶりのその姿は雄大で美しかった。第59回科教協全国研究大会(鳥取大会)に参加したのだ。会場についたときは熱気いっぱいの「お楽しみ広場」がはじまっていた。
▼私は、この「お楽しみ広場」の雰囲気が大好きだ。
全国から自分のお気に入りの教材・教具・資料を持ち寄り披露・販売などをするのである。理科教師の「市」のようなものである。定番実験・観察も毎年バージョンアップされていた。それを見せてもらうのも楽しいし、新しい教材を手に入れることができるのもうれしい。これまでもずいぶんとお世話になってきた。
ものを手に入れるのありがたくうれしいが、その講釈する人に出会えるのもなおいっそう楽しい!!
それぞれの人が「私の科学」を語り始めるのである。
▼「私の科学」に出会えるのは、ナイターでも同様だった。
昨夜は「水圧のかかり方」(浜崎修)に参加させてもらった。実験をやりながら、ああでもないこうでもないと議論しながらすすめておられた。久しぶりにサークルの例会に参加したような気分になった。
 そこでもやっぱりいちばん面白いのはそれぞれの人の「私の科学」だった。ひとつの実験をめぐっての意見のなかにもはっきりと「私の科学」見えてくるのだった。
▼最後は、いつもお世話になっている理科ハウス、ファラデーラボの「私の科学」とオフをやった。
最高に楽しかった!!

さあ、今日はどんな「私の科学」と出会えるだろう。楽しみである。

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(9)

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▼ほぼ一日ぶり(25時間ぶり)に見る水栽培の大賀ハスは大きく姿を変えているように見えた。あふれ出た葉たちは倒れるように地面についていた。花の茎だけがすっと一本ますます背伸びしていた。蕾はあきらかにふくらみを増していた。まさに刻々と姿を変えて行っているのだった。
▼反芻作業を続けよう。
「まさに刻々と姿を変えて行っている」のは、大賀ハスだけではなかった。
一昨日に聴いた中村敏弘先生のお話に登場する人々も同様であった。
M.ファラデーに続いて「創造する東北の教師たち」の話を聴いた。
◆「1960-1970年の理科教育---特に高橋金三郎と理科教育研究運動について」
である。
 「同じ姿」を描くこと・「変わらない」ことは、それはつまりは「終わり」を意味するのである。
▼60年代に東北の教師たちがどのような思いで極地方式研究会を創りあげていったか。その軌跡、その歴史的「事実」は学ぶところが多い。
 その「事実」は、ファラデーの「日記」と同様に中村敏弘先生によって「記録化」されていた。
うれしい!ありがたい限りである。
これは結論ではない。反芻作業の途中報告である。
●変わり続けることこそが唯一の創造の方法である。
●ヒューマンネットワークこそが人々を創造に向かわせる。
▼「これから」を模索するなかで、このような記録化された軌跡をみるとき確かな光がみえてくるのである。
私はここで脈略もなくあの高橋金三郎も尊敬していたという農民詩人真壁仁さんの「峠」を思いだすのだった。

風景はそこで綴じあっているが ひとつをうしなうことなしに 別個の風景にはいってゆけない 大きな喪失にたえてのみ あたらしい世界がひらける。 峠にたつとき すぎ来し道はなつかしく ひらけくるみちはたのしい。 みちはこたえない。 みちはかぎりなくさそうばかりだ

さあ ゆっくり急ごう!!
今から米子に向かう。

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(8)

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▼8月の幕開けの大賀ハスは進行形であった。第8大賀ハスの花托は色づきはじめていた。何個かの種子が収穫できそうだ。それまでの第6・第7からは一粒も採れなかった。
そのとなりで第11の蕾がふくらみつつあった。
▼なんとかファラデーラボに駆けつけたときはすでに中村敏弘先生は来られていた。
歓談のあと豪華2本立ての話ははじまった。
◆「M.ファラデーの『日記』を読む----ファラデー・ゼミの実践」
◆「1960-1970年の理科教育---特に高橋金三郎と理科教育研究運動について」
お話を聞いて直後の感想だけを記しておこう。

ただただ圧倒されるのみであった!!

そして感謝!!

▼その圧倒されるものの正体は、このあとの反芻作業を経て見えてくるものかも知れない。ひょっとしたら私には見えてこないものかも知れない。
とりあえずは反芻作業を開始しよう。
まずは「M.ファラデーの『日記』を読む----ファラデー・ゼミの実践」からである。
ファラデーは1821.9.3からはじめて1862年まで42年間にもわたって「日記」を書き続けた。
「日記」というより、それは「業務日誌」のようなものであるという。この42年間という年月にも圧倒されるが、それを19年間も、自分たちで訳しながら読み続けた人たちがいるということに驚く。
1972年10月にはじまり、1991年9月末までつづいたという。
週一のペースで営々と続けられたという。もうこの「事実」だけでも圧倒されるというものである。
▼いろんな「歴史」みていくとき、いちばん面白いと思うのは、その「歴史」が進行形であると気づいたときである。
史実が現在進行形で語られるとき、きわめて説得力をもってくるのである。
私は、この取り組みの話をききながら、これは現在進行形だと思った。
この「思念」は今なお続いている。
 レジメに書かれた。

 すぐれた科学者の新事実・法則発見の手の内、頭の中を見ることができるならば、「科学の方法」もわかるのではないだろうか。多くの科学者は法則発見に使った足場は発見後取り外してしまい、他人には見せない。ファラデーは、それを残した。

の言葉は示唆的である。

まだまだ続く反芻作業!!
ゆっくり 急ごう。

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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(7)

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▼いよいよ8月が始まる。
7月最後の日、「水栽培」の大賀ハスの蕾が葉っぱのジャングルからニョキッと顔を出した。待望の「あこがれの4日間」に大きく近づいた。観察池の方も一歩遅れをとったが顔をだしつつある。ひょっとしたら、第11と第12は逆転するかも知れない。さらに楽しみが増えた、それは観察池の方に第13の花芽が見えてきたということだ。
考えてみると観察池の方と「水栽培」の方元をたどれば同じルーツをもつ。もっと溯れば我が家にやってきた一粒の種子だ。61年の歴史を溯れば千葉県検見川の泥炭層で発見された一粒に行き着く。
▼そうその「日本理科教育」もその系譜をたどれば同じところに行き着くということがあるかも知れない。
今日、中村敏弘先生からお聞きするのは1960年代(1960~1970)が中心だ。
半世紀の時空を超えて学ぶのだ。
 なんかわくわくしてくるのである。興奮を抑えるのに苦労するところである。
私自身は1975年に理科教師になった。それ以降のことならば不勉強ながらもある程度体験的にその「歴史」を頭に描くことができる。
 それ以前のことについては憶測・推測すぎない。今日は、その「事実」を知ることができる。
ありがたい!!
▼今日のお話は豪華二本立てだ。
60年代のお話に先立ち、19年間に渡って続けてこられたファラデーゼミ(ファラデーの『日記』を読むゼミ)のお話を聞く。
 ファラデーは42年間にわたって『日記』を書き続けてきた。
そこにはすべてを書き込んできた。日記にインデックスをつけて後ほど自分が書き綴ったものを活用したという。
なんとも示唆的である。
 そんなファラデー自身についてはもちろんであるが、19年間も『日記』を仲間と共に読み続けてこられたゼミにも感動であり興味深い。なにがそこまで継続させてきたのだろう。
▼「記憶せずに記録する」と言ったのは梅棹忠夫だ。(『知的生産の技術』)
それをていねいに永きにわたって実践してこられた中村先生は、教師が記録をかくことについて『教育実践検討サークル 創造する東北の教師たち』(1975年、国土社)の中で次のように言われている。

 『もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。  実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。』 (前著 P423)

なんとも示唆的である。
 ますます今日のお話が楽しみになってくるのである。

さあ!ゆっくり急ごう!!

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