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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(8)

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▼8月の幕開けの大賀ハスは進行形であった。第8大賀ハスの花托は色づきはじめていた。何個かの種子が収穫できそうだ。それまでの第6・第7からは一粒も採れなかった。
そのとなりで第11の蕾がふくらみつつあった。
▼なんとかファラデーラボに駆けつけたときはすでに中村敏弘先生は来られていた。
歓談のあと豪華2本立ての話ははじまった。
◆「M.ファラデーの『日記』を読む----ファラデー・ゼミの実践」
◆「1960-1970年の理科教育---特に高橋金三郎と理科教育研究運動について」
お話を聞いて直後の感想だけを記しておこう。

ただただ圧倒されるのみであった!!

そして感謝!!

▼その圧倒されるものの正体は、このあとの反芻作業を経て見えてくるものかも知れない。ひょっとしたら私には見えてこないものかも知れない。
とりあえずは反芻作業を開始しよう。
まずは「M.ファラデーの『日記』を読む----ファラデー・ゼミの実践」からである。
ファラデーは1821.9.3からはじめて1862年まで42年間にもわたって「日記」を書き続けた。
「日記」というより、それは「業務日誌」のようなものであるという。この42年間という年月にも圧倒されるが、それを19年間も、自分たちで訳しながら読み続けた人たちがいるということに驚く。
1972年10月にはじまり、1991年9月末までつづいたという。
週一のペースで営々と続けられたという。もうこの「事実」だけでも圧倒されるというものである。
▼いろんな「歴史」みていくとき、いちばん面白いと思うのは、その「歴史」が進行形であると気づいたときである。
史実が現在進行形で語られるとき、きわめて説得力をもってくるのである。
私は、この取り組みの話をききながら、これは現在進行形だと思った。
この「思念」は今なお続いている。
 レジメに書かれた。

 すぐれた科学者の新事実・法則発見の手の内、頭の中を見ることができるならば、「科学の方法」もわかるのではないだろうか。多くの科学者は法則発見に使った足場は発見後取り外してしまい、他人には見せない。ファラデーは、それを残した。

の言葉は示唆的である。

まだまだ続く反芻作業!!
ゆっくり 急ごう。

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