« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

大賀ハスが咲いた!! #oogahasu

Dsc_0138h1

Dsc_0264h1

Dsc_0975h1

Dsc_0989h1

▼大賀一郎博士が1951年に検見川で「大賀ハス」の発見をして今年で61年目。その種子を発芽処理して翌年1952年の夏はじめて開花した。だから今年は「大賀ハス」開花60周年になるんだ。この60年のあいだに全国でどれほど多くの大賀ハスが開花しただろう。私のささやかな観察池では7つ目になる大賀ハスが昨日開花した。
2008年 発芽処理
2009年 ひとつ開花 5つの種子を採取
2010年 開花しなかった。
2011年 4つが開花 23粒の種子を採取
2012年 現在のところ4つの花芽がたっている 
 今年は、ひとつは6/19に開花した。だから昨日開花したのは第7番目ということになる。
「あこがれの4日間」のはじまりだった。
▼大賀ハスは早起きだ。3時半頃から花弁がうごきはじめた。そして5時55分ごろ花の中心部がぱっくりと口をあけた。ここは瞬間だった。たしかに開花音伝説を生むのも納得させるものだった。
ここからはまるで生きもの(動物の)がごとく花弁が開いて行く。
スローにスローに。
中心部の花托、花托のステージ14の雌しべ、まわりに多数の雄しべ、昨年はこの本数をすべて標本にして数えた。今年も挑戦してみようかな。
▼これまでの観察から、私はいくつかの「ふしぎ!?」を研究していた。
ひとつは、この花びらが開いて行くときルール、システムに関する研究だ。
仮説をたてていた。
・花びらは螺旋的に順次開いて行く。閉じるときはその逆に閉じる。
昨年の観察でほぼ確信を持っていた。
昨日の観察では、いっきょにというのが目立って、ちょっと確信がゆらぎだした。
これからもっと入念な観察が必要だ。
今年は、もっと確かめたいことがいくつか出てきた。
・開花の時に出される「香り」の正体はなにか。そして、その作用は?
・虫たちと開花の関係。
・特に今年は蜘蛛が目立つ。蜘蛛はなぜここにいるのか。
どれもが関連する「ふしぎ!?」かも知れない。
▼午後の一時頃にはほぼ元の姿にもどっていた。
何枚の写真を撮っただろう。夥しい量の写真をふたつのカメラで撮りまくった。
この「記録」方法。「記録」したものをどのように有効活用していくか。
これも今年の大賀ハス研究の課題だ。

今朝の天気を心配していたが、あの金星も見えていた。
そして今、日が射しだしした。今日で2012年前半が終了だ。
さあ、第二日目の観察に向かおう。

Dsc_0304h1


| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(39)

Dscn6304

▼一年と数ヶ月ぶりに、校庭の朝の散策を再開した。コースもまったく同じで歩いてみることにした。坂道の石ころも林の木々も驚くばかり同じだった。ゆたかに季節をくりかえしていた。
 少しお目当てのものがあった。フェンスの向こう側にみつけていたホタルブクロだ、ひょっとしたらもう盛りをすぎているかもと少し心配だった。そんなことはなかった、そればかりでなく範囲を拡大してあの姿をみせてくれていた。
うれしいかぎりである。
▼夏休みの「自由研究」のことが話題になる季節である。
新・「自由研究」のすすめ試論の方も久しぶりに再開する。
久しぶりなので、これまでを少し整理して、「現在地」を確認しておく。
まず子どもたちの自由研究については「アカソナキヤ方式」を呼びかけていた。

 タリマエ を当たり前として流さずに
 ンガエテミルト けっこう「ふしぎ!?」なことはいっぱいある。 
 ウイエバ そのこと教科書に、本に、Webにあったような。
ントクナク でいい。その「ふしぎ!?」に予想をたててみよう。
ットコウナルハズ の私の仮説をたててみよう。
ッパリ そうだったか!!となれば、これは大発見だ。

これは、今年もつづけてみよう。
▼一方、私自身を含む大人の自由研究ではつぎのように「要点」をまとめていた。
【要点1】 私の「ふしぎ!?」=等身大の「ふしぎ!?」にこだわること
【要点2】 同じ「ふしぎ!?」を追う先達に学ぶこと
【要点3】 「情報は発信するところに集まる」
【要点4】 持続・継続すること
【要点5】 研究を楽しむこと

そうだ!
蛇足もあったんだ。
【蛇足その1】大人の「自由研究」は、コンテンツよりコンテクスト重視である!!
【蛇足その2】大人の「自由研究」はヒューマンネットワークを生み出す。

▼両方に共通することがある。
それは、等身大の私の「ふしぎ!?」から出発することと「研究」を楽しむということだ。
 今年は子どもと大人の「自由研究」の連携・連動に焦点をあててみたいと思う。
「科学」を道楽的に楽しむという視点で。
道楽的にというとやっぱり寅彦である。寅彦の「研究」にも大いに学びながらすすめよう。

とここまで書いて外に出て見たら、やっとあの金星がきれいに見えていた。
ヤッパリ の「発見」だ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(163)

Dsc_0994

▼どうやら私は例の持病の「ばっかり病」を発症しているようだ。「大賀ハス病」だ!
 でも自己弁護になるが、持病を発症しているときにこそそれまでに見えなかったことが見えてきたり、こちらに都合よく自然が応えてくれたりするものである。昨日の朝、観察池に第9の大賀ハスの花芽をみつけたのである。
それもかなりのびて来ていた。なんということだ!今年に限ってもあと三つの花の開閉を観察できるということだ。重なりがあるかも知れないが、単純計算すれば「あこがれの4日間」×3=12日間も楽しめることになる。
「ばっかり病」もありがたいものだ。
▼少し途切れ途切れになったが、サイエンスコミュニケーター2年目の夏休みの計画を立てていた。
サイエンスコミュニケーターの「これから」5項目に対応して計画をすすめていた。
3つまで一応終わっていた、残るはあとふたつ
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
である。
いずれも、特別に夏休みだからと言って特別に大きく前進するというものではない。
ただ、8月の前半には大きな研修会2つに参加する。
 他の人の実践に学ぶ機会があるということだから特に(3)については楽しみである。
 中学校に限定しているのは、自分が中学校ばかりにいた我田引水でもあるが、「中学校理科」こそキーになると思っているからである。
 小学校、高校の理科を軽視しているわけではけっしてない、大いにその実践から学ぶべきであると思っている。
しかし、やっぱりいちばんにキーになるのは「中学校の理科の授業」であると思っている。
▼(4)については、多くの人に学ぶなかで自然とつくられていくものだと思っている。
はじめに理想的なコミュニティありきではない。
それぞれの人の思いが交叉するところに自然発生的にコミュニティはつくられるものだと思っている。
だからこそフレキシブルである。
Twitter的=「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」
である。
▼人に会う機会の多い夏休みになりそうである。
5つに付け加えて、出会う人の「情報整理学」に学びたいと思っている。
すぐれた実践のバックボーンには、必ずやすぐれたそのひとなりの「情報整理学」があるはずだから、それを学びたい。そして遅々として進まない私の「整理」を前進させたい。

先ほど、第9の大賀ハスみてきたらまたますますのびているようだ。
今日もつづけよう「ばっかり病」!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【お薦め本】『理科の授業づくり』(広木正紀 ・内山裕之 編著 東京書籍)<続>

Dsc_0953

▼第7大賀ハスのつぼみがほんとうにまるまると膨らんできた。花が開くときに「ポン!」と音がするという伝説も思わず納得してしまうほどだ。先日面白いことを経験した、植物栽培にたいへんくわしい方と話をしていて、私が大賀ハスを育てていて、今花が咲きだしたと話をすると、なんとその人は「朝咲くときにポンと音のする…」と言い出されたのである。私は、6つの大賀ハスの花が咲くのをほぼつきっきりで観察してきた。あの一枚一枚の花びらが螺旋的に開いて行くのをつぶさに見てきた。一挙に咲くと言ってもそんな開花の仕方はしないのだ。でもハスを何年にも渡って育てられたことのあるこの「プロ」は「開花無音」を認められなかった。
 全国各地の観蓮会の季節が近づいている。どこかで「開花音」報告があるだろうか。
もしあったら、私はあの「プロ」に謝らねばならない。
▼「科学的」とはなんとも魔法のような言葉だ。使い方しだいでは毒にも薬にもなる。
この「科学的」とはどういうことかへの問題意識を大切にした授業づくりを言った、あの
◆『小・中・高一貫カリキュラムへの改革を先取りした理科の授業づくり (広木正紀 ・内山裕之 編著 東京書籍 2012.06.29)』
の紹介をつづける。
 編者は最初にこの書は「広場」あると言った。
読み進めるあいだにますますうまく言ったものだと思いだした。
多種多様の提案・提言に満ちているのだ。必ずしも同じ意見というわけではない、一見てんでバラバラのようにも見える。
しかし、それはアタリマエ。
「広場」にあつまってくるのはいろんな人がいるんだ。だからこそ「広場」なんだ!!
だが「広場」に集まった人には共通のキーワード・テーマがある。
それが「これからの理科の授業づくり」だ。
▼「授業」に関わることは、こんなにもたくさんあるかと驚くばかりだ。
「授業内容・教材」の第一章につづいて
2章 授業方法の工夫例と、支える学習論 (7)
3章 授業計画と授業案 (8)
4章 授業とつながる、周辺からの工夫の例 (3)
5章 「総合」や「連携」の実践を工夫する (11)
6章 これからの理科教育を考える (8)
7章 教師の自己研鑽 (7)
( )の中は提案・提言の数である。全部44ある。これは一章と同じ数だ。
だから全部で88項目にも及んでいるのである。
「なるほど!その通り!!」と膝をたたきながら読んだものもある。
読むまでまったく知らなくてはじめて知り「発見」したこともある。
なかには、「それは違うんではない」と自分と違う意見にも出会った。
読み進めるうちに、私はこの「広場」の人に直接会ってみたい気分になってきた。
▼実は、私もこの「広場」に集ったひとりなんだ。
拙い文をふたつ書かしてもらっている。
◆25 ヒガンバナをWebど追う~教材化への道求めて~
「ビカンバナ情報2011」
◆76 「新・私の教材試論」の今~Web・SNS・blog・Twitterを活用して~
新・私の教材試論
 いずれも、現在なお進行形である。また、こちらも読んでいただきご意見いただくとうれしい。

最後にもういちど編者の言葉を引用させてもらう。
 

本書は、これからの時代の教育を展望した、ささやかな取り組みの一歩にしたいと思います。

繰り返す。これは「はじまり」の書である。
「これからの理科の授業」を考えるすべての人にお薦めです。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【お薦め本】『理科の授業づくり』(広木正紀 ・内山裕之 編著 東京書籍)

Dsc_0904_2

▼第7の大賀ハスがどんどん花茎をのばしてきた。いつの間にやら葉を追い越して観察池の中心に立った。花茎の高さは、69㎝である。過去最高である。それを追いかけるように第8がのびている、62㎝である。
 葉もかつて無いほどに巨大になってきている。「見る見る間に…」はけっしてオオバーではない。
巨大な葉っぱで光合成をして、栄養たっぷり蓮根に貯めそしてそれを使いどんどんのびていく。
これが植物なんだ!!
 それにしてもやっばり「ふしぎ!?」なんだ。
▼その「ふしぎ!?」の謎解きをやるのが「理科」なんだ。
そんな「理科の授業」について、私はかつて
「授業こそ教育実践の最前線である」
「授業は最大の学校行事である」
さしてすぐれた授業実践があるわけではないが、繰り返しそう言ってきた。
そして「サイエンスコミュニケーター」を名のりだした今も言う。
・理科の授業こそサイエンスコミュニケーション最前線である。
・理科の授業に携わる教師は最前線のサイエンスコミュニケーターである。
と。
 そんな「理科の授業」づくりにとても参考になる書が出た。
『小・中・高一貫カリキュラムへの改革を先取りした理科の授業づくり (広木正紀 ・内山裕之 編著 東京書籍 2012.06.29)』
 タイトルもズバリ『理科の授業づくり』だ。
▼結論から言う。
この本は「これから」の本である。
「はじまり」の書である。
編著者の広木正紀氏は「はじめに」でこの本についてこう言っている。

本書は、理科や周辺領域の教育や研究に携わってきた者たちが、自らの実践や研究を通して編み出してきた教材や授業の工夫を出し合って、情報や意見を交換しあう、いわば”広場”です。

その思いは、みごとに実現している。
さらには「これからの時代の授業づくり」について、3つの問題意識を大切にすることを主張する。
1.現在の教育に関わる様々な枠組み(校種、教科、学問分野、教える人と教わる人、プロとアマ、公と民、理系と文系、……等々)への問題意識を大切にした授業づくり
2.価値の多様性への問題意識を大切にした授業づくり
3.「自然との関わりにおいて、また、学ぶプロセスにおいて、”科学的”とはどういうことか」への問題意識を大切にした授業づくり

いずれも納得できる主張・提言である。
そしてこの書はみごとにそれらを具現化している。
▼「はじめに」につづいて広木氏が作成された
「幼・小・高を通した、理科及び関連領域の学習内容表」がある。
さりげなく記載されているが、ここにこの書のもうひとつ主張「小・中・高一貫カリキュラムへの改革を先取りした」
がある。ありきたりのようで現実はそうではないのだ。今日の授業がどこに位置するのか常に意識したいものだ。
この表を何枚もコピーしておいて、常にその「授業」を考えるときチェックしたいものだと思っている。
 また、私はこの書において、これにつづく各種提言を読みながらもこの表を何度も見返してみた。
きわめて有効な表だ。
▼次に「授業内容・教材」に関する工夫の事例があがっている。
44もの豊富な事例があがっている。
物理(12)、化学(11)、生物(12)、地学(7)、科学と人間(2)である。
どれもこれも興味深い。もちろんすべてを網羅しているわけではない、これはあくまで事例にすぎない。
アタリマエのことである。
 どの事例も共通していることがある。それは「これから」の理科の授業づくりに向けた提言・提案である。
だからこそ「授業」で具体的にどうするのか。そこはていねいに書かれている。

さらに別の工夫があるかも知れない。それでいいのである。別の工夫がうまれるきっかけになればそれこそ著者・編者の意図するところであろう。
 これは実践報告の書でないし、また単なる実験・観察のマニュアル本でもない。
明日の授業づくりに向けた書なのである。

まだまだある。一日では無理なようだ。
明日につづける。

<つづく> 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【Web更新6/24】12-26オンライン「寅の日」更新 #traday

Dsc_0820


南天の 花に気づくや 年半ば 12/06/24 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-26
週末定例更新のお知らせ
 「可能なものの領域を汲みつくせ」は私の永遠のテーマであり、方策である。不可能な領域にあこがれて無為な日々をおくってはならない。と自分に言い聞かせてみるが、なかなかむつかしいものである。
新しい週がはじまる。できることを繰り返そう。その繰り返しをひとは「更新」という。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ 南天の花
 私はこの南天の花が大好きだ。紫陽花も今が盛りときれいだが、またそれとは違った魅力をもっている。
薄いピンクのグラディエーションがかかった白い殻。中から黄身の蕊たちが顔をだす。それは小さな卵の集合体のように見える。この卵の割れ出すころ一年の半分が終わるのである。2012年の折り返し点はまもなくだ。
2013年の新年を迎える頃には、この小さな卵の集合体は、赤い祝いの実の集合体になっているであろう。

◆オンライン「寅の日」 更新!
 まだルクレチウスを繰り返している。なかなかむつかしい、難所にぶち当たる度に自分に言って聞かせる。
等身大に読め!
自らの文脈にひきつけて読め!
もともと「道楽」ではじめたことでないか!
と。
とりあえず6月いっぱいは「ルクレチウスと科学」を続ける。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新 
サイエンスコミュニケーターとしての2年の夏の計画をたてていた。
5つの「これから」に従ってすすめていた。
3つまできた、あとふたつの「これから」だ。

ゆっくり 急ごう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ファラデーラボで「真空」をつくった!!

Dsc_0565

▼私の大賀ハス観察池は、今期の蓮根植え替えから12週目であった。今期最初、観察池自体では第6番目にあたる大賀ハスの花の「あこがれの4日間」は一昨日終わった。次の第7、第8の花茎もぐんぐんのびてきている。特に第7は池の中心部かつてないほどに背が高くなってきている。今度はどんな「あこがれの4日間」を展開してくれるのか楽しみである。
▼昨日はかねてより計画されていたファラデーラボの「真空のかがく」に参加させてもらった。予想どおり、実に楽しい会になった。
私としては、オフライン「寅の日」のつもりで楽しませてもらった。
最初に、「真空ポンプ」の工夫をいろいろと教えてもらった。
自転車の空気入れを利用しての真空ポンプはとても興味深かった。
次に水の状態変化を利用しての「真空」づくりの実験の紹介があった。何度見ても面白い実験ばかりである。
これらの実験を通して、生徒たちにイメージされていく「真空」とは?
▼「真空」づくりの科学・技術史上もっと有名な実験「トリチェリーの真空」を見せてもらった。
やっぱり実際にやってみ
ると、なかなか「真空」を実現するのはなかなかむつかしいのだ!!
17世紀の半ばである。(人間の歴史からすればごく最近!!)
 アリストテレスに決着をつけるには、ここまで長い歴史を要したのである。
でもすべてが決着がついたのではない。私の内なるアリストテレスはすぐ顔を出すのである。
▼最後になったが各自で「マグデブルク半球」をつくらせてもらった。
森本先生のこれまでの試行錯誤の結果実現した「マグデブルク半球」である。いたるところにオリジナルな工夫があった。
「よくぞ、そんなことを考えられたな!!」と驚嘆するばかりである。
科学史は技術史と独立してあるわけでないことがよくわかる。

「真空」のレベル、「真空とは?」について最後に少し話し合った。面白かった!!
それにしても「真空」とは、「ふしぎ!?」だ。
ルクレチウスが「アトム」とセットで提案した「空虚」(真空)!!
「真空」の「ふしぎ!?」の謎解きは、原子論的物質観形成と深く関係していることはまちがいなさそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ルクレチウスから何を学ぶのか? #traday

Dsc_0036

▼なんと律儀なやつなんだろう。大賀ハスは開花4日目だった朝の9時にはすべての花びらを落としていった。台風4号の接近の朝開花をはじめて昨日で4日目だった。この間、暴風雨もあったというのに、「あこがれの4日間」のルールは守られたんだ。やっぱり「ふしぎ!?」だ。
▼「ふしぎ!?」と言えばルクレチウスも結局この「ふしぎ!?」の謎解きをやってみせてくれたのではないだろうか。そう思えてきた。
 世界は「アトム」と「空虚」からつくられるといい。あらゆる「ふしぎ!?」をこれで説明してみせた。
それは単に物質の「ふしぎ!?」だけではなかった。生命や宇宙の「ふしぎ!?」にまで及んでいた。
紹介する寅彦も4巻紹介の前に言っている。
 第四巻に移るに当たって、私は以上の三巻を取り扱って来た私の紹介の態度と方法に多少の変更を加える必要を感じる。

 以上紹介したところによって、私はルクレチウスの根底に存する科学的精神の一般的諸相と、彼の元子説のおもなる前提ならびにその運用方法の概念だけを不完全ながら伝えることができたように思う。以下の三巻に現われるこれらの根本的なものは、多く述べきたったものの変形であり敷衍(ふえん)であるとも見られる。
 また一方、以下各巻に現わるる具体的の自然現象の具体的説明となれば、これらはそのままでは当然現在の科学に照らした批判に堪えうるものではない。

▼ならば科学者寅彦がかくも熱くルクレチウスを語るのはなぜか。
それはきっと「科学とはなにか?」の問いに対する答えがあると感じたのであろう。
「科学の方法」
「科学的なものの見方」
「科学的精神」
「科学魂」
などにいたく共感するものがあったのではないだろうか。
2000年の時空を超えて「ルクレチウスの科学」に共感した寅彦!
私たちはその「寅彦の科学」に80年の時空越えて感動するのである。
▼ここで「私の科学」のレパートリーに「ルクレチウスの科学」を加えてみようと思う。
「常民の科学」
「熊楠の科学」
「等身大の科学」
「高いレベルの科学」
「デクノボーの科学」
そして、「ルクレチウスの科学」と。
内なるアリストテレスが出現したときは「ルクレチウス」を!!

今日も自分とちがう「私の科学」に出会いに行く。楽しみである。

Dsc_0108


| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日、第7回オンライン「寅の日」!! #traday

Dsc_0239

▼やっぱり大賀ハスは開花三日目であったようだ。朝出かけるときは、まだ半開きだったものが帰宅して見に行くと午後でも閉じずに開きっぱなしになっていた。降り続く雨の影響だろうか。
それにしても「ふしぎ!?」だ。4日間だけ開閉を繰り返す、どんなからくりになっているだろう。
今年は、最初の大賀ハス開花から60年になるという。世代がかわってもこの開花のルールは変わらず律儀に繰り返してきた。どこにこのからくりの秘密がかくされているのだろう。「ふしぎ!?」だ!!
▼今日は第7回オンライン「寅の日」である。
第6回に引き続き「ルクレチウスと科学」を読んでいる。
何度となく暗礁に乗り上げる。もう断念しようかと思いつつ、しばらくしてまた気を取り直しちびりちびりと続けている。少しずつ読み方が変わってきた。
最初は『宇宙をつくるものアトム』(ルクレチウス著 国分一太郎編 少年少女科学名著全集 国土社 1965.3.25)を最初に読んでおいてから、寅彦の文章を読んでいたが、今は寅彦の各巻の紹介文章を先に読んでおいてから、『物の本質について』(ルクレーティウス著 樋口勝彦訳 岩波文庫 1961.8.25)を読むようになってきた。
 それにしても、はっきり言って私には難解すぎる。
▼このパターンでもあきらめそうになると、寅彦の後記を読むようにしている。
そうするとこんな文章に出会う。

  現代の科学がルクレチウスだけで進められようとは思われない。しかしルクレチウスなしにいかなる科学の部門でも未知の領域に一歩も踏み出すことは困難であろう。
寅彦がそこまで言うのだからと、また挑戦してみるのだ。 私にとっては次なる文章もまたヒントとはげみになるのである。
 今かりに現代科学者が科学者として持つべき要素として三つのものを抽出する。一つはルクレチウス的直観能力の要素であってこれをLと名づける。次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一(オクタント)空間を考え、その空間の中の種々の領域に種々の科学者を配当する事ができるであろう。

さらに続けてこうだ。

 誤解のないために繰り返して言う。ルクレチウスのみでは科学は成立しない。しかしまたルクレチウスなしには科学はなんら本質的なる進展を遂げ得ない。  私は科学の学生がただいたずらにL軸の上にのみ進む事を戒めたく思うと同時に、また科学教育に従事する権威者があまりにSK面の中にのみ学生を拘束して、L軸の方向に飛翔(ひしょうせん)とする翼を盲目的に切断せざらん事を切望するものである。

▼6月いっぱいは、読み続けてみようと思う。
少しだけ他の人が読むとどのように思うのだろう。そのことが知りたくなってきた、オンラインでももちろんのことだが、オフラインでも顔をつきあわせて聞いてみたい。
 幸い明日、いろんな部門の先達たちに出会う機会がある。少し話題にしてみようと思う。

雨だとあきらめていたのに、晴れてきた。
大賀ハス開花4日目の観察に向かおう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(162)

Dsc_0979

▼どうやら一昨日(19日)を第6大賀ハスの「あこがれの4日間」の第一日目と判断してよさそうそうだ。というのは昨日完全に開花してきたからだ。昨日も花びらはこれまで観察してきたように早朝より徐々にというわけではなかった。あきらめて出かけようとした7時過ぎだった、それは一挙にやってきた。「ポンと音がする」と思われてきたことを納得されるほど劇的であった。開いたなかに輝くように花托と蕊たちがいた。
 でかける時間ぎりぎりまで魅入っていた。
▼サイエンスコミュニケーター2年目の夏休みの計画をたてていた。
5つの「これから」に従って考えていた。(1)、(2)ときていたが(3)、(4)を後回しにして
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
そもそもなんで私ごときが仰々しく「日本理科教育史」などと言い出したのか。
それをふり返ってみる。
 昨年の11月、サイエンスアゴラ2011を見学にいった。たいへんたくさんのことを学ぶことができた。
楽しませてもらい、さらには多くのことを教えられた。お世話になった人々に感謝である。
ただ、私にはどうしてもなじめないなんとも言えない違和感があった。
 それがどこからやってくるものなのかを知りたかった。
3.11以降の「これから」科学教育・サイエンスコミュケーションが問われいた。
 私としては現状の「理科教育」、これからの「理科教育」「理科授業」のことがあたまにあったせいかもしれない。
その話題が出てこないのが不思議だった。
 そこで、そもそも「日本の理科教育」はどんな歴史を持っているのか知りたくなった。
そして、「日本の理科教育」の現在地を、そして私の現在地を確かめたくなったのだ。
▼とは言っても浅学な私のことだ、手は一つしかないいつもの無手勝流だ。
数ヶ月をかけて大まかなながれだけが見えてきた。
そして、ひとつの習慣が身についてきた。
教材をみても、あるいは過去の科学者にふれても、その「日本理科教育史の年表」にあてはめて見ることだ。
この夏休みを利用して今度は、現代から歴史を遡行することを試みてみようと思う。
「時間」は遡行しない。
しかし思考の「歴史」は遡行できる。
・現代とつなげるかたちで考える。それが現在進行形ということ。
・過去は変えることができないが、未来は変えることができる。
 「これから」の理科教育を射程に入れて考える。
・等身大に考えていく。
・現代を起点に考えていく。
等々
大風呂敷はこれぐらいにしておこう。
▼幸いなことに、この夏に戦後の日本理科史にくわしい大先達のお話を聞く機会がありそうだ。
お話を聞くまでに少し自分でもまとめておいて、いっぱい質問して大いに学びたいものだ。

さあ、三日目の大賀ハスが開きはじめているころだ。
Dsc_0966

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

6/23(土)ファラデーラボで「真空のかがく」!!

Dsc_0559

▼私はこれを「あこがれの4日間」の第一日目と判断してよいのか迷っていた。今年になっていちばんめの大賀ハスがあきらかにひらきかけはしていたが、思っていたようになかの蕊が見えるまでにいたっていなかった。台風4号の接近で風雨は激しいなかであった。ついには警報もだされた。
 この後すぐ出かけ、帰宅するとまだ花は完全に閉じていなかった。観察しないあいだにあれ以上に開いたとは思えなかった。
▼それにしても、6月の台風はたくさんの雨をもたらし、駆け足で列島を縦断していった。テレビで何度も近くが映し出されていた。びっくりである、まだまだ油断は許さない状況であるが…。さらに大きな被害がでていないことを願うのみである。台風通過の状況をいつもの「マイ気象台」で観測していた。
 今朝起きて再度確認をしてみた。それはみごとにアタリマエを「記録」していた。接近にともない気圧はさがり遠ざかるに従って気圧は回復していた。やっぱり気圧こそ天気の変化のバロメーターであるのだ。
▼ゲーリケがついに「真空」を手に入れ、空気の重さをはかりそれと天気の変化の関係に気づいたのは17世紀半ばであったはず。そんな古い話ではないのである。ゲーリケはどのようにして「真空」を手に入れ、大気圧の大きさを示すあの「マグデブルクの半球」に至ったか。実際にマグデブルク半球をつくってみながら、それにまつわる「真空」について学ぶ興味深い会が今週末にファラデーラボである。
ファラデーラボ便り より

第27回 かがくカフェ 真空のかがく
日時 6月23日(土) 14:00~16:00
場所 ファラデーラボ
内容 ・マグデブルクの半球と注射器空気ポンプ作り等

 くわしくはファラデーラボ便りを参照してほしい。
▼今、私はオンライン「寅の日」で「ルクレチウスと科学」を読んでいる。
ルクレチウスは言った。「はじめに原子と空虚ありき」と。
 原子論的物質観にとって「空虚」(真空)は重要な意味をもつ。それを具体的な実験をともないながら学ぶことはとても興味深い。参加させてもらって多くを学びたいと思っている。

 それは、私にとってはオフライン「寅の日」のようなものになると思っている。
楽しみである。
Dsc_0761


| | コメント (2) | トラックバック (0)

【Web更新6/17】12-25オンライン「寅の日」更新 #traday

Dsc_0193

水玉の 今日ものせたり 紫陽花や 12/06/17 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-25
週末定例更新のお知らせ
 Twitter1000日記念日のため一日ずれた更新のお知らせになった。
一日にふたつの記事を書けばよかったのかも知れないがそれはしない。それは私が勝手に決めている「鉄則」だ。Web一更新/週、blog一更新/日それは私のなかでのルールだ。
 今、私にできることは「誰にもできること」を黙々と、粛々と「継続」するだけ!

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ 紫陽花
 いにしえの人の「観察眼」とはたいしたものだ!
 これは「藍」を集めた花とは…。諸説あるそうだが、やっぱりこれが説得力をもつ。
また語源をたどれば「水の容器」だそうな。これもたいしたものだ!
「見る力」は、科学のはじまりである。特別のものである必要などなにもない。
アタリマエをいにしえの人の見方にも学びながら見続ければたくさんのすばらしい「発見」ができそうな気がしてきた。台風接近してきているようだ。我が家の庭の紫陽花は今朝も水をいれ続けていた。

◆オンライン「寅の日」 更新
 あいかわらずルクレチウスに向かい続けている。
2000年以上前のこんな詩が、21世紀の今ほんとうに有効なんだろうか。
80年前、あの寅彦は何故かくも熱くルクレチウスを語ったのか。それがほんとうに理解できるのはまだまだ先のようだ。
 でも少しずつ「私もルクレチウスの末裔である」に気づきはじめてきたのは確かだ。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 6月に入って、私は「サイエンスコミュニケーター宣言」を再開した。
あえて一年目の「続き」として、再開した。
180年前のファラデー、100年前のウェゲナーから出発した昨年の地続きとして、今年もとらえたかったからである。サイエンスコミュニケーターとして2年目の夏の計画をたてている。
それは、今週もつづけてみる。

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

Twitterはじめて1000日目に思うこと。

Dsc_0408

▼それは、私の大賀ハス観察池で6番目の花の「あこがれの4日間」を待っているときだった。浮き葉のすきまから新たな花芽が顔を出していた。やった!!第8の花芽の誕生だ!!
 今年になっては3番目である。またまた新たな観察が可能になったのである。新たな展開は、心躍らせるものがある。それは、なにごとにおいてもである。
▼今日は、ちょっとした区切の日なんだ。
それは、私がTwitterをはじめて1000日目の日なんである。
2009/09/23にひょんなことからはじめた。そのうちすっかり夢中になってしまって地球は1000回転もしてしまった。100回転ごとに「○○○日目に思うこと」をここに書いてきた。
新・クラウド「整理学」試論にそれを残していた。
あらためて読みかえしてみた。自分でも驚くほど同じことを繰り返し語っていた。
▼一番最初の100日目の頃に書いていることがすべてであった。そこに初心があった。
少し引用してみる。「私のTwitter入門」と称して10のステップを設けていた。

【ステップ1】blogとつなごう。とりあえずblog更新の度に「つぶやこう」。

【ステップ2】自分のTLをコントロールをしよう。

【ステップ3】「情報は発信するところに集まる」ここでも有効である。

【ステップ4】等身大の「つぶやき」をつづけよう。

【ステップ5】SNSとTwitter「つぶやき」でつなごう。

【ステップ6】三行レポをTwitterしよう。三行レポの内容は授業報告、実験・観察報告等々である。

【ステップ7】研究会・イベントを「tsudaる」って、「おすそ分け」をしよう。

【ステップ8】Twitterでリアルタイム「自然の観察」やろう。

【ステップ9】Twitterでリアルタイム教材情報を入手しよう。新鮮!!「今」を教材化しよう!!

【ステップ10】Twitterで「授業研究」をやろう。


また、その有効性についても熱くこう語っていた。
・これは単なるツールではない、メディアであり、メソッドあり、コンテンツそのものである。

・ネットの最も原始形それがTwitterである。

・原始形だからこそ、如何様にも進化する可能性を持っている。

・Twitterは「カオス」であり、その分だけ「クリエイティブ」である。

・Twitterは幹細胞のようなもの、いかなる器官にもなりうる。全能性をもつ。

・Twitterは、今、もっともTwitter的である。

ここらあたりからTwitter的を意識して使い始めていた。
▼「Twitter的」はあらゆる場面で使ってきた。
Twitter的=「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」
そして900日目に、もうひとつ「アクティブ」を加えた。
この6つの概念、キーワードをミックスしたものそれをTwitter的と呼んできた。
Twitter的は必ずしも、Twitterそのものを意味しない。
Twitter的は、刻々と更新を繰り返す。進化しつづける。
Twitter的は、いつも進行形で語られる。

最近はFacebookとの連動も進んできた。
1100日目のTwitter的はどこにいるだろう。楽しみだ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(161)

Dsc_0147

▼水玉とはなんとまん丸な球であるのだろう。大賀ハスの葉をコロコロところがる水玉も面白いが、つぼみにあやうく乗った球も実におもしろい!!
 大賀ハスは蓮根の植え替えから11週目である。
私にとって第6の蕾は本格的にふくらみを持ってきた。「たが」に相当するだろうと思っていたがくがはがれてきた。これが「あこがれの4日間」の前兆と思ってきた。それが本格的な梅雨の雨に打たれてはがれおちてしまった。
さあ、いよいよのようだ!!
▼サイエンスコミュニケーター宣言の「夏の計画」をつづける。
私自身の自由研究のつづきを書き留めておく。
書くだけになるかもしれないことは承知の上で、書くことによって意識にとめておけばどんな「偶然」がおこるかわからないから。
・「コウガイビル」を追う。
 261日間の「再生」のドラマとつきあってから、少し時間が経ってきている。まだまだ「ふしぎ!?」を追うことをやめたわけではない。少し休憩しているだけ!!
・「丹生」を追う。
 この夏には全国を動く機会も多いだろう。いつも意識しておきたい。
・姶良火山灰を追え
 こちらもずいぶんと遠ざかっている。しかし、まだ道半ば…。
「磁石石」研究のこれまでをまとめる。
▼次を続けよう。
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。 
 より積極的に夏休みを利用して行われる研究会・研修会に参加しようと思う。

・ファラデーラボ
 次々と楽しい企画が持ち上がっている。この夏も大いに学ばせてもらいます。
・科学教育研究協議会 第59回全国研究大会鳥取大会(8/3(金)~5(日))
 比較的近くで行われる大会だ。可能な限り参加させてもらいたいと思っている。
これまでもずいぶんたくさんのことを学んできた大会である。
どんな新しい出会いがあるか。なにを学べるか楽しみである。
・極地方式研究会 第42回定期研究集会
 一年ぶりの東北である。昨年に引き続きぜひ参加させてもらいたいと思っている。

その他にも、時間の許すかぎり動いてみたい。
▼動くからこそ見えてくることもある。
やってみてこそはじめてわかることもある。
思っていた通りになんていうことは一度もない!!
動けばいつも思っていた以上のものを手に入れることができる。
そうして学んできた。それが私の学びの作風だ。
いつも無手勝流の私にはそれしかない。

この夏もこの「作風」をとおしてみよう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(160)

Dsc_0020

▼第6大賀ハスの蜘蛛も気になるところであるが、第7大賀ハスの成長も見守っておかなければ。
この調子だと連続して開花の観察ということにもなりそうだ。
 今年の開花の観察で何を明らかにすればいいのか。今一度確認をしておかなければと思っている。
それが私自身の夏休み自由研究のひとつ目のテーマだ。
▼そうだ、サイエンスコミュニケーターとして2年目の夏休みが近づいている。
今から少しずつ計画を立てていこう。
その前に、サイエンスコミュニケーターの「これから」を再びあげておく。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
▼5つはそれぞれ別々のことではなく深くつながっているが、ゆっくりな私には同時に考えるとパンクしてしまいそうなのでひとつずつ計画していこうと思う。
まずは
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
である。これでいちばんにやりたいのは私自身の夏休み自由研究である。
思いつくものから羅列してみる。
・大賀ハス開花の観察
 開花のメカニズムを観察から追求してみる。
・クマムシの動画を撮る。
 せっかく手に入れたデジタル顕微鏡である。フルに活用してみよう。
・「マッチ一本 化学の元!」
 姫路の地場産業を道楽的に研究する。動きはじめよう。
・ピンホールカメラの製作
 ずっとずっと後回しになってきている。今年こそ!
・「私のデジタル歳時記」の挑戦
 あわせてこれまでの画像整理の勉強をしたい。
「新・「自由研究」のすすめ試論」を継続する。
等々である。
▼いつものことながら、ほおばりすぎても計画だおれになってしまう。
でも限られた「時間」しか残っていないのも事実である。
ゆっくり ゆっくり
でも 急がねばならい。

「道楽的!」を最優先してすすめたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【お薦め本】『パパは金属博士!』(吉村 泰治著 技報堂出版)

Dsc_0877

▼やっぱり気になってしかたなかった。大賀ハスの花蕾に居着いた蜘蛛である。
ここでなにをしているんだろう?
何がねらいなんだろう?
なにかを待っているのだろうか?
「あこがれの4日間」がまだなのと関係あるのだろうか?
「ふしぎ!?」だ!!
▼一方、私はあいかわらず行きつ戻りつしながらルクレチウスに向かっていた。
そのなかで、この本に出会った。
◆『パパは金属博士! ~ 身近なモノに隠された金属のヒミツ ~』(吉村 泰治著 技報堂出版 2012.04.25)
 実は私はこの本を少し前に手に入れていた。パラパラと読んで面白そうだと思った。しかし、すぐさま読まなかった。あのお弁当のおかずでいちばんのお気に入りの「卵焼き」を最後までとっておくように、楽しみにしてとっておいたのだ。最初の「卵焼き」の判断は正しかったようだ。
 読み始めると、後にとっておくことはできなくなってしまった。実に面白いのだ。
私はルクレチウスに向かっていた、その寄り道としてこの本を選んで読んだ。
私は机の上にふたつのものを用意して読み進めた。
 ひとつは「周期表」である。金属名がでてくる度に、物質探検の地図帳「周期表」にチェックしながら読み進めたのである。
 もうひとつは例の『世界で一番美しい元素図鑑 創元社 セオドア・グレイ (著), 若林文高 (監修), ニック・マン (写真), 武井摩利 (翻訳)』である。ときにその姿を見たくなったとき参照したのである。
▼読みすすめながら何度となく「そうだったのか!!」「知らなかった!!」を連発した。
 最もありふれた物質である「金属」、Alの階段より左が全部金属なんだから、周期表をみれば物質の世界における金属が占める範囲がいかに重要かは一目瞭然のはず。しかし、知らないことが多すぎた、不勉強を恥じると同時にあらためて多様なる「金属」の顔に感動である。
読み終えてこの本のお薦めポイントは4つばかりあるように思った。

(1) 日々の暮らしのなかに「金属」があることを教えてくれる。
 この本には、日々の我々がくらしのなかであうシーンが40取りあげてある。それは家族の会話というかたちでとりあげてある。それはほんとうにありふれたシーンである。
朝起きてから眠るまでの生活のなかでのシーンである。より身近にひきつけるために季節ごとに分けてある。
 そのことで身近な暮らしのなかに「金属」とのつきあいあるんだということを教えてくれている。
さりげなく人間と「金属」とのつきあいの歴史も教えてくれる。
 現代の暮らしのなかでの問題点も自ずからわかってくる。
 「環境問題」「安全と技術」「レアメタル」「LED」等々、テレビや新聞のニュースの見方も変わってくるというものだ。

(2) プロの視点でわかりやすく語ってくれている。
 著者の略歴をみていると、技術士(金属部門)登録と書いてある。最前線の現場で「ものづくり」に携わってこられたプロ中のプロのようだ。専門家であるからこそ見える「金属」の世界があるようだ。
 それをシーンごとにパパの口癖「○○○について、金属の観点から迫ってみたいと思います」と、やさしくわかりやすく語ってくださっている。その語り口調から、パパの「金属」への思い入れ度合いも見えてくるというものだ。
 細切れの知識を寄せ集めたというのでない、「ものとつきあい方」をも語られているようだ。
 サイエンスコミュニケータとしての活動もやっておられるようだ。さもありなん、なんか納得!!
 
(3) 参考文献をはじめ資料が豊富である。
 シーンごとに参考文献やWebページが豊富に紹介してある。
ここにもプロならではの情報がある。
もっとそのことをくわしく調べたければ、その文献にあたるなり、ネットで検索をかけてみればいい。
これはシロウトにはとてもありがたい。

(4) 読み返せるように工夫がある。「レア度」がシーンごとにある。
 シロウトが読みやすいようにいろいろ工夫が施されている。
なかでも面白いのは、40シーンひとつひとつに内容の希少性を表す「レア度」を四段階の星印で示してある。
ちなみに
・星ひとつ   13
・星ふたつ  15
・星三つ    8
・星四つ    4
である。これは著者の「レア度」チェックである。
もちろんそれも参考にしながら、自分で「レア度」をチェックしてみるのも面白いかも知れない。
一口に「暮らしの中で…」や「身近に…」と言っても、読む人それぞれの「暮らし」や「身近」はちがうだろう。
自分にとっての「レア度」をつけて、読み返すときの参考にするのもいいだろう。  

▼最後に、もうひとつ感心したのは、「金属」の話をしながらいつしかそれは、文化や芸術の話にまで発展していることである。それはみごとである!!
 それは、人間の営みの歴史と「金属」とのつきあいの歴史が深くかかわっていることを示していると同時に、私には著者の物質観や技術観が深く関係しているように思える。

ここにもルクレチウスの後裔がいた!!
と言えば失礼になるのだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

いかなるものも、無に帰することはありえない。 #traday

Dsc_0819
▼大賀ハスの観察池に大きな変化が2つ見られた。ひとつは、私にとっては第7番目の花芽がのびてきたのである。今年の観察池では2つ目である。気づいたのが昨日(6/13)の朝だった。日に何回となく朝夕にみているのだが気づかなかったのである。そのとなりに大きく太い葉が伸びてきているのには気づいていた。これまでのなかで一番大きい。だから、とっても理屈にあっているのである、大きな栄養生産工場ができて、そのとなりに子孫製造ができる。みごとなアタリマエだ!!
 もうひとつの大きな変化とは、あの蕾にである。まだ、開花ははじまっていない。若干ふくらみはましているかと思うが、「あこがれの4日間」には至っていない。傾きが少し心配なところへ蜘蛛が現れたのだ。それも一回かぎりとか一匹だけだとそう気にしないのであるが、まるでそこに居着いたようにそれも二匹もだ。
なぜだろう。そこにエサがあるということだろうか。以前にも開花のときに蟻が花茎を駈け上がるのをみたことがある。そこに蜜を漁る虫たちが行動を開始したということだろうか。そして、それを狙って蜘蛛が待ち伏せをしているのだろうか。私には感受できないなにかが発散されはじめたのだろうか。
それだといいけど、「早弁」している連中がいるなんてことはないのだろうか。
引き続きの観察が必要だ。
▼再びルクレチウスに向かっていた。
そんなとき、本棚の思わぬところにルクレチウスをみつけた。

いかなるものも、無に帰することはありえない。
万物は分解されて元素に帰する。
ルクレティウス『事物の本性について』(紀元前50年)

これは、ここのところ注目の書
◆世界で一番美しい元素図鑑 創元社
 セオドア・グレイ (著), 若林文高 (監修), ニック・マン (写真), 武井摩利 (翻訳

の冒頭の引用のことばである。
 続けてこう言うのである。
 周期表は、あなたが自分の足の上に落とすことができるあらゆるものが載った、普遍的なカタログです。世界には光、愛、論理、時間のように周期表にないものがありますが、それらは足の上に落とすことができません。(同書P5より)

 私は、2010年のクリスマスに自らのX'masプレゼントとして手に入れた。
以来本棚のすぐ手に届くところにおいておいて、ことあるごとに読むと言うよりながめている。
そこにあらためて、ルクレチウスを発見してなにかとってもうれしい気分になった。
そうか!!やっぱりはじめにルクレチウスなんだよな!!と。
▼第二巻にすすめなからも、やっぱり寄り道・迷い道をしてしまう。
そんなとき寅彦の「後記」を読んで勇気をもらって再びルクレチウスに向かう。

 実際昔も今も、科学の前衛線に立って何か一つの新しき道を開いた第一流の学者たちは、ある意味でルクレチウスの後裔(こうえい)であった。現在でもニエルス・ボーアやド・ブローリーのごときは明らかにその子孫である。彼らはただ現時の最高のアカデミックの課程を修得したルクレチウスにほかならないのである
 現代の科学がルクレチウスだけで進められようとは思われない。しかしルクレチウスなしにいかなる科学の部門でも未知の領域に一歩も踏み出すことは困難であろう。

そうなんだ。
やっぱり「はじめにルクレチウスありき」なんだ。
そして私たちはルクレチウスの末裔なんである。
▼道に迷い込むたびに、自分に言い聞かせる。
もっともっと自分にひきつけて読もう。
自分の文脈のなかで読もう。
等身大の読みにしか意味はない。今さら借り物で読んだところでなんの役に立つだろう。
そう繰り返し繰り返し自分に言い聞かせる。
そして、再び…。
Dsc_0801


| | コメント (0) | トラックバック (0)

7月オンライン「寅の日」は #traday

Dsc_0501

▼昨日、帰宅したら雨がやんでいたので少しゆっくりと大賀ハスの花の蕾を観察してみたんだ。どうも気になるのは直立しているのでなく蕾の部分が頭を傾けていることだ。蕾のなかにあのみごとな花托が準備されているせいだろうか。それにしてもこんな細い花茎で大丈夫なのだろうか。いろいろ心配になってきたりもする。
 私がこの観察池で見る花は、これが6つ目である。
 2009年にひとつ、2010年は0で、2011年に4つであった。これまでの5つはどうだったのか、大賀ハス観察日記でたしかめてみたが、そんなに傾いている様子はなさそうだ。
 6つ目も「あこがれの4日間」がやってきたら、これまでに引き続き開花に関するささやかな研究をやってみたいと思っている。
▼「研究」と言えば、夏休みの自由研究が話題になる季節になってきた。
2008年からはじめた新・「自由研究」のすすめ試論も展開途中である。
今年は、この試論に科学研究の先駆者寺田寅彦の視点の助けも借りようと思う。
▼7月のオンライン「寅の日」は3日ある。
・第8回オンライン「寅の日」 7/4(水)
・第9回オンライン「寅の日」 7/16(月)
・第10回オンライン「寅の日」 7/28(土)
である。
 この3回のオンライン「寅の日」も、できるだけ科学「研究」に関するもの選んで読んでみたい。
そこで私案として次のものを考えてみた。
第8回は「科学者とあたま」
 これは、前々からぜひ一緒に読みたかったものである。科学研究とはいかなるものか。シロウトの私にはずいぶん勇気と示唆を与えてくれるものだ。
第9回は「茶わんの湯」
 私は国語の教科書でこれを読んだ憶えがある。ささやかな日常のなかに研究テーマはころがっていることを教えてくれる典型のような名文である。研究テーマ選びのヒントになるだろう。
第10回は「自然界の縞模様」
 これも、自然界をこんな視点で観察すれば面白いことがわかってくる。それは、現代科学の最先端の研究につながることもある。そんな面白い示唆的な文である。

▼いずれも、勝手に考えた私案であり予定である。途中で変更することがあるかも知れないが、とりあえずは継続の意思表示ということであげてみた。
 まだまた、6月の「ルクレチウスと科学」は、恥ずかしながら一歩前進二歩後退というありさまである。
しかし、たしかに言えることがある。
 寺田寅彦は面白い!!
 きわめて今日的である!!
 

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ものはなにからできているか?」 #traday

Dsc_0388
▼田植えも進み、野の草花も十分な水分をあたえられすごいスピードで成長して行っている。それにあわせ虫たの活動も活発である。道端の野アザミがひときは美しい。そんなとき、草むらの我がヒガンバナが地上から姿を消そうとしていた。役割を終えたヒガンバナの葉は枯れ果て土にかえろうとしている。
 仮にも「ヒガンバナの観察」と言うなら、この姿こそ見るべきだろう。もしも植え替えをするなら、このシーズンこそ一年間でもっともふさわしいのであろう。長い間定点観測地にしてきたヒガンバナの引っ越しを昨年やり、そして一年がたった。
▼ヒガンバナが地上から姿を消したからと言ってなくなったのでない。秋のお彼岸が近づけば貯め込んだ栄養を使って花茎がスルスルとのびてくることだろう。
 ヒガンバナのみごとな戦略である。!!
ところで、私たちは目の前から姿を消すと、「無くなった」という。
しかし、ほんとうに「無くなった」なったのだろうか。
ルクレチウスの詩の冒頭は

ものはどこからでてきたか。
ものはなにからできているか。
(『宇宙をつくるものアトム』(ルクレチウス著 国分一太郎編 少年少女科学名著全集 国土社 P9より) 

ではじまる。
 私は、この「ふしぎ!?」にどんな答えをもって生きてきたのだろう。
こんなことばかり考えて生きてきたわけではない。
それはそうだが、でもやっぱり理科の教師というかぎりそれなりの答えをもって生きてきたのだろう。
理科の授業をやるにしたってこの「ふしぎ!?」に答えることは必須であったはず。
▼今、それを再び問いかえしている。それが私の文脈のなかでルクレチウスを読むということだろうと思っているから。「原子」の歴史を考えるときすぐ思い出す一文がある。
それは故田中実先生が、最晩年子ども向けに書かれた『原子の発見』(田中実著 ちくま少年図書館43 科学の本 1979.8.25)の最後に書かれた文章だ。

このようにして、現代の化学の土台がつくられた。それ以来70年間の化学の進歩のことは、べつに勉強してほしい。原子の結びつき方の研究は、どのように進められたか。原子・分子のじっさいの姿は、どのようにたしかめられたか。これらの知識は、工業の上で、どのように利用されるようになったか。原子のなかみの研究から、どのようにして原子力の利用の糸ぐちがつかまえられるようになったか。生命の秘密は、化学によって、どのように解かれようとしているのか。化学の産業上の応用がひろまった結果、どんな社会問題が起こったか。このように、たいせつな、おもしろいたくさんの問題が、きみたちの勉強をまっている。(『原子の発見』、付録P17より)

子ども向けに発せられた「宿題」だ。私には「原子」を教える教師にもだされた「宿題」にも思えてくる。
それから、30年以上の月日がたった。
 どこまで、この「宿題」をやっただろうか問いながら、再びルクレチウスに向かう。
▼とは言っても、なかなか私には難解なところが多い。
そんなとき寅彦がとってもうれしいことを書いてくれていた。
「レクレチウスと科学」の後記の部分だ。

 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。またわれわれの科学的想像力の枯渇した場合に啓示の霊水をくむべき不死の泉である。また知識の中毒によって起こった壊血症を治するヴィタミンである。
 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウスは実にわれわれにこの科学系統の根幹を思い出させる。そうする事によってのみわれわれは科学の幹に新しい枝を発見する機会を得るのであろう。

ありがたい。難解さのあまり断念しかける自分にエールを送られた気分だ。
気をとりなおして、ゆっくりであるが再開してみよう!!
ルクレチウスを!!
Dsc_0278


| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新6/10】12-24オンライン「寅の日」更新 #traday

Dsc_0043

足のばし 元たどりたる 栗の花 12/06/08 (金)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-14 
週末定例更新のお知らせ
 2012/06/11。そう地球は3.11から太陽の周りを一回と1/4回転してきた。理科ハウスの「空気」を吸う会から一回転だ!!
 その間に何が起こっただろうか。何がどのように変化したのだろうか。
今日一日少し反芻作業をやってみようと思う。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ 栗の花
 毎朝の定例コースを歩いていた。どこからかあのむんむんするようなにおいがしてきた。そうだこれは記憶のかたすみにあるにおいだ。少し、コースをはずれてにおいの元をたどってみた。そしたら、白い尾が今盛りと曇り空にぶら下がっていた。
 栗の花である。
これを画像におさめた日に、播磨の地は梅雨入りが発表があった。
 
◆オンライン「寅の日」更新!
 6月は「ルクレチウスと科学」を読んでいる。
 それから地球は太陽の周りを2000回以上回転してきている。
そんな以前に書かれた「物の本質について」の詩。
そんなものが21世紀を生きる私たちにどんな意味があるのか。
何故に寅彦はここまで薦めていてくれるのだろうか。
道はまだまだ遠い。
ゆっくりとすすめていこう。

◆新・【地球と宇宙】 更新!
 先週は、天文ショーが2つもあった。
6/4(月) 部分月食 
6/6(水) 金星太陽面通過
である。いずれについても私なりの「記録」を残した。
せっかくの「天文ショー」をそれだけに終わらせてはもったいない。
今朝も空には下弦の月があった。
明けの明星はまだ肉眼では確認していないが、昨日オンラインで見せてもらった。
観察はいつまでも進行形なんである。
そうであってこそ見えてくることがある。
「私たちはどこにくらしているのか」

またあらたな一週間がはじまる。
この一週間でどこまでいけだろう。
さあ!!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日、第6回オンライン「寅の日」!! #traday

Dsc_0148

▼大賀ハス観察池のハスは蓮根の植え替えからちょうど10週目であった。思いのほかはやく9週目を前に花芽をのばしてきた蕾はますます膨らんできた。「あこがれの4日間」の前触れであるひとつの花びらの「たが」が外れたようになるのはまだである。花芽が立ち始めてからはじめて少しだけ追い肥を与えてみた。そのこともあってだろうか、まわりの立ち葉もたくましく成長してきた、製造工場の増設は蕾にふくらみを与えているようである。一方の第二世代の鉢に引っ越しした大賀ハスも三つとも浮き葉の数をふやし成長つづけている。今回は引っ越しに成功したようだ。日々目を見張る成長をつづける大賀ハスをながめながら、あらためて「生命」と「物質」の「ふしぎ!?」に思いを馳せるのである。
▼そんななか、本日は第6回のオンライン「寅の日」である。
◆「ルクレチウスと科学」(青空文庫より)
 予習で寅彦のルクレチウスへの誘いを読んできた。いよいよルクレチウスの本文に入る。
机上に用意した本文はふたつある。
ひとつは
◆『宇宙をつくるものアトム』(ルクレチウス著 国分一太郎編 少年少女科学名著全集 国土社 1965.3.25)
もうひとつは
◆『物の本質について』(ルクレーティウス著 樋口勝彦訳 岩波文庫 1961.8.25)
である。
 私には、あの国分一太郎の文章の方がなじみやすい。これまでにも何回か部分部分を読んできた。
寅彦のお薦めを読んでみてあらためて読み始めてみると、またそのすごさに圧倒されるのである。
なんでこんなことが2000年以上も前に書かれたのだ!!
第一巻の要所を前著から引用させてもらうとこうなる。

ものはどこからでてきたのか。 ものはなにからできているか。  これをハッキリさせて、 精神のおそれとくらやみを なくすためには、 自然のすがたを、 しっかりと見なければならない。 自然の理法を、 ふかくさぐらなければならい。

まず第一に、
「無からはなにも生まれない」
これを知る必要がある。
たとい神々の力に力によっても、
なにもないところからは、
ものはでてこないことを、
わたしくしたちは知らねばならぬ。
(『宇宙をつくるものアトム』(ルクレチウス著 国分一太郎編 少年少女科学名著全集 国土社 P25) 

さらにまとめの部分ではこうだ。

わたくしたちのみる自然は、 ふたつのものからできている。 ひとつはアトム。 ひとつは空虚。 アトムは空虚のなかに存在し、 そこでさまざまに運動する。

アトムがあることは、
人々だれにでもある感覚が、
これをはっきりさせている。
だから、わたくしたちは、
感覚をうんとだいじにしなければならぬ。
理性で考えることを、
感覚によって、
しっかりとたしかめなければならない。

この世界には、
アトムと
空虚。
それ以外の第三者はないのである。
(上記同書P54より)

これは紛れもなく「はじめに原子ありき」の宣言なのである。
さらには、こんなおまけまでついている。

それでは、さいごに、 「時間」とは、なんだろう。 時間は、それ自身としては、 存在しないのだ。 ものがはじめはどうだったか? ものはいまはどうなっているか? ものはこれからのちどうなるのか? これらについて、わたくしたちに、 知覚が生まれるとき、 わたくしたちは、 「時間」を感じるのだ。 つまり、 ものの運動と静止に目をつけなければ、 「時間」そのものというものを、 わたくしたちは感ずることができないのだ。 (上記同書 p57より )

なんと奥が深いのか。感嘆するばかりである。
▼もういちど寅彦のガイドラインにもどって読み直し見た。
さすが寅彦である。きっちり読み込んでいる。そして、2000年以上の時空を超えて現在と結びつけているのである。

そしてここに述べられたアルファベットが寄り集まっていろいろな語を作るように、若干の異種の原子がいろいろに結合していろいろのものを作るという彼の考えはほとんど現在の考え方と同様である。のみならずおもしろい事には現在われわれは原子の符号にアルファベットを用い、しかもまたいろいろの物質をこれら符号の組み合わせで表わすのである。これは全然ルクレチウスの直伝である。

まいった!!
一巻の途中まででこうなんである。6巻まである。
正直に言ってポンコツ頭の理解の範囲を完全に超えている。
これでは一ヶ月ぐらいかけても先にはすすめないような気がしてきた。
しかし、理解することだけが目的ではない、いろんな人の「読み」を楽しませてもらうことが大きなねらいである。

第7回は6/22(金)である。
それまでにも私も少しずつすすめておこう。
Dsc_0172

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原子論的物質観はこれからも有効か? #traday

Dsc_0911

▼昨日、6月8日(金)11時、近畿地方も梅雨入りの発表があった。朝から雲が垂れさがって今にも降りそうだった。そんななか外に出て庭に目をやると、その梅雨空の鬱陶しさから覚醒するような見事な朱色が目に飛び込んできた。石榴の花である。ほんとうにいい色だ、白い花の季節のなかだけになんともうれしくなってくる。その後、発表を待ち受けていたように雨は降りだした。
 しばらくは雨とつきあう日々が続くのである。
▼明日のオンライン「寅の日」の予習を続ける。
◆「ルクレチウスと科学」
で要は寅彦が「ルクレチウス」を読め!とあの手この手を使いながら薦めてくれているのである。
では、その「ルクレチウス」とはなんなのか。
 紀元前一世紀のローマの詩人哲学者レクレチウス(前94頃-55 文献によって若干のちがいがある)である。
長編詩『物の本質について』(岩波訳)の作者である。
 寺田寅彦はこの「ルクレチウスと科学」を今から83年前の1929年に書いている。

私はただ現代に生まれた一人の科学の修業者として偶然ルクレチウスを読んだ、その読後の素朴(そぼく)な感想を幼稚な言葉で述べるに過ぎない。この厚顔の所行をあえてするについての唯一の申し訳は、ただルクレチウスがまだおそらく一度も日本の科学者の間にこの程度にすら紹介されなかったという事である。

自らこう語っているように、それまで日本であまり知られていなかったルクレチウスを熱く紹介したのである。
それはなぜか。
そこに寅彦の科学観、物質観があらわれているのではないだろうか。
▼推薦の熱き言葉を拾ってみよう。
それほどにルクレチウスの中には多くの未来が黙示されているのである。


ルクレチウスの黙示からなんらかの大きな啓示を受けた学者の数は、おそらく少なくはなかったであろう。

それだけ多くの未来に対する黙示が含まれているのである。今から百年前にこの書を読んだ人にはおそらく無意味な囈語(たわごと)のように思われたであろうと思うような章句で、五十年前の読者にはやっと始めてその当時の科学的の言葉で翻訳されたであろうと思われるのがある。それどころか十年前の物理学者ならばなんの気なしに読過したであろうと思う一句が、最新学説の光に照らして見ると意外な予言者としてわれわれの目に飛び込んで来るのもあるようである。
要するにルクレチウスは一つの偉大な科学的の黙示録(アポカリプス)である。そのままで現代の意味における科学書ではもちろんありうるはずがない。
彼の描き出した元子の影像がたとえ現在の原子の模型とどれほど違っていようとも、彼の元子の目的とするところはやはり物質の究極組成分としての元子であり、これの結合や運動によって説明せんと試みた諸現象はまさしく現在われわれの原子によって説明しようと試みつつある物理的化学的現象である。

こうして拾い出し、並べてみると徐々に寅彦の意図が私なりに見えてくるのである。
▼さらに、もっと自分にひきつけ自分の文脈のなかで読んでみよう。
そうすると、私には「ルクレチウス」は「原子論的物質観」と読みかえられると思えてくるのである。
そうずっとずっと使ってきたあれだ!!

 もっともルクレチウスを科学者と名づけるか、名づけないかというような事は実はどうでもよい事で、またどうでも言える事である。しかし私のここで問題とするところは、現代の精密科学にとってルクレチウスの内容もしくはその思想精神がなんらかの役に立ちうるかということである。ルクレチウスの内容そのものよりはむしろ、ルクレチウス流の方法や精神が現在の科学の追究に有用であるかどうかということである。

つまり、寅彦のこの文章は、私の文脈の中では
「原子論的物質観」は、これからも有効か?

ということになるのである。
寅彦はさらにはこうも書いた。

十九世紀二十世紀を予言した彼がどうしてきたるべき第二十一世紀を予言していないと保証する事ができようか。今われわれがルクレチウスを読んで一笑に付し去るような考えが、百年の後に新たな意味で復活しないとだれが断言しうるであろうか。

書かれた83年後
2011.3.11を体験した21世紀の今、ルクレチウスはどう読まれのだろう。
なにを黙示しているのだろう。
ゆっくり 急ごう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今さらなぜ「物質観」なのか? #traday

Dsc_0903

▼「部分月食」観察、「金星太陽面通過」観察とつづき「宇宙」に心を奪われているあいだに、例の5/16に発芽処理した大賀ハスの種子は三粒ともうまく発芽し、引っ越しも今のところ成功したようだ。浮き葉が新しい住み処に元気よく浮いていた。宇宙も「ふしぎ!?」いっぱいだが、この生命の世界も「ふしぎ!?」いっぱいだ。
花芽の蕾もふくらみがすすむ!!
▼6月にはもうひとつの「ふしぎ!?」を追いかけることを決めていた。
物質の不思議である。オンライン「寅の日」
◆「ルクレチウスと科学」(青空文庫より)
を読むことにしていたのである。
もう6/8である。
第6回(6/10(日))も第7回(6/22(金))も通して読むつもりにしているが、それだけでほんとうのところは読み切れるはずはない。だから、少しずつ、少しずつ読み始めてみようと思う。

実に天下に新しき何物もないという諺(ことわざ)を思い出すと同時に、また地上には古い何物もないということを痛切に感じさせられたのであった。

▼今さらなぜ自らの「物質観」を問いかえそうとするのか。
 かつて、私は中学校の物質学習の柱は「原子論的物質観」にあるとして、次のようなことを書いていた。
◆今、なぜ「原子論的物質観」なのか~新教育課程「中学校化学」の展開は~
11年前の話である。中学校では今年度から「新学習指導要領」に基づく新しい理科が本格的にはじまっている。
そこで育もうとしている「物質観」とはいかなるものなのだろうか。
それは紀元前のレクレチウスの物質観とどうちがうのだろうか。いやどこが同じなのだろうか。
それを吟味したい。
 そして、これからの時代に最も有効なる「物質観」とはいかなるものなのか追求していきたい。
21世紀の学問は「読み・書き・原子論」できまりと言い切ったこともある。ほんとうにそうなんだろうか。
今一度自らに問いかけてみようと思う。
▼机上に「ルクレチウスと科学」をプリントアウトしたものと、
◆『物の本質について』(ルクレーティウス著 樋口勝彦訳 岩波文庫)
をならべて置いてみた。
どっちらも圧巻である。いっきょに理解できるわけがない!!
ちびり ちびりである。
はじめなければ進まない!! アタリマエのことだ。

ゆっくり急ごう。
Dsc_0891

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の「金星太陽面通過観察の記録」!!

Dscn6028

▼少し遅れた報告をしておく。
昨日の金星の太陽面通過の記録であった。望遠鏡簡易投影板を使っての観察と決めていた。
金環(部分)日食の観察のとき、思いのほか黒点まではっきりにわかったから、金星ならもっとはっきりとわかるだろうと思ったからだ。
 勤務日だからまずはでかける前に家の前でセットして見えることを確認しておいて、学校に持って行き再度中庭にセットしなおしてみた。みごとにはっきりと見えたのには感動であった!!
天気にもめぐまれてほぼパーフェクトに観察できた。
▼観察をすすめながら、頭の中で例の1/15億の太陽系モデル描いてみた。
先日の金環日食のときは、地球のほぼ1/4の直径しかもたない月が、ほぼ完全に太陽に重なったのに、地球の0.95倍の直径をもつ(ほぼ同じ大きさ)金星がこんな小さい黒い点とはどういうことだろう。
 そうだ!!距離が違うのだ、遠くにあるものは小さく見え、近くにあるものは大きく見える!!
このアタリマエ!!にいたく感動するのである。このアタリマエこそ科学なんだ。
けっして「神秘」などではない。
▼その科学の基本は「記憶より記録だ」。自分が観察したことを記憶にとどめるのでなく記録し、それを可能な範囲で公開しておこう。
 拙い記録であっても、それらが集まったらまったく違う意味を持ってくるかも知れない。また、自らの「記録」を発信することは手に入れたい情報を手に入れるもっとも有効な手段でもあるかも知れない。
ここでも、やはり「情報は発信するところに集まる」は生きているのである。
口上はこれぐらいにして、私の拙い「記録」を公開しておく。
◆金星太陽面通過観察の記録

▼今回の観察を一回かぎりの「天文ショー」のイベントに終わらしてはならない。
それではもったいない。
 金星が太陽面を通過していったということは、それは「宵の明星」から「明けの明星」にシフトしていったということなんだろうか。(そんな単純なうごきではないだろうか?)
 ならばこのアタリマエも確認してみようではないか。
 こうして観察をつなげてこそ、生涯に一度の幸いなる観察をしたことになるのである。

観察を続けながら問い続けよう。
・私たちはどこに暮らしているのか?
・私たちはどこに行こうとしているのか?
と。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

「金星太陽面通過観察」を楽しもう!!

Dsc_0819

▼大賀ハス観察池の花芽に気づいて5日目やはりすこしふくらんではきているが、あの「あこがれの4日間」はいつ訪れるかしかとはわからない。わかっているのかも知れないが私は知らない。
「あこがれの4日間」にしても開花は4日間つづくことをこれまでの5つの花で確認したにすぎない。
アバウトなんである。5/16日に発芽処理した種子も、観察水槽から土の入った鉢に引っ越しさせた。今日でちょうど20日目である。この日程でいいのかわからない。だからだいたいなんである。
▼ところが、こちらの方はものすごくはっきりとわかっているんだ。アバウトではないんだ。
遠い遠いところの話なのに恐ろしく正確にわかっているんだ。
今日だ!!金星が太陽面を通過するというのだ。もうすぐだ!!
これを見逃したら、次は105年後の2117年だそうだ。思わず「えっ」と発してしまう。
驚きである。そんな先のことまで、遠くのことがわかっているのか。
素直にあの言葉がとびだしてしまうのである。
「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」
▼さあ、今回はどうして観察をしよう。「金環(部分)日食」観察のときのこと思い出してもっとも有効そうなのは、
望遠鏡簡易投影板観察である。3K1A(感動・簡単・きれい&安全)の観察を!!
 これで試みてみようと思う。天気の方はどうだろう。
6時現在の播磨地方はなんとか観察可能なようだ。
ネット中継観測も有効な観測方法である。
◆姫路市「星の子館」「金星の太陽面通過(日面経過)」のインターネット中継(静止画)
▼今日の観察でいちばん感じ、考えたいのは、
・我々はどこに住んでいるのか?
・我々はどこに行こうとしているのか?
アタリマエ!
で済ませないで、
私の「ふしぎ!?」を存分に楽しもう!!
もう生涯2度と観察できない「天文ショー」をリアルタイムで等身大に!!

Dsc_0815

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「部分月食」観察から「雲見」へ、そして…

Dscn5973
▼2012年6月4日20時58分50秒、月の光らしきものが厚い雲のむこうにやっと見えた!!よし、「部分月食」最後の姿をと思ったらまたしても雲のなかに消えてしまった。残念ながら、昨夜の期待していた「部分月食」観察は播磨の地から無念におわった。しかし、それなりに楽しんだこともあるのでそれを報告・「記録」しておく。
▼夕方早い段階から、カメラの準備にかかった。前回の2011.12.10「皆既月食」のときのリベンジしたいこともあった。また、金環日食のときの観察は、観察方法に集中しあまりカメラのことは意識していなかった。
だから、今回はぜひとも月の写真に挑戦と思っていた。
 ところが、その時間が近づいてきても厚い雲はいっこうにうすくならなかった。
なんということだ!!
 そんなときには、
◆24時間ソラをLiVEする番組「SOLiVE24」
につないでおこうと決めていた。玄関先にノートパソコンをもっていきつないだままにしておいた。
「月見」できぬならば「雲見」と決めた。全国各地の「雲見」だ。
台風3号、梅雨前線、九州は梅雨入りか?
全国の天気の変化をリアルタイムに見るのもなかなか面白いものだ。
部分月食のリアルタイムの画像も見ることできた。北海道や、新潟では見えたようだ。
▼今朝起きて見ると、folomy【理科の部屋】に私のところから624㎞離れた白石市の中村敏弘さんが、みごとな部分月食の写真をアップしてくださっていた。
 面白いな!!自分ではうまく撮れなかったが、遠く離れた知人がちゃんと同じものを観察していてくださった。
なんかうれしくなってくるな!!
 あの【星連】を思い出してしまうのである。
▼そして、明日はいよいよ
◆金星の太陽面通過
である。
 またしても「雲見」になってしまうかもしれない。
しかし、それならそれでまた楽しみ方もあるだろう。
 とりあえず1/15億の太陽系モデルを頭にひっぱりだしてこよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【Web更新6/3】12-23オンライン「寅の日」更新 #traday

Dsc_0549

雨に濡れ 定家葛や 水飛ばし 12/06/03 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-23
週末定例更新のお知らせ
  あれから2週間が経つ、そして今日は部分月食が見られる。なんというアタリマエ!!
このアタリマエにいたく感動するのである。これぞ「科学」なんだ。1/15億分の太陽系を再び頭に描いてみよう。
太陽、地球、月、もうひとつ加えてみよう。地球の双子星、金星 同じぐらいの大きさだったかな。宵の明星から明けの明星へ金星が東の空にもどってくる。6/6(水)は見えるだろうか。この希有なる宇宙ショー。
 そして、今週は大賀ハス観察池に「あこがれの4日間」がやって来るかも知れないんだ。

◆表紙画像集2012  更新 人里の植物 テイカカズラ
 珍しいものはけっして身近にないとはかぎらない。その気になって見れば、ずいぶん珍しいものも自分の身近にあるものである。熊楠が粘菌の新種をみつけたのはあの庭の柿の木であったはず、そんなものなんだろう。
 人に画像で見せてもらい、いつかは見たいものと思っていたテイカカズラ(定家葛)。ありふれたものであるようだがじっくりと見たことのない私には珍しいものだった。少し前に気づいた、家の東の石垣の一部がこんもりとふくらみのあるジャングルと化している。そこに這い上がるように伸びて咲くきれいな花があった。私には珍しいテイカカズラである。まるでスクリューのようなかたちをしていて降ってくる雨粒を飛び散らしているかのように見えた。

◆オンライン「寅の日」更新 #traday
 6月のオンライン「寅の日」では
◆「ルクレチウスと科学」(青空文庫より)
を読む。これをちびりちびりと読みながらふりかえってみよう。
自らの「物質観」を…、そして今からも有用な物質観とは…。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 2ヶ月ぶりの再開更新である。
一年目を継続発展させるつもりで更新をすすめていきたい。

さあ! いろんなことのある一週間のはじまりである。
どこまでいけるだろう。
ゆっくり 急ごう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(159)

Dsc_0527

▼大賀ハスは蓮根の植え替えからちょうど9週目、2ヶ月が経っていた。のびてきた花芽はますます元気に見える。
この調子でのびていくなら「あこがれの4日間」はもうすぐだ。大賀ハスを育てるようになって三度目、花としては6つ目の花である。これまでのどの花よりも早い時期の開花である。
▼この2ヶ月と言えば、大賀ハスだけでなかった。オンライン「寅の日」も2ヶ月の歩みであった。5回のオンライン「寅の日」があった。少しずつ少しずつその輪が拡がっていると感じている。
今年度、私はサイエンスコミュニケーターとしてこの取り組みにいちばん力を注ぎたいと思っている。
それは、サイエンコミュニケーターの「これから」の

(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!

(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!

(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。

この3つと深く関わっていると思うからである。
▼寺田寅彦の書いたものを読めば読むほどに今日的課題に応えてくれているのに驚く。
これを読まずして「日本のサイエンスコミュニケーション」を語ることなかれと思う。
だからと言って、寅彦の書いた文章を教条的に反芻しようというのでない、あくまで楽しむのである。
道楽的「科学」・道楽的「理科」を追体験的に共愉するのである。
オンライン「寅の日」の発展的可能性もさぐっていきたい。
オンラインの発展型としてオフライン「寅の日」である。
先日、第4回オンライン「寅の日」(「津浪と人間」)の発展としてファラデーラボでかがくカフェ「津波のかがく」があった。私はこれぞオフライン「寅の日」であると勝手に解釈した。
それはとても愉しく、勉強になった。
ここにオフライン「寅の日」の可能性を見た!!
▼次の2ヶ月でオンライン「寅の日」は、どんな発展を見せるだろう。
それは即「サイエンスコミュニケーター宣言」の歩みと重なることになるだろう。
【6月】 6/10(日)、6/22(金)
【7月】 7/4(水)、7/16(月)、7/28(土)
この2ヶ月で5回である。
7/28(土)はちょうど10回目になるのである。
そこまでにどんな発展があるだろう。まだまだ見えない!だから楽しみ!!

今年はいくつの大賀ハスの花と出会えるだろうそれも同様に楽しみ!!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(158)

Dsc_0383
▼昨日、私は驚いた!!こんなに驚いたのは久しぶりだった。机上の目の前に置いた大賀ハスの種子が発芽し、ついには根を伸ばしはじめた。これにも驚いたがほんとうに驚いたのは次だった。観察池の大賀ハスが植え替えから9週目を待たずして花芽がのびて来ていたのだ。
 昨日は夕立が終わったあとに散歩にでた。
 初夏の空気で満ちていた。生きものたちの活動もにわかに活性化してきているように感じた。散歩の終わりに観察池の大賀ハスの葉の大きくなったのに感心していた。そして、その花芽に気づいた。昨年よりほぼ一ヶ月早いのだ。私は自分の目を疑った。立ち去ろうとしてはまちがいではなかろうかと戻りまた何枚も写真を撮った。
一週間前にあった本家本元の阪本さんの言葉を思い出していた。
「大賀ハスの開花は早いですからね」
「今年は大賀ハス開花60周年になりますね」
開花60周年の大賀ハスが、我が家の観察池で咲く!!
思わず興奮してしまうのである。
▼昨年の私の大賀ハス物語を読んでいるあいだに、昨年いちばん力を入れて書いて来た「サイエンスコミュニケーター宣言」の方も読みかえしていた。365日(正確には366日か)一年のあいだに157日(回)も書いて来た「宣言」だった。その最後、157回目に「これから」をまとめていた。

(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!

(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。

(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!

(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!

さらにこうも書いている。

しかし、「サイエンスコミュニケーター宣言」は、今回で終わりとする。
「サイエンスコミュニケーター宣言2」を始めるかどうかは検討中である。

▼私は、それから2ヶ月間検討し結論を出した。
「サイエンスコミュニケーター宣言2」として再開をしない。
昨年一年間の地続きとして「サイエンスコミュニケーター宣言」を継続する。
従って、今回はサイエンスコミュニケーター宣言(158)なのである。
2ヶ月間の営みのひとつひとつを(1)~(4)の項目にあてはめて自分で納得してみる。
しかし、どうも微妙にどれにもあてはまらいことがある。
 昨年の後半に気づいた私自身にとっても大事な作業がもうひとつがあった。
それは
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
である。
▼これからは、日々の営みのひとつひとつを5つの項目のどれと関連するのだろうと考えながらすすめていきたい。
 ずいぶんと堅苦しい「再開」である。
そんなものではないはず、これでは本末転倒である。
もっともっと「科学」が楽しいものである。そのことを伝えることこそが最もの本意である。

だからこそ、そのためにはもっともっと自身が愉しみながらやっていこうと決意する。
そしてサイエンスコミュニケーター宣言は可能な限り継続してみよう!!
これが私のライフワークと言えるまで。

Dsc_0392


| | コメント (2) | トラックバック (0)

NIFTY-Serveという時代!!

Dsc_0211
▼2000年ものあいだ眠ることのできる種子。その種子のどこのスイッチをオンにするとこんな展開をみせるようになるのだろう。大賀ハスの種子が発芽してからの日々のというより刻々の変化は目を離すことができなかった。
 そこで私は、その容器を机上の目の前においた。これならば机に座るたびにその変化を見るからだ。それでも見逃すぐらい変化ははやかった。「ふしぎ!?」だ。
▼その大賀ハスにも「種子の時代」「蓮根の時代」「葉の時代」「花の時代」などがあるように、私が生きてきた時代にもいくつかの時代がある。
「NIFTY-Serve」というのも私にとってはひとつの時代なんである。
「NIFTY-Serve」という言葉だけで多くを語る必要もなく暗黙の了解の響きをもつ。それは、今や死語となったパソコン通信の世界。独特の時空間の「空気」を意味するのである。
 そのNIFTY-Serveから「招待状」が届いた。その招待状はNIFTY-Serve25周年を記念して「再会」「思い出」「新コミュニケーション」をコンセプトするような期間限定の世界へのものだった。その時代からずっとお世話になり、今も世話になり続けている友人からのものであった。うれしかった!!
▼招待状に従って行ってみた。
黒いバックに白い文字が一行ずつ出てきた。なんという懐かしさだ!!
20年前に一挙にフィードバックするようだった。
めざすは
◆教育実践フォーラム・専門館(FKYOIKUS)
ここに【理科の部屋】はあった。
 もうすでになつかしい顔ぶれがあった。うれしかった、それはまるで「ふるさと」にでも帰ったような気分になった。
▼「過去」の時代がいかになつかしくすばらしいからといって、時代を遡行することはできない。
ならばひととき存分にその時代の「空気」を吸い込み、楽しみ、そこから「これから」を汲み取るしかないのだ。

まずは「あの人」に会いに行ってみよう。
NIFTY-Serveという時代に !!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »