『たんぽぽ忌』を再び!!
▼今年の5月5日もタンポポ日和だった。中国縦貫道を30分ばかり東へ車を走らせたところに赤いトタン屋根の生家とその碑は建っていた。タンポポ詩人・坂本遼のふるさと(加東市横谷)に一年ぶりにふたりでいってみた。
かわらず詩碑『春 遠い峠田のてっぺん あれはおかんかいな 鳥かいな』と詩人・草野心平が書いた「傑(すぐ)れた農の詩人 坂本遼の碑」が立っていた。
詩碑にうつる赤い屋根の生家がとてもきれいだった。碑の前には、すでに綿毛になったタンポポが群生していた。
▼「春」の詩はもう教科書にのっているということはないんだろうか。
春おかんはたった一人
峠田のてっぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちやなからだを
ぴよつくり浮かして
空いっぱいになく雲雀の声を
ぢつと聞いてゐるやろで里の方で牛がないたら
ぢつと余韻に耳をかたむけてゐるやろで大きい 美しい
春がまはつてくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見へるやうで かなしい
おかんがみたい
この「おかん」はもう見えないぐらい遠くへ行ってしまったのだろうか。
私には、「春」「たんぽぽ」「おかん」はいつまでもセットで思いだされるのである。
▼30年近く前、5月5日「子どもの日」は私たちは小さな子どもたちを連れてこの「たんぽぽ忌」に参加することを恒例の家族行事としていた。数年は続いただろう。やがて子どもたちは大きくなり、私たちは仕事の忙しさにかまけて遠のいていった。
当時売り出し中の灰谷健次郎とはじめて出会ったのもこの「たんぽぽ忌」であった。その灰谷も今はいない。
昨日は、生家や碑のまわりには人影もなかった。
タンポポ日和のもとタンポポの綿毛だけが飛んでいた。
▼昨年、私に坂本遼のことを熱く語り教えてくださったY先生のご家族の方からお便りをいただいた。Y先生はすでに亡くなられていた。哀しい寂しい!!
Y先生は私設の坂本文学資料館をつくられるまで農の詩人・坂本遼に惚れ込んでおられた。
今年のふたりだけの「たんぽぽ忌」では、Y先生のことを妙になつかしく思いだすのだった。
「たんぽぽ忌」は私にとってはいつまでも心の原風景なのである。いつの日か、再び…。
大賀ハスの方は植え替えから5週目であった。
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