「科学的5月観」って!?
▼こんなに注意深く数週間いや数ヶ月にわたって牡丹を科学的観察したのは生まれてはじめての経験であろう。いつもだったら、荒れ放題の庭に突然としてみごとな花が咲き、「ああっ、うちの庭にもあったのか」と驚くのせいぜいであった。ひどいときなど、その存在すら忘れて夏を迎えたこともある。最初の観察ではこれのどこがあのみごとな花に変化していくのか予想すらできなかった。それがあれよあれよという間に、花を想像させる姿になってきた。
どんな物資の変化が起きて、このようになっていっているのか。「ふしぎ!?」でならない。
▼こんな「ふしぎ!?」を追うことは、けっして牡丹の美しさに影響をあたえるものではないと教えてくれているのも寅彦だった。「科学的5月観」なるなんとも不思議な言葉が出てくるのは
◆五月の唯物観(青空文庫より)
のなかであった。
5/5(土)第3回オンライン「寅の日」では、「俳句の精神」とあわせて、この「五月の唯物観」を読もうと思う。
▼「科学的5月観」の言葉、文章の最後にこうでてくる。
これらの泥塗事件も唯物論的に見ると、みんな結局は内分泌に関係のある生化学的問題に帰納されるのかもしれない。そういえば、春過ぎて若葉の茂るのも、初鰹の味の乗って来るのも山時鳥(やまほととぎす)の啼き渡るのもみんなそれぞれ色々な生化学の問題とどこかでつながっているようである。しかしたとえこれに関して科学者がどんな研究をしようとも、いかなる学説を立てようとも、青葉の美しさ、鰹のうまさには変りはなく、時鳥の声の喚び起す詩趣にもなんら別状はないはずであるが、それにかかわらずもしや現代が一世紀昔のように「学問」というものの意義の全然理解されない世の中であったとしたら、このような科学的五月観などはうっかり口にすることを憚はばからなければならなかったかもしれないのである。そういう気兼ねのいらないのは誠に二十世紀の有難さであろうと思われる。
このように寅彦が言ってから77年が過ぎて今は二十一世紀である。
「科学的五月観」はどう受け取られるのだろう。
それにしても最晩年の5月、なぜこのような文章を書いたのだろう。
その答えを文章半ばに書いてくれていた。
この素人学説はたぶん全然間違っているか、あるいはことによると、もう既にこれといくらか似た形でよく知られていることかもしれない。しかし自分がここでこんなことを書きならべたのは別にそうした学説を唱えるためでも何でもないので、ただここでいったような季節的気候的環境の変化に伴う生理的変化の効果が人間の精神的作用にかなり重大な影響を及ぼすことがあると思われるのに、そういう可能性を自覚しないばかりに、客観的には同じ環境が主観的にある時は限りなく悲観されたり、またある時は他愛もなく楽観されたりするのを、うっかり思い違えて、本当に世界が暗くなったり明るくなったりするかのように思い詰めてしまって、つい三原山へ行きたくなりまた反対に有頂天(うちょうてん)になったりする、そういう場合に、前述のごとき馬鹿げた数式でもひねくってみることが少なくも一つの有効な鎮静剤の役目をつとめることになりはしないかと思うので、そういう鎮静剤を一部の読者に紹介したいと思ったまでのことである。
「五月病」などという言葉はいつ生まれたのだろう。と思いながらよんだ。
▼ここで少し問題にしたいのは「科学的五月観」の「科学的」だ。
「科学的」この言葉ほど使う人の都合だけで、一人歩きしやすい言葉はない。
使い方しだいでは、味方にもなるが敵にもなる。
3.11以降あきらかに色褪せ、陳腐にすら受け取られた言葉だ。あれから1年たってまた、この「科学的」は復活してきているように感ずる。
この不可思議な定冠詞「科学的」をこれからの世の中にどう使っていくのか、吟味の必要がある。
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