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【Web更新4/29】12-18 オンライン「寅の日」更新!!

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過ぎる風 におい帯びたり グミの花 12/04/28 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-18
週末定例更新のお知らせ
 4月が今日で終わる。2012年が1/3終わることであり、2012年度の最初の一ヶ月が終わるのである。なんとも速いものである。この感覚はどこからくるのだろうか。地球が太陽の周りを回るのにスピードを変えたりしていないはずなのに…。そう言えば明日からはじまる5月はあの「金環日食」の月でもある。
 きわめて特異なこの「ふしぎ!?」な日をきっかけに、もっともっとありふれた「ふしぎ!?」に注目する月になるといいな。

◆表紙画像集2012 
人里の植物シリーズ グミ(ゴンビ)
 まわりが新緑につつまれてきた。これってほんと一斉なんだ。申し合わせたように同時なんだ!
いや表現がまずい、申し合わせた「ように」でなくあらかじめ「申し合わせ」があるんだ。この「申し合わせ」の「ふしぎ!?」を学んでいくのが理科なのかも知れない。
 庭のゴンビの木も例年とほぼ同じ頃に、この「申し合わせ」に従って花を咲かせていた。いつのまにやら大きな木になってしまい青空に向け突出させていた。ひと月もすれば、これも「申し合わせ」に従って真っ赤な実をつけるのだろう。そして、夏がやってくる。

◆オンライン「寅の日」 更新!
 今、ひょっとしたら持病の「ばっかり病」を発症しているのかも知れない。
ここのところ「寅の日」のことばかりを語っている。
「防災」「減災」「原子」「自然観察」「研究」「学問」「俳句」…
なにをとりあげてもすでに寺田寅彦は語ってしまっているのかも知れない、そう思いだした。
SNS、Twitter、Facebook、ML等など使えるものはなんでも駆使してオンライン「寅の日」の展開をすすめていきたい。できるだけ長く続けて行きたい、そうすれば予想だにしない展開があるかも知れないから。
 

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5月オンライン「寅の日」の予定は

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▼大賀ハスの蓮根を植え替えて4週目であった。観察池の水面から顔をだした芽は6つになった。そのうちのいくつかが葉をひろげ始めた。いよいよ2012年の大賀ハス物語のはじまりである。
テレビを観ていると福島県三春町の滝桜のことが放映されていた、そして全国各地の「滝桜物語」が紹介されていた。時空を超えた感銘する数々の物語だった。
あの芭蕉の名句を思いだした。

さまざまの 事思い出す 桜かな

2012年各地の「大賀ハス物語」の展開の方も楽しみである。
▼今日は「昭和の日」。あの人も、この「昭和」を生きていた、亡くなったのが大晦日だから、ちょうど10年間生きていた。その人寺田寅彦と高嶺俊夫とが週一回のペースで、二人だけの昼食会をもちはじめたのが昭和3年(1928)の春であった。高嶺はこの日を「寅の日」と呼んだ。それにちなんで私たちはオンラインで寺田寅彦の書いたものを読む会のことをオンライン「寅の日」と名付けた。
▼平成24年の春、それははじまった。この4月からはじめたから、5月は2ヶ月めである。
暦の「寅」の日をその日とするから、12日に一度めぐってくることになる。2ヶ月で5回の計算になる、従って月2回と月3回を交互に繰り返すことになる。
5月は、第3回5/5(土)、第4回5/17(木)、第5回5/29(火)の3回の月である。
▼寅彦の書いたものはほんとうに多岐にわたっている。毎回なにを読むかは、前回とのつながりやオンライン「寅の日」に参加された人たちの意見をもとに考えて行くことにしている。
突然に変更することがあるかも知れないが、ともかくいろんなことはやりながら考えて行くことにする。
さしあたり
第3回オンライン「寅の日」5/5(土)は、今の旬ものということで
◆「五月の唯物観」
と、前回の「日本人の自然観」とのつながりで
◆「俳句の精神」
を読むことにする。

やるなかで少しずつ少しずつヒューマンネットワークがひろがっていくのが楽しみである。

 

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5月連休課題定番『タンポポの研究』!!

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▼今日から大型連休がスタートである。
家のまわりは、ほ場整備で昨年といっぺんしてしまったが、かわらず残された畔には今までとかわらずタンポポの花が咲き、もうすでに綿毛もできているものもある。
その風景をながめていると、ああ!今年も連休がやってきたなと感じるのであった。
▼私には5月連休ですぐさま連想するのが、課題研究定番『タンポポの研究』であった。
定番中の定番である。
【授業DB】やこのblogにも記録を残していた。
◆【授業DB】「タンポポの研究」
◆【授業】『タンポポの研究』への誘い
 8つの課題でタンポポの研究をするのである。
もうずいぶん以前から定番としているものであるが、やる度に新しい「発見」があったり、目を見はるようなレポートがでてきて驚かせられる。
 今年はどんなにすごいレポートが出てくるかな。楽しみである。
▼今ちょうど「科学の方法」について考えているところである。
この課題研究の中にも
・「観察」という科学の方法
・「実験」という科学の方法
・「写真」という科学の方法
・「育てる」という科学の方法
・「食べる」という科学の方法
が出てくる。
つまり自然をながめているだけではなく、自然にはたらきかけて学ぼうというわけである。
人類がずっとずっと続けたきたことだ。
▼今年は、私もこれまでにやらなかったことひとつでも加えて「研究」をやってみようと思っている。
そしたら
生徒たちの研究報告から、もっとすごいこと学べるかも知れないので…。

さあ、ゆっくり ゆっくりとはじめてみよう。

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今、「俳句」が面白い!!

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▼校庭のアメリカヤマボウシ(ハナミズキ)があたたかい雨に濡れていた。ちょうど100年前1912年の桜のお返しにと1915年アメリカから日本にやってきたハナミズキは、日本の自然にすっかり融け込んでいた。
 青空にも、曇り空にも、そしてすこしあたたくなりつつある雨にもとても似合いである。
 
ふたたびや 誇りの庭の 花水木

▼私は、我らが寅彦の俳句の薦め
◆寺田寅彦「俳句の精神」(青空文庫より)
を読み進めていた。寅彦の薦めはきわめて説得力をもつ。
思わず膝をたたきうれしくなってくるのである。
俳句と言う十七字詩の不思議な魔術が可能になったわけを次のように言う。

一つはすでに述べたとおり、日本人の自然観の特異性によるのである。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着(アドソーブ)させて自然と人間との化合物ないし膠質物(こうしつぶつ)を作るという可能性である。
もう一つの重大な理由と思われるのは日本古来の短い定型詩の存在とその流行によってこの上述の魔術に対するわれわれの感受性が養われて来たことである。換言すればわれわれが、長い修業によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。

さらには、「五七五」の必然と可能性について語りその具体的な手ほどきにまで話は及ぶ。

初五が短いためにそのあとでちょっとした休止の気味があって内省と玩味がんみの余裕を与え、次に来るものへの予想を発酵させるだけの猶予(ゆうよ)を可能にする。中七は初五で提出された問題の発展であり解答であるので長さを要求する。最後の五は結尾であって、しかもそのあとに企韻の暗示を与え、またもう一ぺん初五をふり返ってもう一ぺん詠(よ)み直すという心持ちを誘致するためには、短いほうが有効であるかと思われる。

と。
読み進めるあいだに、私はこの世界の先達からすればお笑いのような無謀なる計画を決意した。
それは俳句結社「寅の日」をつくることである。
寅彦の俳句観に感化され、俳句修業にはげみ楽しむ会をつくるのである。
▼その修業の意義を次のように語ってくれ、背中を押してくれている。

日常生活の拘束からわれわれの心を自由の境地に解放して、その間にともすれば望ましき内省の余裕を享楽するのが風流であり、飽くところを知らぬ欲望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか。  俳句を修業するということは、以上の見地から考えると、退嬰的(たいえいてき)な無常観への逃避でもなければ、消極的なあきらめの哲学の演習でもなく、またひとりよがりの自慰的お座敷芸でもない。それどころか、ややもすればわれわれの中のさもしい小我のために失われんとする心の自由を見失わないように監視を怠らないわれわれの心の目の鋭さを訓練するという効果をもつことも不可能ではない。
  俳句結社「寅の日」は、ソーシャルメディアを駆使しようと思う。 Twitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」「アクティブ」)であろうと思う。

さっそく5/5(土)の第3回オンライン「寅の日」には、この「俳句の精神」をオンラインで読むことを加えよう。

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「俳句」という科学の方法について

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▼旅から帰った翌日の朝、いつもの散策コースを歩いてみた。いちばん驚いたのはスギナ林だった。それは林を通り越してジャングルのようになっていた。私のスギナ(つくし)の胞子を育てるという挑戦は今のところ芳しい結果でていない。それに比して自然の方はどうだ、みごとに仲間をふやしていくではないか。目を見はる成長を続けるではないか。自然のからくりをもっともっと知りたいと願うのは必然である。
▼角川の『俳句歳時記』(第三版)の序は次のようにはじまっている。

「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」と詩人寺田寅彦は言った。

さすが寅彦である。みごとな定義づけである。ここでは科学者・寺田寅彦ではなく「詩人」寺田寅彦なんである。
あまりみごとな言い切りであり、定義づけなものなので、その出典が知りたくなった。
どんな文脈のなかで語られたものか知りたくなったのである。キーワードをいろいろ変えて検索をかけてみるがなかなかわからない。その趣旨に近い文章があった。
◆俳句の精神(青空文庫より)
である。
▼第二回オンライン「寅の日」の「日本人の自然観」と関連して、たいへん興味深い寅彦の俳句観である。
日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという言わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とをいっしょにしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。少し言葉を変えて言ってみれば、西洋人は自然というものを道具か品物かのように心えているのに対して、日本人は自然を自分に親しい兄弟かあるいはむしろ自分のからだの一部のように思っているとも言われる。また別の言い方をすれば西洋人は自然を征服しようとしているが、従来の日本人は自然に同化し、順応しようとして来たとも言われなくはない。

と言い、つづけてここまで言う。
この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。

ここまで言われると、自ずと「俳句」に興味がわいてくる。
 これまで私はWebページ更新するたびに、表紙の画像貼り替えそこに「俳句もどき」のようなものを貼りつけてきた。その「もどき」を考えながら思った、これはなかなか面白い「科学の方法」であると。
▼とは言っても、これまでに「俳句」に関してなにも勉強したことがない。いつものように無手勝流である。
いちど初歩の初歩を勉強してみたくなった。
そこでNHK学園通信講座「はじめての俳句」を申し込んでみた。先日そのテキストが着いた。
「60の手習い」である。どこで投げ出すかわからないがちょっとやってみよう。

「私の科学」の方法にはいくつもの方法があっていいような気がする。
・「実験」という方法
・「観察」という方法
・「写真を撮る」という方法
・「育てる」という方法
・「食べる」という方法
などなど

そんな方法のひとつに「俳句」があってもいいかも知れない。と言えるようになりたいな、いつの日か。

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私のホームページは14歳に!!

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▼昨日旅から帰って、ここに朝の「雲海の富士山」をあげた、そしたらFacebookなどで、ネット上の古くからの友人たちから「いいね!」をいただいた。とてもうれしかった!!ネットの世界に帰ってきたという気分になった。
ついその続きの画像をアップしてしまうだった。
 これがネットの世界の醍醐味であり楽しさであろう。
▼ちょうど今から14年前の1998年4月25日。私はこのネットの世界の面白さに誘われて、拙い私のホームページを立ち上げた。楠田純一の【理科の部屋】である。
先達たちの見よう見まねで多くの人の世話になりながらたちあげた。
日本最初のホームページ立ち上げから6年目の春だった。
▼そのころの意気込みを、後日「理科教師のためのホームページつくり講座」として残していた。
今読みかえしてみても驚くほど気持ちは同じである。
コンセプトも変化はない。
データの枠組みは、いちばん最初にきめたままである。変わり映えのないと言えばそれまでだが、「不易」を求めるとこうなるとも言える。
▼ホームページ、Webページにとって「更新」はいのちである。
えらそうに言えるほどの更新ではないが、ここ数年は毎週欠かすことなく週末定例更新をしている。
表紙画像を毎週更新し、ここのblog記事を貼り付けるだけの作業であるが、続けることに意義を見出そうとしている。
 Webページ最大の読者は「未来の私」であることにはかわりはないが、更新へのモチベーションをいちばん高めてくれるのはやはりネット上の「読者」であり友人たちである。
 そんな人たちに支えられつつ、可能なかぎり更新を続けよう!
と決意するホームページ14歳の誕生日の朝だった。

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雲海の富士山を見た!!

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▼今朝、私は雲の上にいた。雲海の富士山がとてもきれいだった。やがて日が昇ってきた。雲が自分が立っている位地より下にある感覚はというのはやっぱり「ふしぎ!?」な感覚である。そこにあの富士が…さらにはそこに日が昇る。はじめての体験かも知れない。
▼私は、旅に出ていて先ほど帰った。いつもだったら、旅の時もノートパソコンを持って行き毎日欠かさずblogの更新を続けて来た。今回はそのノートパソコンも持って行かなかったしオンライン環境ではないところにいたもので、ついに昨日4/23(月)だけblog更新をしなかった。
 なんとへんな感じである。何年ぶりだろうそんな日は…。
 もうほぼ完全にblog更新は私の生活の一部になってしまっていると感じる。
▼その4/23には第2回オンライン「寅の日」であった。
留守にしていて応答できなかったことも、これからゆっくりやっていきたいと思っている。
ゆっくり 急いで!!

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【Web更新4/21】12-17 オンライン「寅の日」更新!!

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赤児葉の ういういしさや 今年もと  12/04/21 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-17
週末定例更新のお知らせ
 今週はこの週末定例更新を一日前倒しにする。もう長くなってきた毎週末の定例更新、毎日のblog更新であるが、今週末だけ変則的になる。オンライン環境にないところにでかけるためである。外出しても最近ではほとんどのところでつながったままであったので普段と同様に更新を続けてきたが、今回はそうはいかないようだ。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ クヌギ
 タケノコの旬である。若葉の季節でもある、朝の散歩で見かける木々も若葉がのびてきている。若葉の緑になる前はなにか共通して赤っぽい色をしているものなのだろうか。
 私は勝手にそれを「赤児葉」となずけてしまった。動植物の擬人的把握の効用を薦めたのは庄司和晃さんだった。共に暮らす生命としての把握・理解それがゆたか暮らしに結びつく。蓄積されてきた常民の「科学の方法」でもある。それにしてもこの若葉にいたる成長エネルギーは、これからの展開に期待を抱かせてくれるものである。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 単なる思いつきからの出発であったがだんだん面白く感じてくるようになってきた。明日23日は第2回目のオンライン「寅の日」である。
 読めば読むほどすごい!!と思えてくるのは寺田寅彦の書いた文章だ。
あまりにも今日的である。そして「これから」を示唆している。
少しずつ少しずつ一緒に読む人の輪をひろげていけることができたらと願っている。


 

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4/23(月)は、第2回オンライン「寅の日」!!(続)

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▼定例観察日より一日はやかった。午前中の雨がかろうじてやんでいた、大賀ハスの蓮根の植え替えをしてから3週目であった。4本の葉柄の若い芽が水面から顔を出していた。若い新鮮な芽がまるで古い殻を破るようにして顔を出していた。なんと若いエネルギーに満ちていることか、太陽からのエネルギーを受けてのこれからの展開が楽しみだ。若さは常に期待感を抱かせてくれるものである。
▼寺田寅彦はこの「日本人の自然観」を書いた昭和10年(1935)の12月31日、骨腫瘍のため死んでいる。
なんと57歳という若さである。私はもうそれをはるかに通り越してしまった。
人の書いた文章に自分の文脈がつながり、リンクしていくときというのはなんともうれしいものである。
思わず膝をたたきよくぞ言ってくれたと喝采したくなる。
ひとりよがりの我田引水読みだ。それは「日本人の日常生活」の段落にあった。
こうだ!!

 農業者はまたあらゆる職業者の中でも最も多く自然の季節的推移に関心をもち、自然の異常現象を恐れるものである。この事が彼らの不断の注意を自然の観察にふり向け、自然の命令に従順に服従することによってその厳罰を免れその恩恵を享有するように努力させる。

またこうも語る。
 津々浦々に海の幸さちをすなどる漁民や港から港を追う水夫船頭らもまた季節ことに日々の天候に対して敏感な観察者であり予報者でもある。彼らの中の古老は気象学者のまだ知らない空の色、風の息、雲のたたずまい、波のうねりの機微なる兆候に対して尖鋭(せんえい)な直観的洞察力(どうさつりょく)をもっている。長い間の命がけの勉強で得た超科学的の科学知識によるのである。それによって彼らは海の恩恵を受けつつ海の禍わざわいを避けることを学んでいるであろう。

そうだ!!さすがである。ちゃんと書いてくれたいたのである。感動ですらある!!
これぞ私流に言えば「常民の科学」なのである。
「常民の科学」を授業に!!は私のライフワークであるとも思ってきた。
▼寺田寅彦に今さらのごとく惚れ込むのはそこで終わらないところだ。
「これから」もきっちり書いてくれていた。
「日本人の精神生活」のなかに、その提言はあった。
現在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。その合理性を「発見」し「証明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。

 そうなんだ!文才のない私などには思っていても言葉にできないことを、超一流の科学者が言葉にしてくれていた。この文章に出会えただけでも、私にとってのオンライン「寅の日」は意味あるものになった。
この「日本人の精神生活」のなかには、この他にも「これから」に有効な提言の数々がある。
それはあらためてのべていきたい。ゆっくり ゆっくり 急いで!!
▼ひとつのものを見るのに、見る角度や時間を変えて見ると、まったくちがうものが見えてくる。
それが面白い。「こう見えたぞ!!」と報告しあうと、思わぬ「発見」があったりしてさらに面白い。コミュニケーションのはじまりである。「寅の日」はそのコミュニケーションの場である。
 これからも、元祖サイエンスコミュニケーター「寺田寅彦」から学び続けたい。

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4/23(月)は、第2回オンライン「寅の日」!!

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▼今朝は雨のようだ。しかし、昨日は晴れていて屋外での自然観察にうってつけの天気だった。「春を観察しよう」と学校周辺の自然観察に出かけた。教科書にに出ているナズナ、オオイヌノフグリ(ホシノヒトミ)、カラスノエンドウ、ヒメオドリコソウなどのチェックと一種のスケッチをするためである。
 そのとき前から気になっていたシロバナタンポポの観察もした。なんど見ても私にはめずらしいタンポポに見える。もうずいぶん以前になるが、このシロバナタンポポを追いかけているとき、四国生まれの友人が語ってくれたことがある。「私は幼い頃長い間タンポポは、白いものだと思っていた」と。
 この言葉に私はずいぶんと驚いた。黄色い花の代表であるようなタンポポが白いなんて、またそれがアタリマエなんて!!
▼私とその友人とは、ちょっと大袈裟に言えば、「タンポポ観」がちがっていたわけだ。
それはささいな一例である。だから私たちが「私たちの自然観」と言っても、それはそう簡単にひとくくりにして考えられるものでない。そんなことを「緒言」にした寺田寅彦の示唆的な文章がある。
◆寺田寅彦「日本人の自然観」(青空文庫より)
である。この文章をオンラインで多くの人と一緒に読もうというのが、第2回オンライン「寅の日」である。
4/23(月)の実施である。
私は、当日オンライン環境にない状況になる可能性が出てきた。そこであらかじめ予告もかねて読んでみようと思う。
▼「緒言」からきわめて示唆的なことを語っている。
「自然と人間」について

 われわれは通例便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。この両者は実は合して一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。人類もあらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たものであって、あらゆる環境の特異性はその中に育って来たものにたとえわずかでもなんらか固有の印銘を残しているであろうと思われる。

もっともベースとすべき「自然観」の表明である。
寺田が「現代の科学的方法の」というときの「現代」とは77年の時空を超えて「今」なのではないかと思う。
▼つづけて言う。

 そういうわけであるから、もし日本人の自然観という問題を考えようとするならば、まず第一に日本の自然がいかなるものであって、いかなる特徴をもっているかということを考えてみるのが順序であろうと思われる。

納得である。
我田引水で言うならば、これを学習することが、日本の理科教育の重要な役割とも言えるのではないだろうか。

<つづく>

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「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」

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▼昨日の朝、大賀ハス観察池を見た。葉柄の芽が水面から予想通り二つ三つと顔を出してきた。ますますこれからが楽しみとなってきた。その水面にとなりの菜の花ときれいな青空が映っていた。黄色い菜の花と青色の空、それはそれはみごとなものだった。そしてあの「ふしぎ!?」が浮かんできた。「空はなぜ青いのか?」
▼なんとも原初的な不思議だ。その「ふしぎ!?」がやっぱり今回も出てきた。
ノートの書き方と一緒に、今回も私の「ふしぎ!?」から出発した。12~13年生きていて、今いちばん不思議に思っていることを発表しながら自己紹介をしてもらった。
複数の生徒から出てきた。青空の不思議は。
それだけでなかった。実に多様なる私の「ふしぎ!?」が飛び出してきた。
・アダムとイブから出発してどうしていろんな人種にわかれていったのか?
・なんでものは落ちるのか?
・虹はなんで何色もあるのか?
・宇宙の果てはどうなっているのか?
・宇宙はどうして生まれたのか?
・人間はなぜ死ぬのか?
・死んだらどうなるのか?
・水道の水が落ちたとき下の水面はなぜへこむのか?
・血液型はなぜ分かれているのか?
・もうひとつ地球があると聞いたがほんと?
・FAXはどうして遠く離れたところに送れるのか?
・太陽はなにでできているのか?
・利き手の中指の爪がいちばんよくのびるのはどうして?
・眠っていてみる夢ってなに?どうなっているの?

まだまだある。私の「ふしぎ!?」はつづくのだった。
▼やっぱりそうなんだ。誰も「ふしぎ!?」を持っているのだ。
この謎解きをやっていくのが、科学なんだ!理科という勉強なんだ!!
もちろんいっきょに謎解きはできるわけではない、またすべての「ふしぎ!?」の謎解きが終わっているわけではない。いや、ほとんどの「ふしぎ!?」がまだまだ途中なんだ。わかっていることのほうがほんのわずかななんだ。
だから謎解きは面白い!!楽しいものなんだ!!
昔の人もこの「ふしぎ!?」の謎解きに挑んできたんだ。
あまり出てくる「ふしぎ!?」が面白いものでついコメントをしてしまっていた。
でもやめた。
そして、帰ってからあの文章を読みなおしてみた。

 子供の時代から現在までに自分等の受けた科学教育というものの全体を引くるめて追想してみた時に、そのうちの如何なるものが現在の自分等の中に最も多く生き残って最も強く活きて働いているかと考えてみると、それは教科書や講義のノートの内容そのものよりも、むしろそれを教わった先生方から鼓吹された「科学魂」といったようなものであるかと思われる。

つづけて、こうも言っていた。
 科学教育の根本は知識を授けるよりもむしろそういう科学魂の鼓吹にあると思われる。しかしこれを鼓吹するには何よりも教育者自身が科学者である事が必要である。先生自身が自然探究に対する熱愛をもっていれば、それは自然に生徒に伝染しないはずはない。実例の力はあらゆる言詞より強いからである。
 すべての小学校、中学校の先生が皆立派な科学者でなければならないという事を望むのは無理である。実行不可能である。しかしそんな必要は少しもない。ただ先生自身が本当に自然研究に対する熱があって、そうして誤魔化さない正直な態度で、生徒と共に根気よく自然と取込み合うという気があれば十分である。先生の知識は必ずしもそれほど広い必要はない。いわゆる頭の良い必要はない

寺田寅彦「雑感」(青空文庫より)にある言葉である。
▼なんとも背中を押され勇気を与えられる言葉である。
その寅彦の応援を支えに、今年も発し続けよう。あの寅彦の口癖を

「ねぇ君、不思議だと思いませんか」

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「科学の方法」とは?

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▼一年ぶりにその場所に出かけてみた。シロモクレンの林がある公園である。いちばんの見ごろには少し離れたところから見ていてもよくわかる、山裾がファンタジックな「シロの世界」にかわるのである。それはみごとなものである。出かけた昨日は、見ごろを少しはずしてしまっていた。少し茶色の部分が見えるようになってしまっていた。
それでもすばらしい!!まるで異次元にでも来たような気分になった。
▼あらたに不思議を追う旅に出た。
その旅のはじまりは、あの「サイエンスコミュニケーター宣言」のはじまりと同じものを持ってきた。
●1912年ウェゲナーの「大陸移動説」
それから100年!!
●1831年 ファラデーの「電磁誘導」発見
それから181年!!
一年が加わったにすぎない。私の科学のはじまりと終わりの「定番」になりつつある。
そう!はじまりは、いつもちょっとした私の「ふしぎ!?」にあるのだ。
▼「ふしぎ!?」を追い続けるには、その方法が必要である。言わば「科学の方法」と呼んでいいようなものである。私は、そのひとつに「記録」があると思っている。
そして授業で「記録」と言えばノートである。ノートをどのように使うか。
再度、確認してみよう。
1.日付 天気 (判断する度に「空見」だ!)
2.タイトル(何を学んでいるか)
3.一ページ一時間 (一枚一項目のカード方式)
4.<自分の考え>を必ず!!
5.<ふりかえり>
ノート術も進化する。やりながらあらたなもの開発できるとうれしい。
▼私の「ふしぎ!?」を「等身大の科学」にし「私の科学」にまでしていく道のりは遠い、しかし楽しく面白いものである。道のりの遠さに呆然としたときは、私は寅彦のあの文章を読むようにしている。
◆寺田寅彦「科学者とあたま」(青空文庫より)
そして自分に言い聞かす。

ゆっくり 急ごう!
と。

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新たな学びのスタイルを求めて

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▼いつも見ているつもりでいた。目にはしていたはずである。しかし、しかと気づいたのは昨日だった。
あの定点観測地のヒガンバナがレンゲソウの包囲網にあっていた。光を独占してヒガンバナの天下だった季節は過ぎようとしていた。葉は枯れ地面にへたっていた。
 毎年繰り返してきた光景である。しかし、そのたびにあらたな感動がある、このヒガンバナのみごとな戦略に。
▼昨日もうひとつ感動したことがあった。
それは、例の「24時間ソラをLiVEする番組「SOLiVE24」!!」であった。ちょうど昨日は16日ということで、「ソライロの日」であった。16(イロ)をもじって、毎月16日16時16分の全国各地の空のイロを報告しあうという企画らしい。全国各地からその時間の空のイロが画像をともなってレポートされている。各地のレポーターは情報発信者であり情報受信者であった。
▼これを見ていてすぐさま思いだしたのはあの【星空の連帯】であった。
毎月、同時刻に提案のあった時刻にその星空を見て報告しあうという企画であった。全国で大いに盛り上がった、それは【理科の部屋】の目玉企画でもあった。
 同じ星空を見て、「時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界」。それは私たちのめざした学びのスタイルそのものであった。
 その【星連】のはじまったNIFTY-Serve(パソコン通信)は先日の15日で25周年だそうだ。
▼歴史は繰り返す。
学びのスタイルもしかりである。新しさは常に「歴史」のなかにある。
見た目だけの流行に眩惑されてはいけない、つねに不易なものにこそ注目したいものである。
ソーシャルメディアを駆使しての新しい学びのスタイルも、それは「響きあい・学びあい・高めあう」をめざすものでありたい。

 

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【Web更新4/15】12-16 【植物の世界】!!

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スギナ林 想い馳せるや 古生代
12/04/15 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-16
週末定例更新のお知らせ
 先週一週間は「つくし」「デジタル顕微鏡」という一点をめぐっての展開は、週初めには想像もしていなかったものとなった。私は、たった今面白い造語を思いついた!!
 「ピンホール思考法」ピンホールカメラというのは、私の「ふしぎ!?」のはじまりであった。小さな穴を通すことによって、風景は、自然はスクリーンに像を結ぶのである。我々の目の構造そのものでもある。
たった一点の「ふしぎ!?」の穴をとおして自然の不思議の謎解きをやっていく方法、その科学の方法、思考法を私は「ピンホール思考法」と呼ぼう。
 さて、今週はどんなピンホールを開けようか。

◆表紙画像集2012 更新 人里の植物シリーズ スギナ
 先週の小さな穴「つくし」の続きである。朝の散策をしていた。「花見」の絶好機にもかかわらず私の意識と興味は花以前にあった。もっともっと古い時代だ、花のなかった時代だ。
 夥しい胞子をまいて粗製乱造の戦略をとっていたシダ植物たちは地球上を征服していた。
その時代の生き残りが今目の前にある。土手沿いのスギナ林を立ち止まり眺めいたらいつしか数億年前の世界に思いを馳せていた。

◆【植物の世界】 更新
 授業実践DBは、私の授業してきたことのほとんどがつまっている。まだ未整理のところも多いがそれは追々やっていこうと思っていた。しかし、それは思いだけでここのところずいぶん遠ざかっていた。
 私の授業テキストの原点でもあった「植物の世界」を手始めに少しずつ更新してみることにした。

◆オンライン「寅の日」 更新
 これははじまったばかりである。4/11(水)が第一回目であった。
第二回目は4/23(月)であった。Facebookなどでは感想・意見もいただいたがまだまだ拡がっていくのはこれからだと思っている。まずこんなことをやっているということを多くの人に知ってもらわなければはじまらない。
 しかし急ぐ必要はまったくないと思っている。
 楽しく続けていればきっとあらたな展開があるはずである。それがオンラインの醍醐味だ!

◆新・私の教材試論 更新
 試論としては大きく前進したわけではないが、自分の中であらたな「教材観」が生まれたり、新しい教材・教具にもであっているのでこれも継続更新をめざしていきたいと思う。

今週は、またあらたな「ふしぎ!?」をもった生徒たちに出会う。
楽しみである。

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「胞子(つくし)のダンス」をYouTubeで!

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▼昨日も続けて雨かと思ったら、お昼近くから絶好の花見日和となった。大賀ハスの観察池は蓮根の植え替えから2週間目である。観察池に使った土の残りのところに偶然育った菜の花がきれいだ。あまりにきれいなので観察池とコラボしてみた。観察池の方は、もう濁りはなくなり新しい芽がのびこようとしているが、まだ水面からはひとつも顔を出していない。来週には新しい芽の展開があるだろう。
▼デジタル顕微鏡の観察の方も行きつ戻りつすすめていた。先達のアドバイスのおかげでやっと動画での記録もできるようになった。うれしかった!そこで一挙にその動画をYouTubeで公開してみることにした。
はじめてのYouTube公開だ!!動画初のエチュード(習作)!!
公開したのはもちろんあのスギナ(つくし)の胞子である。
blogに貼り付けるのもはじめてだ、だからうまくいくかどうかわからないがやってみなければはじまらない。
 

▼習作と言えば思いだすのは、30年近く前につくった授業テキスト『植物の世界』だ。
そこにこう書いていた。

テキストづくり これまでとこれから

 この「植物の世界」のテキストづくりは、最初にも書いたように「動物だけではなく植物をなんとか‥‥‥」という思いから出発した。思いはあっても、まったくのシロウトの私達にはわからぬことばかり、そんなときたよりになるのは、次のことであった。

 ① 先行する仲間が、どうやったか、そこから貪欲に学ぶこと。
(中略)
 ② 授業にかけて、子どもに学ぶ、自然(植物)に学ぶこと。 
 ここが、こうだろうと思って、プリントして授業してみてもけっしてうまくいくとはかぎらない。そんなときやっぱり最大の味方は、子どもであり自然である。子どもたちが「おもしろい」ということには、どこか本質的なことが含まれているのである。

 これまで、①②のことを中心に、多くの人の意見や教えを受けながら、テキストは、ここまできている。まだ、まだ、ここへいれたい<よみもの><問題>というのもいっぱいある。はぶいた方がいいところもっぱいあるだろう。スライドづくりもすすんできている。大まかな流れの変更もこれからあるかも知れぬ。従って、これは現時点での中間報告であり、私たちのエチュード(習作)である。いつまでもそうであると思うが‥‥‥。 いろいろ御意見いただけるとうれしいです。

(’83.8『理科教室』臨時増刊号 たのしくわかる授業プラン・テキスト集 より)


▼長々と昔のことひっぱりだしてきたのは、シダやコケも本格的に中学校にもどってきた今、あらためてテキスト『植物の世界』をつくってみたいという気持ちになってきたからである。
当時は、その授業に必要なスライドづくりにも夢中であった。
今はもっともっとすぐれた資料も準備可能になってきている。一方では電子教科書の取り組みも進んできているのだろう。
 そんなことも射程に入れながらの習作『新・植物の世界』の作業に挑戦してみたい。

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つくし誰の子 スギナの子!?

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▼昨日もまだ続けていた。つくしから飛び出した胞子の観察を。「ハアー」観察は面白すぎるのだ、何度も何度も繰り返した。そのうち動画に納めて、ここに貼りつけたいと思うようになった。しかし撮ったはずの動画がなかなか再生できないのだ、いろいろ教えてもらってやるがうまくいかない。またの挑戦にする。
▼もうひとつの挑戦にうつる。
「つくし誰の子スギナの子♪」
この童謡がいいなと思った。ちゃんとつくしとスギナの関係を歌ってくれている。
ところで、この童謡はどんな童謡の一節だったのだろう。妙なことが気になりだした。
こんなうまいこと誰の頭にも残るように歌い込むなんて、すばらしい!!
いろいろ検索をかけた結果わかった。

 つくし

作詞 /五十野惇、作曲 /早川史郎


(1)
つくし
だれの こ
すぎなの こ

(2)
つくし
はるです
あそぼう よ


http://www5a.biglobe.ne.jp/~pappy/p-letter.htm

なんだ、これだけなんだ!!
でもうまいな!!
▼でも、ほんとかな「やってみなければわからない」精神で、胞子のダンスを堪能した次は、この胞子を育ててスギナにすることに挑戦してみることにした。
 胞子を播くのは寄木康彦さんに教えてもらったジフィーセブン(種蒔き用土ポット)を使用した。
胞子は緑色をして葉緑体をもっていたから、さっそく光合成もするのだろう。そこで一つはアルミホイルでくるんで光があたらないようにした。
 「おべんとう持ち」の種子のようなことがないから、胞子はたいへんだ。
例のビデオによれば、ひとつのつくしから100万個も胞子がとびだすと言っていた、粗製乱造なんだ!!。
数で勝負をしていくのだ。
 だから、スギナまで育てるなんてなかなかむつかしいかも知れない。
でも、やってみなければわからない!!
 つくしたちは何億年もこうして地上に生きてきたのだから、きっと…。
▼「つくし誰の子スギナの子♪」だから胞子を育てば前葉体になり、スギナになっていく。
このアタリマエの「ふしぎ!?」を、自分で確かめてみる。
そんなところから等身大の科学がはじまり、「私の科学」になっていく。
今年もやっぱりアタリマエの「ふしぎ!?」いっぱい追いかけてみよう。

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今、ツクシが面白い!!

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▼例のデジタル顕微鏡を少し触れる時間ができた。いつもデジタルもの導入時にはすったもんだする、それは根本がわかっていない人間の性である。しかたないとあきらめそれを楽しむぐらいの気持ちで「ゆっくり」である。
顕微鏡自身は案外簡単にセッティングできた。少し手こずったのだがなんとかソフトの方も導入することができた。
▼まずなにを観察するか。それはやっぱりツクシ(スギナ)の胞子である。
数日前に採取したものが縁側の白い紙の上に放置してある。そこからほんの少しだけスライドガラスにのせ倍率を変えてみてみる。最終的には100倍で見た。四本の弾糸もしっかりみえる、息をハアーと吹きかけ湿らせたときの変化も、乾燥して元に弾糸をのばすときの変化もしっかり見える。面白い!!
単に画像、動画を見て驚くのとはちがう、もちろんそれは見ないよりは面白いが、実際に自分で息を吹きかけ見てみると圧倒的にリアリティがちがうのである。
 胞子がなんとすごいことをやっているのだ!!とリアルに見えてくるのである。
▼胞子がどんな役割をしているのか。
先日話題にしたとき、Facebookで友人がたいへん興味深い動画を紹介してくれた。
◆NHKミクロワールド 「飛び出す胞子 ツクシの秘密」
観察を補足し、興味をふくらませてくれる動画である。
それにしても「ツクシ」は面白い。今が旬のすぐれた教材である。
・種子と胞子のちがいは?
・胞子から種子へ、それは植物の進化の物語まで発展する。
・古生代石炭紀は…。
▼今度は、いよいよ前から言っている「スギナ(ツクシ)を育てる」に挑戦してみる。
デジタル顕微鏡の方では、動画を記録することに挑戦してみる。
わかっている人にはなんていうことはない単純なことでも、いつも「初心者」の私には、なかなか手こずることがいろいろあるのである。
 

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デジタル顕微鏡が届いた!!

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▼昨日の雨は夕方まで続いた。やっと少し小降りになったと思って外に出たら、今週のWebページの表紙にしている牡丹がまたまた変化していた。なんとこの変化の速いことか。この調子だと予想すらできないあの牡丹の花が見られるのはそう遠くないのかもしれないと思ってしまう。
 そう、このように肉眼で見えるのものはまだ意識すれば見えてくるのでまだましかも知れない。問題は、見ようとしても見えない小さいものや、遠くにあって見えないものである。
これらを「見る」ことから科学が始まったのである。
▼小さいものを見る顕微鏡の発明は1590年、オランダのメガネ商父子によって発見されたようだ。
たった400年ちょっと昔の話だった。望遠鏡も同じ頃である。
 そのことからもわかるように「近代科学」が見えないものを見ることからはじまったとも言えるのだろう。
その後、あの「フックの法則」のロバート・フックが手製顕微鏡で「細胞」を発見するのは1665年である。
そんな世紀の大発見の話は置いといて、私は昨年の夏、やっと双眼実体鏡を手に入れあこがれの「クマムシ」に出会った。我が家の庭では「オニクマムシ」にまで出会った。それは、双眼実体鏡を手に入れ、自宅でゆっくり観察したからでもあろう。
▼そのころからずっと今度は、デジタル顕微鏡が欲しいと思っていた。
ゆっくりと自宅で観察するだけでなく、デジタルで観察したものを記録できるというのに興味があった。
先達がそれで記録した画像をブログにあげていた。見せてもらっているうちに私もとなってしまった。
発注したのはデジタル顕微鏡 EV5680Bである。それが届いた。
オンライン「寅の日」の初日の昨日は、梱包をとくまでであった。
▼今日はいよいよ観察に入りたいものだと思っている。
これまでに「見えなかった」何が見えてくるだろう。
そして、私にどんな「科学」がはじまるだろう。

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本日、第1回オンライン「寅の日」!!

▼本日、2012年4月11日。ちょうどあれから一年と一ヶ月だ。昨日の神戸新聞の一面に「山崎断層は死者3920人 兵庫県が地震被害予測」の記事があった。そうだ、私は山崎断層のうえに暮らしているのだ、と思いだした。同時に3.11を思いだした。そして、あの有名な寺田寅彦の言葉「天災は忘れた頃にやって来る」を思いだした。
▼その寺田寅彦の警鐘の科学に耳を傾け、これからの科学を語り合う。84年前の高嶺俊夫にならって「寅の日」と命名したオンライン「寅の日」、本日スタートである。
 第一回目の今日は「天災と国防」(青空文庫)を読む。
 実は先の名言「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田の文章のどこにもないらしい。このころの寺田の発言を弟子の中谷宇吉郎がまとめたものらしい。それにしてもけだし名言である。
 それに近い意味内容のことが、この「天災と国防」のなかにある。

そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。

▼全体を読んでみて、最初に思うことはきわめて今日的であるということである。文章が書かれたのは昭和9年(1934)だから、それから80年近くたっているのである。なのにたった今の警鐘のように聞こえるのは、どうしたことなんだろう。ズバリの指摘がここにある。
 

しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

警鐘から80年たって、図らずも私たちはこの「事実」を証明してしまったのである。過去形で語ってはいけない、まだまだ進行形なのである。
 さらに「忘れるな!!」と警鐘を打つ音を大きくする。

こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂(きゆう)ではない。しかも安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸いであったが、次に起こる「安政地震」には事情が全然ちがうということを忘れてはならない。

そして最後にこう提言している。

天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫(こんちゅう)や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。

私たちは今、二十一世紀の日本に暮らしているのである。ならば…。
▼このオンライン「寅の日」は、【理科の部屋4】@folomyでも展開していくつもりである。
またTwitter、Facebookでの展開も面白いかも知れないと思っている。
まずは続けてみようと思う。感想、ご意見をよろしくお願いします。

次回、第2回は4月23日(月) 「日本人の自然観」を予定している。

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新・私の教材試論(71)

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▼それにしてもあたたかくなったものである。まさに花見日和である。そんな午後、へそ曲がりにもツクシ(スギナ)の胞子を観察していた。緑から少し茶色がかったツクシをとってきて白い紙の上でとんとんとする。
緑の粉のようものがすぐ出てくる。白みがあるのは弾糸のせいであろうか。
双眼実体顕微鏡でのぞいてみた。たしかに緑色をしている、この胞子は葉緑体をもっているようだ。横からそっと「ハアー」と息を吹きかけてやる。弾糸は縮こまる、多数のかたまりであったため毛糸玉のように固まる。
のぞき続けていると、それはみごとにひろがっていく、弾糸がのびてひろがっているのである。
まるで「生きもの」のようである。いや、訂正!!「生きもの」そのものなのだ!!おみごと!!
▼さらには、発注したデジタル顕微鏡がきてからにする。
この後、私はこの胞子を育てるつもりだ。ずっとずっとそれがやりたかったのだ。
参考にさせていただこうと思う資料はふたつある。
ひとつは
●加藤俊一「胞子と種子のちがい-スギナの胞子を育てる-」(『やさしくて本質的な理科実験3』P158評論社1985)
 初出は1977年の『わかる授業』だから、提案そのものは35年も前のものになる。今読んでもまったく色褪せていない、中学校にシダ・コケが本格的に帰ってくる今こそという感じである。
なによりすばらしいのは「授業のなかで」がちゃんと書かれていることだ。提案された当時からずっとずっとやりたいと思っていた。やっとの「挑戦」である。
もうひとつある。
●寄木康彦「シダ植物を探求する」(『理科教室』日本標準刊2012年3月号巻頭)
こちらは、つい先日も寄木さんに直接会い、発表も聞いてところでもある。
またカラー補足ページもつくってくださっている。ありがたい!!
 このふたつの資料を参考にはじめようと思う。
▼教材化についてもう少し先達に学んでみよう。
数々の実験教材を開発してこられた故鈴木清龍先生が、『やさしく本質的な理科実験4』のまえがき「実験集の歴史と特質」のなかで、とても興味深いことを書いておられる。

理科ぎらい、理科ばなれがいわれますが、そんな状況のなかで実験書、ものづくりは花ざかりのようです。超教科は脱学校を生みだしています。(それはあだ花か。)私たちは脱学校のなかから、学校での学習が再構築されると考えていますが。  それは、これまでの蓄積の成果を自らのものとして、子どもの要求に敏感に反応し対応できるように自らをつくっていくことによるしかないのではないでしょうか。 2001年8月  (同書P4)

この文章が書かれた時代に私は大きな意味があると思う。
それから10年、清龍先生の提言は益々重要な意味をもってきている。
▼「学校での学習が再構築される」ことが、緊急課題の今、教材化の原点にたちかえり再吟味のときがきている。
教材は「授業で生まれ 授業でつくり変えられる」。
このアタリマエ!!
今、一度!!

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【Web更新4/8】12-15 新・私の教材試論!!

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加速度の 変化(へんげ)楽しや 牡丹かな

12/04/08 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-15
週末定例更新のお知らせ
 新しい年度が始まった。2012年度の仕事の内容もほぼ固まってきた。サイエンスコミュニケーターとしての一年が過ぎ、二年目である。年間の主な計画を立ててみる。
 途中で軌道修正は必要であるだろうが、それはそのときの問題としよう。
道楽的「科学」の追求、道楽的「理科」の創造!!
 ゆっくり急ごう!!

◆表紙画像集2012 人里の植物 ボタン
 それは毎年春に目の前の庭でおこっていた変化(へんげ)であった。見てはいたけど知らなかった。
驚くばかりのスピードをもった変化であった。冬芽は赤く、気になる存在ではあった。
臨界点に達したかと思うといっきょにその変化は展開しはじめた。若葉がいっきょに伸びだしあの巨大なる花・牡丹に変化していく。
 思わず寅彦してしまうのである。
「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」と。

◆新・私の教材試論 更新!!
 私のライフワークと言えるページ。久しぶりの更新である。
再度、サイエンスコミュニケーターの視点で更新を続けようと思う。やりたいこと・やるべきこと山積み状態である。
ひとつずつひっぱり出してきてひろげてみる。
プライオリティをつけて順番にならべてみることからはじめる。

◆オンライン「寅の日」 更新!
 いよいよ今週の水曜日は、第一回オンライン「寅の日」である。
どれほどの人が参加してもらえるだろう。
もっと上手な展開の方法があるかも知れない、それはやりながら考えていくことにする。
とりあえずはじめておけば教えてもらうこともできるだろう。
それに期待して…。

◆大賀ハス観察日記 更新
 4月1日(日)に大賀ハス蓮根の植え替えをし、5年目の観察記録をはじめた。
2011年度の記録をプロットしていなかったのでまとめた。
こちらの方も2012年度の新展開に期待したいものだと思っている。
   
その他、久しぶりに表紙の「リンク」も少しさわってみた。

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新・私の教材試論(70)

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▼本年度の大賀ハスの植え替えから一週間たった。今年は正確には4/1(日)の日曜日のスタートであるが、定例観察は従来どおり土曜日とする。少し寒かった、観察池は植え替えと春の嵐の跡を残し水はまだ少し濁っている。アタリマエと言えば当たり前だがまだ芽の気配もない。
 うまく成長してくるだろうか。まだまだ不安いっぱいである。今年はきっちりと教材化を意識しながら観察を続けたい。大賀ハスの「ふしぎ!?」を教材化するのである。
▼久しぶりに使わせてもらおう。その言葉。
テキスタイル化!!

大賀ハスのテキスタイル化である。教材化とはそのような営み・作業を意味するのである。

 ”テキスタイル”ということばは、いつとはなしに造り出され、使用されるようになった。”わたしたち”の造語である(textile=織物ではなくて、text+style=textyleである。)”わたしたち”が教えたい、わかってほしいと願う事柄がきまったからといって、それはまだテキストではない。テキストは、発問と、資料と、実験と、読み物などで構成されるが、とりわけ、どんな発問を、どんな順序で用意するかが重要である。いや、内容がきまってから「さて発問は?」というのでなくて、事例に関する発問、事例を法則の支配下に位置づけさせる発問、等を考える過程の中で、”わたしたち”の中に次なる内容が求められ、獲得されていくのである。
(『極地方式入門』(高橋金三郎・細谷純編、国土社1974.3.20) p174より)

▼「教材を仕上げる」と「教材をテキスタイル化」するということが、同じ地平にうかびあがってくる。
しかし、「最後の一歩」はそれぞれの教師の授業できまるのである。

馬で行くことも、車で行くことも、

ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。

だが、最後の一歩は

自分ひとりで歩かねばならない。

(ヘルマン・ヘッセ「独り」より)

それぞれの授業でそれぞれが「仕上げ」なければならないのである。
こういうとなにか寂しい気持ちになったりするが、それはちがう。
逆だ!!だからこそ面白いのである。教材化の醍醐味もここにある。
▼教材化は、家庭料理に似ていると思う。同じ素材を使いながらもまったく違う「我が家の味」に仕上がるのである。そこには、それぞれの家庭独自の工夫・アイデアが加味されて独特の味が実現している。
家族の健康状態や舌にも配慮したものになっているのである。
一流シェフのつくった料理も時にはいい、でも毎日食するわけではない。
ほんとうに必要な栄養は家庭料理でとるのである。
教材もしかりである、できあいものやファーストフードばかりでなく自前の「家庭料理」を考えて行きたいものだ。
えらそうに私が言うのは恥ずかしいが、少しでもすぐれた調理人をめざしたいものである。

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新・私の教材試論(69)

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▼またしても持病の「ばっかり病」が発症しそうだ。ときどき自分でも自覚症状のないまま気付いたらそれ「ばっかり」が気になってしかたないという病だ。これまでもこの病のおかげでずいぶん私にとっての「新発見」もさせてもらってきたのでまずいことばかりではないのだが、時間感覚とものごとの優先順序が攪乱されることは確かである。
では今発症しつつある病は「コケ・シダばっかり病」だ。
 世間が桜の花を愛でている最中だが、へそ曲がりにもその花よりも、シダやコケの今の方がきになってしかたいのだ。気になるだけではないなんとも美しくきれいに見えるのだ。
▼すぐれた教材の法則「3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則や「3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則をこちらの方がより満足しているように見えてくるのは発症している証拠なのかもしれない。
 新しい教科書を見た、この教科書より本格的に「コケ・シダ」が中学校教科書にもどってきていた。アタリマエだ、こんなものはずしておいて「植物の世界」を学ぼうというのがとんでもない話なのだ。
 他にもいくつもの「帰ってきた教材」が新しい教科書にはあった。
▼今早急にやりたい課題ができてきた。
それは「帰ってきた教材」をふくめて、すべての教材の一覧できるものをつくること。
そして、その教材を軸にして授業を構想しなおすことだ。
けっきょくは以前の授業に落ち着くのかも知れない。しかし、いったんはリセットする必要がある。
教科書があたらしくなっただけでない、私たちは「3.11」を経験した、いやしつつあるのだから。
以前と同じであっていいはずがない。
▼どうしてもやりたいことがある。
それは、教材の歴史を知ることだ。定番実験・観察にかぎらずすべての教材の歴史を知りたい。
すべての教材(実験・観察)には歴史がある。
 その歴史を知ること、ルーツを追うことは、その教材に込められた126年の理科教師たちの熱い思いや志にふれることになるのだ。
 それこそが「教材研究」の名に価する作業なのである。また「教材開発」への唯一の道なのである。

教材開発の大先達大竹三郎先生は授業で「教材を仕上げる」と宣言し、次のようなことばを残している。

わたしは、現在、学校で実施されている多くの実験が、なお教材として仕上げられていないと考えます。これらの実験が授業の課題にピタリ答えられるように、その内容、形式ともに仕上げられなくてはなりません。ところが、わたしたちは、もうこれ以上、変えようとしても変えられないものと受けとめています。とくに長い歴史をもった伝統的な実験に対してそうです。(『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5) P119より)

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今なぜ寺田寅彦なのか?

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▼春の気配が増してきた朝。枯れ始めたヒガンバナ、ツクシ、ホシノヒトミ、ペンペングサ、椿…ひとわたり見て回って家についてはっと気付いたものがある。何を植えていたかわからない状態で放置された植木鉢のなかに新鮮な春をみつけた。コケだ、何ゴケだろう?胞子のうをぎっしりとつけていた。
そうだ思いだした。コケの「ふしぎ!?」を追いかけようと夢中なりかけていた時期があったのに、いつしかそれから遠ざかってしまっていた。コケからいつしか興味はクマムシへ向かったのだった。
また、コケの「ふしぎ!?」にもどってみようと思う朝だった。
▼「ふしぎ!?」は繰り返す。螺旋的に進化していくものである。
先日テレビでジャクソン・ポロックの絵画のことをやっていた。絵画に特別興味があるわけではないが、あの言葉が出てきたので途中からであったが釘付けになって見た。
その言葉とは、自然の「ふしぎ!?」を解くキーワード「フラクタル」だ!!
その言葉を最初に知ったのも、寺田寅彦を通してである。
もちろん寺田寅彦が「フラクタル」という言葉を使っていたというのではない。しかし、その「フラクタル」概念に気づき自然を観ていたのでないかというのだ。言わば今日の複雑系科学のはしりである。
たいしたものだ。
▼なんで、私は今この寺田寅彦に惹かれるのだろう。そんなことぼんやりと考えていたらそれにヒントを与えてくれる講演会の記録にであった。それもオンラインにあった。

◆市民講演会「身の周りの科学から震災まで:寺田寅彦とサイエンスの今」

あの内田麻理香さんが総合司会をして4人の講師が切り口を変えてテーマにせまり、後に総合討論をするというものである。実に興味深く面白かった!!
 地方に住む人間にとってこんなのがみれるなんてありがたいかぎりである。深謝!!
▼私はゆっくりである。
「今なぜ寺田寅彦なのか?」に早急に答えを出さない。いや、出せないのだ。
きっと、私の手には負えない偉大なる人なんだろう。
しかし、我が身を省みずこの人に惹かれるのはたしかである。
「新・私の教材試論」「新・自由研究のすすめ試論」「サイエンスコミュニケーター宣言」などにも深くかかわって、ここに「これから」のヒントがあるからだろうと思う。

第一回オンライン「寅の日」は4月11日(水)である。

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新・私の教材試論(68)

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▼まるで台風一過のような青空がひろがっていた。春の嵐は思いのほか大きく自然を痛めていた。
相当の台風でもこんなにすごいことにはならないだろうというぐらいだ。倒木もいろんなところでみられる。前の山の竹笹もちぎれて地面に散乱していた。そんななかであの椿の花も当然落ちてしまっているだろうと思ったら、そうはならなかった。ポトリと落下するときの脆弱さばかりをイメージしていたら、それは間違っていた。なにごともなかったようにしっかり枝につき雨に洗われてより鮮やかにすら見えた。
「ふしぎ!?」なものだ!!
▼新年度を迎えて5日目だ。今年度の私の仕事も少しずつみえてきつつある。
そこで、あらためて「新・私の教材試論」を再開する。ずいぶん久しぶりになる、新・私の教材試論(67)はなんと5ヶ月も前に書いたきりになっていた。
 ちょうどそのころからサイエンスコミュニケーター宣言で始めた「日本理科教育史」を追うことに夢中になっていたせいもあるのか知れない。
▼試論のそれまでの文脈を思いだしてみる。
そして、「これから」やろうとすることを構想してみる。
まずは教材の「不易と流行」である、そしてそれらを貫く鉄則の再確認である。
 
・3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則
・3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則

▼その5ヶ月ほど前にはじめたBOXに納めるという作業は一応終わっていた。
再開にあたって、「これから」の目標としては
(1) いろんなところで、これまでの「試論」を積極的に語り始めたい。
  「情報は発信するところに集まる」で行きたい。
(2) 新教科書の教材の吟味をはじめ、新しいカリキュラムを構想する。

どこまで行けるかは不透明である。
でもわかっていること、決めていることがある。
それは「楽しみ」ながらやるということだ。

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24時間ソラをLiVEする番組「SOLiVE24」!!

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▼春の嵐の日。私は再びあの雲の発生が手に取るようによく見える「定点観測地」に立っていた。
山を這うように大気が登っていく、そして目に見える雲になっていく、そしてその雲から雨が降ってくる。それはまさに「大気の物理実験室」を実感する空間であった。
▼それにしても春の嵐はすごかった。春の「ふる・ふく・どん」の特に「ふく」がすごかった。
まさに嵐だった。山が騒ぎ、電線が鳴き、ありとあらゆるものが吹き飛ばされていた。ひよっとしたら台風以上とも言える春の嵐だった。
▼どうなっているのだろうと天気図を見た。
この天気図を最初につくったのはドイツのブランデスである。1820年である。
まだ200年もたっていないのである。ブランデスもストームの全体像をとらえることが夢であったのだろう。

地図上のある場所で体験された現象や特徴が記入されると、他の場所ではどうだろうかの問いかけが生まれる。それらが地図上に記入されていくうちに、多様性と同時に共通の姿にも気付く。空間的なひろがりをもつ組織的な形態が浮かび上がってくる。こうした一種の総合という過程は創造的精神をある発見や新しい概念、あるいは解釈へとかりたてる。こうして発見され、提案されたものに対して同時代の人々や次の時代の人々がまた新たな思いをめぐらしていく。(『天気図の歴史ーストームモデルの発展史ー』斎藤直輔著 東京堂出版 P13より)

 その後天気図は進化していき今日にいたるのである。
▼そして今はよりリアルタイムに、誰もが簡単に多様な情報を手に入れることが可能な時代になったのである。
「ソラヨミ」への興味から出会った番組
◆24時間ソラをLiVEする番組「SOLiVE24」!!
 出会ったばかりでまだ使いこなしまでいっていない。しかし、それはわかった。
これは有効である!!ここには「これから」の天気との新しいつきあい方を教えてくれるものがいっぱいつまっている。「ソラマド」もダウンロードして使ってみたが、とってもいい!!
昨日の嵐の移動も手に取るように見えた。全国各地のウェザーレポーターからの情報で構成されているのもすばらしい。「天気の学習」にも充分使えそうである。
必見!!

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自然を観察するということ

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▼昨日朝、偶然かかっているテレビで面白い番組をみた。それは「ソラヨミ」というのをやっていた。
全国各地の空をリアルタイムに映し出し、天気予報をしたり、気象現象の解説をやっていた。全国各地からのレポーターは参加している一般の人らしい。ずいぶん昔からあって人気番組のようだ。
後で検索して調べていたら、SOLiVE24にくわしいと教えてくれる人がいた。面白い!!
▼「空見」「雲見」をつないだら「ソラヨミ」になる。面白いな、そんな観察のし方がこれからの「自然観察」なのだ。
朝の散策に出た、長い間前の山で目を楽しませてくれたナナミノキの実がおちはじめた。椿の花も路にどんどんはじめた。しかし、北の斜面にあるせいだろうか、今からぐんぐん元気になってくる花もあるようだ。
 昼頃には、畑の畔でことしはじめてのテントウムシに出会った。一匹に出会うと、「もうそろそろか」と注意深くみるせいだろうか。続々と出会えるものである。
▼ただ自然を眺めているだけでなく、「ふしぎ!?」と出会う気分で予想をたてたり、仮説をつくったりしながら観察するとさらに面白くなる。観察の記録をとっていくのもいい、デジカメで画像として記録していくと仮説をつくったりするときに役に立つし、その「記録」を多くの人と共有して楽しむのにとっても便利だ。
▼そんな自然観察を続けているとやがて見えてくる「自然のルール」がある。
その発見こそが、自然観察のもっとも醍醐味である。
「はしりもの・かわりだね」実践なども、そんなところからでてきたものなのだろう。

私たちは「大気の物理実験室」であり「大きな博物館」「植物園」「昆虫館」…のなかでくらしているようなものなんだ。あたらしいはじまりだ、あたらしい自然観察の方法をいっぱい開発していこう。

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【Web更新4/1】12-14 オンライン「寅の日」新設!!

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シャシャキや 小さく咲きて 線路ばた
 12/04/01 (日)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】12-14
週末定例更新のお知らせ
 新しい年度のはじまりである。いくら年をとっても「はじまり」というものは緊張するものである。
できるだけできそうもない「夢」は語らずに、等身大の世界を楽しみながらと思うが、ついつい気がついたら大風呂敷広げたり、思いつきで無手勝流の「挑戦」をはじめている。
 まあ、ここまでくると「それが自分である」と諦観することも大切かも。

◆表紙画像集2012 人里の植物シリーズ シャシャキ(ヒサカキ)
 線路沿いの道ばたの土手にシャシャキの古木がある。それは遠い遠い記憶の中にもあった。
そこは以前は田んぼの土手であった。何度も切られたのだろう、そんなに背が高くはなっていなかった。
私の観察眼もたいしたことなかった。こんなゆっくりとこの小さなかわいい花を観察したのは今年がはじめてなのかも知れない。なんかあらたな発見をしてもうけた気分になる。

◆オンライン「寅の日」 新設!!
 思いつきで無手勝流と言えば、その典型のようなプロジェクトをはじめてしまう。
簡単に言ってしまうと、寺田寅彦作品のオンライン読書会である。実施するのは干支の「寅の日」である。
一週間に一度なら少しせわしい。月に一度なら前回とのつながり忘れしまいそう。
 そこで12日ごとの「寅の日」。はじまりは84年前の寅彦と高嶺俊夫の「昼食会」。
クラウド時代と呼ばれる今、それを復活させる!!
どんな展開にするかはやりながら考えて行く、とりあえずはじめてみる。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 終了
 一年間で157回続けた。いったん終了する、サイエンスコミュニケーターを名のることをやめるわけではないのでまたちがったかたちで続編をはじめるかも知れないが。
 コメントやアドバイス・ご意見をいただいた方に感謝します。 深謝!!

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2012大賀ハスの蓮根植え替え完了!!

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▼2012年度の大賀ハス蓮根の植え替えを雨のため一日ずらして今日やった!!
観察池の水を抜き、ひっくり返してみた。ある程度予想はしていたが、その蓮根の大きさぐるぐる巻きにとどろをまくような姿にあらためて驚く。昨年の夏の姿を思いだす、やっぱりこれだ栄養を貯め込んでいたのだ。
2008年5月には、たった一粒の種子だったのだ。
ホースで水洗いをして、ひろげてみてさらに驚くのだった。
▼大賀一郎先生が千葉県検見川の泥炭層から種子をみつけてちょうど60年になる昨年度、私の観察池で4つの花をみることができた。「あこがれの4日間」を4度も経験できたのだ。
「大賀ハス観察日記」を見ながら、あの感動を再び思いだすのである。言葉で表現するのがなかなかむつかしいぐらいの美しさである。さて、今年の私の大賀ハス物語はどのように展開するのだろうか。
今日スタートである。蓮根を育てるだけでなく、今年は去年収穫した22粒の種子がある。
種子の発芽だけでなく、次世代を育てることについてもあらたな展開が楽しみである。
▼蓮根の植え替えは、やっぱりこれまでのように「大賀式栽培法」をとった。肥料としては「身欠きニシン」「大豆」を使う方法だ。昨年は先達のアドバイスも受けている。
それに留意しながらすすめる、この作業も4度目である少し要領がわかってきた。
とはいうもののまだまだわかっていないことが多い。ぜひとも「あこがれの4日間」をと思えば思うほどどうしても慎重になってしまう。
▼今年の私の「大賀ハス物語」のいちばんは、開花時の「ふしぎ!?」の解明と、多くの「大賀ハス物語」とつながることだ。
 もうひとつある「大賀ハス物語」の教材化である。
さあ、今年は何が待ち受けているだろう。
いずれにしても めいっぱい楽しみたいものである。

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