« 【Web更新4/8】12-15 新・私の教材試論!! | トップページ | 本日、第1回オンライン「寅の日」!! »

新・私の教材試論(71)

Dsc_0237
▼それにしてもあたたかくなったものである。まさに花見日和である。そんな午後、へそ曲がりにもツクシ(スギナ)の胞子を観察していた。緑から少し茶色がかったツクシをとってきて白い紙の上でとんとんとする。
緑の粉のようものがすぐ出てくる。白みがあるのは弾糸のせいであろうか。
双眼実体顕微鏡でのぞいてみた。たしかに緑色をしている、この胞子は葉緑体をもっているようだ。横からそっと「ハアー」と息を吹きかけてやる。弾糸は縮こまる、多数のかたまりであったため毛糸玉のように固まる。
のぞき続けていると、それはみごとにひろがっていく、弾糸がのびてひろがっているのである。
まるで「生きもの」のようである。いや、訂正!!「生きもの」そのものなのだ!!おみごと!!
▼さらには、発注したデジタル顕微鏡がきてからにする。
この後、私はこの胞子を育てるつもりだ。ずっとずっとそれがやりたかったのだ。
参考にさせていただこうと思う資料はふたつある。
ひとつは
●加藤俊一「胞子と種子のちがい-スギナの胞子を育てる-」(『やさしくて本質的な理科実験3』P158評論社1985)
 初出は1977年の『わかる授業』だから、提案そのものは35年も前のものになる。今読んでもまったく色褪せていない、中学校にシダ・コケが本格的に帰ってくる今こそという感じである。
なによりすばらしいのは「授業のなかで」がちゃんと書かれていることだ。提案された当時からずっとずっとやりたいと思っていた。やっとの「挑戦」である。
もうひとつある。
●寄木康彦「シダ植物を探求する」(『理科教室』日本標準刊2012年3月号巻頭)
こちらは、つい先日も寄木さんに直接会い、発表も聞いてところでもある。
またカラー補足ページもつくってくださっている。ありがたい!!
 このふたつの資料を参考にはじめようと思う。
▼教材化についてもう少し先達に学んでみよう。
数々の実験教材を開発してこられた故鈴木清龍先生が、『やさしく本質的な理科実験4』のまえがき「実験集の歴史と特質」のなかで、とても興味深いことを書いておられる。

理科ぎらい、理科ばなれがいわれますが、そんな状況のなかで実験書、ものづくりは花ざかりのようです。超教科は脱学校を生みだしています。(それはあだ花か。)私たちは脱学校のなかから、学校での学習が再構築されると考えていますが。  それは、これまでの蓄積の成果を自らのものとして、子どもの要求に敏感に反応し対応できるように自らをつくっていくことによるしかないのではないでしょうか。 2001年8月  (同書P4)

この文章が書かれた時代に私は大きな意味があると思う。
それから10年、清龍先生の提言は益々重要な意味をもってきている。
▼「学校での学習が再構築される」ことが、緊急課題の今、教材化の原点にたちかえり再吟味のときがきている。
教材は「授業で生まれ 授業でつくり変えられる」。
このアタリマエ!!
今、一度!!

|

« 【Web更新4/8】12-15 新・私の教材試論!! | トップページ | 本日、第1回オンライン「寅の日」!! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新・私の教材試論(71):

« 【Web更新4/8】12-15 新・私の教材試論!! | トップページ | 本日、第1回オンライン「寅の日」!! »