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新・私の教材試論(70)

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▼本年度の大賀ハスの植え替えから一週間たった。今年は正確には4/1(日)の日曜日のスタートであるが、定例観察は従来どおり土曜日とする。少し寒かった、観察池は植え替えと春の嵐の跡を残し水はまだ少し濁っている。アタリマエと言えば当たり前だがまだ芽の気配もない。
 うまく成長してくるだろうか。まだまだ不安いっぱいである。今年はきっちりと教材化を意識しながら観察を続けたい。大賀ハスの「ふしぎ!?」を教材化するのである。
▼久しぶりに使わせてもらおう。その言葉。
テキスタイル化!!

大賀ハスのテキスタイル化である。教材化とはそのような営み・作業を意味するのである。

 ”テキスタイル”ということばは、いつとはなしに造り出され、使用されるようになった。”わたしたち”の造語である(textile=織物ではなくて、text+style=textyleである。)”わたしたち”が教えたい、わかってほしいと願う事柄がきまったからといって、それはまだテキストではない。テキストは、発問と、資料と、実験と、読み物などで構成されるが、とりわけ、どんな発問を、どんな順序で用意するかが重要である。いや、内容がきまってから「さて発問は?」というのでなくて、事例に関する発問、事例を法則の支配下に位置づけさせる発問、等を考える過程の中で、”わたしたち”の中に次なる内容が求められ、獲得されていくのである。
(『極地方式入門』(高橋金三郎・細谷純編、国土社1974.3.20) p174より)

▼「教材を仕上げる」と「教材をテキスタイル化」するということが、同じ地平にうかびあがってくる。
しかし、「最後の一歩」はそれぞれの教師の授業できまるのである。

馬で行くことも、車で行くことも、

ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。

だが、最後の一歩は

自分ひとりで歩かねばならない。

(ヘルマン・ヘッセ「独り」より)

それぞれの授業でそれぞれが「仕上げ」なければならないのである。
こういうとなにか寂しい気持ちになったりするが、それはちがう。
逆だ!!だからこそ面白いのである。教材化の醍醐味もここにある。
▼教材化は、家庭料理に似ていると思う。同じ素材を使いながらもまったく違う「我が家の味」に仕上がるのである。そこには、それぞれの家庭独自の工夫・アイデアが加味されて独特の味が実現している。
家族の健康状態や舌にも配慮したものになっているのである。
一流シェフのつくった料理も時にはいい、でも毎日食するわけではない。
ほんとうに必要な栄養は家庭料理でとるのである。
教材もしかりである、できあいものやファーストフードばかりでなく自前の「家庭料理」を考えて行きたいものだ。
えらそうに私が言うのは恥ずかしいが、少しでもすぐれた調理人をめざしたいものである。

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