ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!(2)
▼「尻つけ松明」に感動した後、再び内陣の正面の局に場所を確保したのは19時30分ごろだっただろうか。
そこに座ったが最後延々と身動きができなくなってしまった。
・大導師作法
・半夜の時
・走りの行
・香水まいらせ
・後夜の時
・…
足のしびれてくるのも忘れて、その目の前で展開される不思議な世界を堪能していた。
なんと23時前にはあこがれの「お香水」のおすそ分けもいただいたのだった。
そして日が変わっても不思議な世界は続いた。
・咒師四王勧請
・達陀の行法
・名残の晨朝
・破壇
・神供
・満行下堂
とつづき、すべてが終わったのは朝の4時半ちかくであった。
一夜にして修二会の醍醐味を味わったような気分になった。
▼これは帰ってから知ったことであるが、この旅のきっかけを与えてくださった作家・寮美千子さん(「東大寺修二会「お水取り」の起源に関する仮説」)もこの場におられたようだ。しまった!はじめてお会いする機会をのがしてしまった。
私は、その「仮説」を自分でも納得したかったのである。修二会そのものが目的ではなかったが、別の意味でもこの行事に興味がわいてきた。
もとの謎解きの文脈にもどるため私はいったん宿に帰り、再び9時過ぎに「大仏殿」を訪ねてみた。
やっぱり何度見てもでかい!!
こいつに金鍍金を施そうと思うと金はもちろんのこと大量の水銀が必要である。「丹生」が大量に必要なのだ。それをどのようにして集めたのか。
▼大仏殿を出て、再び二月堂に行った。昨日というか、今朝方というか先ほど満行の前に、おまいりした三つ神社に明るいときにいってみた。やはりいちばんきにかかっているのは「遠敷(おにゅう)神社」である。
まずもって、遠敷と書いて「おにゅう」とは…。そして「おにゅう」と言えば「丹生(にう)」だ。
先ほどちらっとみると、やはり松田壽男さんも『丹生の研究』で、若狭の「遠敷」にはページをさいておられるようだ。
▼3/15の二月堂では、「だったん帽戴き」の行事がおこなわれており、小さい子どもづれの家族が多かった。
最後の「解散」まで居て、二月堂を後にした。
「丹生を追って」の30時間ばかり旅であった。
なんの「ふしぎ!?」が解決したわけではない。むしろ「ふしぎ!?」はふくらんだ、豊かに楽しくふくらんだのである。来年はぜひ若狭に出かけ「お水送り」を見てみたいものだ。
そして再び3/12の「お水取り」も見てみたいものだ。
それまでにも機会あるごとに別の角度からも「丹生」を追い続けたいものである。
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