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【お薦め本】『科学と人間の不協和音』(池内 了著 角川書店)

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▼今日ではやくも一月も終わりである。あと40日ばかりで、あの3.11から一年である。
そうそれは、あの3.11からちょうど3ヶ月たった6月11日のことだった。福島の友人Yさんと十数年ぶりに再会したのは。再会した彼は、やっぱり以前のようにいっぱいいろんなことを教えてくれた。そして「これから」を語ってくれた。

・安全寓話に目をつぶってきたツケ
・自分の身は自分が守るしかない
・やりたい事、やるべき事、飽きずに、気長に、黙々と

さすがだ。示唆的であり、なんかモヤモヤしてきたものがすこしだけ晴れたような気分になった。
それから彼が言った「安全寓話」の言葉が少しずつ重みを増してきた。
彼は、そのとき「安全神話」とは言わなかったのだ。そのこと意味とは…。
▼彼の進言に従い、私も「やりたい事」「やるべき事」を「サイエンスコミュニケーター宣言」で追い求めてきた。
それももう120回になった。あと40日ばかりでひとつのくぎりをつけることはできだろうか。
私には、「これから」を聞いてみたい人物がひとりいた。池内了さんだ。
これまでも「等身大の科学」「新しい博物学」で、本を通してであるが示唆を受けてきた。
この人が、3.11以降どのように「科学」を語るのか興味があった。
雑誌等ではいちはやく語っておられたが、それらは断片的であった。もっとまとまったかたちで聞きたかった。
その要望を叶えてくれる本が出た。
◆『科学と人間の不協和音』(池内 了著 角川書店 2012.1.10)
である。
▼自らの文脈で、読んでみた。期待どおりであった。
自分のなかでモヤモヤとしているもの、それを「コトバ」にしてくれていた。
なるほど膝をたたくところをいくつか拾ってみる。
 やはり人々は、科学そのものの話題でなく、科学を巡る「物語」を待望しているのではないだろうか。
このことから、科学者と「素人」との乖離を修復する一つの方法は、科学の「物語」を回復することだと思われる。(中略)科学ジャーナリズムの仕事は、科学の成果の宣伝にあると思い込んでいるようである。しかし、市民は未来への空手形ではなく、人間の営みとしての「物語」を求めていると考えるべきではないだろうか。
それは市民の科学リテラシーを涵養することに直接つながらないように見えるが、科学との距離を小さくし、科学をより身近にすることにつながるだろう。日常の会話の中での科学者のエピソードが語られることが、科学の中身にまで話が及んでいくきっかけとなるからだ。(同書 P56より)

科学を巡る「物語」の有効性は科学教育においてはなおさらなのである。
もうひとつあげてみよう。

 つまり、科学と技術は本来別物であったし、またその役割も異なっていた(いる)ことをしっかり認識する必要がある。そして、科学は文化として役に立つのであり、技術は文明の手段として役に立つことを弁別しておかねばならない。(同書 P72より)
文化はあることが大事であってなければ寂しいものである。自然の真理を探る科学において、その営みが行われていることこそが人間にとって重要だと言えよう。(同書 P73)

「文化」としての科学 こそがこの本を一貫して流れる主旋律なのである。
▼第四章「科学という神話、科学という宗教」も、『擬似科学入門』(岩波新書)の著者だけに現状把握・分析は的確である。説得力をもつのである。「古代の神話」と「言説の神話」をあげての「安全神話」成立のからくりをあきらかにする論はみごとである。
 最後には「地下資源文明から地上資源文明へ」の提言もある。

ともかく、3.11以降の「これから」の「私の科学」と向き合おうとする人は必読である。
いろんな文脈での読み取りの感想聞いてみたいものだ。

私は、今度Yさんに出会うまでに、「安全神話」と言わずに「安全寓話」と言った意味を再度考えてみよう。

 

 


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