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サイエンスコミュニケーター宣言(108)

Dsc_0427

▼あれから10ヶ月目の昨日も、私は仕事だった。帰ってから例の「あるサークルとゼミの歴史」の「記録」に目を通していた。
結果的に昨日目を通したのは1956年(昭和31)一年分だけであった。かけた時間は2時間近かったのにだ。
「研究授業」の記録、日々の教師歩み、ゼミの記録(ガリレオ・ガリレイ『新科学対話』をテキストにして)、ゼミでの疑問、わかったことはまとめてサークル誌として発行。それに応えて科教協(田中実先生などが多い)からの応答、アドバイスの便り、夏の第三回科教協総会参加、つづいての教科研全国研究集会参加の様子等などがほんとうに濃度濃く記録されているのである。
 そこに熱く学び成長するものだけが放つ「輝き」があった。時間の経過はけっしてその「輝き」を色褪せさせるものでなかった。寧ろ逆に時間の経過は「輝き」をより深く豊かなものとしたのかも知れない。
▼私は、少し唐突にあの寺田寅彦の言った「科学魂」という言葉を思い出した。
科学者寺田寅彦は、よく理科教師たちにエールを送っている。
◆「雑感」寺田寅彦 (昭和三年十一月『理科教育』)
この「記録」を読んでいると、この「科学魂」をもった理科教師群像が浮かんでくるのだった。
▼しかし、実はちょっと不安があった。
この調子だと、「日本理科教育史」を追う作業はいつ終わるのだろうと。
この作業は、この作業自体が目的ではない。目的は、ここから「これからの理科」をみつけることだ。
この後は
●1975年(昭和50) 中学校理科教師となる。
●1981年(昭和56) ひめじ理科サークル(地下茎舎)はじまる
●1993年(平成5)  【理科の部屋】がはじまる。

とつながり今日までいくから、自分が直接経験してきたことでもあるからわかりやすい。と思っているが…。
▼まあ、でもやっぱりゆっくり行こう。
こんな作業をすることは、生涯もうないかも知れないのだから。
一応のメドを立てた。
2012.3.11 この日までを第一目標にすすめる。

また、今日もあの「年表」にもどる。


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