サイエンスコミュニケーター宣言(107)
▼… 『…』
半沢 『じゅうぶんな注意をもって実験させる。習慣化させる。たとえばアルコールランプの扱い方。』
村上 『自分で実験やっているから、そうした細心の注意ができる。生徒がやる実験以外に教師がどれだけやっているか。本を読んだだけではできない。』
中村 『ファラデーは、実験を準備するところも見せている。』
楠田 『それがすごい!!できあがったものだけを見せようとしているのではない。「ふしぎ!?」に思ったことは、こうして追いかけるんだと実際にやって見せてくれた。やっぱりファラデーこそサイエンスコミュニケーターの元祖だ!!』と発言してしまって少しだけ恥ずかしかった。
そうなんだ。半世紀以上前の東北のある町でのことだったのだ。
年表によれば、ときは1956年(昭和31)3.23(本文では25日どちら?)午後 半沢 宅
である。私は5歳だ。
私は、いつしかタイムスリップして、諸先輩を前に勝手な発言をしていた。
▼「日本理科教育史」を追う作業は、「あるサークルとゼミの歴史」で完全にスローダウンしていた。
ひじょうにみごとな「記録」によって、半世紀以上の時空を超えて、いつしか自分もファラデーゼミに参加してしまっていたのである。
次は、ガリレイゼミであるという。楽しみである。
▼私は、この本を記憶するだけでも3回読んでいる。
理科教師として節目節目に読んでいる。そして計り知れない多くのことことを学んできた。
言わば、一生懸命ここに書いてあることを、何周遅れかに「追体験」しようとしてきたのだ。
▼過去3回とも読んだときは、これは単なる過去の「歴史」ではないと思った。
今回も同じだ。
極めて今日的なのである。これからのヒント集なんだ。
3.11以降の「これからの理科」もこうして創造していかれるはずである。
副題「ー創造する東北の教師たちー」は、偶然とは言え示唆的である。
この本が、ひとりでも多くの「これからの理科」を考える人たちに読まれることを願う。
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