サイエンスコミュニケーター宣言(106)
▼道楽的デジカメ自然観察はつづく。別にあらかじめ用意されシナリオがあるわけではない、気の向くままにまわりの草花に、樹木にデジカメを向ける。そして、一日に撮ったものを翌日の朝、これを書くときにながめてみる。
そのとき気づかなかったものが画像におさまっている。ともかく「美しい!!」。こんな美しいものを造り出す意図はどこに…。科学はその謎解きをはじめているのだろうか。
▼『日本理科教育史』を追うは、『教育実践検討サークル~創造する東北の教師たち~』 (中村 敏弘著 国土社 1975.11.5)と年表を読むところでスピードダウンをしていた。
なんともへんな感情が自分のなかに生まれているのに気づく。それはこの「あるサークルとゼミの歴史」年表iにある1951年~1960年までを簡単に過ぎてしまうのが「もったいない」という感情だ。
本を読み進めるとすぐにきづく、何もないところから人々がつながり新しい学び合う集団がつくられていくときのエネルギー!!その熱き思い、波及的に広がっていく喜び。
徹底した事実の「記録」が、半世紀以上の時空を超えて今に伝わるのである。
だから、いっぽうで「歴史」をすすめながら、つづけてこれを読み続けていこうと思う。
▼「生活単元」は、いろんな面でその批判を受けていた。
「生活」に密着した「ふしぎ!?」の謎解き、それ自体は今なおも大事にされるべき部分である。
ところが、その学びはつながらなかった。個々がバラバラであったのだ。
そのような指摘のなかから生まれた、次の「理科」は1958年(昭和33)に発表された。
●1958年(昭和33) 文部省,『小中学校学習指導要領』を官報告示(中学校職業・家庭科を廃し技術・家庭科を新設、小学校は昭和36年、中学校は昭和37年度から全国実施)。
◆小学校学習指導要領(昭和33年10月1日施行)
◆中学校学習指導要領(昭和33年10月1日施行)
「系統学習」の時代が訪れたのである。
そして、現場はどう変化していったのだろう。これはもう少し時間をかけてみよう。
▼ひとつだけ、今日的にみて気になるところなのでみてみる。それは、中学校の内容のなかにあった。
<中学校3年生>
ウ 原子の構造
(ア) 真空放電a ネオンサインなどでみられるように,希薄な気体中に真空放電が起ることを知る。
b 陰極線の性質から,ブラウン管の原理を知る。(イ) 原子の構造
a 原子は,原子核と電子とからできていることを知る。b 原子核は,陽子と中性子とからできていることを知る。
c 放射性元素は,放射線を出すことを知る。
d 人工的に元素を変換できることを知る。
もうひとつある。
ウ エネルギー資源
a おもな燃料の使用上の特性を知る。b 水力,風力および太陽熱の利用について知る。
c 原子力の特性の大要を知る。
これが、1958年の学習指導要領である。私たちは「歴史」を遡行することはできない。
しかし、「歴史」の事実だけは知っておかねばならない。
未来の「歴史」をつくりだすためには…。
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コメント
科学館に行って来ました。
今回娘と、となったのは、科学館の近くで息子が別の行事に参加してた為です。
(息子が囲碁を楽しんでいます。娘は参加を見合わせました)
残念ながら渡部さんにはご挨拶できませんでしたが、
展示やサイエンスショー、プラネタリウムも堪能しました。
娘が理系志向(というか彼女の将来の夢からすると、理系に行く必要がある)なので、これから興味がどう展開していくか、楽しみでもあります。
ある程度科学の知識がある?大人も楽しめるんですよ。
…普段は科学的な話はあえて夫に任せてますが、
高校の化学基礎ぐらいまでは、まだまだ。
投稿: いっちゃん | 2012/01/10 07:03
いっちゃんへ
なにわともあれ
大阪市科学館楽しんでこられたんですね。
よかったですね。私も、長い間行っていないのでちかいうちにチャンスがあれば行きたいと思っています。
展示、ショーを含めて
いちばん気に入ったのはなんですか。
投稿: 楠田 純一 | 2012/01/10 17:28