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2011【私の読んだ本 ベスト10】

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▼いよいよ大晦日である。2011年も今日で終わりである。昨日までは「重大ニュース」で今年をふりかえったが、今度は「読んだ本 ベスト10」でふりかえってみる。これもここのところ恒例としているが、今年は冊数も多くして「ベスト 10」でやってみる。
 いつものことながら、私は私の文脈に従って本を読む。従って、ここにあげる本はその私の文脈と著者の文脈がある点で出会ったということであ。これは、その「出会い」がどんなものであったのか記録しておこうとするものである。

【ベスト 1】『増補 日本理科教育史(付・年表)』(板倉聖宣著 仮説社 2009.4.10)

 私は今、「サイエンスコミュニケーター宣言」で「日本理科教育史」を追いかけている。サイエンスコミュニケーター最前線の理科教師たちの歩みを知りたいのだ。そこから学んで「これからの理科」を考えたいのだ。
その作業のベースとなる「年表」を、この本から借りることとした。この本は、一度1968年に初版本がでている。
だから自然とそれまでの「歴史」にウエイトがおいてある。私は、いまのところ1941年 国民学校時代の「理科」のあたりまできている。このあと今日まで歴史を生の声を聞きながら追いかけてみたいと思っている。

【ベスト 2】 『一粒の柿の種』(渡辺政隆著 岩波書店 2008.9.5)
 
 今年はやはり「サイエンスコミュニケーター」がらみ多い。私は「サイエンスコミュニケーター」なれぬカタカナ言葉を使い始めたころ、この本とであった。「ああそう言うことか」と納得した。そして「一本とられた!!」と感服した。

【ベスト 3】 『科学者としての宮沢賢治』(斎藤文一著 平凡社新書 2010.7.5)

 私は、今年の夏おわり、花巻・遠野経由で石巻、陸前高田に向かう前に読んだ本がこれだ。私は、あらたにこの本で「デクノボーの科学」を教えられた。旅の終わりで訪ねた「石と賢治のミュージアム」で再び斎藤文一先生の名前と出会うことになるのである。ひょっとしたら今年最大の収穫あった本かも知れない。

【ベスト 4】  『雲と暮らす。 ~雲と出会い、雲を愛でる~ 』(文・写真 武田康男 誠文堂新光社 2011.10.17)

 私の読書法は「イモズル方式」だ。気に入った著者の本は、徹底してイモズルを引っぱっていくそうするとみごとな確率で収穫がある。武田康男さんが出す本はまず間違いない!!そのなかでも今年の新刊のこれは特にお薦め本だ
面白いことがある、イモズル式はひとりの著者だけではない。今も空のこととなると参考にさせてもらう本に『空の色と光の図鑑』(斎藤文一 文 武田康男 写真 草思社 1995.10.11)がある。なんということだ!!「ベスト3」と「ベスト4」はツナガッテイル!!

【ベスト 5】 『コケの謎』(盛口満著 どうぶつ社 2008.7.22)
 
 「この人が書いたものなら…」と言えるお気に入りの人がもう一人いる。ゲッチョ先生こと盛口満さんだ。
イラスト、等身大の文章、的確な観察眼ほんとみごとである。ゲッチョ先生ワールドは実に面白いのだ。今年は、この本で「コケ」にはまってしまった。コケから発展して「クマムシ」発見までいった。来年は「コケ」とちびりちびりつきあっていきます。

【ベスト 6】 『動的平衡2』(福岡伸一著 2011.12.07 木楽舎)

 もうひとりお気に入り作家の近刊だ。私は最初に書いた「自分の文脈」で本を読むと言った。しかし、この人の本にはそれは通用しない。「著者の文脈」にやられてしまうのだ、気づけば「また、やられたか!」ということなる。
その技はみごとである。著者好みに言えば「あまりにも 美しく」もある。ゲノムの先に見えてくる「生命」とは…
何度も言うが、子ども向け「科学読み物」をぜひ書いてください。

【ベスト 7】 『カラー版 デジカメ自然観察のすすめ』(海野 和男著 岩波ジュニア新書 2004.06.18)
 
 今年のお薦め本からもう一冊。これは人に薦めてもらって手にした本、こんなにも「こんな本が欲しかった!!」
 と思った本はない。デジカメ「自然観察」の楽しみのすべてがここにわかりやすく語られている。
来年以降もずっとつきあって行く本。

【ベスト 8】 福沢諭吉の「科學のススメ」 (桜井 邦明著 祥伝社 2005.3.25)

 今年出会って、これからもずっとつきあっていくだろう本をもう一冊。これは福沢諭吉の『訓蒙 究理図解』の現代語訳と解説本である。ここから日本の「科学」教育ははじまっていた。これからも何度も読み返すことになるだろう。

【ベスト 9】 『教師の世界観・教材観』(高橋金三郎著 明治図書 1979.9)

 今度は、ずっとつきあってきて今年再び出会い直した本だ。この夏、「私の教材試論の今」をまとめているときに繰り返し読んだ本だ。高橋金三郎氏の文というのは、いつ読んでもきわめて今日的なのである。
いったい何が見えていたのだろう。読みかえしてみよう、来年も!!

【ベスト 10】 『知的生産の技術』 (梅棹忠夫著 岩波新書 1969.7.21)

 繰り返し読みかえしていることでは、これの右にでるものはない。このブログを使って『知的生産の技術』を読むをやったこともある。今年の「ウメサオタダオ展」に行くのにもこのボロボロになった本を持って行った。そこで読みかえしてみた。やっぱり新しい発見があった。汲めども汲めども汲みつくせぬものがここにある。
永遠の名著である。


▼10冊を本棚にならべて、それを左の方へずらしてみた。そこに「あたらしい空間」ができた。
その空間に、あたらしく出会う本をたてていくのである。
準備ができた、来年はどんな本との出会いがあるだろう。楽しみである!!

これで2011年365回目の発信を終わる。来年もよろしく!!

 
 

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私の重大ニュース 2011!!(続)

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▼『私の重大ニュース 2011』を続ける。この作業をやっているうちに面白くなってきた。一年間のうちであったことでも、そのときはわからなくてもこうして並べて考えてみるとつながってくることがある。まったく異なることだと思っていたら、実はそのことが起因して別のことが連鎖しておこっていたということが…

【ベスト 6】大賀ハスの花4つが咲く!!
 今年は大賀一郎先生が、検見川で大賀ハスの実をみつけてから60年の記念すべき年だった。私の大賀ハスの蓮根の植え替えは、今年は遅かった。4月17日(日)であった。この記念すべき年になんとしても私は、あのみごとな大賀ハスの花を見たかった。「あこがれの4日間」を迎えたかった。ところが、なかなか成長はうまくいかなかった。そのあたりの経緯は「大賀ハス観察日記」にくわしい。最終的には「あこがれの4日間」は4度もやってきた。それも連続してだ、これほどの感動はなかった。今年は、それだけでなくこの大賀ハスのふるさと「大賀池」にでかけ観蓮会にも参加させてもらったのだった。最終的に4つの花から手に入れた種子は23個であった。何個が発芽するだろう、それは来年以降の楽しみである。

【ベスト 7】 「ウメサオタダオ展」に行く!!
昨年の7月3日、あの「知の巨人」は亡くなった。今年千里で「ウメサオタダオ展」が開かれると聞いてなんとしても行ってみたかった。私にとっては『知的生産の技術』は永遠のバイブルであったのだから。4/15(金)、6/3(金)と2回出かけていっている。その具体的成果がひとつある、「こざね法」を見ることによって、再度復活させたのだ。今もこのblogは「こざね法」で書いている!!

【ベスト 8】 「丹生」を追う を再開した!!
かねてより念願のひとつ『「丹生」を追う』を再開した。手始めに、「奈良の大仏」を見学に行き、青「丹」によし…を探索した。来春の「お水取り」には再びと思っている。
 これをきっかけに、宿題として残したままになっているもの再び追いかけはじめたい。

【ベスト 9】 デジカメ「自然観察」をはじめる。
 今年になって、コンパクトデジカメCOOLPIX7000を購入した。あらためてデジカメの「記録」力に感動した。
ヒガンバナの季節になって、全国の多くの人のすばらしい画像をみせてもらっているあいだに、一眼レフデジカメが欲しいと思うようになった。でも、それはやっぱり「高嶺の花」だと思っていた。
しかし、ネットに流れているすばらしい画像を見ているあいだにやっぱり欲しいと思いだした。やや衝動的にNikonD5100を購入した。そしてマクロレンズも…。面白い!!
 見えなかったものが見えだした。こんなにも面白い世界があることを今さらながらに知った。レンズを通しての「自然観察」はより豊かな世界を楽しませてくれる。ネットはそれを加速してくれる。来春が楽しみである。

【ベスト 10】 Twitter的は加速していった!!
 去年あたりは、なにもかもが「Twitter的」だった。それはこの一年でより定着し加速していったという
感じある。Twitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」)は必ずしもTwitterそのものを意味しない。Twitterはこの一年で完全に「市民権」を得たかに見える。皮肉なことに必ずしもTwitter的になってきていると言い難いのはどうしてなのだろう。Facebookという選択肢も考えみるのが面白いかも知れない。
 いずれにしてもTwitter的は加速し進化し続けるのだ。

以上である。なにか書き残したような気もするが、それはまた来年だ!!
明日は、「今年読んだ本ベスト10」で2011年をふりかえることにする。

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私の重大ニュース 2011!!

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▼2011年もあと残すところ3日となった。このblogの本来の最大の目的は、未来の私のための「記録」だ。だとしたら、私の人生のターニングポイントとなった2011年を「記録」することは大切な作業である。
 かたちとしては、ここ数年続けている『私の重大ニュース』と『私の読んだ本ベスト○』でやってみる。
では、さっそく『私の重大ニュース 2011』の方からはじめる。順番にはさほど意味ない、思いついた順番ぐらいの意味しかない。

【ベスト 1】 「サイエンスコミュニケーター宣言」をはじめる。
 私は、2011.3.31に定年退職をした。そして、フリーの「サイエンスコミュニケーター」をなのりはじめた。
ある部分では、まだ授業もさせてもらっているので、完全に「現場」を離れたわけではないが、少し自由な立場から「理科」を見るようになった。私にとって「理科」とは、人生そのものである。なんの才能も器量もなく不器用に生きてきた人間に最後に残ったものは「理科」だった。ありがたい!!
 その「理科」もいろんな意味でターニングポイントに来ていた。
・3.11以降の「理科」をどうするのか。
・「常民の科学」「ファラデーの科学」「熊楠の科学」「等身大の科学」「私の科学」と「理科」は
・これからの「理科」教育は…、科学教育は…
・サイエンスコミュニケーションの最前線は、学校の理科の「授業」にある。
・すべての理科教師は最前線のサイエンスコミュニケーターだ!!
 ファラデーの末裔だ。
・「新・私の教材試論」「新・「自由研究」のすすめ試論」ともつなげる。
・「日本理科教育史」に学ぶ、ここから「これからの理科」を抽出する。
 これが、私の最終的なライフワークとなるだろう。と大風呂敷をひろげておく。

【ベスト 2】 極地方式研究会の夏の研究集会(志賀高原)に参加した。
・念願の夏の研究集会に実に24年ぶりに参加した。
・「すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教える」という営みは営々とつづいていた。
久しぶり参加なのに、とてもあたたかくきびしくむかえてもらった。
とてもいい「空気」だ。私の「理科」はここからの学びからはじまった。
  
【ベスト 3】「理科ハウス」の空気を吸う会、サイエンスアゴラ2011に参加した。
・3.11から3ヶ月たった6.11「理科ハウス」の空気を吸う会に参加した。十数年ぶりに福島のGhanaさんに出会った。Ghanaさんの「これから」に学んだ。新潟の本間先生とも再会!!
・これも念願の「サイエンスアゴラ2011」(11/18~20)に参加した。とても充実していた。青野さんとも再会!
願っていたことのほとんどが実現した。アゴラから帰って私は決意した。
「日本理科教育史」をもう一度ちゃんと追ってみようと…。それが私の「できること」と。

【ベスト 4】 「デクノボーの科学」との出会い。~花巻・遠野・陸前高田・平泉への旅~
・夏の終わりになって私はやっと東北を訪れた。私流の訪れ方をした、出発点はイーハトーブの世界からだ。
そこにはあの宮澤賢治がいた。そして、「デクノボーの科学」を教えてくれた。
「私の科学」のレパートリーがひとつ増えた。新婚旅行以来の遠野もよかった。そしてやっと陸前高田に辿り着いた。8月29日だった。そして…。

【ベスト 5】 ヒガンバナ情報2011の展開はよりアクティブに!!
・今年の「ヒガンバナ情報」の例年にも増してよりアクティブだった。その取り組みは実は正月からはじめていた。
これまでのヒガンバナの付き合いを 『人の暮らしに密着するヒガンバナ』(会報「自然保護」2011年3・4月号/発行:日本自然保護協会)にまとめた。
・今年もTwitterで #higanbanaを使ってたくさんの情報が集まった。実に面白かった!!
寄せられる情報とことんつきあっていく「大発見!!」続出。たとえば「ヒガンバナは動く!!」
・なんと言っても楽しかったのは、播磨のヒガンバナを追いかけて筒井さんとヒガンバナオフを三回もやったことだ。それはヒガンバナにとどまらなかった。いつしか「デジカメ自然観察」に発展した。
来春そんな「デジカメ自然観察」に特化したオフもやりたと思っている楽しみである。
・ヒガンバナの種子はまだみつけていない。もどきは1個だけゲットしているが、発芽するのか。
それもこれからである。年を持ち越す「ふしぎ!?」もいっぱいだ。
 今や「我が天下!!」のヒガンバナが紅白なかよく葉をのばしていた。

<つづく> 

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【Web更新12/27】11-52 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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ゴシタマの 藍に輝き 除夜の鐘
11/12/27 (火)撮影@福崎
 

■楠田 純一の【理科の部屋】11-52
週末定例更新のお知らせ
 週末と言うには、少しずれてしまった。少し家をあけてしまっていたので「週末更新」が遅れてしまった。
さあ、これで2011年最後である。今年もまた一週間一回のWeb更新、一年間52回を貫けた。
13年が経過してもあいかわらずのHP(Webページ)を、今ものぞきにきていただく人たちに感謝したい。
「最大の利用者は、未来の私」とかっこよく言っても、やっぱり見てきていただく方があるからこそ更新するのであるし、続けることができているのだと思っている。今年もありがとうございました。
来年もよろしく<(_ _)>

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ジャノヒゲの実 「ゴシタマ」
 「ゴシタマ」は播磨地方の方言であろうか。私にとっては「ゴシタマ」鉄砲の玉だ。ジャノヒゲ(リュウノヒゲ)の実である。葉っぱをさしての命名であろう。ちょうど来年の干支にピッタリなのかな。
ところで、毎年楽しみにしているこの実の熟した色であるが、今年の色は、藍瓶のなかの深みのある「藍」色に見えてきた。光の当たった色もいいのだが、あえて日陰の藍の輝きを表紙にしてみた。

◆「サイエンスコミュニケーター宣言」更新
 「日本理科教育史」を追う旅が佳境に入ってきた。日本の理科教師たちの姿の輪郭が見えはじめてきた。
自分がその末裔であることを誇りにしたい。
そんな「歴史」があった。
ひょっとしたら、これが私がずっとやりたかったことの本命なのかも知れないと思いだした。
やっと1941年あたりまで来ている。ちょうど私が生まれる10年前だ!!゛
年明けても続けます。いろいろ「情報」お持ちの方教えてください。

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▼週末が家を空けていたので、大賀ハスの植え替えから36週目の定例観察の報告が抜けている。
昨日の観察だが、ちょうど池に陽が当たりだして藻から泡も…。生命の営みは途絶えることがない。こちらの方は年が明けても引き続きこの代の観察の継続である。来年の三月いっぱいまで。

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サイエンスコミュニケーター宣言(99)

▼実は、私はここ数日限られたネット環境のなかでアクセスしている。だから、資料に自在にリンクをつけたり画像も貼り付けたりしないで更新をしている。やや意地になっている面があるが、なんとしても毎日blogを更新し続けたいのだ。
 今年あらたに小さなパソコン(レッツノート)を導入したのも、旅先からでもblogの更新をするためといえる。どうしても一日一更新にこだわりたいのだ。そのために周辺を整えるそれが私のやり方である。というようなことで非常に限られた時間しかつながらないところから、今日も、『日本理科教育史』を追うことをつづける。
▼多様な「理科」が歴史に登場してきた。
そして、今の時代の理科教師ならば、常識的に使っている「概念」であるとか、「教授法」の走りとなるような取り組みが大正時代から、昭和にかけていっぱい出てきた。
盛衰の波も大きかったようだ。
 そのころ大活躍だった神戸伊三郎が『日本理科教育発展史』(1938(昭和13))
に書いているそうだ。
 「その盛時最高点は大正8年[1919]頃に在り、衰時最低点は昭和10年[1935]に在ったと思います。」 (『日本理科教育史』板倉聖宣著仮説社 p343より)
▼「科学」は深く社会と関係している。あたりまえすぎるほどアタリマエのこと。そして、その社会情勢によって、「科学」は違った顔をもって現れてくる。
もちろん「理科」教育は、即科学教育を意味するものではない、残念ながら、ある面で理科教育の方が付和雷同するものなのかも知れない。
 時に「危険思想」と見られたり、理屈ばかり言う「金食い虫」扱いを受けたりしている。
しかし、人々は知っている。日々の暮らしや「戦争」と深く関わっているものらしいことを…。
▼理科教師にとってうれしいことが起こってきていた。それは、大正期の自由主義的な思想性のある科学者たちが助っ人に登場してくれだしているということだ。
寺田寅彦や石原純が、いろんなところで活躍しだした。
そして「科学的精神」「科学する心」の普及に一役も二役もかっているのである。
神戸伊三郎が最衰点と言った1935年にだってこんなものが出されていた。
●1935年(昭和10) 石原純編「理化学辞典」岩波書店刊
石原純も寺田寅彦も今日なお残してくれたものは大きい。
私たちは直接的に、この時空の隔たりを超えて彼らから学ぶことできるのである。
なんとありがたいことだ。!!
それをこれからの「理科」に生かさない手はないだろう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(98)

▼ここで『日本理科教育史』を追う作業も佳境に入ってきたと思った。それは、「多様なる「理科」」が見えてきたからだ。明治のはじめには、究理熱ブームで一挙に科学教育がはじまっていくのかと思ったらまったく違っていていた。「理科」教育は科学教育とはまたちがったものであった。いろんな取り組みを経ながらも国定「小学理科書」の時代となってしまった。そのなかでも、理科教師の魂はしたたかにしなやかに、そして粘り強く自己主張をはじめる。
▼皮肉なことに、戦争が「科学」教育の大切さを知らせることになった。やがて、究理熱以来の科学への注目される時代がやってきた。教育界では理科教育ブームというかたちであらわれることになる。年代を追いながら登場してきた「多様なる「理科」」を見てみる。
●1912年(大正元) 及川平治『分団式動的教育法』弘学館刊 
●1913年(大正2) 棚橋源太郎『新理科教授法』宝文館刊
●1914年(大正3) 第一次世界大戦勃発
●1915年(大正4) 及川平治『分団式各科動的教授法』弘学館刊「概念・法則の起源・発達を究め、その機能を明らかにすれば、概念・法則を必要とする動機の惹起法も自ずと定まる」としてデューイ(1910)に従い、認識はすべて<不易の仮定と実験の過程>によるとする。
●1917年(大正6) 財団法人理化学研究所設立。私立成城小学校、実験教育を標語として開講。校長沢柳政太郞。
●1918年(大正7) 理科教育研究会、東京帝国大学で発会式(会長 林博太郎)。
●1919年(大正8) 千葉命吉『創造教育の理論及び実際』同文館刊。及川平治(1915)の<不易の仮定と実験の過程>に着目して、<誤謬・曲解・偏見こそ創造の契機>などと論ずる。
・「小学校令施行規則」を改め、理科を4年から置くことにする。(従来は5年から。4月1日施行。4年の国定理科書は編集まにあわず発行せず)。
・理科教育研究会主催第一回理科教育研究大会開催(5日間)、文部省に低学年理科教育(自然科)に関する建議案提出を決議。国定理科書の不使用と理科筆記帳の使用について討議。
●1920年(大正9)理科教育研究会主催第2回理科研究大会開催(5日間)、文部省諮問案「尋常小学校に於いて児童に課すべき理科の実験観察事項及其設備如何」を討議答申。国定理科書の廃止について特別協議。文部省に建議。
●1921年(大正10)信濃教育会、『尋常小学理科学習帳』を発行、従来の理科筆記帳を廃止(6年用高等小学校用発行3~4月)。
●1922年(大正11)神戸伊三郎『学習本位 理科の新指導法』目黒書店刊。「仮定[仮説]/結論[結果]の予想/実験観察を中心とした「新学習課程」を提出。
・11/17 アインシュタイン、改造社の招きにより来日。
●1924年(大正13)雑誌『子供の科学』(同社、のち誠文堂)創刊。
●1926年(大正15 昭和元)神戸伊三郎『理科学習原論』東洋図書刊。「実験は虚心坦懐なるべからず」と宣言。<問題の系統性を無視して児童の発言に応ずるだけでは授業が混乱するだけと警告。 
・神戸伊三郎『指導詳案 教材精説理科学習各論』第4学年用、東洋図書刊(尋5は翌年、尋6は1935年刊)

どうしてもというものだけビックアップしようとしたら、けっきょくこんなになったしまった。大正時代を網羅するようになってしまった。書き写しながら時代を読んでいった。
▼今につながるすべての「理科教師の系譜」がここにはじまっていると思った。
すぐれた実践家も、先駆的な民間の組織的な取り組みも、ここからはじまっていた。
今につながると言うことは、このときに内包した課題もそのままということもあるということでもあるのだ。
▼あくまでここでの目的は「歴史」を知ることではない。
私たちの「理科」がどこにいるのか。
そして、どこへ向かうべきなのかそれを知ることだ。
いよいよ「昭和」の理科教師の歩みである。私の生きてきた「昭和」だ!!。

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サイエンスコミュニケーター宣言(97)

▼テレビで『坂の上の雲』をやっていた。今日はその最終回になるのだろうか。三年がかり超大作である。ちょうどその時代である、日本で理科教科書使用禁止したのは。
●1904年(明治37)~05年 日露戦争 
もうひとつの「年表」の方も動いていた。
●1905年 アインシュタイン(独)特殊相対性理論、光量子仮説を提示。
その後、国定教科書生徒用が使われ出した(1911年) 翌年には
●1912年 ヴェーゲナー(独)が大陸移動説を発表。
世界の科学技術も確実に動いていたのである。
▼国定教科書で統一されていったとき、「理科に教科書はいらないのではなかったか」と反論したり、別のうごきはなかったのだろうか。
 やっぱりいたようだ。「理科教師魂」を持ち続けた人間が。
松田良蔵氏は「児童用教科書」を使用することによっていかなる不便が生じるか。
3つの点をあげている。

第一 理科をして記誦の教科たらしむる恐れあること
第二 教授が究屈になり易きこと。(略)
第三 予習又は自習を無意味ならしめる恐れあること。(略)
(『日本理科教育史』板倉聖宣著 p281より)

それでも使わざるを得ないだろう。
だとしたら次のことに注意して使おうと言っている。なんともたいしたものだ!!
第一 児童用書は教授上重要なものと見ず、単に〈教授したことをまとめておく方便物〉として用うるにとどむること。
第二 教授を行う際には、その教材の配列の順序又は記述の順序の如きは殆どこれを眼中におかずして適当なる順序に改むべきこと。
第三 児童又は土地の事情より見て不必要と認むる点は惜気なくこれを切捨て、必要と認むるものは遠慮なくこれを補足すること。
第四 予習又は自習を命ずる点は、主として書物に書き表されていない点に限ること。
第五 教科書の取扱いは主として一題目を教授し終わった後にすること。
第六 押図はなるべく直観物と結合せしめること。
(同書 p282より)

この言は、今の時代の「教科書の使い方」みたいなものだ。
なんと、今書かれたものかと思うぐらい今日的であることか。
▼つまりは、その状況のなかでも「理科教師魂」は営々と続いていたことにほかならない。
国定理科教科書は確かに、無味乾燥で面白いものではない。教材が断片的/羅列的で分量的にも多すぎる。そんななかでも、「理科」を面白くわかるものにしようとする試みは続いていた。
 その教科書を補足するものとして「児童筆記代用書」から「理科筆記帳」への提言も、なんとかしたいという現場教師の意志の表れなのかも知れない。
100年間の日本の理科教師のたちの歩み、さらにていねいみてみたい。
ゆっくり急ごう!

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サイエンスコミュニケーター宣言(96)

▼「理科離れ」と言う言葉がある。私は、この言葉を使う人を基本的に信用しないようにしている。「理科」を「科学リテラシー」を云々する文章の枕詞のようにして使われることが気に入らない。ホントにそうなのかどうして確かめたのか、どこかにそう判断するデータがあるのか。なんの吟味もすることなくこの言葉をいつもの「あいさつ」的にこの言葉を使う人に「非科学」を見るのだ。私もときに使ってしまっていることがあるので大きなことは言えないが、「ほんとは理科好きなのに、理科好きだと思わせてやれなくて」申し訳なく思ったことはあったしても…
▼どこから生まれたか、この言葉。この言葉を必要とする人たちがいるがいる限り使われるのだろう。100年前はどうだろう。その言葉はなかったのだろうか。
この言葉は必要とされなかったのだろうか。
「理科」はどのように人々に受け入れられていたのだろう。
▼私は、よく使ってきた言葉に
●自然は最高の教科書!
●子どもは最高の指導書!
というのがある。
100年以上前に文部省が「教科書の字句の解釈と暗記に始終するような理科教育を強制的にやめさせようとした」ことがあるという。
●1904年(明治37) 小学校国定教科書使用 理科は教科書使用禁止となる。

上のことからいけば、なっとくできそうな話だ。しかし、そこにはなんらの別の意図があったのだろうか。私にはわからない。
▼それはともかく、それは長続きはしなかった。方向は変わったのか。
理科教科書にも「国定」の時代がやってくるのだった。
●1910年(明治43)国定理科教科書制度の発足
●1911年(明治44)国定『尋常(高等)小学理科書』児童用使用開始
なんとこの教科書、基本的にはこの後、30数年間もかわらずにつづくという。

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サイエンスコミュニケーター宣言(95)

▼私は、かなりながくシステム手帳なるものを使っているもう20年以上だろう。同じバイブサイズである。その後ろに市販のリフィル「ライフプラン&レコード」をつけていて
自分年表みたいなものを簡単につけている。家族と一緒に。その年表は、私が20歳の頃からはじまっているので、ちょっと暇なときなどは、その年表をながめることにしている。急に年代がリアルになってくる。それは数字だけでなく「時代の空気」までも思い出させてくれるからだ。
▼ところが、『日本理科教育史』の年表は、面白くない。
「時代の空気」どころか年代の前後なかなか把握できない。1911年の「理科の要旨」ら120年だ。せめてその後半60年になると私の生きている時代になるし、40年前からだと手帳にある「年表」の範囲だ。
 もう少し面白くなってくるだろう。
▼100年以上前の歴史なんて、直接的になにか自分に関係あることでもないと面白くもなんともない。「昔もそれなりに考えていたんだなあ」程度である。
人の顔が見えないのだ。なにか面白そうなひとはいないのかな。
●1887年(明治20) 井上円了『妖怪玄談(コックリの事)』哲学書院刊
●1892年(明治25) 渡辺敏『近易物理 一罎百験』普及舎刊

それでも、これぐらいだとなんとなく、その話を聞き入るひとの顔や実験に驚く顔が想像できそうだ。
▼肝心のことを書くのを忘れるところだった。先の私の年表によると1995年12月23日、16年前の今日、大阪市科学館の地下で渡部さんにインターネットをはじめて見せてもらっている。すでにインターネット版【理科の部屋】やYPCのベージはたちあがっていた。今やアタリマエになってしまったインターネットにも「はじめ」の日があったのだ。そのときの衝撃は今も昨日のことのように鮮明に憶えていている。そのときの「空気」
も…。
今日は私のインターネット記念日!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(94)

▼私は、その本を読みながら少し興奮していた。この感覚は久しぶりである。一つの章が終わる度に、「そうだったのか!」と納得する。うっすらとは知っている知識はあるが、「そう見るのか!!」と。断片的な知識が、みごとな文章でつながっていくとき目から鱗である。ちょっと一度に読んでしまうのはもったいないので何日間に分けて楽しむことに にする。その本とは、『動的平衡2』(福岡伸一著 2011.12.07 木楽舎)である。あの『動的平衡』の第二弾だ。これは私にとってはとても楽しい「科学読み物」なのである。
▼子どもたちが、「目から鱗」の経験をする「科学読み物」はいつはじまったのだろう。ここに皮肉な歴史の奇遇がある。
●1886年(明治19) 学校令「小学校の学科及びその程度」
において「理科」は誕生した。
 それまで科学教育の系譜をたちきるように現れた「理科」教育。
「理科」は身近第一主義、実物第一を優先した。見えないもの、手に触って確かめることのできないものは遠くへ押しやろうとした。それは子どもたちが学ぶにふさわしいものでないと判断されたのかも知れない。
▼それは、科学教育の系譜の終焉を意味するものではなかった。かたちを変えて登場するのである。それが、『読書』 としての「理科」である。
『理科読本』として蘇ったのである。これが、今日の「科学読み物」のはじまりであったのかも知れない。
▼私は、「科学読み物」を読むのが大好きである。特に子供向けに書かれたものが好きだ。とてもわかりやすい。大人が読んでわくわくするようなものこそ、子供にとっても良書ということになるとかたく信じている。だから、いつも思っている今、科学最前線にいる科学者・研究者には、まず大人が「目から鱗」の科学読み物を書いてほしい。それをぜひぜひ子供向けにも書いてほしい。
 それで自らの後継者が育てば願ったり叶ったりでは。
 福岡伸一さんには、ぜひぜひ子ども版『動的平衡』(絵本でもいいかも知れない)
を書いてほしい。きっと今の子どもたちは、このような「科学読み物」を待っているのだ!!
 

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サイエンスコミュニケーター宣言(93)

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▼昨日は久しぶりにクマムシを見た!と言うよりは見せてもらったという方が正しい。夏にはじめて出会った場所からコケを採集して観察していた。こんなに寒くなってもちゃんといるんだと感心した。そうだ、クマムシもそうだがコケも今年あらたに興味をもったもののひとつだった。帰宅してからコケにデジカメを向けてみた。
▼つづけよう『日本理科教育史』!!
『小學校生徒用物理書』(1885年 明治18)の面白さにしばし立ち止まっていた。
下巻はとりわけ興味深い!!「電磁気」である。
・磁石の「ふしぎ!?」
・エレキテル
・ライデン瓶
等などすべてでてくる。
私が中学校理科教師として勤めだしたころ、理科準備室の棚にほこりをかぶって置いてあったような実験器具が続々と登場する。
私の場合、とりわけ「エレキテル」への思い入れが強い。
その思い入れは今なお、くすぶり続けている。
▼ここでは年代をあげるだけにとどめておく。
●1776年(安永5) 平賀源内 エレキテルの修繕と製作に成功する。
●1811年(文化8) 橋本曇斎 『阿蘭陀始制エレキテル究理原』の序文が書かれる。
そして、ずっとあげてきている年代
●1831年 ファラデーの「電磁誘導」発見

こうしてみていると、「エレキテル」に特化した科学技術史を追いかけてみたくなる。
「ピンホール・カメラ」と「エレキテル」については別途必ずやろうと思う。
▼「理科」がはじまって以降の歴史にもどって、時代をすすめていこう。
残っている資料・教科書をもとに年代を追っているが、実際にその時代の子どもたちは、そのころの「理科」を受け入れていたのだろうか。それとも、このころの「理科」は、子どもの世界とは別世界にあったのだろうか。
そのあたりも知りたいな。


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サイエンスコミュニケーター宣言(92)

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▼妙なコトバがある。私自身も気づいたら多用している言葉だ。それは「科学的」と言う言葉である。非常に便利に使われている。言葉を発した人間も、聞く人間もどこか、それで納得した気分になってしまう。
しかし、これは諸刃の剣である。その言葉がでてきただけで暗黙の了解で思考停止をし、それまでの等身大の「ふしぎ!?」もどこかに行ってしまう言葉だ。気をつけたい言葉だ。 
 デジカメ自然観察を細々と続けている。東の畑にわずかに姿を現すことのある虫たちを訪ねて行くとき、坂道をおりて、左におれるそのときだ。曲がり角で身体にあたりとちくりと痛いものがある。こんなありふれたものすら、即座に名前はでてこない。調べて見た、どうやら「オニノゲシ」らしい。カメラを向けたちくりと痛いものの正体をみつけた。なんだ、この棘は…。葉だけでなくここまで棘をつけているとは。この棘にどんな意味があるのか。その「ふしぎ!?」追ってみたくなってきた。「科学的」でなく科学したくなってきた。
▼「日本理科教育史」を科学することをすすめよう。
「科学的」に誤魔化されることなく、自分のペースですすめよう。『小學校生徒用物理書』(1885年 明治18)を見せてもらっていた。「理科」前夜だ。
 見れば見るほど面白い!せっかくスピードアップと思ったが、ここでしばらく寄り道してゆっくり見せてもらうことにした。この面白さは、どこからきているのだろう。
▼順序不同である。思ったところ気づいたところからである。
今の「理科」が見失ってしまった視点(視座)がある。
大気圧のところで、そこの学習のタイトルは「晴雨計」なのである。
中身としてとしては、今の「理科」もその流れを考慮した展開になっているだろう。しかし、こんなにもズバリ「くらし」と結びつけていないんだ。
 大気の海の底にくらしている私たちにとって、「大気圧」を知ることはとても重要な意味がある。
科学史的に見てもそうである。毎日の天気予報になんで「ヘクトパスカル」が登場するのか。
この時代の方がダイレクトであったのかも知れない。
マグデブルク半球もちゃんとでてきている。
▼驚くべきことが書いてある。それは上巻の25ぺーじの終わりである。

總テノ物体ハ分子ト云ヘル極メテ細小ナルモノノ集合シテ成レルモノナリ

 もうちゃんと書いてあるではないか。もう126年も前に!!
このあと、三態変化の学習に入っていくのである。これって今の中学「理科」そのままではないか。
今の「理科」にしてやっとここまできたのかと思ったら大間違い!!
「理科」前夜にはすでにそこにあったのだ。

もうすこし「日本理科教育史」を科学しよう。
 

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【Web更新12/18】11-51 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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赤き実や 枝もたわわに 凍てつく空
11/12/17 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-51
週末定例更新のお知らせ
 今年もラスト2回の更新となった。2011年51回目のWeb更新である。特に際だった大きな「更新」ではない、新しいページが増えたわけではない、毎日のblogをWebページにつながくだけの単純な作業である。
そこに表紙画像を入れ替える。一週間でいちばん気に入った画像を貼りつけて一句を詠む。これがけっこうエネルギーを要する作業である。でも楽しい作業である。これを自分に対しての枷としてきた。束縛するためでなく、より「自由」になるための「枷」である。

◆表紙画像集2011 更新 人里の植物シリーズ ナナミノキ
 身近なものほど、そのすばらしさに気づかないという習性はどうしてなんだろう。熊楠は自宅の柿の木から新種の変形菌「ミナカタホコリ」をみつけている。これだけとっても熊楠がいかにすごい人かということがわかるというものである。私の家の前に、荒れた竹藪がある、朝の散歩ーコースを変えてから毎日のようにいくところだ。少し前からたくさんの赤い実をつける木があった。枝もたわわに実りそれが藪から垂れさがってきた。気にはしていたというもののその名前も知らなかった。これを今週の表紙にしようと思ってはじめて名前を調べてみた。実のつきかた、樹皮、葉っぱのかたち等などから「ナナミノキ」と判断した。町木「クロガネモチ」の仲間らしい、確かに似ている。「ナナミノキ」と名前を知ると(間違っているかもしれないが)急にこの木が愛おしく見えてきた。来年の花の頃にはちゃんとみておきたい。垂れさがった枝の向こうに凍てつく師走の空があった。

◆「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!
 「日本理科教育史」を追う旅には、寄り道、脇道、迷い道が多すぎる!たぶんに自らそれを楽しんでいるフシがあるが、それもよしとしよう。ただ歩みだけは止めないでおこう。
今週はどこまでいけるだろう。それは私にもわからない。

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サイエンスコミュニケーター宣言(91)

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▼同じことを毎日繰り返すそれが「日常」である。それを「飽き」にしないのはどうするか。
これは私の永遠の課題でもある。ひとつの方法は繰り返しの中に喜びや楽しみを「発見」することである。定点観察・定例観察などにおいては特にそうである。昨日は大賀ハスの定例観察の日であった。大賀ハスの蓮根を植え替えてから35週目であった。もうとっくに大賀ハスは枯れはて、葉も、葉柄も水に浸かりあとは朽ちていくだけ、観察を繰り返すのはさして面白味のない作業に思える。しかし、これがなかなかずっと続けていると面白いこともみつかるのである。観察池(とは言ってもプラスチック桶)のなかにも四季の変化があるのだ。ボウフラが異常に発生する時期があったり、大雨で水があふれるときがあったり…。もちろん観察の主役は大賀ハスだが、そればかりではない。大賀ハス観察池はいつしか自然観察のための「ビオトープ」の役割をしていたのである。そこに昨日の朝、氷が張り、夜のあいだに少しだけ降った雪の痕跡がのこっていた。
▼楽しさの「発見」ということでは、今続けている「日本理科教育史」の旅にしても同じである。
脇道にそれたり、道草をしたりしながらこの旅を楽しみたい。面白くもない楽しくもないならやめてしまえばいいのだから…。思考の旅だから、時空を超えることは自由自在!!
旅の対象をだいたい「120年」にしぼろうと思ったが、まあそれにとらわれず思いつくまま気の向くまますすめる。
やはり具体物がある方が面白い!!
▼再度、そのころの生徒用の教科書をみせてもらう。
●1885年(明治18) 後藤 牧太/篠田 利英/滝沢 菊太郎/柳生 寧成『小学校生徒用物理書』普及舎刊
 シカゴでコロンブス博覧会開催。後藤 牧太、中川謙二郎、簡易実験器具を出品をし、銀牌を受ける。

  小學校生徒用物理書 巻之上 、 小學校生徒用物理書 巻之中 、 小學校生徒用物理書 巻之下

生徒用だから、比較的わかりやすい。タイトルと図からだけでもどんな実験なのかだいたいわかる。
少していねいにみていくと、とても面白いことがいろいろわかってくる。
▼私は、これまで「新・私の教材試論」のなかで、繰り返し定番実験教材のルーツを辿ることの有効性を言ってきた。どの「定番実験」にも、はじまりがあり変遷があって「定番」になってきたのである。「歴史」を内包しているのである。多くの教師たちの「教材観」「科学観」さらには「世界観」までも内包しながら、そこにあるのである。
だから、それを知ることが新たな教材開発のヒントになることまちがいないのである。
これを「教材研究」と呼ばずして、なにを「教材研究」といわんやである。
『小學校生徒用物理書』をみていて気づいたことがいくつかある。

<つづく>

 
   

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サイエンスコミュニケーター宣言(90)

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▼この冬いちばんの冷え込みのようだ。昨日、播磨の国も雪までにはいたらなかったが朝から風は冷たかった。でも日射しはあった、「あいつ」はどうしているだろ?気になって東の畑に行ってみた。今週のはじめにホシノヒトミの近くでみつけた小さな甲虫、ここにあげておいたら北海道の友人が教えてくれくれた、「ルリハムシ」と。
名前を知るとなおさら愛おしくなってきた。でも夕方しか見に行くことできない日々だったので「あいつ」とは出会わなかった。昨日は朝からであったので居た!!枯れかけたスイバをよじ登っていた。
 マクロレンズを手に入れてからなおいっそう小さな生きものの世界が気になりだした。
▼「日本理科教育史」の追う旅はスピードアップして、120年前の「理科の要旨」から、「今」まで一足飛びにきてしまった。ちょっと忘れ物をした気分になった。
 そうだ!!この小さな生きものの世界などを扱った『博物』『博物学』はどうなったのだろう。
もうひとつの年表をみることからはじめた。
●1859年 ダーウィン(英) 『種の起源』刊行。
●1878年 ファーブル(仏)『ファーブル昆虫記』刊行(~1910年)。
▼そして例によって日本のアーカイブを見せてもらった。
●1877年(明治10) 文部省 (須川 賢久訳)『具氏博物学』刊。10冊 
      「具氏博物学一」    「具氏博物学九」 
図を見せてもらっているだけでもなかなか興味ぶかい。
図ということでは、『博物図』はさらにカラフルで興味深いものである。
●1878年(明治11) 文部省、掛図「第五植物図」刊。(博物図10図完結)。
この後、「理科」がはじまって、『博物学』はどうなっていったかについては、ゆっくりとみていきたい。
▼「博物学」でふたつのことを思いだした。
ひとつは今のことだ。池内了氏が提唱している「新しい博物学」についてである。
きわめて興味深い、また共感するところの多い提言である。これからの「理科」でもぜひ考えてみたいことだ。

 もう一つは、「新しい博物学」である。モノを収集して共通性と異質性によって分類するという博物学は、十八、十九世紀に盛んとなり、そこから物理学・化学・生物学・地質学などの専門分野が分化してきた。それによって科学は進歩したのだが、一方では科学はますます専門分化が進み、「極」とか「超」が接頭詞として付く状態になってしまった。(極低温、極微物質、超高温、超高エネルギーなど)。科学が細分化され縁遠くなってしまったのだ。そこで再度学問を総合化して身近に引き寄せることを考え、科学だけでなく、歴史や文学や民族学や神話など広く文化全体の眼でモノを見直すことを構想するのが「新しい博物学」である。(『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房)p111より)

▼もうひとつは「博物学」というコトバを聞いてすぐさま想起したひとりの人物のことである。
その人物の名前は、「南方熊楠」である。彼は「理科」が本格的にはじまったころ、日本にいなかった。
●1891年(明治24) 南方熊楠25歳 五月、フロリダ州ジャクソンブィルに行き、菌類、地衣類、、藻類を採集。八月、キーウェストに行き、九月、キューバ島に渡り、地衣の新種を発見。
●1893年(明治26) 南方熊楠27歳 九月、大英博物館考古学部長フランクおよび副部長のリードを紹介され、同館で東洋関係資料の整理を助け、勉学の便を得る。十月、『ネイチャー』に最初の論文「東洋の星座」記載、以後しばしば同誌に寄稿する。十月土井 法龍に会い親交を深める。

なんとアクティブであることか。感心するばかりである。こんな彼が主張しつづけてきたことのなかに、これからの「理科」のヒントがあると私はずっと思っている。
 たまたま今日、この南方熊楠に関するテレビ番組がある。ぜひぜひ…。
◆TVシンポジウム「南方熊楠のエコロジー100年」(12月17日(土) Eテレ14:00~15:00)
必見!!必見!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(89)

▼今朝、12月16日起きたらまず外に出て見た。きれいな下弦に近づきつつある月が輝いていた。雲もまったくみられない。凍りついた空に6日前の皆既月食のときと「同じ」月が位置とかたちをかえてあった。輝いて見えるの方向は太陽が昇ってくる方向である。このアタリマエ!!に今さらのごとく感動するのである。143年前に福沢諭吉がわかりやすく『究理図解』で教えてくれたことは本当なんである。そして、教えてくれたように月日は経っていくのである。
▼『日本理科教育史』を追う月日の方もスピードアップしよう。
「理科」をはじめよう!!
●1886年(明治19)  「小学校令」 「小学校ノ学科及其程度」
にはじまったけれど、そのなかみについては、まだまだかたまっていなかったようだ。
その要旨が出てくるのは、それから5年後である。
●1891年(明治24) 文部省,「小学校教則大綱」を制定、各教科の要旨をまとめる。

そのなかの第八条に「理科」の要旨がある。こうである。

第八条 理科ハ通常ノ天然物及現象ノ観察ヲ精密ニシ其相互及人生ニ対スル関係ノ大要ヲ理会セシメ兼ネテ天然物ヲ愛スルノ心ヲ養フヲ以テ要旨トス

最初ハ主トシテ学校所在ノ地方ニ於ケル植物動物鉱物及自然ノ対象ニ就キテ児童ノ目撃シ得ル事実ヲ授ケ就中重要ナル植物動物ノ形状構造及生活発育ノ状態ヲ観察セシメテ其大要ヲ理会セシメ又学校ノ修業年限ニ応シ更ニ植物動物ノ相互及人生ニ対スル関係、通常ノ物理上化学上ノ現象、通常児童ノ目撃シ得ル器械ノ構造使用等ヲ理会セシメ兼ネテ人身ノ生理及衛生ノ大要ヲ授クヘシ

理科ニ於テハ努メテ農業工業其他人民ノ生活上ニ適切ナル事項ヲ授ケ殊ニ植物動物等ヲ授クル際之ヲ以テ製スル重要ナル人工物ノ製法効用等ノ概略ヲ知ラシムヘシ

理科ヲ授クルニハ実地ノ観察ニ基キ若クハ標本模型図等ヲ示シ又ハ簡単ナル試験ヲ施シ明瞭ニ理会セシメンコトヲ要ス

あえて、八条すべてを引用させてもらった。
あれ!「ふしぎ!?」だ。あの諭吉の『究理図解』の志や、はやくもやって来ていた「ファラデーの科学」はどこへいってしまったのだろう。
▼月日を思いっきりスピードアップしてみよう。それから120年後の今だ!!
今年からスタートしている小学校学習指導要領の「理科」の「目標」をみてみる。

第1 目標
 自然に親しみ,見通しをもって観察,実験などを行い,問題解決の能力と自然を愛する心情を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を図り,科学的な見方や考え方を養う。

あわせて、来年度より完全実施の中学校学習指導要領の「理科」の「目標」をあげてみる。

第1 目標  自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め,科学的な見方や考え方を養う。

地球が太陽のまわりを120回 回転するあいだに、何が変わり、何が変わらなかったのか?またそれはどうしてなのか?
ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(88)

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▼新聞やテレビ、それにネットメディアでも「ヒッグス粒子」のことが話題となっていた。それが「万物の質量の起源」を明きからにする存在であるという。「はじめに質量ありき」の科学は、その謎解きを完了していなかったのだ。「アタリマエ!」と思っての思考停止は「科学」を遠ざけてしまう。
「なんでものには重さがあるの?」こんな「ふしぎ!?」を追う旅も終わってはいなかったのだ。そのことがすごく新鮮に感じたニュースだった。
 昨日、帰宅したらもう日は沈みかけていた。「デジカメ自然観察」の対象物も限られてしまっていた。それでも例の居候ジョロウグモはあいかわらず定位置に居た。いったいいつまでここにいるつもりだろう。
エサの確保すら困難であるだろうにどうするつもりだろう。私の小さな小さな「ふしぎ!?」もやっぱり続いていた。
▼「日本理科教育史」を追うことを続ける。
「ファラデーの科学」が思わぬ早く日本にやってきていたところまでみていた。
福沢諭吉の『究理図解』(1868)にはじまる究理熱ブーム、『物理階梯』(1872)、『小学化学書』(1874).
などをみてきていた。
「理科」はまだはじまっていなかった。制度として「理科」がはじまるのは
●1886年(明治19)  「小学校令」 「小学校ノ学科及其程度」 (※参照)
である。
 それまでに十数年があった。
この十数年になにがあったか、人々の「くらし」はどうだったか。
歴史にきわめて疎い私はもう少し、周辺をみてみることにした。
▼もうひとつの年表を重ねあわせてみる。
●1876年 ベル(米)が電話発明、特許取得。オットー(独)4サイクルエンジンの発明。コッホ(独)炭疽菌を発見。
●1881年 エジソン(米)ロンドンに火力発電所を建設、電燈事業を開始(電力時代)。ジーメンス(独)最初の電車路線を敷設
●1884年 シャルドンネ(仏)レーヨンの発明
世界の科学技術は日進月歩進み、20世紀に向かおうとしていた。
▼明治初年の「科学」教育の流れは、「理科」にどうつながっていったのか。いかなかったのか。
また、それはどうしてだろう。
それをあきからにするためには、もう少し時間が必要なようだ。

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サイエンスコミュニケーター宣言(87)

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▼「デジカメ自然観察」わやっていると、次々と面白い生きものたちと出会うので、すっかりヒガンバナの「ふしぎ!?」を追うのを忘れてしまうところであった。新しい定点観測地のヒガンバナの葉は驚くばかりに成長している。赤い花のふつうのヒガンバナとシロバナヒガンバナを並べて植えているが、普通のヒガンバナの葉の方に先日から白いマシマロのようなかたまりをみつけている。ひよっとして例のカマキリの卵だろうか。
しかし、こんなところに見るのははじめてだし、なんとなく感じが違うような気がする。
定点観測地だから、葉が伸び始めてからずっと見続けているがこの近くでカマキリは見かけなかったし…。
▼『日本理科教育史』を追うを続ける。
『物理階梯』、『小学校化学書』の実物を何度かページめくりながら図を中心に見せてもらっていた。
『物理階梯』について、板倉聖宣氏は次のように言っている。

『物理階梯』は、よかれあしかれ日本の洋学者がその主体性をふまえて訳編した小学校用科学教科書であった。そして、そこには当時の日本人に理解しやすいようにしようとする積極的な努力があった。しかし、文部省からこのような科学教科書が出版されたのはこれで終わりであった。(『増補 日本理科教育史』板倉 聖宣著 P109より)

 つまり、この著は洋書を下敷きにしながらも、「訳編」であり、そっくりそのままを訳しただけではないのである。
その意味で価値あるものなのであろう。そこには『究理図解』の精神が生きていたのであろうと思われる。
▼一方の『小学校化学書』の方は、当時のイギリスの一流の科学者たちが書いた「最初の初等科学入門書」の翻訳本なのである。それにすごく意味がある。
この書ついても板倉氏は次のように書いている。
 『小学化学書』では、事実/実験を示し、そこから法則を導き出そうという方法をとっているからである。(同書P113より)

そして、その話のすすめ方も、一般の常識とする「火/風/水/土の四元素」からはじまって、ファラデーの『ロウソクの科学』の手法を取り入れて、ローソクの燃焼という身近な実験事実から説きおこすなど、まったく新しい形式をとっている(『小学化学書』の原著者ロスコーは、ファラデーの弟子にあたる人である)。(同書 P113より)

▼ならばと私は、『ロウソクの科学』(ファラデー著 矢島祐利訳 岩波文庫)を本棚からひっぱり出してきて、実物『小学化学書』と実験図を中心に重ねあわせ見比べてみた。
驚くばかりの酷似!!その経緯をしればアタリマエのことだ。
私にはもっと驚いたことがふたつあった。
まずそのひとつは年代である。『ローソクの科学』はファラデーが70歳の時、1860年の暮れに行われたクリスマス講義なのである。ならべてみる。
●1860年 ファラデー『ローソクの科学』
●1874年(明治7) 文部省 市川盛三郎訳 『小学化学書』(一.二.三)
年代を間違っているのではないかと何度か確かめてみた。しかし、こうなのである。
なんということだ。わずか14年のタイムラグで、「ファラデーの科学」は日本にやって来ていたのである。
▼もうひとつの驚くべきことは、今も使われている中学校の教科書の「実験図」もここにあるということだ。「実験図」だけでない授業展開、話しのもっていきかたもきわめて似たものがここにあるという事実だ。
これは、歴史の事実である。
 それをどう考えるかは、このあとの「日本理科教育史」を追う作業なかであきらにしていきたい。
この作業、まだはじめたばかりなのである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(86)

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▼10~11日の「皆既月食」のときのすばらしい画像をいっぱい見せてもらった。すごい!!と思った。同じものを見たはずなのに!と自分が不甲斐なかった。
 しかし、それ以上に自分でも挑戦してみたから、人が撮られた画像の価値がわかるというものである。その方が大きいとも言える。昨日、私の「デジカメ自然観察」熱はまた地上にもどった。
「デジカメ自然観察」を意図的にやるようになってあきらかに身のまわりの植物や生きものの見え方がかわりはじめた。とくにマクロレンズを使い始めてそのことが言える。
▼何気なく観察していた小さな花や虫たちの「くらし」がすごく気になりだしたのだ。そして名前も知りたくなってきた。私はどちらかと言うと動植物の名前には無頓着であった。と言うより知らない人間の居直りも含めて「そんな名前よりもっと学ぶべき大切なことがあるだろう」と言ってきた。しかし、ここへきてちょっとちがうように思えてきた。生きものの名前には、これまでの人々がその生きものをどのように観察してきたかという「歴史」が含まれているように思えてきた。また、その生きものと人間がどうつきあってきたかということも。さらには生きものの「くらし」そのものも。つまりは、私が「学ぶべき大切なこと」と言ってきたが名前の中に含まれているのでは、と気づきはじめた。
 これは、私にとっては「大発見」である。冷たい師走の風が吹く東の畑に行ってみた。季節外れと言えばそれまでなのだが、ホシノヒトミ(オオイヌノフグリ)が10数個咲いていた。さすが虫たちはもう姿を見せないだろうと思っていたら、そのホシノヒトミのそばに光り輝く虫がいた。それも数匹(頭)が背中をピカピカ光らせながらイゴイゴと動いていた。カメラを向けた何枚も何枚撮ってみた。こいつの名前が知りたくなった。ネットの図鑑もつかいながらしらべてみた。「センチコガネ」かなと思ったがまったく自信はなかった。
▼ずいぶん脇道にそれた。『日本理科教育史』を続ける。
日本初の「科学のススメ」本である『究理図解』にいたく感動した。そして、その後に続く「究理熱ブーム」にも。
これから考えて行く「日本理科教育史」。思考の座標軸の「原点」をこのあたり置いたらと思いだした。
「理科」ははじまっていないが、ここには「科学」がある。
 今も課題である「科学」と「くらし」の問題が、そのままここにある。
▼『究理図解』から少し歴史をすすめると究理熱ブームのなか、文部省も「科学教科書」を出している。
それを「教科書」と呼んでいいのかわからないが。
代表的なものが『物理階梯』、『小学校化学書』等である。
ありがたいことに、『究理図解』がそうであったように、PDF化されたものがネットで見ることができる。
特に 「群馬大学附属図書館所蔵明治期教科書紹介ページ」などでは、一覧として見せてもらえる。ありがたい限りである。
●1872年(明治5) 文部省 片山淳吉訳編 『物理階梯』(上・中・下)

●1874年(明治7) 文部省 市川盛三郎訳 『小学化学書』(一.二.三)

 いずれもが、洋書の訳・編集本らしいが、図を見せてもらうだけでもきわめて興味深いものである。

<つづく>


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【Web更新12/11】11-50 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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師走路 しばし足とめ ハキダメの
11/12/10(土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-50
週末定例更新のお知らせ
 今外に出てきたら、アタリマエのことだが「何もなかったごとく」16夜の月が西に傾き輝いていた。まさに月日は動き続けているのである。スピードを変えることなく!!
新しい一週間のはじまりである。今週はどんなものに出会い、どんな「発見」があるだろう。それを考えるとわくわく気分になってくるのである。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ハキダメギク
 本格的な冬の到来で植物たちの営みも「冬仕度」と思っていたら、必ずしもそうではなさそうである。春の草花もいっぱいみかけるし、もう枯れてしまったはずの植物だって「今こそ」の営みをしている。
今さらのごとく驚くのである。生命の営みの多様さに!!
 門先に小さなかわいい花を咲かせている植物がいた。ハキダメギクである。なんとひどい命名をしたものだろう。その名に反して、なんとも愛おしくなる花なのである。マクロレンズを通してみたらますます気に入ってしまった。ここだけかと注意して見回したら、いたるところにこの花が咲いていた。ハキダメギクにとっては、今が「春」なのかも知れない。この愛おしい花に新たな名前をつけてやりたくなってくるのである。

◆「サイエンスコミュニケーター宣言」更新 !
 「日本理科教育史」を追う作業を本格的にはじめた。
そしたら、いきなり「理科」教育のはじまる前の「究理」熱ブームがものすごく気になりだした。
ひょっとしたら、これからの理科教育を考えるとき、思考の座標軸の「原点」をこのあたりにもってきた方がいいのではないかと思いだした。
 今週はどこまですすめることができるだろう。私にもわからない。それだけに楽しみでもある。

さあ!一週間をはじめよう!!

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「拝啓 私も皆既月蝕みましたよ!」

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拝啓 『究理図解』を書かれた福沢諭吉様

 突然お便りをさせていただきます。
唐突なお便りで失礼します。143年前にあなたの書かれた『訓蒙 究理図解』を最近になってやっと読ませてもらい大ファンになったものです。あなたの書かれたこの書は、日本初の「科学のススメ」本だと思います。
その書の最後の章で「日蝕・月蝕」のことにふれておられますね。
そして、こう結ばれている。

世界より日輪へ蒸氣機車の路あるとして、之に乗て駆かけなば、五百年の間、駆づめにして、漸く日輪の処へ届くべしといえり.実に話を聞きても信ずべからざるほど程のことなり。

地球と月と太陽はうんと離れている。月食・日食がどのようにして起こるか。その理がわかったとしても、やっぱりこの距離・空間は驚きであり、感動である。
それは143年後の今も変わらない。この「ふしぎ!?」から科学ははじまるのだと思っています。
そこで、昨夜から今日にかけて観察した「皆既月食」の「報告」をどうしてもあなたにしたくなって筆をとったというわけです。
▼2011.12.10~12.11。
昨日朝から、ちょっとバタバタしていた。
最近やっと手に入れた一眼レフデジタルカメラ(あなたの写真が残っていますので写真機のことはよくご存じですよね。今はこんなものが普及しています。)で月食のときの月を撮ろうと思ったからである。
実は、人のやっているのに一緒したことがあるが自分ひとりでやるのは初めてであった。だから、レンズどれを使えばいいのか。三脚はどう使えばいいのか。天頂にくる月をどうとらえたらいいのか。すべてがわからないことだらけであった。でも、はじめてのことというのは不安なこともあるが面白いものである。
あなたなら、そのことをよくわかっていただけると思う。
そうこうしているうちに夕方になってしまった。
一枚目のシャッターをきったのが 17時28分であった。それから今日の1時40分まで、闇雲にシャッターを切り続けた。撮った画像は586枚になった。
8時間あまり、この皆既月食にべったりとつきあった。というより写真撮影ばっかりしていたと言う方が正しいかも知れない。幸い天気もよく、あの「赤い月」というのも見た。
あなたの皆既月食のときの月もやっぱり赤黒かったですか。それもそうですが、あなたのころの「月食」というのはみんなも話題にしてよく見ていましたか。
▼写真撮影ばかりやったといいましたが、もうひとつやったことがあります。
ノートパソコン(電動そろばんの発展したもの)を玄関のところに置いておき、TwitterやFacebook(かわら版私家版、「エレキテル」の技術が発展してこんなものを生み出しました。)を使って、写真撮影のあいまあいまに、全国の月食情報をみていた。天気にめぐまれていないところもあるようだった。
UST(電動紙芝居私家版。瞬時に動画が世界につながります。)では、その瞬間の各地の「皆既月食」のようすが流されていた。これもなかなか面白かった。
▼今朝起きてから、用をすませて画像の処理にかかりきっりになったが、わからないことだらけだ。
ポンコツ頭に、そんなこといっぺんにわかるわけがない。
「赤い月」はまちがいなく撮ったはずだが出てこない。設定がまずかったのだろうか。
月食がはじまってまもなく(21時56分)の月の写真を観察の証拠として添付しておきます。ご笑覧ください。

今日は、2011年12月11日です。3月11日から9ヶ月目の日です。
2011年3月11日のことについてはまたあらためてお便りをするかも知れません。

だらだらとしたわけのわからない「報告」になってしまったことお許しください。
                                                                敬具

                   ポンコツ「理科(あなたがあの書を書いたときはまだなかった。)」教師より                           
                             


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皆既月食を観察しよう!!

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▼昨日は朝方にパラパラと冷たい雨がふっていたが、それもすぐあがり「デジカメ自然観察」には好都合な一日となった。朝からデジカメぶらさげて家の周辺をウロウロしていた。あのジョロウグモを違う角度からごきげんをうかがったり、家のまわりのクモの巣を探索したり、明るい日射しがあるとやっぱり花に虫が集まってきた。
未熟な私には、なかなか正面から撮らせてくれない。そうしているあいだに虫に語りかけている自分を発見した。
▼「デジカメ自然観察」にこっているうちに、これで「月食」を撮ることをできないだろうかと思いだした。
もうひとつある。例の『訓蒙 究理図解』の現代語訳をした
◆福沢諭吉の「科学のススメ」―日本で最初の科学入門書「訓蒙窮理図解」を読む』(桜井邦朋著 祥伝社)
が届いたのである。そこでさっそくもういちど第十章「日蝕月蝕の事」を読みなおしてみた。やっぱりうまいな!!
月夜の灯りは、「ロウソク」の光を「鏡」で受けて「隣の部屋」に灯りを送るようなもの…。
「日と月と世界と、団子を串にさしたる如く」等など
よし!!それから143年後の「今」の月食観察をやろう。
2011.12.10現在、私が使えるものはすべて使って観察してみよう。
▼昨日まではデジカメによる写真撮影はひかえておこうと思っていた。そんなにいっきょにやったら私の能力ではパンクしてしまうと。しかし、『究理図解』の刺激で挑戦してみる気になってきた。
うまくいかなくてもいい、挑戦することによって人が撮った写真をよりリアルに見せてもらえる。
双眼鏡で見ることもやろう。このときは双眼鏡はきわめて有効だ!!
もちろん肉眼でも…。
▼自分で観察するだけでなく、多くの人とつながりながら観察してみよう。
そうすれば楽しさは何倍にもふくらむ。!!
すでにいろんなところからガイド的なものはWebに流れている。
●【国立天文台HP】皆既月食の色を観察して みんなで報告しよう
もし天気が悪くても大丈夫だ!!
全国いろんなところでUST中継が予定されているようだ。
ここで見られなくても、どこかでリアルタイムに観察できる。
これぞTwitter的(リンク・シェア・フラット・等身大・リアルタイム)!!
今夜は、Twitter的「皆既月食観察」に挑戦だ。

そして、143年前の福沢諭吉に報告してみよう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(85)

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▼昨日、ここにクモの画像をあげていたら、ネットで「ジョロウグモですね。まだ生きているので​すね。多くのジョロウグモは産卵を終え、命を終えている​時期なのですが。」と教えてくれた友人がいた。そう言われて、今も庭に居候しているクモたちのことが急に愛おしくなってきた。いつまでいるだろうと?それが気になってきたのでもう少し観察を続けようと思う。
▼プリントアウトした『訓蒙窮理図解』を読む作業はまだ続けていた。
あまり同じ作業をしていると、何をしていたのか見失ってしまいそうになる。
そこで自分でも確認した。
●『日本理科教育史』を追うことをやっている。
ねらいは3つのことをあきらかにすることだ。
(1) 私たちの「理科」はどこから来たのか。
(2) 私たちの「理科」はどこにいるのか。
(3) 私たちの「理科」はどこに向かうのか。

▼ひとつめのところで、日本で「理科」がはじまるまえに、「科学」はあったのかを見ていて、日本初の『科学のススメ』=『訓蒙窮理図解』に出会ったのだった。
あまり繰り返しすぎると、寧ろうすっぺらのなものに聞こえてしまうかも知れないが、やっぱり「すごい!」のである。感動であるのだ。
 「理科」がはじまる前に「科学」があったのである。
「理科」と「科学」は同じではないのか。なんで私はこれまで何度も「理科は科学を教える教科である」などという一見アタリマエとも思えるコトバを聞くことになったか。それが「ふしぎ!?」だ。
このときの「究理」熱ブームは、どこへ言ってしまったのだろう。
「究理」の延長線上に「理科」は誕生したのだろうか。
「究理」熱はどこまで拡がったのだろうか。私の先祖は『訓蒙窮理図解』を目することがあったのだろうか。
「究理」熱といっても、それは選ばれし一部の人たちだけのものだっただろうか。
「究理」熱によって人々の「くらし」はどう変わったのだろう。
それらをあきらかにするには、もう少していねいに「歴史」を見ていく必要がありそうだ。
▼折しも、明日12/10(土)は日本全国で皆既月食が見られるという。
『訓蒙窮理図解』の最終章(第十章)は「日蝕月蝕の事」のことである。
今は、中学3年生がここにあるのと同じ図を使いながらこれを学ぶ。
『訓蒙窮理図解』の方がよりくわしい説明かと思うほどである。そして最後にこう結ぶ。

世界より日輪へ蒸氣機車の路あるとして、之に乗て駆かけなば、五百年の間、駆づめにして、漸く日輪の処へ届くべしといえり

世界(地球)と日輪(太陽)の距離、宇宙の広がりに俄に信じがたきことと「感動」しているのである。
ここに「究理」の志の本質があるのでは。
明日、私たちは、そんな感動をともなって皆既月食をながめることができるだろうか。

明日の夜が楽しみである。
みごと見えたら、「一万円札」に報告してみようかな。

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サイエンスコミュニケーター宣言(84)

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▼私の持病である「ばっかり病」がまたしても発症したようである。やり過ぎはいかん、持続していくためにはもっと「ゆっくりと」と言い聞かせはするだが…。「デジカメ自然観察」病である。マクロレンズを通しての自然観察は面白い!!昨日の対象はクモだ。一匹のクモ(クモって正式には昆虫なんかと同じように「頭」というのかな)がバラの木のところに居候していることは知っていた。しかし、その周辺をゆっくりと見ていると、いろんなところにこの居候がいることに気づいた。それもよく見るとどうも違う種類のクモらしい。腹の色もちがうし、大きさもちがう。
クモの巣を張る高さもちがう、棲み分けをしているのだろうか。クモの巣の張り方にもそれぞれの流儀あるのかもしれない。クモの世界も知ってみたくなってくる。
▼『究理図解』もたしか、そう言っていた。
「木葉一枚のことにてもその理あらざるはなし。」と。
電子本化された『究理図解』をながめていても、充分に面白かったが、さらにじっくりと読むためには、私にはまだペーパにした方が受けつける。
そこで、今度は
◆「訓蒙窮理図解 福沢諭吉著 2版」(近代デジタルライブラリー)
からPDF化し、プリントアウトさせてもらった。
全三巻、十章からなる。全部で67ページになった。圧巻!!である。
プリントアウトさせてもらいながら、そのこと自体に感謝し感動した。大学の図書館や研究機関にでかけることもなくこんなことができるなんて。これぞクラウド時代の「学び」か!
▼文章自体は浅学な私には少しわかりにくいところがあるが、そこは図が助けてくれる。
太陽から光を虫眼鏡で集めてものを焦がす。傍らで子どもが大喜び!!
そんな図からはじまっていた。
目次だけあげさせてもらう。


目次
巻の一
第一章 温気の事
第二章 空気の事
巻の二
第三章 水の事
第四章 風の事
第五章 雲雨の事
第六章 雹雪露霜氷の事
巻の三
第七章 引力の事
第八章 昼夜の事
第九章 四季の事
第十章 日蝕月蝕の事

▼143年も前にこんなものがすでに書かれていたとは、驚き以外の何者でもない。
知っているつもりになっていただけとあらためて気づかせられた。
なにがすごいか。
・図を多用することによってわかりやすくしている。
・洋書を参照したとことわりながらも、外国の事例ではない。日本の身のまわりの事物をとりあげている。
・「四季の事」「日蝕月蝕の事」の図など、現在の理科教科書でもとりあげているものそのものだ。
・徹底して「科学」と「くらし」をつなげようとする姿勢
等など
まだまだある。
▼これぞ日本初の『科学のススメ』である。
この本などきっかけに「究理」熱ブームがあったという。わかる話しだ!!
納得し、示唆的年代がある
●1872年(明治5) 福沢諭吉 『学問のすすめ』第1編刊
『科学のススメ』が先行していたのだ。
実際はそれらは前後するようなかたちだったのかもしれない。
見落としたくないのは「科学」→「学問」の文脈だ。

もう少し時間をかけて『科学のススメ』を読みかえしてみよう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(83)

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▼マクロレンズを手に入れたことで、私の「デジカメ自然観察」熱は加熱するばかりである。とは言っても昨日はその時間はなかった。カメラを手にしたときには、すでに陽は傾き虫たちをみかけることはなかった。いやいなかったのでなくみつけることができなかったのだ。しかし、フォーカスしたいものはいっぱいあった。あの赤い宝石のように輝いていたザクロの実も、いつしかたったひとつだけ枝にくっつき朽ち果てようとしていた。
 どんなプロセスをたどって朽ち果て消えるのだろう?白いものはカビだろうか。
どこからでも「ふしぎ!?」は生まれてくるものである。
▼朽ち果てるザクロを見ているうちに、「温故知新」というコトバが唐突に頭に浮かんだ。新しいザクロの実にも輝いてが、朽ち果てる古いザクロにもそれなりの「美」があるのでは。その「美」は、また「新しさ」含んでいるのでは…。『日本理科教育史』を続けよう。
繰り返す。
●1886年(明治19)  「小学校令」 「小学校ノ学科及其程度」
ここから「理科」教育ははじまった。
では、それ以前に「科学」教育はなかったのか?。
「年表」を見ながらさがしてみた。できるだけ具体的でわかりやすいものを、そしたらすごいものがあった。
●1868年(慶応4 、明治元) 福沢諭吉、『訓蒙 究理図解』を慶応義塾より出版。 
あの有名な『究理図解』だ。「理科」がはじまる18年前だ。今からだと143年前になる。
日本最初の科学入門書である。知っているつもりでいた。ほんとうは、くわしく読んだこともないのに…
▼なんと便利な時代だ!そのこと自体に感動してしまう。
居ながらにしてこの名著が読めるのだ。
◆「訓蒙窮理圖解. 上」
◆http://www.madlabo.com/mad2/meiji-text/book_LIB/15kyuri_zukai2.pdf
等など

すこしゆっくり読んでみようと思う。
図を見ているだけでも、「えっそこまで…」という感じである。

ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(82)

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▼昨日と一昨日、私はひとりで「デジカメ自然観察」にはまっていた。やっと「マクロレンズ」なるものを手に入れたのだ。NikonD5100を手に入れたもののCOOLPIX7000で充分と思いはじめていたから、少し半信半疑であった。
たまたま両日とも天気がよかった。まず「花と虫」を撮ってみたかった。もう花と言っても限られる季節になってきている、家の東に枯れかけた菊があるぐらいだ。たまたま陽が当たり虫たちがよってきていた。はじめてマクロレンズを通して見てみた。驚きである!!感動!!であるかくも鮮明に撮れるとは。
他も撮ってみたくなった。今度は家の西にあるヤツデのところへ行った。まだアブたちがよってきていた、やっぽどアブたちはヤツデがお気に入りのようだ。アブと言ってもどうやら幾種類かいるようだ。このレンズを通してみてみるとよくわかる。デジカメだといくらでも失敗ができる、何度でも気に入るまで撮りまくればいい。
 虫たちのこと、花のこと知らないことが多すぎるでも、それが逆に知る楽しみ、調べる面白さにつながる。
当分、「ひとりデジカメ自然観察会」は続きそうである。
▼そして思い出した。
そう言えば、「カメラ」という教材について考えていたことがあったなと。
ならば今やっている
『日本理科教育史』と『日本理科教材史』と重ねてみよう。
他の教科にくらべモノ(教材)が授業で占める比重が大きい。だから、これは当然のことであるが、より意識しながらすすめたい。その方が絶体に面白いはずだ。
そこでもうひとつ「年表」参照しながらすすめることにした。
◆世界の大発明・発見・探検・早わかり年表(『世界の大発明・発見・探検総解説』(自由国民社)より)
この年表は、より身近な具体物の歴史が出ていて面白い。「教材史」もからめて考えて行くには有効な年表である。
▼『日本理科教育史』にもどる。
1886年(明治19)に「理科」がはじまった。
では、それ以前に「科学」はなかったのか。どんな「くらし」があったのか。
具体的なモノで考えてみよう。
再び「カメラの歴史」(日本カメラ博物館)で考えてみよう。私にはこれでうんと「歴史」が見えやすくなってくるのだった。
▼さらには、ずっと言い続けてきた『常民の科学』はどうだったんだろう。興味は膨らんでいくが、いっぺんにそれをやっていると「道草」がすぎることになるかも知れない。
・「理科」と「科学」はちがうのか。ちがうならどこがどうちがうかのか。
・「科学」教育はいつはじまったのか。
・「くらし」と「理科」はどうつながっていたのか。
・「科学」は誰のもの?
等など
考えれば考えるほど疑問は膨らんでいく。
疑問は疑問として保留しつつ次へすすんでみよう。 

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【Web更新12/4】11-49 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

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石垣に 月落ちたかと カズラの実
11/12/03 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-49
週末定例更新のお知らせ
月曜日の朝だ!外に出たらオリオン・冬の大三角形が少し西に傾くだけになっていた。一週間のリセットのときだ。システム手帳の新しいページをめくる、そして一週間を展望する。おっ!12/10(土)は皆既月食だ!天気はどうだろう。願ってもそれをコントロールできるわけではない。コントロールできることだけに最大限の努力を傾けてみよう。そんなアタリマエを決意する週のはじめである。

◆表紙画像集2011 更新 人里の植物シリーズ
 赤い実が目立ちはじめる季節だ。赤い実だけではない、ゴシタマの青い実も色づきはじめている、黒い実も、そして、このヘクソカズラの実が渋い輝きをはなっている。ヤイトバナの夏の花のときが思い出される。
今、草花が枯れてしまった石垣に、まんまるお月さんのようなヤイトバナ(ヘクソカズラ)の渋い光沢あった。
まるで月が小さくバラバラになって落ちてきたかのように。

◆サイエンスコミュケーター宣言 更新
 とてつもない作業にかかった。「日本理科教育史」を追う作業である。
道のりは遠く、ときに立ち止まったり道に迷うかもしれない。好んで道草を楽しむかも知れない。
いつまでにという期限などない。しかし、急がねばという気持ちもどこかにある。
ゆっくり 急ごう!!

◆ヒガンバナ情報2011
 「ヒガンバナの種子を探す会」でひとつの区切がついたかにみえる今年のヒガンバナ情報であるが、気持ちはけっしてそうではない。「ふしぎ!?」は次々と生まれてきているし、観察も続けているのである。
Twitterの#higanbanaもまだまだ続くのである。
観察をつづけるみなさん引き続いてよろしくお願いします。

さあ 一週間はじめよう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(81)

Dscn9779▼昨日は、大賀ハス定例観察の日だった。蓮根の植え替えから33週目であった。もうすっかり枯れ果てた葉、その葉がときどき北風に舞いだした。そのミイラ化した葉を未練たらしく拾い上げ少し保存している。あの日の記憶として、そのまま捨てやるのは忍びないのである。観察池の水面を眺めていたら、ひとつの小さな若い葉をみつけた広げることもなく朽ちていくのであろうが、なんとも愛おしくなりしばらく眺めていた。
▼『日本理科教育史』を追うことをつづける。
「年表」の作成者である板倉聖宣氏は、「理科」教育史をみていくとき「記憶すべき年代」があるいう。
「1872年(明治5)」「1886年(明治16)」のことはすでにあげた。
それ以降では次のような年代である。
●1910年(明治43) 国定理科教科書制度の発足(施行1911年度から)

●1918年(大正7) 「理科教育研究会」発足 月刊誌「理科教育」刊行

●1941年(昭和16) 「国民学校令」「国民学校令施行規則 低学年理科「自然の観察」新設

▼20世紀前半の話である。ではそのころもう一つの年表「近代科学・技術に関する出来事年表」ではどうだろ。  
○1911年 ラザフォード(英)が有核模型を発表。米CTR社設立(24年にIBMと改称)。キャンベル、スウィントン(いずれも英)ブラウン管をテレビにはじめて使用。
○1912年 ラウエ(独)結晶によるX線の回折現象を発見。ヘス(オーストリア)軽気球で宇宙線を確認。ヴェゲナー(独)が大陸移動説を発表。

○1915年 アインシュタイン一般相対性理論の提唱。デレルとトゥオート(いずれも英)バクテリオファージ発見。
○1919年 ラザフォード、原子核崩壊の実験。

○1941年 ビードル、テータム(いずれも米)アカパンカビを使った遺伝生化学の研究を開始。

重ねてならべてみて、驚くことも多い。しかし、これは遡行しない史実なのである。
▼では、「日本の理科教育史」以前には、「科学」はなかったのか。
これについては、もう少していねいにみていきたい。
そして、「理科」がはじまって以降の各時代の「科学」についても…。
長い道のりになりそうだ。
でも、少しずつ 少しずつ…。

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サイエンスコミュニケーター宣言(80)

Dscn9664▼昨日も一日中、陽tがささななかった。空もどんよりとしていた。
そのなかでも「デジカメ自然観察事始め」を続けていた。今日は「これ」はというものに出会いたかったのだ。
「虫たち」でもいい、「冬芽」「雲見」「ヒガンバナ」でもいい なにかに出会いたかった。
そして、自然の今を「記録」しておきたかった。夕方になってやっと「これ」というものに出会った。それはジュズダマの輝きだった。なんとも言えぬ渋い光沢!!線路沿いの土手の下で冷たい師走の風に晒されながらも輝いていた。かつて柳田國男翁はこの「ジュズダマ」は数珠玉でなく、「ツシタマ」(ツシ=子安貝の南島方言)が訛ったものといい、そこからはじめて「我々日本人はどこから来たのか」の「ふしぎ!?」に答えるべく『海上の道』を書いた。
 この光沢を見ていると、柳田の発想力に少しでもあやかれるかも…。しばらくみとれていた。
▼同じようにというのは、少しはばかれるが、私は今、「私たちの「理科」どこから来たのか」を追っていた。
「理科」の始まりが今から125年前であることがわかった。
今の日本に住むすべての人が、なんらかのかたちで、この「理科」を体験したか、体験しつつある。
体験したのがどの時代の「理科」であるかによって、「理科」の印象はずいぶん変わっているかも知れない。
関わりの深さによっても「理科」のイメージはまったくちがうかも知れない。
 いずれにしても、125年間の「理科」教育体験者であることは間違いのない事実である。
▼私は、「日本理科教育史の年表」をみていくのに、もうひとつの「年表」を用意した。
それは、『人間にとって科学とは何か』(村上陽一郎著 新潮選書 2010.6.25)の付録「近代科学・技術に関する出来事年表」(p195)である。このふたつの年表を随時重ねあわせながらみていこうと思う。
ちなみに「理科」がはじまった(1886年)前後はこうだ。
●1885年 パルマー(スイス)水素原子のスペクトルのバルマー系列発見。ベンツ(独)三輪のガソリン自動車発明。
●1887年 マイケルソンとモーリー(いずれも米)の光速度測定。フレミング(独)染色体の減数分裂の発見。
▼この作業が、けっこう面白いことに気づいた。
これまでアタリマエと思っていたことが、こんなところから来ていたのかという発見もいっぱいある。
今、「理科」教育で課題になっていることも、すでに何度も課題になってきていたこともわかってきた。
よし!! もう少しこの作業をすすめていこう。
ゆっくり 急ごう !!

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サイエンスコミュニケーター宣言(79)

Dscn9455▼師走初日は、本格的冬の始まりだった。日も射ささぬまに夕方をむかえていた。それでも、なにか虫に出会えないだろうかとデジカメをもって門先をウロウロしていた。ヒガンバナのカタツムリもどこでなにをしているのだろう。姿がない。クモだけが定位置についている。ヒガンバナの向こう側に赤いなにものかが…、ボタンの冬芽だ。
そうだ!!去年の冬に興味をもちはじためた「冬芽」のことを思いだした。だいぶん本棚の隅に追いやられていた『冬芽 ハンドブック』を、センターにもってきた。
▼仕切り直しの「サイエンスコミュニケーター宣言」も続けよう。
「日本の理科教育史」を我流ではあるが見直してみる。それからだった
(1) 私たちの「理科」はどこから来たのか
(2) 私たちの「理科」はどこにいるのか
(3) 私たちの「理科」はどこに向かうのか。
ねらいは、3つだったことを確認する。
参考にさせてもらうつもりの「年表」は『増補 日本理科教育史(付・年表)』(板倉聖宣著 仮説社 2009.4.10)
のものだった。
▼いつもそのことにこだわっているわけではないが。ふっと「ふしぎ!?」に思うことがある。
「理科」教育と言って、「科学」教育と言うコトバを使うときと使わないときがある。
「理科」と「科学」は同じなんだろうか。こんなアタリマエのような「ふしぎ!?」が…。
そんな厳密に使い分けているわけではない。しかし、やっぱり使い分けていることは分けているような気がする。
それはなぜだろう?
▼そもそも日本の「理科」はいつはじまったのだろう。
●1872年(明治5)  「学制」を頒布 「小学則」を制定
 このときあるのは「生理」「化学」「博学」「究理学」などであり「理科」ないのである。はじめから「理科」があったのではないのである。
では、「理科」はいつはじまったのか。
●1886年(明治19)  「小学校令」 「小学校ノ学科及其程度」 (※参照
 ここではじめて「理科」がはじまるのである。
日本の「理科」教育は、呼び名だけで言うならば、125年の歴史をもつのである。
1世紀と1/4世紀である。長いと言えば長いが、人間の歴史や「科学」の歴史から考えればごく最近とも言える。
この「歴史」を読むことをつづけてみよう。

<つづく>


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Twitterはじめて800日目に思うこと。

▼外は強い風が吹いていた。雨も少し…。はやくも師走だ!!
2011年最後のカレンダーをめくった。
そして、今日はTwitterはじめて800日目になることを、http://twilog.org/junkusudaが教えてくれた。700日目から800日目までの100回地球が回転するあいだに何があった少しふり返ってみた。
700日目までは、ここに書いていた。100日前はまだ夏だったんだ。
▼先日のサイエンスアゴラ2011で、「tsudaる」の津田大介さんの話しをリアルタイムで聞いた。
さすがだと思った。みごとに「今」を読んでおられた。彼は、『Twitter社会論』(洋泉社 2009.11.21)で、Twitterの特徴を6つあげている。

「1.リアルタイム性」
「2.伝播力が強い」
「3.オープン性」
「4.ゆるい空気感」
「5.属人性が強い」
「6.自由度が高い」
(同書 p29より)

それを私の場合はTwitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」)と呼んだ。
使い始めてから100日目ごろから、Twitter的を連発しはじめた。
それは今もかわらない。
▼ここのところ、Facebookにつなぐことも増えてきた。しかし、実はまだFacebookのことがよくわかっていないんだ。ひょっとしたらFacebookの方が、今はTwitter的なのかもしれない。
いやいやもっとTwitter的なものが出てくるかも知れない。
私にとっては、そのメディアがTwitter的かどうかが問題なのであり、Twitter的の進化・深化こそ課題にしたいのだ。
▼最近、私の周りのネット環境の大きな変化があった。
それは、自分が住んでいるところでもでも WiMAXにつながりはじめたのだ。それも強力に。
ありがたい!生活空間のどこからでもツナガル!!
私の場合は、パソコンからしかつながないからけっこうこれは大きな変化なのである。
それが、私のTwitter的にどんな変化をもたらすかは、自分でもわからない。100日後に期待だ!!

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