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サイエンスコミュニケーター宣言(96)

▼「理科離れ」と言う言葉がある。私は、この言葉を使う人を基本的に信用しないようにしている。「理科」を「科学リテラシー」を云々する文章の枕詞のようにして使われることが気に入らない。ホントにそうなのかどうして確かめたのか、どこかにそう判断するデータがあるのか。なんの吟味もすることなくこの言葉をいつもの「あいさつ」的にこの言葉を使う人に「非科学」を見るのだ。私もときに使ってしまっていることがあるので大きなことは言えないが、「ほんとは理科好きなのに、理科好きだと思わせてやれなくて」申し訳なく思ったことはあったしても…
▼どこから生まれたか、この言葉。この言葉を必要とする人たちがいるがいる限り使われるのだろう。100年前はどうだろう。その言葉はなかったのだろうか。
この言葉は必要とされなかったのだろうか。
「理科」はどのように人々に受け入れられていたのだろう。
▼私は、よく使ってきた言葉に
●自然は最高の教科書!
●子どもは最高の指導書!
というのがある。
100年以上前に文部省が「教科書の字句の解釈と暗記に始終するような理科教育を強制的にやめさせようとした」ことがあるという。
●1904年(明治37) 小学校国定教科書使用 理科は教科書使用禁止となる。

上のことからいけば、なっとくできそうな話だ。しかし、そこにはなんらの別の意図があったのだろうか。私にはわからない。
▼それはともかく、それは長続きはしなかった。方向は変わったのか。
理科教科書にも「国定」の時代がやってくるのだった。
●1910年(明治43)国定理科教科書制度の発足
●1911年(明治44)国定『尋常(高等)小学理科書』児童用使用開始
なんとこの教科書、基本的にはこの後、30数年間もかわらずにつづくという。

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