サイエンスコミュニケーター宣言(92)
▼妙なコトバがある。私自身も気づいたら多用している言葉だ。それは「科学的」と言う言葉である。非常に便利に使われている。言葉を発した人間も、聞く人間もどこか、それで納得した気分になってしまう。
しかし、これは諸刃の剣である。その言葉がでてきただけで暗黙の了解で思考停止をし、それまでの等身大の「ふしぎ!?」もどこかに行ってしまう言葉だ。気をつけたい言葉だ。
デジカメ自然観察を細々と続けている。東の畑にわずかに姿を現すことのある虫たちを訪ねて行くとき、坂道をおりて、左におれるそのときだ。曲がり角で身体にあたりとちくりと痛いものがある。こんなありふれたものすら、即座に名前はでてこない。調べて見た、どうやら「オニノゲシ」らしい。カメラを向けたちくりと痛いものの正体をみつけた。なんだ、この棘は…。葉だけでなくここまで棘をつけているとは。この棘にどんな意味があるのか。その「ふしぎ!?」追ってみたくなってきた。「科学的」でなく科学したくなってきた。
▼「日本理科教育史」を科学することをすすめよう。
「科学的」に誤魔化されることなく、自分のペースですすめよう。『小學校生徒用物理書』(1885年 明治18)を見せてもらっていた。「理科」前夜だ。
見れば見るほど面白い!せっかくスピードアップと思ったが、ここでしばらく寄り道してゆっくり見せてもらうことにした。この面白さは、どこからきているのだろう。
▼順序不同である。思ったところ気づいたところからである。
今の「理科」が見失ってしまった視点(視座)がある。
大気圧のところで、そこの学習のタイトルは「晴雨計」なのである。
中身としてとしては、今の「理科」もその流れを考慮した展開になっているだろう。しかし、こんなにもズバリ「くらし」と結びつけていないんだ。
大気の海の底にくらしている私たちにとって、「大気圧」を知ることはとても重要な意味がある。
科学史的に見てもそうである。毎日の天気予報になんで「ヘクトパスカル」が登場するのか。
この時代の方がダイレクトであったのかも知れない。
マグデブルク半球もちゃんとでてきている。
▼驚くべきことが書いてある。それは上巻の25ぺーじの終わりである。
總テノ物体ハ分子ト云ヘル極メテ細小ナルモノノ集合シテ成レルモノナリ
もうちゃんと書いてあるではないか。もう126年も前に!!
このあと、三態変化の学習に入っていくのである。これって今の中学「理科」そのままではないか。
今の「理科」にしてやっとここまできたのかと思ったら大間違い!!
「理科」前夜にはすでにそこにあったのだ。
もうすこし「日本理科教育史」を科学しよう。
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