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デジカメ自然観察事始め!!(3)

Dscn9390▼昨日は比較的あたたかい一日だった。こんな日には、虫たちもひょっとしたら草むらでひなたぼっこをしているのではと思った。だから、そこへデジカメを向けてみたかった。しかし、実際それができたのは、日没前であった、ほんとうにはやく日は沈んでしまうのだった。もうそのときには、虫たちを見ることはなかった。それでもとねばっていると、蜘蛛の巣が目についた。蜘蛛が真ん中で待ち構えている、デジカメ向けると場所を移動してしまった。ひつこく追いかけていると、蜘蛛があの匠の技を披露しはじめた!!蜘蛛が糸を操るさまは今さらであるが面白い。
 これをじっくり見るのはひょっとしたら、はじめてかも知れない。デジカメ向けたからこそ見えてきたことかも知れない。
▼実は、先日の【ヒガンバナの種子を探す会】でも、多くの時間を「デジカメ自然観察」術の指南に時間をとってもらった。途中で休憩した場所で、車のなかで、観察地点でいろいろ教えてもらった。
やっと手に入れたNikonD5100ももっていっていたので、その具体的な使い方、マクロレンズの選び方、等なども。
「被写界深度」の意味も少しわかりだした。
実際にやりながらとすごくわかるのである。いつものことながら「初心者」は、そんなことアタリマエになってしまった人にはなかなかわからないところで躓いているものなんである。
 きっと「机上の理科」だけでなく、「実験をともなう理科」が必要なのも同じなのかも知れない。
▼自分で意識して写真を撮りだすと、人の撮ったもののすばらしさがわかりはじめるのも面白い。
ほんとうにありがたいことに、今はWeb上にもいっぱいすばらしい画像を見せてもらえる。
時空を超えて、知人たちの「作品」を見せてもらえる。その画像を通して、その写真を撮っている人とコミュニケーションが図れるのだ。
 そんな意味では、デジカメもまたきわめて「コンヴィヴィアリティのための道具」と言えるのである。
▼実際に写真を撮りながらの観察会がこんなに面白いなら、こんな「デジカメ自然観察会」もいっぱいやってみたいな。ひょっとしたら、そんなのいっぱいあるのかも知れない。
みつけたら、また出かけてみようと思う。

さあ、今日は何が撮れるかな。


 

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「ヒガンバナの種子」はみつかったのか? #higanbana

Dscn9268▼昨日の朝のことだ。朝の散歩の終わりに、庭先の例のヒガンバナを見ていた。天気は少し曇っていたから薄暗かった。やっぱりやつがいた!!カタツムリだ。触角をのばして葉の先端まで登っていた。触角で湿ったDscn8871空気を感じたのか、てっぺんからUターンしてきた。やっぱりカタツムリはヒガンバナがお気に入りのようにみえるのだが…。
Dscn9066▼それは一昨日、27日(日)の【「ヒガンバナの種子」を探す会】でも、最初の観察スポットでも筒井さんがみつけてくれた。種子探しより先にみつけることになった。「ヒガンバナ」と「カタツムリ」、まだたまたまということにして置こう。今年三度目のふたりのヒガンバナ観察会は、「種子」探しがメインだった。
Dscn9104播磨地方の北部での私たちのスポットも決まってきた。最初が、前回に刈りとられた花茎をみつけたところだ。
このあたりの田の畔はほんと手入れが行き届いている。再び草刈りがさているところも多い。
でも、ヒガンバナの葉もたいしたものでまたまた伸びてきているのである。
Dscn9120▼問題の花茎がたっていてその先にをさがした。なかなかみつからない。その近くの畔で、やっと倒れて枯れてしまった花茎をみつけた。その先はふくらみかけていた。そのようなものをいくつかみつけた。
やった!!やっぱりいきなりあったかと喜んだ。
しかし、それはすぐしぼんだ。筒井さんが言った。
「これって、下についてないですよね。前に刈ったやつですよね!」
そうか、前回持ち帰ったものと同じ、草刈りでいいタイミングで花茎が刈られたものが、鱗茎への水分の回収を免れて、結実そのしかけているのだろうと思われる。
 そうすると、あるタイミングで花茎を刈りとって水栽培に転じてやれば、人工結実の可能性もあるということか。
では、そのタイミングとは、その時期とは、それは来年以降の課題か。
▼でも、まだまだあきらめたわけではない。もはやおきまりのコースになりつつあるスポットを巡った。
「棚田とヒガンバナ」では格好のスポットをみつけた。
葉の季節でも、やっぱりみごとだった。階段状の水路の岩場にもヒガンバナは見られた。元々のふるさと中国での「石蒜」の呼び名もこんなところから来ているのかも知れないな想像しながらみた。
問題の花茎のたった姿をさがすが見あたらない。朽ち果てあとかたもない!
▼山を越えて、北播磨各地の「スポット」に自然結実した花茎がたっている姿を探した。
畔一面ヒガンバナの葉が独占している場所にも行ってみた。
黄色いヒガンバナの地にも行った。そこで黄色ヒガンバナで驚いたのは、立っている花茎よりもその葉の大きさだ。長さも幅も巨大だ!これが同じ仲間の植物とは思えぬほどである。花が咲いているときを見ていなければ、きっと別の植物と思うだろう。
▼薄暗くなるまで探索をつづけた。
ついには、自然結実した花茎が立っている姿とは出会わなかった。
だからと言って、「自然結実するヒガンバナはない」とは私たちは判断しない。
たまたまこの時期にはみつけられなかったにすぎない。
だって多くの人が出会ったという報告があるのだから。
「発芽」にまでいたった報告もあるのであるから。私たちはあきらめない!!
・「ヒガンバナ」と「カタツムリ」
・「自然結実するヒガンバナ」と「ヤブラン」
・発芽するヒガンバナは2倍体なのか?
・花茎の水栽培のタイミングとは?
・ビカンバナの葉はどこまで伸びるのか?
等など

ヒガンバナの「ふしぎ!?」はまだまだ続く!!


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【Web更新11/27】11-48 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

Dscn8807

ナンテンの 赤き願いや 空深く
11/11/26 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-48
週末定例更新のお知らせ
 一週間が終わり、一週間がはじまる。その境目にWeb更新をおいてどれくらい時間がたつのだろう。例外的に曜日をずらすと、なんとなく居心地が悪くなってしまう。やっぱり元に戻そう。
 システムとして更新をつづけるためには、原則にしたがった方がよさそうだ。
あと4回の更新で、今年は終わることになる。次の更新はなんと師走だ!
この一週間俯瞰してみた。さて、なにに出会うのだろう、楽しみである。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ナンテン
 一週間に一枚、これはと思った自然を切り取った画像を表紙に貼りつける。下手くそな俳句もどきを添える。
それが、表紙画像集である。今年の48枚の画像を見直してみた。
不思議なもんだ。その一枚を撮ったときのこと、心の動きまで憶えている。
記録が記憶を呼び覚ましてくれる。
今週の一枚、我が家の庭から一枚!
「難転じよ!」と願わずにおれない今日この頃、その意志を表すがごとく今年もナンテンの実が赤く赤く熟している。願いを深い深い空に届けたいとしばしナンテン越しに空を見上げていた。

◆「サイエンスコミュケーター宣言」 更新!
 サイエンスアゴラ2011の反芻作業をしながらも
 もう一度仕切り直しだ!
少しずつ ゆっくりと しかし 急ごう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(78)

Dscn8657▼昨日で観察池の大賀ハスは植え替えから32週目をむかえていた。枯れた大賀ハスそれ自体に見た目大きく変化は見られない。しかし、内的変化はわからないし外的環境はいろいろ変化していく。池の側に立ったヒメジオン(?)のみどりや花の色が妙に気になる。あきらかに時間は経過していっているのである。
サイエンスアゴラ2011の反芻作業は続いていた。
新しい知見もいっぱいあった。会いたかった人にも会った。著名な「時の人」たちにも生で会った。
ワクワクするような体験でもあった。
目的としたことのほとんどは達成できた。大満足であることは確かである。
しかし、妙な違和感をおぼえたことも確かである。
その違和感の正体はやがて見えてくるだろうと思って先へ歩をすすめようと思っていた。
▼でも、それを置き去りすると先が見えてこないと思いだした。
目をそらずにその正体をさぐってみようと決意した。(またまたオーバーなと笑われそうだが…)
私は、アゴラ初日に「理科」「理科教育」のフレーズが、登壇者の発言のなかに何回登場するかをカウントしていた。なんという愚行であるかと後で反省もした。
 しかし、今考えてみるとそれは自然とした行為であるし、何か求める意志のあらわれであったのだろう。
違和感の正体は、この「理科」「理科教育」に起因するものではと思いだした。
▼私は、この「サイエンスコミュニケーター宣言」の仕切り直しを決意した。
中途半場になっていたこと、もう一度やり直してみよう。
板倉聖宣著『増補 日本理科教育史(付・年表)』(仮説社 2009.4.10)
を再び取り出してきた。この付録の「年表」と自分の取り組んできた実践を重ね合わせようとしていた。
それは、点と点を重ね合わせるようなことだった。それすら、中途半端で終わっていたのだが。
もっともっと根っこのところからやろうと思った。
ゆっくりな私だ、時間はかかるだろう。途中でまたして方向を見失い挫折するかも知れない。しかし、はじめなければ進まない!!
やりたいこと・知りたいことは3つだ。
(1) 私たちの「理科」はどこから来たのか
(2) 私たちの「理科」はどこにいるのか
(3) 私たちの「理科」はどこに向かうのか。

ゆっくり 急ごう!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(77)

Dscn8517▼昨日もやっぱりデジカメ「自然観察」にはまっていた。まだまだコンパクトデジカメでだ。東の畑でトンボをみつけた、カメラを向けるがなかなかうまくいかない。あきらめようとしたとき草むらのなかで、ガサガサと音がした。
何者かがいる!!捜すが見あたらない。みつけにくいはずだ、みごとに枯れたアヤメの葉に「同化」したバッタをみつけた。なんというバッタだろう。冬仕度に入っているんだろうか。どんな「くらし」をしているんだろう。
あまりに何も知らない自分に気づくのだった。
▼「くらし」に「ハレの世界」と「ケの世界」があると教えてくれたのは柳田國男だった。私にとっては「ハレの世界
」に属するだろうサイエンスアゴラ2011から一週間がたった。もどって来た「ケの世界」のなかで私は、三日間の反芻作業を繰り返していた。
 まだ頭の隅にあった、あの疑問が。
「サイエンスコミュニケーターって?」
「私はサイエンスコミュケーターだろうか?」
▼あの違和感はどこから来るのだろう。もちろんいろんな「私の科学」と出会い、学びに行ったのだから、ちがっていていい。違うことにこそ意味があるのだから、違うことがずいぶんの刺激になったのだから。
それを認めながらも、何かもっと根っこところに「ちがい」を感じる。
その正体をみつけるのは、しばらく保留にしておこう。
それよりも、「私の科学」のこれからを考えよう。
そして、ここまでの「サイエンスコミュケーター宣言」の文脈を追い続けよう。
▼「サイエンスコミュニケーター宣言」のなかで中途半端になっていること。
●1912年ウェゲナーの「大陸移動説」
それから100年!!
●1831年 ファラデーの「電磁誘導」発見
それから180年!!
・この「歴史」をどのように3.11以降につなぐか。
・3.11以降の授業(私にとってはサイエンスコミュニケーション最前線)は
・日本の理科教育史と自分がやってきた授業とを重ね合わせる。そして「これから」を考える。
・原子論的物質観はこれからも有効なのか。実践的検証は?

まだまだありそうだ。
小さな事からつないで行こうと思う。
そして
私はやっぱりいろんな意味合いを込めて「サイエンスコミュニケーター」であり続けようと思う。

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デジカメ自然観察事始め!!(2)

Dscn8429▼昨日夕方家についてから、しばらく門先に屈み込んでいた。昨日の朝に気づき気になるものがあったからである。それは季節外れとも思える「ナズナ」一本だった。本格的な冬の到来を知らせる冷たい北風が吹いていた。その風に揺れながらナズナが一本だけ立っていた。これを記録したくて、私はCOOLPIX7000を向けた。
ダメだ揺れる、それにどんどん日が傾き光がなくなっていくなんとかこの「時間」を記録したい。何十枚と撮ったがこれまでだ。
▼時間は遡行しない。だからせめて記録したい。記録したものを共感・共有し合いたい。
そんな思いから数年間
◆Web版【はしりもの・かわりだね】
をやっていた。メールに画像を添付してもらって見せてもらっていた。実にそれは楽しいものだった。
はじめて知ることがいっぱいあった。画像情報も面白かったが、それ以上にその画像を通しての人とのコミュニケーションが面白かったのだ。
▼NikonD5100について、昨日進んだことと言えばカメラバッグを購入したことだけだ。できるだけどこでも持ち運べるようにだ。できるだけ「今」を記録化するための周辺整備だ。
 実際に使い始めるまでには、まだ時間が必要なようだ。ゆっくりな私には…
▼昨日の夕方、神奈川の匝(めぐる)さんからTwitterで、あの「ヒガンバナの種子」もどきふたつ発見!!の情報
があった。今朝、folomy【理科の部屋】で中村敏弘先生に庭にくらすカマキリの顔の画像を見せてもらった。
実に面白い!!
 これが、私流の「デジカメ自然観察」事始め!!
できるだけ等身大にリアルタイムにすすめていきたい。

今日は、何を記録することができ、発信できるだろう。
ゆっくり ゆっくり急ごう。

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デジカメ自然観察事始め!!

Dscn8284▼昨日も飽きもせずに、あたらしい定点観察地のヒガンバナを観察していた。そしたらやっぱりあのカタツムリがいた。眠っているのか、休息しているのか動かなかった。「ヒガンバナ」と「カタツムリ」なにかツナガリがあるのか。
単なる偶然か。まだなにもわからない、この「ふしぎ!?」は、しばらく観察を続けながら追いかけてみようと思う。
▼意識的に自然観察を続けていくためには、写真を撮るというのはなかなかすぐれた「科学の方法」だと気づきはじめていた。データを記録化するのである。それは例の『デジカメ自然観察のすすめ』(海野和男著)にも書かれていた。
 それは、これまでにもやってきていた。
・ヒガンバナ
・大賀ハス
・「雲見」
等などで。しかし、それはまだまだ不十分であった。
もっと観察のフィールドを広げたかった。マクロに、ミクロに…。
そして、ついに私は、あこがれの「一眼レフデジカメ」を購入してしまった。
▼今使っているデジカメでも充分と言えば充分なのだが、より意識的に「自然を観る」ためのきっかけになればと思って。そいつが昨日着いた。
「ニコンD5100」だ。サンタさんにあこがれのおもちゃをプレゼントされた子どものようなものだ。
箱をあける時間ももどかしかった。
開けてみて組み立てた。パソコンもそうだったが、メカが元々苦手な私は、マニュアルアレルギーでもある。
使いこなすのはまだまだ先の話になりそうだ。
今使っているデジカメも併用しながら、身のまわりの自然の意識的記録化をすすめていこうと思う。
▼記録化するだけでは面白くない。ずっとやってきたことでもあるが、それを「発信」してみようと思う。
発信すれば、その小さな「自然観察」が思わぬ「発見」つながったり、あらたなコミュニケーションのはじまりになる。なによりも「自然観察」が楽しくなってくるのだ。
それが、私流のデジカメ自然観察事始め!!

さあ、今日はなにに出会えるかな。


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今日、【理科の部屋】は18歳に!!

Dscn8276▼最後まで立っていたヒガンバナの花茎一本、その先に「実もどき」がついていてずっと観察を続けていた。数日家をあけたのでその前にと17日に枯れてしまった花茎を家に持ち帰っていた。旅から帰ってさっそくそいつを見た。驚いてしまった、家に持ち帰ったのは正解だったようだ。「実もどき」は割れ、なかからまるい「種子もどき」が白い紙の上にころがり出ていたのである。それは直径7㎜程度で真ん丸である。
「これから」どうなっていくんだろう。観察つづけてみよう。
▼今日11月23日は、【理科の部屋】18歳の誕生日である。
めまぐるしく全てが変化する時代にあって、18年前は「大昔」なのかも知れない。
しかし、私にとってそれは地続きの「今」でもあるのだ。
「パソコン通信」(今や死語か)の時代だった。【理科の部屋】とはなになのか、書いたものがあった。
◆情報は発信するところに集まる~【理科の部屋】とは~
その最後に書いた。

  私たちは、今こそ自分の学校の理科室を、研究室を、仕事場を、家庭を、フィールドを、・・・ そして自分自身を「日本の理科教育情報発信基地」に変えてしまいたいものです。「私」発→「地球」行きのメディアを駆使して・・・。

ここでの「今こそ」の「今」は、今日のことなのかも知れない。
▼今から10年ほど前の案内文もあった。
◆【理科の部屋2】の紹介
読んでみると、それ以降実現したこともある。
今なお途上にあることも多い。「今こそ」と思うこともある。
▼時間は遡行しない。時代も。
しかし思考は可能だ。
3.11以降の理科の授業を考えるとき、今こそ小さな小さな営みの情報発信が必要なのではと思う。

「私」発→「地球」行きのメディアを駆使して・・・
                                           【理科の部屋】18歳の朝に                               

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【Web更新11/21】11-47 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

Dscn8187

低き日に まぶしくもあり 花八手
11/11/21 (月)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-47
週末(?)定例更新のお知らせ
 サイエンスアゴラ2011参加のためいつもより更新が一日ずれてしまった。でもこの更新やっておかなければ一週間も終わらないし、はじまらないので更新した。
 できそうにないことに「あこがれる」より、これは、自分でできることなので、繰り返し繰り返しやっておこうと思う。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ヤツデ
 何もない荒れた庭の西の一角が異様にかがやいていた。ヤツデである、その白さはまばゆく目を惹いた。
注目したのは私だけでなかった。虫たちもそのようだ、ハチ、ハエ(アブかな?)たちもこぞっていた。
本格的に冬を迎えるまでの楽園のように見えた。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 いつもの「ばっかり病」が発症したかのように、サイエンスアゴラ一色の一週間であった。
学んだことの反芻作業はまだまだ続くが、少し頭を切り換えた方が学んだことを深めることができるのかも知れないと思いだした。
 でも、「サイエンスコミュニケーターって?」だけは続けよう。
 

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サイエンスコミュニケーター宣言(76) #sciagora11

Dscn7884▼サイエンスアゴラ2011の最終日は、東京の空の「雲見」からはじめたんだ。最終日、一日中頭にこびりついたコトバがあった。それは「サイエンスコミュニケーター」だ。「宣言」を76回まで続けておいて今さらである。
でもこびりつくものは仕方ない。
「サイエンスコミュニケーターって、何?」を繰り返しながら…。
▼最初に参加したのは予定していただった。
◆日本コンピュータ化学会@サイエンスアゴラ2011
【企画1:トークセッション】計算科学と化学の不思議で楽しい関係 ─世界化学年に

 最前列に席をとった。理解できなくても「空気」だけはたくさん吸っておこうと考えたのだ。それはいきなり正解だった。不器用で理解のゆっくりの私は、最初の登壇者の細矢治夫先生の直々の「折り紙」指導を受けることができた。さすがだ!!プロはできの悪い生徒を見逃さない。妙なことに感動してしまった。
私は、自分のページの表紙に先生の監修の本の紹介を貼りつけていた。縁とは不思議なものだ。
後の登壇者も、興味深いものばかりだった。なにより面白いと思ったのは、このトークセッションがこの場限りのものでないと言うことだった。興味をもったら、もっと深くつなげていくことが可能にしておられることだ。
学びの持続可能な環境をつくられているのだ。そのことにいたく感動した。
▼朝コンビニで買ったおにぎりで簡単な食事をして、次の会場に向かった。
◆検証・原発震災報道 メディアはリスクをどう捉え伝えたか
 ちょっと早めに会場にいったおかげでここでも最前列に席をとることができた。
今回のサイエンスアゴラの参加の目標のひとつに「Twitter的の検証」があった。
私は自分で勝手に言っているTwitter的というものが、これからも有効なのか、それを確かめたかったのだ。
ラッキーだった!!最前列の席は、あの元祖「tsudaる」の津田大介さんのま前だったのだ。
追っかけファンが、ステージ最前列に席をとったみたいのものだった。
林衛さんから趣旨説明があった。週刊誌、新聞、テレビ、ソーシャルメディアからそれぞれのメディア論が出た。
意見交換も活発におこなわれた。「正しい情報とは」「科学はどう伝えるへきか」「科学とは…」「ジャーナリズムとは」…。ここも私の頭でにわかにすべてが理解できるようなことではなかった。
 しかし、「今」が熱く語られていることはわかった。そしてまたしても頭に浮かぶのは「サイエンスコミュニケーターって?」だった。
▼最後のきわめつけが、これだった。
◆サイエンスアゴラ2011総括セッション
新たな科学のタネのまき方

 会場についたときは、すでに「サイエンスコミュニケーター」とよばれるような人たちが登壇していた。
それぞれの立ち位置から話が出た。
 私にもほんの少し「サイエンスコミュニケーター」というものの姿が見えてきた。
そしたら、次に「私は、サイエンスコミュニケーターなんだろうか?」という疑問がわいてきた。
この疑問はしばらく続きそうだ。

三日間が終わった。
なんとも充実した楽しい3日間であったことか。
思っていたことのほとんどが達成できた。学んだことの反芻作業はゆっくり ゆっくりと時間をかけてやっていこうと思う。
出会った人、お世話になった人に感謝します。
ほんとうにありがとうございました。そして「これからも」…。


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サイエンスコミュニケーター宣言(75) #sciagora11

Dscn7829▼「現在進行形」これがやっぱり一番面白い!!
昨日はこれを実感した一日だった。一日中サイエンスアゴラ2011会場にいた。開場少し前よりまずは理科ハウスの展示へ行った。
■理科ハウスが選ぶ全国科学館オリジナル商品の展示(理科ハウス)
 予想通りだった。面白い!!
 「へー、そんなのあるのか!!」感動してしまうのである。それはすごく高価なものというのでない、オリジナル商品の向こうにそれをつくった学芸員の顔が見えてくるモノ、数々!!
何度でも見に行った。見る度にランキングが入れ替わった。そりやそうだ、もうすでに理科ハウスが選び抜いたモノなんだから、絶対におもしろモノなんだ。
 そのうち何カ所訪ねてみたい科学館が浮かび上がってきた。
そこに行けば、これを発案した人がいると思うと、その人に会いに行きたくなるのだ。
どこか、「教材」と似たところがあると思った。すぐれた定番実験などの教材には、必ずその「教材物語」があると思った。それと同じようにその「オリジナル商品」物語があるような気がした。
▼次に、本間義夫さんに会いに行った。
■日本コンピュータ化学会@サイエンスアゴラ2011
もうすでにはじまっていた。すでに子供が楽しんでいた。
本格的にお話を聞くのは、20日にした。まずは再会を喜び合った。
 再会といえば、なんと十数年ぶりに再会した人がいた。青野裕幸さんである。
会った瞬間に十数年の時空は超えることができるから不思議だ!
うれしい限りである。この段階で、私のアゴラ参加の初期の目的は達成したことになる。
▼食事をしている間もないくらいであった。
つぎつぎと楽しみが待っていた。今度はシンポジウムに行った。
■危ないってどういうこと?―生活の中のリスクと科学リテラシー
 「リスク」「リスクとは」「リスクコミュニケーション」「リスク認知」「科学リテラシー」等々のことばがどんどん出てくる。私の私の頭では、まだなじみのないコトバ群だ。
話題提供者、コメンテーターのコトバを少しずつ、「今」の輪郭が見えてくる。私の今立つっている位置も…。
初日より、「私の科学」というより「私の科学コミュニケーション」に軸足がうごいてきているように思った。
▼科学未来館のブースを少し見て回って、最後にRikaTanのブースに行った。
左巻健男さんに出会った。
■観る・知る・遊ぶ 『理科雑誌★RikaTan★』で理科の探検!
・サイエンスカフェ 『イリオモテヤマネコもUMAだった?』に参加させてもらった。
実に面白かった!!楽しかった!!
おっと!!忘れるところだった。この面白さ、楽しさこそ「科学の力」ではなかったのか。
昨日、最後の収穫は大きかった。

今日最終日も、存分に科学を楽しんでみよう。それも、現在進行形で!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(74) #sciagora11

Dscn7731▼毎日、毎週同じことを繰り返す。それだから「定例」である。「定例」に意味が出てくるのは、その記録が蓄積され変化が見えてくるときである。なんの変哲もない「大賀ハスの定例観測」さして先週と変化があるわけではない。しかし、「定例」はつづけておこうと思った。ほんとうはいつもより一日はやい。留守にするので、一日はやく植え替えから31週目の大賀ハスを記録した。
Dscn7784▼いよいよサイエンスアゴラ2011であった。
新幹線に乗り込んだ。新幹線内のネット接続状況もどんどんよくなっていく。少しだけ「応答」をして、読みかけにしておいた本を読んだ。
◆『もうダマされないための「科学」講義』(菊池誠 他著 光文社新書2011.9.20)
 のなかの
第四章「3.11以降の科学技術コミニケーションの課題」(平川秀幸)
集中的に読んでみた。すごく納得できる展開であった。
こんなのはやっぱり偶然というのだろうか。いやある程度私なりの意図があったのだろう。
驚くほどに、平川さんの文脈がそのまま
◆サイエンスアゴラ2011開幕シンポジウム
私たちにとって科学技術とは何か—震災からの再生をめざして

につながっていったのである。
▼会場についた。席に着いてTwitterでつぶやいてみた。
ちょっとこんなに「あこがれ」ていたのだ。ここでもまたまた驚くことがあった。そのつぶやきに応答があったのだ。
その方は、私の座っているすぐ近くの席にすわっておられた。後でご挨拶に行った。
サイエンスアゴラ2011の企画委員の方だった。ネットワークは拡がっていく、面白い!!
会場のようすはUSTで配信されていた。
先ほど確認したら見ることができた。なんとありがたい時代だ。
でもこの「空気」はUSTでは配信されない。いっぱい吸い込んでおいた。
▼基調提案、パネル討論とつづく。
それぞれの人の「私の科学」が披露されていく。同時にその科学の今,置かれている位置を語られた。
真摯な問いかけをされていた。
納得もし、学ぶところもおおかった。
しかし、どうも私にはしっくりとこないものがあった。
途中で気がついた。これは私がまずかったのだ、私は「私の科学」を講演者やパネリストに求めようとしていたのだ。それが証拠に、発言の中に何回「理科」「理科教育」というコトバを数えようとしていた。
今必要なのは他人の中に「私の科学」を求めたりすることでなく、それぞれの人にある「私の科学」と出会い・学び合い・高め合うことである。
 それには「特別のシロウト」(小林傳司さん)の自覚からはじめるべきなんだろう。
それが「共感と共有の科学」に至る唯一の道なんだろうと思う。
そして、それは今こそなんだろうと思う。

今日は、どんな「私の科学」に出会えるかな、楽しみである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(73) #sciagora11

Dscn7702▼しし座流星群を期待して、空を見上げていたがどうもこの天気では無理なようだ。今日からしばらく観察することができないので、あの自然結実をしたかも知れないヒガンバナの「実もどき」を家に持ち帰ってきた。花茎は40㎝ちかくあった。上の方に少しみどりを残すのみで、下の方はほぼ完全に枯れてしまっている。観察に行かないあいだにどこかに消えてしまってはと思い採取してしまったのだ。これで完熟にむかえることができるのかわかないが手元において様子をみることにした。
サイエンスアゴラ2011、いよいよ当日である。後9時間後には、

◆サイエンスアゴラ2011開幕シンポジウム
私たちにとって科学技術とは何か—震災からの再生をめざして

の会場にいることだろう。
USTでの配信もあるようなので、その様子は多くの人と一緒に見聞きすることができる。
面白そうだ!!
その場の「空気」までは配信されないだろうから、自分のからだで吸ってみよう。
可能な限り、感想・意見を報告できたらと思っている。
▼今回楽しみにしていることのひとつに、私などまったく知らない分野で科学研究を続けておられる人の「私の科学」に出会うことだ。そこから大いに学びたい。
どれだけの共感・共有できる「私の科学」と出会えるか。発見できるか。
それがすべてであろう。楽しみである。
▼この期間中は、今の私に可能な範囲で「等身大」「リアルタイム」情報を発信しづけてみたい。
私にとっては、「今」とい時代を実験してみることになるだろう。
あんまり大きな事をいうと恥ずかしいので、これぐらいで…。

さあ、出発だ!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(72)

Dscn7581▼庭先の二種類のヒガンバナが競うがごとく元気に葉をのばしてきている。他の草花が枯れている時期だけに目立つ。似ているようだが同じでないヒガンバナとシロバナヒガンバナそれぞれが違う物語をもつ、どこまでが同じでどこが違うのかそれを知る術を私はたくさんもたない。右側位置するシロバナヒガンバナの葉の方が広い程度しかわからない。もっとすごい違いがわかる術はあるのだろうか。それがどこまで来ているのか、私は知りたい!!
サイエンスアゴラ2011までついにあと一日となった。
続けて私の文脈を追ってみる。
授業こそ、サイエンスコミュニケーションの最前線!!
と言ったのだから、その「授業」がどこまできているか。それが問題である。
私は、これまでの自分の授業を可能なかぎり授業実践DBにあげてきた。それは、今から読み返せば恥ずかしくなるようなことばかりが目立つ。でも、それは事実なのである。こんな「ねらい」「願い」をもって、こんなものを教室持ち込んでやった。そのとき気づいたこと、どのようにうまくいかなかったのかの「記録」である。
私には、今のところこれが全てなんである。
▼最近、ちょっとうれしいことがあった。「あそこには、ああやった書いてあるが、もっと具体的に教えてくれ」という内容のメールをいただくことが続いたのだ。
自分でわかる範囲で答えた。アタリマエだが私はなにか完成したものを知っているわけではない。
私がいちばん面白いと思うのは、答えているあいだに、「そうか、そうすればよかったのか」と気づいたり、新しい知識にふれたりできることだ。
 そして、気づく!!
もっともアタリマエのこと。
 「情報」とは元々きわめてインタラクティブな営みのなかから生まれるものだということだ。
▼最も欲しい情報を手に入れる手段は情報を発信することである。
あらためて言い続けてきた。

「情報は発信するところに集まる!!」

明日からのアゴラ(広場)でも、これで行こう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(71)

Dscn7544▼無くなってしまったヒガンバナ定点観察地に変わって、今年から引っ越しさせた場所をあらたな定点観察地として、伸びてくる葉を観察しているんだ。特に、今年はその葉によってくる虫たちも観察しているんだ。
 ここのところ気になる生きものがいる。カタツムリである、最初はそんな生きものも、この「みどり」が引き寄せたのかと思っていた。最初は枯れた花茎を登っている姿をみつけた。そして今は葉だ。
まるでここを「住み処」としているようである。ヒガンバナとカタツムリなんかツナガリがあるのだろうか?
また新たな「ふしぎ!?」がはじまった。
サイエンスアゴラ2011まであと2日となった。
もうTwitter的は「#sciagora11」で盛んにはじまっている。
今さらである。
サイエンスアゴラと私のツナガリは、ヒガンバナとカタツムリのつながりほど唐突であるのだろうか。
もう一度、私の文脈を追ってみる。
▼我田引水の私の文脈はこうだ。
●サイエンスコミケーションの最前線は、学校の授業にある。
●授業者である教師は、自ずから「サイエンスコミュケーター」でもあったのだ。
これらは、全て=(イコール)で結ばれるツナガリではない。
しかし、主語と述語の入れ替え可能なぐらいのツナガリである。
▼サイエンスアゴラに私が行くのはこのツナガリの検証を自分の目と耳とでやってみたいのだ。
そこを流れる「空気」をいっぱい吸ってみて…。
そして、「これからの授業」についての発見をしてみたいのだ。

今朝もあのカタツムリやっぱりあそこにいるだろうか?明るくなったら見に行ってみよう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(70)

Dscn7454▼小さな小さな科学まだ続けている。ヒガンバナの種子の「ふしぎ!?」追っているんだ。種子探しのなかで偶然みつけた花茎。最後まで残った一本だ、その先につく実もどき、これはほんとうに自然結実しているのだろうか。
みつけたときは、まだ緑だった花茎本体も枯れてきて、倒れてきていた。朝露にぬれた実もどきは、これからどうなっていくのだろう。私にはまだわからない。
サイエンスアゴラ2011まで、あと3日となってきた。ハシュタグ「#sciagora11」での情報も加速度的に増えてきた。
それらを見せてもらいながら、Twitter的を思っていた。
サイエンスコミュニケーター5つの条件の第三あげたあれだ。
●Twitter的であること
・「リンク」
・「シェア」
・「フラット」
・「等身大」
・「リアルタイム」
▼Twitter的は、けっして道具Twitterだけを意味するものではない。Facebookを使っての情報交換も活発化してきたようである。ひょっとしたら人によってはFacebookの方がよりTwitter的なのかもしれない。
私は、まだFacebookそのものの使い方がよくわかっていないのでなんとも言えない。
▼今回の参加のなかでも、Twitter的を貫きたい。
そのための道具を私なりに準備することにした。その道具たちを使ってどこまでTwitter的を具現化させることができるかの実験でもある。
 「コンヴィヴィアリティのための道具」たちは、私の小さな科学を変えるかも知れない。

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【Web更新11/13】11-46 「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!

Dscn7279

ありがたや 土のぬくもり ホトケノザ
 11/11/12 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-46
週末定例更新のお知らせ
 「等身大の科学」「等身大に生きる」等など、「等身大」は私がこれまでの人生でいちばん多用してきたコトバかも知れない。なんとなく自分にぴったりとくる、だから気に入っている。
 でも、このごろ変な疑問がわいてきた。この「等身大」の「大きさ」はどうして測っているんだろう。どんな「ものさし」なんだろう?その「ものさし」は、わたし自身がもっている「ものさし」なのだろうか?

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ホトケノザ
 田の畦や道ばたから色が消えつつある。冬の寒さがいよいよ本格化する季節である。そんなとき、このピンクのやさしい色は、心まであたためてくれる。本来は早春の花であると思うのだが、今の時期にも花咲かせているホトケノザである。冬のあいだも咲いていたような記憶があるが、記憶まちがいだろうか。
 そのあたたかい色は、その土のなかのいのちの営みのぬくもりを伝えているのかも知れない。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 いよいよ今週末である、「サイエンスアゴラ2011」は。
どこまで参加の目的は達成できるだろう。どんな収穫があるだろう。
楽しみである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(69)

Dscn7267▼大賀ハスは、蓮根の植え替えから30週目であった。枯れ果てた葉の観察池の水に浸かりさらに朽ち果てていく。水のなかには少し褐色を帯びたアオミドロが…。池はまさに沼化していた。こんなとき「分子」が見えたら面白いだろうなと思った。いのちの循環を「分子」の循環の視点で見たらまったく新たな世界が見えてくるものなのかもしれない。
▼サイエンスアゴラ2011の「予習」を昨日も続けた。
ぜひとも参加してみたいシンポジウム・トークセッション関係だけをリストアップしてみた。
そしたら、トータルが10時間15分となった。2.5日でこれだけの時間だ。
ポンコツ頭にこんなにたくさんのことがいっぺんに吸収できるわけがない。これにプラスに行ってみたいブース・展示ある。他にいかに面白そうなものがいっぱいあったとしてもすべては無理である。
▼ここで諦めた。不可能を追わない、可能なことを徹底してだ。それが私流だ。
決めた!!「空気」をいっぱい吸おう!!
サイエンスアゴラの「空気」を吸う。これはそこに行かなければできないこと。
通りがかるだけでも、その「場」の空気は吸える。
この「場」の創設こそサイエンス・アゴラ(広場)の主旨らしい。納得である、最後は自分流に楽しんでみようと思う。
▼楽しみは、もうはじまっていた。
Twitterでハシュタグ「#sciagora11」をつけてのツィートが増えてきた。出展者から案内や、参加予定者からの質問などの「会話」がはじまった。
この展開も面白い!!
ネット上にも「場」がつくられていっているのを実感するのである。

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サイエンスコミュニケーター宣言(68)

Dscn7076▼「時間」を遡行させることはできない。しかし、「記録」することはできる。その瞬間を記録したかった。
昨日、雨は午前中でやんだ。庭の赤いナンテンの実から水滴がいっぱいついていた。しばらくすれば落ちてしまうだろう水滴。赤い実と落下しようとする水滴、なんと美しい!!
この「時間」を私は「記録」したかったのだ。
▼サイエンスアゴラ2011の予習を続ける。
そもそも私が「サイエンスアゴラ」を知ったのは本間 善夫さんを通してである。本間さんにはずいぶん以前からネットを通していろいろ教えてもらっていた。インターネット黎明期もWeb2.0の時代も、Twitterも…。
その本間さんが「サイエンスカフェ」や「サイエンスアゴラ」を熱く語りはじめられた。
自然と興味がでてきた。そして、それへの参加は「あこがれ」となった。
時間が確保できるようになり、やっと行けるようになった。遊びに行けるというだけでとてもうれしいのである。
▼「時間」を記録しておけば、歴史として遡行できる。
本間さんが、サイエンスアゴラの歴史を『サイエンスアゴラと科学コミュニケーション』としてまとめておられる。
読ませてもらった。あらためて「なぜ、自分が参加したかったのか」が見えてくるようだった。
自称「サイエンスコミュニケーター」の私が、参加する必然が少しずつわかりだした。
▼サイエンスアゴラの歴史をテーマで遡行してみる。

第1回 サイエンスアゴラ2006 『科学と社会をつなぐ広場をつくる』

第2回 サイエンスアゴラ2007 『みんなでつなごう未来のスイッチ』

第3回 サイエンスアゴラ2008 『地球の未来 日本からの提案』

第4回 サイエンスアゴラ2009 『地球の未来 日本からの提案Ⅱ』

第5回 サイエンスアゴラ2010 『未来へつなぐ科学のひろば』

第6回 サイエンスアゴラ2011 『新たな科学のタネをまこう-震災からの再生をめざして』

第5回と第6回のあいだに3.11があった。第5回までの「歴史」の地続きとして第6回があるのだろうか。
それとも…、自分の目と耳でたしかめてみよう。
ますます楽しみになってきた。

<つづく>


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サイエンスコミュニケーター宣言(67)

Dscn6930▼「一点こだわり方式」「イモズル方式」それが流儀だ。昨日の朝、まだ薄明かりのなか私は道ばたにしゃがみ込み例の「ヒガンバナの実もどき」にデジカメを向けて、シャッターを切りまくっていた。やっと接写のツボがわかりかけたかと思ったが、この明るさではむつかしいか言い訳しつつもこだわり続けていた。「ヒガンバナの種子!!」この一点にこだわって植物のさらには生命の「ふしぎ!?」を追い続けたかった。接写にこだわって自然の「記録」の仕方まで発展させたかった。それが今の私にできる唯一の方法だと思っているから。
▼サイエンスアゴラ2011についても同様だ。
サイエンスアゴラ2011のプロクラム(PDF)が公開になった。さっそくプリントアウトしてみた。
あらためて驚いてしまう、その豊富な内容に。
こんなものしらみつぶしに回っていたら、いくら時間があっても回りきれるものではない。そこで「一点こだわり方式」「イモズル方式」だ!!
 プログラムに面白いマークがついている。そのブースが主に誰を対象者にしているかと内容が一目でわかるようにしてあるのだ。まずは「科学コミュニケーター」「教育関係者向け」をチェックしてみた。
少しは絞り込みができたように思った。でも、それだけでもたくさんノミネートされてきた。
▼まずは、ここへの参加の動機を与えてもらった理科ハウスに行こうと思う。
■理科ハウスが選ぶ全国科学館オリジナル商品の展示(理科ハウス)
 理科ハウスが選んだ30点とはどんなものだろう。面白そうではないか。
きっと理科ハウスの「科学館」にかける思いとセンスで選ばれたものだろう。それを見せてもらえるだけでもうれしいが、手に入れることもできるようだありがたい!。これはぜったいにお薦めだ!!
 どこか「教材」にかける思いと似ているように思うのは、我田引水がすぎるだろうか。
ここから出発点(起点)にして、「イモズル方式」で回ってみよう。
▼昨日、どうしても参加してみたいところが出てきた。
■検証・原発震災報道 メディアはリスクをどう捉え伝えたか
私はTwitter的にこだわっている。
私がTwitterをはじめたころ、「tsudaる」というコトバが流行っていた。
その元祖・津田大介さんが登壇するというのである。USTではさんざん津田さんを見たが、生では見たことがない。これは絶好のチャンスだ。これをのがすわけにはいかない。
 ひところTwitter本というもがいっぱい出てきたが、そのなかで津田さんが書いた『Twitter社会論』は、Twitterを語るときの原典となると思った。その津田さんが、「今」をどう語るか。ぜひとも聞いてみたいのだ。

<つづく>

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サイエンスコミュニケーター宣言(66)

Dscn6838▼昨日の朝は、一本の飛行機雲の「雲見」からはじまった。寒い朝だった、しかしその地上より飛行機の飛んだあそこはもっともっと温度が低いのだろう。-30℃より低くなければ飛行機雲はできないというから-40、-50℃だろうか恐ろしいほど寒いんだ。あそこの空気は水を腹一杯含んでいるだろう。あそこは、目には見えるんだけど、どんな世界かわからない。それを一本の飛行機雲が教えてくれていた。見えないものが見えてくるときというのは面白いものだ!!
▼サイエンスアゴラ2011の「予習」を続けよう。ゆっくり 急ごう!!
ところで今年度のテーマは『新たな科学のタネをまこう—震災からの再生をめざして』だ 。どんな経緯でこのテーマになったかくわしくは私は知らない。「新たな科学のタネ」で私は勝手に「あれ」だなあと勝手に思っている。
「あれ」とは、寺田寅彦の『柿の種』である。

棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし
(寺田寅彦『柿の種』巻頭より)

ここから来たのだろうとクライアントのひとりとして思っている。
▼ならば、やっぱり後の2つのシンポジウム・トークセッションに参加してみたい。
◆「危ないってどういうこと?―生活の中のリスクと科学リテラシー」
こちらの方は、事前の申し込みはいらないようなので時間を調整して言ってみよう。
「リスク」
「生活=暮らし」
「科学リテラシー」
ともかくここでは、「情報」をいっぱい吸収しよう。
▼最後に開催される
◆総括セッション「新たな科学のタネのまき方」
これにはぜひ参加したい。ここで自身の「これから」をみつけることができたら最大の収穫となるだろう。
それまでにできるだけ多くの「私の科学」と出会っておいて、ここに参加しようと思う。

次は、どんな「私の科学」が展開されているのだろう。見て回る順番を計画してみようと思う。

<つづく>

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サイエンスコミュニケーター宣言(65)

Dscn6775▼「成るように 成る!!」の法則なんてないんだろうか。いつもの「雲見」をしながらそんなばかなこと考えた。
「成るように 成る!!」は、物事を諦めるときに発するコトバのように聞こえる。しかし、それだけでもないような気がしてきた。雲は刻々と姿かたちを変えていく、未来は予測できないように思える。
 しかし、それは違う。自然界にはなにがしかの一定のルールがある。それを知ろうとするのが「科学」なのかも知れない。それを知って、使って未来を予測したいのだ。「成るように…」のなかに法則をみつけたいんだ。
サイエンスアゴラ2011の予習つづけよう。
少し迷っていたが、
■サイエンスアゴラ2011開幕シンポジウム
「私たちにとって科学技術とは何か—震災からの再生をめざして」には参加してみることにした。
今の私にとっては大きすぎるテーマであるが、聴くだけでも吸収できるものがあるかも知れない。
「私たち一人ひとりが、科学技術とこれからの付き合い方を改めて見直していく必要があるのではないでしょうか」の文言に惹かれたのである。
先ほど、事前申し込みをすませた。
▼いつものことながら、私の戦略は「無手勝流」だ!!
それでも、今回は一応持ち駒の確認だけはしておこう。
・「常民の科学」
・「ファラデーの科学」
・「熊楠の科学」
・「等身大の科学」
・「デクノボーの科学」
・「高いレベルの科学」
そして
・ 「私の科学」
 最近の私の科学遍歴だ。ひとつひとつがほんとうに理解できているわけではない。
使えるかも知れないという可能性を抱いたものの列挙である。
▼「情報は発信するところに集まる」はずっとずっと使い続けてきた鉄則だ。
今回もまずは「発信」してみよう。
そしたら、求める情報に出会えるかも知れないから…。

<つづく>

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サイエンスコミュニケーター宣言(64)

Dscn6727▼今日は「立冬」である。ほんとうに今朝は寒い、暦どおりだな。
まだまだヒガンバナを追いかける。まだ立ちつづける花茎の先のふくらみが気になっていた。昨日の朝もそれを見に行った。緑のふくらみは黒ずんできたように感じる。さて、いつまで…。
サイエンスアゴラ2011まで10日となってきた。準備(「予習」を含む)をゆっくり 急がねば…
第一のねらいを「人に会う」とした。
 なかでもあの人たちに出会いたいな。あの人たちとは「私の【100人リンク集】」の人たちだ。
この【100人リンク集】は、98.10.11からはじめて2000.12.03まで約2年2ヶ月かけてつくりあげたものである。
完了してからでも10年以上の年月がたってしまっている。
多くがリンク切れになっている。リンク切れがヒューマンネットワーク切れまで意味しない!!
▼そのことを、私は実際に100人の人にお会いして確かめたかった。証明したかったのだ。
お会いした人たちから、「これから」を学びたいと思ったのだ。
今年の4月から、「【100人リンク集】の旅」というのをはじめた、あらゆる機会を利用して100人にお会いしようというわけだ。現在8人の方々にお会いした。
 うれしかった!!予想通りであった。「これから」を大いに学ぶことができた。
今度のサイエンスアゴラ2011では、何人の方にお会いできるか楽しみである。
▼お会いしたら、「その後どうしておられます?」と尋ねたら、やっぱり私はこうしていますと言う必要がある。
名刺を作っていこう。
名刺にはやっぱり「サイエンスコミュニケーター」と書こう。
「サイエンスコミュニケーターって?」と訊かれたらなんと答えよう。
その「答え」を準備しておこう。それが最大の準備かもしれない。

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【Web更新11/06】11-45「サイエンスコミュニケーター宣言」等 更新!

Dscn6452

センダンの 棘知らぬまに 散歩みやげ
11/11/04 (金)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-45
週末定例更新
 “Festina Lente !”(ゆっくり 急げ)はローマ皇帝アウグストゥスの名句だと外山 滋比古氏が書いていた。
このごろ、とてもこの言葉が気に入ってよく使わせてもらっている。
もともとのろまな私は、すべてが「ゆっくり」なんである。喋っていてもいても、「もっとはやくしゃべれ!」と言われることが多い。私には、これが快適なスピードなんだけどと思ったりするのだが。
 だからと言って「急ぐ」気持ちがないわけではない。いろんな最近の状況を見ていると「今は 急げ!」と思う。
だからこそ「もっと ゆっくり!」ともう一人自分が言う。一見、相矛盾すること一緒にすると
「ゆっくり 急げ!」になるのである。やっぱり名句だ!
今週も、いっぱい使わせてもらおう。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ センダングサ
ほ場整備が進行していくなか、すっかりまわりの風景がかわっていく。散歩コースもかわり、田の畦の草花も少しの場所にだけ昔の姿を残すのみになっている。
 それでも朝の散歩から帰ると、ズボンにいっぱい「ひっつきむし」がついている。そんなところ歩いた記憶はないのだが。センダングサの棘だ。ひとつひとつズボンからとりながら、「くそー」と言いながら、なんとなくうれしくもなったりするのである。

◆新・私の教材試論 更新
 具体的な作業はかなり進んだ。やっぱりそうだ。「空間の整理」は「情報の整理」「思考の整理」を促進するものなんだ。今週もゆっくり 急ごう!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 サイエンスコミュニケーターとしての修行に行く「サイエンスアゴラ2011」まで、あと10日あまりとなった。今週も「予習」を続けたいと思う。人との出会いをより楽しむためにも、サイエンスコミュニケーターとしての「これから」をより豊かにまなぶためにも。

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新・私の教材試論(67)

Dscn6586▼昨日で大賀ハスは、蓮根の植え替えから29週目である。すべての葉が枯れ果て、朽ちていくだけである。一つ果托だけ池の外にたれさがっている。先週と大きな変化はない。でも私は画像に「記録」していく。
「記録」を続けることによって、「あこがれの4日間」の意味も見えてくると思うからである。
4日間だけが大賀ハスではない、365日大賀ハスは大賀ハスなんだ。
▼本格的に教材を「整理」しはじめた。と言っても同じ大きさのBOXを用意しておき、ごちゃごちゃに段ボール箱に詰め込まれたものを取り出しBOXに仕分けしていくだけの作業である。
その作業をしながら、あらためて確認するいくつかのこと。
・3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則
・3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則
 の妥当性。
「やっぱり、そうなんだ!!」と自分で納得してみる。
▼作業の手が止まることがあった。それを使った授業を思いだしてしまい、先に行けないんだ。
その授業の文脈を思いだしてしまうのである。
そこで気づくアタリマエすぎること。
・「教材」は授業の文脈のなかでこそ意味をもつのである。
・「教材」は「授業」とセットで語られなけばならない。
▼今となっては、単なるガラクタにすぎないものも多い。なんでこんなものを置いておいたのだろうと自分で不思議に思ってしまうものだ。
 逆にずっとずっと使ってきたけど、今も「これ、いいな!」と思うものもある。
・教材の不易と流行
・教材の進化
そんなこと考えなら作業すすめていると、これがけっこう楽しい作業になってきた。

ゆっくり 急ごう!!

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新・私の教材試論(66)

Dscn6408▼雲のない空の「雲見」もいいな!
そう強く感じた。昨日は「雲見」に費やした時間が長かった。一息入れる度に空を見上げていた。
ほんとうにきれいな青空であった。同じ青空でも時間帯、方向によって微妙にちがうのである。それは、大気と光が創り出すみごとな「作品」だった。午後から見られるようになった高い雲たちによって、その「作品」は輝きを増していった。
▼私は、このblogの中で三つの「試論」を展開している。
◆新・私の教材試論
◆新・「自由研究」のすすめ試論
◆新・クラウド「整理学」
アタリマエのことであるが、この三つの試論は関連し連動している。
ひとりの人間が展開していることなのだから。
どの試論に自分なりの思い入れがあるが、なかでも「新・私の教材試論」に強い思い入れをもっている。
 理科教師として、いちばん力点を置いてきたところでもある。
▼ここのところちょっと途切れていたところであるので、再び「新・私の教材試論」にもどり続けてみようと思う。
というのは、ここ数日いろいろのものの「整理」をしてきているのだが、他のものと、「教材」を分けるところまできた。今日から、いよいよ本格的に「教材」の整理をしてみようと思うのだ。
 36年間に出会ってきた「教材」は多い。それはほとんどは、そのときどきの現場に残してきた。
しかし、思い入れも強く「自分の持ちネタ」としてきたものについては、保存している。
未整理のままでは、まさにガラクタの山である。
整理をしながら、このなかからほんとうの「お宝」を発見しようというわけである。
あわせて、この自らの教材観を問い直してみる作業も。
▼「空間の整理」というとすぐ思い浮かべる写真がある。
『佐藤可士和の超整理術』の扉の写真である。何もない大きな机、棚に並ぶ無数のケース等など。
思考のステージとはこんなものかと感動した。
それは理想である。私の現実はそれからほど遠い。
現実を少しずつでも理想に近づける作業も、考え方によればけっこう楽しいものかもしれない。
少しずつ少しずつ「蟻がひくように」はじめよう。

疲れてきたらまた「雲見」を楽しみながら。


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サイエンスコミュニケーター宣言(63)

Dscn6311▼昨日もやっぱりあいかわらず、ヒガンバナの「種子」を追っていた。今なお立ち続ける花茎を探している。ほとんどは倒れてしまっているが、同じ株のなかにもまだ立っている花茎がある。その花茎の先には、ひとつだけ子房部が膨らんだものがある。これは毎年の観察から知っていた。今のところ二本みつけている。このまま熟すだろうか?まだ、それはわからない。ちょっと話がずれるが、今デジカメで悩んでいるこんなときの写真がピントが合わないのだ。どうも古いタイプの方デジカメの方がシロウトの私にはあっていたのかな。なんとも皮肉な話だ!
サイエンスアゴラ2011の「予習」を続ける。
まずは会場の「空気」いっぱい吸ってみよう。そして、人に会おう。
実施企画一覧を見る。なんと盛りだくさんである!!。
なんと言っても、最初に参加のきっかけを与えてくださった二つへ行こうと思う。
■化学の世界のケイサンあれこれ(日本コンピュータ化学会)
■理科ハウスが選ぶ全国科学館オリジナル商品の展示(理科ハウス)
 ここが、これまでに参加されて交流されいるのがとてもうらやましかった。ぜひ、「私も行ってみよう」というのがf始まりだったのだから。
 後もいっぱい面白そうなのがある。目移りしてしまいそうだ、時間枠の設定のある企画あるようだ。
これは、少し計画的に回らなければせっかくの機会を逃してしまいそうだ。
▼それからメインテーマに関連してのシンポジウムなども面白そうだ。
■サイエンスアゴラ2011開幕シンポジウム
「私たちにとって科学技術とは何か—震災からの再生をめざして」
■危ないってどういうこと?―生活の中のリスクと科学リテラシー
■サイエンスアゴラ2011総括セッション
新たな科学のタネのまき方
 どれも聴いてみたいものばかりだ。しかし、こんなたくさんのこといっぺんに頭に入るかな。
頭に入らなくても、「空気」を吸うことはできるだろう。
なんといってもめったにない機会である。すべてを聴けるように努力してみようと思う。
▼そもそも、東京に出て行く機会があまりないので、東京へ出て行くなら立ち寄りたいところがいくつもある。
しかし、サイエンスアゴラ2011に集中した方がよさそうだ。
もう少し、時間をかけて「予習」を続けてみよう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(62)

Dscn6263▼11月3日、「文化」の日だ。私は「文化」というコトバで若い頃、強く衝撃を受けた文章がある。

「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマにうかべる人が多い。農作物や農業などは“文化圏”の外の存在として認識される。しかし文化という外国語のもとは、英語では「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。
地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。
 これが日本語になると、もっぱら“心を耕す”方面ばかり考えられて、はじめの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の方が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけ見ている文化観は、根なし草にひとしい。(『栽培植物と農耕の起源』中尾 佐助著1966.1.25 より)
 
 中尾 佐助の名著『栽培植物と農耕の起源』のはじめの文章である。この文章からはじめて、農耕文化の起源を解き明かしていくのである。そして、私たちにとって「文化」とは?問いかけてくるのである。みごとな展開に衝撃を受けたのである。ひょっとしたら、この問いかけはきわめて今日的なものなのかも知れない。
▼さらに言うならば、これは「文化」のひとつ「科学」にも同様に突きつけられている問いかけなのかも知れない。
今月の18日(金)~20日(日)「新たな科学のタネをまこう~震災からの再生」をテーマにサイエンスアゴラ2011が東京で開催される。はじめて参加しようと思っている。以前から参加してみたいと思ってはいたが、なかなかこの時間がとれなかったのだ。
 別に発表するわけではないので、さして準備が必要なわけではないと言えばそれまでなのだが、内容が盛りだくさんのようなので少し「予習」をしていくと得るものが多いかと思いそれをはじめてみる。
▼まずはじめに、私の参加の目的をあげておこう。きっと途中で変わってくるだろが。
(1) 人に会いに行く。
  前からなじみのある方、前から会いたいと思っていた人、はじめて会う人 …
  ともかくいっぱい人に会おう。
(2) 会った人の「私の科学」から学ぼう。
(3) 「サイエンスコミュニケーター 5つの条件」の検証!!
  私は手前勝手な条件をつくっていた。その検証をしてみよう。
   ◆サイエンスコミュニケーター 5つの条件    
【条件1】「私の科学」をもつこと
【条件2】「私の科学」を楽しむこと
【条件3】Twitter的であること。(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」)
【条件4】 「科学魂」をもつこと
【条件5】「学び」続けること
(4) サイエンスコミュニケーターの「これから」を学ぶ。

<つづく>

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お薦め本『雲と暮らす。』(武田康男著 誠文堂新光社)

Dscn6169▼私の11月は「雲見」からはじまった。
日の出前の空が一日でいちばん美しいと教えてもらって以来、早朝の「雲見」は、もういつしか私の生活習慣となっDscn6192ていた。空の様子は、刻々と変わっていく、「雲見」は一日やっていてあきないぐらい楽しい。
11月はじめの「雲見」もそうだった。
Dscn6214 こんな「雲見」の楽しさを最初に私に教えてくれたのは武田康男さんだ。
今や南極の空の紹介等でテレビにもよく登場するようになった「雲見」の達人だ。
▼その武田さんの新刊が出た。最高の「雲見」ガイドブックだ!!

■『雲と暮らす。 ~雲と出会い、雲を愛でる~ 』(文・写真 武田康男 誠文堂新光社)

 ともかく徹底して、「雲見」の楽しさ、面白さを伝えてくれる本だ。
「雲見」を最初に言い出したのは、おそらく宮澤賢治だろう。その楽しさ、面白さを伝えてくれている第一人者は、私は武田康男さんだったと思っている。
 武田さんはずっと以前に『雲のかお』(武田康男著 小学館文庫 1998.10.1)を出されている。手にしたときから、私はこの本を「雲見」の友としてきた。月ごとの「雲のかお」を武田さんのみごとな写真が紹介してある、最後には定点観測地から撮った365日の「雲のかお」写真があげてある。名著中の名著だ!!
 その名著のバージョンアップしたのが、この本であると思った。
▼バージョンアップされたところはどこか。いっぱいあるが少しだけ私流にふれてみる。
まずは、タイトルだ。
『雲と暮らす。』はとてもいい。武田さんのいちばん言いたいことを「一文」にしている。
「雲見」の世界は、「どこにいても、誰にでも、道具も要らずに楽しめる世界」なんだ。
私たち365日毎日、地球上に雲と一緒に暮らしているんだ。
どんなときも、空を見上げれば一緒に暮らす友の雲がいるんだ。雲は刻々と変化する、今見ている雲は、世界でたったひとつだ!!似たような雲に出会うことがあるかも知れない、しかしそれは同じでない。
雲との出会いも一期一会なんだ。せっかく一緒に暮らしているのだから、「雲見」を楽しまなければ、「もったいない」よ。そんなメッセージが込められたタイトルだ。
▼「等身大の科学」のはじめに「雲見」がある。
「雲見」は、楽しいだけでなくいっぱいいろなことを教えてくれる。
雲の名前も大切。名前知って見れば、その出会いの楽しさを増してくれるかも知れない。しかし、それは絶体ではない名前なんてわからなくたって、「雲見」は楽しめる!!
ここでひとつ武田さんが提案していることがある。
「雲の高さ」を気にしよう。そんな厳密な話でなくてザックリとである。
「低い空の雲」(2000mル以下)
「中くらいの空の雲」(2000m~7000m)
「高い空の雲」(5000~)
という具合に。それを気にすることで大気の動きが見えてくる。「科学」が見えてくる。
「観天望気」につながっていくというのだ。「雲見」はますます楽しくなるというものだ。
▼まだまだバージョンアップ点はある。
「季節」「時間」「場所」「雲追っての旅」等など、よりアクティブに、よりグローバルに展開された「雲見」の世界が
とっびきりきれいな写真とともに紹介されている。
「写真撮影のこと」「秘密基地(定点観測)」等など興味深い話題も満載だ。
面白い工夫もある。写真ごとに「出会いレベル」の雲マークあるのだ!星印と同じ発想だ。
雲マーク5つまである。一生に一度出会うか出会わないかのレベルである。それならぜひ出会ってみたいと思うのが人情だ。
 しかし、考えてみると、どの雲だって一期一会!!
世界でたったひとつの雲だ。さあ、今日も「雲見」も楽しんでみよう!!

武田康男さんの本は、どの本もお薦めだが、この本はとびっきりのお薦めだ!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(61)

Dscn6149▼11月だ!!月日が経つのはなんとはやいものだ。10月最後に見たヒガンバナはもうすっかり「葉の季節」に入っていた。定点観測地Aから引っ越しをしてきたヒガンバナも8本の花茎をたて「花の季節」をむかえた。その花茎も倒れ、花茎が立った以外のところも地面を割りたくましく伸びてくる葉。たくましくいのちの営みを持続するヒガンバナが「おっ、おまえはどうしてる?」と訊いてきた気がした。
▼「サイエンスコミュニケーター宣言」から7ヶ月過ぎた。
何をしているんだろう?どこまできたんだろう?
最初の課題は
●1912年ウェゲナーの「大陸移動説」
それから100年!!
●1831年 ファラデーの「電磁誘導」発見
それから180年!!
この「100年」「180年」の歴史をくらしの「科学」、未来の「科学」につなげていくことだった。
▼その最初の作業は、これまでの私の授業と日本の理科教育史を重ね合わせてみることだった。
それはどこまですすんだのだろう。状況は緊急性を増してきたかに見える。
 しかし、私にはこの方法しかないのである。
ひとつだけ見えてきたものがある。
それは、「原子論的物質観の延長線上にこれからの「科学」をつなげること」の重要性だ。
▼11月に楽しみしていることがある。
サイエンスアゴラ2011への参加だ。ずっと一度行ってみたいと思いつづけてきたが、やっと参加できる。多くの人の「私の科学」と出会い学んでこようと思う。
そこで、サイエンスコミュニケーターとしてのあらたな方向性を発見できるかも知れない。
発表する側での参加ではないが、できるだけたくさんのことを学ぶために準備にかかろうと思う。

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