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新・私の教材試論(66)

Dscn6408▼雲のない空の「雲見」もいいな!
そう強く感じた。昨日は「雲見」に費やした時間が長かった。一息入れる度に空を見上げていた。
ほんとうにきれいな青空であった。同じ青空でも時間帯、方向によって微妙にちがうのである。それは、大気と光が創り出すみごとな「作品」だった。午後から見られるようになった高い雲たちによって、その「作品」は輝きを増していった。
▼私は、このblogの中で三つの「試論」を展開している。
◆新・私の教材試論
◆新・「自由研究」のすすめ試論
◆新・クラウド「整理学」
アタリマエのことであるが、この三つの試論は関連し連動している。
ひとりの人間が展開していることなのだから。
どの試論に自分なりの思い入れがあるが、なかでも「新・私の教材試論」に強い思い入れをもっている。
 理科教師として、いちばん力点を置いてきたところでもある。
▼ここのところちょっと途切れていたところであるので、再び「新・私の教材試論」にもどり続けてみようと思う。
というのは、ここ数日いろいろのものの「整理」をしてきているのだが、他のものと、「教材」を分けるところまできた。今日から、いよいよ本格的に「教材」の整理をしてみようと思うのだ。
 36年間に出会ってきた「教材」は多い。それはほとんどは、そのときどきの現場に残してきた。
しかし、思い入れも強く「自分の持ちネタ」としてきたものについては、保存している。
未整理のままでは、まさにガラクタの山である。
整理をしながら、このなかからほんとうの「お宝」を発見しようというわけである。
あわせて、この自らの教材観を問い直してみる作業も。
▼「空間の整理」というとすぐ思い浮かべる写真がある。
『佐藤可士和の超整理術』の扉の写真である。何もない大きな机、棚に並ぶ無数のケース等など。
思考のステージとはこんなものかと感動した。
それは理想である。私の現実はそれからほど遠い。
現実を少しずつでも理想に近づける作業も、考え方によればけっこう楽しいものかもしれない。
少しずつ少しずつ「蟻がひくように」はじめよう。

疲れてきたらまた「雲見」を楽しみながら。


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