ヒガンバナ「種子」を追った人たち #higanbana
▼昨日、朝方は曇りでやがて晴れてくるのかと思いきや夕方には雨がふってきた。曇っているあいだに、ヒガンバナ観察の散歩と大賀ハスの観察を済ませた。大賀ハスは蓮根の植え替えから25週目だ、もう水面上の葉は枯れいる水に浸かったものは腐り始めている。池からはみ出した葉は辛うじてみどりを保っている。そのなか、遅れんの坊の小さな葉が水滴のせてけなげにたっていた。
▼この大賀ハスの直系の先祖である大賀ハスの「種子」を、大賀一郎先生が検見川でみつけてから、今年でちょうど60年になる。今年は、私も4つの花を咲かせ23粒の「種子」を手に入れた。
その大賀ハスの「種子」よりもっと古くから追い求められていた「種子」がある、それがヒガンバナの「種子」だ。
あんなみごとな花を咲かせるのに「種子」ができない不思議をはじめて指摘したのは、いつもの『ヒガンバナの博物誌』(栗田子郎著 研成社)によれば、あの牧野富太郎であるそうだ。
「種子」ができない不思議は、ずっと以前に気づかれていたかも知れない、だからこそ「種子」をみつけようとした人たちがいろんなことを試みてきたようだ。
▼同書によれば、実に多くの人々がこの「種子」を求めてきたことがわかる。
なかには、徳川義親という将軍の名前まで出てきている。
どんなことが試みられたのだろう。ただ多くのヒガンバナを観察しただけだろうか、それともなにか特別の方法を試みたのだろうか。
自然結実を待つだけでなく、水栽培法が有効なようだ。結実しそうな花茎を持ち帰り、瓶につけておき水をよくかえてやるのである。私もそれで「種子もどき」を大きくした経験がある。
▼文献上に出てくる人たちだけでなく、ネット上で知った人のなかにも、この「種子」を追い求める人たちがいた。
特に印象深く憶えているのは、
◆小橋家の自然観察的道楽の「ヒガンバナ・ラプソディ」だ。
実に面白いのだ。「種子」を追っての顛末記だ、それもすごくユーモアたっぷりに、とことんこだわりをもってだ。
これを読めばつい、「では私も…」と思ってしまうのである。
ついでに他のページにも目を通したくなってくる。
さあ、今日、今から「では私も…」の、「種子」探しの作戦会議にでかける。
とんな「発見」があるかな。
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