サイエンスコミュニケーター宣言(60)
▼「科学とはなんだろう?」いやより正確には「私にとって科学とはなんだろう?」そんな問いが、あたまをよぎることがある。これまで以上にこのごろその頻度が高まってきた。「こんな忙しいときに…それよりもまずは目の前のこれを…」とやり過ぎることがこれまでは多かった。表面的には少し時間的な余裕が出てきたこともあるのだろうか、この問いがどこかにこびりついたような感覚になることがある。
「今は、まずはヒガンバナだ」と言っては聞かせるのだが…。
▼ポンコツの繰り言のようなこの「サイエンスコミュニケーター宣言」も60回目になる。4月からはじめたから、半年以上続けていることになる。そのうち60回ということは一日に一回しか書かないから、2ヶ月分に相当する。
けっこうなウエイト占めて、これを書いていることになる。
ここに書き綴っていることこそ、「こびりつく問い」に答えを出そうする試みそのものような気がしてきた。
▼さて、その試行はどこまで行っていたのだろう。
プライオリティいちばん高いのは
「●原子論的物質観と原子力(放射能)をどうつなぐのか。」
すごい課題だ。そうそう簡単なものではない。
でも、今どうしてもやらなければならない課題だ。
文科省も副読本を発表した。まだ、充分に目はとおしていない。 ゆっくり 急ごう!!
◆『放射線等に関する副読本』(文科省)
▼「こびりついた問い」に、いくつかの「○○の科学」で答えてきた。
それも続けよう。
使える「科学」というのも有力候補だ。
かつて若きウメサオタダオは『アマチュア思想家宣言』で、使える思想・哲学を主張した。
私は、「科学」についても同様のことが言えると思う。
「科学」は科学者だけのものではない。誰もが使えるものであってこそ「科学」になるのだ。
学びに価する「科学」になるのだと思う。
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