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サイエンスコミュニケーター宣言(59)

Dscn3625▼あれから7ヶ月目の朝も、ヒガンバナの葉はぐんぐんと伸びていた。ふり返れば3月11日の朝も、「葉の季節」だったんだ、その後いったん地上から姿を消して、秋のお彼岸に「花の季節」に入り、そして今また「葉の季節」に入ろうとしている。これを何度も何度も繰り返しているのだ。
▼7ヶ月目の日、NHKクローズアップ現代で、「どう教える”放射線”」をやっていた。
中学校理科に「放射線」がも31年ぶりにもどってくることにふれていた。教科書が大幅に変わることも。
テレビをみながら、私は再び田中実先生の最晩年の言葉を思いだしていた。

 第二次世界大戦という人類の歴史上、最大の戦争のなかで、ウラン二三五の核分裂の研究結果は、原子爆弾の発明、製造という形で実を結んでしまった。ナチス・ドイツという敵にむけるつもりで科学者と技術者が考え出した原子爆弾は、広島、長崎に住む数十万人の市民を殺すことになった。そして、放射能症という病気で、三〇年以上たった現在でも、原爆の悲劇は続いている。 二〇〇〇年以上ものながい間、科学者たちが探求をつづけた原子が、ついに仮説ではなくなって、原子の秘密がつぎつぎにわかってきた話を、わたしは原爆の悲劇でおしまいにしたくない。なぜなら二〇世紀がはじまって約八〇年のあいだに、科学者は原子についてたくさんのこと発見し、太陽や地球から銀河系までの宇宙、その宇宙のなかに生まれた生命、つまりは自然の全体の姿を科学の目によってとらえることに成功しつつあるからだ。 また原子について発見した知識は、工業、農業、医学など、すべての技術に応用されて、人間の生活を根本から変えて、一九世紀の人びとには予想もつかなかったあたらしい文明がひらかれようとしているからだ。 しかしこれらの科学や技術のあたらしい進歩については、読者のみなさんが学校で学んだり、本でしらべたりできるので、『原子の発見』の物語は、このへんでおしまいにすることにしよう。(『原子の発見』(田中実著 ちくま少年図書館43 科学の本 1979.8.25)P214より

田中実氏は、この本が出版される前年に亡くなっている。従ってこの言葉は33年前に書かれたことになる。
残念ながら氏の期待した「学校で学んだり」は実現しなかったことになる。
▼人ごとのように語るのはやめよう。私の理科教師としての36年間もこれに重なるのである。
今、さしせまった課題として
原子論的物質観と「原子力」「放射線」とはどうつながるのか。
どうつなげる必要があるのか。
どんな授業が構想できるのか。「教材」として何が考えられるのか。

ゆっくり 急ごう!!

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