« イーハトープの世界から「遠野物語」の世界へ | トップページ | 再び「デクノボーの科学」とは!? »

「遠野物語」、そして「3.11」へ

Dscn9775▼昨日は、朝から少し忙しかった。
34年ぶりの「遠野」であった。「時間」に追われるのでなく、「時間」を超える旅がしたかった。
Dscn9920 宿を出て最初にに向かったのは「曲り家」だった。続けて「続石」、「遠野市立博物館」「カッパ淵」と足ばDscn9981やに回った。少し断片的に「記憶」が、蘇ってくる。
それにしてもなぜ私は「遠野物語」にこだわるのだろう。
▼柳田國男がこの物語を書いて、ちょうど昨年で100年であった。
なぜ柳田は「遠野物語」を書いたのだろう。
書かずにおれなかったのはなぜだろう。これは、賢治のように創作ではない。
國男自身の言うように「要するにこの書は現在の事実なり」である。
 ここには、自然とゆたかにつきあいながら生きていく知恵があった。
くらしがあった。
これを見聞したとき、どうしてもこの「事実」を書き留めて起きたかったのだろう。
▼もう少し、自分の文脈で考えよう。
自然との豊かなつきあい方、それをすぐれた「科学の方法」とするなら、そこに「常民の科学」が生まれる。
 100年の時空を超えて、今なお「遠野物語」健在であった。
それどころか、今こそすくい取り学ぶべきものの多い世界であった。
▼カッパ淵を出て、いよいよ「3.11」へ向かったのは14時を過ぎる頃だった。
ずいぶんの遠回りだったのかも知れない。
しかし、このルートをたどって「3.11」に向かうのが私にはいちばん自然な道だったのだ。等身大なのである。
 釜石、大船渡、陸前高田と回った。この「風景」「事実」を目に焼き付けておきたかった。
 それを、これからの「科学」を考えるときの原点としたかったのだ。

|

« イーハトープの世界から「遠野物語」の世界へ | トップページ | 再び「デクノボーの科学」とは!? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「遠野物語」、そして「3.11」へ:

« イーハトープの世界から「遠野物語」の世界へ | トップページ | 再び「デクノボーの科学」とは!? »