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新・私の教材試論(65)

Dscn8328▼お盆の第一日目がすぎた。
母の初盆である、親戚の人たちがお参りくださった。「はや、あれから一年か」と感慨深いものがある。
Dscn8345一年のあいだに何が変わったのか、変わりつつあるのか。
そんなこと考えながら墓参りをした。
Dscn8341▼そして、蓮根の植え替えから17週目の大賀ハス観察池の定例観察をした。家にいたから何度も観察した。
朝方には、どんどん成長する果托に感動した。第二、第三の果托もキズのように少し黒ずんだところもみられるようになっていた。15:30ごろの観察で驚くべき事実に気づいた。
第一の果托から、2個の種子がこぼれ落ちていたのだ。17週目にして、2個の種子になったのである。
▼すき間時間を利用して、志賀高原での4日間で学んだことの反芻作業をしていた。
自分が報告時間ももらっていた。ありがたいことだ。
 授業実践記録でないことが少し気になるが「『新・私の教材試論』は今」というタイトルで報告した。
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     『新・私の教材試論』は今                      
       
(1) 私にとって「教材」とは

・私と教材(36年間の中学校理科教師をふりかえって)
・サイエンスコミュニケーターと「教材」
・すぐれた教材は、すぐれた文脈(授業)なかから生まれ、あらたな文脈(授業)を創り 出すのである。(「コンテンツはコンテクストから生まれる」)

(2) 「3K1Aの法則」「3Hの法則」とは
『3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則』
『3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則』

◆『教室全体のピンホールカメラ』
「はじめての実践記録」より
http://homepage3.nifty.com/KUSUDA/KENKYU/hajimete/hajimete.htm
◆『究極のクリップモーター』
◆「非接触温度計」
◆究極のマグデブルク半球
◆「頭骨コレクション」

(3) 教材史と科学史
 定番実験には必ず「歴史」がある。
 それぞれの教材開発物語がある。
 教材の不易と流行

●現代理科教材発展史(教材を追うシリーズ)
◆現代理科教材発展史「スライム」
http://homepage3.nifty.com/kusudadb/kyozai/slime/slime-historey.htm
◆現代理科教材発展史「ピンホール・カメラ」
◆現代理科教材発展史「究極のクリップモーター」
「マッチ一本化学の元!!」
等など

◎ 「原子論的物質観」と「原子力」教材

(4) これからの「教材開発」は
これからの教材研究はTwitter的だ!!
Twitter的教材開発にこそ可能性がある!!
◇Twitter的とは…
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」

(5) 教材の”テキスタイル”化
◇ 科学者・研究者との共同研究
◇ ”テキスタイル化”によって見えてくること
◇ Webテキストの可能性(電子教科書時代、共同実践、クラウド)
たとえば
【ヒガンバナ】
・別紙資料参照

【クマムシ】
・なぜいま「クマムシ」なのか。
  一粒の砂に世界を
  一輪の野の花に天界を見る
  あなたの手のひらに無限を
  ひとときに久遠をとらえる  
         ウイリアム・ブレイク(イギリス)
・どんな可能性が

【大賀ハス】
・「花と実」
※ http://homepage3.nifty.com/KUSUDA/KENKYU/hasu/hasu-index.htm
【コウガイビル】
・261日 飼育(!?)して
※ http://homepage3.nifty.com/KUSUDA/KENKYU/kgb/kogaibil.htm

【参照】http://homepage3.nifty.com/KUSUDA/KENKYU/RON/newkyouzaishiron-index.htm
http://rikadiary.cocolog-nifty.com/kusuda/  
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▼具体的な授業実践記録でないから、一方的に自分の「思い入れ」を語るだけになってしまった部分があるが、それでもいくつかの意見をもらった、ありがたかった。
自分の思いを語り意見・批判をもらう。
こういうのから少し遠ざかっているから、私には新鮮な体験であった。
あらためて「実践記録」とはなにかを考える機会となった。
▼そしたら、中村敏弘先生のあのコトバを思いだした。

 もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。  実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。 ( 『教育実践検討サークル 創造する東北の教師たち』(中村 敏弘著 国土社 1975.11.5) P423より)

なんと的を射たコトバだ。
実践記録とは、結果ではない。
実践記録とは思考のプロセスである。「事実」の記録である。
「事実」を共有するためのひとつの方法である。
自らの現在地を確認するための作業なのである。
そう考えていると
次なる「実践記録」に向けて、少しずつ意欲が高まっていく自分を感じていた。

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