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新・私の教材試論(64)

Dscn7600▼私はとんでもない思い違いをするところだった。大賀ハスの連続した「あこがれの4日間」が終わって、なにか一区切りがついて、正直ほっとしたような気分でいた。観察のメインイベントが終わったように思っていた。
それはちがう!!これは、なんと人間中心のご都合主義的な観察であることか。これでは、ほんとうの大賀ハスを観察したことにならない。花はあくまでプロセスであり、種族維持の戦略であり方法である。
 実は、花の後にできてくる種子こそが問題なんだ。佇立した4本の花茎のてっぺんについた花托は、果托へと変わっていく。胚珠は種子へと変化していくのである。「ふしぎ!?」は連続する。
Dscf9324▼いっぽうのクマムシの「ふしぎ!?」は連続の危機だ!!
「オニクマ1号」がまったく動かなくなってしまったのだ。
これがうわさの「クリプトビオシス!?」か。それにしてはおかしい。
そんな樽状なんかにはなっていない。おなかをぼてっとみせて仰向けに水に浮かんだままだ。
昨日の朝までは、わずかながらも動く姿があった。動きが緩慢になってきているので、お腹がすいているのだろうとエサをやらなければと思っていた。『クマムシ?!』によればワムシを食するようだ。
 それをどうして準備してやればいいのやら、米粒をシャーレの水中にしずめたがいつになるかわからない。
ワムシの発生など…。ともかくはじめてやることばかりであるから。
SOSだ!!だれか教えて!!どうすれば…。
▼「大賀ハス」「クマムシ」も極地方式研究会の「テキスタイル化」にヒントを得て、テキスト化を考えていた。
それもペーパーでのテキスト化だけでなく。
Webテキストである。
Webテキストは、できあがって完成ではない。Webテキストは使われて変わっていく、進化し続けるのである。
「作品」でなく方法である。
 科学の方法としてのWebテキスト!!
 これが、当面の教材試論のめざすところ。
試論は論のためにあるのでない。実践のためにあるのだから。
▼Webテキストの第一候補は、ずっとずっとその「ふしぎ!?」を追っている「ヒガンバナ」で試みてみようと思う。
克服していくべき課題はなにか。
Webテキストの対象は誰なのか。
とりあえずははじめてみれば、わかってくるだろう。
ここでも「情報は発信するところに集まる」だろう。
別の方法の方が面白ければ、その方をとればいい。
 

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