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新・私の教材試論(63)

Dscn7374▼「大賀ハス」「クマムシ」に夢中になっているあいだにも、それとは関係なく空は変化していっていた。朝散歩しながら見上げた空に雲があった。「雲見」だ!!
 こんなに安易にできて、すぐれた教材があるだろうか。見る眼さえ変えれば
自然は最高の教科書!!
はずっとずっと続いているのである。
Dscn7538▼7月のメインだった大賀ハスの花の観察にひとくぎりつけた。
第四の大賀ハスの花も、これまで同じようにまとめてみた。
・いちばん最高に開いたときの直径21㎝
・雄しべの数 211本(4つの中では最高)
・雌しべ(柱頭) 11
・花びら14枚   花びらの最大長12㎝横幅6㎝
 花びら縦平均 10.6㎝ 横平均5.05㎝ 横/縦の平均値 0.47
してみると、花茎こそ62㎝と高くはならなかったが第四が最大の花だったかも知れない。
四つの花の雄しべをすべてならべてみた。少し圧巻であった。
「花」というものが少しみえてきた。後は「種子」ができていく過程を観察もしていたい。
▼「オニクマ1号」の動きが気になる。あの最初に「狩り」と見た動きも、どうもそれではなさそうだ。
もうエサ不足でお腹がすいて元気がないのだろうか。
 お腹がすいたからといって「乾眠」に入ったりするだろうか。
教材化をめざしたいと思っているのに、ここで消えてもらってはこまる。
エサのワムシをどのように手に入れるか。次なる課題だ。そして第二号、第三号…の発見も。
▼「雲見」「大賀ハス」「クマムシ」それだけではない。
ずっとずっと「教材」として仕上げたいと思ってきたものがいくつかある。
・ヒガンバナ
・磁石石
・ピンホールカメラ
・コウガイビル
・山崎断層
等など

 いつか、いつかと思っている間にも時が過ぎていく。幼稚なものでもいいいちど、「テキスト」のようなものをつくってみることも面白いかも知れない。
 そこで思い出すのが、極地方式研究会の”テキスタイル化”だ。

 ”テキスタイル”ということばは、いつとはなしに造り出され、使用されるようになった。”わたしたち”の造語である(textile=織物ではなくて、text+style=textyleである。)”わたしたち”が教えたい、わかってほしいと願う事柄がきまったからといって、それはまだテキストではない。テキストは、発問と、資料と、実験と、読み物などで構成されるが、とりわけ、どんな発問を、どんな順序で用意するかが重要である。いや、内容がきまってから「さて発問は?」というのでなくて、事例に関する発問、事例を法則の支配下に位置づけさせる発問、等を考える過程の中で、”わたしたち”の中に次なる内容が求められ、獲得されていくのである。(『極地方式入門』(高橋金三郎・細谷純編、国土社1974.3.20) p174より)

▼これまで寝かせてきたネタをテキスタイル化をするという試みは、電子教科書時代の流れも射程にいれて考えるとき、きわめて今日的課題に通ずる取り組みとなるだろう。
 教材試論はより実践的教材論にちかづくであろう。
拙い試作であってもいい。
 はじめてみようと思う。
はじめることで次なる展開があるのだから。

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