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新・私の教材試論(61)

Dscn6838▼7月が今日で終わる!!
今年の7月は大賀ハスではじまり、大賀ハスに終わる。大賀ハス三昧の7月だった。
昨日は、大賀ハスの蓮根を植え替えてから15週目であった。そして、第四の大賀ハスの開花二日目であった。ちょっと早すぎる開花と思われたが、最大開花時にはきっちりと直径21㎝となっていた。
「ふしぎ!?」なもんである。
大賀ハス発見60周年記念の今年。私はついに「あこがれの4日間」を4回も経験することになった。
ありがたい限りである。
▼大賀ハス三昧の7月で、忘れてはならないのが、我が家の「クマムシ」と出会いである。
こちらも三年越しの念願かなってのご対面である。
大賀ハス、クマムシが「私の教材試論」をつないでくれる。
「教材」を語ることの意味を再びあの人が教えてくれている。

すべての国民に役立つ教育をするにはどうしたらよいか。それはこれまで書いてきたように、専門性の獲得に努力する以外に方法があろうとは思われない。弱い教師が、それではどうして専門家になりうるであろうか。それは授業を通じて科学や芸術を教える以外にありえないとわたしは考える。(中略)
 教えられる事実・法則は証拠に基づいているかどうか実験でたしかめる。実験で得られた事実も教則で律することは不可能である。教則で左右されない事実、科学者によって認められた中心概念で教育内容を構成していくならば、それは科学者と共同研究の場を作りうるだろうし、狭い制限を突破できるはずである。
わたしたちの「すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教える」という目標の陰には、各人で全体としては違うが、部分的には共通した世界観がある。「すべての子ども」「高いレベルの科学」「やさしく教える」のどれだけが欠けても、それはすぐれた授業にはならないし専門性を通じて教師を解放することはできないだろう。
 教師は一人で活動するよりは集団で運動した方がずっとよいことはたしかである。それならば集団に最低必要な共通理解をどこに置いたらよいだろう。これまでに書いたように、子どもの実体に即したできるだけ下部の自然観を共通のものにするよりしようがないのでなかろうか。 
 (『教師の世界観・教材観』(高橋金三郎著 明治図書 1979.9初版)P37より) 
 
この人の言葉には、いつも時空を超えて伝わってくるものがある。
本来なら、私のような人間は「世界観」や「自然観」などと大上段に言われると、ちょっとひいてしまうものだがそうはならない。それだけでない、いつ読んでも今日的である。
 「これは」という言葉に出会うたびに、書かれた日付を確認するのである。
▼今回特に引用させてもらったのは、「科学者によって認められた中心概念で教育内容を構成していくならば、それは科学者と共同研究の場を作りうるだろうし、狭い制限を突破できるはずである。」があったからである。
 教師は、「教材化」という営みを通してほんとうの専門家となるのである。
そして、科学者たちとの共同研究として「教材化」を考えるとき、すぐれた教材が生まれるのである。
これは、ずっと以前から多くの人が指摘してきたことでもある。
 しかし、実際はなかなか進まなかったのが現実である。(これはあくまで私の知る範囲のこと)
ただでさえ多忙なる現場の教師が、科学者との共同研究なんてきわめて非現実的なこととも思えた。
ところが今はちがう。
 ネットの時代、クラウドの時代である。それを考えると「科学者との共同研究」も少し現実味を帯びてきているのではないかと思う。
▼大賀ハスの「あこがれの四日間」を連続観察をし、昨日も活発に動くまわる、我が家のクマムシを見ながら
・「大賀ハス」の教材化
・「クマムシ」の教材化
を志向したくなってきた。専門家たちとの共同研究として
ポンコツの我が身を省みない夢物語かもしれないが。
2011年の7月が終わろうとしている。

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