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新・私の教材試論(58)

Dscn5826▼昨日は朝から少し興奮していた。それは、あの大賀ハスの連続開花の観察があったからである。こんな奇遇の観察はもう2度とないだろうと思うと自然と興奮してしまうのである。次々と開花していくのもめずらしいが、一日ずれただけで連続して、なおかつ至近距離でである。同じ開花でも、二日目と三日目がどのようにちがうのか。見較べながら観察できるなんて、なんとありがたいことだ。
▼やっぱり主役は二日目の方だ!!第二の華と第三の華は前日と立場が逆転していた。あでやかなのはやっぱり第三の方だ。華の直径は21㎝にもなった。
 顕著なちがいが花托に見られた。第二の方の花托はすでに緑を濃いくしていた。
きっとあのハチたちが仕事をしてくれたのだろう。この後が楽しみである。ひたすら観察をつづけシャッターをきりまくった。奇遇の観察は、たくさんの「発見」をもたらしてくれた。
「記録」だけはとっておき、あとでツナイデみよう!!
▼「記録」しておくべきことが、昨日はもうひとつある。
それは、クマムシの発見だ。すでに何回か、あこがれの「クマムシ」に出会っていた。我が家の庭のコケからも見つけていたので、新しい「発見」というのではない。今度は、校庭のコケからの発見である。
ある程度、「ここにだったらいるのでは」と予測のもとに観察してみて、そこに発見できたのでとてもうれしかった。
実体顕微鏡だけでなく、ふつうの顕微鏡でも×150で見てみた。
なんともカワイイやつだ。ここにくるまでに2年間をようしてしまった。これも、まだまだ続ける。
こうしてみると
 「大賀ハス」も「クマムシ」も新教材になる可能性を持っているな。
▼その「教材試論」つづける。
ある友人が言ってくれた。『もうそろそろ、「新・私の教材試論」の「試」はとっていいのでは…』と。
少しうれしかった。昔からの私をよく知る友人からのことばなので、なにかを認められたようでうれしかったのである。しかし、私は「まだ、まだその段階では…」と照れながらかえした。
「試論」にこだわるのは、私の「ためらい」のあらわれでもある。同時に「教材が変わるものである」「変わらなければならない」という意思表示でもある。融通性の確保である。
▼「教材」とは何か。「教師の教材観」とは…
そんな最も根っこのところを問いかえす営みをしばらくつづけてみよう。
同じ「教材」に見えても、教師の「教材観」によって、それはまったくちがった「教材」になってしまうことをいっぱい見てきたのだから。
  

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コメント

お久しぶりです。

子どもとのお出かけ第1弾として、
京都御苑であった「夏の自然観察会」に行ってきました。
といっても子どもたちはほぼ毎月キノコ観察に行ってまして、彼らにとっては庭となっています。
私は御所を自然公園としてみたことがなかったので、
そういう目で見ること自体が新鮮な経験でした。
「教材観」と通じる所があるのかもしれませんね。

現在、家のベランダには、
キュウリとプチトマトとがあります。
子どもたちがそれぞれ(トマトが娘、キュウリが息子)世話をしてますが、
どうやら私が肥料過多にしてしまったようです…
難しいものですね。

投稿: いっちゃん | 2011/07/27 11:07

いっちゃん
おはようございます。
お出かけ第一弾の報告ありがとうございます。
へー御所がね。
おもしろいですね。
すごく新鮮な驚きです。キノコですか。
いろいろやりますね。私は、今は大賀ハスで、一段落したら「コケ」に向かおうと思っています。
最後は「粘菌」と思っていますが、生きているあいだにそこまで行けるやら。

私の家でも家庭菜園にこっています。
育てて食べると味がちがうような気がする。

次の報告も楽しみにしています。
子どもさんたちにもヨロシク!!

投稿: 楠田 純一 | 2011/07/28 07:19

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