新・「自由研究」のすすめ試論(35)
▼昨日は、前の庭の除草作業の続きを台風が来る前にやってしまおうと思っていた。しかし、雨がつづいた。諦めようと思ったが、これ逃したら当分は時間がない。
雨もシャワーを浴びながらと思えば、炎天下のもとよりいいかも知れないと思い直し、夕方まで作業を続けた。
▼そして、一段落して大賀ハス観察池の横に座った。なにげなく大きくなった立ち葉のジャングルを見ていた。
そしてそいつを発見した。今年第四番目の花芽である。朝の観察では気づかなかったのに、その花芽の花茎は12.5㎝まで成長しているのである。なんということだ!!一時は諦めかけていたのに、第四花芽まで観察できるとは。またしても立ち葉とセットである。ここまで繰り返されるとどこからかデタラメに花芽がたちあがるのでないことがわかってくる。ルールが見えてきた。見えない泥の中でおこっていることが少しずつ見えてきた。
ここにもやっぱり「科学」があった。
▼大人の「自由研究」のすすめの話を続ける。
ウメサオタダオの言葉を借りて、「アマチュア科学者宣言」を考えいた。
そうだ!!
大人の自由研究というのは、「アマチュア科学者宣言」なんだ!!
「科学」をもうプロだけにまかしておけない。
これからも「科学」を使うのは、「アマチュア」の私たちなんだから。
そんな文脈で考えてみるとすごく頭がすっきりとしてきた。
▼「アマチュア科学者」にこそ必要な「科学の方法」がある。それを考えてみよう。
第一はまず、また繰り返す
私の「ふしぎ!?」=等身大の「ふしぎ!?」こだわること。
ひとの「ふしぎ!?」につきあうのはプロたちに任せておけばいい。
プロたちは、それを生業としているのだから。アマチュアの研究でこだわりたいのは等身大の「ふしぎ!?」、等身大の科学だ。
方法の第二の要点は、人に聞く、人から学ぶということだ。
かならず自分の「ふしぎ!?」と同じ「ふしぎ!?」を追いかける人がいる。
その先達から学ぶことである。
ときに、それはその道のプロかもしれない。ときにはそれは子どもかも知れない。
いずれにして必ずそういう人がいる。
その人から真摯に学ぶことである。
<つづく>
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