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ついに大賀ハスの花芽が…!!

Dscn1716▼今日で2011年前半は終わりである。前半が終わる前日、つまり昨日、仕事から帰ってから家の周辺で、いまはまりつつあるコケの観察していた。まだ、まだ門前でうろつくレベルである。
「名前を知ろう」というレベルまで行っていない。「いろんなやつが、いろんなところどこにもいるな!!」というレベルである。もっとくわしく見たい!!その気持ちが高じてきた。チャンスだ!!あの「クマムシ」以来ずっと欲しいと思っていたマイ双眼実体顕微鏡を発注してしまった。
▼こちらの方は、少し時間をかけたぶんレベルがあがってきていた。大賀ハスである。
自分で発芽処理をして育てはじめて4年目である。
ここまでの私の大賀ハス物語は「大賀ハス観察日記」にまとめている。
今年に入ってからのぶんは、まだblogからひらっていない。前半が終わる今、そろそろその更新もしなければと思っていた矢先であった。
Dscn1735▼コケを見た後、観察池の方にいったら、なんと花芽がのびてきているのである。
朝には、気づかなかったのに。これまでもあった「花芽」だと思っていたら、単に巻葉の芽であったということが何回もあったので、またかと思って見逃していたのだろう。
「花芽」と「巻葉の芽」はけっこう似ているのである。自分で育ててみてわかったのだが、巻葉の芽も最初、先端はピンクがかっているのである。
 葉が進化して花になっていったと言われるのも、これかなと勝手に解釈していた。
花になるか、葉になるかの「分かれ道」はいつどこにあるのだろう。「ふしぎ!?」を勝手に膨らませていた。
Dscn1744▼それはさておき、花芽は感動である。自分で育て始めて2つ目の花芽である。
これで、「あこがれの4日間」を見る可能性が高まった。
今年は、ぜひとも見たいと思っていた。大賀先生が大賀ハスの種子を検見川で発見してからちょうど60周年だ
!!記念すべき年だからなおいっそう。
観察池から目が離せない。

昨日の夕方で10㎝のびていた。今朝はどうだろう?
ハスは朝に勝負をかけてくるからな。

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サイエンスコミュニケーター宣言(36)

Dscn1684▼見えていなかったものが見えてくるのが面白い。楽しい。
いつもその気になれば、すぐできる「雲見」で、これは人生の半分「もったいない」ことするところだったと気づき、今度は「コケ」だ!!
 まだまだ、レベル「1」にも達しない程度だ。
「へーどこにもでも、こいつはいるもんだ」「こいつらも仲間をふやして生きているな」
たったそれだけのこと見えてくるだけでも面白いもんだ。
▼ゲッチョ先生の文脈から、私なりの勝手な読み取りをヒントに
◆サイエンスコミュニケーターの条件
を手前勝手に考えてみた。
【条件1】「私の科学」をもつこと
 他人の科学なんか、いくらうまく伝えたって面白くない。
専門家のだれそれが言っているから、教科書にのっているからの「科学」ではない。
もちろんそれは、それで大事なことだ。けっしてそれら無視しようというのではない。それらがベースになければならいとは思う。しかし、やっぱり究極は「私の科学」を持っているかどうかだ。
「私の科学」をもたないところに、サイエンスコミュケーションなんかありえない。

【条件2】「私の科学」を楽しむこと
「ねばならない」からはじめるコミュニケーションなんかあり得ない。
「私の科学」を楽しむ姿こそが、最高のパフォーマンスだ。

【条件3】Twitter的であること。
 またして使う「Twitter的」
けっしてTwitterそのものを意味したり、ネットの世界のことを言っているのではない。
Twitter的の5つの要素=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
は方法であり、道具であり哲学でもある。
Twitter的こそがサイエンスコミュニケーターへの道を切り拓く。

【条件4】 「科学魂」をもつこと
 「科学魂」なんか誇りかぶった古めかしい精神主義をイメージしそうだが、そうではない。
あの寺田寅彦が提言したあれだ。いつもビィビィドな感性をもつことだ。

【条件5】「学び」続けること
 他の条件とも深く関係するが、最後にこれをあげておく。
サイエンスコミュニケーションがなにか「完成」したものの報告会、伝達会、発表会になるなら、これは既存の会でやればよい。それら目的に応じて特化した会をもてばいい。
 サイエンスコミュニケーションの場では、コミュ二ケーションのなかから「科学」が生まれる。それは、授業のなかかから、すぐれた「教材」が生まれるように。
 これからの「学び」は、「学び合い」としてしか成立しないこともわかってきた。
 サイエンスコミュニケーションに携わるものの大前提は、学び続ける意志をもつことだ。

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サイエンスコミュニケーター宣言(35)

Dscn1591▼「これは、やばいな!」とい感じがあった。
そこで、あの【お薦め本】『コケの謎』は面白すぎる!!を書いた。
 実は、その段階では全部読んでいなかった。読み進めると平行して、この病が深刻化し、発症していくのが自分によく自覚できた。
 朝の散歩からして、ちがってきた。地面ばっかりながめてカメラを向ける。
「ほんとだ!!」「ここにもいる」「こんなところにも…」の連発である。ぜんぜん前にすすめないんだ。
なんということだ。もともと持っている「ばっかり病」をまたしても…。
▼この読み進めるあいだに、「面白すぎる!!」と感じたわけがわかってきた。
分析しようとするところがあるだけ、まだ「軽症」かも知れない。と自分に言い訳しながら
これもたくさんあるが、自分にひきつけて考えると三つある。
(1) 授業のとらえ方に共感できる。
自分が「コケ」の「ふしぎ!?」を追いかけるだけでない。面白いと思ったことを授業にかけておられる。
その授業は、知ったことの伝達だけではない。「ふしぎ!?」への共感、あらたな「ふしぎ!?」の発見を授業でやっておられる。まさにサイエンスコミュニケーションとしての授業が成立しているのである。
「3Kの法則」をつくったりして、コミニケーションの相手のことをよく理解しておられる。
(2) 「等身大の科学」がここにある。 
 等身大の語り口調もそうだが、コケの名前を漢字で書き換えて、イメージふくらまそうとしたり、体感的理解をすすめるために「食べてみる」にこだわったりしておられる。
 ここにまちがいなく「等身大の科学」への意図がある。
 それは、こんなコトバにもあらわれている。

 普段、あまりに「あたりまえ」と流してしまいがちな身近な自然をコケから見直してみることができないだろうか。(同書P141より)

(3) 「熊楠」にツナガッテいる。 これは、もう完全な我田引水の話だ。
なんとゲッチョ先生、小学生のときよりあの南方熊楠の大ファンであるという。
それを読んだとき、すべてが納得できた感じがした。
私のようなにわかファンではないんだ。恐れ入りました。
むしょうに私もぜひ「クマノチョウジゴケ(熊野丁子ごけ)」をこの目でみたくなってきた。
私は、ゲッチョ先生の大ファンになってしまいそうだ。
▼ この本の出会いを通して、「サイエンスコミュニケーターの条件」のようなものを考えはじめた。

さあ、今朝もいくつかの「コケ」たちにあいさつしてこよう。
名前で呼びかけるまでには、まだもう少し時間が必要なようだが…。

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【Web更新6/26】11-26『新・私の教材試論』更新

Dscn1444

水色の 我が庭にも 輝くや
11/06/24 (金)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-26
週末定例更新
 2011年上半期最後の更新である。地球が太陽の周りを回るのにスピードを変えたりはしないから、いつの半周もかわりはない。アタリマエすぎることだ。
 しかし、この半年ほど私にとって「変化」が大きかった半周はないのではと思う。
3.11と4.1、6.11があったからである。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ガクアジサイ
 のびるだけ伸びたキンカンの木とナンテンの木にはさまれて、ちょっとだけ顔ののぞかせる格好で、我が家のアジサイが咲いていた。アジサイをじっと見ていると、半年前の「冬芽」だったときの姿を思い出す。
冬芽に含まれる不凍液に感動した。あのアジサイはどうしているのだろう。ちゃんと咲いているのかな。
どんな色なのかな。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 これをはじめて3ヶ月が過ぎようとしてしている。
「これから」が少しずつみえつつある。これも3.11と4.1所以のこと。
6.11は「これから」が見えはじめた日。

◆新・私の教材試論 更新
 「あちら」に蓄積していくことを意識しながら、あらたな展開をめざそう。

さあ、また新しい一週間がはじまる。どんなあらたな出会いがあるのだろう。
 

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【お薦め本】『コケの謎』は面白すぎる!!

Dscn1522▼昨日、土曜日はは、大賀ハスの定例・定点観察の日だ。日射しがきつくなり、いよいよその季節が来ていた。大賀ハスの立ち葉どんどん増えてきている。しかし、どうも葉柄はどこか弱々しい。風がふけばなんともたよりない。こんなことでは「あこがれの4日間」は訪れるのか、心配だ。
今日こそ、追肥をやってみようと思う。元肥の身欠きニシンのやり過ぎで失敗をしていたので、ちょっと神経質になっていたが、ここは決断しよう。
▼この「大賀ハス」もそうだが、私には「持病」がある。
「ばっかり病」という病だ。それにはまるとそれ「ばっかり」になってしまうのである。
前後のみさかいがつかなくなる。その「ふしぎ!?」を追うことが、人生最大の課題に答えるがごとくなってしまうのである。
・「頭骨」コレクション
・ベニバナ
・丹生
・磁石石
・ヒガンバナ
そして、比較的最近では「コウガイビル」である。
この持病の発症はたいてい唐突にやってくる。
▼現役を引退して、趣味すくない私はこの病を計画的にコントロールしながら、発症させ「道楽」にしてくらしていこうと思っていた、その矢先だった。
 昨日、夕方からAmazonに発注していた『コケの謎』(盛口満著 どうぶつ社)がやってきた。ふつうだったら発注したら翌日に着くのが、週のはじめに発注したのに週末まで待たされてしまった。
これがまたまずかった。待っているとどうしても食欲をそそられるのだ。
▼Twitterでこの本が話題になっていた。「そうか、ゲッチョ先生が、コケのこと書いているのか、それは知らなかった」「それは、いちど目を通しておかねば…」ぐらいの軽い気持ちだった。
ゲッチョ先生こと盛口満さんのことは、『僕らが死体を拾うわけ』(どうぶつ社1994.4)以来ずっと気になるひとだった。興味深いイラストと等身大の語り口調。そしてなにより同じ病を持病としてもつ人として、どんな「仕事」をしていかれるのだろうと興味をもち続けていた。
▼本当は予定していたことがあった。しかし、つい読んでしまったのだ。
「パート1 コケ屋という病にかかる」を。
読んで「やばい!!」と思った。他にすることがあったのに…
同じ病をもつひとと言っても、相手は本まで書くプロだ!!
とびだすことばひとつ、ひとつに頷き、「そうなんだよな」と納得してしまっている。
等身大の語り口調が冴える。
彼も「3Kの法則」(「怖い」「キモチワルイ」「食える」)を持っていた。同業者として共感できる。
次の一文に「わかっているな」とひざをうった。
「つまり、なにかしら身体性を伴ったものが、生徒の興味の「芽」を呼び起こす…」(P27)
▼これは、やばいことになってしまうのではと思いつつも、続けて
「パート2 コケって何?」
も読んでしまった。読み終えたとき、「ああもうダメだ!」と思った。
完全にやられた!感染してしまったのだ。「コケ病」に…、他にすることならべていたのに。
それにしても、この人うまいな。
人を感染させるのが、いつのまにか「コケ」でなければならないような気持ちにさせているものな。
感心してしまう。
▼ゲッチョ先生にまだ直接お会いしたことがない。
でも、最接近をしたことがある。それは巾着田でヒガンバナオフをやったことがある。
そのとき、近くにある自由の森学園を訪問させてもらった。そのときはまだ、ここにおられたあいにく学校にはおられなかったが、これが「例の盛口先生の冷蔵庫」と見せられた。
なかには、もろん骨が眠っていた。
いつかはぜひぜひお会いしたいな。同病を持病とするこの人に…。
▼今日の仕事は、一時停止して、「パート3」「パート4」…読み進めようと思う。
もうここまで来たら、感染を認めるしかない。
お薦め本としたが、仕事がつまっている人はちょっと待った方がいい。
その仕事かたづけてしまってからの方が賢明だと思う。
すでに感染している人、この新参者をよろしく。そして御指南のほどを…。

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新・私の教材試論(55)

Dscn1383▼毎朝、散歩で出会うヤツがいる。いつも決まったところにいて「あいさつ」がわりに近づいてくるかと思うと、上空を飛び回る。鳥にまったくくわしくない私は、恐る恐る言うけど、これってサギですよね。
「朝の友」のわりには名前もしらないのである。昨日は、水面に写る位置でポーズをとるようにしていたのでカメラを向けてみた。
Dscn1483▼昨日は何回となく、「雲見」三昧の一日だった。
「雲見」定点観測地からの空は、雲の博覧会ぐらい、ころころちがった雲が登場した。究極は雲ず0の青空だった。
それは長くは続かなかったが、空はまったくの夏だった。
▼「ピンホールカメラ」の話を続ける。
先まで少しにらんでおく。二つだ!!
・Twitter的展開
・クラウド志向
 やれるところからやっていく。しかし、これまでとはちがう。ひとりでやるのでなく多くの人の知恵を借りようと思う。そして、最後にまとまったことは、「あちら」に蓄積していこう。
「あちら」に置いておけば、いつでも誰でも利用可能だ。もちろんいちばんの利用者は、未来の私だが。
▼それなら、どこからはじめても良いだろう。
手短なところからはじめてみよう。
「ピンホールカメラ」 「教材」で検索をかけてみた。
最初に注目したのはさすがカメラもデシカメの時代だ。デジカメをもちいた「ピンホールカメラ」の実践だ。
◆光に関する教材-デジタルカメラを用いたピンホールカメラ-
古いデジカメを「ピンホールカメラ」にというのも面白そうだ。
◆古いデジカメ改造第二弾!ピンホールカメラに挑戦 

なんかいろいろ面白い取り組みありそうだ。
面白そうなことから、いろいろはじめてみるか。

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新・私の教材試論(54)

Dscn1360_2▼昨日、久しぶりにゆっくりと「雲見」をしていたんだ。
そしたら、「雲見」の元祖宮澤賢治のあの一節を思いだしたんだ。

眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
(宮澤賢治『蛙のゴム靴』より)

そうなんだ。「雲見」というやつは、いくらやっていても厭きないんだ。
刻々と姿形を変えていく雲。でもしばらく見ているうちにどうも同じ方向に流れていくように見えてきた。
それはどの方向なんだろう。
夏という季節の方向なんだろうか。
▼私は、この日々のblogのなかで、三つ「試論」
・新・私の教材試論
・新・「自由研究」のすすめ試論
・新・クラウド「整理学」試論

・サイエンスコミュニケーター宣言
を展開している。きわめて気まぐれな展開である。
言わばポンコツ教師の繰り言みたいなものだ。
しかし、最近気づいてきたのだが、この三つの試論も宣言も同じ方向に流れていっているではと。
バラバラに語っているつもりだったが、実は同じこと言いたいのではと思いだしたのだ。
共通する流れの方向は、「これから」の時代なのかも知れない。
▼久しぶりに少しとぎれていた「新・私の教材試論」を再開する。
教材「ピンホールカメラ」が途中だった。
田所美惠子さんの「針穴」へのこだわりに圧倒されたところで終わっていた。
この後、具体的な「ピンホールカメラ」の教材史にふれ、自分でも制作に挑戦してみるつもりだった。
遅々たる歩みだが、つづけてみよう。

今日も「雲見」ができそうな天気だ。
雲の流れる方向を意識しながら「雲見」をしてみよう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(34)

Dscn1345▼夏至だった昨日。仕事から帰りにコンビニに駆け込んだ。幸いもう一部だけ残っていた「スポーツ報知」買い求めた。コンビニの入口で開けてみた。和歌山の阪本尚生さんから教えてもらった新聞記事は確かにあった。
あったどころでは一面使っての記事だ。
◆[花のガーデン]神秘のハス、世界最古の奇跡の花…和歌山・広川町「滝原温泉ほたるの湯」
家に着いたら、さっそく我が家の大賀ハスを見に行ってしまった。我が家に「あこがれの4日間」は訪れるだろうか。
▼「高いレベルの科学」をつづける。

(3) 生活経験のゆきづまりから出発し、性格の違ういくつかの実験で検証され原子論、質量・エネルギー・運動の保存性、階層性、歴史性、統合性、相対性などの視点を強めるものに役立つもの。

(4) 理科で教えるものはみんな、目に見えないもの、見ただけではわからない。すべて抽象的なものである。そこで極地方式の理科では「物質」学習が基本となる。目に見える実体的なるものとその変化を学習の中心にする。
「水溶液の性質を調べる」のではなく、「水の中の何が何に変わったか」調べるのである。

(5) 広大で未知の大自然の中で、行動する指針となり、自然改造の土台となるもの。

(6) 重要な社会的問題に当面したとき、自分の向かう方向を定めるのに有効なもの。

(『極地方式入門 現代の科学教育』(高橋金三郎・細谷純=編/国土社 P40より)

40年の時空を超えて、たった今の提言のように思ってしまうのである。
この「高いレベルの科学」を追い求めての取り組みは続いているという。
▼これからの「私の科学」を考えるうえで、この「高いレベルの科学」がとても有効なヒントを与えてくれそうな気がする。そこでこの夏、私は「高いレベルの科学」の今 を訪ねようと思う。

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サイエンスコミュニケーター宣言(33)

Dscn1326▼昨日、予想通りというかそれを上まわるかたちで、シダの胞子のうの観察や、コケの観察をすることができた。「雨まち結婚」のゼニゴケの雌株のりっぱなものも見せてもらった。
やっぱり自然は面白いものである。ここには間違いなく学びに価するものがあるはず。
▼だからこそ追い続けよう。これからも学びに価する「科学」を。
その「科学」についてひとつの答えをだした教師たちがいる。極地方式研究会である。
それは「高いレベルの科学」とよんでいた。
その「高いレベルの科学」とは、どのような「科学」なのだろうか。
▼『極地方式入門 現代の科学教育』(高橋金三郎・細谷純=編/国土社 1974.3.20)には次のように書かれている。もう40年近く前のことである。

「高いレベルの科学」とは、次のような性格を備えた基本的概念の総合体を、子どもが自分の力でつかみ出すものである。

(1) 今までの教科書に「法則」として記載されているものではなく、教師が子どもに、おおよその内容が検討つけられるやさしいコトバで、新しく文章表現した概念(法則)でなければならない。
(中略)

(2) 多種多様の自然現象のどれにでも重要な役割を演じている概念(法則)で中で、理解のやさしいもの。
(前著 p40より)

<つづく>

 

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サイエンスコミュニケーター宣言(32)

Dscn1321▼昨日の朝、前の山に「シダ植物」を採集に行った。例の「胞子のう」「胞子」の観察のためである。
それにしてこいつらは凄いやつである。ある時代、この地球の陸上を征服したという。ロボク、リンボクは何十メートルに達し森林を形成したという。その巨大なシダたちが倒れ、化石化したものが石炭だという。だから、この時代は古生代石炭紀。古い古い時代の話だ。
▼同じ地球上に私たちは今、暮らす。まるで地球を「征服」したかのような錯覚をもちながら。
しかし、また思い出す。
あの栗田子郎先生の言葉を
それは『多様性生物学入門~ヒトへの道程~』(栗田子郎著 東海大出版 1997.3.3)の「まえがき」にあった。

 ホモ・サピエンス(Homo sapiens 賢い者)と自らを名付けた我々「ヒト」も「チンパンジーとの遺伝的差はほとんどない」 としながらも、二つの大きな特徴があると書かれている。

 しかしヒトという種にはほかのどんな生物にもない(と思われている)きわだった特徴が一つあります。自分自身の由来、ひいては万物のルーツを知りたがるとともに、まだ存在しない未来に思いを馳せるという性質です。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を著し進化論を説いたのもこの衝動に駆られたからでしょう。(中略)  いま一つのヒトの特徴は、細胞外で複製・増殖することのできる遺伝因子、つまり言語(言葉、文字)と映像を操る能力です。生きとし生けるものはすべて、自らを存在させているプリン塩基とピリミジン塩基で記された基礎情報(遺伝子)を次の世代へ残そうとします。ヒトも例外ではありません。しかし、この情報は時間軸に沿って垂直にしか伝わりません。ところが言語や映像という形の情報は水平方向にも伝わります。しかも、細胞核内に収められた情報は親から子へと伝わるのみで、その逆は不可能です。言語情報はこれが可能です。この第二のヒトの特徴が、私をしてこのようなテキストを綴らせたようです。(『多様性生物学入門~ヒトへの道程~』「まえがき」より )

▼この第一の特徴が「科学」を生んだのではないだろうか。
そして、第二の特徴を生かして「科学コミュ二ケーション」があるというのが、私の文脈にひきつけての読み取りである。
 では、その「科学」は3.11を経てどうなったのだろう。
今こそ必要な「科学コミュニケーション」とはどんなことなんだろう。
堂々めぐりになること恐れずに、
やっぱり繰り返し問うてみよう「これから」を。

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【Web更新6/19】11-25「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!

Dscn1267

花石榴 あれたる庭に あかり灯し
11/06/17 (金)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-25
週末更新のお知らせ
  またしても一週間がすぎた。あれからだとすでに102日目である。
確実な時間の経過を感じるのである。最近あまり使わなくなった「Twitter的」のことばがより自分のなかに染みこんできた。あえてそのことばを使う必要もないほどに皮膚感覚としてそれを感じるようになってきている。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ザクロの花
 我が家の庭は、これまで「庭」と呼ぶのも恥ずかしいぐらい手を入れていない。荒れ放題にしている、じっくりとそれを見るなどという生活もしてこなかった。家にいる時間が多くなると自然とそこに目が行く。
柿の木、南天、キンカン、ゴンビ、アジサイの木などが伸び放題になっている。そのなかに石榴の木がある。昔は少し大きめの石榴の古木があったような木がする。今は、細い若い木が枝をのばしている。
今、朱い石榴の花が咲いている。みごとな色だ!!鬱陶しい梅雨空にあたたかい明かりを灯すように。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 ふりかえってみると、こんなわけのわからないようなことを30回以上も書いている。
不思議なものだ。そのときは、ちょっとした道楽気分ではじめたのかも知れない。ところが今考えてみると必然のように感じてしまう。カタカナの「サイエンスコミュニケーター」という道など、これまでの自分からすると、発想の対極にありそうな道である。
 それが今では、「この道しかない」と思ってしまうのだから。

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サイエンスコミュニケーター宣言(31)

Dscn1314▼昨日は定点観測の日だ。大賀ハスとヒガンバナとをセットで観察を続けてきていたが、ヒガンバナの方は「引っ越し」をしてしまったので、今週から大賀ハスだけにする。
 その大賀ハスは植え替えから9週目である。危機的状況かと思っていたが、少し安定してきた。
立ち葉は、どんどん大きくなりハスの姿になりつつある。それは大量の太陽エネルギーを受け取り、大量の「生産」を意味していた。生産物は、次なるエネルギーの消費活動に使われる。
観察池が、大賀ハスのジャングルになるのは夢でなくなるかも知れない。そして、あの「あこがれの4日間」が訪れるかも知れない。
▼「これから」を考えるのに、「これまで」をならべてみて俯瞰してみる。そんな作業をもう少し続けよう。
原子論的物質観という物質観。これだけでは足りない。
もうひとつセットで必要だと思ってきた。それが「エネルギー観」である。
▼今移行期にある「学習指導要領」に目を向けてみる。
その第一分野の「目標」の4つ目にもきっちりあがっていた。

(4) 物質やエネルギーに関する事物・現象を調べる活動を行い,これらの活動を通して科学技術の発展と人間生活とのかかわりについて認識を深め,科学的に考える態度を養うとともに,自然を総合的に見ることができるようにする。

これは別にあらたなことを言っているのではない。これまでも「目標」であったはず。
お題目を唱えるだけでは、「これから」は見えてこない。作業を続ける。
▼「エネルギー観」のための授業として、どんなことをやってきたのだろう。
ならべてみる。
・【光の学習】
・【音の学習】
・【圧力の学習】
・【力学の第一歩】
・【電気の学習】
・【電流と磁界】
・【運動とエネルギー】

正直に言って、この作業だけではまだ「これから」が見えてこない。
飽きることなくつづけてみよう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(30)

Dscn1296▼昨日、朝からまた「整理」にかかっていた。
はたと手を止めそれを眺めていた。この度手に入れた理科ハウスオリジナルの新商品「元素周期表クリアファイル3D 」だ。どうなっているんだ「ふしぎ!?」。飛び出してくる。角度を変えて見てみる凄い!!
そうだ、この「周期表」あったんだ。物質の「ふしぎ!?」をさぐる旅の必需品・必携品として、物質探検の地図=周期表があったんだ。
▼やっぱり「これまで」をもう少し整理しよう。
手持ち札をならべてみよう。
・原子論的物質観
・周期表
そして、なにより私の場合は「授業」だ。なにも人に誇れるような実践ではないが、私の「事実」として「記録」している。それをならべてみる。
【物質探検】
【三態変化】
【気体】
【溶解】
【化学変化】
【水溶液とイオン】【物質とイオン】
【自然・人間・科学】

▼ならべてみて俯瞰する。そして自分に問うてみた。
「これからも、原子論的物質は有効か?」
「この延長線上に未来はツナゲルか?」
この問い繰り返しながら、あらたな私の「仕事」にとりかかろう。
ゆっくり ゆっくり 急いで!!

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サイエンスコミュニケーター宣言(29)

Dscn0576▼私は、ふっと先日の「ウメサオタダオ展」でみた「ウィルソンの霧箱」のことを思いだしていた。
「ウィルソンの霧箱」がなぜ「ウメサオタダオ展」にあったのか。
それはあの『知的生産の技術』のなかに次のくだりがあるからである。

「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるものである。まいにちみなれていた平凡な事物が、そのときには、ふいにあたらしい意味をもって、わたしたちのまえにあらわれてくるのである。たとえば宇宙線のような、天体のどこかからふりそそいでくる目にみえない粒子の一つが、わたしにあたって、脳を貫通すると、そのとき一つの「発見」がうまれるのだ、というふうに、わたしは感じている。 宇宙線は目にみえない。目にみえない宇宙線を観測し記録するためには、それを目にみえるかたちでとらえる装置が必要になる。「ウィルソンの霧箱」とよばれる装置は、それである。 宇宙線は、天空のどこかから、たえず地球上にふりそそいでいて、だれの大脳をも貫通しているはずだ。したがって、「発見」はだれにでもおこっているはずである。それはしかし、瞬間的にきえてしまうものだ。そのまま、きえるにまかせるか、あるいはそれをとらえて、自分の思想の素材にまでそだてあげるかは、その人が、「ウィルソンの霧箱」のような装置をもっているかどうかにかかっている。「発見の手帳」は、まさにそのウィルソンの霧箱なのである。(『知的生産の技術』梅棹忠夫著 p28より)

▼私は、今回の「理科ハウスの空気を吸う会」で、多くの人に会い、その人の「私の科学」を教えてもらうなかで、「これから」が発見できたように感じた。
 しかし、これをこのままにしておけばまた消えてしまうように思う。
見えかけたものを、きっちりとした「かたち」のものにはできないかも知れないが、記憶するのでなく記録しておこうと思う。

▼繰り返そう。私には
1831年のファラデーの「電磁誘導の発見」と2011年の福島とがツナガラナイ
この「ふしぎ!?」
この180年の間に何が?
中学校の物質の学習は「原子論的物質観」できまりであると思っていた。そう思って授業を構想し拙い実践ながらもそれに取り組んできた。
しかし、この「ふしぎ!?」の前に立ちすくでいた。

▼立ち止まっていては、「これから」は見えてこない。
「これまで」を整理して、動いて、「これから」を発見しようと思う。
さあ、少しずつはじめよう。

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続く!私の【100人リンク集】の旅!!(3)

Dscn1232▼タイムラインは今、月食モードだ!!
雨空の雲がうらめしい。
昨日、ついに門田の麦が刈りとられた。風景が大きく変化した。人は風景の変化によって「時間」を意識するという。確かに、あの旅からも「時間」が経っている。
時間が経っているのを無視していると、せっかく見えてきつつあった「これから」が消えてしまいそうだ。
ゆっくりと急ごう!!
私の【100人リンク集】の旅を続ける。
◆森裕美子(モリユミコ)さん[23]
 今回のメイン会場、世界で一番小さな科学館「理科ハウス」の館長さんである。
 かつて、モリさんが発行するあのミニコミ誌「なるほどの森」から、どれほど多くの「科学」を教えられてきただろう。家庭でできる実験観察に徹することによって、学校の理科室の定番実験は、あらたな意味を付加されていった。そして今は強力スタッフ山浦安曇さんと一緒に展開される理科ハウスの世界に多くのことを学ばせてもらっている。「理科ハウス詣でからはじまる世界がある。」と思ってきた。今回の「空気を吸う会」で、それをより確信した。
サイエンスコミュニケーション最前線がここにある。
「私の科学」は大いに刺激を受けた。ポンコツ頭の私では、そのすべてを吸収することは難しかった。
また何度も行かせてもらうことにしよう。

◆シジュウカラさんこと久米宗男さん[24] 
 私は、以前に「世話になるばかりの【理科の部屋】世話係」を名のっていたことがある。今言うのも恥ずかしいほどである。ところがこの人はちがう。ほんとうの「世話係」というのはこういう人のことを言うのであろう。
 インターネット版がはじまったころには、多くの企画のWebページを作成を請け負ってくださったり、いつもオフ会では博識を活かし人と人をツナゲテいってくださっている。それは今も現在進行形である。
・粂 粂 C L U B (クメクメ倶楽部)
 
▼今回の「空気」を吸う会では、もっと他にもたくさんの方にお会いした。日頃オンラインでお世話になっている方ばかりである。それらの方々へのリンクは、勝手にこのblogにさせてもらうことにした。
【100人リンク集】、本家本元のGhanaさん加えて101人。そのうち今回の4人を加えて合計6人になった。
6/101である。
 まだまだ旅は続く。

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続く!私の【100人リンク集】の旅!!(2)

Dscn1191▼昨日(6/14)、仕事から帰ってついに定点観測地のヒガンバナの「引っ越し」をした。
この定点観測地Aのヒガンバナとの付き合いはとても古い。画像に残している範囲でも13年にはなるだろう。
家の門先だから、いつもすぐ見ることができた。それを基準に開花時期なども考えてきた。
Dscn1195 まもなく工事が始まるからの引っ越しである。できるだけ同じ条件で定点観測できる場所に引っ越しをした。
この場所での最後の年となった昨年の様子は、こちらにまとめた。
▼これも古くからの話である。「旅」のつづきである。
6/11には、ほんとうにたくさんの人にお出会いしたので、このポンコツ頭少し、整理し反芻しながら楽しませてもらっている。

◆シェーマさん・ecochemさんこと(本間 善夫さん)[25]
 私は、この人に出会わなければ、きっとインターネットとこんなに長くつきあってきていないだろう。
Webの世界の楽しみ方のノウハウのすべてをこの人から学んだ。
 インターネットの可能性、Web2.0時代の魅力、そして最近ではTwitterだ。ecochemさんのアドバイスがなければ絶体にTwitterをはじめていないし、続けてはこなかっただろう。
 いつも不思議に思うのは、現実にお会いしたのは数回しかないのに、再会した瞬間に時空を超えた話になるのである。まるで昨日までずっと話をしていたように…。
生活環境化学の部屋はこれからも私たちの「道標」である。
サイエンスカフェにいがたは50回を越えたという。サイエンスコミュニケーション最前線がここにある。

まだまだ<つづく>

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続く!私の【100人リンク集】の旅!!(1)

Dscn1143▼昨日は、ずいぶんと久しぶりに「雲見」の定点観測地から空をゆっくりとながめていた。晴れているとは言え、どんよりとした雲が空を覆うこともしばしばである。なにも特別の空ではない、特別の雲がみられるというのでない。
いつもの「大気の物理実験」がおこなわれている空だ。
 そのいつもの、アタリマエの観察・観測も続けていけば、りっぱな「科学」になるということを、多くの先達に教えられてきた。できないことを夢みる前に、できること続けてみようと思う。
▼今回の「理科ハウスの空気を吸う会」でも、私の【100人リンク集】の人たちとお会いすることができた。
・「私の科学」
・「これから」
等を聞いてみた。

◆Ghanaさんこと(渡部昌邦さん)[0]
 インターネット版【理科の部屋】の創設者。インターネット版【理科の部屋】は、1995年8月31日にスタートした。当時「100校プロジェクト」という企画があった。福島県葛尾中学校もそれに参加していた。
その取り組みの一環として、パソ通【理科の部屋】と連動するかたちでこの人がはじめられた。
これによって【理科の部屋】はインターネットの時代になっていった。教育界全体を見渡しても先駆的な取り組みとなっていった。そのGhanaさんに十数年ぶりに出会った。
 Ghanaさんは、当時からおっしゃていた「走りながら考えていくことに意味がある」と。
十数年の時空を超えてもそのままだった。
・熱く福島の今
・これから
を熱く語られた。うれしかった。教えられることがいっぱいだった。
モヤモヤしていたものがいっきょに晴れていくような気分になった。
「これから」が見え始めてきた。

<つづく>

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【Web更新6/12】11-24「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!

Dscn0912

里の味 誰にむけ吐く ゴンビかな
 11/06/10 (金)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-24週末定例更新のお知らせ
 「過去と他人は変えることできないが 未来と自分は変えることができる」と、それはずっと言ってきたこと。
それを実感できる機会を重ねることによって自分のものになり、確信に変わっていくのである。
そんな機会があった。「これから」なら変えることができるかも知れない。そう思えるようになりつつある。ありがたいことだ。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ゴンビ(ナツグミ)
 花から実になったゴンビだ。花のとき、表紙にしてそれは「ナツグミ」と指摘を受けた。
そのゴンビがいよいよ熟してきた。
 これいっぱい口に含んで種を吹き矢のごとく相手に向けて吐き出しあいっこするそれは、
昔の遊びだった。口に含むと甘酸っぱい。吐き出した相手の友の顔が浮かんだ。
今となっては相手がいない。梅雨空に向けて吹きだしてみた。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新
 ずいぶんと久しぶりにこのページ更新してみた。
これから、夏休みにかけて更新を頻繁にやってみたいと思っている。
それは、いつかはひょっとしたら「新・学問のすすめ試論」に近づけるかも知れない。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 うれしいことに、「これから」が少し見えてきたのかも知れない。
サイエンスコミュニケーションのなかからこそ「科学」が生まれる。これは真実かも知れない。

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「理科ハウスの「空気」を吸う会」は楽しかった!!

Dscn1002▼あれから3ヶ月目の6月11日、昨日もまた私にとっては記憶すべき日となった。
念願の『理科ハウスの「空気」を吸う会』の日だった。
何が起こるかわからないところが面白いのだが、せっかくの機会だからと3つばかりのねらいをもって参加した。
(1) 理科ハウスの「空気」をいっぱい吸い込む

(2) サイエンスコミュニケーターとしての「これから」を学ぼう。

(3) 多くの「私の科学」と出会い、学び合い、高め合う。

▼3つとも「ねらい」は達成できた。
大々満足である。理科ハウスは開設から3年を過ぎ、4年目に入っていた。
中身はすごい充実ぶりだ。すごい進化を遂げている。これはいくら時間をかけてもたらない。
それは、私の想像をはるかに越えていた。それからも何回かお会いしたし、ネットを介して情報は得ていた。
しかし、それではわからないものがやっぱりあった。
そこに流れる「空気」はやっぱり、そこに行って吸ってみなければわからない。
いっぱい吸い込んできた。
▼3.11以来ずっとくすぶっていたもの。
その「ふしぎ!?」がわかりはじめた。
十数年ぶりに出会った渡部さんや本間さんが教えてくれた。
「これから」も。
なんとありがたいものだヒューマンネットワークとは。
新しい出会いもあった。
それが、すぐさま旧知のようになれるからこれまた不思議である。
きっと、同じその場の「空気」を吸っているからであろう。
【理科の部屋】ヒューマンネットワーク万歳!!
また会いましょう。


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サイエンスコミュニケーター宣言(28)

Dscn0939▼6月11日の朝。あれから3ヶ月だ。
神奈川でむかえる朝だ。一日早い定点観測報告である、大賀ハスは植え替えから8週目である。
ついに立ち葉が起き上がってきた。いよいよ光とりも立体的な展開となる。水面の葉が占める割合はやはり6~7割までだが三次元になれば少し話も違ってくるかもしれない.
Dscn0920▼ヒガンバナの方の引っ越しは、帰ったらいよいよ決行することにする。続けてそこにいることはできそうにない。残念である。
▼3.11とサイエンスコミュニケーター。
3.11がなかったら私は、サイエンスコミュニケーター宣言をしだろうか。
あの日、私は午前中にパソコン室で阪神淡路大震災のビデオを見、「想定山崎断層地震」の授業していた。
「動く大地の物語」を進行形であることを強調しながらやっていた。
そして、午後のあの時間がきた。
正直なにが起こっているのかよくわからなかった。もっと近い学習をしていながらである。
▼地震・津波・原発次々とたった今、進行形でおこっていること、中学校までの義務教育のなかで学習で言うならばいちばん「理科」が近いはず。
 その「理科」がツナガラないのだ。
なぜだろう。
 その「ふしぎ!?」に誘われるように私はサイエンスコミュニケーターへの道を選んだ。

さあ、今日はもう何時間かしたら、多くのサイエンスコミュニケーターの先達たちに出会える。
「これから」を問うてみよう。

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サイエンスコミュニケーター宣言(27)

▼授業で「呼吸とは、単なるガス交換ではなくてエネルギーを取り出す営みである」と強調していた。
だからこそ、植物も動物もかたときもこれをすることをやめない。エネルギーを取り出すことをやめたら、それは死を意味するのである。
 『理科ハウスの「空気」を吸う会』が近づいていた。理科ハウスへお邪魔して「呼吸」させてもらうのも同様ではないかと思う。「空気」を吸うことによってエネルギーを取り出すのである。
▼より多くのエネルギーをとりだすだめには、ポンコツ頭をもう少し整理しておこう。
まずは大枠の三つのねらい
(1) 理科ハウスの「空気」をいっぱい吸い込む
 理科ハウスを訪問するのは、まだ2回目である。前回訪れたときにも感じた「空気」、ここだけに流れる「空気」
科学を楽しむ「空気」、それをいっぱい吸い込んで呼吸してみよう。

(2) サイエンスコミュニケーターとしての「これから」を学ぼう。
 理科ハウスは、サイエンスコミュニケーションの現場だ。それも最前線の現場である。
だから、「理科ハウス」そのものがサイエンスコミュニケーターの先輩である。
その先輩から、私の「これから」を学びたい。

(3) 多くの「私の科学」と出会い、学び合い、高め合う。
 幸いにも、一緒に「空気」を吸いに来てくださる方ある。
福島から、新潟から、大阪から、東京から、そして地元神奈川から…、うれしいかぎりである。
多くの人の「私の科学」と出会える。「私の科学」を大いに学び合い高め合いたいものである。
【100人リンク集】の旅のつづきもできる。ありがたい!!

さあ、出かける準備にかかろう。
今日は「時の記念日」!!究極の「ふしぎ!?」=時間を意識しながら…。

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サイエンスコミュニケーター宣言(26)

▼「科学とは何か?」を問い続けるサイエンスコミュニケーター。
何だか、変な構図である。
 しかし、私にはこれが「事実」なである。
ひとつの答えを見つければ、大発見をしたように思う。
「これで、わかった!!」と納得しすべてがこれで行けるような気分になる。
でもそれはやがて不安定になり、崩れていく。
また、「科学とは」と問いを繰り返す。何度何度も同じことを繰り返すのである。
あのシーシュポスの神話のごとく。
▼先週末に行った「ウメサオタダオ展」に関する興味深いテレビ番組があったようだ。
後から知った。見逃してしまったものだから、昨日オンデマンドで見た。
◆ETV特集 「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来」
なかなか面白かった。
ここにもひとつの答えがあった。
「科学は人間の業である」であると。
少し納得!!そして思った。
「暗黒のかなたの光明」になりうるのも、また「科学」ではと。
新たな「科学」が必要とされている。「米の飯のように」語られる科学が。
▼明後日(6/11(土)13:00~17:00)は、いよいよ『理科ハウスの「空気」を吸う会』だ。
理科ハウスに流れる「空気」をいっぱい吸わせてもらって、「科学とは?」と問うてみようと思う。
 他の人の「私の科学」と出会って、いっぱい吸収してみよう。
異質なものが出会うとき、そこに新たに「科学」が生まれるのかも知れない。
楽しみである。 o(^o^)o ワクワク

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新・「自由研究」のすすめ試論(32)

▼昨日の夜、8時すぎだ。外に出たら庭先にホタルが数匹飛んでいた。
もうこの季節なんだ、しばしそれに見入っていた。そう言えば、あの地のヒメボタルはどうだろう。
三年前にはじめて見たヒメボタルの点滅すばらしかった。今年も見に行きたいな。
▼今年の「自由研究」のことを考えはじめていた。
・アカソナキヤ方式自由研究
・Twitter的自由研究
と言っても、それは子どもたちの「自由研究」だけを意味していない。
大人も同じである。
今日、「自由研究」のすすめは、新・「学問のすすめ」である。
誰か書いてくれないかな。21世紀の今の日本における「新・学問のすすめ」を。
▼最高のすすめは、まずは自分もやってみるということだ。
ここ数年自分でもテーマを設けてやることにしている。
未完に終わること多いが、自分でも発表もしてきた。
さあ、今年の私のテーマである。
・教材「ピンホールカメラ」の研究
・丹生を追う
・「コウガイビル」のその後
・大賀ハスの観察と研究
・柳田國男と南方熊楠の科学

いくら時間ができたと言っても、これだけいっぺんにやってしまうことはできない。
優先順序を決めて取りかからねば…
ゆっくり 急ごう !!

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新・「自由研究」のすすめ試論(31)

Dscn0811▼今朝起きて窓を見ていたら、ヤモリくんがまだ狩りをしていた。一晩中狩りを続けていたのだろうか。その動きをじっと見ていたら時間がずいぶんすぎてしまった。みごとな名ハンターだ!!
 それにしても「ふしぎ!?」だ。重力に逆らって、みごとに動く。小さな毛、分子間力の利用とその足の秘密を知ったのちも、その「ふしぎ!?」は消えない。すばやく動き回るときはこの分子間力をどのようにコントロールしているのだろうか。「ふしぎ!?」は膨らんでいく。
▼今日6月7日は、孫の3歳の誕生日だ。その孫の誕生を記念し、その孫が自由研究をする年頃になったら参考にしてくれたらいいのになと思って作ったページ『「理科の自由研究」の研究』も3歳になるということである。
そのページのなかで新・「自由研究」のすすめ試論を展開してきた。
これまでにある程度のところまでわかってきた。
ひとつは「自由研究」はアカソナキヤ方式でということだ。
◆アカソナキヤ方式
 タリマエ を当たり前として流さずに
 ンガエテミルト けっこう「ふしぎ!?」なことはいっぱいある。 
 ウイエバ そのこと教科書に、本に、Webにあったような。
ントクナク でいい。その「ふしぎ!?」に予想をたててみよう。
ットコウナルハズ の私の仮説をたててみよう。
ッパリ そうだったか!!となれば、これは大発見だ。
▼小さな小さな「ふしぎ!?」も、この「アカソナキヤ方式」で大発見につながる自由研究が、今年の夏もいっぱい生まれるといいな。
 もうひとつある。ここでも「Twitter的自由研究」である。
別にTwitterを使って自由研究をしようというのでない。研究の過程でTwitter的(「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」)であろうというのだ。
 今の時代だから、ネットを自由研究に使うのは有効な手段であることは間違いない。
しかし、それが単なるコピペの世界にとどまるなら「もったいない!!」
もっともっと有効な活用方法があるはずだ。
Webの世界とは、そもそも「研究」のためにはじまったはず。
今の時代だからこそ生まれる「自由研究」がみたいな!!

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【Web更新6/5】11-23新・クラウド「整理学」試論更新!

Dscn0762

小さきや 宇宙のごとく ニワゼキショウ
 11/06/04 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-23
週末定例更新のお知らせ
 新しい一週間がはじまる。前の一週間の変化をこのWeb更新に反映させたいと思うが、なかなかうまくいかない。結局はblog発信のものをまとめてテーマごとに貼り替えて、表紙を変えるだけの作業になっている。
 それでいいとも思っている。「あちら」に蓄積・保存していくことに意義をみつけているのだから…。
 明日の私が、読みやすいようにしておこう。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ニワゼキショウ
 この花が家の前の畦道を「花畑」に変えてしまうのを知ったのは、そんなに古い話ではない。
この季節になると心待ちにするようになった。なんとも小さい花だ!!
でもその姿はりっぱな花だ。一日でその姿を終えてしまうとなんとも哀しい。しかし、その後は線香花火の後のような丸い種ができる。小さくても、いや小さいからこそ見えてくる「宇宙」がそこにあった。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 「ウメサオタダオ展」に行くことは、ずっとずっと続けてきた自分の「整理」を今一度見直す機会になった。
ここで展開しているのは、クラウド「整理学」である。
 これからは、なぜ「クラウド」なのかを自らに問うてみたい。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 今週末には、また多くの人の「私の科学」と出会える機会がある。
楽しみである。いちばん興味あるのは、その出会いによって私自身の「私の科学」がどう変化していくかである。 

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新・クラウド「整理学」試論(30)

Dscn0728▼昨日は土曜日。定点観測の日である。植え替えから7週目である、これって比較的目立たないところに観察池をつくって観察を続けているんだが、もし誰かが他から見ていたらおかしいだろうな。
家にいるときなんかは、何時間か置きにそこに行きカメラを向けたり、ニコニコ顔になったり、しょげてみたりとコロコロ変わっている。観察者の観察した方が面白いかも知れない。
 水面の6割がたが大賀ハスの葉で覆われた。残された水面には虫の死骸らしきものが…。
Dscn0727▼ヒガンバナには、かわりはない。変わって行っているのは周りの草花たちだ。「引っ越し」するなら今なんだがついつい後回しになってしまう。もう十数年もずっと観察を続けて来た「定点観測地」を移す気がしないのである。
松江先生は32年もよくも継続されたものだと今さらのごとく感心してしまう。
Dscn0658▼まだ、「ウメサオタダオ」の余韻が残っていた。
気になる一枚の写真のことを思いだしていた。1951年「ウメサオ」が柳田國男邸を訪ねたときの写真だ。
一回目に「ウメサオタダオ展」に行ったときにその写真は気づいていたが、一昨日のときは、しばらくその写真の前に佇み、その二人の「知の巨人」たち出会いのバックグランドを思い浮かべていた。
 どんな会話があったのだろう。
柳田國男・南方熊楠・梅棹忠夫この「知の巨人」たちの「整理学」は、どこか共通したものがあるような気がしてならない。
▼「巨人」たちにいくらあこがれていても埒があかない。
凡人にもいたらない私にもできることをやろう。できることを繰り返しやろう。
今だからこそできること。
それがクラウドだ!!
整理したものを「あちら」に蓄積・保存するのである。
そうすれば、ウメサオが推奨した「カードを繰る」作業も簡単にできる。
さらには、蓄積・保存したものが共有できる。共有「知」が生まれる。
共有「知」は、コンヴィヴィアルな世界をつくり出すことができかも知れない。

さあ、今日は週末Web更新の日だ。
ほんの小さな更新だが、「あちら」に整理してみよう!!

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再び、「ウメサオタダオ展」に行った!!

Dscn0504▼昨日6/3(金)は、再びあの「ウメサオタダオ展」に行ってみた。4/15(金)につづい二回目だった。
前回と同じく中国縦貫道を通って車で行ってみた。
 人が前回にくらべ多くなっていると感じた。『「情報」の達人・「情報」の先駆者』の特別展の情報はいろんなところを通して拡がっているのだろう。年代層も幅広い、若い学生さんから、かなりご高齢の方まで男性女性問わず
多くの方がこられていた。前にも増してすごく熱心に展示物をご覧になっているのが印象的であった。
Dscn0559▼私は、今回は4つの課題(宿題)をもっての再訪であった。
どこまで、答えをみつけることができただろう。
(1) 教材・教具・資料の整理のヒントをもらう。
もう一度展示物を見ていく。
その資料整理にはやっぱり圧倒される。ひとつの調査研究のフィールドワークにして、なにからなにまでほんとみごとに「整理」「保存」がされているのである。その徹底ぶりには驚くばかりである。
みごとにファイリングされているのである。そのときのメモ、フィールドノート、スケッチ、手紙、写真、その時使用した日常品等などがすべてがファイリングされているのである。
 それには圧倒されることしきりでヒントどころではない。「私にはできない」という諦めの方が先に来る。
そう言えば、フラットファィルを大量に買い込んで挑戦したときもあったな、と思い出す。
このフラットファィルの発想は、私の場合は「袋ファイル」に移行した。
それとて、メンテナンスが不十分なまま今日まで来てしまった。
結論は、もうすでに『知的生産の技術』に書いてあった。

知的生産の技術のひとつの要点は、できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといっていいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。(『知的生産の技術』P96)
 
Dscn0637 これは、ヒントというよりは確認をしたことになる。
では、「これから」どうするか。これは自分流をみつけるしかない。
「整理」の目的だけははっきりしてきた。
クリエイティブのための「整理」!!
回顧のための「整理」ではない、「整理」のための「整理」モノそれはもう捨ててしまおう。
Dscn0569▼第二の課題、それは少し「遊び」だ。
(2) 新しく手に入れたノートPCを持ち込む。
 ほんとうにどこからでもWiMAXにつなぐことができるのか。そんな実験でもあった。行く途中で西宮名塩の休憩所に寄った。そこでたこ焼き食べながらつないでみた。
みごとツナガッタ!!ほんとうだどこでもツナガルとちょっと感動した。
民博について駐車場でつないでみた。これがツナガラない。?(゚_。)?(。_゚)?
Dscn0592会場に入ってみてつないでみた。やっぱりつながなかった。これは建物のなかでは無理かと、外のレストランでつないでみた。辛うじてツナガッタ!!
記念に一言ツィートしてみた。
 ウメサオタダオという人は、情報発信ということについても先駆的であった。
ワープロが出現するよりずっとずっと以前から「カタカナひらがなタイプライター」を駆使して情報発信をした。
ローマ字に凝るのも世界に向けての「わかりやすい」情報発信を心掛けたからであろう。
調査で車で移動中も、タイプライターを膝の上にのせ打ち続けたという。
まさにモバイルの先駆者でもあるのだ。
 それにもまして感心するのは、「わかりやすい」情報発信をめざしていたということである。
Dscn0660▼第三の課題、これは勝手な私の思い入れである。
(3) 知の巨人=「ウメサオタダオ」の「空気」を吸う。
少し的を絞っていた。
『アマチュア思想家宣言』なる文章が気になっていた。私は、まだこの生の文章読んでいなかった。
タイトルが気になってしかたなかった。
 展示会場には全ての著作集があるわけでなかった。たまたまそれが載っている第12巻はそこにはなかった。
ないとなると余計に読んでみたくなるのが人情だ。
 今すぐ読む方法はあるかを聞いてみた。そしたら民博内の図書館を紹介された。
私はすぐ図書館に向かった。さすが、民博の図書館だ!!すごい蔵書量だ。
すごい厳重に保存管理が行われている。へんなことに感動してしまっているあいだに、その文章に行き着いた。
読んでみた!!予想通りであった。
 みごとな宣言文だ!若きウメサオの「プロ思想家」に対する挑戦状のような文章だ。それは同時に自らに課した決意表明でもあったのだろう。
 くらしに使えない「思想」などに何の意味があるのだろう。
その問いかけは、そのまま「思想」を「科学」かえても通用する問いかけにも思えてきた。
急に「ウメサオタダオ」が近くなったような気分になった。
これだけでも大きな収穫だった。
Dscn0683▼第四の課題。
(4) フィールドを拡げていった「文脈」はどこにあるのか。
 こんな大きな課題を設定した自分が少し恥ずかしい。
世界を駆け巡り、次々と自分のフィールドを拡げ、独創的「論」をぶち、生涯 情報発信を続けた人。
視力を失ってからも、なおいっそう多くの著書を世に送り出した。
なんというアクティブな人なんだろう。ただただ驚くばかりである。
 「ウメサオ」を突き動かしているものは何か。知的好奇心などいうことばでは語れないモノを持っていたのだろう。
徹底して「ふしぎ!?」を追う人だった。
「ふしぎ!?」を追う技術とシステムを開発した人だった。

二回の「ウメサオタダオ展」で学んだものは大きい。
その大きさは、あまりにも大きくて私にはわからない。
しかし、わかっていることがある。
私には、「等身大」にしか生きることができない!!
ということだ。

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新・クラウド「整理学」試論(29)

Dscn0489▼門先の白十字(ドクダミ)がなぜか哀しく美しい。私の家は里山の裾にある、地下に染み込んだ雨水は、低い位置では地表で再び姿を現す。そんな水が流れる溝が私が幼いころにはあった。その溝で田植えで汚れた足をあらったり、ちょっとした洗い物であれば用を足していた。その溝の側には、この季節白十字の花(ドクダミ)がいっぱいあった。この「白」が脳裏に焼き付いている。このあとだったろうか、それらを刈りとって裏の縁側に陰干しにして「ドクダミ茶」として祖母が飲んでいた。それは母に引き継がれ最近までやっていたような。
あの苦味が白十字の名前とともに「薬」としてインプットされた。それは「科学」だったのだろうか。
▼4月以来の「整理」を勝手に何期かをきめてすすめている。数えて第Ⅴ期に入ろうとしている。
第Ⅴ期のメインは「教材・資料」の整理である。
そこで、もう一度、あの「ウメサオタダオ」にヒントをもらおうともう一度に行ってみることにした。
前回に行ったときは、『知的生産の技術』に焦点化していた。
今回も、もちろんそれを学びとろうというのが目的であることにはちがいがないが、晩年まで「知の巨人」でありつづけた人間「ウメサオタダオ」から、ほんのわずかでも「おすそ分け」をいただこうというのがねらいである。
もう少し具体的に
(1) 教材・教具・資料の整理のヒントをもらう。
 彼のフィールドは世界に拡がっている。その資料は、私ごときが比較するのもおくがましい膨大のなものであったろう。それを彼はどのように「整理」していたのだろう。
 凡人の私にもひょっとしたらヒントになるものがあるかも知れない。
(2) 新しく手に入れたノートPCを持ち込む。
 これは完全な「遊びごころ」である。新車を買って氏神さんにお祓いをしてもらうようなものだ。
モバイル用にあたらしくレッツノートを手に入れた。それを持って行ってそこでWiMAXにつないでみる。
彼は、一時「和文タイプライター」にはまっていた。それは必携の道具であったという。
ワープロなんかない時代の話である。
そんな「ウメサオ」教の神様にお祓いをしてもらおうというのだ。
この「遊び」を許してくれるかな。
(3) 知の巨人=「ウメサオタダオ」の「空気」を吸う。
 前回行ったときに手に入れた『梅棹忠夫~知的先覚者の軌跡』に鶴見俊輔氏が書いていることだが、梅棹忠夫は若いころ(34歳)に『思想の科学』(1954.5)に「アマチュア思想家宣言」という文章を書いたという。
とても興味深い。話が「等身大」なんである。
それは「サイエンスコミュニケーター宣言」を書いている私にはなおいっそう興味深い。
その人が吸い吐き出した「空気」が、まだそこには漂っているかもしれない。
その「空気」を吸ってみよう。
(4) フィールドを拡げていった「文脈」はどこにあるのか。
 次々とフィールド拡げ、「文明論」「情報論」に至る彼の文脈はどこからきているのか。
こんなたいそうなこと、私などにわかるはずがない。
でも、これもひょっとしたらその文脈の出処の一端を発見できるかも知れないという淡い期待。

これぐらいにしておこう。あんまり宿題多いと、
挫折感も大きいだろう。
午前中には出発しよう。 

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【授業】やっぱり、植物は凄いやつ!!

Dscn0413▼一進一退を繰り返す大賀ハス、もう一度リセットしては、今年は無理である。ならば、このまま観察を続けるしかない。でも、ほんとうにどうなっているんだろう。この観察池のなかで何が起こっているのだろう。
 今、私は大賀ハスのご機嫌を、あの葉の上の水滴で判断している。あのでは水滴がコロコロとはずむように転がっているときが元気なとき、どこか元気のないときには水滴はみられない。
▼水滴の動きをじっと見ている、それにしても「ふしぎ!?」なものだ。ググってみた(久しぶりに使うなこの言葉、ちょっと色褪せてきているな)、やっぱりそうだ。いろんな研究をしているな、自由研究ですぐれたものもあるし、画像もあるな。私が「ふしぎ!?」と思うこと、面白いと思うこと、同じ「ふしぎ!?」を抱いたひとがいっぱいいるんだ。「ふしぎ!?」を共感、共有することは楽しいことだ。
▼久しぶりの授業報告である。
今、光合成の原料の学習をしている。
植物の偉大なる営み「光合成」を何度語ってきただろう。私は、それを語るたびにちょっと興奮してしまう。
「水と二酸化炭素を原料にして、緑の工場(葉緑体)で…」
そう語ってしまうのが、なにか申し訳ないような気分になる。
いやちがうな。「もったいない」気分という方がちかいかな。
▼アタリマエと言えばアタリマエすぎること、しかし、それで通り過ぎてしまうのでは「科学」に近づけない。
「植物は凄い!!」「凄い!!」
を連発してしまうのである。
 消費者であることしかできない我々から見れば、唯一の生産者である植物がやっていることは凄いことなんだ。
▼ストレートに「凄い!!」を繰り返すだけでは能がなさすぎる。
あの手、この手を考えて、より実感する工夫をしよう、と思う。

それにしても「凄い!!」「「ふしぎ!?」がまずは先行してもいいではないか。
ちょっとだけ自己弁護。

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サイエンスコミュニケーター宣言(25)

▼朝起きて、カレンダーをめくった。6月である。
サイエンスコミュニケーター3ヶ月目に突入である。この2ヶ月をこれまでに書いた「サイエンスコミュニケーター宣言」でふりかえって見た。
 たった2ヶ月であるが、その間に「サイエンスコミュケーター」に対する考えも、自分でもコロコロと変わっている。
 それは、それでいいと思っている。「変わること」こそが「科学」の不変の原理・原則なのだから…。
▼でも、まだどうしてもしっくりとこないところがある。
●1912年ウェゲナーの「大陸移動説」
それから100年!!

●1831年 ファラデーの「電磁誘導」発見
それから180年!!

この二つの科学・技術史を、今の身のまわりで起こっていることとツナゲタイ!!
と考えたかった。
 そして「くらし」と「科学」をツナゲたかった。その道すじを納得のいくかたちでみつけたかった。
▼世間で「科学リテラシー」が必要と言われ出してからも久しくなろうとしている。
そりゃそうだ!!
賛同もしながら、どこかしっくりとこないのである。
・「科学リテラシー」とはそもそもなになのか。
・中身の吟味は必要ないのか。
・「科学リテラシー」とは、持てる者が持たざるものに分け与えていくというようなたぐいのものなのか。
・なぜ今、必要とされているのか。
・科学リテラシーはサイエンスコミュニケーションのなかから創られるという仮説は正しいか。
・「科学」とはそもそも誰かのものなのか。

▼原点にもどって考え直すつもりが、よけいに袋小路に入ってしまっている。
6月は、できるだけ多くの人の「私の科学」と出会って、学んでみよう。

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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